ゴルゴ13-鉄火激るロアナプラ-   作:範馬勇太郎

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PART10『ミッドナイト・エンジェル』

 道徳的に宜しい商売を営む者が限りなく少ないロアナプラでは、さも当然のように合法非合法問わず水商売が幅を利かせている。

 ラチャダ・ストリートで店を構えるストリップクラブ“ジャック・ポット・ピジョンズ”もその一つで、毎夜客足が途絶えない事を鑑みるに、ロアナプラでも有数の繁盛店だ。

 ショー・ステージでは際どい衣装のポールダンサーが蠱惑的な肉体を惜しみなく披露しており、ステージを囲うように配置されたテーブルからは客の下卑た歓声が響き渡っていた。

 

「……了解した。後はこちらでやる」

 

 唯一、この店で狂騒の宴とは無縁の場所がある。

 片隅に備えられたバーカウンターで、ひっそりと佇むサマースーツ姿の東洋人──ゴルゴ13。変装は解いており、カウンターの奥まった席に腰をかけている。先程まで通話していた携帯電話を懐に仕舞い、淫靡な熱気が漂うステージには全く興味を示さずグラスを傾けていた。

 もし荒事に長けた者が見たら、ゴルゴ13が座っている席は、ある条件に最も適している事に気が付くだろう。

 

 不意の攻撃から、即座に反撃可能となる位置取り。

 兎のような臆病さだ。だが、超A級のプロフェッショナルに相応しい慎重さでもあった。

 

「お客さん、見ない顔だねぇ。ウチに来て踊り子に目もくれない客は初めて見たよ」

「……」

 

 東南アジア系のバーテンダーはそう疑問を浮かべるも、ゴルゴ13が無言で酒を呑んでいる為、肩をひとつ竦めるばかり。

 ちなみに彼の叔父もバーテンダーであり、ラオス人民民主共和国はビエンチャンにある“ラ・プペ”という酒場で酒を供している。叔父から教えられたブランディ2オンス、スロージン1オンス、オレンジキュラソーを少々加えた“ラオスのけし”は、彼の得意とするカクテルのひとつであった。

 が、そもそもバーカウンターを利用する客が少ないので、悲しいことにその味は全く知られていなかった。

 

「隣、いいかしら」

 

 ふと、ポールダンサーの一人がゴルゴ13の隣──カウンターの席は全て空いているのに、わざわざ一番奥の席に座った。

 仕事終わりだからだろうか、ステージ衣装ではなくミニスーツ姿の彼女。もっとも、胸元が大きく開かれたジャケットに、タイトなスカートから滑らかな太腿を晒していた為、女性慣れしていない者にとっては十分にセクシーな装いだった。

 

「ジョアンナ、今アガリかい?」

「ええ。今日はバカな客がいなくて助かったわ」

 

 そう言ってカクテルをひとつ注文する、ジョアンナと呼ばれた女性。

 長い金髪を梳いてグラスに口をつけると、ゴルゴ13へ声をかけた。

 

「お客さん、誰かと待ち合わせでもしているの? さっきステージから見てたけど、全然あたしのダンスを見てくれないんだもの」

「……」

 

 ゴルゴ13はジョアンナが話しかけても無言のまま。

 それに構わず、彼女はカクテルを舐めながら話を続けた。

 

「ね、お客さん、お昼頃サータナム・ストリートにいたでしょ」

「……」

 

 そこで初めて、ゴルゴ13は明確に視線を向けた。

 剃刀のような鋭い視線。

 常人であればそれだけで身が竦むのだが、興奮した客に組み付かれる事が少なくないポールダンサーでも古株であるジョアンナ。ついこの間も韓国系の巨漢が後輩ダンサーに組み付いた事案が発生しており、店の用心棒と大乱闘を繰り広げるその様子を『気楽な雑談タイム』と流すくらいには肝が据わっていた。

 ジョアンナは苦笑と共に続ける。

 

「その目よ。()()()付けてたってそんな目つきをしてたら意味が無いわよ。それに、女にそんな目を向けるもんじゃないわ」

「……」

 

 出勤前に偶然ゴルゴ13の姿を見かけたのだろうか。

 サータナム・ストリートで()()()()()()()()()()佇むゴルゴ13の姿は、勘所が冴えた者にとって妙に記憶に残る風貌だった。

 とはいえ、脛に疵を持つ者が多いロアナプラでは、変装して巷を彷徨くような怪しい人間はさして珍しくもなく。ジョアンナとしては、むしろ目の前の男にミステリアスな魅力さえ感じていた。

 

「あなた、淋しそうだけどいい男(ハンサム)なんだからさ。そんな目さえしなきゃ、この店の()達にも結構モテると思うわよ」

「……」

 

 屈託の無い笑みを浮かべるジョアンナ。一瞬、剣呑な空気が流れるも、ジョアンナの歯に衣着せぬ物言いもあってか、ゴルゴ13は少しだけ口角を上げていた。

 その様子を見たバーテンダーは、『そういえばジョアンナは男と別れたばっかりだったな』と、彼女のこのボーイ・ハントに生暖かい視線を向けていた。

 

「ねぇ、この後時間ある? もう少し飲みたい気分だから、付き合ってよ」

「……」

「またぁ、そんな目をして──」

 

 ふと、ジョアンナはゴルゴ13の背後に視線を向ける。

 熱っぽく柔らいだ彼女の視線は、一瞬にして険しいものとなった。

 

「よぉジョアンナ。飲み直すなら俺と飲もうぜ」

 

 三下(チンピラ)風の男がジョアンナへと近付く。顔が赤らんでおり、しこたま飲酒をしている様子が伺えた。

 ジョアンナがゴルゴ13を盾にするように奥の席に座ったのは、この男に見つかりたくなかったのもあるのだろう。

 バーテンダーはそれを見ると、ジョアンナへ小声で話しかけた。

 

「ジュリアン・Dを呼んでおこうか?」

「これくらい、まだ大丈夫よ」

 

 用心棒を呼ぼうとしたバーテンダーへそう応えるジョアンナ。

 男はジョアンナが別れたばかりの元恋人だった。金使いが荒く、酒癖も悪い、明らかに程度が知れる男と付き合っていたのは、ジョアンナ自身も盛大な気の迷いだったと深く反省する始末であり、こうして別れた後もしつこく彼女を探し、未練がましく言い寄る様を見たら尚更だろう。

 

「アンタとなんか死んでもごめんよ。さっさと消えてちょうだい」

「なんだとぉ?」

 

 ジョアンナの強気な態度は、この場合では逆効果だった。

 酒気を帯びた荒い息を吐き、目を据わらせた男。

 

「どけっ!」

 

 そして、強引に彼女を連れ出そうと、間に座るゴルゴ13の肩を掴もうとした。

 

「ちょっと! やめなさいよ!」

 

 声を荒げるジョアンナに、用心棒を呼ぼうと浮足立つバーテンダー。

 しかし。

 

「うおっ!?」

 

 男の手が捻り上げられる。体勢を崩され、容易く床へ転がされる。

 カウンターに置かれたグラスも床に落ち、ガラスが割れる音が響いた。

 座ったまま男を軽くいなしたゴルゴ13。

 変わらず、グラスを傾けている。

 

「ク、クソ野郎がっ!」

 

 酒精に加え、怒りと羞恥で更に顔を赤く染めた男は、懐からナイフを取り出しながら立ち上がった。

 そのまま斬りつけようと腕を振り上げ──

 

「に、逃げて──」

 

 そして、ジョアンナがそう言った瞬間。

 

「ウゲッ!!」

 

 電光石火の早業。

 ゴルゴ13は目にも留まらぬ速さで強烈な拳を男の腹に叩き込み、鋭い手刀もその首筋へ叩き込んだ。

 男は呻き声をひとつ上げ、そのまま昏倒した。

 

「……介抱してやれ」

 

 ゴルゴ13は代金と共に多めの心付けをカウンターへ置く。呆然とするジョアンナとバーテンダーを置いて立ち去ろうとした。

 

「ま、まって!」

 

 ゴルゴ13へ縋るジョアンナ。

 心做しか、その表情は熱く上気していた。

 

「……一人にしないで」

「……」

 

 弱々しい彼女の声に、無言のままのゴルゴ13。

 だが、ジョアンナの細い手を振り払う事は無かった。

 

 通りに出て、タクシーを拾う。その間も、ジョアンナはむせ返る程の牝の臭気を発し、自身の艶めかしく熱い肌肉をゴルゴ13へ絡め続けていた。

 

「……サンカン・パレス・ホテルへ」

 

 ドライバーへ告げた目的地は、この街で一番の高級ホテルだった。

 サンカン・パレスで一夜を──それも、限りなく情熱的な一夜を過ごすというシチュエーションは、ロアナプラで春を鬻ぐ女達でなくとも一度や二度妄想した事があるだろう。

 ジョアンナは高鳴る心臓が徐々に下腹部へ落ちてくるような感覚を覚え、増々情火にその身を焦がしていった。

 それは最上階にあるスイート・ルームに至るとトップギアとなり、互いに裸身となった段階でピークに達していた。

 

 今までの己の人生は、目の前の男とのアヴァンチュールの為だけに存在していたのだ。

 ゴルゴ13の疵だらけで、そして野性的な魅力のある肉体を前にしたジョアンナは、そのような支離滅裂な思考に陥るほど脳髄を春機で満ち溢れさせていた。

 

 ああ、なんてセクシーな男。

 例え一夜だけの関係(ワン・ナイト・スタンド)でも、彼とのひと時は何よりも代え難いエクスタシーな思い出になるに違いない。

 あたしの子宮がそう告げている。

 

 

 

「おお〜〜っ、あ、あんたは男だよ、本当の男だよっ! まるで(パンサー)だよォ〜〜っ!! あおお〜〜っ! あんたの火掻き棒があたしの中で暴れているよォおおお~〜っ!! ち、ちくしょうっ、こ、こんなのってあるのォ!? 煮えてるよ、煮えたぎっている! 雨のサントロペ!! 恋のサントロぺ!!」

「……」

 

 

 

 ◆

 

 時は少々遡り、ゴルゴ13がジョアンナの元恋人を昏倒させた場面に戻る。

 変わらず店内はダンサー達の扇情的な踊りに合わせ、クラブ・ミュージックが爆音で響いており、このひと騒動は周囲の極一部を除き、まったく認知されていなかった。

 

「お、おい……あの東洋人(チーノ)は」

「あ、ああ、間違いねえ」

 

 その極一部に──テーブル席でくだを巻くように呑んでいたマニサレラ・カルテルの構成員達がいたのは、果たして彼らにとって望外な幸運か。それとも、極大な凶運か。

 コロンビアから送られた手配書の人相は、カルテルの全構成員にしっかりと共有されており、それは彼らの酔いを一発で覚ますのに十分な効果があった。

 

「ゴルゴ13だ……ついに見つけたぜ……!」

「ホセ、()る気なのか? ボスは手を出すなって……」

「馬鹿言うんじゃねえ。アレは兄貴、いや、ボスの本意じゃねえのは明らかだろうが」

 

 己を鼓舞するようにぐいとテキーラを飲み干すホセと呼ばれた構成員。ジョアンナと連れ立って店外へ出るゴルゴ13を睨む。

 マニサレラ・カルテルはホテル・モスクワや三合会との関係性、そして諸々の損得勘定に従ってゴルゴ13との直接的な戦闘を避けるよう構成員達へ下達していた。

 だが、カルテルを率いるグスターボの忸怩たる物言いを聞いた者達の中で、それが彼の本意ではないことを察せない不忠者はいなかった。

 

「で、でもよ、抜け駆けなんかしたらロシア人や中国人共も敵に回す事にならねえか?」

「ゴルゴ13を殺っちまえば問題ねえ。むしろ俺達に手出しなんかできなくなるさ!」

 

 威勢をそのままに、ホセは携帯電話を取り出すと、直ぐに事務所(ロス・ミヴァス・コーヒーカンパニー)に控える仲間達へ連絡を始めた。

 

「マレロか!? 奴だ、ゴルゴ13だ! そうだよ、俺達で殺るんだよ! 手下集めてありったけの得物を担いで来い! ボスには俺から話す!」

 

 ホセの意を十分に汲み取ったのか、既に何人かはゴルゴ13の追跡を開始するべく、目立たぬように席を立っていた。

 

「ちくしょう、戦闘車両(テクニカル)がぶっ壊されてなけりゃあな。クソッタレのショート・メイドめ」

「ぼやいても仕方ねえよ。とにかく野郎を追いかけるんだ」

 

 喧騒の最中、殺気立った男達が動き出す。

 強大な相手への恐怖は、彼らの滾らせた野心で上塗りされていく。

 

「殺ってやる、殺ってやるぞ……!」

 

 戦意を滾らせたコロンビア人達は、ゴルゴ13を仕留めるべくサンカン・パレスへと集い始めていた。

 

 

 

 獲物を見つけたばかりの捕食動物は、得てして自身を監視する“上位捕食者”の存在に気付かぬものである。

 

「……ラポチェク班より報告。標的Gを発見。ランサップ市場方面へ移動中……コロンビア人が追跡を開始しています」

 

 ジャック・ポット・ピジョンズを見下ろせる雑居ビル。

 その屋上にて、ホテル・モスクワは遊撃隊の索敵分隊が、闇夜に蠢くカルテルの動き──そして、ゴルゴ13の向かう先を報告していた。

 

 

 

「大尉殿」

 

 ブーゲンビリア貿易のオフィスにて無線連絡を聞いたボリスは、緊張した面持ちをバラライカへ向けた。オフィスには索敵分隊を除く遊撃隊全員が、指揮官の命令を待つべく直立不動で整列している。

 彼らの装いは常のマフィア姿ではない。

 ソビエト連邦空挺軍の野戦服。胸元にテルニャシュカの横縞を覗かせた、特殊部隊の武装姿。

 指揮官だけに許されたベレー帽を被り、バラライカはゆっくりと口を開く。

 

 まるで、これから地獄の黙示録を始めんとばかりに、その口角を歪めていた。

 

「同志諸君──撃鉄を起こせ」

 

 悪徳の都にて、亡者達の戦争が始まろうとしていた。

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