ゴルゴ13-鉄火激るロアナプラ-   作:範馬勇太郎

12 / 17
PART12『死のダイビング』

 ロアナプラで発生する鉄火場というものは、往々にしてド派手な銃撃戦となる。

 当たり前のように重機関銃やら対戦車ランチャー等の重火器で撃ち合うし、時には装甲車や戦闘ヘリまで飛び出す始末。このような物騒極まりない戦闘が発生した際の、周囲への被害は推して知るべしである。

 もっとも、戦闘の激しさが闘争本来の激しさと比例するかと言われると、それは必ずしもそうとは言い切れなかった。

 

 サンカン・パレスの屋上で発生した鉄火場──遊撃隊とゴルゴ13との戦いは、ロアナプラで発生した銃撃戦にしては静かなものであり。

 そして、苛烈なものだった。

 

「ラポチェク班は前進しろ! ロボロフスキ班はカバーを怠るな!」

 

 カラシニコフ(AK-74)が奏でる銃声が、サンカン・パレスの屋上に響き渡る。

 それは決して盲撃ちのような無秩序なものではなく、調律された戦場音楽であり、楽団の指揮者である戦乙女によって統制されていた。

 

「……!」

 

 必然というべきか。

 ゴルゴ13は貯水槽の影で身を隠す事以外、まともな行動が取れなくなっていた。コンクリート製の貯水槽は5.45mm弾を通さないが、雪隠詰めな状態なのは変わらない。少し顔を出しただけで、射撃上手が揃う遊撃隊による必殺の銃弾が脳天を貫くだろう。

 

「包囲完了。突撃しますか?」

Нет(駄目だ)。このまま包囲を継続しろ」

 

 バラライカは一気に勝負を決めようとするボリスを一蹴すると、油断なくその双眸を細める。

 ゴルゴ13は常に一対多の絶望的な状況を生き延び続けていた。

 そして、それは対手のミスや油断という、ほんの僅かな活路を見出したゴルゴ13の、卓越した生存技術によるもの。

 

 しかし、たとえどれだけ優れた能力を持っていたとしても、所詮は一人である事は変わらないのだ。ロクに撃ち返して来ない状況を鑑みると、カルテルから奪った散弾銃の残弾は少ない事も伺える。

 ならば、このまま包囲を継続し、ゴルゴ13の消耗を待つのが上策。勝負を焦らず、確実な勝利を得るのだ。

 バラライカは彼我の戦力差を分析した上でそう判断していた。

 

 だが、ゴルゴ13はバラライカの予測を上回る。

 

「……」

 

 動きを止められた中、ゴルゴ13は貯水槽の上部をじっと見つめる。

 そしておもむろに──素早く動いた。

 

「──ッ!?」

 

 一瞬、不自然な程の静寂が辺りを包んだ。

 音が止まった中、遊撃隊全員がそれを見上げる。

 貯水槽の上で、無防備に全身を晒したゴルゴ13を。

 

Огонь(撃て)!」

 

 戦乙女の凛声。

 虚を突かれた遊撃隊はその声で我に返り、猛然と射撃を浴びせた。

 

「ッ!」

 

 ゴルゴ13は寸前に仰向けに倒れ、銃撃を躱した。5メートルはある貯水槽から落下した形になるが、彼の鍛え抜かれた肉体はこの程度で深手を負う事はない。

 とはいえ、遊撃隊の砲火に身を晒して無傷とはいかなかった。

 左肩を抉る銃創。弾は貫通していたが、死神の表情は苦痛で歪んでいた。見れば、額にも弾が掠めており、流血がその表情を濡らしていた。

 傍から見れば無謀で無意味、そして危険極まりない行為。その代償としては安くついた方なのだろうか。

 

「舐めているのか、我々を」

 

 遊撃隊の一人、ポランスキー曹長が、その場にいる遊撃隊全員の意思を代弁するかのようにそう吐き捨てる。

 ホテル・モスクワはタイ支部でNo.3を務める彼は、トレードマークの口髭を忌々しそうに引き攣らせていた。

 

「……恐ろしい男だな」

 

 しかし、彼が絶対の忠誠を誓う戦乙女は、全く違う感想を抱いていたようだ。

 美しくも爛れた火傷顔を曇らせたバラライカ。

 それはボランスキーが感じた相手への蔑みとは違う、対象への畏怖が滲んでいた。

 

「大尉、今のは」

「奴はこの一瞬で我々の情報を収集したのだ。部隊の人数、装備、そして配置をな」

 

 馬鹿な、とボリスは呟く。

 あの一瞬でそこまでの情報を収集できるものなのか。

 そして、そのようなリスクを負ってまで我々を偵察した意図は?

 

「軍曹。これがゴルゴ13という男なのだ。今まで相手にした連中と同列に捉えるな」

 

 バラライカは泰然自若とした様子でそう言った。

 常の相手ではない事は対峙する前から理解っていた。

 故に、この程度の揺さぶりで心理的な動揺は起こらない。

 

(やはり一気にケリをつけた方が良いのか……いや)

 

 だが、微かに迷いが生まれる。

 この局面。力攻めの是非は。

 もし力押しを実行した場合、部下達の何名かは返り討ちに遭い、その命を散らすだろう。しかし、確実にゴルゴ13の命と引き換えにできると確信もしていた。

 渇望した戦争で戦死する事は、むしろ彼らにとって望むところであり、それはバラライカ自身も同じ。

 

 犠牲を前提とした作戦。そして犠牲の上で完遂される作戦。

 戦争。戦争なのだ、これは。

 

「……気に入らんな」

 

 バラライカは突撃の号令を発しなかった。

 頭ではそれが最適解だと理解していても、彼女の矜持、そして理性から来る魂がそれを拒否していた。

 

 “同志諸君! (こうべ)を上げよ! 我々は、現刻より我々の任務に復帰する!”

 

 まだ、バラライカ達が悪徳の都に至る前。

 (はした)な借金の為にかつての部下が命を奪われ、共同墓地(クラードヴィシャ)で戦友達が喪に服していた時。

 バラライカは空挺軍の野戦服姿で現れ、部下達──同胞達へそう命令を発していた。

 ソビエトは倒れ、新生ロシアからも見捨てられた彼らは、己の矜持の為だけに新たな戦場へ身を投じる事を厭わなかった。

 その時から、彼らは幾多の戦場を駆け抜け、そして幾人の同胞を喪失ってきた。

 

 死すべき時に死んだ同胞はいない。

 ならば、今は?

 米帝の象徴であるM-16、その象徴を用い不可能を可能にしてきたゴルゴ13。

 そのゴルゴ13を倒す事は、果たして我々が本当に望んでいた戦争なのだろうか。

 望まぬ戦争に、同胞達の生命を賭けてよいのだろうか?

 

 いや、そもそも。

 ()()()()()()()()()()()()

 

「大尉。重火器が使用できなくとも、現状は我々が優勢です」

 

 内なる葛藤を知ってか知らずか、ボリスは僅かに苦渋の表情を浮かべたバラライカにそう言った。

 いや、バラライカの葛藤を知っていてこそ、周囲の同胞達に余計な動揺を与えないよう、あえてこのように誤解したような物言いで慮ったのかもしれない。

 それに、ボリスのこの言は全くの勘違い、というわけでもなかった。

 

 バラライカ以下遊撃隊は、この局面に於いてある制約を受けていた。

 サンカン・パレスが戦場に選ばれた時点で、遊撃隊は対戦車ランチャー等の重火器、そして手榴弾等の爆発物の使用を禁じている。

 それは決して“フェアな戦いがしたい”というセンチメンタルな理由ではなく、確たる理由があっての事だった。

 

 ロアナプラでは歓楽街の客からの収益で生計を立てている者が多い。それは街を牛耳るマフィア達も同様で、麻薬密売などの非合法な商売の収益も、この客足により左右されている。

 そして太客ほど金回りが良いので、必然的に彼らの滞在先はサンカン・パレスに集中していた。

 もちろんカタギの客ばかりが宿泊しているわけではないが、筋者であっても品格がそれなりの者でしかサンカン・パレスを利用する事ができないのは、ホテルの格からしても当然といえよう。

 ガルシア・フェルナンド・ラブレスがロザリタ・チロリネスを救うべくロアナプラに再訪した際、当面の投宿先をサンカン・パレスに選んだのも当然と言えた。

 

 とはいえ、格調高い(一般的なリゾート地の星付きホテルと比べたらシティ・ホテルとビジネス・ホテルの如き差はあるが)ホテルとはいえ、完全に安全と言い切れないのがロアナプラたる所以。

 ロックとレヴィがシェンホアとソーヤーを伴いサンカン・パレスに赴いた際、諸般の事情で福建マフィアと血腥い戦闘を演じたのは前述の通りであり、当時の宿泊客もそれに巻き込まれていた。

 

 しかし、それは余所者である福建マフィアだったからという理由がある。故に、黄金夜会に連なる組織の場合では“宿泊客を極力巻き込まないようにする”という配慮は必然だった。

 マニサレラ・カルテルの郎党が無闇に乱入せず、入念に宿泊者名簿を確認していたのは、頭数が限られていたからという理由もあるが、客離れに繋がる被害を発生させないよう配慮していた、という理由が大きかった。

 結局己が定めた(ルール)以外に囚われないゴルゴ13により先手を打たれ、宿泊客はまたも銃撃戦に巻き込まれたわけだが、客からの死傷者が発生していない分、彼らの配慮は実を結んだといえよう。

 

 つまるところ、サンカン・パレスを無闇に破壊しない事は、この街で悪徳商売を続ける以上暗黙の掟となっていた。

 無論、バラライカはいざとなればホテルごと爆破してゴルゴ13に引導を渡す腹積もりではあったが、連絡会の終わりで張維新から“あまり派手にやるな”と直接釘を刺されていた事、そして無関係な非戦闘員を極力巻き込みたくないというソ連軍時代からの矜持により、サンカン・パレスでの過度な兵器の使用を禁じていた。

 

「張の言に今更従う義理は無いが、確かにここではあまり派手には……」

 

 ふと、バラライカに疑念が湧く。

 ほんの僅かな違和感。しかし、考えれば考えるほど、その違和感は大きくなっていった。

 

「なぜだ?」

 

 バラライカの呟きに、ボリスは応える事ができない。

 というより、主が何を訝しんでいるのかが分からなかった。

 バラライカは続ける。

 

「潜伏していた間は我々や三合会の索敵網にかからなかったのに、ここに来て奴は呑気にローワンの店で酒を飲み、あまつさえ女連れでサンカン・パレスへ戻ってきた。まるで、我々が()()()()()()()()()、だ」

「……逆に誘い込まれたと? 確かにサンカン・パレスで重火器を使用できないと読まれていたかもしれませんが」

 

 慄きが込められたボリスの言に、バラライカは少々黙考した後、首を振った。

 

「それにしては奴の武装が貧弱すぎる。理由は分からんが、今の奴はM-16すら所持していない」

狙撃戦(ロング・キル)ではなく、接近戦(ショート・キル)で我々の殲滅を図ったのでは」

「だとしたら我々の戦力を過小評価している事になるな」

 

 だが、それは無いだろうと、バラライカは続ける。

 培った戦勘が、その事を否定していた。

 

「ゴルゴ13程の男がそのようなつまらぬ理由で動いているとは思えない。確たる理由がなければ、超一流とまで言われたプロがこのような状況を現出させるはずがない」

「ですが、戦況は我々が支配しています。犠牲を厭わなければ、ゴルゴ13を」

 

 そうではないのだ、軍曹。

 尚も突撃を進言したボリスにそう言おうとしたバラライカ。

 しかし、状況は思いもよらぬ展開を見せた。

 

「大尉! あれを!」

 

 遊撃隊の一人が指し示す。

 見ると、ゴルゴ13が隠れる貯水槽から散弾銃の銃身が覗いている。その先端には、白シャツの切れ端が結ばれていた。

 先程の無謀ともいえる強行偵察は、結局ゴルゴ13にこのような選択肢しか提示出来なかったのだろう。

 

 万国共通である“降伏のサイン”が靡いていた。

 

「武器を捨てろ!」

「……」

 

 多数の銃口を向けられる中、ゴルゴ13はゆっくりと姿を現す。

 言われるがままに散弾銃を放り捨てると、そのまま歩を進める。その表情は、全くの無表情。

 急変した状況、そして無言の圧に圧されたのか、遊撃隊は銃口を向けるも発砲は出来ず、ただ黙って見ている事しか出来ない。

 

стой(動くな)!」

 

 ちょうど屋上の縁へと至ると、戦乙女の激声が響いた。

 肩を押さえ、落下防止フェンスを背にしたゴルゴ13は、初めてその視線をバラライカへ向ける。

 氷のような目。ほんの僅かな感情の揺らぎすら感じられない、凍てついた機械(マシーン)の目が、バラライカの冷然と燃ゆる瞳と交差した。

 

「……ハーグ陸戦条約はソ連軍も批准していたはずだが」

 

 唐突にそう言ったゴルゴ13。

 ふてぶてしいを通り越した物言いに、一瞬唖然とする遊撃隊。

 

「ふ、ふ、ふ……」

 

 ただ一人、バラライカだけが嗤っていた。

 まさか、あのゴルゴ13と会話をし、あまつさえこのような外連味のある言葉が聞けるとは。

 

「貴様は捕虜待遇を望むのか? ゴルゴ13」

「……」

 

 そう問いかけるも、ゴルゴ13は無言のままバラライカを見つめる。

 ボリスを始め、遊撃隊全員が固唾を呑む中、バラライカは口角を引き攣らせながら続けた。

 

「生憎と我々は軍を任意除隊してな……そのような戦時国際条約に従う義務はもう無いのだよ。加えて、仮に我々がまだ軍人だったとしても、テロリストでしかない貴様にハーグ条約を適用する義務も無い」

 

 そう言って、バラライカは僅かに目を細める。同時に、ある想いが彼女の胸に湧き上がる。

 

 新生ロシアはアフガニスタンという戦場をただ過ぎ去った悪夢としか認識しておらず、我々はその悪夢から這い出てきた影でしかない。

 “アフンガンツィ(アフガン還り)”と蔑まれた亡者達。死に場所を見誤ったが故に、生きる場所を得られなかった同志達。

 いや、だからこそ、ゴルゴ13は我々のかつての誇りを慮ってそう言ったのだろうか。

 

「こうして相見えた以上、貴様の標的が本当に私だったのか……この際、それはもはやどうでも良い事だ。だが、ひとつだけ聞きたい」

 

 愛銃であるスチェッキン拳銃の照準を合わせながら、幾ばくかの哀愁を込めるバラライカ。

 切ない殺意を受けても、ゴルゴ13は感情を表に出さなかった。

 

「貴様は何のために戦い続けているのだ。規律か? それとも矜持か?」

 

 相応しきものとの戦いを経て、矜持を抱えながら死を迎える。

 それだけが、バラライカ達の真の望み。

 だからこそ、この結末はバラライカにとって残念極まりないものであった。

 蓋を開けてみれば、何故あれほど焦がれたのか分からぬほどつまらぬ戦いだった。

 魂を震わせ、誇りを抱いたまま死ねるような戦争を望んでいたのに、この結末は。

 

 言外にそう言ったバラライカ。

 もはや彼女の火傷顔から情感は消え失せ、ゴルゴ13と同じような氷の表情を浮かべるのみであった。

 

「……」

 

 ゴルゴ13は尚も無言を貫いた。

 視線はバラライカへ向けたまま。彼女の黄昏れた情熱は、この超一流のプロフェッショナルに響いたのだろうか。

 数秒、視線を交差させる両者。

 やがて、バラライカは失望めいた嘆息をすると、引き金に力を込めた。

 

「残念だよ、ゴルゴ13」

 

 そう言った刹那。

 

「……俺は、俺が定めた“(ルール)”に生きている。あんたの物差しで測れるものじゃない」

「──ッ!」

 

 “──狂気の沙汰だな。つまり、バラライカ。お前らは”

 “そう、極道ですらない。お前の物差しで測られては困るのだよ、張”

 

 かつて水平線に沈む夕陽を背景に、バラライカが宿敵と交わした会話。

 あの時の自身と同じ言い回しをされ、バラライカは我知らず息を呑んだ。

 マフィアという枠組みから逸脱した自身。それをあの張維新は理解出来ず、くだらないと切って捨てていた。

 張とは、所詮は因縁でしか交わる事が出来ない存在。それは良い。彼とはそういう関係だからだ。

 

 しかし、目の前のゴルゴ13は、そのような人と人同士の(ことわり)からは逸脱した何かが感じられた。

 バラライカが本当に理解出来ない、異質なものとして。

 

 マフィアでもない。

 軍人でもない。

 法の番人でもない。

 悪党でもない。

 

 それら人の世界とは隔絶した存在。

 バラライカは、ようやく“ゴルゴ13という存在”を目の当たりにしていた。

 

 そして。

 この時、ゴルゴ13が手中に隠した発信機を、バラライカは気付く事が出来なかった。

 

「──ッッ!?」

 

 突如、階下から響く爆発音。

 必然、屋上は一時的にではあるが激しい揺れに包まれる。

 鍛え抜かれた遊撃隊とはいえ、ゴルゴ13という超越した存在と対峙し、その上この突発的事態が発生しては、ほんの僅かとはいえ混乱状態に陥ってしまう。

 

「ッッ!!」

 

 その一瞬の混乱を突き、ゴルゴ13は行動を起こした。

 そして、その行動は遊撃隊を更に混沌へと叩き込んだ。

 

「なッ!?」

 

 ゴルゴ13は目にも留まらぬ速さでフェンスを越え、地上へと()()()()()

 サンカン・パレスの建屋は30メートルを超える高さであり、その屋上から飛び降りればどんな超人でも確実に死亡する、文字通り自殺行為。

 しかし、遊撃隊は地上に現出するであろうゴルゴ13の死体を、直ぐに確認する事が出来なかった。

 

「大尉ッッ!!」

 

 ボリスの悲鳴にも似た叫びが響く。

 見ると、腹を押さえ膝をつく戦乙女の姿。

 出血が将校コートを赤く染める。まるで、ソビエトの赤の如く。

 

「衛生兵! 大尉が負傷した!」

「私に構うな、軍曹。弾は、急所を逸れている……!」

 

 介抱するボリスに、バラライカは苦痛で表情を歪めながらもはっきりと応えていた。

 ゴルゴ13は、飛び降りたその瞬間。

 石火の疾さでM36を抜き、バラライカへ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 しかし、咄嗟の行動すぎて彼の神技ともいえる命中率に翳りが出たのだろうか。

 偶然か、それとも必然か。バラライカに命中した銃弾は、彼女の額を撃ち抜く事はなく、その脇腹に命中していた。

 尚、この時のバラライカは気付かなかったが、ゴルゴ13が放った.38スペシャル弾は、93年の11月──ロアナプラ埠頭にてバラライカが張維新と一騎打ちを演じた際、張から頂戴した22LR弾とまったく同じ箇所に命中していた。

 

「で、ですが」

「軍曹。奴は、どうなった?」

 

 尚も気遣うボリスを制し、バラライカは地上を確かめるよう命じる。

 ボリスが目配せすると、遊撃隊の一人が慌ててフェンスへ向かう。

 

「なっ……!?」

 

 そして、唖然とした。

 

「どうした?」

「あ、ありません」

「なに?」

「ありません! 標的Gの死体がありません!」

 

 地上にあるはずのゴルゴ13の死体。

 それが忽然と消えていた。

 

 

 

 サンカン・パレスで発生した爆発は、ゴルゴ13がジョアンナと同衾していた最上階スイート・ルームからだった。

 ホテル自体を吹き飛ばす程ではなかったが、部屋は原型を留めておらず、しばらくは使い物にならないだろう。

 そして、部屋を遊撃隊が確認したところ、遠隔操作式の爆薬が仕掛けられていた痕跡を発見した。

 

「……これは、一体どういう事だ」

 

 しかし、部屋を爆破した事は、ゴルゴ13の落下死体が消えていた事に比べたらどうでも良く。

 ボリスはサンカン・パレス地上に下り、ゴルゴ13が落下した場所と思われる消火用の露天水槽(プール)を見つめ、困惑の度合いを深めていた。

 

「周囲に水が飛び散っています。ここに落ちたのは間違いないかと」

「ここに飛び込んで助かったというのか? 数メートル四方の狭いプールに加え、水深は1()()()()()しかないここに?」

 

 ゴルゴ13の落下地点を最初に確認したのは、狙撃班を率いていたザチャーミン伍長だった。

 ザチャーミンはスコープ越しにゴルゴ13が落下したのを目撃していたが、地上は壁で死角となっており、着地──着水の瞬間は見ていない。

 とはいえ、30メートルの高さから水深1メートルのプールに飛び込めば、オリンピックの飛び込み金メダリストでも即死は免れない。10メートルの飛び込みですら、水深5メートル以上は必要なのだ。これは物理法則をきちんと学んでいない者でも分かる常識である。

 しかし、死体を確認しようと狙撃地点から直行したザチャーミンは、ゴルゴ13の死体を見つける事ができなかった。

 

「ここが……奴が飛び降りた所か……」

「大尉、無理をしては」

「いや、大丈夫だ……しかし、やはり恐ろしい男だな……」

 

 ボランスキーに肩を借りつつも、負傷を感じさせない様子のバラライカ。飛び散る水しぶきを見ながらそう言った。

 脇腹は応急処置を施されただけであり、止血パックからはまだ血が滲んでいる。

 ボリス、いや、この場にいる遊撃隊全員が、本来であれば担架に乗せて即医者へ向かわせたいところだったが、彼らの美しく気高い指揮官はそれを固辞していた。

 

「昔聞いたことがある……アングリチャーシカ(英国人)共の中に、このような“大道芸”を見せる者がいたそうだ」

 

 シャローダイビングという飛び込み競技がある。

 これはハイダイビングなどの通常の飛び込みとは違い、極めて浅い水深での着水を見せるという、エクストリームスポーツの一種として飛び込み競技黎明期から行われていた。

 1900年から1941年頃に活動したアルバート・パウジーという英国の大道芸人は、24メートルの塔から水深1.2メートルの水槽に飛び込む事に成功しており、更にロイストン・フランセンという英国スタントマンも、32メートルの高さから水深2.4メートルの飛び込みに成功している。

 

 フラットで細長い姿勢で着水する通常の飛び込み方法では、水深が足りず底に身体を強打し、間違いなく死に繋がる重傷を負う。

 しかし彼らは浅い水深での着水を確実に行う為、着水ギリギリまで身体をくの字に折りながら落下、着水の瞬間に身体を大きく広げて衝撃を分散するという着水方法を編み出していた。

 もちろん、特殊な訓練を積んだ者にしか出来ない超人的な芸当である。

 

「……軍曹。奴は、また来るぞ」

 

 何故だか分からないが、バラライカはゴルゴ13との対決が、これで終わりだとは思えなかった。

 今度こそ、ゴルゴ13はゴルゴ13たらしめる戦いを己に挑んでくるだろう。

 M-16による狙撃(スナイプ)で。

 

 

 

 

「え、えへへぇ。ミスター、お疲れ様ですぅ……」

「……」

 

 サンカン・パレスから奇跡()脱出行(ダイビング)を果たしたゴルゴ13は、ホテルからそう離れていない場所にて、ある女性の出迎えを受けていた。

 余人に正体を知られたくないのか、女性はイスラム教徒が纏うニカーブで顔を覆っている。

 とはいえ、必要以上にへつらったその様子では、中身がどれだけ美人であろうと彼女の残念な雰囲気は拭いきれなかった。

 加えて、彼女は決して敬虔なムスリムではなく、むしろ中東諸国から蛇蝎の如く憎まれている白頭鷲の紋所を背負う人間であった。

 更に付け加えると、彼女の普段の装いはムスリムとは決して相容れない宗教のものであるが、これは彼女がこの街での擬態(カバー)として身につけている為、宗教観が全く違う装いであっても特に思うところはない。

 

「あのぅ、治療とかは」

「不要だ」

「あ、そうっすか……なら、どこかで着替えします?」

「不要だ」

「あ、そうっすか……」

 

 彼女は揉み手をしながら乗り付けた偽造ナンバーのセダン、その後部座席のドアを開ける。

 ゴルゴ13が肩を負傷し、全身濡れそぼっているのを気遣うも、むべなく断られる。

 

「なら、お腹減ってるだろうし、よかったらタコスとか食いに行きません?」

「……」

「あ、そうっすか……」

 

 とうとうガン無視されるまでに至ると、彼女はなんとも言えない表情を面布の下で浮かべ、車のエンジンキーを回した。

 

「……そういや、サンカン・パレスでの首尾はどうでしたか?」

 

 車を走らせながら、彼女は恐る恐るといった体でゴルゴ13にそう問いかける。

 

「……俺が依頼の内容を他人に話す事は無いと、CIAからもレクチャーを受けていたはずだ」

「あ、そうっすね……そうでした……」

 

 この男に対して迂闊すぎる質問だったと、暴力教会の女用心棒にしてCIAのケースオフィサーであるエダはひっそりと自省していた。

 

(それにしても、ウチで調達した爆薬をサンカン・パレスで使うとはねぇ。もっとも、あの様子じゃ全部使ったわけじゃないし、次は一体どこを吹っ飛ばすつもりなのやら)

 

 エダはそう思うも、これを聞いても答えは絶対に帰ってこないと思い口を噤む。

 超大物を前にすると、百戦錬磨のエダとはいえ、些か緊張してしまい余計な口を聞いてしまうのも仕方ないのだろう。

 もっとも、教会にて面通しをした際、ほんの僅かな物腰から己をCIAと看破したゴルゴ13に大いに畏怖の念を感じていたのもあるが。

 

「……このままプライヤチャットの工房まで行ってくれ」

「わ、わかりました、ミスター」

 

 行き先を告げるゴルゴ13。

 エダは強張った表情でハンドルを握り続けていた。

 

(“たまには笑えよ”なんて軽口聞ける空気じゃないわ……)

 

 重苦しい空気の中、ゴルゴ13を乗せた車はプライヤチャットの工房へと走っていった。

 

 




※広江先生がインタビューで思いっきり年代設定を開陳したりとかバラライカさんと張さんのバトル年月日とか色々見落としてたので前話あとがきの考察はなかった事にしてください
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。