ゴルゴ13-鉄火激るロアナプラ-   作:範馬勇太郎

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PART16『あなたが教えてくれた温もり』

 ベネズエラ

 ラブレス荘園

 

「先方の言い分は変わらず……彼女を法廷の場で裁いてほしいとの事だ」

 

 シェーン・J・キャクストン()米国陸軍少佐は、なるべく感情を抑えるようにそう言った。

 南米十三家族がひとつ、ラブレス家の屋敷。

 中庭に備えられたテラスには穏やかな日差しが差し込んでおり、咲き乱れる(カナイマ)の香りに誘われた鳥達の心地よいさえずりに包まれている。

 だが、キャクストンの表情は硬く沈鬱で、それを聞くこの屋敷の若当主──ガルシア・フェルナンド・ラブレスの表情もまた暗い。

 

「ふちょ──奥様にそのような負担は、もう」

 

 ガルシアの傍らに控える女中、ファビオラ・イグレシアスはそう言った。

 若当主の心中を代弁するかのような言葉。キャクストンは短く溜息をつく。

 

「しかし金銭的な補償を尽く断られた以上、この話は平行線だ。あちらが当局に訴え出ないだけでも相当譲歩してくれていると思った方が良い」

「ッ、それでもなんとかするのがアンタの──」

 

 やや熱くなったファビオラ。貧民街出身の彼女は感情が昂ぶると女中言葉を忘れこのようなガラの悪い言葉遣いになりがちだ。

 しかし、食い下がろうとしたファビオラを、ガルシアが制した。

 

「いいよ、ファビオラ。ミスター・キャクストン、せめて先方にはもう少し時間をくれるようお願いできないでしょうか」

 

 ガルシアははっきりとした口調でそう言った。

 ラブレス家の当主としての言葉。

 そして、愛する家族──愛する伴侶を守り、そして伴侶が犯した罪を共に償おうとする男の言葉だった。

 

「……もう一度、日本に交渉しに行こう。また連絡する」

 

 帽子を被り、席を立つキャクストン。

 軍を辞した彼の現在は、ラブレス家の代理人として、彼らの罪の清算の一助になる事だった。

 

「ミスター、ありがとうござい」

「セニョール・ラブレス」

 

 今度はガルシアの言葉が遮られた。

 キャクストンは子を諭す親のような口調で続ける。

 

「礼はいらない。礼を言ってはいけない。これは私の贖罪でもあるのだ。君はあの時──あの薄暗いメコン川を遡上している時、私にこう言った。私に死ぬ事も忘れる事も許さない。私に長く苦しんで欲しいと」

「……」

「だから、私が背負う罪と罰を軽んじるような言葉は使ってはいけない。君だけは、言ってはいけないのだ」

「……そうですね。仰る通りです、ミスター」

 

 それでも、ガルシアは目礼を返した。

 掛け値なしの善人なのだろう。だからこそ、彼はこの茨の道を歩む事を選択した。

 

「……」

 

 キャクストンはそれを受け、帽子を深く被り直した。

 あの日──ロアナプラという二日酔いで見る悪夢のような混沌とした街。

 そこで出会った時よりも、ガルシアは老成した姿を見せている。

 少し背も伸びたか。隣に控えるファビオラも、少女から乙女へと変わりつつある。

 

(だが、痛ましい姿には変わりない)

 

 少年が大人になる過程は、沢山の人間関係、そして社会を学ぶ長い時間が必要だ。

 ガルシアはその過程を飛ばして大人にならざるを得なかった。これを健やかな成長などと誰が言えよう。

 そして、彼がそうなった原因は自分にある。

 キャクストンはガルシアの姿を見る度に、そのような自責の念に苛まれていた。

 

 

 

「御当主様、奥様には……」

 

 キャクストンが立ち去った後、ファビオラは伺うようにそう言った。

 奥様。かつてのラブレス家の女中にして、フローレンシアの猟犬という異名を持つ南米屈指のゲリラだった彼女は、今ではガルシアの妻(正式な結婚式は上げていない)として、このラブレスの荘園で暮らしている。

 しかし、現在の彼女は自力での歩行が困難な程の障害を抱えていた。

 

 左腕欠損。

 右足欠損。

 右眼失明。

 右示指及び右中指欠損。

 複数箇所銃創及び薬物過剰摂取による多臓器障害。

 

 常人であれば設備の整った病院に入院し、入念且つ長期の治療を施してなんとか生き永らえる重症。事実、カラカスから呼び寄せた医者は入院を強く勧めていた。

 それでも、彼女は己の罪を贖い続けるかのように、ラブレス荘園での療養を選んだ。

 この彼女の意志を、ガルシアは尊重した。

 ガルシアは心身共に彼女の支えになる事を選んだからだ。

 

「僕が行くよ。彼女は……ロベルタは、僕の奥さんなのだから」

 

 そう言って、ガルシアは愛する伴侶──ロベルタの元へ向かった。

 

「若様……」

 

 ファビオラはガルシアの後姿を見つめながら、つい昔の呼び方を呟く。

 

 背が伸びると共に、彼の容姿は先代の面影を伺わせるようになった。

 ラブレス家に奉公するようになって数年しか経ってないが、先代ラブレス家当主ディエゴ・ホセ・サン・フェルナンド・ラブレスとの思い出は、ファビオラの胸に暖かい記憶として刻まれている。

 

 慣れぬ女中仕事に戸惑っている時、それとなく気にかけてくれて相談に乗ってくれた。

 学校に行けぬ自分の為に手ずから勉強を教えてくれた。

 ロベルタに見つからないよう、こっそり菓子を差し入れてくれた。その後見つかってしまったが、一緒に怒られてくれた時の稚気混じりの優しい笑顔。

 

 もし、もう一年早く奉公に出ていたら。

 きっと、私が奥様──婦長様の代わりにあの糞溜めに向かっていただろう。

 そう思えるくらいには、私は先代様を、若様を、そして婦長様を愛している。

 

 この世はお花畑でも糞溜めでもない、どこまでも煮えきらない灰色。完全な世界などありはしない。

 それでも誰かの為に祈ることはできる。愛することはできる。

 

 これまでも、そしてこれからも。

 

 愛するラブレス家の為に、私は彼らの女中であり続けるのだ。

 

 

 

 

「シェーン、もういいのか?」

 

 ラブレス家の門前にてキャクストンを待つ男。ファースト・ネームを呼び合う間柄のこの男とは、キャクストンの元部下であり、ベトナム戦争以来の戦友だ。

 

「すまないな、レイ」

「いいさ。それよりさっさと車を出すぞ。ここは空挺の連中の監視がついている……俺達の姿をあまり見せるわけにはいかない」

 

 レイモンド・マクドゥガル米国陸軍大尉はそう言って運転席に乗り込む。キャクストンが助手席に座ると手早く車を走らせた。

 

「しかしシェーン、やはり軍を除隊したのは早計だったんじゃないのか? あのままだったら名誉除隊で恩給も増えただろうに」

「……お前なら、俺がこうする事も理解しているはずだが」

 

 レイはハンドルを握りながら肩を一つ竦めた。

 この元上官にして股肱の戦友だった男は、とにかく高潔な精神を持っている。

 それはあのロアナプラでの作戦でも発揮されていたし、その作戦の尻拭いをするべくこうして野に下った程だからだ。

 

 国防総省国家安全保障局(NSA)が独断で主導した金三角(ゴールデン・トライアングル)における軍閥指導者捕縛を主目的とした安全保障部外指令第115“オペレーション・チャイナピット”。東南アジアでの情報工作を担当する中央情報局(CIA)を始め関係機関各所に秘匿して進められたこの作戦は、軍閥指導者シェ・ヤン将軍の捕縛こそは叶ったものの、実行部隊に多大な損害を出した以上、とても成功とは言い難いものだった。

 

 最終的には作戦はCIAに露見してしまい、部隊の損害や情報機関同士の連携不備を連邦議会に追求される事を恐れたNSAは、情報隠蔽と引き換えに情報戦分野における線引き、シェ・ヤンの身柄をCIAに任す事など、屈辱的な譲歩を大統領の前で行った。いわゆる、大失態というやつだ。

 もっとも、NSAはエシュロンを始めとした強力な通信傍受体制を構築しているので、この件での失点があろうとなかろうと大局的にはアメリカ合衆国における情報機関としての優位性に変化は生じない。

 

 とはいえ、NSAはチャイナピット作戦の不備要因を正確に分析できず、CIAに借りを作る羽目になっていた。

 当然だろう。人的諜報(ヒューミント)において一日の長を持つCIAが裏で妨害工作を行っていた上に、舞台があの魔境ロアナプラである。なんだかよくわからない内に作戦がおかしな事になってしまったという認識しか持てぬのは仕方ないと言えた。

 

 NSAは何もかもを現場に押し付ける事で局内責任の決着を図った。そして、都合が良い事に現場指揮官──任務を命じられた第56施設任務大隊、通称“グレイフォックス襲撃群(コマンドグループ)”の指揮官が、部隊損害の責任を取る形で除隊を申し出ていた。

 

「なら本でも出して印税暮らしをしたらどうだ? お前ならトム・クランシーよりリアルな小説が書けそうなものだが」

合衆国(ステイツ)は変わらず愛しているが、政府の太鼓持ちはこれ以上御免被りたいよ。それに、俺にそこまでの文才は無い」

 

 やや厭世的なキャクストンの様子に、レイはさもありなんといった風に頷いた。

 チャイナピット作戦は想定以上に凄惨な状況を生み出していた。そして、その要因を作ったのが、キャクストンらがチャイナピット作戦前に行ったある秘密工作作戦だった。

 

「大統領部外指令プラン117……結局、あれは何も」

「レイ。お前はまだ軍人なんだ。恩給を貰いたければそこから先は思っても口に出さない方が良い」

 

 彼らがかつて従事した政治活動妨害工作プラン117。それは、ベネズエラの親米政権を保つ為に行われたアメリカにとっての正義の作戦だった。

 しかし、そこでラブレス家の先代当主を巻き込んだせいで、ロアナプラにおける悲劇が幕を開ける事となる。加えて、その作戦が時が経つにつれて()()()()()()()()()と思い知らされれば、合衆国に忠誠を誓う高潔な軍人であっても“アメリカの正義”に不信を抱かざるを得ない。

 

 92年にベネズエラ陸軍空挺部隊中佐ウゴ・チャベスが組織した第五共和国運動(MVR)はボリーバル主義(マルクス主義に基づく左翼ナショナリズム)を標榜しており、富裕層や労働組合幹部に独占されていた医療や福祉などに不満をもつ貧困層の圧倒的支持を受けていた。

 当然、MVRは現政権の反動を受けて反帝国主義、反米路線も明確化している。東西冷戦が終結したとはいえ、台頭する中国や未だ東側諸国に影響力を持つロシアに接近されれば、米国の裏庭ともいえる中南米諸国における安全保障上の問題が生じてしまう。中南米各地に根を張る左派ゲリラとの連帯も危険視されていた。

 更に言えば、世界最大の石油埋蔵量を誇るベネズエラに米国石油メジャーは多額の出資をしており、石油の安定供給(意外ではあるが、1970年から2020年までの米国は石油“輸入”国だった。付け加えると、大型タンカーはパナマ運河を通行できない為、必然的にベネズエラの石油輸出先のほとんどは米国になる)とメジャーの利権を守る為にも、ベネズエラにおける左派政党の台頭を許すわけにはいかなかった。

 

 大統領部外指令プラン117はそのような背景で実行に移された。

 先に行われたクーデター未遂を受けて創始者であるチャベス中佐は獄中の身であったが、党首代行や党幹部、そしてラブレス家先代当主ディエゴを始めとしたMVRのパトロンが集う式典で、キャクストン達はMVRの主要人物を纏めて爆殺するという暗殺計画を成功させた。

 

 これでMVRは勢力を衰退させ、親米政権を維持できる。計画を主導したNSAはそう確信していた。

 しかし、ベネズエラ民衆はこの事件を受けて増々現政権に反発し、民衆の高い支持を背景にMVRの党勢は作戦実施前より拡大している。

 

 米国シンクタンクはチャベスが出獄する99年にはMVRが政権を奪取すると予測していた。

 

「……なあシェーン。俺は、未だにあの時の事……あれで良かったのだろうかと、未だに迷っているんだ」

 

 不信めいた感情はチャイナピット作戦の事も想起させたのだろうか。

 レイは複雑な表情を滲ませながら言葉を続ける。

 

「あの時、お前があのラブレスの坊やに空砲を撃たれた時……俺は“あまりにも迫真だったんで思わず撃っちまいそうだった”、そう言ったな。だがな、今だから言えるが……あの時俺は、本当に撃とうとしていたんだ」

 

 作戦の終盤、ガルシアが死の舞踏を終わらせる為にキャクストンへ放った一発の銃弾。

 それは空砲ではあったが、過剰に反応したロベルタへ、レイは愛銃であるスプリングフィールドM14の銃口を向けていた。

 もう数ミリで、彼は引き金を引くところまで来ていた。

 だが、満身創痍となったロベルタの姿、そしてガルシアが言った『ここにはもう勝者はいない。残るのは罪だけ』という言葉が、レイに引き金を引くことを躊躇わせていた。

 

「あの作戦で死んだサンチェスやC.J……8人も仲間が死んだ。あの女が生きている以上、その無念はどこに葬ってやればいい。俺達は、誰にそれを晴らしてやればいいんだ」

「……」

 

 レイの悲痛な言葉。キャクストンは何も応えられなかった。

 しばしの沈黙。

 沈鬱とした車内に比べ、車窓の外にはベネズエラの長閑な風景が広がっていた。

 

「……まあ正直にいうが、あの怪我が無くても女中の未来は暗いと思うと少しは溜飲が下がるがね」

 

 気分を変えるようにレイはそう言った。

 当てつけにも聞こえるが、これは事実でもある。

 コロンビアの麻薬カルテルはロベルタを賞金首として手配しているし、彼女の古巣であるコロンビア革命軍(FARC)は裏切り者を許すつもりはない。

 というのが、レイのそれまでの認識であったが。

 

「残念、と言っていいのか……俺には分からんが、少なくとも彼女がマフィアやゲリラに命を狙われる可能性は低くなったぞ」

「なんだって?」

 

 キャクストンは除隊したとはいえ、高レベルの機密作戦に従事していた将校である。

 NSA麾下組織であるアメリカ陸軍情報保全コマンドにも伝手は残っており、一般人が知り得ない情報も知る事ができた。無論、彼が除隊後も米国の利益に反する機密漏洩をしないという信頼があってこそなのだが。

 

「コロンビアの麻薬カルテルに関してはお前も知る通り斜陽の一途だ。エスコバルが死に、ロドリゲス兄弟も獄中の身だ。マニサレラの連中も女中一人にかまけてる暇はない」

 

 米国の麻薬撲滅戦争が結実しつつあるのは先に語った通り。メデシン・カルテルやカリ・カルテルら大組織が衰退している以上、マニサレラ・カルテルだけがその流れに抗えるわけが無い。

 

「だがマニサレラはFARCと連帯しているだろう。FARCが女中の命を狙っているなら──」

()()()()()()()()()()()()

 

 キャクストンは一枚の書類を取り出した。コロンビアの新聞記事と共に情報保全コマンド分析官のメモが記されたそれを見ながら続ける。

 

「先日、FARC幹部の一人が殺された。そいつはマニエル・マルランダ司令の腹心で、組織の()()()()()だったそうだ」

「……どういう事だ? 話が見えんが」

 

 FARCはキューバ革命の影響を受け1964年に組織された反政府武装組織であり、マルクス・レーニン主義に基づいた社会主義政権樹立を目的としていた。

 最高司令官マニエル・マルランダの指導の元、最盛期には1万8000人もの構成員を持ち、活動範囲はコロンビアに留まらずベネズエラ、エクアドル、パナマなど周辺諸国にまで及んでいる。そしてその活動資金は、パトロンであったソビエト連邦の衰退と反比例するかのように麻薬カルテルとの連帯で得た麻薬マネーが比重を占めるようになる。

 

 筋金入りの共産ゲリラだったロベルタは、その汚れた金に反発してFARCを抜ける事となるのだが、彼女はマルランダ司令の秘蔵っ子ともいえる精鋭ゲリラ。組織の裏事情も良く知る立場であった為、FARCが彼女の抹殺を謀るのは当然といえた。

 以後、彼女はマフィアとゲリラ双方のお尋ね者となるのだが、ラブレス家前当主ディエゴが彼女を匿ったのは既知の通りである。

 

「穏健派幹部はコロンビア政府との和平を成した後、FARCの合法政党化を支援させる為に周辺国の左派政党との連帯も図っていた。MVRの交渉もそいつが担当していたようだ」

「しかし先代ラブレス家当主は女中を守る事と引き換えにMVRに資金提供していたと聞いたぞ」

「そうだ。だが我々が先代当主とMVR幹部を軒並み吹っ飛ばしたせいで、その約定を熱心に守る連中もまたいなくなった」

 

 プラン117が実行された後もMVRはベネズエラ国内で高い支持を得ていたが、組織の変容に全く影響が無かったわけでは無い。

 無論、ディエゴ・ホセ・サン・フェルナンド・ラブレスとウゴ・チャベスの友情は本物であり、少なくともチャベスはディエゴの遺志を尊重しようとはするだろう。だが、それは政治という魔力の前では実に拙い約束だ。

 幹部が刷新されたMVRは民意を受けてより先鋭化していたし、獄中のチャベスが彼らの統制を十全に行えるかと言われると怪しいものだった。ラブレス家の支援もディエゴの死去以来、その金額は減少している。

 つまるところ、FARCが女中と引き換えにMVRとの連帯を申し出たら、それを断る理由が今のMVRに無いという話になる。たかが女中一人の命で思想的に近しい南米屈指の武装組織との同盟を結べるのならば安い話なのだ。

 

「だがそうはならないだろう。穏健派の代わりに台頭した強硬派はあくまで武力による政権奪取に拘っている。南米はテロが増々増えるだろうな」

「FARCとしても、()()()()()()()()()()()()()()()()ってワケか……」

 

 マルランダ司令がどれだけロザリタ・チスネロスの抹殺に拘っていようと、FARC内ではそのような大した見返りも無いことにリソースを割くくらいならコロンビア国内で要人略取でもした方がマシだという意見が大勢を占める状況になっていた。

 要約すると、FARC穏健派幹部が殺害された事で、ロベルタの安全は以前よりも保障されたという事。

 そして、そのような状況が生まれたのは、キャクストン達の一連の作戦行動が遠因となっていた。

 

「なんという因果だ。俺には何が正しくて何が間違っていたのか、もう分からんよ」

「……」

 

 そう言ったレイの心情も、キャクストンにとって理解できるものだった。それだけに、ある種の板挟みにあっているキャクストンの心情もまた複雑なもの。

 だが、それが彼が望んだ贖罪なのだ。

 甘んじて受け入れ続けるしかない。

 

「……ところで、FARCの幹部を殺ったのは我が軍なのか?」

 

 キャクストンの心情はレイも理解している。これ以上彼を責めるような話を続けたくなかったのか、ふとそのような疑問を発した。

 

「いや、Navy SEALs(シールズ)Delta Force(デルタ)もそのような作戦は行っていないそうだ。CIAもコロンビア当局も第三国機関の関与も見られていない」

「となると、個人の暗殺者(ヒットマン)の仕業か?」

「恐らくな。遠距離からの狙撃で、眉間に一発だけ入れられた見事な狙撃だったそうだ。その殺し屋はFARCの追撃をまんまと躱して国外に脱出している」

「ゲリラがうようよしている中で一発で仕留められる殺し屋なんて……いたな。そんなヤツが、一人」

 

 キャクストンとレイは同一の人物を思い浮かべていた。特殊部隊に長く身を置けば嫌でも聞こえてくる男の存在。

 といっても、彼らはその男と直接会った事はないし、ましてや戦場で相まみえた事もない。戦場で彼と敵対しようものなら、自分たちはとっくにアーリントン国立墓地に埋められているだろうとも思っていた。

 

「誰がどんな目的で……いや、これは知らなくて良い話だな」

 

 レイはそう言って話を終わらせた。

 この世には知らなくて良い事が無数にある事を、陰謀(アメリカの正義)の片棒を担いで来た身であれば嫌でも理解させられる。

 大国の意思が働いたのか。FARC組織内での争いだったのか。

 それとも、どこかの個人が依頼したのか。

 それは知りようもないし、知らなくて良い事なのだ。

 

「……なあレイ。いつの日か、この世界で……暴力の行使以外で、問題を解決する事が出来ると思うか?」

 

 ふと、キャクストンはレイにそう問いかけた。

 以前、あの泥沼の戦争を戦っている時に、似たような質問を投げた。

 それについては、レイは審判の日を迎えても、人類には難しいと答えた。

 

「難しいだろうな。人が皆、あの若様やお前のような高潔な精神を持っていれば別だが」

 

 レイは以前と同じく、ひどく現実的な答えを返した。

 キャクストンはそれを受け、目を瞑る。

 

 そうだろう。その通りだ。

 だから、人は贖罪という罪の清算を行わなければならない。

 まるで、キリストがゴルゴタの丘で十字架にかけられることで、人類の罪を“贖う”かのように。

 

 キャクストンは己の信念の為にこの贖罪を続けるのだろう。

 それが彼にとっての、たった一つ残された正義なのだから。

 

 

 

 

「ロベルタ」

 

 ガルシアは夫婦の寝室に入ると、ベッドに横たわる女性──ロベルタにそっと近付いた。

 眠ってはいなかったのだろうか。彼女はか細い声を返した。

 

「若様」

 

 以前の彼女を知る者が見たら、とても同一人物とは思えない程の変容。

 革命の理想に燃え、非情なるテロリズムに殉じていた彼女。

 伊達眼鏡と長い三つ編みを揺らし、瀟洒に女中を務めていた彼女。

 復讐と贖罪の業火に身を焦がし、狂を発した猟犬の如く獲物に喰らいついていた彼女。

 

 今現在の彼女の姿は、そのどれでもない。

 長い髪も、その肉体の力強さが失われたかのように半失している。身体的な欠損よりそちらの方が彼女の変容に強い印象を与えていた。

 

「もう若様じゃないよ」

 

 ガルシアは伴侶の髪を撫でると、啄むように口づけを交わした。

 瑞々しい唇が掠れた唇に触れると、ロベルタは頬を少し染めた。

 

「……そうですね、あなた」

 

 慈しんでいた対象から慈しまれるというのは、彼女でなくても慣れるのに時間がかかるものなのだろう。

 そのようなロベルタに、ガルシアは微笑みをひとつ浮かべた。

 

「ロベルタ、少し中庭を散歩しようよ。起きれるかい?」

「はい……大丈夫です」

 

 身を起こそうとするロベルタをガルシアが優しく支える。

 まだ彼の身長は彼女より低い。しかしこうして彼女を抱きかかえるくらいには成長している。

 もう数年もすれば、ロベルタを追い越す高身長な若者になるだろう。

 先代ラブレス家当主のような、高い身長に。

 

「痛くない?」

「大丈夫です……あなた」

 

 車椅子に乗せ、中庭へゆっくりと押していく。

 暖かい日差しが差すと、ロベルタは眩しそうに目を細めた。

 

「……」

 

 心地よい空気に包まれても、ロベルタの姿は告解をする罪人のように、どこか苦しげだった。

 毎日、あの家族の写真を見て、神に懺悔する。

 

 大正電工マグダレナ営業所。

 そこで働いていた日本人技術者。

 

 資本主義という麻薬に浸された者を殺戮することに何も躊躇いが無かった程、あの頃のロベルタは革命の理想に身を捧げていた。

 しかし、理想の拠り所が、資本主義でも最も醜悪な金に手を染めてしまった。

 主義や思想が忌まわしくなった彼女は、そこで自身の闘争に見切りをつけた。

 

 それから、野良犬のように追われた身をラブレス家に救われて、穏やかで平和な日々を過ごす内に。

 彼女の中で大きくなった良心、その呵責。

 闘争の中で負った小さな傷が、大きく膿んで爛れるようになった。

 

 それでも。

 ラブレス家の家族──ガルシアとの愛情を育んでいけば、それは自然に癒える傷だったのかもしれない。

 

 それを、突然台無しにされた。

 自身の手で台無しにしてしまった。

 

「……」

 

 残った右手で、ロベルタは首にかけられたロザリオを握った。

 もう日本人技師の幻覚に苛まれる事はない。

 だが、それでも自身が行った罪は決して許されるものではない。

 自害する事も許されない。祈る事で、その罪に向き合い続けるしかない。

 傷つきボロボロになったこの身体では、祈る事しかできない。

 

「ロベルタ」

 

 ガルシアはロベルタの右手に自身の手を重ねながら、そっとその身を抱きしめる。

 人差し指と中指が欠けた右手。もう、この手は銃把を握り、その引き金を引く事はできない。

 欠損した四肢。もう、この身体は掃除や洗濯もできない。

 もう、この身体は、女としての幸せを享受する事はできない。

 

 瞼を閉じるロベルタ。

 そうすると、ありもしなかった情景が浮かんだ。

 

 穏やかな荘園(アジェンダ)。日向で暮らすラブレス家の家族。

 元気に駆ける男の子を追いかけるファビオラ。悪戯でもしたのだろうか。その男の子は、若様にそっくりだ。

 テラスで女の子を抱える御当主様。くしゃくしゃの笑顔で女の子をあやしている。その女の子は……私に似ている。

 それを、成長した若様と共に見つめる私。

 

 穏やかで、平和で……慈しい日々。

 

「……」

 

 瞼を開ける。

 ガルシアの暖かい体温が、ロベルタに現実を伝える。

 もう、自身にそのような幸せは訪れない。

 

 でも、それでも。

 この人がいれば。この人と歩んでいく人生があれば。

 

 私は生きていける。

 眩しい光と暗い闇が混じり合ったこの世界でも、私は生きていける。

 

 全ては、あなたが教えてくれた温もりがあったから──

 

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