“なぜ彼は──ゴルゴ13は、君の銃を使うのだ?”
“それは私にとって最高の名誉であり、最大の秘密だよ。君と、君のAKへの敬意を表して、一言だけ話すなら……彼は、M-16の改良点を助言してくれたのさ”
1990年5月
とある銃器設計者達の会話より
サータナム・ストリートの片隅にある古式ゆかしい洋館。
表札に刻まれた文字は“ブーゲンビリア貿易”とあるが、ここが単なる貿易会社の社屋ではない事を、ロアナプラに棲まう人間なら誰もが知っている。
「管理職を多忙たらしめるのは、
ホテル・モスクワ、タイ支部の牙城。その主が棲まう執務室にて、ロシアン・マフィアを率いる女頭目がそう呟く。
美麗な金色の巻き毛と共に怜悧な美貌を備える彼女……だが、その顔面の半分は無残に焼け爛れており、その面貌から“
そして、それを当人の前で呼ぶ者は、よほどの豪胆者か、それとも救いようの無いほどの馬鹿か、はたまた彼女と同等以上の“力”を持つ者だけだった。
「申し訳ありません、バラライカ
残った左半面の美貌に少々の疲れを見せている女頭目へ、申し訳無さそうに頭を垂れる一人の郎党。
バラライカという彼女の渡世名を呼ぶ彼は、ホテル・モスクワタイ支部での会計業務を主に担当する者だった。
まだ若い、見れば十代中頃にも見える、少年と言っても差し支えない彼に、バラライカは穏やかな目を向ける。
「いいのよコーリャ。私の決裁が無ければ進まない案件もあったのだろうし」
「いえ、そんな」
コーリャと呼ばれた少年は、恐縮混じりに赤らんだ顔を俯かせていた。
彼の本名はニコライ・セルゲヴィッチと言う。
年齢は十八歳と立派な成人ではあるが、実年齢に反した美童の如き見た目故に、ホテル・モスクワ内ではもっぱらコーリャという愛称で可愛がられていた。
とはいえ、ただの愛玩動物を飼うほどホテル・モスクワはアットホームな事業者ではない。
卓越した計算能力を備えるコーリャは、ブーゲンビリア貿易での表向きの会計業務に留まらず、ホテル・モスクワの帳簿も管理しており、バラライカの信任が厚い金庫番である。
そして、コーリャが信用足る金庫番でいられる一番の理由は、彼の父親にあった。
「あなたの父親、オルガノフも優秀な会計士だったけれど、コーリャもよくやってくれている」
「あ、ありがとうございます」
初々しいコーリャの様子に、バラライカは微笑を浮かべた。
コーリャの父親、オルガノフ・セルゲヴィッチは、数年前にバラライカがロアナプラに根を下ろした当時、ホテル・モスクワ本部が与力として寄越した一人だった。
今では水面下で敵対する程度となったこの街の一大勢力──香港
オルガノフはその三合会との抗争に於いて、バラライカを十全に支えた人材だった。
数年前、ホテル・モスクワの
大頭目は多数の兵隊をバラライカへ与えてはいたが、彼女が本当に信頼できる手勢は、旧ソ連空挺軍時代からの同志“
モスクワ本部から与えられた兵力は士気に乏しく、またバラライカへの忠誠心も低かった。中には組織内で急速に台頭するバラライカを快く思わない他の頭目、それも旧KGB出身の頭目からの密命を受け、抗争のどさくさに紛れバラライカを暗殺しようと企む者もいたほどだった。
しかし、オルガノフだけはバラライカへ献身的に仕えていた。
「オルガノフには本当に世話になった……」
懐かしげな表情を見せるバラライカ。
三合会との抗争は、バラライカにとって軍事行動と同意義であり、そして必要な物も同じだった。
戦闘部隊が戦う為に必要な後方支援、即ち
その点に於いて、オルガノフは実に優秀だった。
バラライカと遊撃隊が必要とする武器、弾薬を十二分に揃え、そして軍資金の現地調達も銃火が飛び交うロアナプラで如才なく行っていた。今後のホテル・モスクワ内での立ち位置も考え、これ以上本部の手を借りたくなかったバラライカとしては、このオルガノフの働きは僥倖とも言えた。
抗争の最終局面に於いて行われた三合会の
それから、オルガノフはブーゲンビリア貿易及びホテル・モスクワはタイ支部の会計士としての日々を過ごす。しかし、彼の姿は今現在のロアナプラからは消えていた。
件の双子──チャウシェスクの落し子達がもたらした悲哀入り交じる災禍。双子の無垢な殺戮劇。その餌食となった者の中に、会計士であるオルガノフもいた。
末期の水を取るべく、瀕死となったオルガノフを市中病院で見舞ったバラライカ。息子の将来を切に託す彼の最期の願いを断る事が出来なかった。
「
コーリャがそう言うと、バラライカは優しげに微笑んだ。
早くに母を亡くしたコーリャは、父と共にロアナプラへやって来た。
戦場に子連れで現れたオルガノフにはどうかと思ったが、今考えれば最初から自身に何かがあった時の為の代替として連れていたのかもしれないとバラライカは思う。
事実、コーリャはオルガノフに会計を始め、ホテル・モスクワ内の後方業務の諸々を事前に仕込まれていた。
今更身寄りのないコーリャをロシアへ帰すわけにもいかないので、そのまま父の仕事を引き継がせていた。
強面が揃うホテル・モスクワ内で育っていたからか、ロアナプラという悪都でもさして物怖じせず過ごしていたコーリャ。悪党としてはまだ純真さは残るものの、ロアナプラで生き抜く為の胆力も培いつつあった。
「……今日の所はこれくらいにしておきましょう。また明日、同じ時間に伺います」
「ええ。分かったわ。明日も宜しくね、コーリャ」
書類仕事の終了を告げるコーリャ。頬を赤らめながら、失礼しますと彼はバラライカの執務室から退室した。
「コーリャ。大尉殿の手は空いたか」
「あ、ボリスさん」
丁度退室した時、コーリャは大柄なロシア人と出くわす。
ボリスと呼ばれた男。バラライカの忠実な側近であり、空挺軍時代からの副官。
疵痕残る面構えに加え、一切の感情を見せぬその寡黙な居住まいは、さながら剽悍なドーベルマンを想起させていた。
「ちょうど終わった所です。時間をかけてしまい申し訳ありません」
「いや、いいんだ」
とはいえ、味方、それも気心知れた同胞には温厚篤実な人物としても知られている。
頭を下げるコーリャへ、ボリスは微笑を浮かべ、その頭をぐりぐりと乱暴に撫でた。
「お前はもう少し筋肉をつけるべきだな」
「ボ、ボリスさん」
ひとしきりコーリャを撫でた後、ボリスはコーリャと入れ替わるように執務室へと入る。
苦笑を浮かべつつ、少年は優しい軍人の背を憧憬めいた眼差しで見送っていた。
「同志軍曹。待たせたな」
「はっ。いいえ、大尉殿。お気になさらず」
ドアを閉めた途端、執務室内はそれまでの暖かみのある空気から一変し、張り詰めたものへと変わった。
フレスコ画めいた重苦しい静謐さに包まれ、南国の日差から極北の冬の気配が立ち込めていた。
部屋の空気が変わるのと同調するように、バラライカの瞳には煉獄の景色が宿っていた。この世の終わりが来るのなら、ポルカを口ずさみながら見届けるとでも言うように。
ブーゲンビリア貿易のオフィスは、ソビエト空挺軍第318後方撹乱旅団第11支隊の前線指揮所へと変わっていた。
「軍曹。最近、コーリャに軍事教練を施していると聞いたが」
「はっ。正直、私がリャザンの空挺学校の教官なら、即刻原隊復帰を命じますな」
それまで慈しんでいたコーリャに対し、アフガン帰りの軍人達は非情ともいえる評価を下していた。
荒事でも役に立とうとボリスへ戦闘訓練を申し出ていたコーリャ。しかし、その結果はボリスの言葉通り、訓練を施しても使い物になるとは思えなかった。
最前線では、無能な味方ほど厄介な物はない。
バラライカは嘆息しながら続ける。
「“こぼしたミルクを嘆くな。残ったミルクを大切にしろ”とはロシアの諺だが、弾除けにもならないなら、これ以上コーリャへ訓練を施すのは時間の無駄だな」
「同感です、大尉殿」
結局のところ、可愛がっているコーリャ少年に対するバラライカ達の評価は、このような無情なるものであった。
子供に対しどこか甘さを捨てきれないバラライカ。
だが、所詮死に場所を求める亡者の軍隊と、無垢なる生者は相容れない存在。
それを明確に表わしていた。
「ところで、その諺はムジル教官が良く言っていましたな」
「うむ。彼は良い上官だった」
ふと、ソビエト軍時代、空挺学校の教官だった上官を思い出すバラライカとボリス。彼らの中で数少ない、ソビエト軍での“良き思い出”だった。
「ムジル中佐には山岳戦のイロハを叩き込まれたな……ここではあまり役には立たないのが、少し残念でもあるが」
そう言いながら、バラライカは保湿箱からハバナ産の葉巻を取り出す。すかさず、ボリスは懐からマッチを取り出した。
上官が好みの吸口をカットするのを待ってから、慣れた手付きで火を差し出す。
芳醇な香りが醍醐味の葉巻に対し、オイルライター等の匂いの出る喫煙具は厳禁。そして、バラライカの為に専用の杉マッチを持ち歩くのは、ホテル・モスクワ──遊撃隊の中でも、副官であるボリスだけの特権だった。
まろやかな薫りが紫煙と共に広がると、バラライカは信頼する最古参の副官へ“敵情偵察”の報告を促した。
「聞こう。状況は?」
「はっ。やはり“G”はロアナプラへ入り込んでいるようです」
ボリスは一枚のプリントアウト写真を差し出し、報告を始めた。
バラライカは紫煙を吹かしながら、ホテル・モスクワ本部からFAXで届けられたそれを眺める。
人混みの中で、短く刈揃えられた黒髪、カミソリのような鋭い視線を持つ男が写っていた。
「イエローフラッグで酒を飲んだ後、市内へ向かったようです。ですが、その後の足取りは不明です。警察の検問にもかからなかったようで」
「官憲はいつでも当てには出来んぞ軍曹。ましてや、ワトサップ如きがこの男を捉えられるものか」
コーリャへの評価とは打って変わり、バラライカは写真の男を高く評価し……そして、最大に警戒していた。
それもそうだろう。
熱砂の地獄を生き延びた彼女にとっても、この男は伝説の存在だった。
かつて魂の拠り所としたソビエトは無論、新生ロシアもまたこの男に何度も煮え湯を飲まされ続けていた。一体、何人の祖国の
バラライカは火傷顔を鬱屈げに歪め、この男のコードネームを口にした。
「ゴルゴ13……やはり本部の警告は正しかったということか」
バラライカは重たい煙と共にそう吐き出した。
ホテル・モスクワ大頭目自らがバラライカへ向けた警告。
ゴルゴ13がロアナプラで狙撃をする可能性がある。
そして、その標的が、バラライカ自身である可能性も。
伝えられたこの情報を、バラライカは疑う事はしなかった。
ソビエト連邦崩壊後、解体された公的機関を丸呑みすることにより、その勢力を拡大してきたホテル・モスクワ。特に国家保安委員会ことKGBの解体によって行き場を無くした諜報員達が、長年に渡って培ってきた情報源やコネクションを丸ごと組織へ持参していた事は、旧KGB派閥を忌み嫌うバラライカにとって不快な事実。
とはいえ、だからこそゴルゴ13の動向を正確に把握する事が出来たのだろう。
唯一訝しむのは、ロアナプラ市警を始め、この街の悪党共が、同じタイミングでザワついている事だった。
「張はともかくとして、イタ公共やカルテルの連中までが知っているのは解せんな」
「我々から漏れた、というより、彼らもまた本国から情報を得たのでしょう。有名人ですから」
「だが警察はどうなのだ? ワトサップは中央の機嫌を伺う事は如才ない男だが、この手の情報を我々と同時に掴めるほど有能ではない」
「では何者かが事前にゴルゴ13の情報を得て、それをリークしていると? 考えられるなら、三合会が怪しいですが」
朴訥ながらも上官へ気遣うようにそう返したボリス。
不穏極まりないこの状況であったが、ボリスの心配を余所に、バラライカはまったく悲観した様子を見せていなかった。
「張は確かに陰謀家だが、奴は洒落者でもある。他人を踊らせる時は、自らも舞台に立ってダンスを申し込んでくる男だ。舞台袖で忍び笑いを漏らすような輩ではない」
葉巻を噛みながら、不敵に口角を歪めたバラライカ。
我知らず生唾を飲むボリスへこう続ける。
「軍曹。誰が何を企んでいるにせよ、ゴルゴ13がこの街に現れたのは事実だ。加えて、もし奴の標的が私ならば……我々が取る行動はひとつだ」
「……邀撃作戦。街区支配戦域における
我が意を得たりとばかりに、バラライカは小さく嗤った。
「
「はっ」
背筋を伸ばし、敬愛する上官へ応えるボリス。
彼は、いや、遊撃隊全員が、世界最強の存在と相対する事に恐怖を抱いていなかった。
ただ敬愛する上官の為に……アフガンの熱砂とムジャヒディンの鮮血を纏い、無残に焼け爛れた面相を麗しく猛らせるこの
いや、命を惜しまないというより。
彼らにとってバラライカという存在は、亡者の如き存在となった自分達に、真の死に場所を与えてくれる、ただ一つの道標だった。
そして、それはバラライカにとっても──。
それだけが、最強を前にしても尚、彼らが銃を取り続ける理由だった。
「さて、そろそろ時間だな」
灰皿に葉巻を押し付けると、バラライカは立ち上がった。
ボリスはクロークから将校コートを取り出し、従者のように彼女の肩へかけた。
それから、先んじて執務室のドアを開ける。
既に幾人かの郎党がバラライカ達を待っており、そのまま外に停めてある黒塗りのベンツへとエスコートしていた。
数台の車列を成し、ホテル・モスクワは街の中心部へと向かう。
緊急で招集された会合場所──
「軍曹。そういえば、我々が戦わねばならぬ理由がもうひとつあったな」
後部座席の隣りに座るボリスへ、バラライカはふと思い出したようにそう言った。
見当がつかなかったのだろうか。咄嗟に応えれず、沈黙を続けるボリスへ、バラライカは獰猛な笑みを浮かべた。
「偉大なる同志ミハイル・カラシニコフがユージン・ストーナーと繰り広げた戦いの歴史……それに我々が参戦する時が来たのだ。そう思うと、
20世紀、東西陣営をそれぞれ代表する天才銃器設計者達の名を告げたバラライカ。
彼らが生み出した突撃銃は、未だ世界各地で互いの
そして、カラシニコフが設計した銃は、バラライカ達にとって肉親より信頼に足る存在だった。
バラライカの戦気が移ったかのように、ボリスもまた不敵な嗤いを浮かべた。
「同感であります、大尉殿。カラシニコフは常にアーマライトを宿敵と定めておりましたな」
旧敵である米国の軍隊。その彼らと戦う事を渇望してきた旧ソ連の精鋭達。
しかし、これから対峙するゴルゴ13は、米軍の象徴ともいえるM-16を、彼ら以上に使いこなしていた。
そのゴルゴ13を、AKで倒すことができたら。
カラシニコフの名に於いて、5.45ミリ弾の牙を研いできた亡者共。
聖戦を戦う事が出来なかった彼らの怨念にも似た悲願は、ゴルゴ13という存在で果たされようとしていた。