ゴルゴ13-鉄火激るロアナプラ-   作:ランバ・ラル体位

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PART6『暴力の商談』

「随分と難儀な話になったねぇ」

 

 金詠夜総会の会合から一夜明けたこの日。

 リップオフ教会の応接室では、一人の老尼僧がお気に入りのW&M(ウィリアムソン)の紅茶を嗜みながらそう言った。

 柔和な表情を崩さずにティーカップに口をつけるその様は、尼僧というよりは長閑な田舎で静かに余生を過ごす年老いた淑女、といった風体を見せていたが、海賊じみた剣呑なアイパッチがその全てを台無しにしていた。

 

 老尼僧はシスター・ヨランダと呼ばれており、リップオフ教会の主にして、ロアナプラで唯一“許可”された武器商人、そしてやり手の口入れ屋として名を知られていた。

 

「会合の音声記録を入手した手腕はいつもながらお見事です。ですが、これは仰る通り由々しき事態です」

 

 席を挟んで座り、やや憂鬱げにそう言葉を返したシスター・エダ。

 この時はトレードマークのフォックス型のサングラスを外し、頭巾の下に備える長い金髪をヨランダの前に晒していた。彼女がこのような形でヨランダと接する時は、暴力教会の用心棒ではなく、CIAのケース・オフィサーとして接する時だった。

 

 とはいえ、その表情は常の不敵ともいえる精彩さは欠いていた。目の下にはファンデーションでは隠しきれない程の濃い隈が浮かんでおり、上司から達せられた件の監視任務が相当の負担、そしてストレスとなっていることを伺わせた。

 

「正直、三合会までヤル気になるとは思わなかったよ。張維新は(けん)に回るもんだとばかり思っていたが」

「私も同じ思いです……」

 

 会合の内容を受け、眉根を寄せるヨランダとエダ。老尼僧の情報網()はこの街の深部にまで伸びており、百戦錬磨のベテラン女スパイだった経歴に恥じぬもの。一夜にして黄金夜会の密談、その詳細を掴む手腕は流石であった。

 しかし、中身が中身だ。

 実情がどうであれ、黄金夜会に連なる四大勢力は初めて直接的な連合を決断し……そして、ゴルゴ13を迎え撃つ決心をした。

 エダはゴルゴ13の標的がバラライカだと仮定した上で、その後に発生する混沌(カオス)を張が十全に抑え、ロアナプラを以前と同じように黄金夜会の統治下に置き続ける事を期待していた。

 

 が、それもこの会合の内容を聞いてしまえば望み薄だろう。

 予想よりもひどい始末になりそうだ。ロアナプラの支配者達が全て死滅する最終戦争(ハルマゲドン)。その後に起こる街の混乱を、業突く張りのワトサップが抑えられるはずがない。

 必然、タイ王国治安軍が全てを収束させるべくロアナプラへ出張ってくるだろう。そうなったら、この街を包む濃密なカーテンは全て取り払われ……()()()()()()()()()に成り果てる。

 それはエダらCIAはもちろん、ヨランダも望まない結末だった。

 

「それにしても、ゴルゴ13、ねぇ……あんたからあの男の名前を聞いた時は、とうとう主の啓示が下りたかと思ったよ」

 

 そう言ってわざとらしく十字を切るヨランダ。

 エダはレヴンクロフトからゴルゴ13監視任務を命じられた後、散々悩み悩んだ末、こうしてヨランダへ助言を求める次第であった。

 

「それ、どういう意味です?」

 

 ヨランダへ胡乱な目を向けるエダ。

 若干“私”ではなく“あたし”で話かけてしまうが、元々ヨランダはロアナプラに於いてエダが公私を使い分ける事なく接することが出来る唯一の人間である。CIAのミッションを通す場合は厳格に“私”を使うが、このように手に余る案件が降りかかった場合だと、つい“あたし”が顔を出してしまう。

 

「なに、商売(あきない)の潮時ってのはなかなか自分じゃ気づけ無いものさ。最後の審判がいつ下るのか、誰にもわからないようにね」

「はあ」

 

 何を言っているのか、といった表情で生返事を返すエダ。

 この老尼僧が如何に筋金入りの商売人なのかは、ロアナプラに赴任してからの数年来の付き合いで身に沁みている。なにせヨランダは、その気になれば釈迦とアッラーとキリストへ一個中隊相当の装備をそれぞれ売りつけた後、アザトース討滅ツアーへまとめて放り込むほど節操が無い。

 ゴルゴ13がロアナプラに来たからとて、ヨランダが今の商売自体を止める理由にはならないのだ。

 もっとも、河岸を変える必要は出てくるのかもしれないが、それでもこの老尼僧は死ぬまで悪徳の商売を続けるのは確かだろう。

 

「まあそれはいいさ。それより、マフィア連中が事前にゴルゴ13の情報を掴んでいたのは、本当にCIAは関係ないのかい?」

「はい。恐らくですが、あたしが支局から伝えられた時と殆ど変わらないタイミングだったと思いますよ」

 

 そう言って、エダは自身のマルボロを取り出し火をつける。

 どうやら堅苦しい言い回しを続ける気分ではなくなったのだろう。ヨランダは苦笑交じりの微笑を浮かべるも、エダは鬱々げに紫煙を吐き出しながら続ける。

 

「連中ならこっちがそれとなく情報を流すまでもなく、ゴルゴ13の情報を得るだろうと思ってましたけどね」

 

 ゴルゴ13の動向は各国の情報機関が目を光らせており、友好国同士では情報交換をしてまでその動きを見張っている。しかし、それでもリアルタイムで完全に把握することは困難を極めていた。

 

「解せないねぇ。天下のCIA様ですらゴルゴ13の動向をつかむのはそれなりに苦労するだろうに」

 

 ヨランダがそう言うと、エダは疲れ眼を鋭く細める。

 

「……誰かが意図的に情報を流した、という事ですか」

「そうとしか思えないね。コーサ・ノストラやマニサレラ・カルテルまで同じタイミングで掴んでいたのは流石に不自然だ」

 

 国際的な犯罪組織(シンジケート)が集うロアナプラ。しかし、いくら彼らが世界各地にネットワークを築いているとはいえ、その情報収集能力には偏差がある。KGB残党を抱えるホテル・モスクワや、各国の深部に根付く香港華僑のネットワークを持つ三合会はともかくとして、シチリアや南米のマフィアが同程度の能力を備えているかは疑問だった。無論、武力だけで見ればその限りではないが。

 

「そうだとしても、一体何のために?」

「さてね。あえて情報を流してこの街の反応を探ろうとしているのか。あるいは、もっと単純な目的かもしれない」

 

 疑問を浮かべるエダへ、ヨランダは愛飲する高級煙草(トレジャラー)へ真鍮製のシガレットホルダーを取り付けながら続ける。

 

「ゴルゴ13に狙われる恐怖を味わいながら死ねって言いたいのかもしれないねぇ。ゴルゴ13なら、サタンの軍勢が手ぐすね引いて待ち構えていても仕損じる事はないだろう……という信頼もあるだろうからね」

「そりゃまた、なんとも剣呑な」

 

 エダはそう言って肩を一つ竦める。

 まあ、あのバラライカはあちこちで相当の恨みを買っているだろうし、そういったサドのリクエストが来てもおかしくはない。ただ、それでも他の組織にまで情報を流すというのは、些か不可解でもあるが。

 とにかく、思っていた以上に厄介な状況だ。

 エダがそう思考していると、紫煙を吹かし始めたヨランダが問いかけた。

 

「エダ。依頼主については何かわかったのかい?」

「まだ何も。というか、そこもかなり気になりますね。たかが日本のヤクザの分際で随分と()()が堅い。ゴルゴ13が本当にバラライカの頭をハジきに来たのか、まだ裏は取れてませんわ」

 

 CIA東京支局が現在進行系で行っている依頼主の調査は、エダが言う通り芳しくない状況だった。

 大抵の場合、CIAが少し調べれば“Gの標的”は即座に判明するものなのだが、依頼主と目される一ツ橋インターナショナル商会からはまったくといって良いほど情報が得られなかった。

 

「どうもヤクザ以外が情報隠蔽に手を貸しているみたいなんですけどね。ま、いずれ判明するとは思いますが」

「判った頃にはもう仕事が終わっていると思うけれどねぇ……」

 

 諦観にも似たヨランダの言葉に、エダは口角を少し引き攣らせる。

 ともあれ、エダとしてはロアナプラの勢力図(バランスマップ)が大きく変わるのを良しとしない張の意見には全面的に賛成だった。

 とはいえ、それを果たすには、一縷の望みに賭けるしかないのだろうか。

 

「仮にバラライカが標的だとして、連中相手に狙撃は成功しますかね?」

 

 ヨランダへそう尋ねるエダ。

 奇跡的な狙撃を続けるゴルゴ13が、()()()に狙撃を失敗する可能性はあるのか。少なくとも、以前に受けたブリーフィングではゴルゴ13の依頼成功率は100%に限りなく近くはあれど、必ずしも100%ではないと教えられていた。

 実際はどうなのだろう?

 

「狙撃に失敗する可能性はあるといえばある」

「やっぱり、遊撃隊相手じゃあの世界最強のテロリストでも厳しいと?」

「それもあるが、アクシデンタルの可能性も考慮しなきゃならないよ」

 

 エダの疑問を受け、ヨランダは続ける。

 

「私が知っている限りでは、不発弾(ミスファイア)を一回起こしているね」

「銃の不発ですか……ゴルゴ13ほどのプロフェッショナルがねぇ……」

 

 とはいえ、それは弾薬を調達した武器商人による妨害工作であり、ゴルゴ13は原因究明(報復)をした後、きっちりと再狙撃に成功はしていたが。

 

「後はそうだね……超能力(テレパス)なんかでも狙撃を阻まれた事がある」

「超能力ぅ? 不発弾ならまだ分かりますけど、超能力は流石に眉唾じゃ……」

 

 ヨランダが発した突飛な言葉に、エダは思わず素っ頓狂な声を上げる。

 老尼僧は苦笑交じりで続けた。

 

「ちいと勉強不足じゃないのかいエダ。KGBの超能力者(エスパー)にゴルゴ13の狙撃が阻まれた件は、あんたのところが依頼した件だよ」

 

 それから、ヨランダは簡潔に説明する。

 82年、米ソの対立が最終局面を迎えようとしていた最中。当時のソ連書記長レオニード・ブレジネフの親類であるソ連大使館付武官ボリス・ゴドノフ大尉は、米国大統領ロナルド・レーガンの内意を公的な連絡手段を介さずにブレジネフへ伝えられる唯一の手段だった。

 おかげでアフガニスタンを始めとする各地の紛争地域での米ソの直接的な対決は避けられてはいたのだが、ブレジネフ派の要人が次々と失脚、または死亡した事で、ブレジネフ政権の政治基盤弱体(レームダック)化が始まってしまう。

 当時のKGB議長であり、反ブレジネフ勢力の筆頭だったユーリ・アントロポフは、この絶好の機会を逃さず、ブレジネフ一族の汚職やスキャンダルを公表し、ソビエト連邦内における権力闘争を公然と開始した。

 その煽りを受け、ゴドノフ大尉も本国へ召喚されることとなり、CIAは米国とソ連が交わした様々な密約が、ゴドノフ大尉を介して一気に表面化してしまう恐れを抱く。

 

 CIAが取った行動は、ゴドノフ大尉の口封じだった。

 しかし、この件でゴルゴ13がCIAから依頼を受けた時は、既にCIAによるゴドノフ大尉暗殺が二回も失敗した段階だった。

 

 CIAが暗殺を失敗した理由。

 それは、ソ連にて秘密裏に行われていた超能力者(エスパー)計画により養成された、一人の女エスパーによるものだった。

 殺意を持つ者が放つ強い思念。それを事前に感知せしめる精神感応(テレパス)能力に秀でたエスパーは、CIAの暗殺のみならず、ゴルゴ13の狙撃を二度も阻む事に成功する。

 結局はゴルゴ13が強靭な自己催眠(セルフマインド)を会得したことで、女エスパー共々ゴドノフ大尉は始末されることとなるのだが、それでもゴルゴ13の狙撃(伝説)が他者の“能力”により阻まれた数少ない事例となっていた。

 

「あたしは一介のケース・オフィサーですよシスター。流石にそこまで()()話は教えられていませんよ」

 

 当時はジュニアハイスクールで無邪気にチアリーディングに勤しみ青春を過ごしていたエダ。その裏でCIAとKGBが世界各地で鎬を削っていた事は、あくまで知識でしか知らず、ましてや全ての機密を知る立場でもない為、ヨランダが語ったような情報は知る由もない。恐らく、エダの上司であるレヴンクロフトもこの全容は知らなかっただろう。

 

 ていうか、なんでも知ってやがるね。この妖怪婆は。

 

 機密情報をさも井戸端会議のように語るヨランダに、エダは改めて目の前で悠然と紅茶と煙草を嗜む元ナチの凄腕女スパイへ畏怖の念を抱いていた。

 

「トンチキ超能力者でも一発二発は防げても依頼自体は防げない、か……シスター、仮にですけど、ゴルゴ13を買収して依頼を取り下げることは可能ですかね?」

「寝言言うんじゃないよエダ。金で仕事を依頼する者の意図に応じる事はあっても、ゴルゴ13が己の意図で仕事をするものかい……それに、金はあの男にとってそれほど価値があるものじゃあないよ。あんたも知っているだろう。2年前に国連へどでかい寄付があったじゃないか」

 

 ヨランダの言葉を受け、エダは数年前に国際連合への巨額の寄付金──匿名の個人が環境保護を名目とした200億ドルもの巨額寄付金を寄せた件を思い出していた。

 小切手の束と共に同封されていた“全てを捨てし者”というメモから、それが個人の全財産だという事が推察されており、それを含めて世界中の報道機関がセンセーショナルなニュースとして報道していた。エダもまた、その報道を随分と奇特な大金持ちがいたもんだと記憶していた。

 

「ビル・ゲイツよりも大金持ちがいるなんて思わなかったですけど……まさか、それって」

「察しの通り、ゴルゴ13の金だよ」

「マジすか」

 

 高額な依頼料にて狙撃を行うゴルゴ13。しかし、まさかそこまで金を溜め込んでいたとは。

 驚愕を隠せないエダに、ヨランダは続ける。

 

「ちょっと前まで南沙諸島で各国がバチバチとやり合っていたのは覚えているだろう?」

「ええ。中国、フィリピン、ベトナムやマレーシア、台湾やブルネイまでが、躍起になって兵器を買い漁っていましたね。台湾なんかは世界中の航空機メーカーを引っ掻き回して、仕舞いにゃファイティング・ファルコン(F-16)を買い付けていた」

 

 膨大な資源が眠る南沙諸島を巡る各国の軍事的緊張は、93年の暮れにはピークに達していた。

 そして、それはその背景にある巨額開発資金の優先権を巡る争いでもあった。

 

「ケチな策略(プロット)さ。ゴルゴ13のせいで商売上がったりになった連中のね」

 

 ヨランダは語る。

 南沙諸島の領有権を争う各国首脳へ、とあるユダヤ系商社から“G資金”なる巨額の開発資金の存在を匂わされたのが事の始まりだった。

 世界中の企業、国家などの組織とは紐付いておらず、またヒトラーの遺産やらジェネラル・山下の埋蔵金などの眉唾めいたものではない、スイス銀行に確かに存在する資金。それは、各国が垂涎の的とする、既存の石油メジャー(セブン・シスターズ)──アメリカの国力として還元されない金だった。

 97年までに南沙諸島の領有権を確立した国へそれが供与される、という条件は、中国が香港マネーを抱えるまでのタイムリミットとなっており、それ故に各国は熾烈な軍拡に打って出た。

 

 全てはゴルゴ13により“需要”を奪われたユダヤ系武器商人達が企んだ、東南アジアに一大兵器需要を生み出す為の策略。同時に、ゴルゴ13の“仕事”を奪い、世界規模で永続的に兵器需要を生み出す謀略でもあった。

 ゴルゴ13の金を表に持ち出す事で、世界中の報道関係者はG資金の出どころを探るだろう。今までもゴルゴ13は己を探る者は全て消すか、相応の警告を与えており、大衆からゴルゴ13という存在を隠蔽し続けていた。だが、何百ものペンとカメラを同時に消す事は、流石のゴルゴ13でも不可能だった。

 結果、ゴルゴ13という存在が白日の下に晒されてしまい、各国の要人はスキャンダルを恐れ、彼へ依頼を出す事が永遠に出来なくなってしまう。

 そうなったら、ゴルゴ13はせいぜいヤクザかマフィアのヒットマンでしかその神業を発揮せしめる機会を得られず、各国は自国の問題解決を自前の武力に頼らざるを得ない状況となる。

 

 故に、兵器産業は未来永劫安泰というわけだ。

 だが、この策略は、あと一歩の所で頓挫した。

 上述の通り、ゴルゴ13が全てを捨てたからだ。

 G資金の消滅を受け、各国首脳は南沙諸島における対立を急速に収束させた。これにより、今しばらくは南シナ海の平穏は保たれるだろう。

 少なくとも、中国が強力な経済力を身につけるまでは。

 

「なるほど、そんな背景が……あん時にやたら東アジア支局が慌ただしかったのも頷けますよ。まあ、個人的にはぶっちゃけそれどころじゃなかったってのもありますが」

「あんたはまだここに来て日が浅かったからねぇ。赴任早々にホテル・モスクワと三合会の大戦争にカチ遭ったんだ、そりゃ仕方ないと思うよ。まあ、私としては大商いさせてもらった上に、商売敵がロクでもない目にあったのは痛快だったけどね」

 

 ああ、そりゃあの時はあんたは随分と稼いだし、ユダ公はあんた()にとって不倶戴天の敵だからさぞ愉快だったでしょうよ。

 思わずそう言いかけたエダだったが、既の所で口をつぐんだ。余計な事を言ってこの元ナチの妖怪の不興を買うわけにはいかない。

 

「……とにかく、ゴルゴ13が金で依頼を止めることが無いのはわかりましたよ。となると、依頼人をどうにかすれば」

「それも現状じゃ難しいだろうねぇ……依頼人が中止指令(ストッペイジオーダー)を出さない限り、例え依頼人が死んでも仕事を続けるよ。ゴルゴ13は」

 

 なるほど。となれば、やはり日本での調査が鍵か。

 いざとなればCIAの力を用い、依頼人に依頼の取り下げを強要すれば万事快調……いや、それを警戒しているからこそ、調査が難航しているのだろうか。

 エダはそう思考しながら、やや荒れた金髪を梳く。

 たらればを考え続けているのは実に不毛だし、これ以上考えても脳ミソが酸っぱくなるだけだ。

 それに、不眠が続いていたからか、やたらと眠たくもなってきた。

 

「シスター……この後、どう読みます?」

 

 沈んだ目を浮かべながら、エダは目の前の凄腕へ意見を求めた。

 エダの求めに、ヨランダは灰皿に煙草を押し付けながら応える。

 

「決まっているよ。ゴルゴ13はロアナプラで必ず依頼を達成する。誰が標的であってもね」

 

 なんだ、やっぱそんな事になるのか。

 エダは深く、重たいため息を吐きながら、疲れた身体をつい横に倒してしまう。

 重たい思考の中でも、応接室のソファはひどく寝心地が良かった。

 

 ああ、ここからの撤収を考えるだけで凄まじく面倒だ。痕跡を完璧に消去(クリーニング)する必要もあるし、ヨランダの婆さんへ相応の手切れ金を払う必要もあるし……まああたしの財布から出るわけじゃないけど。あー、最後くらいはあの山猿に別れのひとつくらいは言うべきかね。いや、やっぱ何も言わなくてもいいか。別に未練なんてないし……ロックがこの街でどんな悪党に育つのか、そこだけはちょっとだけ見てみたかったけど。

 

 沈んでいく意識の中、エダは眉根を寄せながら眠りについていった。

 

 

 

 

「やれやれ……そのままだと風邪を引いちまうよ」

 

 電池が切れてしまったエダへそう言いながら、ヨランダはまるで孫娘を見つめる老婆のような表情を浮かべた。

 今まで数多くの諜報員と組み、そして殺し合いを続けて来たヨランダであったが、エダに関しては中々に見どころがあると思っていた。

 少なくとも、自分をハメようとつまらない企みを起こすようなタマじゃない。CIAはいけ好かない組織だったが、エダが仲介し続ける限りは魅力のある取引先だった。

 

 とはいえ、それだけといえばそれだけだ。

 好感は持つことができても、愛情はこれっぽっちも持ち合わせてはいない。

 他者に真摯な愛情を向けた記憶は残っていなかったし、愛情を向ける資格も失っていたからだ。

 少なくとも、鉤十字の走狗となった瞬間からは、彼女はそのような人生を強いられ続けていた。

 

「……ま、毛布(ブランケット)くらいはかけてあげてもバチは当たらないね」

 

 うぐうぐと呻きながら眠るエダを見つつ、よっこらと立ち上がったヨランダ。

 応接室に隣接する客間へ向かった。

 

「……」

 

 そして。

 

 ヨランダは客間へ入った瞬間、何者かの気配を感じた。

 懐にある愛銃(デザート・イーグル)へそっと手を伸ばす。

 

 まったく、ここをどこだと思っているんだろうね、この不届き者は。

 にしても、リコの坊やは一体何をやっていたんだい。こそ泥の侵入をみすみす許すとは、こりゃ後で説教だ──

 

「リップオフ教会のシスター・ヨランダだな?」

「ッッッ!!」

 

 扉を閉めた瞬間、背後から聞こえる男の声。

 振り向くと、壁面に背中を預ける男が見えた。その時点で、ヨランダの常の沈着さは消え失せていた。

 

「ゴ、ゴルゴ13……!」

 

 震えた声を上げるヨランダ。

 見紛うはずもない。

 目の前に現れた、世界最強のスナイパーの顔を。

 

 一体、何をしに──まさか、私を──?

 

「……お前さん程の男が、随分と不作法な現れ方をするね」

 

 いや、もしそうだとしたら、自分はとっくに主の元へ召されていたことだろう。

 それこそ、死を認識する間もなく、眉間に穴を空けて。

 そう思考すると、ヨランダは幾許か冷静さを取り戻していた。

 そして、ゴルゴ13がこのような形で自分を訪ねて来た理由。それも、いくらかは想像がついた。

 

 ゴルゴ13は、依頼人や協力者を事前に“観察”し、信用に足るかどうか見極める──。

 

「まあいいさね。それで、私に何か用があるんだろう? ゴル……いや、デューク・トウゴウ」

 

 椅子に腰をかけ、ヨランダは隻眼をゴルゴ13へ向けた。

 ヨランダの視線を受けたゴルゴ13。そのまま、懐へ手を入れる。

 一瞬、ヨランダは硬直するも、懐から出てきたのは細巻だった。

 火を付け、紫煙を燻らせながら、ゴルゴ13は老尼僧へ鋭い視線を返す。

 

「この街であんたに揃えられない武器は無い……と聞いたが……?」

「それは宣伝というのもあるんだけどねぇ。まあ、大方は合っているさ」

 

 ゴルゴ13に倣い、ヨランダも煙草に火を付ける。

 とにかくニコチンを摂取せねば、文字通り話なんてできやしない。

 ヨランダの思考と共に、部屋には紫煙が籠もる。

 それから、老尼僧は意を決して尋ねた。

 

「つまり、何か入用だという事かい?」

「そうだ」

 

 ゴルゴ13は短く応えた。

 それを受け、ヨランダは呻き声をひとつ上げた。

 今、この状況で。

 ゴルゴ13との商談を進めるという事は、果たしてどれだけのリスクがあるのだろうか。

 

 懊悩するヨランダ。

 沈黙が続く。

 

「……お前さんがこの街でどんな仕事をするのかは詮索しないよ。でも、だいたいは想像がつく。だから、お前さんには何も売れない」

 

 しばらくして、ヨランダは絞り出すようにそう言った。

 ゴルゴ13への詮索は死を意味する。それが、彼と接する際のルールのひとつだ。

 その上で、考えられる何もかもを天秤にかけたヨランダ。

 商談拒否の意思を表したヨランダへ、ゴルゴ13は何を以て応えるのか。

 

「……あんたの商売と、俺の仕事は()()しない」

「なに?」

 

 思わず聞き返す。しかし、ゴルゴ13はそれ以上言葉を続けることはない。

 戸惑うヨランダに対し、静かに紫煙を燻らせるのみだった。

 一体、それはどういう意味なのだろうか。

 考えるも、ヨランダは答えを見出す事が出来なかった。

 

「……何が必要なんだい?」

 

 そして。

 老尼僧は、先程の意見を翻した。

 相変わらず無表情でそれを受けたゴルゴ13。

 全く感情を表さない、機械のような視線を浮かべ続けていた。

 

「5.56x45mmNATO弾の実包を100発……それから──」

 


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