聖女育成物語~滅亡寸前の病んでる世界が救われるたった一つの方法~ 作:ヤンデレスキー
エルヴィン達が最初にいたベンチに戻ると、そこには既にニオの姿があった。
そしてその横には一人の痩せ細った老人が立っている。
ぼさぼさの黒髪に無精ひげ、ボロ布のような服に身を包んだ浮浪者のような見た目をした男。
しかし鋭い眼光だけはギラギラと輝いており、まるで飢えた獣のようだった。
「おう小僧、遅かったじゃねえか」
黒いボロ布で身を包んだ男は、その見た目からは想像できないほどに力強い声でエルヴィンに話し掛ける。
「すまんな爺さん」
「まあかまわねえよ、こいつと久しぶりに話したいことあったしな」
そう言って老人は横に立つニオの方を見る。
頭をバンバンと叩かれているニオは不服そうにしているが、特に抵抗せずにされるがままとなっていた。
「ミスティ、この爺さんがこの亜人街のまとめ役で名前が――」
「カラスだ、よろしくな」
「よ、よろしくお願いします!」
ミスティは緊張した面持ちで挨拶をする。
それを見たカラスはカラカラと笑い、ミスティの周囲を歩き始める。
そしてジロジロと見回すと満足したのか元の位置に戻ってくる。
「で、これが噂の聖女様か」
それはどこか楽しげな雰囲気を感じさせる口調であった。
「まあいいんじゃねえか?黙って横に置いとけば形にはなんだろ」
だが口調とは裏腹にその目は、無機質なものを観察するような冷たいものだった。
その視線から逃れるようにミスティはエルヴィンの背中へと隠れる。
「随分懐いてんじゃねえか」
「爺さんの見た目が怖いだけだろ」
「はっはっは!それもそうか!」
ひとしきり笑うとカラスは満足したのか、今度はエルヴィンの方へ歩み寄る。
「どうせ顔見せだけじゃないんだろ?立ち話もなんだし入れや」
カラスが顎でしゃくると、そこに扉が生えてくる。
その光景にミスティは目を見開くが、エルヴィンとニオの二人特に驚いた様子もなく扉の中へ入っていく。
中に入るとそこは広々としており、奥にはテーブルが置いてあった。
カラスは奥の椅子に腰をかけると、向かいに座るよう促してくる。
「で、表で何があった」
「色々あるんだが、まずはこれ知ってるか?」
胸元から亜人化薬を取り出す。
そして解析結果をまとめた紙を渡すと、カラスそれをじっくりと見つめ始める。
その表情は真剣そのものといったもので、先程までの軽薄そうな印象とはまるで違っていた。
しばらくして全てを読み終えたのか、エルヴィンへと視線を向ける。
「残念ながら知らねえな。だが、こんなもん作り出すとしたら外の連中だろ」
「外、ですか?」
「あー、聖女さんはそりゃ知らねえか。街の外に住んでる奴らがいるんだよ」
「え、な、なんでですか!?」
街の外は霧で溢れており、人間は全て亜人となり最終的には化け物になる。
この世界で誰もが知っている常識を無視した行為に、ミスティは驚きの声を上げる。
カラスの言葉に混乱するミスティを見て、エルヴィンはゆっくりと説明を始める。
「亜人は新人類であり、人類が進化した姿だ。それが外に暮らす奴らの言い分だな」
「え、でも最終的には暴走して……」
「まあそうだな、だがそれは神の試練だと言ってる」
街を出て、外で暮らせば全てが解決すると本気で信じて疑わない狂人たち。
その行動原理はシンプルかつ強固で、どんな説得も意味を成さない。
「薬の副作用からして、まだ実験段階ってとこだろうな。進行を抑える薬だとかなんだと言って街で配れば、もうどうしようもねえ奴は飲むしかないだろ」
そう言いながらカラスは手元にあるグラスを傾ける。
中に注がれているのは酒だろうか、カラスはそれを一気に飲み干す。
「そういうわけで、ちょっと外の様子がどうなってるか知りたい」
「外か」
エルヴィンの言葉を聞き、カラスは考え込むように目を瞑る。
「霧が濃くなってる場所は確かに増えてるが、まあそれはいつも通りだな」
「化け物の数は?」
「化け物に関しても同じだ、近場の奴はいつも通り間引いてるが怪しいとこは特にねえ」
「そうか」
エルヴィンは腕を組み、思考を巡らせる。
現状ではそこまで危険視するほどではないよう思える、だが今後何か起こる可能性は十分考えられた。
そうなった時に自分達が動けるかどうかは重要な問題だった。
「捕まえるなら中からか」
「そうだな、外の奴らを下手に刺激して全員この薬を飲んだりでもしたら、暴走する化け物の群れの完成だ」
カラスのその言葉に最悪の未来を想像したのか、エルヴィンは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「で、俺らはどうする?」
「爺さんたちは外の奴らがこの都市に入ってくる場所を探して、そこを見張ってて欲しい」
「見張っとくのは別にかまわねえがよ、そこで捕まえなくていいのか?」
カラスの言うことはもっともだったが、エルヴィンは首を横に振る。
ここで捕らえたとしても、他の場所に仲間がいる以上同じことの繰り返しにしかならないからだ。
それに下手に動くと、ここの存在がメシアにバレる危険性もある。
「中に入ってきたら、そこからは警備隊がやる。爺さんたちはそいつがどこから来たかを探して欲しい」
そう伝えると、カラスは納得したのか小さくうなずく。
そして立ち上がると、新しくグラスを取り出しそのグラスに酒を注ぎ始める。
「よし、じゃあ難しい話は終わりだな」
そしてエルヴィンの返事を聞く前に、グラスを差し出してくる。
「は?いや、俺この後も仕事だし」
「久しぶりに元警備隊の奴らにも顔見せしとけや」
宴会の準備はすでに出来ていると言わんばかりに、カラスは笑みを浮かべる。
それを見たエルヴィンはため息をつくと、差し出されたグラスを受け取る。
「しょうがねえなぁ。じゃあニオ、ミスティのこと隊舎に送っといてくれ」
「分かりました」
「え、私も――」
「いや飲める歳じゃねえだろ」
「で、でも」
「訓練の疲れも残ってるだろうし、しっかり休んどけ」
残ろうとするミスティをなんとか宥めて、扉の外へと送り出す。
最後にはニオに無理やり引っ張られる形となっていた。
「面倒見がいいのはいいことだがなあ」
カラスが呆れたようにエルヴィンを見つめる。
「なんだよ」
「もう恋人でもなんでもいいからさっさと作っちまえよ。それとも何か?昔の女のことでも引きずってんのか?」
「そういうわけじゃねえけど……」
言い淀むエルヴィンを見て、カラスは楽しげな表情でグラスを傾ける。
そして空になったグラスに酒を注ぐと、それをまた一気に飲み干す。
その表情はどこか嬉々としたものを感じさせるものだった。
「じゃあいいじゃねえか。ニオはいい女になるぞ、まだ小せえがあいつの母さんは色々でかかった」
「お前最低だな」
その言葉に笑うカラスを見て、エルヴィンは頭を抱える。
「あいつはこの街の娘みたいなもんだからな、色々面倒を見たくもなる」
「流石に親子くらい年の離れてるのはなぁ……」
「こんな世界だ、そんなの気にしてどうなる」
エルヴィンはしばらく黙っていたが、やがて諦めたかのように溜息を吐く。
そして目の前のグラスを手に取ると、ゆっくりと口へと運んでいく。
しばらくすると街の住人達が集まり始め、次第に賑やかな声に包まれていく。
その様子を眺めながら、エルヴィンは先ほどの言葉をぼんやりと考える。
自分はこれからどうすべきか、その答えはまだ見つからない。
しかし、少なくとも今はこうやって馬鹿騒ぎをしている方が性に合っている気がした。
この日は霧の街には似つかわしくないほどの快晴だった。
そんな中、ニオとミスティの二人はしばらく無言で街道を歩いていた。
「いいですよね、あなたは」
「急になんですか」
いつまでも続くと思っていた静寂はミスティによって崩された。
突然話しかけてきたその様子に、ニオは不機嫌そうに答える。
だがその態度を特に気に留めた様子もなく、ミスティは話を続ける。
「私にはもう何も残ってないのに」
そう言って、ミスティは自嘲気味な笑みを浮かべる。
それは今まで見たことがないような、悲痛な面持ちだった。
ミスティのその言葉を聞き、ニオは何も言うことが出来ずにいた。
「ずるくないですか?不公平です」
ニオは自分の直観に従い、反射的に飛びのくように距離を取り身構える。
だがミスティはそれを見ても動じることはなく、ただじっとこちらを見つめているだけだった。
その瞳は虚ろなものだったが、何かを決意したかのような強い意志を感じさせた。
そのまましばらくの間睨み合いが続いたが、やがてミスティはふっと力を抜く。
「ふふっ、でも、大丈夫。私、聖女ですから。私は、絶対に捨てられない」
こいつは自分よりも遥かに弱い、ニオは瞬時にそう判断する。
しかし自分の体は蛇を前にした蛙のように動けずにいる。
体の震えが止まらない。なんなんだ、こいつは。まるで別人じゃないか。
ニオはそう思いながらも、必死に思考を回転させる。
「大丈夫、大丈夫」
ぶつぶつと呟きながら近づいてくるその姿は、とても正気とは思えなかった。
ニオはなんとか逃げ出そうと試みるが、体が言うことを聞かない。
そしてミスティはすぐそこまで迫ってきていた。
「だって、あなたには」
この先の言葉を聞いてはいけない、ニオの本能が警鐘を打ち鳴らす。
だがそれでも、逃げることは出来なかった。
「――代わりがいるもの」
次の瞬間、ミスティの手が伸びる。
それを視界の端で捉えていながら、ニオは動くことが出来なかった。
ゆっくりと頭を撫でられる。その手つきはとても優しく、慈愛に満ちていた。
――狂気は静かに伝搬していく。