皆様本当にありがとうございます。
濃霧の中を虎の亜人ギルの先導で進む。
行き先はフェアベルゲンだ。英字とユエ、ハウリア族、そしてアルフレリックを中心に周囲を亜人達で固めて既に一時間ほど歩いている。どうやら、先のザムと呼ばれていた伝令は相当な駿足だったようだ。
そうして暫く歩いていると、突如霧が晴れた場所に出た。晴れたといっても全ての霧が無くなったのではなく、一本真っ直ぐな道が出来ているだけでまるで霧のトンネルの様な場所だ。よく見れば、道の端に誘導灯の様に青い光を放つ挙大の結晶が地面に半分埋められている。そこを境界線に霧の侵入を防いでいる様だ。
英字が、青い結晶に注目していることに気が付いたのかアルフレリックが解説を買って出てくれた。
「あれは、フェアドレン水晶というものだ。あれの周囲には、何故か霧や魔物が寄り付かない。フェアベルゲンも近辺の集落も、この水晶で囲んでいる。まぁ、魔物の方は〝比較的〟という程度だが」
「なるほど。まぁ、四六時中霧の中じゃあ気も滅入るだろう。住んでる場所くらい霧は晴らしたいか」
どうやら樹海の中であっても、街の中は霧が無い様だ。数ヵ月は樹海の中にいなければならなかったので朗報である。ユエも霧が鬱陶しそうだったので、二人の会話を聞いてどことなく嬉しそうだ。
そうこうしている内に、眼前に巨大な門が見えてきた。太い樹と樹が絡み合ってアーチを作っており、其処に木製の十メートルはある両開きの扉が鎮座していた。天然の樹で作られた防壁は高さが最低でも三十メートルはありそうだ。亜人の〝国〟というに相応しい威容を感じる。
ギルが門番と思しき亜人に合図を送ると、ゴゴゴと重そうな音を立てて門が僅かに開いた。周囲の樹の上から、英字達に視線が突き刺さっているのがわかる。人間が招かれているという事実に動揺を隠せないようだ。アルフレリックがいなければ、ギルがいても一悶着あったかもしれない。おそらく、その辺りも予測して長老自ら出てきたのだろう。
門を潜ると、そこは別世界だった。直径数十メートル級の巨大な樹が乱立しており、その樹の中に住居がある様で、ランプの明かりが樹の幹に空いた窓と思しき場所から溢れている。人が優に数十人規模で渡れるであろう極太の樹の枝が絡み合い空中回廊を形成している。樹の蔓と重なり、滑車を利用したエレベーターの様な物や樹と樹の間を縫う様に設置された木製の巨大な空中水路まであるようだ。樹の高さはどれも二十階位ありそうである。
英字が口角を上げ、ユエがポカンと口を開けてその美しい街並みに見蕩れていると、ゴホンと咳払いが聞こえた。どうやら気がつかない内に立ち止まっていたらしく、アルフレリックが正気に戻してくれた様だ。
「ふふ、どうやら我らの故郷、フェアベルゲンを気に入ってくれた様だな」
アルフレリックの表情が嬉しげに緩んでいる。周囲の亜人達やハウリア族の者達も、どこか得意げな表情だ。英字はそんな彼等の様子を見つつ、素直に称賛した。
「ああ、こんな綺麗な街は私自身も片手で数えられるくらいしか知らない。それに空気も美味い。自然と調和した見事な街だ」
「ん……綺麗」
掛け値なしのストレートな称賛に、流石に、そこまで褒められるとは思っていなかったのか少し驚いた様子の亜人達。だが、やはり故郷を褒められたのが嬉しいのか、皆、ふんっとそっぽを向きながらもケモミミや尻尾を勢いよくふりふりしている。
英字達は、フェアベルゲンの住人に好奇と忌避、あるいは困惑と憎悪といった様々な視線を向けられながら、アルフレリックが用意した場所に向かった。
「……成程。試練に神代魔法、それに神の盤上か……」
現在、英字とユエはアルフレリックと向かい合って話をしていた。内容は、英字がオスカー・オルクスに聞いた"解放者"の事や神代魔法の事、自分が異世界の人間であり七大迷宮を攻略すれば神代魔法が手に入るかもしれない事等だ。
アルフレリックは、この世界の神の話を聞いても顔色を変えたりはしなかった。不思議に思って英字が尋ねると、「この世界は亜人族に優しくはない、今更だ」という答えが返ってきた。神が狂っていようがいまいが、亜人族の現状は変わらないということらしい。聖教教会の権威もないこの場所では信仰心もないようだ。あるとすれば自然への感謝の念だという。
英字達の話を聞いたアルフレリックは、フェアベルゲンの長老の座に就いた者に伝えられる掟を話した。それは、この樹海の地に七大迷宮を示す紋章を持つ者が現れたらそれがどの様な者であれ敵対しない事、そしてその者を気に入ったのなら望む場所に連れて行く事、という何とも抽象的な口伝だった。
【ハルツィナ樹海】の大迷宮の創始者リューティリス・ハルツィナが、自分が〝解放者〟という存在である事(解放者が何者かは伝えなかった)と、仲間の名前と共に伝えたものなのだという。フェアベルゲンという国ができる前からこの地に住んでいた一族が延々と伝えてきたのだとか。最初の敵対せずというのは、大迷宮の試練を越えた者の実力が途轍もないことを知っているからこその忠告だ。
そして、オルクスの指輪の紋章にアルフレリックが反応したのは、大樹の根元に七つの紋章が刻まれた石碑があり、その内の一つと同じだったからだそうだ。
「それで、私は資格を持っているというわけか……」
アルフレリックの説明により、人間を亜人族の本拠地に招き入れた理由がわかった。しかし、全ての亜人族がそんな事情を知っているわけではないはずなので、今後の話をする必要がある。
英字とアルフレリックが、話を詰めようとしたその時、何やら階下が騒がしくなった。ハジメ達のいる場所は、最上階にあたり、階下にはシア達ハウリア族が待機している。どうやら、彼女達が誰かと争っているようだ。英字とアルフレリックは顔を見合わせ、同時に立ち上がった。
階下では、大柄な熊の亜人族や虎の亜人族、狐の亜人族、背中から羽を生やした亜人族、小さく毛むくじゃらのドワーフらしき亜人族が剣呑な眼差しで、ハウリア族を睨みつけていた。部屋の隅で縮こまり、カムが必死にシアを庇っている。シアもカムも頬が腫れている事から既に殴られた後のようだ。
英字とユエが階段から降りてくると、彼等は一斉に鋭い視線を送った。熊の亜人が剣呑さを声に乗せて発言する。
「アルフレリック……貴様、どういうつもりだ。なぜ人間を招き入れた? こいつら兎人族もだ。忌み子にこの地を踏ませるなど……返答によっては、長老会議にて貴様に処分を下すことになるぞ」
必死に激情を抑えているのだろう。拳を握りわなわなと震えている。やはり、亜人族にとって人間族は不倶戴天の敵なのだ。しかも、忌み子と彼女を匿った罪があるハウリア族まで招き入れた。熊の亜人だけでなく他の亜人達もアルフレリックを睨んでいる。
しかし、アルフレリックはどこ吹く風といった様子だ。
「なに、口伝に従ったまでだ。お前達も各種族の長老の座にあるのだ。事情は理解できるはずだが?」
「何が口伝だ! そんなもの眉唾物ではないか! フェアベルゲン建国以来一度も実行されたことなどないではないか!」
「だから、今回が最初になるのだろう。それだけのことだ。お前達も長老なら口伝には従え。それが掟だ。我ら長老の座にあるものが掟を軽視してどうする」
「なら、こんな人間族の小僧が資格者だとでも言うのか! 敵対してはならない強者だと!」
「そうだ」
あくまで淡々と返すアルフレリック。熊の亜人は信じられないという表情でアルフレリックを、そして英字を睨む。
フェアベルゲンには、種族的に能力の高い幾つかの各種族を代表する者が長老となり、長老会議という合議制の集会で国の方針などを決めるらしい。裁判的な判断も長老衆が行う。今、この場に集まっている亜人達が、どうやら当代の長老達らしい。だが、口伝に対する認識には差があるようだ。
アルフレリックは、口伝を含む掟を重要視するタイプのようだが、他の長老達は少し違うのだろう。アルフレリックは森人族であり、亜人族の中でも特に長命種だ。二百年くらいが平均寿命だったと英字は記憶している。だとすると、眼前の長老達とアルフレリックでは年齢が大分異なり、その分、価値観にも差があるのかもしれない。ちなみに、亜人族の平均寿命は百年くらいだ。
そんなわけで、アルフレリック以外の長老衆は、この場に人間族や罪人がいることに我慢ならないようだ。
「……ならば、今、この場で試してやろう!」
いきり立った熊の亜人が突如、英字に向かって突進した。あまりに突然のことで周囲は反応できていない。アルフレリックも、まさかいきなり襲いかかるとは思っていなかったのか、驚愕に目を見開いている。
そして、一瞬で間合いを詰め、身長二メートル半はある脂肪と筋肉の塊の様な男の豪腕が、英字に向かって振り下ろされた。
亜人の中でも、熊人族は特に耐久力と腕力に優れた種族だ。その豪腕は、一撃で野太い樹をへし折る程で、種族代表ともなれば他と一線を画す破壊力を持っている。シア達ハウリア族と傍らのユエ以外の亜人達は、皆一様に、肉塊となった英字を幻視した。
しかし、次の瞬間には、有り得ない光景に凍りついた。
ズドンッ!
衝撃音と共に振り下ろされた拳は、あっさりと英字の左腕に掴み止められていたからだ。
「……やれやれ、そちらから攻撃したんだ。反撃されても文句はないな?」
そう言って、英字は握力を高める。熊の亜人の腕からメキッと音が響いた。驚愕の表情を浮かべながらも危機感を覚え、必死に距離を取ろうとする熊の亜人。
「ぐっう! 離せ!」
必死に腕を引き戻そうとするが、体長が半分程度しかないにもかかわらず、英字はピクリともしない。
英字は無言で握力を高め、無造作にその腕を握りつぶした。
ゴシャッ!
「ッ!?」
熊の亜人の腕からなってはいけない破壊音が響く。それでも悲鳴を上げなかったのは流石は長老といったところか。だが、痛みと驚愕に硬直した隙を英字は逃さない。
後退る熊の亜人の懐へ踏み込み、空いているもう片方の腕を熊の亜人の額に突き出すと親指で中指を押さえ輪っかのようなものをつくる。
「命で、とまでは言わないが、痛みで償え」
そう言うと英字はそのまま熊の亜人の額を中指で弾く。
ドパンッ!
絶大な威力を込められ弾き出された中指が、遠慮容赦なく熊の亜人族の額に突き刺さり、その場に衝撃波を発生させながら、文字通り猛烈な勢いで吹っ飛ばす。熊の亜人は、悲鳴一つ上げられず、体をのけぞらせながら背後の壁を突き破り虚空へと消えていった。しばらくすると、地上で悲鳴が聞こえだす。
英字が彼にしたのは子供を叱るときなどによくやる、所謂『デコピン』である。(最も彼が放つデコピンは、銃弾より威力が高いのだが)
誰もが言葉を失い硬直していると、英字が長老達に試す様な視線を向ける。
「……さて、次は誰だ?」
その言葉に、頷けるものはいなかった。
英字が熊の亜人を吹き飛ばした後、アルフレリックが何とか執り成し、英字による蹂躙劇は回避された。熊の亜人は、ほぼ全身の骨が粉砕骨折(特に頭蓋骨)という危険な状態であったが、何とか一命は取り留めたらしい。高価な回復薬を湯水の如く使ったようだ。もっとも、もう二度と戦士として戦うことはできないようだが……
現在、当代の長老衆である虎人族のゼル、翼人族のマオ、狐人族のルア、土人族(俗に言うドワーフ)のグゼ、そして森人族のアルフレリックが、英字と向かい合って座っていた。英字の傍らにはユエとカム、シアが座り、その後ろにハウリア族が固まって座っている。
長老衆の表情は、アルフレリックを除いて緊張感で強ばっていた。戦闘力では一,二を争う程の手練だった熊の亜人(名前はジン)が、文字通り手も足も出ず瞬殺されたのであるから無理もない。
「それで、お前達は私達をどうしたいんだ? 私は大樹の下へ行きたいだけで、邪魔しなければ敵対する事もないのだが。……亜人族としての意思を統一してもらえないと、いざと言う時、何処までやっていいかわからないのは不味いだろう?」
英字の言葉に、身を強ばらせる長老衆。言外に、亜人族全体との戦争も辞さないという意志が込められていることに気がついたのだろう。
「こちらの仲間を再起不能にしておいて、第一声がそれか……それで友好的になれるとでも?」
グゼが苦虫を噛み潰したような表情で呻くように呟いた。
「先に手を出したのはあの男のほうで、私は返り討ちにしただけだ。再起不能になったのは自業自得と言うやつだ」
「き、貴様! ジンはな! ジンは、いつも国のことを思って!」
「それが、初対面の相手を問答無用に殺していい理由になるとでも?」
「そ、それは! しかし!」
「勘違いするなよ? 私が被害者で、あの男が加害者。長老と言うのは罪科の判断も下すんだろ? なら、そこのところ、長老のお前がはき違えるなよ?」
おそらくグゼはジンと仲が良かったのではないだろうか。その為、頭では英字の言う通りだと分かっていても心が納得しないのだろう。だが、そんな心情を汲み取ってやるほど、『グリードとしての英字』はお人好しではない。
「グゼ、気持ちはわかるが、そのくらいにしておけ。彼の言い分は正論だ」
アルフレリックの諌めの言葉に、立ち上がりかけたグゼは表情を歪めてドスンッと音を立てながら座り込んだ。そのまま、むっつりと黙り込む。
「確かに、この少年は、紋章の一つを所持しているし、その実力も大迷宮を突破したと言うだけのことはあるね。僕は、彼を口伝の資格者と認めるよ」
よ」
そう言ったのは狐人族の長老ルアだ。糸のように細めた目で英字を見た後、他の長老はどうするのかと周囲を見渡す。
その視線を受けて、翼人族のマオ、虎人族のゼルも相当思うところはあるようだが、同意を示した。代表して、アルフレリックが英字に伝える。
「七葉英字。我らフェアベルゲンの長老衆は、お前さんを口伝の資格者として認める。故に、お前さんと敵対はしないというのが総意だ……可能な限り、末端の者にも手を出さないように伝える。……しかし……」
「絶対ではない……か?」
「ああ。知っての通り、亜人族は人間族をよく思っていない。正直、憎んでいるとも言える。血気盛んな者達は、長老会議の通達を無視する可能性を否定できない。特に、今回再起不能にされたジンの種族、熊人族の怒りは抑えきれない可能性が高い。アイツは人望があったからな……」
「それで?」
アルフレリックの話しを聞いても英字の顔色は変わらない。すべきことをしただけであり、すべきことをするだけだという意志が、その瞳から見て取れる。アルフレリックは、その意志を理解した上で、長老として同じく意志の宿った瞳を向ける。
「お前さんを襲った者達を殺さないで欲しい」
「……殺意を向けてくる相手に手加減しろと言うのか?」
「そうだ。お前さんの実力なら可能だろう?」
「あの男が手練だというなら、可能か否かで言えば可能だろうな。だが、殺し合いで手加減をするつもりは毛頭ない。お前達の気持ちはわかるがな、そちらの事情は私にとって関係のないものだ。同胞を死なせたくないなら死ぬ気で止めてやれ」
殺し合いでは何が起こるかわからないのだ。手加減などして、窮鼠猫を噛むように致命傷を喰らわないとは限らない。その為、英字がアルフレリックの頼みを聞くことはなかった。
しかし、そこで虎人族のゼルが口を挟んだ。
「ならば、我々は、大樹の下への案内を拒否させてもらう。口伝にも気に入らない相手を案内する必要はないとあるからな」
その言葉に、英字は訝しそうな表情をした。もとより、案内はハウリア族に任せるつもりで、フェアベルゲンの者の手を借りるつもりはなかった。そのことは、彼等も知っているはずである。だが、ゼルの次の言葉で彼の真意が明らかになった。
「ハウリア族に案内してもらえるとは思わないことだ。そいつらは罪人。フェアベルゲンの掟に基づいて裁きを与える。何があって同道していたのか知らんが、ここでお別れだ。忌まわしき魔物の性質を持つ子とそれを匿った罪。フェアベルゲンを危険に晒したも同然なのだ。既に長老会議で処刑処分が下っている」
ゼルの言葉に、シアは泣きそうな表情で震え、カム達は一様に諦めたような表情をしている。この期に及んで、誰もシアを責めないのだから情の深さは折紙付きだ。
「長老様方! どうか、どうか一族だけはご寛恕を! どうか!」
「シア! 止めなさい! 皆、覚悟は出来ている。お前には何の落ち度もないのだ。そんな家族を見捨ててまで生きたいとは思わない。ハウリア族の皆で何度も何度も話し合って決めたことなのだ。お前が気に病む必要はない」
「でも、父様!」
土下座しながら必死に寛恕を請うシアだったが、ゼルの言葉に容赦はなかった。
「既に決定したことだ。ハウリア族は全員処刑する。フェアベルゲンを謀らなければ忌み子の追放だけで済んだかもしれんのにな」
ワッと泣き出すシア。それをカム達は優しく慰めた。長老会議で決定したというのは本当なのだろう。他の長老達も何も言わなかった。おそらく、忌み子であるということよりも、そのような危険因子をフェアベルゲンの傍に隠し続けたという事実が罪を重くしたのだろう。ハウリア族の家族を想う気持ちが事態の悪化を招いたとも言える。何とも皮肉な話だ。
「そういうわけだ。これで、貴様が大樹に行く方法は途絶えたわけだが? どうする? 運良くたどり着く可能性に賭けてみるか?」
それが嫌なら、こちらの要求を飲めと言外に伝えてくるゼル。他の長老衆も異論はないようだ。しかし、英字は特に焦りを浮かべることも苦い表情を見せることもなく、何でもない様に軽く返した。
「アホか、お前は
「な、なんだと!」
英字の物言いに、目を釣り上げるゼル。シア達も思わずと言った風に英字を見る。ユエは英字の考えがわかっているのかすまし顔だ。
「私がこの場に足を運んだのは、ハウリアの者達に免じての事だ。その気になれば迷宮など、この森をお前達ごと更地に変えて見つける事も出来たのだぞ? 感謝こそすれど、罰するのはとんだお門違いだ」
英字は長老衆を睥睨しながら、スっと伸ばした手を泣き崩れているシアの頭に乗せた。ピクッと体を震わせ、英字を見上げるシア。
「それでも尚、私からこいつらを奪おうと言うのなら……覚悟を決めろ」
「英字さん……」
英字にとって今の言葉は単純に自分の邪魔をすることは許さないという意味で、それ以上ではないだろう。しかし、それでも、ハウリア族を死なせないために亜人族の本拠地フェアベルゲンとの戦争も辞さないという言葉は、その意志は、絶望に沈むシアの心を真っ直ぐに貫いた。
「本気かね?」
アルフレリックが誤魔化しは許さないとばかりに鋭い眼光で英字を射貫く。
「当然だ」
しかし、全く揺るがない英字。そこに不動の決意が見て取れる。この世界に対して自重しない、魔する者には妥協も容赦もしない(相手によるが)英字の『魔王』としてのスタイルだ。
「フェアベルゲンから案内を出すと言っても?」
ハウリア族の処刑は、長老会議で決定したことだ。それを、言ってみれば脅しに屈して覆すことは国の威信に関わる。今後、英字達を襲うかもしれない者達の助命を引き出すための交渉材料である案内人というカードを切ってでも、長老会議の決定を覆すわけにはいかない。故に、アルフレリックは提案した。しかし、英字は交渉の余地などないと言わんばかりにはっきりと告げる。
「何度も言わせるな。私の案内人はハウリアだ」
「なぜ、彼等にこだわる。大樹に行きたいだけなら案内人は誰でもよかろう」
アルフレリックの言葉に英字はシアをチラリと見た。先程からずっと英字を見ていたシアはその視線に気がつき、一瞬目が合う。すると僅かに心臓が跳ねたのを感じた。視線は直ぐに逸れたが、シアの鼓動だけは高まり続ける。
「私はハウリア族を気に入った、それだけだ」
英字に引く気がないと悟ったのか、アルフレリックが深々と溜息を吐く。他の長老衆がどうするんだと顔を見合わせた。暫く静寂が辺りを包み、やがてアルフレリックがどこか疲れた表情で提案した。
「ならば、お前さんの奴隷という事にでもしておこう。フェアベルゲンの掟では、樹海の外に出て帰ってこなかった者、奴隷として捕まった事が確定した者は、死んだものとして扱う。樹海の深い霧の中なら我らにも勝機はあるが、外では魔法を扱う者に勝機はほぼない。故に、無闇に後を追って被害が拡大せぬ様に死亡と見なして後追いを禁じているのだ。……既に死亡と見なしたものを処刑はできまい」
「アルフレリック! それでは!」
完全に屁理屈である。当然、他の長老衆がギョッとした表情を向ける。ゼルに到っては思わず身を乗り出して抗議の声を上げた。
「ゼル。わかっているだろう。この男が引かないことも、その力の大きさも。ハウリア族を処刑すれば、確実に敵対することになる。その場合、どれだけの犠牲が出るか……長老の一人として、そのような危険は断じて犯せん」
「しかし、それでは示しがつかん! 力に屈して、化物の子やそれに与するものを野放しにしたと噂が広まれば、長老会議の威信は地に落ちるぞ!」
「だが……」
ゼルとアルフレリックが議論を交わし、他の長老衆も加わって、場は喧々囂々の有様となった。やはり、危険因子とそれに与するものを見逃すということが、既になされた処断と相まって簡単にはできないようだ。悪しき前例の成立や長老会議の威信失墜など様々な思惑があるのだろう。
だが、そんな中、英字が敢えて空気を読まずに発言する。
「ああ~、盛り上がっているところ悪いが、シアを見逃すことについては今更だと思うぞ?」
英字の言葉に、ピタリと議論が止まり、どういうことだと長老衆が英字に視線を転じる。
「私も、シアと同じように、魔力の直接操作ができるし、固有魔法も使える。次いでに言えばユエもな。お前達のいう化物だ。だが、口伝では〝それがどのような者であれ敵対するな〟とあるのだろう? 掟に従うなら、いずれにしろお前達は化物を見逃さなくてはならない。シア一人見逃すくらい今更だと思うがな」
しばらく硬直していた長老衆だが、やがて顔を見合わせヒソヒソと話し始めた。そして、結論が出たのか、代表してアルフレリックが、それはもう深々と溜息を吐きながら長老会議の決定を告げる。
「はぁ~、ハウリア族は忌み子シア・ハウリアを筆頭に、同じく忌み子である七葉英字の身内と見なす。そして、資格者七葉英字に対しては、敵対はしないが、フェアベルゲンや周辺の集落への立ち入りを禁ずる。以降、七葉英字の一族に手を出した場合は全て自己責任とする……以上だ。何かあるか?」
「結構だ」
「……そうか。ならば、早々に立ち去ってくれるか。ようやく現れた口伝の資格者を歓迎できないのは心苦しいが……」
「気にするな。全部譲れないこととは言え、相当無茶を言っている自覚はある。むしろ理性的な判断をしてくれて有り難いくらいだ」
英字の言葉に苦笑いするアルフレリック。他の長老達は渋い表情か疲れたような表情だ。恨み辛みというより、さっさとどっか行ってくれ! という雰囲気である。その様子に肩を竦める英字はユエやシア達を促して立ち上がった。
ユエは終始ボーとしていたが、話は聞いていたのか特に意見を口にすることもなく英字に合わせて立ち上がった。
しかしシア達ハウリア族は、未だ現実を認識しきれていないのか呆然としたまま立ち上がる気配がない。ついさっきまで死を覚悟していたのに、気がつけば追放で済んでいるという不思議。「えっ、このまま本当に行っちゃっていいの?」という感じで内心動揺しまくっていた。
「おい。何時まで呆けている、さっさと行くぞ」
英字の言葉に、ようやく我を取り戻したのかあたふたと立ち上がり、さっさと出て行くハジメの後を追うシア達。アルフレリック達も、英字達を門まで送るようだ。
シアが、オロオロしながら英字に尋ねた。
「あ、あの、私達……死ななくていいんですか?」
「さっきの話聞いていなかったのか?」
「い、いえ、聞いてはいましたが……その、何だかトントン拍子で窮地を脱してしまったので実感が湧かないといいますか……信じられない状況といいますか……」
周りのハウリア族も同様なのか困惑したような表情だ。それだけ、長老会議の決定というのは亜人にとって絶対的なものなのだろう。どう処理していいのか分からず困惑するシアにユエが呟く様に話しかけた。
「……素直に喜べばいい」
「ユエさん?」
「……英字様に救われた。それが事実。受け入れて喜べばいい」
「……」
ユエの言葉に、シアはそっと隣を歩く英字に視線をやった。英字は前を向いたまま肩を竦める。
「約束だからな。それに先程も言ったが私はお前達が気に入ったと」
「ッ……」
シアは、肩を震わせる。樹海の案内と引き換えにシアと彼女の家族の命を守る。シアが必死に取り付けた英字との約束だ。
元々、〝未来視〟で英字が守ってくれる未来は見えていた。しかし、それで見える未来は絶対ではない。シアの選択次第で、いくらでも変わるものなのだ。だからこそ、シアは英字の協力を取り付けるのに〝必死〟だった。相手は、亜人族に差別的な人間で、シア自身は何も持たない身の上だ。交渉の材料など、自分の〝女〟か〝固有能力〟しかない。それすら、あっさり無視された時は、本当にどうしようかと泣きそうになった。
それでもどうにか約束を取り付けて、道中話している内に何となく、英字なら約束を違えることはないだろうと感じていた。それは、自分が亜人族であるにもかかわらず、差別的な視線が一度もなかったことも要因の一つだろう。だが、それはあくまで〝何となく〟であり、確信があったわけではない。
だから、内心の不安に負けて、〝約束は守る人だ〟と口に出してみたり〝人間相手でも戦う〟などという言葉を引き出してみたりした。実際に、何の躊躇いもなく帝国兵と戦ってくれた時、どれほど安堵したことか。
だが、今回はいくら英字でも見捨てるのではという思いがシアにはあった。帝国兵の時とはわけが違う。言ってみれば、帝国の皇帝陛下の前で宣戦布告するに等しいのだ。にもかかわらず一歩も引かずに約束を守り通してくれた。例えそれが、英字自身の為であっても、ユエの言う通り、シアと大切な家族は確かに守られたのだ。
先程、一度高鳴った心臓が再び跳ねた気がした。顔が熱を持ち、居ても立ってもいられない正体不明の衝動が込み上げてくる。それは家族が生き残った事への喜びか、それとも……
シアは、ユエの言う通り素直に喜び、今の気持ちを衝動に任せて全力で表してみることにした。すなわち、英字に全力で抱きつく!
「英字さ~ん! ありがどうございまずぅ~!」
「いきなりどうした?」
「むっ……」
泣きべそを掻きながら絶対に離しません! とでも言う様にヒシッとしがみつき顔をグリグリと英字の肩に押し付けるシア。その表情は緩みに緩んでいて、頬はバラ色に染め上げられている。
それを見たユエが不機嫌そうに唸るものの、何か思うところがあるのか、英字の反対の手を取るだけで特に何もしなかった。
喜びを爆発させ英字にじゃれつくシアの姿に、ハウリア族の皆もようやく命拾いしたことを実感したのか、隣同士で喜びを分かち合っている。
それを何とも複雑そうな表情で見つめているのは長老衆だ。そして、更に遠巻きに不快感や憎悪の視線を向けている者達も多くいる。
英字はその全てを把握しながら、ここを出てもしばらくは面倒事に巻き込まれそうだと苦笑いするのだった。
執筆の糧となりますので、感想評価その他よろしくお願いします!