天之川光輝率いる勇者一行は【オルクス大迷宮】近郊にある宿場町【ホルアド】にて一時の休息を取っていた。
実戦訓練を兼ねて攻略に勤しんでいた【オルクス大迷宮】も遂に七十階層に突入し、魔物の量・質共に著しく向上した為に、一度準備と休息を十分に取ってから挑もうという事になったのだ。
メルド達王国騎士団達が光輝達の戦闘に付いて来られなくなった為、それより先には光輝達だけで進まなければならないという事もあり一度落ち着いて心の準備をするという意味もあった。何より大きいのは、七十階層で三十階層への転移魔法陣を発見された事だ。いいタイミングだったとメルドが強く勧めたのである。
そんな訳で二、三日程度ではあるが光輝達は宿場町にて、今度は頼れるメルド団長抜きで新たなステージへ挑戦する為思い思いに心身を休めていた。
そんな中、【ホルアド】の町外れは疲弊を滲ませてる荒い息遣いが響いていた。
「はぁ、はぁ……っ、抑する光の聖痕 虚より来りて災禍を封じよ──"縛光刃"!」
肩で息をしながら、今にも崩れ落ちそうな膝を 咤して純白の長杖を振るうのは、勇者組の一人にして天職"治癒師"を持つパーティの回復役──白崎香織だ。
だが本来、回復系統の魔法に天性の才能を示す筈の彼女の長杖から飛び出したのは、剣の様にも見える幾つもの光の十字架──光属性捕縛魔法"縛光刃"だった。
光の十字架は香織の視線の先で低い唸り声を上げている数体の狼型の魔物"ディロス"を散弾の様に強襲する。が、ディロス達は獣らしい俊敏な動きで光の十字架を躱して香織へと迫った。
「──"縛煌鎖"ッ」
即時発動する新たな捕縛魔法。普通なら魔法名を唱えただけの効果が薄いと予想される魔法だがその実、先の"縛光刃"の詠唱の中に"縛煌鎖"の詠唱をも含めた香織オリジナルの複合詠唱だ。故に、その効果は予想を遥かに跳び越えるものだった。
突如ディロス達の足元から夥しい数の光の鎖が飛び出して、一瞬で絡みついてしまったのだ。しかも、魔物の突進力にもビクともせず確りと持続して拘束している。
辛うじて光の縄を逃れたディロス二体が挟撃する様に香織へと迫った。だが、後衛でしかも回復担当である筈の香織の表情に焦りは無い。
「降れっ」
そう叫んだ直後光の十字架が豪雨の様に空から飛来し、跳躍した直後のディロス達を串刺しにした。尤も、光の十字架は相手を透過して地面や壁に縫い付ける魔法なので殺傷能力は無い。故に"縛煌鎖"の鎖に囚われたディロス達と同じくダメージは無く、地面に縫い付けられただけだ。
香織は己の放った魔術が、仮に迷宮の魔物であっても効果を及ぼせるだけの効果を持っている事を確認すると、小さく鋭い詠唱を呟いた。
「断罪の光 束縛を超えて封禁せよ 聖浄を以て破邪を齎せっ」
すると殺傷能力など無い筈の拘束を受けているディロス達が、俄かに苦悶の声を上げ始めた。"縛煌鎖"の鎖がギリギリとディロス達を締め上げ、"縛光刃"の十字架がメリメリと地面に押し込んでいるのだ。
例え殺傷能力を無くとも、間接的になら攻撃力を持たない訳ではない。但し、本来の使い方ではないだけにイメージによる補完と魔法陣のアレンジは非常に難しい。
それ故に、香織はこの場所を選んだのだ。迷宮の魔物より遥かに弱い町外れの魔物ならばたとえ戦闘に向かない自分一人でも対応出来るし、捕縛魔法の攻撃転化という至難の技を練習するには丁度良かったのである。
だが既に数時間続けている戦闘混じりの鍛錬は、一人での対応という事もあって心身共に香織へ相当の疲弊を強いていた。魔力もかなり消耗しており、実のところ視界は霞んで意識が朦朧としてきている。香織の限界は近づいていた。
だがそれでも、香織の瞳に宿る意志の輝きは僅かにも陰らない。あの日、大切な人が消えてしまったのだと理解した日から、それでも必ず自分の目で答えを確認するのだと決意した日から、燃え盛りつつも永久凍土の様に凍てついた心が香織を突き動かす。「休息など取ってはいられない」と駆り立てる心が、立ち止まる事を許してはくれない。だから、
「…っ、守護の光は重なりて 意志ある限り蘇るっ──"天絶"ッ!!」
たとえ新手の魔物が飛来しても、背を見せて逃げる事は無いのだ。たとえそれが無茶であり、愚かな事だと理解していても"この程度の事で"と心が囁いてしまえば、"また約束を守れない"と生来の頑固な性質が退こうとする足を逆に踏み出させてしまう。
空に現れたのは烏の様に漆黒の羽に彩られた魔物"バハル"である。決して強い魔物ではないが、冒険者からは割と嫌われている。その理由は、今この瞬間も香織に殺到しているバハルの黒い羽根だ。
決して地上に近づかず、上空からナイフの様に硬化する羽根を撒き散らす嫌らしい戦い方をする魔物だ。
香織は降り注ぐナイフの羽根を、掌程度に圧縮した幾枚もの輝くシールドで防いだ。
(もっとイメージを明確にっ! もっと速く、もっと効率的にっ! 私は鈴ちゃんの様に強力な障壁は張れないけど、それでも手数と技で並んでみせるっ!!)
鬼気迫る表情で本分でないシールドの多重展開を見事に成し遂げる香織は、それでもまだ足りないと数十枚のシールドをバラバラに操作して一つ一つ微妙に角度をつけて、受けるのではなく逸らす様に使っていく。
"結界師"の天職を持つ勇者パーティの一人、谷口鈴が見たのなら、自分でも本気を出さなければ出来そうにない防御魔法の技巧に思わず瞠目したに違いない。香織には光属性魔法の適性はあるものの、だからといって治癒師が結界師と比肩しうる魔法行使を実現するなどこの世界の歴史を見ても非常識極まりない事なのだ。
「はぁ、はぁ、ぅ……」
しかし、香織の表情に変化は無い。バハルの攻撃は凌ぎ切ったものの、魔力の使い過ぎと連日の鍛錬で意識が飛びそうになるのを唇を噛んで耐えている。凄まじい倦怠感に崩れ落ちそうになる身体を、アーティファクトと長杖と意地を支えにして踏ん張る。
バハルの攻撃は羽根を飛ばすという特徴から、使い過ぎれば次が生えてくるのを暫く待つ必要がある。香織はこの隙に上空へ"縛光刃"を飛ばして、"天絶"を展開している間も締めつけと圧迫を続けていた為に瀕死状態になっているディロス達と同じ様にバハルを封殺しようと試みた。
そうして詠唱を紡ごうとした瞬間、
「ぁ……」
ふっと力が抜けて、体がゆっくり傾いた。同時、魔法が制御を離れてディロス達の拘束が解けてしまう。殆どのディロスは気絶したままだが、一、二体は息を荒げながらも立ち上がり、憎悪に濡れた赤い瞳で香織を睨みつけた。
ぼんやりとした頭が激しくアラートを鳴らすが、疲弊しきった身体は香織の言う事を聞いてはくれない。
そしてディロス達が駆け出した。涎を撒き散らし唸り声を上げ、香織を喰らわんと急迫する。片膝を付いて長杖を支えに荒い息を吐きながら、再度捕縛の魔法を行使しようとする香織だが……もう間に合いそうに無い。
あわやそのまま獣の牙が香織の柔肌を突き破るかと思われたその時、
「香織!」
香織の名を呼ぶ聞き慣れた声が届いた。同時に、迫っていたディロスが一瞬で細切れとなって絶命する。
「……ぅ、雫ちゃん?」
「ええそうよ、貴女の親友の雫ちゃんよ。怒髪天を衝きそうな雫ちゃんよ。今この瞬間も香織の頬が真っ赤になる迄抓ってやりたい雫ちゃんよ」
「え、えっと……あはは、……ごめんなさい」
ペタリと女の子座りでへたり込んだ香織の前で、物凄いジト目を至近距離から叩きつけて来る親友──八重樫雫に、香織は誤魔化し笑いを浮かべながら咄嗟に謝罪した。「何で怒ってるの?」等と訊いたら、本当に真っ赤になるまで頬を抓られるに違いないと察したからだ。そして何故雫がそれ程不機嫌なのか、香織は察しがついたからだ。
「まったくもうっ! 無理をするなとは言わない、でも無理をする時は私も一緒にって約束したでしょう!? たとえ町外れの魔物でも、下手をすればあっさり死ぬのよ!? 七葉君を捜すんじゃなかったの!? 香織が死んだら何の意味も無いじゃないこのお馬鹿! 突撃馬鹿! 頑固馬鹿!」
「うぅ、ごめんなさい雫ちゃん……」
「いいえ、そう簡単には許しません! ちょっと目を離すと直ぐに一人で突っ走るんだから。龍太郎の事言えないわよこの脳筋娘! 色々工夫しているのは知ってるけど、香織はあくまで後衛職、前衛が居てこそその本領を発揮できる。私が一緒の方が鍛錬も捗るし、何より安全マージンも取れるでしょう! ちょっと声を掛けるだけなのに、どうしてそれが出来ないの!? ちょっと聞いてるの香織!?」
「き、聞いてます……、ごめんなさい……」
「いいえ! 香織のごめんなさいは私信用しません! ちょっとそこに正座しなさい! 今日という今日は、しっかり聞いてもらうわよ!!」
雫は香織の前で正座した。人差し指をピンと立てて眉をキッと吊り上げ、ガミガミクドクドと説教を始める。香織は内心「雫ちゃん……意識が朦朧として、あんまり言ってる事が分からないよ……」と思っていたが、雫がどれ程自分を心配してくれているのか、どれだけ支えになってくれているのか分かっている為、香織はお母さん化している雫の説教を大人しく受け入れる。
因みに、この時香織の影から何かが彼女に向けて哀れみの目を向けていたのだが、気づいたものはいない。
因みに雫の説教の途中で意識を取り戻したディロス達や、羽を復活させたバハルは一早く気付いた雫が「そういえば放置したままだったわ」と言って素早く片付けて説教に戻った。そうして香織がいよいよ美少女に有るまじき白目を剥いて意識を飛ばしかけたところで、
「わわわ、なんだかカオリンが人に見せられない顔をしかけてるよ!?」
「し、雫……説教するのは構わないけど、香織ちゃんの魔力を回復させてあげてからの方が……」
谷口鈴と中村恵里がやってきた。実は雫と一緒に姿の見えない香織を探していたのだが、雫が香織センサーをみょんみょんと発動して一人駆け出した為、見事に置いてけぼりをくらっていたのだ。
雫が二人の声で漸くマシンガン説教を中断する。そして白目を剥いて頭をふらつかせる香織を見て「むっ」と唸ると、ポーチから魔力回復薬の入った小瓶を取り出し半開きの香織の口へズボッと突っ込んだ。
「んむっ」と声を漏らし目を白黒させる香織に、「ほら、ごっくんしなさい!」と無理矢理飲ませる雫。香織の身体を支えながら小瓶を支えて飲ませてやり、口の端から垂れた魔法回復薬の滴を指で拭う姿は傍から見ると……
「シズシズってば、まるでお母——」
「鈴、命が惜しかったらその先は言わない方が良いと思うよ?」
花の女子高生に言うべきではない言葉が漏れ出そうになった鈴を、恵里が慌てて止める。そうして香織が漸く美少女を取り戻した頃、遠くから「お~い」と呼ぶ声が響いた。どうやら光輝達もやって来たようだ。
「香織、どうやら無事の様だね、良かった……」
「おうおう、らしくねぇ無茶やらかしたなぁ。休む為に地上に戻ったとはいえよぉ、別に鍛錬に付き合うくらい問題無ぇんだから遠慮すんなよ」
光輝は安堵した様に香織の傍へ座り込むと香織の肩に手を置いて微笑みを浮かべ、龍太郎は如何にも水臭いと言いたげに鼻を鳴らした。二人は二人で、香織の事を心配していた様だ。
「皆、心配かけてごめんね。町外れの魔物位、私一人でも大丈夫だと思ったんだけど……引き際を間違えちゃった。本当に、ごめんなさい」
一人で無茶をして結局迷惑をかけた事に落ち込みながら、香織は頭を下げる。それで漸く雫のお母さんモードも解除されたらしく、香織の無事も相まって和やかな雰囲気が流れた。
一先ず町に戻ろうと光輝が提案し、他のメンバーも頷く。だが立ち上がろうとしたところで、香織が足元をふらつかせてしまった。魔力はある程度回復して意識はしっかりしていても、肉体的な疲労はやはり無視出来なかったらしい。
咄嗟に香織を支えようと光輝が手を伸ばすが……
「香織、大丈夫?」
「ぅ、雫ちゃん……ありがとう。でも、ちょっと歩くの遅くなるかも」
するりと間合いを詰めた雫が実に自然な動きで香織を支えた為に、光輝の手は行き場を失った。ちょっと悲しそうに眉尻が下がる光輝だったが、こんな事で折れないのが勇者の勇者たる所以。なので歩みが遅くなるという香織を抱いていってあげようと声を掛けようとする。勿論するならお姫様抱っこだ。しかし……
「もう、しょうがないわね。これに懲りたら、本当に一人で突っ走っちゃ駄目よ?」
「って、雫ちゃん! は、恥ずかしいよぉ」
「ふふ、これも罰だと思って甘んじて受けなさい」
大迷宮の下層に挑める剣士が、女子一人支えられない訳が無い。故に、雫は香織をひょいっとお姫様抱っこした。頬を染めて恥じらう香織に、クスクスと笑いながら颯爽と歩き出す雫。凛とした雰囲気と、腰に提げた無骨な剣。そして華奢な少女を抱くその姿は、まるで御伽噺に出てくる勇者様の様……
「やだシズシズったら……マジイケメン」
「あはは……何だか百合の花が見える気がするね」
鈴がちょっぴり頬を染めてそんな事を言えば、隣の恵里は苦笑いを浮かべる。
その後ろで、やはり手を出したまま硬直している光輝。笑顔が崩れないのは流石イケメン勇者と言ったところか。その勇者の肩を、隣の親友がポンポンと優しく叩いた。
「異世界に来ても、香織のナイトはやっぱり雫なのな……。ま、強く生きろよ光輝」
「龍太郎、俺は別に気にしてない。あぁ気にしてないよ。いや本当に」
「……そうか。取り敢えず、何か美味いもんでも食うか」
「……あぁ」
何となくしょぼんとしている勇者に、珍しく気遣いを発揮した脳筋だった。
その後町に戻り、メルド達や永山、檜山が率いる攻略組と合流し十分な休息を取った光輝達は、再び前人未到の七十階層へと挑んだ。
内側に大きな爆弾を抱えている事には誰一人気付かずに。
そして、大きな影が這い寄ってきている事にも気付かずに。
そして彼女達を見ている影の存在にも、気づく事はなかった。
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