ミレディ・ゴーレム戦でも、英字が戦って二人は見てるだけでしたからね。
中立商業都市フューレン
高さ二十メートル、長さ二百キロメートルの外壁で囲まれた大陸一の商業都市だ。あらゆる業種が、この都市で日々しのぎを削り合っており、夢を叶え成功を収める者もいれば、あっさり無一文となって悄然と出て行く者も多くいる。観光で訪れる者や取引に訪れる者など出入りの激しさでも大陸一と言えるだろう。
その巨大さからフューレンは四つのエリアに分かれている。この都市における様々な手続関係の施設が集まっている中央区、娯楽施設が集まった観光区、武器防具はもちろん家具類などを生産、直販している職人区、あらゆる業種の店が並ぶ商業区がそれだ。東西南北にそれぞれ中央区に続くメインストリートがあり、中心部に近いほど信用のある店が多いというのが常識らしい。メインストリートからも中央区からも遠い場所は、かなりアコギでブラックな商売、言い換えれば闇市的な店が多い。その分、時々とんでもない掘り出し物が出たりするので、冒険者や傭兵のような荒事に慣れている者達が、よく出入りしているようだ。
そんな話を、中央区の一角にある冒険者ギルド:フューレン支部内にあるカフェで軽食を食べながら聞く英字達。話しているのは案内人と呼ばれる職業の女性だ。都市が巨大であるため需要が多く、案内人というのはそれになりに社会的地位のある職業らしい。多くの案内屋が日々客の獲得のためサービスの向上に努めているので信用度も高い。
英字達はモットー率いる商隊と別れると証印を受けた依頼書を持って冒険者ギルドにやって来た。そして、宿を取ろうにも何処にどんな店があるのかさっぱりなので、冒険者ギルドでガイドブックを貰おうとしたところ、案内人の存在を教えられたのだ。
そして、現在、案内人の女性、リシーと名乗った女性に料金を支払い、軽食を共にしながら都市の基本事項を聞いていたのである。
「そういう訳なので、一先ず宿をお取りになりたいのでしたら観光区へ行く事をオススメしますわ。中央区にも宿はありますが、やはり中央区で働く方々の仮眠場所という傾向が強いので、サービスは観光区のそれとは比べ物になりませんから」
「成程な、なら素直に観光区の宿にしておくか。どこか贔屓の宿はあるか?」
「お客様のご要望次第ですわ。様々な種類の宿が数多くございますから」
「そうか、ではそうだな……食事が美味く、後は風呂があれば文句はない。立地は考慮しなくていい、後は……責任の所在が明確な場所がいいな」
リシーは、にこやかに英字の要望を聞く。最初の二つはよく出される要望なのだろう、「うんうん」と頷き早速脳内でオススメの宿をリストアップした様だ。しかし、続く英字の言葉で「ん?」と首を傾げた。
「あの~、責任の所在ですか?」
「ああ。例えば、何らかの争い事に巻き込まれたとして、こちらが完全に被害者だった時に『宿内での損害について誰が責任を持つのか』、という事だな」
「え~と、そうそう巻き込まれる事は無いと思いますが……」
困惑するリシーに英字は苦笑いする。
「まぁ普通はそうなんだろうが、連れが目立つんでな。観光区なんてハメを外す者も多そうで、商人根性の逞しい者が強行に出ないとも限らないからな。まぁあくまで"出来れば"だ。難しければ考慮しなくていい」
英字の言葉に、リシーは英字の両脇に座りうまうまと軽食を食べるユエとシアに視線をやる。そして納得した様に頷いた。確かに、この美少女二人は目立つ。現に今も、周囲の視線をかなり集めている。特に、シアの方は兎人族だ。他人の奴隷に手を出すのは犯罪だが、しつこい交渉を持ちかける商人やハメを外して暴走する輩がいないとは言えない。
「しかし、それなら警備が厳重な宿でいいのでは? そういう事に気を使う方も多いですし、いい宿をご紹介できますが……」
「ああ、それでもいい。ただ、欲望に目が眩んだ輩というのは、時々とんでもない事をするからな。警備も絶対でない以上は最初から物理的説得を考慮した方が早い」
「ぶ、物理的説得ですか……成程、それで責任の所在なわけですか」
完全に英字の意図を理解したリシーは、あくまで"出来れば"でいいと言う英字に、案内人根性が疼いた様だ、やる気に満ちた表情で「お任せ下さい」と了承する。そしてユエとシアの方に視線を転じ、二人にも要望が無いかを聞いた。出来るだけ客のニーズに応えようとする点、リシーも彼女の所属する案内屋もきっと当たりなのだろう。
「……お風呂があればいい、但し混浴、貸切が必須」
「えっと、大きなベッドがいいです」
少し考えて、それぞれの要望を伝えるユエとシア。なんてことない要望だが、ユエが付け足した条件と、シアの要望を組み合わせると、自然ととある意図が透けて見える。リシーも察したようで「承知しましたわ、お任せ下さい」とすまし顔で了承するが、頬が僅かに赤くなっている。そして、チラッチラッと英字とユエ達を交互に見ると更に頬を染めた。
ちなみに、すぐ近くのテーブルでたむろしていた男連中が「視線で人が殺せたら!」と云わんばかりに英字を睨んでいたが、すっかり慣れた視線なので、英字は普通にスルーした。
それから他の区について話を聞いていると、英字達は不意に強い視線を感じた。特に、シアとユエに対しては今までで一番不躾で、ねっとりとした粘着質な視線が向けられている。視線など既に気にしないユエとシアだが、あまりに気持ち悪い視線に僅かに眉を顰める。
英字がチラリとその視線の先を辿ると……ブタがいた。
体重が軽く百キロは超えていそうな肥えた体に、脂ぎった顔、豚鼻と頭部にちょこんと乗っているベットリした金髪。身なりだけは良い様で、遠目にも分かるいい服を着ている。そのブタ男がユエとシアを欲望に濁った瞳で凝視していた。
英字が「面倒な……」と思うと同時に、そのブタ男は重そうな体をゆっさゆっさと揺すりながら真っ直ぐ英字達の方へ近寄ってくる。どうやら逃げる暇も無い様だ。英字が逃げる事など無いだろうが。
リシーも不穏な気配に気が付いたのか、それともブタ男が目立つのか、傲慢な態度でやって来るブタ男に営業スマイルも忘れて「げっ!」と何ともはしたない声を上げた。
ブタ男は英字達のテーブルのすぐ傍までやって来ると、ニヤついた目でユエとシアをジロジロと見やり、シアの首輪を見て不快そうに目を細めた。そして今まで一度も目を向けなかった英字にさも今気がついた様な素振りを見せると、これまた随分と傲慢な態度で一方的な要求をした。
「お、おい、ガキ。ひゃ、百万ルタやる。この兎を、わ、渡せ。それとそっちの金髪はわ、私の妾にしてやる。い、一緒に来い」
ドモリ気味のきぃきぃ声でそう告げて、ブタ男はユエに触れようとする。彼の中では既にユエは自分のものになっている様だ。
その瞬間、その場に凄絶な殺意が降り注いだ。周囲のテーブルにいた者達ですら顔を青ざめさせて椅子からひっくり返り、後退りしながら必死に英字から距離をとり始めた。
これこそが英字の持つ能力の一つ『スペルディア』。
その能力は、敵対者に英字に対して、『逆らってはいけない』と言う気持ちを植え付ける、と言うものだ。
今回はそのスペルディアに殺気を上乗せして相手の恐怖を煽ったのだ。
ならば、直接そんな殺気を受けたブタ男はというと……「ひぃ!?」と情けない悲鳴を上げると尻餅をつき、後退ることも出来ずにその場で股間を濡らし始めた。
英字が本気の殺気をぶつければ、おそらく瞬時に意識を刈り取っただろうが、それでは意味がないので十分に手加減している。
「ユエ、シア、行くぞ。場所を変える」
汚い液体が漏れ出しているので、英字はユエとシアに声をかけて席を立つ。本当は、即射殺したかったのだが、流石に声を掛けただけで殺されたとあっては、英字の方が加害者だ。殺人犯を放置するほど都市の警備は甘くないだろう。基本的に、正当防衛という言い訳が通りそうにない限り都市内においては半殺し程度を限度にしようと英字は考えていた。
席を立つ英字達に、リシーが「えっ? えっ?」と混乱気味に目を瞬かせた。リシーが英字の殺気の効果範囲にいても平気そうなのは、単純にリシーだけ『スペルディア』と『殺気』の対象外にしたからだ。
リシーからすれば、ブタ男が勝手なことを言い出したと思ったら、いきなり尻餅をついて股間を漏らし始めたのだから混乱するのは当然だろう。
ちなみに、周囲にまで『スペルディア』の効果が出ているのはわざとである。周囲の連中もそれなりに鬱陶しい視線を向けていたので、序でに理解させておいたのだ。〝手を出すなよ?〟と。周囲の男連中の青ざめた表情から判断するに、これ以上ないほど伝わったようだ。
だが、『スペルディア』と『殺気』の両方を解きギルドを出ようとした直後、大男が英字達の進路を塞ぐような位置取りに移動し仁王立ちした。ブタ男とは違う意味で百キロはありそうな巨体である。全身筋肉の塊で腰に長剣を差しており、歴戦の戦士といった風貌だ。
その巨体が目に入ったのか、ブタ男が再びキィキィ声で喚きだした。
「そ、そうだ、レガニド! そのクソガキを殺せ! わ、私を殺そうとしたのだ! 嬲り殺せぇ!」
「坊ちゃん、流石に殺すのはヤバイですぜ。半殺し位にしときましょうや」
「やれぇ! い、いいからやれぇ! お、女は、傷つけるな! 私のだぁ!」
「了解ですぜ。報酬は弾んで下さいよ」
「い、いくらでもやる! さっさとやれぇ!」
どうやらレガニドと呼ばれた巨漢は、ブタ男の雇われ護衛らしい。英字から目を逸らさずにブタ男と話し、報酬の約束をするとニンマリと笑った。珍しい事にユエやシアは眼中にないらしい。見向きもせずに貰える報酬にニヤついている様だ。
「おう坊主、わりぃな。俺の金の為にちょっと半殺しになってくれや。なに、殺しはしねぇよ。まぁ嬢ちゃん達の方は……諦めてくれ」
レガニドはそう言うと、拳を構えた。長剣の方は、流石に場所が場所だけに使わないようだ。周囲がレガニドの名を聞いてざわめく。
「お、おい、レガニドって〝黒〟のレガニドか?」
「〝暴風〟のレガニド!? 何で、あんなヤツの護衛なんて……」
「金払じゃないか?〝金好き〟のレガニドだろ?」
周囲のヒソヒソ声で大体目の前の男の素性を察した英字。天職持ちなのかどうかは分からないが冒険者ランクが〝黒〟ということは、上から三番目のランクということであり、相当な実力者ということだ。
レガニドから闘気が噴き上がる。英字が、これなら正当防衛を理由に殴り倒しても問題ないだろうと、拳を振るおうとした瞬間、意外な場所から制止の声がかかった。
「……英字様、待って」
「?、どうしたユエ?」
ユエは隣のシアを引っ張ると、英字の疑問に答える前に英字とレガニドの間に割って入った。訝しそうな英字とレガニドに、ユエは背を向けたまま答える。
「……私達が相手をする」
「えっ? ユエさん、私もですか?」
シアの質問はさらり無視するユエ。ユエの言葉に、英字が返答するよりも、レガニドが爆笑する方が早かった。
「ガッハハハハ、嬢ちゃん達が相手をするだって? 中々笑わせてくれるじゃねぇの。何だ? 夜の相手でもして許してもらおうって『……黙れ、ゴミクズ』ッ!?」
下品な言葉を口走ろうとしたレガニドに、辛辣な言葉と共に、神速の風刃が襲い掛かりその頬を切り裂いた。プシュと小さな音を立てて、血がだらだらと滴り落ちる。かなり深く切れたようだ。
レガニドは、ユエの言葉通り黙り込む。ユエの魔法が速すぎて、全く反応できなかったのだ。心中では「いつ詠唱した? 陣はどこだ?」と冷や汗を掻きながら必死に分析している。
ユエは何事も無かった様に、英字と未だユエの意図が分かっていないシアに向けて話を続ける。
「……私達が守られるだけのお姫様じゃない事を周知させる」
「ああ、成程。私達自身が手痛いしっぺ返し出来る事を示すんですね」
「……そう。折角だから、これを利用する」
そう言ってユエは、先程とは異なり厳しい目を向けているレガニドを指差した。
「まぁ、言いたい事は分かった。確かに、お姫様を手に入れたと思ったら実は猛獣でしたなんて洒落にならないからな。幸い、目撃者も多い事だしな……まぁ、いいんじゃないか?」
「……猛獣はひどい」
ユエは英字が下がったのを確認すると、隣のシアに先に行けと目で合図を送る。それを読み取ったシアは、背中に取り付けていたドリュッケンに手を伸ばすと、まるで重さを感じさせずに一回転させてその手に収めた。
「おいおい、兎人族の嬢ちゃんに何が出来るってんだ? 雇い主の意向もあるんでね。大人しくしていて欲しいんだが?」
ユエから目を離さずにレガニドは、そうシアに告げる。しかし、シアはレガニドの言葉を無視するように、逆に忠告をした。
「腰の長剣。抜かなくていいんですか? 手加減はしますけど、素手だと危ないですよ?」
「ハッ、兎ちゃんが大きく出たな。坊ちゃん! わりぃけど、傷の一つや二つは勘弁ですぜ!」
レガニドはシアを大して気にせずユエに気を配りながら、未だ近くでへたり込んでいるブタ男に一言断りを入れる。流石にユエ相手に無傷で無力化は難しいと判断した様だ。
だが、レガニドは気が付くべきだった。常識的に考えて、愛玩奴隷という認識が強い兎人族が戦鎚を持っている事の違和感に。相応の実力が垣間見える英字とユエの二人が初手を任せたという意味に。
既に言葉はないと、シアはドリュッケンを腰だめに構え……一気に踏み込んだ。そして、次の瞬間にはレガニドの眼前に出現する。
「ッ!?」
「やぁ!!」
可愛らしい声音に反して豪風と共に振るわれた超重量の大槌が、表情を驚愕に染めるレガニドの胸部に迫る。直撃の寸前、レガニドは、辛うじて両腕を十字にクロスさせて防御を試みるが……
(重すぎるだろっ!?)
踏ん張ることなど微塵もかなわず、咄嗟に後ろに飛んで衝撃を逃がそうとするも、スイングが速すぎてほとんど意味はなさない。結果、
グシャ!
そんな生々しい音を響かせながら、レガニドは勢いよく吹き飛びギルドの壁に背中から激突した。轟音を響かせながら、肺の中の空気を余さず吐き出したレガニドは、揺れる視界の中に、拍子抜けしたようなシアの姿を見る。どうやら、もう少し抵抗があると思っていたらしい。
冒険者ランク〝黒〟にまで上り詰めた自分が、まさか兎人族の少女に手加減までされて、なお、拍子抜けされたという事実に、レガニドはもはや笑うしかない。痛みのせいでしかめたようにしか見えない笑みを浮かべ、立ち上がろうと手をつき、激痛と共にそのまま倒れこむ。激痛の原因に視線を向ければ、ひしゃげたように潰れた自分の腕が見えた。
幸い、潰されたのは片腕だけだったようで、痛みを堪えながらもう片方の腕で何とか立ち上がる。視界がグラグラ揺れるが、何とか床を踏みしめることが出来た。ほとんど意味は無かったと言えど、咄嗟に、後ろに飛ばなければ、立ち上がることは出来なかったかもしれない。
しかし、立ち上がった事は果たしていい事だったのか。半ば意地で立ち上がったレガニドだったが、ユエが氷の如き冷めた目で右手を突き出している姿を見て、内心で盛大に愚痴る。
(坊ちゃん、こりゃ、割に合わなさすぎだ……)
直後、レガニドは生涯で初めて、〝空中で踊る〟という貴重で最悪の体験をすることになった。
「舞い散る花よ 風に抱かれて砕け散れ 〝風花〟」
ユエ、オリジナル魔法第二弾〝風爆〟という風の砲弾を飛ばす魔法と重力魔法の複合魔法だ。複数の風の砲弾を自在に操りつつ、その砲弾に込められた重力場が常に目標の周囲を旋回することで全方位に〝落とし続け〟空中に磔にする。そして、打ち上げられたが最後、そのまま空中でサンドバックになるというえげつない魔法だ。ちなみに、例の如く、詠唱は適当である。
空中での一方的なリードによるダンスを終えると、レガニドは、そのままグシャと嫌な音を立てて床に落ち、ピクリとも動かなくなった。実は、最初の数撃で既に意識を失っていたのだが、知ってか知らずか、ユエは、その後も容赦なく連撃をかまし、特に股間を集中的に狙い撃って周囲の男連中の股間をも竦み上がらせた。苛烈にして凶悪な攻撃に、後ろで様子を伺っていた英字をして「うわぁ」と悲痛な声を上げさせたほどだ。
あり得べからざる光景の二連発。そして容赦の無さにギルド内が静寂に包まれる。誰も彼もが身動き一つせず、英字達を凝視していた。よく見れば、ギルド職員らしき者達が争いを止めようとしたのか、カフェに来る途中で英字達の方へ手を伸ばしたまま硬直している。様々な冒険者達を見てきた彼等にとっても衝撃の光景だった様だ。
誰もが硬直していると、おもむろに静寂が破られた。英字が、ツカツカと歩き出したのだ。ギルド内にいる全員の視線が英字に集まる。英字の行き先は……ブタ男のもとだった。
「ひぃ! く、来るなぁ! わ、私を誰だと思っている! プーム・ミンだぞ! ミン男爵家に逆らう気かぁ!」
「お前こそ王に逆らう気か、ブタ貴族」
英字は尻餅を付いたままのブタ男の顔面を勢いよく踏みつけた。
「プギャ!?」
文字通り豚のような悲鳴を上げて顔面を靴底と床にサンドイッチされたプームはミシミシとなる自身の頭蓋骨に恐怖し悲鳴を上げた。すると、その声がうるさいとでも言うように、鳴けば鳴くほど圧力が増していく。顔は醜く潰れ、目や鼻が頬の肉で隠れてしまっている。やがて、声を上げるほど痛みが増す事に気が付いたのか、大人しくなり始めた。単に体力が尽きただけかもしれないが。
「よく聞け、ブタ貴族。二度と視界に入るな。直接・間接問わず関わるな……次はないと思え」
プームは英字の靴底に押しつぶされながらも、必死に頷こうとしているのか小刻みに震える。既に、虚勢を張る力も残っていないようだ。完全に心が折れている。しかし、その程度で、あっさり許すほど英字は甘くはない。〝喉元過ぎれば熱さを忘れる〟というように、一時的な恐怖だけでは全然足りない。殺しの選択が得策でない以上、代わりに、その恐怖を忘れないように刻まねばならない。
なので、少し足を浮かせると、英字は自身の靴をスパイクの付いたものに履き替えると、再度勢いよく踏みつけた。
「ぎゃぁああああああ!!」
スパイクが、プームの顔面に突き刺さり無数の穴を開ける。更に、片目にも突き刺ささったようで大量の血を流し始めた。プーム本人は、痛みで直ぐに気を失う。英字が足をどけると見るも無残な……いや、元々無残な顔だったので、あまり変わらないが、取り敢えず血まみれのプームの顔が晒された。
その後、気を落ち着かせる様に息を吐いてからユエ達の方へ歩み寄る。ユエとシアは微笑みで英字を迎えた。そして英字は、すぐ傍で呆然としている案内人リシーに笑いかけた。
「さて、リシー嬢。場所を移して続きを頼む」
「はひっ! い、いえ、その……私、何と言いますか……」
英字の笑顔に恐怖を覚えたのか、しどろもどろになるリシー。その表情は、明らかに関わりたくないと物語っていた。それくらい、英字達は異常だったのだ。英字も何となく察しているが、また新たな案内人をこの騒ぎの後に探すのは面倒なので、リシーを逃がすつもりはなかった。英字の意図を悟って、ユエとシアがリシーの両脇を固める。「ひぃぃん!」と情けない悲鳴を上げるリシー。
と、そこへ彼女にとっての救世主、ギルド職員が今更ながらにやって来た。
「あの、申し訳ありませんが、あちらで事情聴取にご協力願います」
そう英字に告げた男性職員の他、三人の職員が英字達を囲む様に近寄った。尤も、全員腰が引けていたが。もう数人は、プームとレガニドの容態を見に行っている。
「そうは言ってもな、あの貴族が私の連れを奪おうとして、それを断ったら逆上して襲ってきたから返り討ちにしただけだ。それ以上説明しようがない。そこのリシー嬢や、周囲の冒険者達も証人になるぞ。特に、近くのテーブルにいた奴等は随分と聞き耳を立てていた様だからな?」
英字がそう言いながら周囲の男連中を睥睨すると、目があった彼等はこぞって首がもげるのでは? と言いたくなる程激しく何度も頷いた。
「それは分かっていますが、ギルド内で起こされた問題は、当事者双方の言い分を聞いて公正に判断する事になっていますので……規則ですから冒険者なら従って頂かないと……」
「当事者双方……ね」
英字はチラリとプームとレガニドの二人を見る。当分目を覚ましそうになかった。ギルド職員が治癒師を手配しているようだが、おそらく二、三日は目を覚まさないのではないだろうか。
「あれが目を覚ますまで、ずっと待機していろと? 被害者の私達が? ……ぶん殴って起こすしか無いか?」
英字が非難がましい視線をギルド職員に向ける。典型的なクレーマーのような物言いにギルド職員の男性が、「そんな目で睨むなよぉ、仕事なんだから仕方ないだろぉ」という自棄糞気味な表情になった。そして、ぼそりと呟かれた英字の最後のセリフが耳に入り、職員が止めようと押し問答していると、突如、凛とした声が掛けられた。
「何をしているのです? これは一体何事ですか?」
そちらを見てみれば、メガネを掛けた理知的な雰囲気を漂わせる細身の男性が厳しい目で英字達を見ていた。
「ドット秘書長! いいところに! これはですね……」
職員達がこれ幸いとドット秘書長と呼ばれた男のもとへ群がる。ドットは、職員達から話を聞き終わると、英字達に鋭い視線を向けた。
どうやら、まだまだ解放はされないようだ。
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