広大な平原のど真ん中に、北へ向けて真っ直ぐに伸びる街道がある。街道と言っても、何度も踏みしめられることで自然と雑草が禿げて道となっただけのものだ。この世界の馬車にはサスペンションなどというものはないので、きっとこの道を通る馬車の乗員は、目的地に着いた途端、自らの尻を慰めることになるのだろう。
そんな、整備されていない道を有り得ない速度で爆走する影がある。黒塗りの車体に黄色のライン、二つの車輪だけで凸凹の道を苦もせず突き進むそれの上には、三人の人影があった。
英字、ユエ、シアだ。かつてライセン大峡谷の谷底で走らせた時と同じ様なペースで街道を走っている。座席順はいつもの通り、英字の腕の中にユエ、背中にシアという形だ。風にさらわれてシアのウサミミがパタパタと靡いている。
天気は快晴で暖かな日差しが降り注ぎ、絶好のツーリング日和と言える。実際、ユエもシアも、ポカポカの日差しと心地よい風を全身に感じて、実に気持ちよさそうに目を細めていた。
「はぅ~、気持ちいいですぅ~、ユエさぁ~ん。帰りは場所交換しませんかぁ~」
「……ダメ。ここは私の場所」
「え~、そんな事言わずに交換しましょうよ~、後ろも気持ちいいですよ?」
シアが実に間延びした緩々の声音でユエに座席の交換を強請る。英字は肩越しに緩んだシアの顔を見やると、嫌なそうな顔をしてユエの代わりに答えた。
「お前が前に座ると、そのウサミミが風に靡いて運転の邪魔になるから却下だ」
「あ~、そうですねぇ~」
「……駄目、殆ど寝てる」
どうやら、あまりの心地よさにシアは半分夢の住人になっている様だ。英字の肩に頭を乗せ全体重を掛けて凭れ掛かっている。ユエに話しかけたのも半分寝言の様だ。
「まぁ、このペースなら後一日というところだ。無休で行くのだから、休める内に休ませておいた方が良い」
英字の言葉通り、英字達はウィル一行が引き受けた調査依頼の範囲である北の山脈地帯に一番近い町まで後一日程の場所まで来ていた。このまま休憩を挟まず一気に進み、恐らく日が沈む頃に到着するだろうから、町で一泊して明朝から捜索を始めるつもりだ。
急ぐ理由は勿論、時間が経てば経つ程ウィル一行の生存率が下がっていくからだ。何時になく他人の為なのに積極的な英字に、ユエが上目遣いで疑問顔をする。
英字は、腕の中から可愛らしく首を傾げて自分を見上げるユエに苦笑いを返す。
「……積極的?」
「ああ、生きているに越した事は無いからな。その方が感じる恩は大きい。これから先、国やら教会やらとの面倒事は山程待ってそうだからな、盾は多い方がいいだろう。一々真面に相手するのも面倒だ。……それに、私も二児の親だ。出来れば子供には無事であってほしいと言う思いは痛いほど分かる」
「……成程」
実際、イルワという盾がどの程度機能するかはわからないし、どちらかといえば役に立たない可能性の方が大きいが保険は多い方がいい。まして、ほんの少しの労力で獲得出来るならその労力は惜しむべきではないだろう。
それに何より、子を持つ一人の親として心配する気持ちに共感したというのも多分にあった。
「それに聞いたんだがな、これから行く町は湖畔の町で水源が豊かだそうだ。その為か町の近郊は大陸一の稲作地帯なんだそうだ」
「……稲作?」
「あぁ。つまり米、私の故郷の主食だ。此方に来てから一度も食べていないからな。同じ物かどうかは分からんが、是非とも食してみたい」
「……ん、私も食べたい……町の名前は?」
そう言えば町の名前を聞いてなかったと英字に尋ねる。
「湖畔の町ウルだ」
「はぁ、今日も手掛かりはなしですか。……清水君、一体何処に行ってしまったんですか……?」
悄然と肩を落とし、ウルの町の表通りをトボトボと歩くのは召喚組の一人にして唯一の教師である愛子だ。普段の快活な様子が鳴りを潜め、今は不安と心配に苛まれて陰鬱な雰囲気を漂わせている。心なしか、表通りを彩る街灯の灯りすらいつもより薄暗い気がする。
「愛ちゃん先生、あまり気を落とさないで下さい。まだ何も分かっていないんですよ? 部屋だって荒らされてなかった訳ですし、自分で何処かに行った可能性の方が高い位です。だから、あまり思い詰めないで下さいね」
「そうだぞ愛子。こういう時に悪い方にばかり考えては駄目だ。気が付くべき事や、為すべき事を見落としてしまいかねないからな。それに、幸利は優れた術師だ。仮に何か不測の事態に遭遇したのだとしても、そう簡単にやられはしない。彼の先生である愛子が、自分の生徒を信じてやらなくてどうするんだ?」
元気の無い愛子に、そう声をかけたのは優花とデビッドだ。周りには他にも、毎度お馴染みの騎士達と淳史達がいる。彼等も口々に愛子を気遣う様な言葉をかけた。
愛ちゃん護衛隊の一人、清水幸利が失踪してから既に二週間と少し。愛子達は八方手を尽くして清水を探したが、その行方は杳として知れなかった。町中に目撃情報は無く、近隣の町や村にも使いを出して目撃情報を求めたが、全て空振りだった。
当初は事件に巻き込まれたのではと騒然となったのだが、清水の部屋が荒らされていなかった事、清水自身が"闇術師"という闇系魔法に特別才能を持つ天職を所持しており、他の系統魔法についても高い適性を持っていた事から、そうそうその辺の破落戸ごろつきにやられるとは思えず、今では自発的な失踪と考える者が多かった。
元々清水は大人しいインドアタイプの人間で、社交性もあまり高くなかった。クラスメイトにも特別親しい友人はおらず、愛ちゃん護衛隊に参加した事も驚かれた位だ。
そんな訳で、既に愛子以外の生徒は清水の安否より、それを憂いて日に日に元気が無くなっていく愛子の方が心配だった。護衛隊の騎士達に至っては言わずもがなである。
因みに王国と教会には報告済みであり、捜索隊を編成して応援に来る様だ。清水も魔術の才能に関しては召喚された者らしく極めて優秀なので、英字の時の様に上層部は楽観視していない。捜索隊が到着するまであと二、三日といったところだ。
次々とかけられる気遣いの言葉に、愛子は内心で自分を殴りつけた。事件に巻き込まれようが、自発的な失踪であろうが心配である事に変わりはない。しかしそれを表に出して、今傍にいる生徒達を不安にさせるどころか気遣わせてどうするのだと。「それでも自分はこの子達の教師なのか!」と、愛子は一度深呼吸するとペシッと両手で頬を叩き気持ちを立て直した。
「皆さん、心配かけてごめんなさい。そうですよね。悩んでばかりいても解決しません。清水君は優秀な魔法使いです。きっと大丈夫。今は、無事を信じて出来る事をしましょう。取り敢えずは、本日の晩御飯です! お腹いっぱい食べて、明日に備えましょう!」
無理しているのは丸分かりだが、気合の入った掛け声に生徒達も「は~い」と素直に返事をする。デビッド達はその様子を微笑ましげに眺めた。
カランカランッと音を立てて、愛子達は自分達が宿泊している宿の扉を開いた。ウルの町で一番の高級宿だ。名を"水妖精の宿"という。嘗て、ウルディア湖から現れた妖精を一組の夫婦が泊めた事が由来だそうだ。
なおウルディア湖は、ウルの町の近郊にある大陸一の大きさを誇る湖だ。大きさは日本の琵琶湖の四倍程である。
"水妖精の宿"は一階部分がレストランになっており、ウルの町の名物である米料理が数多く揃えられている。内装は落ち着きがあって、目立ちはしないが細部まで拘りが見て取れる装飾の施された重厚なテーブルやバーカウンターがある。また、天井には派手過ぎないシャンデリアがあり、落ち着いた空気に花を添えていた。
"老舗"──そんな言葉が自然と湧き上がる、歴史を感じさせる宿だった。
当初、愛子達は高級過ぎては落ち着かないと他の宿を希望したのだが、"神の使徒"、或いは"豊穣の女神"とまで呼ばれ始めている愛子や生徒達を普通の宿に泊めるのは外聞的に有り得ないので、騎士達の説得の末ウルの町における滞在場所として目出度く確定した。
元々王宮の一室で過ごしていた事もあり、愛子も生徒達も次第に慣れ、今ではすっかりリラックス出来る場所になっていた。農地改善や清水の捜索に東奔西走し疲れた体で帰って来る愛子達にとって、この宿で摂る米料理は毎日の楽しみになっていた。
全員が一番奥の専用となりつつあるVIP席に座り、その日の夕食に舌鼓を打つ。
「ああ、相変わらず美味しいぃ~。異世界に来てカレーが食べれるとは思わなかったよ」
「まぁ、見た目はシチューなんだけどな……。いや、ホワイトカレーってあったけ?」
優花が心の底から出た様な声音で宿の料理を絶賛すれば、同じ異世界版カレーを注文した淳史が記憶を探りつつ同意した。それに対し昇が、ホクホクのご飯の上に載った黄金でサックサクの衣を纏った各種揚げ物と、香ばしいタレで彩られた自らの料理を行儀悪く箸で指しながら感想を述べる。
「いや、それよりも天丼だろ? このタレとか絶品だぞ? 日本負けてんじゃない?」
「それは玉井君がちゃんとした天丼食べた事無いからでしょ? ホカ弁の天丼と比べちゃ駄目だよ」
「俺は炒飯擬き一択で。これやめられないよ」
「餃子っぽいのとセットメニューってのが何とも憎いよね。このお店開いた人、絶対日本人でしょ」
その感想に苦笑いを浮かべながら妙子が反論し、明人が炒飯擬きで頬をパンパンに膨らませ、その隣で餃子擬きを頬張っていた奈々が何とも疑わしい視線を店の奥に向ける。
極めて地球の料理に近い米料理に、毎晩優花達のテンションは上がりっぱなしだ。見た目や微妙な味の違いはあるのだが、料理の発想自体はとても似通っている。素材が豊富というのも、ウルの町の料理の質を押し上げている理由の一つだろう。米は言うに及ばず、ウルディア湖で取れる魚、北の山脈地帯の山菜や香辛料等もある。
そんな美味しい料理で一時の幸せを噛み締めている愛子達の下へ、六十代くらいの口髭が見事な男性がにこやかに近寄ってきた。
「皆様、本日のお食事は如何ですか? 何かございましたら、どうぞ遠慮なくお申し付け下さい」
「あ、オーナーさん」
愛子達に話しかけたのは、この"水妖精の宿"のオーナーであるフォス・セルオである。スっと伸びた背筋に、穏やかに細められた瞳、白髪交じりの髪をオールバックにしている。宿の落ち着いた雰囲気がよく似合う男性だ。
「いえ、今日もとてもおいしいですよ。毎日癒されてます」
愛子が代表してニッコリ笑いながら答えると、フォスも嬉しそうに「それはようございました」と微笑んだ。
しかし次の瞬間には、その表情を申し訳なさそうに曇らせた。いつも穏やかに微笑んでいるフォスには似つかわしくない表情だ。何事かと食事の手を止めて、皆がフォスに注目した。
「実は、大変申し訳ないのですが……香辛料を使った料理は今日限りとなります」
「えっ!? それって、もうこのニルシッシル(異世界版カレー)を食べれないって事ですか?」
カレーが大好物の優花がショックを受けた様に問い返した。
「はい、申し訳ございません。何分材料が切れまして……いつもならこの様な事が無い様に在庫を確保しているのですが。……ここ一ヶ月程北山脈が不穏という事で、採取に行く者が激減しております。つい先日も、調査に来た高ランク冒険者の一行が行方不明となりまして、ますます採取に行く者がいなくなりました。当店にも次にいつ入荷するかわかりかねる状況なのです」
「あの……不穏っていうのは具体的には?」
「何でも魔物の群れを見たとか……北山脈は山を越えなければ比較的安全な場所です。山を一つ越える毎に強力な魔物がいる様ですが、態々山を越えてまでこちらには来ません。ですが、何人かの者が居る筈の無い山向こうの魔物の群れを見たのだとか」
「それは心配ですね……」
愛子が眉を顰める。他の皆も若干沈んだ様子で互いに顔を見合わせた。フォスは「食事中にする話ではありませんでしたね」と申し訳なさそうな表情をすると、場の雰囲気を盛り返す様に明るい口調で話を続けた。
「しかしその異変も、もしかするともう直ぐ収まるかもしれませんよ」
「どういう事ですか?」
「実は、今日の丁度日の入り位に新規のお客様が宿泊にいらしたのですが、何でも先の冒険者方の捜索の為北山脈へ行かれるらしいのです。フューレンのギルド支部長様の指名依頼らしく、相当な実力者の様ですね。もしかしたら異変の原因も突き止めてくれるやもしれません」
愛子達はピンと来ない様だが、食事を共にしていたデビッド達護衛の騎士は一様に「ほぅ」と感心半分興味半分の声を上げた。
フューレンの支部長と言えばギルド全体でも最上級クラスの幹部職員である。その支部長に指名依頼されるというのは、相当どころではない実力者の筈だ。同じ戦闘に通じる者としては好奇心をそそられるのである。騎士達の頭には、有名な"金"クラスの冒険者がリストアップされていた。
愛子達がデビッド達騎士のざわめきに不思議そうな顔をしていると、二階へ通じる階段の方から声が聞こえ始めた。男の声と少女二人の声だ。何やら少女の一人が男に文句を言っているらしい。それに反応したのはフォスだ。
「おや、噂をすれば。彼等ですよ、騎士様。彼等は明朝にはここを出るそうなので、もしお話になるのでしたら、今のうちがよろしいかと」
「そうか、分かった。しかし随分と若い声だ、"金"にこんな若い者がいたか?」
デビッド達騎士は、脳内でリストアップした有名な"金"クラスに今聞こえている様な若い声の持ち主がいないので、若干困惑した様に顔を見合わせた。
そうこうしている内に、三人の男女は話ながら近づいてくる。
愛子達のいる席は三方を壁に囲まれた一番奥の席であり、店全体を見渡せる場所でもある。一応カーテンを引く事で個室にする事も出来る席だ。唯でさえ目立つ愛子達一行は、愛子が"豊穣の女神"と呼ばれる様になって更に目立つ様になった為、食事の時はカーテンを閉める事が多い。今日も、例に漏れずカーテンは閉めてある。
そのカーテン越しに、若い男女の騒がしめの会話の内容が聞こえてきた。
「もうっ、何度言えばわかるんですか。私を放置してユエさんと二人の世界を作るのは止めて下さいよぉ。ホント凄く虚しいんですよ、あれ。聞いてます? "英字"さん」
「だったらお前がユエを引き取ってくれ」
「んまっ! 聞きましたユエさん? "英字"さんが冷たい事言いますぅ」
「ん。"英字様"、もうちょっと優しくして」
「絶対仲良いだろお前達」
その会話の内容に、そして少女の声が呼ぶ名前に。愛子の、そして優花達の心臓が一瞬にして飛び跳ねる。
彼女達は今何といった? 少年を何と呼んだ? 少年の声は、"彼"の声に似てはいないか?
愛子の脳内を一瞬で疑問が埋め尽くし、金縛りにあった様に硬直しながら、カーテンを視線だけで貫こうとでも言う様に凝視する。
特に直接命を救われ、あの出来事に最も深く心を折られた優花の受けた衝撃は尋常ではなかった。カランッとスプーンを落とした音にも気付かない様子で、唯々呆然としている。
優花を含め淳史達生徒の脳裏には、およそ四ヶ月前に奈落の底へと消えていった"彼"の姿が浮かび上がっていた。自分達に"異世界での死"というものを強く認識させた少年。消したい記憶の根幹となっている少年。良くも悪くも目立っていた少年……。
尋常でない様子の愛子と生徒達に、フォスや騎士達が訝しげな視線と共に声をかけるが、誰一人として反応しない。騎士達が一体何事だと顔を見合わせていると、愛子がポツリとその名を零した。
「……七葉君?」
無意識に出した自分の声で、有り得ない事態に硬直していた体が自由を取り戻す。愛子は、椅子を蹴倒しながら立ち上がり、転びそうになりながらカーテンを引き千切る勢いで開け放った。
シャァァァ!!
存外に大きく響いたカーテンの引かれる音に、ギョッとして思わず立ち止まる二人の少女と、気にしていない様子で椅子に座り込む男。
愛子は、相手を確認する余裕も無く叫んだ。大切な教え子の名前を。
「七葉君!」
「ん? ………先生?」
愛子の目の前にいたのは、チラリと視線を寄越して意外そうな顔をしている、記憶と寸分違わぬ白髪の少年だった。
しかし雰囲気は大きく異なっている。愛子の知る七葉英字は、何時もどこかボーとして、なのに全てを見透かしている様にのらりくらりとした、穏やかな性格の大人しい少年だった。実は、苦笑いが一番似合う子と認識していたのは愛子の秘密である。
だが、目の前の少年はどこか近寄りがたい、鋭く重厚な雰囲気を纏っている。先程の話し方も、あまりに記憶と異なっており、実際に見聞きしなければ判らないだろう。
だが、目の前の少年は自分を何と呼んだのか。そう、"先生"だ。愛子は確信した。雰囲気も話し方も大きく変わってしまっているが、目の前の少年は、確かに自分の教え子である"七葉英字"であると!
「七葉君……やっぱり七葉君なんですね? 生きて……本当に生きて…」
「……」
死んだと思っていた教え子と奇跡の様な再会。感動して、涙腺が緩んだのか、涙目になる愛子。今まで何処にいたのか、一体何があったのか、本当に無事でよかった、と言いたい事は山程あるのに言葉にならない。それでも必死に言葉を紡ごうとする愛子。
生徒達は英字の姿を見て、信じられないと驚愕の表情を浮かべている。それは、生きていた事自体が半分、雰囲気の変貌が半分といったところだろう。だがどうすればいいのか分からず、ただ呆然と愛子と英字を見つめるに止まっていた。
一方で、英字はというと見た目冷静なように見えるが、内心では少しばかり焦っていた。まさか偶然知り合ったギルド支部長から持ち込まれた依頼で来た町で、偶然愛子やクラスメイトと再会するなどとは思っていなかったのだ。
と、そこで割り込んだのはパートナーを自称する少女。勿論残念キャラのウサミミではなく吸血姫の方である。ユエはツカツカと英字と愛子の傍に歩み寄ると、いつの間にか英字の腕を掴んでいた愛子の手を強引に振り払った。その際、護衛騎士達が僅かに殺気立つ。
「……離れて、英字様が困ってる」
「な、何ですか、あなたは? 今、先生は七葉君と大事な話を……」
「……なら、少しは落ち着いて」
冷めた目で自分を睨む美貌の少女に、愛子が僅かに怯む。二人の身長に大差はない。普通に見ればちみっ子同士の喧嘩に見えるだろう。しかし、常に実年齢より下に見られる愛子と見た目に反して妖艶な雰囲気を纏うユエでは、どうしても大人(ユエ)に怒られる子供(愛子)という構図に見えてしまう。
実際、注意しているのはユエの方で、彼女の言葉に自分が暴走気味だった事を自覚し頬を赤らめて英字からそっと距離をとり、遅まきながら大人の威厳を見せようと背筋を正す愛子は、背伸びした子供の様だった。
「すいません、取り乱しました。改めて、七葉君ですよね?」
今度は、静かな、しかし確信をもった声音で、真っ直ぐに視線を合わせながら英字に問い直す愛子。そんな愛子を見て、英字は一瞬誤魔化そうかと思ったが、確信を得ている以上誤魔化したところで何処までも追いかけて来るだろうと確信し、肯定した。
「ああ。久しぶりだな、先生」
「やっぱり、やっぱり七葉君なんですね……生きていたんですね……」
再び涙目になる愛子に、英字は静かに笑い肩を竦めた。
「あの程度の事で死んでたまるか」
「よかった ……本当によかったです」
それ以上言葉が出ない様子の愛子を一瞥すると、英字は、生徒達の後ろに佇んで事の成り行きを見守っているフォスを手招きする。
それ以上言葉が出ない様子の愛子を一瞥すると、英字は生徒達の後ろに佇んで事の成り行きを見守っているフォスを手招きする。
「ええと、英字さん。いいんですか? お知り合いですよね? 多分ですけど……元の世界の……」
「まぁ流石にいきなり現れた時は驚いたが、それだけだ。それよりもだ、元々ここには晩御飯を食べに来たんだ、さっさと注文するぞ。ここにはニルシッシルという料理があるそうでな、どうやらそれが、私の知るカレーという料理と似た物らしい。想像した通りの味ならとても嬉しいんだが……」
「……なら、私もそれにする。英字様の好きな味知りたい」
「あっ、そういう所でさり気無いアピールを……流石ユエさん。という訳で私もそれにします。店員さぁ~ん、注文お願いしまぁ~す」
最初は愛子達をチラチラ見ながらおずおずしていたシアも、英字がそう言うならいいかと意識を切り替えて、困った笑みで寄って来たフォスに注文を始めた。
だが当然、そこで待ったがかかる。英字があまりにも自然に何事も無かった様に注文を始めたので再び呆然としていた愛子が息を吹き返し、ツカツカと英字のテーブルに近寄ると「先生、怒ってます!」と実に判りやすい表情でテーブルをペシッと叩いた。
「七葉君、まだ話は終わっていませんよ。なに、物凄く自然に注文しているんですか。大体、こちらの女性達はどちら様ですか?」
愛子の言い分はその場の全員の気持ちを代弁していたので、漸く英字が四ヶ月前に亡くなったと聞いた愛子の教え子であると察した騎士達や、愛子の背後に控える生徒達も皆一様に「うんうん」と頷き英字の回答を待った。
英字は少し面倒そうに眉を顰めるが、どうせ答えない限り愛子が喰い下がり、落ち着いて食事も出来ないだろうと考え仕方なく視線を愛子に戻した。
「依頼を受けてから無休でここまで来たんだ、食事位ゆっくりさせてくれ。それと彼女達は……」
英字が視線をユエとシアに向けると、二人は英字が話す前に、愛子達にとって衝撃的な自己紹介した。
「……ユエ」
「シアです」
「英字様の女」「英字さんの女ですぅ!」
「お、女?」
愛子が若干どもりながら「えっ? えっ?」と英字と二人の美少女を交互に見る。上手く情報を処理出来ていないらしい。後ろの生徒達も困惑したように顔を見合わせている。いや、男子生徒は「まさか!」と言った表情でユエとシアを忙しなく交互に見ている。徐々に、その美貌に見蕩れ顔を赤く染めながら。
直後、ガンッゴンッという嫌な音が響き渡る。
「だから、何度言えば理解出来るんだお前達は」
「……英字様、ホントに痛い……」
「せめてもう少し手心を……!」
「加えた結果だ、我慢しろ」
英字が呆れた顔で二人の脳天に拳骨を落としていた。
一方、その光景(見様によってはじゃれてる様に見える)を見せられた愛子の頭の中では、英字が二人の美少女を両手に侍らして高笑いしている光景が再生されている様だった。表情がそれを物語っている。
「七葉君!!」
顔を真っ赤にして三人の会話を遮る愛子。その顔は、非行に走る生徒を何としても正道に戻してみせるという決意に満ちていた。そして、"先生の怒り"という特大の雷がウルの町一番の高級宿に落ちる。
「ふ、二股なんて! 直ぐに帰ってこなかったのは、遊び歩いていたからなんですか!? もしそうなら……許しません! ええ、先生は絶対許しませんよ! お説教です! そこに直りなさい、七葉君!」
きゃんきゃんと吠える愛子を尻目に、面倒な事になったと英字は深い深い溜息を吐くのであった。
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