ありふれぬ欲望の魔王はやはり世界最強   作:エルドラス

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第七十話 決死の逃亡

場所は八十九層の最奥付近の部屋。

 

その正八角形の大きな部屋には四つの入口がある。しかし現在は、そのうちの二つの入口の間にもう一つ通路が存在しており、奥には十畳程の大きさの隠し部屋があった。入口は上手くカモフラージュされて閉じられている。

 

そこでは、光輝達が思い思いに身を投げ出し休息をとっていた。尤も、その表情は一様に暗い。深く沈んだ表情で顔を俯かせる者ばかりだ。満身創痍であるが故に、苦痛に表情を歪めている者も多い。

 

いつもならそのカリスマを以て皆を鼓舞する光輝も、"限界突破"の副作用により全身を酷い倦怠感に襲われており、壁に背を預けたまま口を真一文字に結んで黙り込んでいる。

 

そしてこういう時、いい意味で空気を読まず場を盛り上げてくれるクラス一のムードメーカーは、血の気の引いた青白い顔でやはり苦痛に眉根を寄せながら荒い息を吐いて眠ったままだった。その事実も、光輝達が顔を俯かせる理由の一つだろう。

 

鈴の下半身は膝から下がまだ石化しており、香織が継続して治療に当たっていた。

 

太腿の貫通痕は既に完治している。後は石化を解除するだけだ。しかし運悪く、鈴が受けた触手の攻撃は彼女の体から大量の血を失わせた。恐らく重要な血管を損傷したのだろう、香織だからこそ治療が間に合ったと言える。

 

尤も、いくら香織でも鈴が失った大量の血を直ぐ様補充する事は出来ない。精々、異世界製増血薬を飲ませるくらいが限界だ。なので、鈴の体調が直ぐに戻るという事は無いだろう。どうしても安静が必要だった。

 

香織が鈴にかかりきりになっているため、他の者はまだ治療を受けていない。当然、オブジェの如く置かれている斎藤と近藤の石化した彫像もそのままだ。鈴の治療が終わっても次は彼等の番なので、自分達が治療を受けられるのはまだ先であると分かっているメンバーは極一部を除いて特に文句を言う素振りはない。単にその気力もないだけかもしれないが。

 

薄暗い即席の空間に漂う重苦しい空気に、何とか仲間を鼓舞しなければと雫が眉間に皺を寄せながら頭を捻る。

 

元来、雫はどちらかと言えば寡黙な方なので、鈴の様に場を和ませるのは苦手だ。しかし光輝が"限界突破"と敗戦の影響で弱体化して使い物にならない以上、自分が何とかしなければならないだろうと生来の面倒見の良さから考えているのだ。実に苦労人思考である。

 

尤も雫自身、肉体的にも精神的にも限界が近い事に変わりない。

 

その為段々頭を捻るのも面倒になってきた雫が、もういっその事空気を読まずに玉砕覚悟の一発ギャグでもかましてやろうかとちょっと壊れ気味な事を考えていると、即席通路の奥から野村と辻が話をしながら現れた。

 

「ふぅ、何とか上手くカモフラージュ出来たと思う。流石にあんな繊細な魔法行使なんてした事無いから疲れたよ。……もう限界」

「壁を違和感なく変形させるなんて領分違いだものね。……一から魔法陣を構築してやったんだから無理もないよ。お疲れ様」

「そっちこそ、石化を完全に解くのは骨が折れたろ? お疲れ様」

 

二人の会話から分かる様に、この空間を作成し入口を周囲の壁と比べて違和感が無い様にカモフラージュしたのは野村だった。

 

"土術師"は土系統の魔法に対して高い適性を持つが、土属性の魔法は基本的に地面を直接操る魔法であり、"錬成"の様に加工や造形の様な繊細な作業は出来ない。例えば地面を爆ぜさせたり、地中の岩を飛ばしたり。土を集束させて槍状の棘にして飛ばしたり、砂塵を操ったり。上級になれば石化やゴーレム(自立性の無い完全な人形)を扱える様になるが、様々な鉱物を分離したり掛け合わせたりして物を作り出す様な事は出来ないのだ。

 

なので、手持ちの魔法陣で大雑把に壁に穴を開ける事は出来るが、周囲と比べて違和感のない壁を"造形"する事は完全に領分外であり、野村は一から魔法陣を構築しなければならなかったのである。

 

尚、辻が野村について行ったのは、野村の石化したままだった腕を治療する為だ。

 

「お疲れ様、野村君。これで少しは時間が稼げそうね」

「……だといいんだけど。もう、ここまで来たら回復するまで見つからない事を祈るしかないな。浩介の方は……あっちも祈るしかないか」

「……浩介なら大丈夫だ。影の薄さでは誰にも負けない」

「いや、重吾。それ、聞いてるだけで悲しくなるから口にしてやるなよ……」

 

隠れ家の安全性が増したという話に、沈んだ空気が僅かに和らいだ気がして、とんだ黒歴史を作りそうになった雫は頬を綻ばせて野村を労った。それに対して野村は苦笑いしながら、今はここにいないもう一人の親友の健闘を祈って遠い目をする。

 

 

 

そう。今この場所には、遠藤がいないのである。

 

 

 

遠藤はたった一人、仲間の下を離れてメルド団長達に事の次第を伝えに行ったのだ。

 

本来なら、いくら異世界から召喚されたチートの一人でも、八十台の階層を単独で走破するなど自殺行為だ。光輝達が少し余裕をもって攻略できたのも、十五人という仲間と連携して来たからである。

 

しかしただ一人。遠藤だけは、裏技とも言うべき彼にしか出来ない方法で走破出来る可能性があった。

 

そう。特に口下手な訳でも暗い訳でもなく、誰とでも気さくに話せるごく普通の男子高校生なのに、いつの間にか誰もがその姿を見失い、「あれ? アイツどこいった?」と周囲を意識して見渡すと、実はすぐ横にいて驚かせるという、本人が全く意図しない神出鬼没スキルを地球にいた頃から発揮していた遠藤なら、「影の薄さでは世界一ぃ!」と胸を張れそうなあの男なら、"隠形"技能をフル活用して、魔物達に見つからずメルド団長達のいる七十階層に辿り着ける可能性があったのだ。

 

しかも、この世界で技能や魔法に目覚めてから、遠藤の影の薄さには磨きがかかっている。現在の才能の上に鍛え上げられた影の薄さなら、大迷宮の魔物だって「あれ? 今誰か通ったっけ?」と見逃す筈。そう考えて、光輝達は遠藤を送り出したのである。

 

別れる時、遠藤は少し涙目だったが……。

 

きっと、仲間を置いて一人撤退する事に忸怩たるものがあったに違いない。例え説得の言葉として「お前の影の薄さなら鋭敏な感覚を持つ魔物だって気づかない!」とか、「影の薄さで誰がお前に勝てるんだ!」とか、「私なんてこの前、遠藤君の名前だって直ぐに出てこなかったんだよ! 絶対に大丈夫!」とか、「俺なんか、昨日もお前の事忘れてたぜ!」等と仲間から口々に言われたからではない筈だ。

 

本当なら、光輝達も直ぐにもっと浅い階層まで撤退したかったのだが、如何せんそれを為すだけの余力が無かった。満身創痍のメンバーに、戦闘不能が三人、弱体化中の光輝……とても八十台の階層を突破出来るとは思えなかったのだ。

 

勿論、メルド団長達が救援に来られるとは思っていない。

 

メルド団長を含め七十層で拠点を築ける実力を持つのは六人。彼等を中心にして、次ぐ実力をもつ騎士団員やギルドの高ランク冒険者達の助力を得て、安全マージンを考えないという条件付きなら七十台階層の後半位迄は来れるだろうが、それ以上は無理だ。仮にそこまで来てくれたとしても、八十台階層は光輝達が自力で突破しなければならない。

 

つまり、遠藤を一人行かせたのは救援を呼ぶ為では無く、自分達の現状と魔人族が率いる魔物の情報を伝える為なのだ。

 

光輝達は確かに聖教教会の教皇イシュタル等から魔人族が魔物を多数、それも洗脳など既存の方法では無く明確な意志を持たせて使役するという話を聞いていたが、あれ程強力な魔物とは聞いていなかった。驚異なのは個体の強さではなく"数"だった筈なのだ。

 

にも拘らず、実際魔人族が率いていたのは前人未到のオルクス大迷宮九十階層レベルの魔物を苦もなく一掃し、光輝達チート持ちを圧倒出来る魔物達だった。そんな事が抑々可能なら、もっと早く人間族は滅ぼされていてもおかしくない。

 

つまりイシュタルの情報はあの時点では間違っていなかったのであり、結論としては魔人族の率いる魔物は、"強力になっている"という事だ。

 

"数"に加えて個体の"強さ"も脅威となった。この情報は、何が何でも確実に伝えなければならないと光輝達は判断したのである。

 

「白崎さん、近藤君と斉藤君の石化解除は任せるね。私じゃあ時間がかかりすぎるから。代わりに他の皆の治癒は私がするからさ」

「うん、わかった。無理しないでね、辻さん」

「平気平気。というかそれはこっちのセリフだって……ごめんね。私がもっと出来れば、白崎さんの負担も減らせるのに……」

 

野村達が話している傍らで、魔力回復薬をゴクゴクと喉を鳴らしながら服用する辻が鈴の治療を続ける香織にそんな事を言った。

 

同じ"治癒師"でありながら、香織と比べると大きく技量の劣る辻は、表面上は何でもない様に装っているが、内心では自分への情けなさと香織にばかり負担をかける事への申し訳無さでいっぱいだった。

 

「そんな事はない」と首を振る香織に苦笑いを返しながら、仲間の治療に向かう辻。彼女の治療により癒されていく仲間達の顔からは少しだけ暗さが消えた。

 

そんな辻を、何とも言えない表情で見つめている野村だったが、治療の邪魔になるかと思い声はかけなかった。

 

「……こんな状況だ、伝えたい事があるなら伝えておけ」

「……うっせぇよ」

 

永山がどこか面白がる様な表情で野村にそんな事をいうが、本人は不貞腐れた様に顔を背けるだけだった。それから数十時間。光輝達は、交代で仮眠を取りながら少しずつ体と心を癒していった。

 

 

 

一方、一人撤退と魔人族の情報伝達を託された遠藤は、ただの一度も戦闘をせず全ての魔物をやり過ごしながらメルド団長達のいる七十階層を目指して着実に歩みを進めていた。

 

八十台階層で魔物に気づかれれば、一対一ならどうにかなるが複数体ならアウトだ。その為できる限り急ぎつつ、それでも細心の注意を払って進んでいた。そのお陰で、今も魔物が眼前を通り過ぎていくのを見送る事が出来た。

 

魔物が完全に見えなくなった後、遠藤は張り付いていた天井からスタッと地に降り立った。"隠形"を最大限に生かす為の全身黒装束姿は、正に"暗殺者"だ。

 

きっと先程眼前を通り過ぎた魔物も、天井から奇襲をかければ気づかせる事無く相当深いダメージを与えられただろう。内心、「……少しくらい、気配を感じてくれてもいいんだよ?」とか思っていない。全く気付かずに通り過ぎた魔物を見て、目の端に光るものが溢れたりもしていない。断じて。

 

「急がないと……」

 

遠藤は、自分が課せられた役割を理解している。そして光輝達が、情報の伝達以外にもそのまま生き延びろという意味合いを含めて送り出してくれた事も察していた。永山と野村の「戻ってくるなよ」という想いは、言葉に出さずとも伝わっていたのだ。

 

だがそれでも。役目を果たした後、遠藤は光輝達の下に戻るつもりだった。何と言われようと、このまま自分だけ安全圏に逃げて、のうのうとしている事など出来なかったのだ。

 

遠藤は自分に気が付かない魔物に若干虚しさを覚えながらも、今はそれが最大の武器になっているのだと自分に言い聞かせつつ、頭に叩き込んである帰還ルートを辿って遂に七十階層に辿り着いた。

 

逸る気持ちを抑えながら、メルド団長達が拠点を構える転移陣のある部屋に向かう。暫くすると、遠藤の気配感知に六人分の気配が感知された。間違いなくメルド団長達だ。"隠形"を解いたので、距離的に向こうも気づいた筈である。

 

遠藤は最後の角を曲がり、メルド達のいる転移部屋に出た。しかし、既に完全に姿を見せているのにメルド達は特に気が付く気配が無い。遠藤は死んだ魚みたいな目をしながらメルドに近づき、声を張り上げた。仲間の危機に焦る気持ちと、「自分に気付いてプリーズ」という想いを込めて。

 

「団長! 俺です! 気づいてください! 大変なんです!」

「うおっ!? 何だ!? 敵襲かっ!?」

 

遠藤が声を張り上げた瞬間、メルドがそんな事を言いながら剣を抜いて飛び退り、警戒心たっぷりに周囲を見渡した。他の騎士達も、一様にビクッと体を震わせて戦闘態勢に入っている。

 

「だから俺ですって! マジそういうの勘弁して下さい!」

「えっ? ……って、浩介じゃないか。驚かせるなよ。ていうか他の連中はどうした? それに、何かお前ボロボロじゃないか?」

「ですから、大変なんです!」

 

メルド団長達は相手が遠藤だと分かると、彼の影の薄さは知っていたのでフッと肩の力を抜いた。

 

しかし戻ってくるには少々予定より早い事と、遠藤が一人である事、そして、その遠藤が満身創痍と言ってもいい位ボロボロである事から、直ぐ様何かがあったと察して険しい表情になった。

 

遠藤は、王国最精鋭の騎士達にすら声をかけないとやっぱり気付かれないという事実に地味に傷つきながら、そんな場合ではないと思い直し、事の次第を早口で語り始めた。

 

最初は訝しげな表情をしていたメルド達だったが、遠藤の話が進むにつれて表情が険しさを増していく。

 

そしてたった一人逃がされた事に、話しながら次第に心を締め付けられたのか、涙を零す遠藤の頭をグシャグシャと撫で回した。

 

「泣くな、浩介。お前はお前にしか出来ない事をやり遂げんたんだ。他の誰がそんな短時間で一度も戦わずに二十層も走破できる? お前はよくやった、よく伝えてくれた」

「団長……俺、俺はこのまま戻ります。アイツらは自力で戻るって言ってたけど……今度は負けないって言ってたけど……。天之河が"限界突破"を使っても倒しきれなかったんだ、逃げるので精一杯だったんだ。皆かなり消耗してるし、傷が治っても……今度襲われたら……、あのクソったれな魔物だってあれで全部かは分からないし……だから、先に地上に戻って、この事を伝えて下さい」

 

泣いた事を恥じる様に袖で目元をぐしぐしと擦ると、遠藤は決然とした表情でメルドに告げた。

 

メルドは悔しそうに唇を噛むと、自分の持つ最高級の回復薬全てを、それの入った道具袋ごと遠藤に手渡した。他の団員達もメルドと同じく、悔しそうに表情を歪めて自らの道具袋を遠藤に託した。

 

「すまないな、浩介。一緒に助けに行きたいのは山々だが……私達じゃあ、足手纏いにしかならない……」

「あ、いや、気にしないで下さいよ。大分薬系も少なくなってるだろうし、これだけでも助かります」

 

そう言って、回復薬の類が入った道具袋を振りながら苦笑いする遠藤だったが、メルドの表情は、寧ろ険しさを増した。それは、助けに行けない悔しさだけでなく、苦渋の滲む表情だった。

 

「……浩介。私は今から、最低な事を言う。軽蔑してくれて構わないし、それが当然だ。だが、どうか聞いて欲しい」

「えっ? いきなり何を……」

「……何があっても、"光輝"だけは連れ帰ってくれ」

「え?」

 

メルドの言葉に、遠藤がキョトンとした表情をする。

 

「浩介。今のお前達ですら窮地に追い込まれる程魔物が強力になっているというのなら…光輝を失った人間族に未来はない。勿論、お前達全員が切り抜けて再会できると信じているし、そうあって欲しい……だが。それでも私は、ハイリヒ王国騎士団団長として言わねばならない。万一の時は、"光輝"を生かしてくれ」

「……」

 

漸く、メルドの意図を察した遠藤が唖然とした表情をする。

 

それは、より重要な誰かを生かす為の犠牲の発想。上に立つ者がやらなければならない"選択"だ。遠藤に出来る考え方では無かった。それ故に、遠藤の表情は酷く暗いものになっていく。

 

「……俺達は、天之河のおまけですか?」

「断じて違う。私とて、全員に生き残って欲しいと思っているのは本当だ。……いや、こんな言葉に力は無いな。浩介、せめて今の言葉を雫と龍太郎には伝えて欲しい」

「……」

 

遠藤は、メルドの言葉に暗く澱んだ気持ちになった。

 

メルドと遠藤達が過ごした時間は長く濃密だ。右も左も分からない頃から常に傍らにいて、ずっと共に戦ってきたのだ。特に、前線に出ている生徒達からすればメルドは兄貴的な存在で、この世界の者では誰よりも信頼している人物だった。

 

だからこそ遠藤は、自分を切り捨てる様な事を言うメルドに裏切られた様な気持ちになったのだ。それでも、頭の片隅ではメルドの言う事が必要な事だと理解もしており、衝動のまま罵る事は出来なかった。遠藤は、暗い表情のままコクリと頷くだけで踵を返した。

 

が、その瞬間……

 

「浩介ッ!」

「えっ!?」

 

メルドが突然浩介を弾き飛ばすと、ギャリィイイ!! という金属同士が擦れ合う様な音を響かせて、円を描く様にその手に持つ剣を振るった。そして、そのままくるりと一回転すると遠心力をたっぷり乗せた見事な回し蹴りを揺らめく空間・・・・・・に放った。

 

ドガッ!

 

そんな肉を打つ様な音を響かせて、揺らめく空間は後方へと吹き飛ばされる。そして五メートル程先で、地面に無数の爪痕が刻み込まれた。爪を立てて減速したのだろう。それを見て、地面に尻餅を付いていた遠藤は顔を蒼褪めさせて呟く。

 

「そ、そんなっ! もう追いついて……」

 

その言葉がまるで合図となったかの様に、ゾロゾロと遠藤達を追い詰めた魔物達が現れた。遠藤は予想外に早く追いつかれた事に動揺して、尻餅を付いたままだ。

 

ここに来るまでの間、"暗殺者"の技能を使って気配や臭い、魔力残滓等の痕跡を消しながら移動してきた。女魔人族が光輝達を探しながら移動する以上、一直線に駆け抜けた遠藤にこんなに早く追いつく筈が無かったのだ。

 

そんな遠藤の疑問は、続いて現れた悪夢の様な女によって解消される事になった。

 

「チッ。一人だけか……逃げるなら転移陣のあるこの部屋まで来るかと思ったんだけど……様子から見て、どこかに隠れた様だね」

 

髪を苛立たしげに掻き上げながら、四つ目狼の背に乗って現れた女魔人族に、メルド達が臨戦態勢になる。

 

彼女の言葉からすると、どうやら光輝達が一目散に転移陣へと逃げ込むと考えて、捜索せずに一直線にやって来たらしい。予想が外れて光輝達を探さねばならない事に苛立っている様だ。

 

それは同時に、光輝達がまだ無事であるという事でもある。遠藤もメルド達も僅かではあるがホッとした様に頬を緩めた。それに目敏く気が付いた女魔人族が、鼻を鳴らして嗤う。

 

「まぁ、本来の任務もあるし……さっさとアンタ等始末して探し出すかね」

 

直後、一斉に魔物が飛び出した。

 

キメラが空間を揺らめかせながら突進し、黒猫が疾風となって距離を詰める。ブルタール擬きがメイスを振りかぶりながら迫り、四つ目狼が後方より隙を覗う。

 

「円陣を組め! 転移陣を死守する! 浩介ッ! いつまで無様を晒している気だ! さっさと立ち上がって……逃げろ! 地上へ!」

「えっ!?」

 

流石王国の最精鋭と思わず称賛したくなる程迅速な陣組みと連携で、襲い来る魔物の攻撃を凌ぐメルド団長達。事前に遠藤から魔物の話を聞いていた事から、自分達では攻撃力不足だと割り切り、徹底的に防御と受け流しを行っている。

 

遠藤はメルドの「地上へ逃げろ」という言葉に、思わず疑問の声を上げた。

 

逃げるなら一緒に逃げればいいし、どうせこの場を離脱するなら地上ではなく光輝達の下へ戻って団長の言葉を伝える役目があると思ったからだ。

 

「ボサっとするな! 魔人族の事を地上に伝えろ!」

「で、でも、団長達は……」

「我らは……ここを死地とする! 浩介! 向こう側で転移陣を壊せ! なるべく時間は稼いでやる!」

「そ、そんな……」

 

メルドの考えは明確だ。

 

地上へ逃げるにしても、誰かが僅かでも時間を稼がねば直ぐに魔物達も転移してしまうだろう。そうなれば、追っ手を撒く方法が無くなってしまい、追いつかれて殺される可能性が高い。

 

故に、一人を逃がして残り全員で時間稼ぎをするのがベストなのだ。

 

時間を稼げれば、対となる三十層の転移陣を一部破壊する事で、完全に追っ手を撒ける。転移陣は直接地面に掘り込んであるタイプなので、"錬成"で簡単に修復できる。逃げ切って地上の駐屯部隊に事の顛末を伝えた後、再び光輝達が使える様に修復すればいい、という訳だ。

 

そして、その逃げる一人に選ばれたのが遠藤なのだ。

 

遠藤は先程、光輝以外の自分達を切り捨てる様な発言をしたメルドが、今度は自分達を犠牲にして遠藤一人を逃がそうとしている事に戸惑い、それ故に行動を起こせずにいた。

 

そんな遠藤に、激しい戦闘を繰り広げるメルドの心根と願いが、雄叫びとなって届けられる。

 

「無力ですまない! 助けてやれなくてすまない! 選ぶ事しか出来なくてすまない! 浩介、不甲斐ない私だが最後の願いだ! 聞いてくれ!」

 

戸惑う遠藤に、兄貴の様に慕った男から最後だという願いが届く。

 

 

「生きろぉ!」

 

 

その言葉に、遠藤は理解する。

 

メルドが本当は、遠藤達の誰にも死んで欲しくないと思っている事を。誰かを犠牲にして誰かを生かすなら、自分達が犠牲となり光輝に限らず生徒達全員を生かしたいと思っていた事を。自分に告げた"選択"が、どれだけ苦渋に満ちたものだったかを。

 

遠藤はグッと唇を噛むと、全力で踵を返し転移陣へと向かった。ここでメルド団長の思いと覚悟に応えられなければ、男ではないと思ったからだ。

 

「させないよ!」

 

女魔人族が、黒猫を差し向けつつ自らも魔術を放った。黒猫が背中の触手を弾丸の様に豪速で射出し、更に石の槍が殺意の風に乗って空を疾駆する。

 

遠藤はどうにか触手をダガーで切り払い身を捻りながら躱すが、続く石の槍までは躱しきれそうになかった。予め触手の位置を計算した様に絶妙なタイミングと方向から連続して飛来したからだ。

 

遠藤は歯を食いしばって衝撃に備えた。例え攻撃を食らっても、走り続けてそのまま転移陣に飛び込んでやるという気概をもって。

 

だが、予想した衝撃はやって来なかった。騎士団員の一人が円陣から飛び出し、その身を盾にして遠藤を庇ったからだ。

 

「ア、アランさん!」

「ぐふっ……いいから気にせず行け!」

 

腹部に石の槍を突き刺したまま、剣を振るって襲い来る魔物の攻撃を逸していくアランと呼ばれた騎士は、ニッと実に男臭い笑みを浮かべて遠藤にそう言った。遠藤は噛み切る程唇を強く噛み締めて、転移陣へと駆ける。

 

「チッ! 雑魚のくせに粘る! お前達、あの少年を集中して狙え!」

 

女魔人族が少し焦った様に改めてそう命じるが……既に遅かった。

 

「ハッ、私達の勝ちだ! ハイリヒ王国の騎士を舐めるな!」

 

メルドが不敵な笑みを浮かべながらそう叫ぶと同時に、遠藤が転移陣を起動しその姿を消した。

 

女魔人族はメルドの言葉を無視して、魔物を突っ込ませる。魔物は直接魔力を操れるので、面倒な起動詠唱をする事も無く転移陣を起動出来、それ故今ならまだ間に合うと考えたからだ。しかし……

 

「舐めるなと言っている!」

 

メルド達が光輝達には無い巧みな技と連携、そして経験から来る動きで魔物達を妨害する。多勢に無勢でありながら、その防御能力と粘り強さは賞賛に値するものだった。

 

尤も、メルド団長達がいくら死力を尽くしたところで相対する魔物の数と強さは異常の極み。そう長く保つ訳も無く、まず腹を石の槍で貫かれていた騎士アランが遂に力尽きて、魔物の攻撃に踏ん張りきれずバランスを崩し膝を突いた。その綻びから、キメラの一体が防衛線を突破し転移陣に到達する。

 

キメラが消えるのと、魔法陣が輝きを失うのは同時だった。

 

「くっ、一体送られてしまったか……浩介……死ぬなよ」

 

メルド団長の呟きは魔物の咆哮にかき消された。遠藤を逃した事の腹いせに女魔人族がメルド団長達に魔物達を一斉に差し向けたからだ。

 

「フッ、ここを死地と定めたのなら最後まで暴れるだけだ。お前達、ハイリヒ王国騎士団の意地を見せてやれ!」

「「「「「応!」」」」」

 

メルド団長の号令に、部下の騎士達が威勢のいい雄叫びを以て応える。その雄叫びに込められた気迫は、一瞬とはいえ周囲の魔物達を怯ませる程のものだった。

 

……その十分後、転移陣のある七十層の部屋に再び静寂が戻った。

 

「うわぁあああーっ!!」

 

そんな悲鳴とも雄叫びとも付かない叫び声を上げながら、オルクス大迷宮三十階層の転移陣から飛び出した遠藤は、直ぐ様ダガーを振りかぶり足元の魔法陣の破壊を試みた。

 

「な、何だ!? ってお前! 何をする気だ!」

「やめろ!」

「取り押さえろ!」

 

転移陣から現れた黒装束の少年が、いきなり雄叫びを上げながら手に持つ短剣で魔法陣を傷付け始めた事に一瞬呆然とするも、周囲の騎士団の正装をした者達が怒号を上げながら遠藤に飛びかかりその破壊活動を妨害する。

 

彼等はメルド団長の部下で、三十階層側の転移陣を保護する役目を負った者達だ。実力不足で、三十階層での警備が限界な者達でもある。

 

一撃で魔法陣を破壊出来なかった遠藤が二撃、三撃と加えあと一歩で陣の一部を破壊出来るというところで、辛くも魔法陣破壊を阻止する事が出来た。……出来てしまった。

 

「放せ! 早く壊さないと奴等が! 放せ!」

「なっ、君は勇者一行の!? 何故、君が……」

 

狂乱とも言える行為を行った人物がよく見知った勇者の仲間の一人と分かり、驚愕の声を漏らしながら思わず手を緩める団員達。その隙に再度ダガーを振りかぶって魔法陣の一部を破壊しようと遠藤だったが、一歩遅かった。

 

魔法陣が再び輝き起動する。そして次の瞬間には、遠藤達に揺らめく空間が襲いかかった。

 

「くそっ! アンタ達下がれっ!」

「何が!? ぐぅあああ!!」

 

遠藤は咄嗟に警告を飛ばしながらその場を飛び退り、辛くもキメラの一撃を回避した。だが、事態が飲み込めない団員の一人は回避など出来る筈も無く、無防備なままキメラの爪の一撃を受け、鎧ごとその胴体を深々と切り裂かれてしまった。

 

いきなり血飛沫を上げて絶命した同僚に、動揺を露わにする団員達。そんな彼等に、遠藤は必死さと焦燥の滲む声音で叫んだ。

 

「敵だ! 揺らぐ空間に気をつけろ! 魔法陣を破壊しないとどんどん出てくるぞ!」

 

その絶叫とも言うべき遠藤の声に、団員達がハッと我を取り戻す。が、その時には更に一人が切り裂かれながら吹き飛ばされた。

 

三十階層の転移陣の警備をしている団員は全部で七名。その内、既に二人も殺られてしまった。

 

遠藤はその事実に歯噛みしながら、"暗殺者"の技能"影舞"を利用して天井に駆け上がり、頭上から魔法陣の破壊を狙う。しかし、それに気が付いたキメラが跳躍して迎撃しようとした。

 

「くそっ、何なんだこの魔物!?」

 

団員達は訳が分からないなりに、今やらねばならない事を察して遠藤に襲いかかるキメラに飛びかかった。

 

しかし彼等には、キメラが揺らぐ空間にしか見えておらず、当然どの様な攻撃方法を持っているのか、警戒すべきものは何なのか何も分かっていない。

 

その為、キメラの背後から飛びかかった者は蛇の尾に首を噛み切られ、真横から挑んだ者は翼によって強かに打ち据えられて地面に叩きつけられた。

 

それでも全く無駄だった訳ではなく、キメラが若干バランスを崩した為に遠藤は危ういところでその爪牙を躱す事が出来た。完全に回避は出来なくて肩と脇腹を抉られたが、交差する様に蛇尾を切り裂いて地面に落下する。

 

キメラが翼をはためかせてバランスを取り戻し少し離れた地面に着地するのと、遠藤が肩から地面に叩きつけられつつも直ぐに起き上がり先に傷つけた転移陣に向かってダガーを振りかぶるのは同時だった。

 

キメラが着地の反動を利用して、凄まじい速度で遠藤の息の根を止めようと駆け出す。

 

だがその時には既に、遠藤のダガーが渾身の力をもって魔法陣に突き刺さった。パァン! と、そんな柏手の様な澄んだ音が響き渡る。それは、魔法陣が破壊された証拠だ。魔法陣の転移の際に使われた魔力残滓が霧散したのだ。

 

「これでっ……、がぁ、あぁあああああ!!!??」

 

転移陣の破壊に成功し、これ以上の追っ手はないと思わず安堵の吐息を漏らす遠藤だったが、次の瞬間には右腕にキメラの牙が喰い込み、その激痛に絶叫を上げた。強靭な顎がそのまま遠藤の右腕を噛み千切ろうとする。

 

「させるかっ!」

「彼から引き離せ!」

 

それを、駆けつけた騎士達が突進力をそのままに渾身の一撃を打ち込む事で阻止する。横腹を何らかの強化を掛けられた短槍で貫かれ、思わず顎の力が緩むキメラ。

 

その瞬間に遠藤は右腕を引き抜き、左の袖に隠してあった投擲用ナイフを滑らせる様に取り出して、返り血で姿を露わにしたキメラの眼に突き刺した。

 

痛みに暴れるキメラが、止めを刺そうと接近した騎士達を更に二人切り裂いて絶命させる。遠藤は投擲用ナイフを投げつけるが、キメラは片目を失いながらも野生の勘で回避した。

 

その直後、いきなり騎士の一人が悲鳴を上げる。

 

思わずそちらに顔を向けると、先程地面に叩き落とされた騎士の首に切断されて尚生きていた蛇が噛み付いている光景が目に入った。騎士は噛まれた部分の皮膚を紫に変色させると苦しそうに身悶え、瞬く間に絶命した。

 

「畜生っ!」

それを見て、最後の騎士が蛇を殺そうと駆け出すが、それは致命的なミスだった。キメラは自分に背を向けた敵に気がついた様で、直ぐ様襲いかかった。遠藤は満身創痍になりながら、それでも最後の力を振り絞って今正に騎士に襲いかかろうとしているキメラの首目掛けて必殺の一撃を放つ。

 

「死ねぇええええ!!」

 

仲間と引き離された事、メルド達を置き去りさせられた事、知り合いの団員達を殺された事、その他にも様々な怨嗟を込めた雄叫びと共に放たれた致命の一撃は、十全にその力を発揮してキメラの首を項から切り裂き一瞬で絶命させた。

 

慣性の法則に従い、絶命したキメラと横合いから飛びかかった遠藤はクロスしながら互いに通り過ぎ、地面に体を強かに叩きつけながらゴロゴロと転がった。肩や右腕、脇腹の痛みに耐えながら、左腕だけで上体を持ち上げた遠藤はキメラの死を確認しようと目を凝らす。

 

"迷彩"の解けたキメラは、首を半ばまで切り裂かれた状態で静かに横たわり完全に絶命している様だった。だが遠藤の表情は、喜びどころか寧ろ泣きそうな程弱々しく、「畜生……っ」とやりきれない思いを口から漏らしていた。

 

その視線の先には、飛び出していった最後の騎士の姿が映っている。

 

彼はうつ伏せに倒れていた。右手に剣を握ったまま、顔を紫色に染めて。彼の傍らには真横に裂かれた蛇の姿。恐らくキメラに襲われる寸前に飛びかかってきた蛇を切り裂き、体内に含まれていた毒素を顔に浴びてしまったのだろう。

 

結局、三十層の警備をしていた騎士達は全滅してしまった。一人も助けられなかった事に、遠藤は何度も「畜生っ!!」と叫びながら涙を流す。

 

暫くそうしていた遠藤だが、このままでは出血多量で死んでしまうとメルド達から貰った道具袋から、最高級の傷薬と回復薬を取り出し服用する。そして応急セットで傷の手当をすると、無言のまま騎士達の骸を運び転移陣のある部屋の片隅に並べた。

 

少しの間、遠藤は彼等の姿を見つめると、徐に踵を返し、地上に向けて歩き出した。その顔は幽鬼の様に青白く、目は虚ろで覇気がなかった。

 

また、自分だけ生かされた。

 

その思いが、遠藤の心を重く冷たい鎖で締め付ける。今はただ、託された役割だけを支えに機械的に体を動かし、只管地上を目指すのだった。

 

 

 

 

???side

(このままでは白崎様達が殺されてしまう。だが、私は主人に戦うなと言われている身。どうすれば……)

 

香織の影に潜む者。その手には、虫が描かれたスタンプが握られていた。




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