「パパぁー!! おかえりなのー!!」
オルクス大迷宮の入場ゲートがある広場に、そんな幼女の元気な声が響き渡る。
冒険者や商人達の喧騒で満ちる中、負けじと響いた元気な声。周囲にいる戦闘のプロ達や呼び込みに忙しい商人達も、微笑ましいものを見る様に目元を和らげている。
ステテテテー! と可愛らしい足音を立てながら、英字へと一直線に駆け寄ってきたミュウは、そのままの勢いで英字へと飛びつく。英字が受け損なうなど夢にも思っていない様だ。
テンプレだと、ロケットの様に突っ込んで来た幼女の頭突きを腹部に受けて身悶えするところだが、生憎、英字の肉体はそこまで弱くない。それに、素人でもない。寧ろミュウが怪我をしない様に、衝撃を完全に受け流しつつ確り受け止めた。伊達に今でも似た様な勢いで抱き着いてくる娘や息子の相手をしていないのだ、慣れたものである。
「ミュウ、迎えに来たのか。ティオはどうした?」
「うん。ティオお姉ちゃんが、そろそろパパが帰ってくるかもって。だから迎えに来たの。ティオお姉ちゃんは……」
「妾はここじゃよ」
人混みをかき分けて、妙齢の黒髪金眼の美女が現れる。言うまでもなくティオだ。英字はいつ逸れてもおかしくない人混みの中で、ミュウから離れた事に苦言を呈する。
「ティオ、こんな場所でミュウから離れるな」
「目の届く所にはおったよ。ただちょっと、不埒な輩がいての。凄惨な光景はミュウには見せられんじゃろ」
どうやら、ミュウを誘拐でもしようとした阿呆がいるらしい。ミュウは海人族の子なので、目立たない様にこういう公の場所では念の為フードをかぶっている。その為王国に保護されている海人族の子と分からないので、不埒な事を考える者もいるのだ。フードから覗く顔は幼くとも整っており、非常に可愛らしい顔立ちである事も原因の一つだろう。目的が身代金かミュウ自体かはわからないが。
「成程、ならば仕方あるまい。……で? その愚かな自殺志願者共は何処だ?」
「いや、ご主人様よ。妾がきっちり締めておいたから落ち着くのじゃ」
「……止めはキッチリ刺したんだろうな?」
「……ホントに子離れ出来るのかの?」
英字がミュウの頭を撫でながら犯人の所在を聞くが、ティオが半ば呆れながら諌める。エリセンで、きちんとお別れできるのか……ミュウより英字の方が不安である。
そんな英字とティオの会話を呆然と聞いていた光輝達は、「強くなっているどころか、まさか父親になっているなんて!」と誰もが唖然とする。特に男子等は、「一体、どんな経験積んできたんだ!」と視線が自然とユエやシア、そして突然現れた黒髪巨乳美女に向き、明らかに邪推していた。英字が迷宮で無双した時より驚きの度合いは強いかもしれない。
冷静に考えれば、行方不明中の四ヶ月で四歳くらいの子供が出来るなんて通常有り得ないのだが、色々と衝撃の事実が重なり、度重なる戦闘と死地から生還したばかりの光輝達にはその冷静さが失われていたので、ものの見事に勘違いが発生した。
そして唖然とする光輝達の中から、ゆらりと一人進み出る。顔には笑みが浮かんでいるのに目が全く笑っていない……香織だった。
香織はゆらりゆらりと歩みを進めると、突如クワッと目を見開き、英字に掴みかかった。
「英字くん! どういう事なの!? 本当に英字くんの子なの!? 誰に産ませたの!? ユエさん!? シアさん!? それとも、そっちの黒髪の人!? まさか、他にもいるの!? 一体、何人孕ませたの!? 答えて! 英字くん!」
英字の襟首を掴みガクガクと揺さぶりながら錯乱する香織。何処からそんな力が出ているのかとツッコミたくなるくらいガッチリ掴んで離さない。香織の背後から「香織、落ち着きなさい! 彼の子な訳無いでしょ!」と雫が諌めながら羽交い絞めにするも、聞こえていない様だ。
そうこうしている内に、周囲からヒソヒソと噂する様な声が聞こえて来た。
「何だあれ? 修羅場?」
「何でも、女がいるのに別の女との間に子供作ってたらしいぜ?」
「一人や二人じゃないってよ」
「五人同時に孕ませたらしいぞ?」
「いや俺は、ハーレム作って何十人も孕ませたって聞いたけど?」
「でも、妻には隠し通していたんだってよ」
「成程……それが今日バレたってことか」
「ハーレムとか……羨ましい」
「漢だな……死ねばいいのに」
どうやら英字は、妻帯者なのにハーレムの主で何十人もの女を孕ませた挙句、それを妻に隠していた鬼畜野郎という事になったらしい。「妻滞者と言う事以外全部間違ってるじゃないか」と思いながら、英字は不思議そうな表情をして首を傾げるミュウの頭を撫でながら深い溜息をついた。
香織が顔を真っ赤にして雫の胸に顔を埋めている姿は、正に穴があったら入りたいというものだった。冷静さを取り戻して、自分がありえない事を本気で叫んでいた事に気がつき、羞恥心がマッハだった。「大丈夫だからね~、よしよし」と慰める雫の姿は、完全にお母さ、ゲフン!ゲフン!
英字達は入場ゲートを離れて、町の出入り口付近の広場に来ていた。英字の漢としての株が上がり、社会的評価が暴落した後、英字はロアの下へ依頼達成報告をし、二、三話をしてから、色々騒がしてしまったので早々に町を出る事にしたのだ。元々、ロアにイルワからの手紙を届ける為だけに寄った様なものなので、旅用品で補充すべき物も無く直ぐに出ても問題は無かった。
光輝達がぞろぞろと出ていこうとする英字達の後について来たのは、香織がついて行ったからだ。香織は未だ羞恥に悶えつつも、頭の中は必死にどうすべきか考えていた。このまま英字とお別れするのか、それともついて行くのか。心情としては付いて行きたいと思っている。やっと再会出来た想い人と離れたいわけがない。
しかし、明確に踏ん切りがつかないのは、光輝達の下を抜ける事の罪悪感と、変わってしまった英字に対する心の動揺のせいだ。しかも、その動揺を見透かされ嘲笑されてしまった事も効いている。
香織もユエがそうであった様に、ユエが英字を強く思っている事を察していた。そして何より棘となって心に突き刺さったのは、「お前の想いは所詮その程度だ」と嗤われた事。香織自身、動揺する心に自分の想いの強さを疑ってしまった。
自分の想いはユエに負けているのではないか。今更、自分が想いを寄せても迷惑なだけではないか。何より、自分は果たして今の英字を見る事が出来ているのか。過去の英字を想っているだけではないのか。
加えてユエの尋常ならざる実力の高さと、英字の仲間としての威風堂々とした立ち振る舞いに香織は……圧倒されていた。要は女としても術者としても、英字への想いについても自信を喪失しているのである。
香織が迷いから抜け出せないまま、愈々英字達が出て行ってしまうというその時、何やら不穏な空気が流れた。それに気がついて顔を上げた香織の目に、十人程の男が進路を塞ぐ様に立ちはだかっているのが見えた。
「おいおい、どこ行こうってんだ? 俺らの仲間ボロ雑巾みたいにしておいて、詫びの一つもないってのか? アァ!?」
薄汚い格好の武装した男が、厭らしく顔を歪めながらティオを見てそんな事を言う。どうやら先程、ミュウを誘拐しようとした連中のお仲間らしい。ティオに返り討ちにあった事の報復に来た様だ。
尤も、その下卑た視線からはただの報復ではなく別のものを求めているのが丸分かりだ。
英字達が噛ませ犬的なゲス野郎共に因縁を付けられるというテンプレな状況に呆れていると、それを恐怖で言葉も出ないと勘違いした様で、恐らく傭兵崩れと思われる者達は更に調子に乗り始めた。
その視線がユエやシアにも向く。舐める様な視線に晒され、心底気持ち悪そうに英字の影に体を隠すユエとシアにやはり怯えていると勘違いして、ユエ達に囲まれている英字を恫喝し始めた。
「ガキィ、わかってんだろ? 死にたくなかったら、女置いてさっさと消えろ! なぁ~に、きっちり詫び入れてもらったら返してやるよ!」
「まぁそん時には、既に壊れてるだろうけどな~」
何が面白いのか、耳障りな笑い声を上げる男達。その内の一人がミュウまで性欲の対象と見て怯えさせた時点で、彼等の運命は決まった。
英字は男達を睨みつけると、"スペルディア"を発動する。
いつもの通り、空間すら軋んでいると錯覚しそうな大瀑布の如きプレッシャーが傭兵紛いの男達に襲いかかる。彼等の聞くに耐えない発言に憤り、進み出た光輝がプレッシャーに巻き込まれフラついているのが視界の片隅に映っていたが、英字は気にすることもなく男達に向かって歩み寄った。
今更になって、自分達が絶対に手を出してはいけない相手に喧嘩を売ってしまったことに気がつき慌てて謝罪しようとするが、プレッシャーのせいで四つん這い状態にされ、口を開くこともできないので、それも叶わない。
英字は、もう彼等に口を開かせるつもりがなかったのだ。ミュウに悪意を向けて怯えさせ、さらには性欲の対象として見たことが、彼等に死よりも辛い人生を歩ませる決断へと繋がった。
英字は、少しプレッシャーを緩めて全員を膝立ちさせ一列に整列させると、端から順番に男の象徴を撃ち抜いていくという悪魔的な所業を躊躇いなく実行した。さらに、悲鳴を上げながら、股間を押さえてのたうち回る男達を一人ずつ蹴り飛ばし、絶妙な加減で骨盤も粉砕して広場の隅っこに積み重ねていった。これで、彼等は子供を作れなくなり、おそらく歩くことも出来なくなっただろう。今後も頑張って生きていくかは本人次第である。
余りに容赦ない反撃に、光輝達がドン引きした様に後退る。そんな光輝達を尻目に、ユエ達が口々に喋る。
「また容赦なくやったのぅ、流石ご主人様じゃ。女の敵とはいえ、少々同情の念が湧いたぞ?」
「いつになく怒ってましたね~。やっぱり、ミュウちゃんが原因ですか? 過保護に磨きがかかっている様な……」
「……ん、それもあるけど……私達の事でも怒ってた」
「えっ!? 私もですか? えへへ、英字さんったら……有難うございますぅ~」
「私は当然の罰を与えただけだ」
香織は、ミュウを抱っこしてあやしながらユエ達に囲まれる英字をジッと見つめた。
先程の光景。英字は、やはり暴力を振るうことに躊躇いがなくなっていた。それは、以前の英字とは大きく異なるところで、一見すると、英字の優しかったところを否定するものに見える。
しかし今、英字が力を振るったのは何の為だったか。それは、英字に寄り添い楽しそうに、嬉しそうに笑う彼女達の為だ。果たして優しさを失った人が、あの様な笑顔に囲まれる事があるのか。あんな幼子が父と慕うだろうか。
そして、英字の変わり様に動揺して意識から外れていたが、抑々英字は、自分達の為に再び迷宮へと潜って来てくれたのだ。その言葉通りに。加えて、目覚めが悪いと言って迷宮に潜っておきながら、他の人も切り捨てなかった。致命傷を負ったメルドを救い、光輝達を仲間に守らせた。
香織は気が付く。英字が暴力に躊躇いを見せないのは、そして敵に容赦しないのは、そうする事で大切な誰かを確実に守る為。勿論、其処には自分の命も含まれているのだろうが、誰かを想う気持ちがあるのは確かだ。それは、英字を囲む彼女達の笑顔が証明している。
その事実が、香織の心にかかっていた霧を吹き飛ばした。欠けたパズルのピースがはまり、カチリと音がなった気がした。自分は何を迷っていたのか。目の前に"英字"がいる。心寄せる男がいる。"無能"と呼ばれながら奈落の底から這い上がり、多くの力を得て救いに来てくれた人がいる。
変わった部分もあれば変わらない部分もある。だがそれは当然の事だ。人は時間や経験、出会いにより変化していくものなのだから。ならば、何を恐れる必要があるのか。自信を失う必要があるのか。引く必要があるというのか。
知らない部分があるなら、傍にいて知っていけばいいのだ。今まで、あの教室でそうしてきた様に。
想いの強さで負けるわけがない! 英字を囲むあの輪に加わって何が悪い! もう、自分の想いを嗤わせてなるものか!
香織の瞳に決意と覚悟が宿る。傍らの雫が、親友の変化に頬を緩める。そしてそっと背を押した。香織は、今まで以上に瞳に"強さ"を宿し、雫に感謝を込めて頷くともう一つの戦場へと足を踏み出した。そう、女の戦場だ!
自分達のところへ歩み寄ってくる香織に気がつく英字達。英字は、見送りかと思ったが、隣のユエは、「むっ?」と警戒心をあらわにして眉をピクリと動かした。シアも「あらら?」と興味深げに香織を見やり、ティオも「ほほぅ、修羅場じゃのぉ~」とほざいている。どうやら、ただの見送りではないらしいと、英字は、嫌な予感に眉をしかめながら香織を迎えた。
「英字くん、私も英字くんに付いて行かせてくれないかな? ……ううん、絶対付いて行くから、よろしくね?」
「………………は?」
第一声から、前振りなく挨拶でも願望でもなく、ただ決定事項を伝えるという展開に英字の目が点になる。思わず、間抜けな声で問い返してしまった。直ぐに理解が及ばずポカンとする英字に代わって、ユエが進み出た。
「……お前にそんな資格は無い」
「資格って何かな? 英字くんをどれだけ想っているかって事? だったら、誰にも負けないよ?」
ユエの言葉に、そう平然と返した香織。ユエが更に「むむっ」と口をへの字に曲げる。
香織は一度、ユエにしっかり目を合わせた。瞳の奥には、轟々と音を立てて燃え盛る熱い決意が見える。きっと自分の人生において、最大の難敵となるであろう黄金の少女に、ただ決意を乗せた視線を叩きつける。
ユエがその視線を受けて僅かに目を細めたのを確認し、香織はスッと視線を逸らして、その揺るぎなくも見た者の胸が締め付けられる程の切なさを宿した眼差しを英字に向けた。
そして、まるで祈りを捧げる様に両手を胸の前で組み、頬を真っ赤に染めて大きく息を吸った。深く長い深呼吸。ただ一言を紡ぐ為に。きっとあの日、街中で不良達を話術だけで一蹴する英字を見た時から生まれた想い。
それを、震えそうになる声を必死に抑えながらはっきりと……告げた。
「貴方が好きです」
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主人公の設定は、必要か。
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必要
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不要