ねずこちゃんがめちゃくちゃたたかうはなし   作:三上/みかみ

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血羽織變化

 不死川は幼子二人を両脇にかかえて一目散に駆けた。深く生い茂った竹林の奥へ逃げたところで、不死川は幼子二人を地面に下ろした。

 

「連れていけェ」

 

 不死川は影のようについてきた隠(かくし)には顔もむけずに、そう言うなり来し方へと駆け出した。幼子の泣き顔を頭から振りはらうかのように、一心に駆けた。風をきって走る不死川の耳に、竹林の風鳴りが過日の幼子の泣き声のように響いて、彼の顔がけわしくなった。

 

「くそォ」

 

 幼子の姿、とくに連れ立った兄弟のならぶ姿は、どうしようもなく不死川の心を乱す。さすれば不死川は、鬼を前にしながら、刀に手をかけるより早く、腰の抜けた幼子二人を抱えていた。

 

「不甲斐ねぇなァ」

 

 不死川は自らを鼓舞するかのように呟くと、刀に手をかけ鯉口を切った。あとわずかで竹林を抜ける。竹林の先、ひらけた平坦の地に、不死川とおなじく鬼殺隊の隊服を着た少年のうしろ姿があった。

 

「坊主! よりによっててめぇかァ」

 

 葛籠を背負った少年の後ろ姿に向かって、不死川が叫んだ。

 

「はい!」

 

 小気味よい声が月明かりに照らされた竹林に響く。竹林の前に広がる平坦な地、さやけき月下に、少年の影が濃く長く伸びていた。竹の葉擦れの音を背に、不死川は鬼の姿を見た。

 

 のぼりかけた月を背後に、鬼の巨躯が揺れていた。否、揺れているのは鬼の身体そのものではなかった。鬼の肩から伸びた六本の上肢が、それぞれ意志を持った生物であるかのようにうねうねと動いているのであった。

 

 揺れる鬼の体躯から、ただならぬ妖気と見まごうばかりの熱気が、けぶるように立ちのぼっていた。鬼は、人を喰ろうたばかりであった。人喰いを終えた鬼の肉体が熱を生じて、冷えた夜気にほの白い熱気をくゆらせていた。人の血肉の甘美を、まだ舌の上で愉しんでいるかのように、鬼はこれ見よがしに長い舌を唇からのぞかせた。

 

「鬼狩りよ。今宵の我はたらふく喰うたゆえ、これ以上はいらぬ。我の機嫌をそこねぬうちに早う去ね」

 

 鬼は血に濡れた唇をぬぐいもせずに言った。闇から響くような声であった。その鷹揚な物言いに、鬼殺の剣士は示し合わせたわけではないが、そろって眉間にしわを寄せた。

 

「誰が見逃すか。命乞いも、赦しもない!」

 

 怒りを掻き立てられた鬼殺の少年、竈門炭治郎が咆哮した。地を蹴って駆ける炭治郎の足元に、竹の枯葉が舞う。

 

「坊主、ガキどもは隠に渡したぞ」

 

 不死川が言った。一瞬、心得たとばかりに炭治郎の顔が晴れた。鬼の上肢に向けて放った一撃とともに「はい!」と炭治郎の口が叫んだ。気合いの声か不死川への返事か、いずれにしても炭治郎の剣捌きはのびやかであった。

 

 そのとき風が竹林を抜けた。その風には、竹と竹とを打ち鳴らすほどの勢いがあった。竹葉のさざめきの合間に、竹の幹がたわみ揺れ、一種独特の旋律を奏でた。

 

 風が、鬼の肩を吹き抜けた。そう見えるほどに、不死川の刀はかろやかだった。地に足を着いた不死川は、素早く刀を持ち変えた。

 

「おい、坊主! 葛籠は風上におけ!」

 

 不死川はそう叫んで、一種、狂気とも見ゆるまなざしを鬼に向けた。不死川の意図を察した炭治郎が、背中の葛籠を竹林の前へおいた。

 

「クソが! とっとと酔い狂えェ」

 

 不死川は左腕の袖をまくり上げると、ためらいなくその肌の上に刀の刃先をすべらせた。月光に白く映えた刃紋が血に濡れる。自らの血に濡らした刀を、不死川が血払いとばかりに振り下ろした。

 

「どうだ? たりねェか?」

 

 鬼の舌が、唇の端からだらりと垂れ下がった。赤黒い舌から糸を引く涎がしとどに流れてゆく。

 

「これは……、濃いな」

 

 鬼の声には歓びの響きがあった。そうもらす唇は、歓喜と涎にぬめぬめと濡れていた。生臭い鬼の息が、白く漂う。風に流れて、辺りに満ちる。

 

 そのとき鬼の背後に、小さな影があらわれた。ほどなくしてその影は人の姿となった。ちょうど額の中央に、白くけぶり立つ文様が見えた。その白い文様は鬼の白い息と呼応していた。

 

 炭治郎はその人影に向かって走った。その炭治郎と鬼のあいだに、不死川が割って入って駆け抜けた。鳥の羽ばたきにも似たしなりのある所作で、不死川の刀が風を帯びた。不死川が放った初烈風斬りは、鬼の上肢を切り落とした。肩から切り落とされた三本の上肢が、長い爪を地に突き立てた。

 

 炭治郎の腕の中に、白い文様の浮かんだ幼子があるのを、不死川は苦々しい面持ちで見た。不死川ははだけた着物の懐をさぐって、懐紙に包んだ藤花の毒消しを炭治郎に向かって投げた。

 

「使えェ」

 

 鬼が、残りの三本の腕の先から長い爪を飛ばした。爪というよりも細身の小刀のようにするどい切先だった。肩から伸びた三本の上肢が爬虫類のようにうねうねと関節の多い腕を動かして、赤黒い爪を飛ばしてきた。とっさに幼子をかばった不死川の背中から、血が吹き出した。

 

「不死川さん!」

 

 炭治郎は腕の中で暴れる幼子を抱きかかえながら叫んだ。

 

「好都合じゃァねェか」

 

 不死川は自分の稀血が、鬼の巨躯を赤く濡らしているのを見た。

 

「坊主、目ざわりだ。そのガキ連れて竹林に入れェ」

 

 不死川の手が幼子の鳩尾を突いた。幼子は炭治郎の腕に身体をあずけたまま意識を失った。不死川は、炭治郎の非難めいたまなざしには目もくれず、飛んでくる鬼の爪を捌きながら間合いをつめた。

 

「行けェ。四の五のいわずに、さっさと行けェ」

 

 叫ぶ不死川の背中から血飛沫が立つ。竹林から流れる風に血が舞い、血風となる。

 

 しかし、その血はあろうことか、炭治郎が竹林の前に置いた葛籠を赤く染めた。その葛籠は炭治郎の妹、禰豆子の入っている葛籠であった。血に呼応するかのように、葛籠が小刻みに揺れ始めた。

 

 鬼の肩から、一本、また一本と上肢が生える。稀血の芳香に、鬼は鼻腔を震わせ、酔うていた。鬼の上肢は、当初の六本から八本、十二本と増えた。

 

「我を忘れるほどに酩酊したかよ」

 

 不死川は自分もまた稀血にあてられたかのような、酔うた眼で鬼をねめつけた。不死川の血走った眼に、巨躯を揺らがせて酩酊する鬼の狂態が映る。もはや鬼は自制心もなく、狂乱していた。際限なく増殖する上肢から、あてどなく爪を飛ばしては独り消耗しているかのようであった。だらしなく開いた唇から長く伸びた舌が、とめどなく涎を垂らしながら、生臭い呼吸をくり返している。鬼の上肢が不死川の身体を巻き取った。生えたばかりの上肢は、他の上肢に比べればあからさまに細く、力のない姿であった。不死川は血走った眼を濡れ潤ませて、鬼の上肢の蠢くままに任せた。その唇には凄絶とも見える笑みが浮かんでいる。

 

「狂えよ。酔い狂えェ……」

 

 不死川の身体に巻きついた鬼の上肢は、細いながらも二本、三本と重なり、爪を立てた。長い爪の食い込んだ肌から、ひとすじ、またひとすじと血が流れる。不死川はあたかも気まぐれのように、刀を薙ぎ払って、鬼の上肢を切り落とした。鬼の上肢が巻きついた肌が、奇妙にぬらぬらと濡れていた。触れると粘液のように糸を引いた。はだけた胸の上は、ほんのりと赤く、血の寄り集まった痣のように見える。鬼の飛ばした爪に、不死川の反応が遅れた。

 

「くそォ」

 

 不死川は乾いた音をたてて地に落ちた。背負い紐のついた葛籠が、不死川の足元に転がっていた。割れた葛籠の穴から、白い手が覗いて見えた。

「不死川さん!」

 

 竹林から走り出た炭治郎が叫んだ。

 

「毒消しは効いたかァ?」

 

 不死川は振り返らずに、炭治郎に問いかけた。

 

「はい! 額のしるしが消えました」

「よし」

 

 不死川は炭治郎にかまわず、刃先を肌の上にすべらせた。

 

「いいか、テメェの鬼を紐でようくしばっとけェ。これからが本番だ。血風が吹くぜェ」

 

 言葉をたがえず、不死川は心得たようにその身から血潮をほとばしらせた。血飛沫が風に舞い、腥風となっては竹林を打ち鳴らす。 炭治郎は竹林の隅の葛籠に駆け寄った。葛籠の穴から覗く白い手が震えているのを見た。炭治郎は思わず妹の名を呼んだ。

 

「だいじょうぶ、だいじょうぶだ。紐で縛ったりしなくても、禰豆子は……」

 

 すると、葛籠の中から衣擦れの音がした。白い手が、紅緋の腰紐を掴んで、炭治郎に突き出した。

 

「俺に……、俺が?」

 

 炭治郎の眼が揺らいだ。

 濃厚な稀血の臭いがあたりを席巻していた。葛籠越しにも禰豆子の乱れた息遣いが聞こえてくる。そろそろと葛籠が開いて、白い腕が二本、後ろ手に縛ってくれと言わんばかりに伸び出た。炭治郎は手にした腰紐を、手首のあたりに二周まわして絡げた。

 

「約束だ。絡めただけだ。負けるな。俺も、負けない」

 

 そう言うと、炭治郎は思いを断ち切ったかのように立ち上がり、不死川につづいた。

 

 炭治郎が鬼に向きあったとき、鬼は早くも我を失うほどに泥酔していた。不死川の稀血の真骨頂であった。鬼の再生能力は、主の意思と無関係に暴走し、不死川がその上腕を斬り落とすそばから再生していた。

 

 泥酔した鬼の放つ爪は正攻法の攻撃とはいえず、いわば騙し討ちのような不意を突く攻撃であった。鬼の呼吸が見切れぬままに、炭治郎は足をとられた。鬼の上肢が炭治郎を締める。そうかと思えば、気まぐれのように離して、地面に叩きつけた。

 

 炭治郎が気を失ったのは、そのときである。

 

「クソがッ!」

 

 不死川もまた、鬼の上肢によって地面に叩きつけられた。鬼の狂乱はまだつづくと思われた。しかし、際限なく再生をくり返していた鬼も、その速度をゆるめた。

 

 あと一太刀、その一撃を首に叩きこめば終える、と不死川は読んだ。

 

 

      *   *   *

 

 

 鬼を前後不覚にするほどの、不死川実弥の稀血。

 

 その不死川の稀血を浴びたのは鬼ばかりではなかった。竹林の隅へ置かれた葛籠が、じっとりと血に浸っていた。背負い紐のついた葛籠は、無造作に竹林の陰に置かれていた。葛籠にはいつのまにやら亀裂が生じており、そこから白い手が覗いている。血に濡れた葛籠は、竹林の風鳴りに震えるかのように小刻みに震えていた。

 

 亀裂から伸びた出た白い手が、地に爪を立てた。真っ白な指に不釣り合いな、赤く長い爪だった。葛籠の中からは、獣じみた息づかいが漏れ聞こえてくる。

 

 とうとう血に染まった葛籠の中から、人の姿をした影がその身をくねらせ、這うように出てきた。影は、若い娘であった。葛籠越しに不死川の稀血を浴びたのであろう、その羽織はじっとりと血に濡れていた。麻の葉文様の羽織は、不死川の稀血を吸って赤く染まった。纐纈巾もかくやとばかりの、まがまがしい血染め羽織である。

 

 稀血に染まった血羽織の娘は、幼さの残る肢体を揺らしながら、ゆるゆると立ち上がった。身体を傾けて、なにごとか耐えかねているかのような姿態であった。

 

 娘の唇は、竹筒を喰んでいた。紅唇に喰まれた竹筒が音を立ててへしゃげてゆく。娘の眼は血のように赤く染まり、濡れ光っていた。眉を逆立てた娘は、もはや怒りを隠さなかった。へしゃげた竹筒と唇のすきまから真珠のごとき白い歯がのぞく。整然とならぶ歯列には、一種異様な歯がそろっていた。娘の歯は、人の歯にあらざる異常な形状をしていた。とくに唇の両端に見える犬歯は、おどろくべき長さとするどさとを併せもっていた。その犬歯、否、その牙があればこそ、竹筒が音を立ててへしゃげていったのだと合点がいく。

 

 娘の眼は、血色の涙を流すかと思えるほど赤く濡れ光り、すでに竹筒はその半ばが喰いちぎられ、竹繊維が穂先のようにはみ出している。娘の唇の両端からは、忍耐の限界とばかりに絶えまなく涎が流れていた。飢えた唇から漏れる熱い息が、月明かりに白くただよう。

 

 る、る、ろろ、と娘の喉が鳴る。はや竹筒はその身をふたつにして、娘の唇から抜け落ちた。

 

 見よや、鬼の牙を

 いかな真珠も血に濡れる

 

 不死川は悪態を吐くのも忘れて、眼前の娘の姿態に見入った。

 

 る、ろろろ、ろ、と娘の喉から、獣じみた唸り声がもれる。紅緋の腰紐に括られた娘の手首の先で、するどい爪の伸びた手が落ちつきなく動いている。

 

 不死川の手はさきほどから刀の柄をにぎり締めていた。いまなら一刃のもとに娘の首を落とせる。しかし、その一刀が自分の放つ最期になるであろうことを、不死川は理解していた。

 

 斬るか?

 

 不死川は自問した。

 

 眼を赤く染め、白い肌にまがまがしい痣を浮かび上がらせた娘は、間違えようもなく鬼であった。娘を封じていた竹筒は娘の牙が噛みちぎった。唯一、娘を止めることのできるその兄は、不死川のとなりで気を失っている。

 

 斬るのか?

 

 娘は不死川に背をむけ、あろうことか鬼と対峙しているというのに。兄の炭治郎と不死川を庇うように立つ娘を、鬼というだけで斬るのか?

 

 不死川は自分の呼吸が奇妙なほどおだやかに流れてゆくのを感じた。血生臭い風が、ぬるく彼の頬をなぶった。

 

 鬼は、ふいに眼の前にあらわれた娘を、ものめずらしそうに眺めた。

 

「鬼か……」

 

 大地を揺らすような低い声だった。

 

「鬼殺隊の手飼いとはおもしろい」

 

 というや否や、鬼はその腕を不死川にむけて振りはらった。不死川はとっさに炭治郎を蹴り飛ばし、自らはうしろへ飛びすさった。

 

「げぇ」

 

 不死川は喉奥から声をもらした。鬼の腕は娘の左肩から胸にかけて袈裟斬りにしていた。娘の鎖骨は叩き斬られ、動脈が高く血飛沫を吹きあげた。

 

「ほう」

 

 鬼が感心したように声をあげた。

 

「よくよく飼い慣らされていると見ゆる」

 

 刀の切先のごとくするどい鬼の爪は、娘の水月までも達したか、娘は獣のように低い唸り声をもらしながら、口からは泡立つ血をこぼした。口からとめどなく溢れだす血を気にかけるようすもなく、娘は血にまみれた唇をすぼめた。あたかも口笛を吹くようなしぐさであった。娘の口から紅い血の珠が飛ぶのを、不死川は見た。鬼もまたおなじものを見たはずだった。にもかかわらず、鬼は避けなかった。避けられなかった。娘の血の珠が糸を引く。

 

 なれば鬼は血糸を薙ぎ払おうと、その爪を伸ばして腕を振るが、娘の血の珠はさらに早い。娘はあきらかに、その兄と不死川を守るため、そこに在った。

 

 口の戒めであった竹筒は、噛み千切ったものの、その手は紅緋の腰紐にゆるく括られている。娘はその腰紐を誓いのように、後ろ手のまま鬼に対峙していた。

 

「クソッ!」

 

 鬼に護らるるとは鬼殺の恥よな。

 

 不死川は渾身の力をこめて刀を振り上げると、細心の注意をはらって娘の縛めを一刀のもとに斬った。不死川の刀の切先は、娘の肌を傷つけなかった。

 

 斬り断たれた紅緋の腰紐は、ただ風をうけたかのように娘の手首から流れるように舞い落ちて、血溜まりの中に輪をえがいた。

 

 縛めを解かれた娘は、両の腕をだらりとさげた。

 

 鬼と娘とを繋ぐ血糸はさらに本数を増した。

 

 娘は鬼との繋がりを確かめるかのように、その肢体を左右に揺らした。あたかも劣情に身悶える女体のような動きであった。その扇情的な動きにあわせて、鬼の身体が揺らいだ。

 

「この娘、奇妙な術を……」

 

 娘は左腕をゆるゆると、さながら闇を撫でるかように持ちあげた。たおやかな娘の白い手に、真紅の爪はあざとく不釣合いであった。娘の動きに、血糸に捕らわれた鬼が長爪を振るうが、いっかな血糸はゆるまない。

 

 娘の左手が、血糸を爪弾いた。袈裟懸けに斬られた娘の身体から、半幅帯が切り口を見せながら下腹、太腿となぞるようにうねりながら地に舞い落ちた。娘は自らの着物のありさまに頓着するようすもなく、血まみれの唇をすぼめては血の珠を吐く。血の珠は血糸にあたっては転がり、鬼の肌を灼いた。

 

 細い血糸に鮮血の珠がつたう。

 

 赤い滴が珠となって虚空に舞い散る。

 

 鬼を縛る血糸を繰る娘は、自らの血に濡れていた。

 

 白い頬が上気して色づき、血走った眼は月明かりに映えて赤く輝いていた。

 

 竹筒の戒めから解かれた赤い唇は、ときとして堪えようがないほどに透明で泡立った唾液を垂らす。口中には白真珠のような牙が隠れている。

 

 白皙の額に生えた二本の角は隠すべくもないが、娘の異形は赤い双眸にこそ極まった。いま赤い双眸は、血糸に絡めとられた鬼の巨躯を前に、無慈悲な光をたたえている。恐ろしいほどの残虐な眼の輝きであった。

 

 白い肌の上を、赤い滴の珠が転がる。鬼を絡げる血糸に、血の珠が転がる。

 

 いままさに鬼は娘の繰る糸に巻きとられ、息も絶えだえであった。幾筋もの血糸が、鬼の首に喰い込んでいる。血の伝う糸が、鬼の四肢を絡め捕ってゆく。

 

 娘の指先の尖った赤い爪は、糸を合わせたかと思えば分かち、すくっては掛け、自在に操った。鬼の首に絡げた糸を、娘の指先が大きく爪弾いた。糸は震えてむせび泣き、いよいよ鬼の首を縊り落とさんとしている。

 

 白くたおやかな手が血糸を手繰った。娘は匂やかな唇をすぼめて、さらに血の珠を吐いた。血の珠は宝珠のごとく月明かりに輝き、鬼の青黒い肌の上では狐火のように燃えた。点々と燃える炎を散らせて、娘は鬼の巨躯に爪を立てた。切り裂いた肌へ、さらに血の珠を燃やしては、血糸を引く。

 

 血糸を千切ろうと試みる鬼の手が、血糸に指を切り落とされた。娘は両腕を大きく左右になびかせた。血糸がひときわ大きく波打って、とうとう鬼の首を縊り落とした。

 鬼の首は胴体から転がり落ち、地に叩きつけられるかのように見えた。しかし、鬼の首は地に落ちるよりも早く、空中に解けるように塵と化した。およそ命があったとは思えぬほどに早い、肉の崩壊であった。

 

 刹那、娘の肢体が陽炎のように揺らいだ。

 

 血に濡れた肌が、月光を受けて妖しいほどの白さを際立たせている。娘の喉が、る、る、と鳴いた。

 

 娘の身体がぐるりと反転して、そのまま倒れるかと見えた。袈裟斬りにされた着物が、娘の姿態にだらりと下がったまま揺れた。着物の切り口から、娘の白い肌が、柔肌の上の妖しい痣が匂い立つかのようだった。

 

 そのとき娘ははじめて不死川を見つけたかのように、動きを止めた。娘の口元に、ある種の凄艶な笑みが浮かんだ。

 

 娘は不死川を見つめたまま、その紅い唇から飢えたように舌を突き出した。赤い瞳を潤ませて、娘は不死川に見入った。娘の吐く溜息は、いつしかなまめかしい響きを帯びていた。

 

 稀血の匂いに、娘は酔うていた。

 

 開いた唇の端からしとどに涎が流れて、細い頤から幾筋も糸を引いて落ちていった。

 

 不死川は白く光る涎の筋を見ながら、刀の柄をしかと掴んだ。すでに抜身の刀である。無論、振るう覚悟であった。しかし、不死川もまた、娘を見据えたまま、動こうとしなかった。

 

 互いに動かぬまま、どれだけの時が過ぎたかはわからない。

 

 いつとはなしに、娘は泣いていた。赤い双眸から、血混じりの涙が流れ落ちた。そこに娘を励ます心強い兄の姿はなく、よって兄の温かい励ましの言葉もなく、娘は鬼と人とのはざまにあって、ひとり戦っているのであった。

 

 そうと気がついた不死川は、自分の口から信じられぬ言葉が出るのを聞いた。あたかも地の底から吹き上げる風のような声だった。

 

「が……ば、れ」

 

 いつしか不死川は、さながらその娘の兄のように、一心に娘を励ましていた。

 

「……、がん……ば、れ。おいッ、……がん、ばれぇッ」

 

 娘は、不死川の声に応えるかのように、その身を震わせながら自らの爪を二の腕に喰い込ませた。赤い舌を伸ばし、獣のように喉奥を鳴らして咆哮した。娘の飢えを満たすのは、唯一、人の血肉であるというのに、娘は好物を目の前にしながら、堪えねばならなかった。鬼である娘の血肉に焦がれるさまは、哀れを通り越して凄惨ですらあった。

 

 不死川は娘の二の腕の骨の、ひび入る音を聞いた。白い柔肌の、爪に裂け、血の滴るを見た。血涙の流れる娘の頬を、白い月明かりが照らす。その白く透き通るほどの頬を持った娘は、もはや縋るものひとつなく、ただ不死川の言葉に応えんとしていた。

 

「がん、……ば、れェ」

 

 喉を引きつらせて、不死川はくり返した。不死川の言葉に、赤い双眸から血涙が淋漓とほとばしる。娘の熱い息の震えが伝わったかのように、不死川の心が波立ってきた。

 

 不死川は、血と涎にまみれた娘の首筋をひたと見つめた。娘の振舞い如何によっては、娘の首を一刀のもとに切り落とす算段であった。

 

 娘の息遣いと不死川の息遣いとが重なった。互いに眼を合わせるうちに、不死川は熱い蠟の中にいるような心地がしてきた。

 

 娘の身体が前後左右に揺れながら、しだいに白い蒸気を立ちのぼらせた。娘の眼から意志が薄れ、歓喜とも見ゆる一種あらわしがたい愉悦の色が覗いた。

 

 娘の変化を察した不死川は、その眉宇をひそめた。不死川は自らの迷いを自覚していた。しかしまた、自分に娘の首を確実に切り落とす技量があるのも知っていた。

 

 不死川の眼前で、娘は身体から蒸気を立ちのぼらせ、意味をなさない言葉を発しながら声をあげて泣きじゃくった。その泣き声はやにわに幼子のような響きを帯びて、娘の身体も声と同様に幼い姿に変容していった。

 

 不死川は娘の変容に、しばし呆然とした。

 

「おいッ」

 

 気を取り直した不死川は立ちあがり、逃げ惑う幼い娘の髪の毛を捕まえた。

 

「いいかァ、逃げるなよ」

 

 娘はくったりと四肢を垂れて、不死川の手にぶら下がった。おとなしくなった娘を片手にぶら下げたまま、不死川は手ごろな竹を刀で切り払った。

 

「ほらよ」

 

 不死川は短く切り出した竹を、娘に差し出した。娘は素直に口を開けて、不死川の差し出した竹を咥えた。

 

「なにもねぇよりはマシだろうが」

 

 そういって、不死川は娘の入っていた葛籠を拾うと、いまだ昏々と眠りつづける娘の兄の腹を足で蹴りあげた。

 

「クソがァ。さっさと起きろォ」

 

 

      *   *   *

 

 

 過日、不死川は屋敷の縁側で朝を迎えたとき、朱に染まる空を見上げながら物思いにふけった。

 

 あのとき、はたして鬼と戦う娘に心があったか、どうか。

 

 つまり、心があったとすれば、その心は、鬼か、人か。

 

 不死川はわからなかった。わかろうとも思わなかった。鬼であれ、人であれ、他人の心などわかろうはずがない。血を分けた弟を思うとき、不死川はもはや自分の心すらわからなくなっていた。

 

 伝わるとも伝わらないとも、心に秘めた思いが不死川をその先へと進ませる。

 

 

20201125

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