塩の魔神はかく語りき   作:リン@ハーメルン

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第一幕 塩と塵と岩

 私は知っている。今でこそ臆病なヘウリア……黎華が、人一倍に(したた)かであったことを。

 

 留雲に引けを取らない天稟を見た。歌塵に勝るとも劣らない旋律を聴いた。そして何より───この私が抱いた原初の憧憬こそが彼女だった。それを口にする気は死ぬまでないけれどね。

 

 帰離集……今や璃月という国家を念頭に岩王帝君と起草した律令も、元はと言えば私と彼女とが思い描いた理想から端を発している。岩王帝君の「世の塵を払い、民を守る」という契約の行き着く先は、畢竟、凡人たちが神仙の揺り篭から自立しなくては傀儡と何ら変わりはない。

 

 だから法も、文化も、人が人たる所以を疎かにしてはならない。仙人たちや帝君でさえ、私と出会う前は超然と接することを常だと捉えていたから、私や彼女は人外として異端な存在に違いなかった。

 

 風向きは気儘で移り気だ。冷厳なる岩肌さえも、年月を経て形を変えていく。

 

 当時は名を持たぬ帰離原を広げていた私が、山輝砦*1で初対面した時に比べたら()()()()*2帝君は柔らかくなっている。我ながら大したものだと自画自賛したい。堅物などと揶揄ってみせるものの、当初はまさに冷血そのもので一切の暖かさなど感じられなかったのだから。

 

 彼女以外で初めて出会った魔神がモラクスだ。考え方も何もかもが彼女と真逆。剛毅果断、枯木寒巌。まさにモラクスは魔神らしい魔神であった。

 

 対照的に、ヘウリアはあまりに人間的な魔神だった。大した力もないのにモラクスを岩王帝君まで祭り上げた私が言うのもなんだが、彼女はどこまでも夢見がちな魔神だった。よく言えば理想家、悪く言えば優柔不断。

 

 合理主義と博愛主義という一見すると相容れぬ二人だが、その両方と親交を持った私だから見えるものがある。二人の根底には人間への屈折した慈しみが共通しているのだ。

 

 帝君や黎華は、私との出会いを値千金の僥倖だと言ってくれる。

 

 けれど本当に恵まれているのは私自身だ。ヘウリアと出会い、モラクスと出会い、留雲や歌塵ら仙人たちとの縁を結ぶことが出来た。

 

 頭の良さ*3と運の良さだけは、物騒な魔神界隈でも一番だと自信を持って言える。

 

 琉璃百合に囲まれたこの帰離原で、浮世の喧騒に身を委ねることも。塵世から隔絶された絶雲の間で仙人たちと語らうことも。

 

 深淵に触れてしまった罪深きこの身には過ぎたる幸せなのかもしれない。私は変わり果てた旧友と邂逅して、そう思わずにはいられなかった。

 

────塵の魔神ハーゲントゥスの述懐

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 石畳を厭わず、両膝を地につけた黎華が深々と頭を垂れていた。

 

 差し出された財宝の数々には、黎華の権能が込められた神器さえある。

 

 帰終は看破した。塩を蓄えた杯は尽きることがなく、鍵のような形をした3尺ほどの定規は突き刺した地面から塩を生成する。どちらも塩の魔神ヘウリアの権能に依るものだ。

 

「これらの他に、我が民の塩業だけはテイワット随一だと自負しております。アナタ方の国『璃月』にとっても……」

 

「事業提携でも持ち掛けるつもりか? 話にならない。元よりお前たちは()()()()()()だろう」

 

「ちょっと帝君───」

 

 にべもないモラクスを咎めようとした帰終だったが、それを制したのは黎華自身だった。

 

「いいのです帰終。岩王よ、どうかアナタ様の慈悲と天啓を我が民へ授けてくださいませ」

 

「……つまり、軍門に降るということか?」

 

「モラクス!」

 

 歯に衣着せぬモラクスの物言いに、今度こそ帰終は鋭く声を発した。

 

 たとえ黎華や帰終が矮小であろうと、魔神というのは不条理な存在だ。この璃月を治めるモラクス自身はともかく、帰離集への影響を考慮すれば帰終の反応は当然のことだった。

 

 仮に黎華がその身を擲つつもりであったなら、凡人たちや帰離の地は数千年に渡る被害に見舞われていただろう。

 

 もちろん、黎華にそんな意思が無いのは友人である帰終自身が理解している。優しすぎる塩の魔神は他者を犠牲にしたくないからこそ譲歩をし続けてきたのだ。たとえそれが敵対者であったとしても。

 

 モラクスの対応はその弱さ(やさしさ)を皮肉るものだ。もしくは黎華の弱さこそが今の謁見に至ったのだと、現実を突きつけるためのものだった。

 

 為政者として、統治者としては正しすぎる。岩のように揺らぐことのない在り方は、塵にも塩にも惑わされない厳然たる公正を体現していた。

 

「口出しは無用だ()()()()()()()。塩の魔神よ、()は聖者ではない。天下の趨勢を傍観するだけの者にどうして道理が語れようか。理想に酔ったまま朽ち果てる君主など害悪でしかない。無論、その理想に魅せられた信仰心は佞悪な猛毒だ」

 

「……信仰を捨てさせればよろしいのですね?」

 

「真にその意味を理解しているのか?」

 

「はい。ワタクシの死、そして……築き上げたアイデンティティの一切を否定すること。元より覚悟はしております。この帰離の地へ足を踏み入れた時から」

 

「言葉にすれば陳腐だが、その皺寄せは我等にもくる。対処の際に、お前の民を全て受け入れることは保証できん。それを理解していながら、お前は民の同化を望むのか? 民たちはそれを望んでいるのか?」

 

「民は……望んではいません。『地中の塩』は流浪していたワタクシ達にとって天涯の楽土でした。あの場所で最期を迎えることに賛同できない民は、脆弱なワタクシなどの庇護下に入ったりはしません。ですから、御身への嘆願は────信仰に殉じたい民達の意向を無視して、彼等に生きてほしいと願うワタクシ自身の我儘なのです」

 

 静けさに、ただ琉璃百合の花弁が舞うだけだった。

 

「……理解しがたい。お前の在り方は破綻している。最期の寄る辺として棄民を受け入れながら、お前自身が民に絶望を押し付けるなど」

 

「黎華、それじゃ誰も救われない。あなたの民も、あなた自身も」

 

 モラクスは冷徹な相好を険しく歪める。帰終もまた、悲痛に表情を曇らせた。

 

 それでも黎華は無言を貫き、深々と稽首で地に額を押し付けるしかない。差し出せるものは何一つなく、帰終との縁故を頼りにする以外に彼女には選択肢がなかった。

 

 軽蔑されると思っていた────黎華の本音である。けれどモラクスもハーゲントゥスも、黎華自身への失望より見放される塩の民を慮ってくれている。それだけで黎華が民を託す理由には充分だった。

 

 ハーゲントゥスの志は変わっていないどころか、昔よりも眩いほど輝きを増している。そして彼女の朋友であるモラクスも、人間を睥睨する瞳には確かな慈愛があった。

 

 そんな二柱だからこそ、ちっぽけな命や尊厳を投じて黎華は民を託せるのだ。

 

「改める気はないのね……全く、変なところで意固地なんだから」

 

 帰終が諦めたように嘆息しながら、差し出された宝物の中から定規を手に取った。そして目配せをした後にモラクスへと定規を渡した。

 

 定規は地面に突き刺して使用するため、刃のように薄く鋭利な形状をしている。

 

 武神たるモラクスがその定規を振りかざせば、数多の妖魔はその身を引き裂かれてしまうだろう。今まさに、モラクスは読み取れない表情のまま定規の切っ先を、頭を垂れているヘウリアへと向けていた。

 

「今際の言葉は必要か?」

 

「ワタクシの全てを差し上げます。ですから……どうか、民をお願いします」

 

 黎華からモラクスの顔を窺い知ることはかなわない。

 

 けれど岩のように無機的な殺意の矛先が、平伏している黎華の頭上で鎌首をもたげていることだけは確かだった。

 

「いいだろう。その契約、身をもって代価を支払うといい」

 

 黄金の瞳を細めるモラクスが定規を掲げ、一切の躊躇を見せず無慈悲に刃を振り下ろす。

 

 琉璃百合の花弁は────未だ、宙を舞い踊り続けていた。

 

 

 

・・・

・・

 

 

 

 璃月の歴史は岩王帝君の歴史である。

 

 岩は全てを記録する。例えば、石珀は心を映し出す。そして塩は、あらゆる穢れを漂白する。

 

 石獣が岩王帝君に仕えたかつての仙獣という説があるように。或いは、今は亡き帰離原は学者の間で取り沙汰される書籍や文献ではなく、石碑の記録こそが真実であるという説があるように。

 

 岩とは、璃月において神聖なものであった。

 

 魔神戦争の勝者として岩神の座を手にした帝君だが、歴史の裏には当然敗者も存在する。

 

 塩業を司る銀原庁は、『地中の塩』と呼ばれる場所を治めていた塩の魔神の信者たちが前進とされている。

 

 無論、璃月の銀原庁に限った話ではなく、その国を治める神以外の信仰を数千年も経てなお捨てきれない人間も多い。かのスメールにおける「赤砂の王」の信者も似たようなものだ。

 

 モンドの四風守護の一角である北風の狼についても魔神だという噂がある。その際、風神バルバトスが是とする「自由」とは一見真逆の契約を結ぶことが出来たのは、歴史ある銀原庁を設立当初から支えてきた一人の仙人の尽力があったというのは有名な話だ。

 

 その仙人は塩の魔神の友だった。しかし力及ばず、不条理な現実に耐えられなかった塩の魔神は自刃し、仙人は残された民を連れて岩王帝君に降ったらしい。

 

 歴史の生き証人がいるのならば、不確かな歴史についてあれこれ邪推するのは痴愚である。

 

 だが果たして、生き証人が真実を語るとも限らない。

 

 なぜなら歴史家が見るのは神の治世であり、神々が見据えるのは人の治世だったから。

 

 岩に訓戒を残すのは、たとえ神を失ったとしても人間がその足跡を辿れるようにするためだったから。

 

 今を生きる銀原庁の人間さえも真実の大半を失い、塩の魔神の信仰は岩神と習合してしまっている。

 

 けれど確かに、岩王帝君と契約を交わしたその人がいるという事実は、人々に仙人への崇敬を忘れさせない一因だった。

 

 艶やかな黒髪に、一筋の白銀が通る。

 

 白磁器のように浮世離れした肌色は、彼女が仙人であることに信ぴょう性を持たせており、歴史家を唸らせるほどの博識さも、岩王帝君と契約を交わしたという噂に真実味を帯びさせていた。

 

「姫令君! こちらの草案をお目通しください」

 

「宛煙、ワタクシが尚書だったのは数世紀も前のことなのですが……」

 

「その、前任が過労で斃れてしまいまして……草案と一緒に上奏文も届いています。恐らく、こちらに再任の依頼があるかと」

 

「まあ大変です! すぐお見舞いに────」

 

「いけません姫様! 男はケダモノなんです。姫様の玉体を衆目にさらすなどヘウリア様がお許しになられるはずがありません!」

 

「そ、そうでしょうか? ヘウリア……様はそのようなことを気にしないかと」

 

「貴女様はかのヘウリア様のご友人なのです。われわれ塩の民は、御身に何かあればヘウリア様に顔向けができなくなってしまいます。何卒ご寛恕ください。そして草案のご一読を」

 

「は、はい……甘雨ちゃん、早く来てださ~い!」

 

 仙人の名は────姫黎華といった。

*1
天衡山

*2
視線は物騒だが

*3
諧謔である




◯魔神モラクス 岩王帝君
□原作
 岩元素を司る魔神の一柱。貴金の神とも呼ばれる。魔神戦争中はまだ神の座を獲得していないので岩神ではない。岩の魔神と勘違いされがちだが、『〜の魔神』という呼称は原作でまだ判明していないので、彼の神格が正確に何であるかは確証もソースも無いので不明である。
 天衡山に初めて降臨し、勢力を広げる途中で帰離原を治めるハーゲントゥスに接触し、同盟を結んで帰離集という勢力を確立。原作ではこの同盟時点で竈神マルコシアスもいた模様。
 軽策荘にいた螭と呼ばれる魔神や『渦の魔神オセル』など、様々な魔神に打ち勝てるほどの武神である。ただしモラクス自身は『契約の神』であることを念押ししている。
 彼の輝かしい功績は数え切れないので原神をプレイするなり、彼の経歴を検索してみてください。
 ちなみに海産物が苦手らしい。
■本作
 現時点では帰離集の同盟に竈神マルコシアスが見当たらない。それ以外は原作とあまり変わらないようだが……。


◯塵の魔神ハーゲントゥス 帰終
□原作
 原作では既に故人。魔神戦争で亡くなったとされる。
 帰終機という巨大な弩の製作者。日本語的には「帰終の強い弩」と、三国志で謳われる「冀州強弩」がかけられている小ネタもある。
 塩の魔神ヘウリアと同じく巨大な力はないが、心優しく明晰な頭脳を持ち発明が得意だった。また、帰離原では歌声によって開花する天然の琉璃百合が一面に咲いていたことから、歌も得意であることが伏線とされている。さらに「洗塵の鈴」も制作していたことから楽曲にも精通する、多芸多才で器用な魔神だった。
 彼女の更に詳しい人となり、そして悲しい結末については書ききれないので要検索。
■本作
 ヘウリア(黎華)が魔神の格を得てから初めて『直接』*1出逢った魔神。当時はまだ帰終の名前を持っておらず、ヘウリアに「黎華」の名前を授けた張本人。
 表情豊か、魔神らしくなく愛嬌のある少女。しかし統治者たる魔神として冷静沈着な面も持ち合わせるが、本作でモラクスに鋭い声を浴びせたように、人間的な徳に厚い情も持ち合わせている。
 黎華の降伏という原作にはない運命の分岐によって、最も影響を受けるであろう人物の一人。
 情報の追記はしばらく更新が進んだ後にでも……。

*1
対面したという意

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