塩の民たちが列を成して帰離原を南下していく。
塩の魔神ヘウリアを信仰する民たちに最後の啓示が下された───帰離を統べる岩と塵の魔神、そして仙人たちに恭順せよと。
反発が全くなかったわけではない。己が信仰を主神自ら手放せというのは前代未聞であり、塩の民たちの間では少しばかりの混乱が起こった。
けれど現実を迫られてしまえば、民たちは否応なしに帰離集へと避難するしかない。なにせ、塩の魔神ヘウリアは悲しみのあまり自刃してしまったのだから……庇護者なき僻遠の地は、塩によって荒涼とした土地と化している。
生きるためには新たな魔神の庇護下に入らなければならない。信仰だけでは生きていけないのなら、異なる神を崇めることになろうと、恥も外聞も投げ捨てて帰順する以外に道はなかった。
中には死してなお信仰を貫き通そうとする殉教者もいたが、ヘウリアが直々に下した最後の神託を蔑ろにできるはずもなく、彼らは苦渋に耐え忍ぶ道を選んだ。
それこそが、虚無から目を逸らす唯一の方法なのだから。
「黎華様、準備が整いました」
「ありがとうございます。では、民たちのことはお願いしますね」
「……必ずや」
最後の別れとなる瞬間、側仕えの声音は悲憤に満ちていた。黎華は儚く微笑み、跪く側仕えの頭を優しく撫でる。赤子の頃から見守ってきた彼女は、すっかり黎華の身長を超えるまでになった。
きっと、黎華が璃月へ戻るころには側仕えの寿命は尽きている。無常を嘆くには歳を重ね過ぎた黎華だったが、それでも時間の残酷さに思うところが無いわけではなかった。
魔神としてのヘウリアは死に、これからは仙人として璃月に身を捧げることになるだろう。その間に、民たちは自然と璃月という国家に融和していくはず。なればこそ、黎華は交わした契約を遵守し、テイワットを奔走しなければならない。
「別れは済んだ? あの子は黎華のお気に入り? 悔いを残さないようにね」
「ええ、大丈夫です。……ねえ帰終、ワタクシという存在は思ったより薄情なのかもしれません」
「そうかしら。帝君に比べたら、難民を救ってきたあなたは慈愛の魔神を名乗れると思うけれど。あの仏頂面、民が怖がっちゃうもの。だから民衆の前に出るときは、いつも龍だったり虎だったり変化してもらってるわ」
「仙祖、でしたか。元素生物としてではなく、異なる神秘体系による形態変化の術……質量はどうなっているのでしょうか。内包する元素力に変容は────」
「ストップストーップ! もう、その癖は変わらないのね……ちょっと安心しちゃったけど」
雲来の海を一望できる天衡山の中腹、黎華の下にやってきた帰終が旧友の変わらぬ姿に苦笑した。
一望できるのは海だけではない。眼下に広がる開拓したばかりの臨海地は、これから璃月という国家の中心地となるであろう港を建設している最中だ。
民たちが港を開拓する光景へと、黎華の瞳は好奇の色を宿している。熱中すると視野が狭くなってしまう彼女の姿に、帰終は懐かしさを感じていた。
「す、すみません。ここ数百年、なかなか自分の時間を取れなくて……」
「もしかして、民の為にずっとテイワットを行ったり来たりしてたの? ちょっと献身的すぎない? 魔神でも流石に数百年間働きづめは……あの融通の利かない帝君だって最近は凡人観察をしに市井へ降りてるのに」
「め、滅多なことは言わないでください。あの御方は……きっと、何かお考えがあるのでしょう。最近は何かと物騒ですから」
「あなたの言う『最近』は数千年単位だから当てにならないでしょうに。もしかして戦争前の事を言ってるの? 私も帝君もまだ若造じゃない。もしかして黎華────あなた、
黎華は困ったような微笑みを浮かべた。
「さあ、ワタクシにも分かりません。降臨者の来訪を記憶していても、かの者たちが虚数の海の向こうでどのような運命を歩んできたのか……知るすべを持っていません」
「もう、はぐらかさないで。でもその口ぶりだと、あなたからすれば私も帝君も赤子のようなものみたいね。もしかしたら若陀より長生きだったりして」
「岩の元素龍ですか。まさか魔神である岩王が、かの龍と友誼を結んでいたのには驚かされました。龍王の系譜にとって我々魔神は不倶戴天の敵ですから」
「私たちも所詮、摩耗から抜け出せず天理の揺籃に囚われてるものね。でも龍だとか魔神だとか、そんな因縁を気にすることはないと思うの。この璃月は契約の国────人も魔神も仙人も、契約によって繋がることができる。モラクス……■離が『世の塵を払い、民を守る』という契約を交わしたあの時みたいに」
瞼を瞑りながらも、帰終の噛みしめるような声音には万感の思いが込められているようだった。
黎華はその光景を知らないが、魔神ハーゲントゥスがモラクスと共に帰離集を立ち上げた景色は、何にも勝る大切な思い出なのだろう。
少しだけ黎華はモラクスが妬ましかった。同時に、未だ人並みの感情を自分が持っていることに僅かばかりの驚きを得られた。
「……名もない琉璃百合の花畑が、帰離原と呼ばれるに至るまで。ワタクシも見届けてみたかったです」
「ざーんねん。こればかりは私とモラクスの契約だから」
花が咲くような、純真な笑みを浮かべて帰終がおどけてみせた。
変わらない────琉璃百合に囲まれ、未だ名を持たぬ帰離原を黎華が発ったあの時から、帰終の在り方は微塵も揺らいでいない。
人と魔神の在り方、テイワットの星空と深淵、絡繰りについて語り合った過去は何物にも代えがたい宝物だ。しかし今こうして、自らの信念を貫き『璃月』という国家を築きつつある帰終は、より一層に強い輝きを放っているようだった。
羨ましくもあり、妬ましくもあり、自分の矮小さに卑屈な感情が込み上げてくる。けれど黎華は認めざるを得ない。帰終の笑顔を目にして、救われた自分がいるのだと……かつてのように、難民という重荷から解放されて心に余裕が出来たことは、疑いようもない事実だった。
ヘウリアという名を捨て、縋ってくれた民たちを捨て、仙人として生き恥を晒すことに罪悪感は募るばかり。それでも、己の感情に嘘なんてつけるはずがない。
生きたままこうして帰終と語り合えることは、かつてと同等かそれ以上に、至福の時間と称しても過言ではなかったのだ。
「───随分と、打ち解けているようだな」
そこに、淡々とした声色で男が言葉を挟み込んだ。
「が、岩王……どうされたのです? そのお召し物は……ああっ!? その、ととと、とってもお似合いですとも! ええ!」
「ちょっと帝君、もっと雰囲気を考えて────あら、凡人たちで流行ってる『いめちぇん』ってやつ? 初めて見る格好ね」
「ん? この服装ことか。弥怒が……ああヘウリア、お前は知らないか。知己の夜叉が繕ってくれたものでな。悪い気はしないが、最近はやたらと試着をせがまれるようになって……まあいい」
いつもの頭を覆う戦闘服とは異なり、ゆったりとした格調高い衣装を纏ったモラクスが、眉根を寄せて嘆息する。岩を体現する魔神にしては珍しく感情を発露させていた。
モラクスがコホンと一呼吸を置く仕草にすら、黎華はびくりと怯えたように身体を竦ませる。このギクシャクした光景だけは改善される気配が無く、帰終は苦笑いしかできなかった。
「情報は確かなようだ。ヘウリア……黎華だったか。お前の言う通り、軽策の郊外に魔神の残滓を確認した」
「軽策って、確かちょっと*1前に帝君が魔神を封印したところよね」
「岩王の武勇は聞き及んでいましたが……『螭』なる存在とは異なる魔神でしょうか?」
「ああ。今回の件は、鳴海と留雲にも市井へ裏付けを取ってもらった。純粋かつ強大な炎元素……神の眼はおろか、元素生命すら凌駕すると彼女らが判断した。信ずるに値するだろう」
「あら、鳴海栖霞は物好きだから置いといて、留雲が凡人たちと顔合わせをしたの? いつもは『我は陽気な内向型だ~』とか言い訳してるのにねぇ……これが帝君流の『ぱわはら』ってやつかしら。黎華はどう思う?」
「パワハッ……!? わ、ワタクシはなんとも……留雲借風真君の御高名は『地中の塩』にも届いておりましたが」
「ふっ。本人に直接伝えると良い。お前ならばよき友になれるだろう。俺自身も陽気な性分ではないが……あれは些か厭世的過ぎるきらいがある」
再び、数年に一度もあるか怪しいほど珍しく、困ったようにモラクスが笑みを漏らした。
帰終は、その姿に目を丸くして驚いた。
そして黎華は、困惑したまま視線をモラクスと帰終の間で右往左往させていた。モラクスの笑みが嘲笑なのか苦笑なのか判然とせず、迂闊なことは言えないからだ。
さらに言えば、あの冷厳なモラクスでさえ「厭世的」と評する仙人は変わり者に違いないと、顔合わせもしていないのに気苦労が襲ってくるようでもあった。
「では、此度はかの御仁がご同行されるのですね?」
「ああ。お前の目付け役は留雲に頼んだが……」
「むしろ、黎華があの気難しい留雲をあやす役回りかも。私の絡繰り弩に負けてから洞天に籠りっきりだったし。じゃあ頑張って頂戴ね。私と帝君は海産物*2の相手で忙しいから、内憂はあなたと仙人たちに任せるわ」
「わ、分かりました。事が済みましたら、宴の準備をしてお待ちしておりますね」
黎華がはにかみ、帰終は茶目っ気のあるウインクで応える。
そして岩王帝君その人と言えば────
「……海鮮料理は少なめにしてくれ」
なんとも締まらない弱音を零していた。
◯魔神モラクス 岩王帝君
□原作
わりと公式で衣装が多いお洒落さん。ゲーム内に留まらずゲーム外のイベントなどでもオリジナル衣装が描き下ろされることが多い。衣装の製作は部下である夜叉が趣m……畏敬を込めて行っている。
本人が言及するセリフや、原作内の書籍にもある通り数多の化身を持つ存在。そのため、民間に降りて凡人というものを良く識っている……が、だからといって神の威厳が衰えることはないし、本人(神)の取るべき対応も契約の神として軟化したりはしない。
やっぱり海産物は苦手。けれど本人曰く、食べる際に海産物が想起されなければ普通に食べられるとのこと。
■本作
着せ替えたのちい。
◯塵の魔神ハーゲントゥス 帰終
■本作
わりとプライベートな場では口調がフランク。
◯塩の魔神ヘウリア 黎華
■本作
ふええ……帝君がおっかないですよう……