未だ、鳩は枝を運ばず。
魔名も無ければ呪いも無い。
『原初の人』どころか、人類という分類さえなく、元素生物としての括りならば、龍こそが最も種として近い。
白痴にして畢竟、それ故にそれ以上にはなり得ない『私』は、斯くあるべしと存在意義を定められた木偶でしかなかった。
「いっそのこと、神であればマシだよ。コレは人の欠陥品、けれど神にしては
「その猜疑は宜しくないわね。あたしたちが予定より早く
「ふん。きみ
「むくれても仕方ないわ。天理の計画がこうも順調に進んでいるのも、あの子が文明のメンターとしての責務を果たしているからだもの」
2つの影が『私』の価値を評論する。
龍王はこの大陸から天外へ去っており、高天の主が七王を退けたのは必定だと『死』は述べる。
事実、統べる者がいなくなった七王は、その荒ぶる業を抑えきれず、秩序なき内乱を繰り広げていた。
仮に『私』が存在しなかったとして、前倒しで執政が創造されずとも、高天の主が幻想大陸を掌握するのは『時間』の問題……ですらない当然の結末だった。
対して、『生』は計画そのものの進行に重きを置いていた。
『死』が述べた事実は肯定した上で、神聖なる計画のもと、荒涼たる光界力を地脈から人界に還元するには、執政の権能だけでは成立し得ない。
『生』を謳歌する者がいなければ、『死』だって存在意義を見失ってしまう。
『死』が訪れなければ、『生』の実感を語るなど烏滸がましく、ただ在るだけの現象でしかない。
荒涼とした聖土を天理は求めていなかった───先の戦いの本質はそこなのだと、『生』は『死』を宥めるばかり。
「……文明の発展。いずれ『生』を刹那的に消費し、『死』からの逃避を超越などと嘯くだろうね。未だ天からの庇護を受ける身でありながら、天外への憧憬などと不相応な欲を持つ者もいる。理解できない」
「万死を抱く女主人はおやさしいこと。不相応な欲もなく、テイワットの摂理を僣越することもなく、今こうして敬虔に祈りを捧げるこの子は───ロノヴァ、あなたにとって
『生』の眼差しが向けられる。
『死』の視線が逸らされる。
「人間……? コレが? どうやらきみと私とでは、価値観に乖離があるようだ」
どこか不遜で、どこか感情的な。
執政としての使命感が誰よりも強い『死』は、同じ影だろうと、龍だろうと、魔神だろうと───凡人だろうと。
そこに『死』があるならば視座を変えることなどありはしないのに。
「天外からの一瞥、許されざる死生の越権、現象の体現。どれも被造物の在り方に反しているよ。地脈にも帰せず、虚界すら汚染しかねない。因果地平の先で、イスタロトが魔名で縛れたから事なきを得たけれど」
「……そうね。」
「それも、一瞥を寄越した余所者の気まぐれでしかない。天理の影たる私たちが、そんなものに左右されるべきでははないはずだ」
『死』の言葉には、今までにない熱があった。
瞑目しながら祈りを捧げているからこそ、『死』の決意めいた声音に込められた感情の機微を、『私』は鮮明に感じ取ることができる。
「あたしたちも、テイワットからしたら余所者でしょうに。神なら他者の生き死にを弄んでもいい……それは傲慢ではなくて?」
「きみが凡人の信仰から得たものは皮肉だけか? 許すも許さないも、傲慢か否か判断を下すのが私たちだ。神以外に、この不条理を凡人どもが背負えるとでも?」
「
切り捨てるような『死』の物言いを、果たして誰が否定できようか。
虚界どころか、そこらに屯する元素生物にすら遅れを取りかねないのが人間だ。
文明の興隆も、限られた人類による元素力の行使も、神への信仰による庇護も。
そのどれもが天から与えられ、彼ら人間はそれを享受するだけの弱者であるというのに。
天の使いと共に、文明を先導する『私』だからこそ。
人間の卑小さと傲り───そして未知への探究心を痛いほど思い知っている。
「きみも、イスタロトも。少しはアスモダイを見習ってほしいものだ」
「それは遺憾ね。イスタロトが言っていたでしょう?
『時』と『空』が居ない今、『生』は意地悪そうに微笑んだ。
天理の写し身たる執政は、新たな主を愛した時にこそ、天の傀儡から逸脱することを許される。
それは天への謀叛ではないか。
けれど、そんな影の欠陥を創造したのは、設計者たる高天の主に他ならない。
この矛盾した意図を、無知蒙昧たる『私』などが思考を巡らせるなんて不敬が過ぎる。
だから、そういうものだと受け入れるしかなかった。
まるで、愛に呪われた魔神のように。
愛でしか呪いを解けない執政も、天理によって弄ばれる他愛なき存在なのだと。
嗚呼、『天理の裁定者』よ。
御身が総ての『死』を平等に抱き留めてくれるなら───
一体
「ナベリウス様。なぜ、アスモダイ様を哀れむのですか?」
「ん? あなたはどう思うの、■■■■■?」
「愛に殉じることは、哀れなのでしょうか?」
私の拙い質問に答えたのは『死』だった。
「
「では神の慈悲とは、愛ではなく哀れみ故の施しなのですか?」
「……慈悲とは、権能を授けられし神の責務だ」
「権能がなければ───御身は『死』を愛さないのですか?」
純真というより白痴な『私』の、あまりに中身のない空虚な問いかけに、『死』は言葉を窮してしまった。
未だ、人間でも魔神でもない身の上で、不遜だったかもしれない。
だが聞かずにはいられなかった。
執政としての在り方に、誰よりも誇りと矜持を携えた『死』の危うさは儚くもあって。
その天への献身が報われずに終わってしまいかねない現実に……『私』は
「ワタクシ
『私』は言外に、天理すら『死』の献身に報いることはないと突きつけてしまっていた。
当然の帰結で、平等に『死』を授ける執政としての視座は、つまるところ影たる執政すら───天理にとって凡人と同等以下の価値しかない。
それも『神聖なる計画』が遂行されれば、人間未満の存在意義でしかなく、哀れを超えて惨めに過ぎる。
「きみが、わたしを? 天理に
頑なに視線を逸らし続ける『死』の、その玉体へと『私』は両手を伸ばす。
後ずさりをして『私』から離れようとしたのは本能か。はたまた執政として、人間の出来損ないに触れるべきではないという忌避感か。
今となっては知る由もない。
元より、天理とその影たる執政を慮ること自体が、身の丈に合わない不敬である。
それは天外からの一瞥を授かっていようと、自認がテイワットに属する『私』には耐えかねる不名誉だ。
『私』は不思議そうに小首を傾げて、後ずさりする『死』に両手を伸ばし続けることしかできないでいた。
「『死』は平等、けれど『死』
そんな『生』の言葉と、『死』の苦々しく歪んだ相好だけは、ひどく脳裏に焼き付いて離れなかった。