Special Rapid Service   作:永谷河

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2012年、北海道某所にて

2012年5月末日、北海道新冠町新井牧場

 

北海道新冠町は、サラブレッドの生産牧場が集中する町である。その町のどこかに新井牧場は位置していた。サラブレッドの生産牧場である新井牧場は、それなりの数の繁殖牝馬を抱える中堅規模の牧場であった。

そんな牧場の厩舎の一角に従業員が集まっていた。

日本最北端の都道府県である北海道とはいえ、この時期になると徐々に暖かくなってきている。しかし、早朝ということもあり、従業員たちは肌寒さを感じていた。

 

 

「そろそろか……」

 

 

新井牧場の場長である新井勇作の目の前には、お腹を大きくした鹿毛の牝馬がいた。しばらく前から出産の兆候を見せていたため、集中して見守っていた馬であった。

この鹿毛の牝馬の名前は「Ghost mysterious(ゴーストミステリアス)」という。

名前のとおり、彼女は日本産馬ではない。アメリカ合衆国ケンタッキー州の牧場出身のアメリカ産馬であった。アメリカで競走馬としてデビューしたものの、大きな活躍はできず、3歳夏に故障をして引退したという経歴の持ち主である。

本来は、出身地の牧場で繁殖入りする予定であったが、縁あって新井牧場で繋養されることになった。

 

 

「5月末の出産か……」

 

 

「去年に比べて落ち着いているから、大丈夫ですよ」

 

 

「そうか、それならいいのだが……」

 

 

まだか、まだかと馬房前でうろうろする勇作を落ち着かせるため、長女の洋子が大丈夫だと声をかける。

5月末の出産は、日本のサラブレッドにとっては、結構な遅生まれである。馬の成長は人間とは比べ物にならないほど早いため、遅生まれは成長に不利な要素であった。また、勇作の脳裏には昨年の光景が思い浮かんでおり、これがさらに不安を呼び寄せていた。

ゴーストミステリアスは、昨年にフジキセキとの仔を生んでいるが、その際に暴れてしまい、従業員(勇作)が軽いケガをするという事故があったのだ。幸いにも母子共に無事であったが、あの時のことを考えると、勇作たちが心配になるのも無理はない。

 

しばらくすると寝藁の上で横になっていたゴーストミステリアスの馬体が震える。すでに陣痛が始まっていた。

 

 

「よし、無事にでてきた」

「あとは……」

 

足が出て頭が出る。そして、無事に全身が寝藁の上に産み落とされたのであった。

母が仔馬をなめており、今のところは、普通の出産と変わっていない。去年のように暴れまわることもなかった。

勇作たちは、生まれた仔馬の姿を確認する。

 

 

「これは、黒鹿毛か?いや、ちょっと黒っぽい鹿毛か」

 

 

「顔の流星もお父さんに似ているね」

 

 

毛色は鹿毛で、額から鼻上にかけて、白色の流星が走っていた。

ぱっと見でわかるほどの奇形は確認できなかったため、一安心であった。

 

 

『ああ、生まれたよ。今年は大丈夫だった!』

 

 

確認を終えると、勇作は他の従業員に仔馬が誕生したことを伝えていた。

それを横目に、洋子は産み落とされた鹿毛の仔馬を見守っていた。

 

 

「あれ、もう?」

 

 

生まれて10分もたっていないのにも関わらず、鹿毛の仔馬はふらふらと立ち上がったのである。そして母馬の乳を飲もうとしていたのであった。

 

 

「ってもう立ったのか。早いなあ!」

 

 

「なんかぴょこんと立ち上がったみたいで……拍子抜けだよ」

 

 

立つのが早ければ強い馬になるとは限らないが、それでも一種のアピールポイントにはなる。

これから、この仔馬は競走馬として生きていく。健康に育つこと、そしてより高値で、より有名なオーナーに売れることが重要である。そのためには、仔馬時代のエピソードというのも大切だったりするのである。

 

 

「なんにせよ、本当に良かった。元気に育つんだぞ~」

 

 

「遅生まれを跳ね返してほしいね」

 

 

勇作たちは、必死で母の乳を飲もうとしている鹿毛の仔馬も見ながら、元気に育つことを願っていた。

 

その後、ゴーストミステリアスの2012は、遅生まれの影響か同期に比べれば体つきは貧弱であったが、致命的な病気にかかることなく、放牧に出すことができた。やたらとぴょんぴょんと跳ね回ることから「ぴょん吉」と従業員から呼ばれて、可愛がられていた。母馬も去年のことが嘘のように、子育てに集中しており、今のところ問題は起きていない。

ただ、気になる点がないわけではなかった。

白色の靴下をはいているように見える右後ろの脚が、少しではあるが、外向きになっていた。問題になるレベルでは今のところはないが、不安要素ではあった。

勇作は、仔馬の様子を眺めながら、彼の血統について改めて考え直す。

 

 

「タニノギムレットか……」

 

 

昨年、ゴーストミステリアスに種付を行った種牡馬は、タニノギムレットであった。そしてこの仔馬の父である。

タニノギムレットは、ブライアンズタイムを父に持ち、2002年の日本ダービーを勝利した名馬である。種牡馬としては、GⅠ7勝のウオッカを輩出していた。ただ、他に大きな競争(GⅠ級)を制した産駒は出ておらず、人気が徐々に落ち着きつつある種牡馬でもあった。

2010年に種付けを行ったのはフジキセキであったため、今年はサンデー系から外れた血統の種牡馬をつけたいと考えていた。そしてお手ごろな値段であったタニノギムレットが選ばれたのである。

ただ、娘たち曰く、「単純に父がタニノギムレットのファンだったから」とのことである。

 

 

「ゴーストミステリアスは完全な米国血統。少なくとも現代競馬に必要なスピードに対応できると思うが……」

 

 

近年の日本競馬は、中距離重視にシフトしている。また、時計の早い高速競馬が日本競馬の特色にもなっていた。そのため中距離でスピードのある馬を生産する必要があった。もちろん、パワーやスタミナも重要であることに違いはないが、まずはスピードであった。

タニノギムレットは、マイルから2400mで力を発揮していた馬だった。代表的な産駒のウオッカもマイルから2400m、特に東京競馬場で無類の強さを誇った馬であった。

そして母父は、BCクラシックをレコードで勝利した、ゴーストザッパーである。短距離から2000メートルで活躍した名馬だ。米国のダートは、日本のダートとは異なり、時計が出る馬場であり、そこで大活躍したゴーストザッパーのスピードは、間違いなく本物である。これがうまく作用すれば8ハロンから12ハロンが適正距離で、スピードのある馬を作れるのではないかと勇作は考えていた。

ただ、これでうまくいかないのが馬産というものだったりするので、今はこの馬に合った種牡馬も模索中でもあった。

ちなみに次は、シンボリクリスエスやキングカメハメハ等のアメリカ血統の人気種牡馬をつけることを考えていたりするらしい。

 

 

「いずれにせよ、しっかりと育つんだぞ」

 

 

血統が良ければ走るというわけではない。捕らぬ狸の皮算用で痛い目を見てきたことはたくさんあった。しかし、勇作たちにとって、生まれてきた仔馬たちは、大きな夢を描かせてくれる大切な存在であった。

かくして、それなりに良血な鹿毛の仔馬が北海道の大地に産み落とされたのである。

 

 

数か月が経過し、秋の訪れを感じるころ、新井牧場の放牧地で鹿毛の仔馬が走り回っていた。

勇作たち従業員は、仔馬がやたらと食べるところや気が付くと走り回っているやんちゃ坊主に手を焼いていた。その割に、発熱等でよく体調を悪くしてしまう体質の弱さを見せており、不安な気持ちにさせていた。フジキセキ産駒の兄は大人しいが、病気とは無縁の体質だったため、半兄弟でこんなに違うのかと改めて認識させられていた。

 

 

「ぴょん吉~」

 

 

勇作の妻の裕子と、長女の洋子が件の仔馬の名前を呼ぶ。

すると、名前に反応したように、こちらに飛ぶように走ってきていた。

 

 

「賢いのは間違いないんだが、どうも落ち着きがないなあ」

 

 

体調がいいときは、元気いっぱいに走り回り、ご飯をたくさん食べていた、母馬の乳を飲もうとし過ぎて、母馬が「もう疲れた」といった感じで勇作たちの方を見つめてきていたこともあった。

その割に、すぐに熱を出してしまうところもあるので、本当に手がかかる仔馬であった。だからこそかもしれないが、勇作の妻と娘は熱心に面倒を見ているのである。

他にも世話をしないといけない馬はたくさんいるため、あまり1頭に入れ込み過ぎないようにと注意はしているが、今のところ聞き入れられていない。

 

 

「単純に女が好きなだけか……?」

 

 

勇作や男性の従業員がぴょん吉と名前を呼んでも「スンッ」といった感じでそっけない態度をとってくる。

 

 

「いや、馬に人間の雄雌は関係ないか」

 

 

単純に熱心に世話をしてくれる女性2人に懐いているだけだと結論付けたのであった。

 

 

「お父さん、そろそろ人が来る時間だよ!」

 

 

ぴょん吉のことをボーと見ていたため、約束の時間を忘れそうになっていた。娘の言葉にハッとなり、急いで出迎えの準備をする。

新井牧場は大手の牧場に比べれば規模小さいが、新冠町で長年サラブレッドの生産をしてきた、中堅牧場である。そのためか、当歳馬や1歳馬を見に、有名牧場の幹部クラスの人間が見に来ることもある。勇作が日本に持ってきたゴーストミステリアスの仔を見てみたいという人も意外と多かった。

1歳馬で夏のせり市場に出す予定のゴーストミステリアスの2011は、黒鹿毛で見栄えの良さも相まって、人目を集めていた。バランスの良い身体をしており、気性も健康面も問題ないため、ぜひ売ってほしいと声を掛けられるほどであった。

一方のぴょん吉であるが、当歳馬ということもあり、まだまだ分からないというのが全員の感想であった。遅生まれや、右後ろ脚が外向肢勢であったため、マイナスの評価を受けることが多かった。しかしながら、跳ねるように走り回る様子を見て、光るものを感じていた人も多かった。

 

 

「鹿毛の仔はなかなか良さそうですね。遅生まれなので、体つきは同世代に比べれば未熟ですが、それを踏まえてもバランスに優れていますね。あとは1歳馬の方もよい感じです」

 

 

「ありがとうございます。期待の繁殖牝馬です」

 

 

「将来的にゴーストミステリアスには、うちの種牡馬たちを付けてみるのもいいかもしれませんね」

 

 

「余裕があれば人気の馬を付けてみたいですね」

 

 

ただ、人気の種牡馬の種付け料は相応の値段が設定されている。ただ、この2頭が高値で売れて、ミステリアスの評価が上がったら、ディープとミステリアスの相乗効果で、億単位で取引ができるのではないかとひそかな考えを持っていた。

 

 

「その時はうちの系列のクラブが買うかもしれませんね」

 

 

「その時は何卒」

 

 

この言葉は、数年後に実現することになるのだが、この時はただの冗談でしかなかった。

 

何はともあれ、ぴょん吉というあだ名をつけられた鹿毛の牡馬は、それなりの評価を受けて、当歳馬時代を過ごしたのであった。

 

 




前作ほど長くする予定はないです。淡々とした内容にする予定です。

あと、主人公の馬は賢いですが、中の人はいません。
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