Special Rapid Service   作:永谷河

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ターニングポイント(前編)

1月末の美浦トレセンは、例年通りの冬の寒さに襲われていた。しかし、トレセン関係者たちは、寒さをこらえながら、競走馬たちの世話や調教を行っていた。

その中で、1頭の馬がトレセンのコースを走っていた。

森本が騎乗したスペシャルラピッドが坂路コースを走っており、その様子を関係者が見ていた。

 

 

「ラップもかなりいいな。ベストを更新する必要はないが、馬なりでここまでいいのは調子が上がってきている証拠だろう」

 

 

スペシャルラピッドは、2月6日(土)東京競馬場開催の白嶺Sに出走予定であった。当初の予定通り、1600万以下の条件戦への出走であった。

スペシャルラピッドの調子が1月以降上向きの状態が続いており、いつも何かしらのアクシデントが付きまとう調教もスムーズに進んでいた。調子のいい状態の時にレースを使いたいということもあり、2月初旬のこの時期のレースが選ばれたのであった。

 

 

「今日もしっかりと走ることができました。今までにないくらいに身体の状態が上向きです」

 

 

「やはりそうか。6日のレースが楽しみだな」

 

 

「ええ。ただ、いきなり体調不良になったりすることもあるので、油断はしないようにしましょう。最近は落ち着いていますが……」

 

 

二人は、入厩して、体調を崩したり、足を痛めたりしていたころのスペシャルラピッドを懐かしむ。ちょうど昨年の真冬の時期であった。そのころに比べると、随分と立派な馬体に成長していた。

 

 

「ただ、最近ちょっと気性が悪くなりつつありますね。油断すると乗り手を振り落とそうとしたりしてきますよ。おそらく元気が有り余っているみたいです。『前に行かせろ、全力で走らせろ!』といった感じでかなりうるさいです」

 

 

もともと、レースでは気性難といわれていたスペシャルラピッドであったが、調子が良くなるのと同時に、性格もアゲアゲな方向に変化していた。元気いっぱいなのはいいが、人の指示に従おうとしない点はマイナスであった。

 

 

「可愛くて大人しかったラピッド君はいずこへ……」

 

 

「私たちには最初から塩対応だったので、可愛げはなかったですね。まあ、日常生活では相変わらず大人しいので、想定の範疇ですけど」

 

 

「そういえばそうだったな……」

 

 

「縣先生は、特にぞんざいに扱われていますからね。我々調教側の人間を好きになる馬の方が珍しいくらいですが」

 

 

馬に命令する調教師たち、騎手は、馬から嫌われることが多い。しかし、スペシャルラピッドの場合は、最初から縣達に冷たかった。男性で懐かれているのは、オーナーの大宮だけであった。

 

 

「とにかく、次のレースに勝てば、オープンクラスに入れる。そうなれば、レース選択の幅も広まる。それに、調教をしっかり施せたときのラピッドがどのくらいの走りができるのかを確認しておきたい」

 

 

「調子が良すぎて、暴走しなければいいのですけど……」

 

 

「そこは能海君の剛腕に任せるしかないかな。一応調教でも抑えることは教えているので、そこを本番で思い出してくれれば……」

 

 

「また、能海騎手の役割が大きそうですね……」

 

 

「能海君も最近は騎乗成績も上がってきているし、心配はいらないでしょう」

 

 

「そうだといいのですが」

 

 

次のレースも能海秀樹騎手が騎乗することが決まっていた。大きな騎乗ミスはしていないうえ、昨年の秋競馬から、成績が向上していたため、乗り替わりの必要はないと縣と大宮は判断していた。

 

その後、スペシャルラピッドの調教は順調に進んでいき、最終追切でも自己ベストを更新する走りを見せていた。強めの調教であったが、今までのように体調を崩すといったこともなかったため、ついに覚醒し始めたのかと、思われていたのであった。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

2016年2月6日、東京競馬場。この日は、東京競馬場のレースが新馬戦か未勝利戦、条件戦であったこともあり、そこまで多くの観客は来ていなかった。

スペシャルラピッドは第11レースの白嶺Sに出走予定であった。パドック周回前の人気は圧倒的な1番人気であった。さすがに4戦目となると、前3戦の圧勝劇を知っている人も多く、その走りを見せてほしいと願う競馬ファンたちからの支持を受けていた。

大宮は、馬主席から愛馬の出走するレースを待ちわびていた。

前日の飲みの席で、縣から「スペシャルラピッドの調子がいい。期待してほしい」という話を聞いていたこともあり、大宮も調子に乗っていた。

馬主席に行けば、「ああ、あのスペシャルラピッドの……」といった視線を受け、馬主会で知り合った友人からは、「今日も期待ですね」といわれていた。また、競馬予想でも、多数の本命の印を付けられていた。これで気分が良くならないわけがなかった。

 

大宮は、メインレースまでは普通に競馬を楽しんでいた。珍しく馬券も当たり、今日は運が来ていると感じていた。

そして、スペシャルラピッドが出走する第11レースのパドック周回が始まる。当然のように、酒を入れていた大宮は、自分の愛馬を見に、パドックに向かった。

 

ルンルン気分の彼の目に映ったのは、パドックで好き放題にしているスペシャルラピッドであった。

あまりにもうるさいため、伊藤厩務員と森本調教助手の二人で曳かれていた。前走もパドックではうるさい馬であったが、今日はさらに酷くなっていた。

 

 

「縣先生、あれ大丈夫なんですか?」

 

 

「ちょっと調子が良すぎるみたいです。パドックに向かう途中から、テンションが上がり切ってしまっているようで」

 

 

「本番で疲れ切っていたり、燃え尽きたりしませんよね」

 

 

「それについては、大丈夫だと思います。発汗は見られますけど、許容範囲内です。ただ、返し馬で暴走しないか心配ですね」

 

 

「それがあるのか……」

 

 

「そこは能海君を信じるしかないですね」

 

 

「不安だなあ……」

 

 

パドック周回を終え、騎手が乗り込み始める。大宮も能海に会釈をして、彼の姿を見送っていた。そして、縣達と別れて、馬主席に向かう。

 

 

「まだ1番人気だな。他の馬の集中を乱していそうで、申し訳なく感じるなあ」

 

 

謝った方がいいかなと思っていると、返し馬が始まり、ゲート入りが始まる。ゲート前でチャカついているのがはっきりとわかるほどであった。

ただ、ゲート入りはすんなりと進んだため、少し安心していた。

 

 

「ラピッド!がんばってくれ!」

 

 

大宮の祈りと共にゲートが開き、レースが始まった。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

東京競馬場のダート1600メートルのスタート地点では、ゲート入りが行われていた。パドックや返し馬でチャカついていたスペシャルラピッドもゲート入りはスムーズに進んだため、関係者は一安心していた。

15頭全頭がゲートインしてスタートを待っていた。

 

 

『……スタートしました。好スタートを切ったのは、10番スペシャルラピッド。好ダッシュで先頭に立つのは11番ノボバカラ、主導権を握ります』

 

『内から2番のクライスマイル、間から1番人気のスペシャルラピッド、4番クラシックメタルも出てくる』

 

芝コースからダートコースに入り、内側2番と11番の馬が先頭争いをしていた。そのすぐ後ろにスペシャルラピッドは控えていた。

その後、向こう正面では、先手を取った2番、11番、4番の馬がおり、そこから1馬身後方にスペシャルラピッドがいた。

 

『……第3コーナーに入ります。先頭は依然として2番クライスマイル、そこと11番ノボバカラ、そして外から10番スペシャルラピッドが上がっている!』

 

第3コーナーを回る途中、スペシャルラピッドが、先頭を走る2番と11番の馬を外から抜かしていった。そしてそのまま先頭立つと、後続をぐんぐんと引き離していく。

 

『第4コーナーに入って先頭はスペシャルラピッド!後続が離れていく。2番手は2番のクライスマイルと11番のノボバカラが走る』

 

 

第3コーナーを抜けて、第4コーナーを走るスペシャルラピッド。すでに2番手に5馬身近く差をつけていたが、その加速は止まる気配がなかった。

 

 

『10番スペシャルラピッドが先頭で直線に入る、すでに10馬身近くの差がついている。独走だ!ぐんぐんと差を広げる。残り400メートルでも全く脚色が衰えない!むしろ加速している!これは強い!』

 

 

スペシャルラピッドが残り400を切って、単独で先頭を走っていた。後続が直線に入り、猛追するものの、さらに加速するスペシャルラピッドに追いつけそうな気配もなかった。

 

 

『残り200を切った!これは決まったか!いや、これは!』

 

『スペシャルラピッドが外によれる。これは故障か!後続が突っ込んでくる。11番ノボバカラが粘る、そこに6番サノイチが来る。これは決まったか!』

 

 

残り200メートルを切った瞬間、スペシャルラピッドの加速が止まった。それと同時に、減速しながら外によれていった。双眼鏡で先頭を見ていた観客は、能海騎手が顔をこわばらせて、全力で馬を止めようとしている姿を見た。

大きく差を付けられていた2番手以降の馬や騎手たちは、外ラチに減速しながらよれていくスペシャルラピッドの姿を見ながら、ゴール板を通過していった。

 

『1着サノイチ、2着はイントロダクション、3着に……』

 

そしてゴールまでのこり50メートルを切ったあたりで、停止していた。しかし、停止する寸前に能海騎手を外ラチにぶつけて落馬させていた。

 

『10番スペシャルラピッドが競走中止、能海騎手も落馬しております。これは大丈夫でしょうか。救急車と馬運車が向かっておりますが……』

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

一番見たくない瞬間であった。

後続に大差をつけて先頭で走ってきたスペシャルラピッドは、残り200メートル地点で外によれ、そのまま競走中止となった。

その瞬間、縣たちは、全速力で現場に向かった。ゴール前50メートルほどでスペシャルラピッドは止まっていたが、明らかに動揺している様子であった。

近くでは、外ラチに叩きつけられた能海騎手が倒れている。

 

 

「ケガか!どこだ!」

 

 

「ラピッド!大丈夫だよ!」

 

 

縣達が身体をチェックし、伊藤が、馬を落ち着かせる。

縣がパッと見ただけでは、ケガの箇所はわからなかった。少なくとも開放骨折などの、この場で予後不良にしなければならないレベルのケガではなかった。

縣が、直感的にまずいと感じたのは、能海騎手の方であった

 

 

「すいません……俺は、俺は何もできなかった」

 

 

意識がもうろうとしているのか、譫言のような言葉を発しながら、能海騎手は担架で救急車に運ばれていった。

 

 

「ラピッド。大丈夫だよ。もうすこし頑張ろうね」

 

 

厩務員の伊藤が、ラピッドを落ち着かせるため、声を掛けながら、首や顔をゆっくりと撫でる。

 

 

「ラピッドも少し落ち着いてきました。伊藤くんのおかげです」

 

 

能海騎手の近くで、止まっていたスペシャルラピッドであったが、ちょっとした刺激で暴れまわりそうなほど動揺していた。

ただ、伊藤や縣達といった見知った顔が来たおかげもあり、少しずつ落ち着いてきているようだった。

 

暫くして、歩かせてみたところ、右後ろ脚をかばうような歩き方をしていた。

 

 

「右後ろ脚か……」

 

 

森本が唸るように該当場所を見つめる。彼のウィークポイントといえる場所であった。

 

 

「調子は良かった。それに身体も成長していた。能海君だって抑えていた。なぜだ?なぜだ?」

 

 

縣も譫言のように、レースの内容やケガの原因を推察していた。その顔は真っ青になっており、明らかに動揺していた。

 

 

「縣先生!今はラピッドが大きなケガでないことも祈りましょう。幸い歩けています。馬運車に乗れています。原因究明は後にしましょう!」

 

 

「あ、ああ。そうだな。そうだ、すぐに検査と治療だ」

 

 

馬運車に乗せられて、スペシャルラピッドはコースから去っていった。

大宮は、血の気を失った顔で自身の愛馬が運ばれていく姿を見ていた。ショックで体が動かなかった。

 

こうして、スペシャルラピッドの4戦目は、競走中止という結果に終わった。

陣営にとって最悪の一日であった。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

「ここは……俺は確か!」

 

 

目を覚ますと知らない天井であった。という鉄板ネタを忘れるくらい、能海秀樹は動揺していた。

2月6日の第11レース、スペシャルラピッドという馬に騎乗していた彼は、落馬して救急車に運ばれたことを思い出していた。

 

すぐに医者や看護師が来て、意識が回復したことを祝われた。長い時間眠っていたというわけではなく、目が覚めたのは6日の夜であった。能海も完全に意識を失っていたわけではなく、救急車で病院に運ばれたことはうっすらと記憶していた。

 

その後、医者から、落馬の際に頭を打った関係で、脳震盪を起こしていたことを聞いた。幸い、外傷はなく、脳機能等にも異常はないとのことだった。ただ、セカンドインパクト症候群の危険があるため、暫くは絶対安静とのことであった。

頭の方が大丈夫であったが、身体の方は、外ラチにぶつけたあばら骨が何本か骨折していた。このため、復帰には時間がかかるといわれていた。

ただ、能海は自分のケガのことよりも、スペシャルラピッドの状態の方が気になっていた。

 

能海が入院してから次の日、見舞いに来た縣が、スペシャルラピッドの状態を伝えた。

 

 

「スペシャルラピッドのケガだが、そこまで深刻なものではなかった。右後脚の剥離骨折だ。あと、剥離骨折と同じ個所だが、小さなヒビが入っていた。獣医でもよく見ないとわからないぐらいの奴だったけどな。とりあえず、軽度な骨折で済んだ」

 

 

「剥離骨折……全治はどれくらいですか?」

 

 

「剥離骨折だけなら、おそらく3~4か月程度。ヒビの方は、安静にしていれば、剥離骨折が治るころには問題なくなるとのことだ。ただ、競走に復帰するには、5か月は必要だと考えている」

 

 

「そうですか……」

 

 

骨折の中でも、軽度なものであったため、能海も一安心していた。しかし、自分が乗った馬を競走中止にしてしまった後悔が襲ってくる。

 

 

「まあ、原因究明はもう少し後からだ。今はゆっくりしなさい。絶対に安静にすること」

 

 

「わかりました」

 

 

「あと、全部自分のせいだと思い込まないこと。少なくとも、あのままゴールに突っ込んでいたら、どんなケガに発展していたか考えるだけでも恐ろしいほどなんだから。あの時、全力でラピッドを止めた判断は間違いじゃなかった」

 

 

その言葉は秀樹にとってはありがたい言葉ではあったが、多分無理だとも思っていた。

スペシャルラピットのケガの原因は自分の騎乗のせいだと思っていた。

自分の騎乗が許せなかった。

 

 

「何やってんだよ、俺……」

 

 

スペシャルラピッドという、素晴らしい馬の経歴に傷をつけてしまったこと。

数年前から何も変わっていないという不甲斐なさに失望していた。

 

 

 

 

 

 

 

 




主人公の覚醒は、少しだけ待っていただける幸いです。
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