Special Rapid Service   作:永谷河

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天皇賞(秋) 前編

夏の暑さも過ぎ去り、少しずつ涼しくなり始めた10月。中央競馬では、秋競馬が本格的に始まっていた。スプリンターズSや菊花賞といったGⅠレースが開催され、競馬ファンは大きく盛り上がっていた。

そんな彼らの注目は、10月30日に東京競馬場で開催されるGⅠレース、天皇賞秋であった。伝統と格式ある重賞レースで、毎年有力馬が出走する注目度の高いレースである。

今年も、有力馬の出走が予定されており、どの馬が勝利するのかレース前から予想合戦が繰り広げられていた。

このような状況のなか、美浦トレセンでは、天皇賞秋に出走する競走馬の一週前追い切りが行われていた。

競馬関係者の注目馬は、マイルGⅠを4勝しているモーリスと2015年クラシック二冠馬のドゥラメンテの2頭であった。2頭ともに追い切りでは良好な数字を出しており、調教師から期待の言葉が聞けていた。

そして、その注目はスペシャルラピッドにも向けられていた。

 

スペシャルラピッドの1週前追い切りは、同厩舎の条件馬との併せ馬であった。僚馬の2馬身ほど後方を進み、騎乗者の合図とともに一気に加速。6ハロン83.0-11.2の時計で3馬身差先着を決めていた。加速ラップを刻んでおり、しっかりと折り合いの付いた調教が行えていた。

これを見た関係者は、前走は決してまぐれではなく、純粋な実力で出した結果である可能性が高いと判断していた。このためスペシャルラピッドは、GⅢ1勝馬にしては、大きく警戒、注目を受けることになった。

追い切り後は、報道陣による取材も行われ、それぞれの馬の調教師が対応していた。スペシャルラピッドの調教師である縣と騎乗していた秀明も同様にインタビューを受けていた。

 

『縣調教師、スペシャルラピッド号の追い切りの手ごたえは如何でしょうか?』

『まあ、いいんじゃないでしょうか。前走の疲れも抜けていますし、しっかり走ってくれました。期待できる内容です』

『ありがとうございます。能海騎手、騎乗の感触は如何でしょうか?』

『いいですね。指示にも従いましたし、調子もいいです。勢いがありますね』

『能海騎手、ありがとうございました。縣調教師、関屋記念が記憶に新しいですが、あのパフォーマンスを期待しても良いということでしょうか』

『是非に、と言いたいところですが、出走メンバーは強敵ばかりなので断言はできませんね。ただ、ベストは尽くしていきますので、応援よろしくお願いします』

 

短いインタビューであったが、陣営の自信を感じされるインタビュー内容であった。調教内容の良さも相まって、スペシャルラピッドの評価は高まりつつあった。しかし、モーリスやドゥラメンテといった実績のある有力馬の人気には届いていなかった。

 

 

1週間追い切りを終えると、縣厩舎では、徐々に空気がピリピリし始めていた。GⅠレースで勝ち負けできる馬の管理は初めてのことだったためである。スペシャルラピッドも調教メニューが厳しくなり、体重の調整のために食事(特におやつ)が制限されたことで、レースが近いことを察して、徐々に顔つきが走り屋の顔になっていた。それはそれとして、おやつをよこせと不満げな嘶きや前搔きをして、伊藤を困らせていた。

 

そんな雰囲気の中、枠順が決定した。

スペシャルラピッドは8枠17番からの出走であった。それを踏まえて、事前の作戦会議が開かれた。騎手の秀明も参加しており、レース前の最後の本格的な作戦会議であった。

出走馬の情報や、当日の天候、過去のデータなどが資料として並べられていた。

 

 

「それにしても外枠か……」

 

 

外枠は好ましくはないが、決まったものは仕方がなかった。ただ、その枠順に対して、秀明は全く堪えていなかった。どうするかと悩んでいた縣に、問題ないと話す。

 

 

「まあ、外でも問題ないよ。本当に強い馬に枠順は関係ないから」

 

 

スペシャルラピッドの能力を知っているからこその発言である。ただ、東京競馬場2000メートルの場合、外枠は先行馬には不利な形状である。スタートしてすぐに第2コーナーがあるため、ポジション取りが難しいためである。しかも今回は、キタサンブラックやエイシンヒカリといった有力な逃げ馬もいる。逃げ先行のポジション争いはし烈なものになると予想していた。

 

 

「それに、ラピッドはスタートが上手だ。いつも通りの競馬をすれば、おのずと結果はでるよ」

 

 

「確かに悲観的に考えない方がいいですね。下手に戦法を変える方がリスキーということですか……」

 

 

「キタサンブラックにエイシンヒカリ、それにロゴタイプも場合によっては逃げるだろうし、ペースが速くなる可能性がある。ただ、ハイペースな消耗戦でもラピッドは戦えますからね」

 

 

「そうなると怖いのはキタサンブラックのスタミナか……」

 

 

菊花賞に天皇賞春を勝利しているステイヤーであり、そのスタミナは脅威だった。

 

 

「それに、ドゥラメンテにモーリスも驚異だよ。ドゥラメンテが3歳時の走りをしてきたら本当に怖い。モーリスもそつのない競馬をするし、本当に強い馬だらけだ」

 

 

名前の挙がった馬はすべて複数回GⅠを勝利した馬の名前ばかりである。しかし、こういった実力馬に勝利しなければ、永遠にGⅠホースになることはできない。

 

 

「この馬たちに負けないくらいラピッドは強いよ。本番で証明しますから」

 

 

「頼みましたよ。ベテラン騎手の力を見せてください」

 

 

縣は、「さすが先輩、頼りになるベテランだ」と思い、作戦会議を続けた。最終的には、いつも通りの競馬をするという、なんでもない結論に達したのであった。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

天皇賞秋前の金曜日、秀明は騎乗のために調整ルームに入った。秀明は調教予定の馬がいないため、東京競馬場の調整ルームに入室していた。周りは、天皇賞で戦うライバル騎手ばかりである。そんな状況でも、後輩騎手に絡みに行き、ウザがられていた。

しかし、和室の部屋で一人になると、途端に不安や緊張が襲い掛かる。縣に大言を吐いていた秀明であったが、本音ではかなり緊張していた。

 

 

「……息子のことを笑えねえな」

 

 

出走馬の情報だけでなく、騎手や調教師の性格や傾向もすべて頭に叩き込んでいた。大きなレースの時は、必ず行うルーティンワークであった。ただ、実際の競馬では何があるかわからないため、その時はその時で行動するようにしていた

悲観論で考え、楽観論で行動する。これが秀明のモットーであった。

 

 

「ラピッドなら勝てる」

 

 

20年以上騎手を続けて初めて出会った格別した才能のある馬であった。秀明も過去に、GⅠを獲ったことあった。しかし、スペシャルラピッドには、そのGⅠ馬を超える能力を持っていると考えていた。また、歴史に名を刻んだ歴代の名馬たちに劣らない能力があると考えていた。だからこそ、絶対に勝たせたかった。

世間では、スペシャルラピッドは実力が未知数の馬と評価されている。GⅢ馬にしては高い評価を受けているが、モーリスやドゥラメンテなどの人気馬には遠く及ばない。

彼らを倒し、この馬の才能を証明する。それが、天皇賞秋で能海秀明の最大目標であった。そして、念願の調教師となった後輩、零細馬主のオーナー、彼らの夢を叶えてやりたいとも思っていた。もちろん、久しぶりにGⅠを勝利したいという気持ちがあったことは言うまでもない。

 

 

「穴馬というほど、ラピッドは弱くない。だが、馬券が舞うかな」

 

 

天井を眺めながら、にやりと笑う。ゴールした瞬間に舞い散る白い馬券が秀明にとっては快感であった。

そんな頭の悪いことを考えているうちに、就寝時間を示すアラームが腕時計から鳴り響く。

寝る前のルーティンワークとして。体内時計を確認する。

 

 

「うし、ぴったり。寝よ」

 

 

数秒で爆睡した秀明の手に握られていたストップウォッチの時計は、ぴったり60秒を示していた。

大番狂わせを演じてきた騎手による、大勝負が幕を開ける。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

10月30日、東京競馬場は賑わいを見せていた。観客の目当ては、メインレースの天皇賞秋を見ることであった。

そんな観客に紛れて、馬主の大宮貞治郎は、今日のために奮発して購入した新しいスーツや帽子、靴を身に着け、勝負服に合わせた色のネクタイを締めて競馬場を訪れていた。やや早い時間に到着したため、馬頭観音に参拝し、その後に馬主席を訪れたのであった。

メインレースが近づくにつれて、天皇賞に出走する馬の馬主たちが馬主席に集まり始め、彼らの姿を見て、大宮たちは緊張していた。

 

 

「おい、あそこにいるのって、あの演歌歌手じゃねえか……」

 

 

招待した友人は、馬主席にいる大物演歌歌手を見て震える。近くには、大手クラブの代表や、大物馬主の姿も見える。

すると、その中の数人が大宮の姿を見て、挨拶にやってきた

 

 

「大宮さん。今日はお手柔らかにお願いします」

 

 

「あ、いえ。こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 

馬主として雲の上の存在ともいえる人たちとの会話である。経営者として社会経験のある大宮でも、胃が痛くなっていた。

 

 

「それにしてもいい馬を見つけましたね。私もゴーストミステリアスの産駒には注目をしていたんですが、新井牧場で見たときは体質の弱さが気になりましてね。その時は見送ってしまったんですがね……」

 

 

大手クラブの代表を務める男性は、当歳馬時代のスペシャルラピッドを新井牧場で見たことがあった。素質はありそうだと見ていたが、足の外向や体質の弱さを聞いていたため、クラブ馬としては難しい馬だとも思っていた。

その馬が、気が付けば重賞馬になっていた。惜しいことをしたと思っていた。

 

 

「ありがとうございます。本当に強い馬で驚いています」

 

 

「あの関屋記念の走りは、まぐれではないと思います。強い馬だと思います」

 

 

それは、スペシャルラピッドの強さを認めており、決して油断はしていないという言葉でもあった。

その後、馬の血統の話や大宮の次の所有馬について、一口馬主への誘いなど、なかなかにディープな話をして、盛り上がったのであった。

大宮が会話を終えて、友人のところに戻ると、気兼ねなく参加しているようで、食事などを楽しんでいた。

 

 

「疲れた……」

 

 

「お疲れさん。何というか、紳士の社交場って感じだな。それにしても酒がうまいな。弁当もうまそうだ」

 

 

「なかなか大変な時間だよ。まあ、楽しいと言えば楽しいがな」

 

 

気苦労は絶えないが、たのしい時間でもあった。

 

 

「大宮さんですね?私こういうものでして……」

 

 

自分も何か飲もうかと思ったら、今度は別の馬主からも声を掛けられる。なかなかゆっくりする時間は取れず、緊張する場面が続いていたが、「有名な馬主たちとこの舞台で会話をする俺は、GⅠレースに馬を出す馬主なんだ」と、少しばかり優越感を感じていたのであった。

 

そうこうしているうちに、第11レースのパドック周回が始まろうとしていた。そのため、急いで馬主席から、パドックへ向かっていった。

パドックに入ると、出走馬がゆっくりと歩いていた。その中から、自分の馬を見つけて様子を見る。伊藤厩務員に曳かれているスペシャルラピッドは、相変わらずの高いテンションでパドックは歩いていた。

これだけ見ると入れ込んでいるように見えるが、この「俺はやるぞ、走るぞ」といわんばかりのパドック周回が、彼がいつも通りの調子であることを物語っていた。

 

 

「やはり、他の馬の仕上がりもよさそうだな……」

 

 

モーリスにキタサンブラック、エイシンヒカリなど、GⅠを勝利した馬の仕上がりは、素人目に見てもなかなかのものであった。ただ、目の前にいる自分の愛馬も彼らには負けていないと確信していた。

暫く順調に歩いていたスペシャルラピッドであったが、目線が何かを追い続けているように見えた。

 

 

「あれは……ドゥラメンテか?」

 

 

その目線の先には、変な歩き方でパドックを歩いているドゥラメンテの姿が見えた。それを見ていると、後ろから声を掛けられる。

 

 

「ラピッドの奴、ドゥラメンテのことずっと見ているな。やっぱり仲が悪いのか……」

 

 

調教師の縣と、騎手の能海秀明であった。

 

 

「ああ、喧嘩をしたと言っておりましたね……」

 

 

「ええ、あれ以来両者は犬猿の仲ですよ。いや、どちらかというとラピッドの方が一方的に嫌っているといった方がいいかな?今は、伊藤君もいるし、そういう喧嘩をしてはいけない場所だってわかっているから大人しくしているみたいですが」

 

 

「そうなんですか……レースに影響はでないですよね?」

 

 

幸い、枠順は離れているので、隣同士になって、例の宝塚記念みたいにならないとは思っていたが、悪影響が出ないか心配であった。

 

 

「そこは、ちゃんとレースに集中させますので。まあ、ゲートに入ったら走ることしか考えなくなる馬なので、大丈夫だと思いますよ」

 

 

「そうですか……」

 

 

そんな会話をしているうちに、パドック周回が終わり、騎乗合図が出る。秀明がスペシャルラピッドに近づき、その背中に乗り込む。

 

 

「頼みました。初のGⅠを、天皇賞の盾をお願いします」

 

 

「わかりました。全員倒してきます」

 

 

馬たちが本馬場へと移動する間に、大宮は急いで自分の席に戻る。

本馬場入場、返し馬、国歌斉唱からの関東GⅠのファンファーレが鳴り響く。

大宮が見た限りでは、いつも通りの状態であった。

スタートが近づくにつれて、緊張で手に持った帽子が震える。

 

 

「頼むぞ、ラピッド……」

 

 

中距離の王者を決める国際GⅠレース、天皇賞秋が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 




能海秀明は、若いころはイケイケの騎乗をしていましたが、いろいろあって、どんな馬でも乗りこなす最後の砦的な騎手になっています。ミユピーやリュージ、ブッシー等々の騎手的な存在です。
割と重賞を獲ってきたりするので、腕は本物です。
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