Special Rapid Service   作:永谷河

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衝撃のデビュー、なお……

2015年5月31日、東京競馬場。

 

5月最終週の日曜日。この日は、すべてのホースマンたちの憧れであり目標である、ダービーが行われる日であった。そのため、午前中の第1レース前にもかかわらず、それなりの数の観客が競馬場にやってきていた。

その中に大宮はいた。彼は、日本ダービーを観戦するために来たのではなかった。第1レースの3歳未勝利戦に出走する自分の愛馬の走りを見るために、東京競馬場に訪れていた。

 

 

「やっと、やっとラピッドの姿が見れる……」

 

 

デビューが遅くなることは重々承知であった。ただ、ダービーの当日にデビューするとは思ってもみなかった。

新馬戦は終わってしまったため、未勝利戦がデビュー戦にならざるを得なかった。

5000万円以上で買った馬が5月デビューということで、大宮の友人からは同情的な目で見られていた。億単位の馬がそもそもデビューできなかったという事例もあると慰められたことも、大宮の自尊心をすこし傷つけていた。

縣調教師から、調整は不十分であったという話は聞いている。それでも、自分の馬が先頭で駆け抜ける瞬間をどうしても見たかった。

新聞では、調教のタイムは平凡だが、光るものがあるとして、そこそこ評価はしてもらっている。能力検定が良かったこともプラス評価であった。しかし、パドック中継では、まだまだ絞り切れていないという理由で、あまりよろしくない評価をもらってしまっている。

大宮も、パドックで歩く様子は見ていた。女性厩務員に曳かれて、大人しそうに歩いており、穏やかな顔つきは、レース前でも変わっていなかった。

 

 

「大丈夫かなあ……」

 

 

「戦う顔をしていない」と言われてしまわないかと心配であった。

スペシャルラピッドは、良くも悪くもいつも通りであった。ほかの馬たちは、レースの経験がある馬ばかりである。その馬たちと戦えるのか不安であった。

縣調教師からは、大丈夫とは聞いているが、それでも不安なものは不安なのである。

 

 

「頼んだぞ……」

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

「やっと、やっとここまでこれた……」

 

 

調教師の縣は空を仰ぎながらつぶやいた。調教助手の森本も、その言葉にうんうんとうなずいていた。

目の前のパドックでは、悩みの種であったスペシャルラピッドがのそのそと歩いている。初めて見る人だと、やる気がなさそうに見えてしまう馬であった。

スペシャルラピッド号は、縣の人生で、一番で気を遣う馬であった。体質の弱さでまともな調教はできず、想定していた時期より2か月以上もデビューが遅くなってしまった。

それもダービーの日にデビューである。

 

 

「ダート1600メートル。結局ダートでのデビューになってしまいましたね」

 

 

本日の東京競馬場第1レース、3歳未勝利戦は、ダート1600メートル戦であった。身体が出来上がっていないのに、芝コースでスピード勝負をさせるには、まだ早いと判断したが故のレース選択であった。

 

 

「まあ、ダートも走れる馬だったのが幸いでしたね……」

 

 

このスペシャルラピッドという馬は、意外と器用な馬であった。どちらかといえばマイラーに近い身体つきであったが、基本的にはバランスのいい身体つきをしており、繋ぎや蹄に癖がなかった。どちらかといえば、得意なのは芝の方であったが、ダートもしっかりと走れたのである。競争能力に関する欠点といえば、右後ろ脚が原因なのか右回りが苦手なくらいであった。

あれやこれやと二人が話しているうちに、パドック周回が終わり、騎手が騎乗する時間になっていた。

 

 

「とにかく、最近は調子が良くて、やっと調教ができたのだから、このチャンスを逃してはならないです。能海君!勝ってきてください」

 

 

「は、はい!」

 

 

縣に肩をたたかれ、闘魂を注入されたのは、能海という名の若い騎手である。

いきなりだったこともあり、裏返った声で、返事をしてスペシャルラピッドに騎乗したのであった。

 

 

「……ベテランに頼んだ方がよかったかな」

 

 

能海騎手は、縣厩舎所属の5年目の騎手である。本来は、別の有名騎手や、ベテラン騎手に騎乗依頼を出していたが、すべてダメであった。素質馬ということもあり、「デビュー戦は是非」と営業をかけている騎手も多かった。しかし、今日のレースに関しては、先約が入ってしまっている人が多く、彼らも断らざるを得ない状況だったというのも大きい。

それなら、スペシャルラピッドの調教の手伝いで、何度も騎乗したことがある能海騎手が、まだ一番適していると判断したため、初戦の騎手として選ばれたのであった。

 

 

「まあ、彼は慎重な騎乗が多いので、不安要素の多いスペシャルラピッドにはあっていると思いますよ。それが原因で伸び悩んでいるところはありますが、新人の時に色々あったので......」

 

 

「あれは仕方がねえとは思うけど、そろそろ克服してもらわんと困る。まあ、この馬で色々と掴んでくれればいいのだけど、やっぱ心配だなあ……」

 

 

「あんまり彼の前であの時の話はしないでくださいよ」

 

 

「さすがに言わんわ!」

 

 

縣と森本がコントをしている間に、本馬場入場まで始まっていた。

 

 

「頼むぞ~」

 

 

縣は神に祈るように手を拝んでいた。

調教師としてそれはいいのかよと思いつつ、森本は、大丈夫だろうと考えていた。

 

 

「何馬身差になることやら……頼むから抑えてくれよ、能海騎手」

 

 

森本は、あくまで冷静であった。縣は心配になりすぎるあまり、スペシャルラピッドに過保護になっているように見えていた。それが欠点であり、魅力でもあるとは思っていたが。

調教助手として、スペシャルラピッドの育成に携わり、この馬は多少調教が甘くても、身体が未熟でも、この時期の未勝利馬に負けるはずがないと確信していた。

むしろ、一生懸命走らせすぎないように、気を付けてほしいと思っていたくらいである。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

『第一レース、ダート1600メートル。3歳未勝利戦。16頭立て。ゲート入りが始まっております。1番人気はドリームユニバンスであります』

『……4枠8番スペシャルラピッドが入る。……』

 

 

東京競馬場では第1レースが始まろうとしていた。

ダート1600メートルということもあり、芝コースの上からスタートすることになる。

ファンファーレが鳴り響き、16頭の競走馬がゲートに入り始める。

 

 

『16頭ゲートイン完了。スタートしました!8番スペシャルラピッド、サノタイクーンが好スタート。早くも抜けてリードを1馬身、2馬身付けます……』 

 

 

スタートと同時に大外のサノタイクーンとスペシャルラピッドが馬群を飛び出して、先頭に立ち、芝コースが終わり、ダートコースに入るころには、3番手のイプノーズに2馬身ほど差をつけていた。

 

『ダートに入りまして、1400を通過。5番手は……』

 

 

好スタートを切ったサノタイクーンが鼻を取り、その1馬身後方にスペシャルラピッドがいた。その後ろには10番のイプノーズと11番のコイオスが追走していた。

 

 

『……残り1000メートルを通過、先頭は依然としてサノタイクーン、半馬身後方にスペシャルラピッド、さらに1馬身後方に……』

 

 

スペシャルラピッドは2番手でレースを進めていた。後ろから追い立てるようにスピードを上げ始めており、つられて先頭のサノタイクーンも加速していた。さらにそれに追走するように先行策をとっていた4頭ほどの馬が速度を上げ始めていた。

 

 

『……第3コーナーに入って、その後ろに……』

 

 

第三コーナー中盤で先頭を走るサノタイクーンを外から抜いていったのがスペシャルラピッドであった。さらに3番手以下の先行集団が次々と加速していき、先頭を奪おうとしていた。

 

 

『第4コーナーに入って先頭はスペシャルラピッド。内側サノタイクーン、3番手に外からイプノーズが来ている……』

『残り600メートルを通過、各馬続々と鞭が入っていく!。先頭はスペシャルラピッドだ……これはかなり早いペースだ!』

 

 

第4コーナーに入り、先頭をゆくスペシャルラピッド。

コーナーが終わり、直線に入るころには、2番手に2馬身ほど差をつけていた。

 

 

『さあ直線に入って先頭はスペシャルラピッド!。リードを広げていく。2番手サノタイクーンがいる。3番手、4番手にイプノーズとドリームユニバンス……』

『残り400を切った。先頭スペシャルラピッドだ。3馬身、4馬身とリードを広げる。独走だ!持つのか、これで持つのか。2番手は……』

 

残り400メートルからさらに加速し、どんどんと後続を引き離していく。そして、200メートルを切り、ハイペースに巻き込まれた先行馬たちが後方に下がりつつある中、中団や後方で待機していた馬が自慢の末脚で一気に前に躍り出ようとする。

普通であれば、末脚を爆発させ、先行馬たちを抜かしていった3番人気の馬が、先行勢を差し切ってゴールできるはずであった。

 

 

『スペシャルラピッド先頭!リードは6馬身、7馬身。強い、本当に強いぞ。後方からデストリーライズが追い込むがこれは届かない。8番スペシャルラピッド先頭でゴールイン。本当に強い、強すぎるレースだ!。2着はデストリーライズ。3着は……』

『2着に何馬身差がついたのでしょうか……』

 

 

暫くすると、掲示板に結果が表示される。そこには9馬身差の文字が映っていた。

 

 

『9馬身差、9馬身差です!。勝ち時計は1.34.9。3歳未勝利戦にしてはハイペースな展開でしたが……』

 

 

途中まで2番手で競馬を進め、4コーナーで先頭に立って後は独走状態。強すぎる勝ち方であった。

途中までは平均よりやや遅いペースであったが、残り1000メートルを切ったあたりから、ペースが一気に早まっていたことが、ハイペースの原因であった。

 

 

――――――――――――――――

 

 

『強い、本当に強い。これが初出走の馬なのか!』

 

 

第1レースではあったものの、それなりの観客が詰め寄せていた東京レース場はどよめきに包まれていた。

3歳未勝利戦という、格のないレースであったが、その勝ち馬のパフォーマンスが驚異的であったからだ。

 

縣達も、圧倒的なパフォーマンスを見せつけたスペシャルラピッドに呆然としていた。彼が、世代トップレベルの素質馬であると、能力を高く評価していた。しかし、調教の仕上がり具合がまだまだと呼べる状態で、ここまで強い競馬ができるとは考えていなかった。

 

 

「うわ!強いですねえ~。鞭一つ使ってませんよ。あれで抑えてたんですか」

 

 

「うわー本当に強いなあ~~~~。じゃねーよ!ラピッドは虚弱体質なの!脚部が強くないの!何やってんだ能海!」

 

 

スペシャルラピッドは、まだ、筋肉の付き方を含めて未熟な馬である。また、疲れがたまりやすく、回復が遅い馬である。さらに、脚部がそこまで強靭ではないということも判明していた。そのため、これだけのパフォーマンスを発揮して勝つことは想定外であった。フルパワーで走らせたら、何が起きるかわからない馬だったため、能海騎手には、抑えるように、慎重にいくようにという指示を出していた。

 

 

「能海君もあれでかなり馬を抑えていましたよ。鞭なんか使ってたらもっと凄かったんじゃないですか?」

 

 

実際、能海騎手も途中まで前に行こうとするスペシャルラピッドを抑えようとしていたように見えていた。

そうこうしているうちにスペシャルラピッドが装鞍場に戻ってきた。疲れた顔をしており、全力で走っていたことがわかる。

そして、騎手の方も全身汗で濡れており、疲労困憊の様子であった。

 

 

「お疲れ様。だいぶ疲れているな......」

 

 

「ありがとうございます。抑えたんですけど、途中で前に出ようとして少し加速させたら、もう止まりませんでした」

 

 

「そうか……その辺が今後の改善点だな。ただ、レースの話はまた後でしよう。今は勝利を喜ぼう」

 

 

「すいません……」

 

 

縣と能海が騎乗や馬の感覚などの話をしていたが、そこに森本が問いかけてくる。

 

 

「そういえば、大宮さんはどこに?彼も主役なのに……」

 

 

レースも終わり、スペシャルラピッドが装鞍場に戻ってきて、鞍が外され始めているのに、馬主の姿が一向に見えない。ウィナーズサークルに向かい始める時間になっているにも関わらず、大宮が来ていないのである。

もしかして先にウィナーズサークルの方に行ってしまったのかと思ったが、馬主として初勝利じゃないし、それはないかと縣は思った。

連絡を取るかと考えていたが、遠くから全速力で走りながら大宮が駆けつけてきたのがみえた。

 

 

「すいません。遅れました!」

 

 

「心配しましたよ。大丈夫ですか」

 

 

「いや、ちょっと意識が……」

 

 

大宮は遅れた理由を説明する。

大宮は、馬主席で愛馬の雄姿を見届けていた。

緊張で胃が痛くなるような思いで、ゲート入りや道中を見ていた。そして、先頭で直線に入った時は、興奮して手に持っていたハンカチを引っ張っていた。後ろをぶっちぎってゴールした時は、興奮しすぎて、シルクの高級ハンカチを破っていた。

そして、頭に血が上りすぎたことで、暫く椅子の上で呆然としていたのである。

周りの馬主から、驚愕や祝福と共に心配の言葉を投げかけられていたが、そのことを彼は覚えていないようであった。

一瞬気を失っていた話を聞いた縣達は、「大丈夫か?このおっさん」と内心で思っていた。

 

ドタバタもあったが、関係者全員でウィナーズサークルへと向かい口取りが行われた。驚異的な勝ち方だったこともあり、3歳未勝利戦にしてはインタビューや写真を撮る人が多かった。大宮が最後に「ありがとう」とスペシャルラピッドの首元を撫でると、嬉しそうに彼の顔を舐めまわしていたことも、写真を撮る人が多かった原因だった。

 

 

口取り後、大宮は馬主席で、愛馬が勝ったレースの中継を何度も見返しながら、次のレースの観戦を楽しんでいた。

メインレースの日本ダービーも馬主席から観戦しており、すさまじい末脚を見せつけたドゥラメンテの勝利を祝っていた。馬券は外れていたが。

 

そして心の中で、「俺のラピッドの方が強い」と、調子に乗っていた。

 




忘れていましたが、この馬のモデルは、ツルマルツヨシ、ダイユウサク等の体質が弱いエピソード持ちの馬+慢性的な脚部不安を抱えていたマルゼンスキーです。
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