Special Rapid Service   作:永谷河

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書き溜めていた分が終わるので、以降は週一を目処に投稿します


少し早めの夏休み

2015年初夏、北海道の新井牧場にスペシャルラピッドはいた。

彼は、ソエを発症したため、休養とリフレッシュを兼ねて新井牧場に戻ってきていた。

幸い、軽い症状であったため、8月には復帰できるとみられていた。また、あまりに貧弱な体質を改善する必要があるため、7月中までは、牧場で体つくりを優先させたいと考えていた。

 

 

「ドゥラメンテが骨折か、これは痛いなあ……」

 

 

皐月賞と東京優駿を勝利した二冠馬が骨折で15年シーズンを全休することが決まったというニュースを見て、新井は残念そうに呟く。

ダービーのレコード勝利が頭に残っており、間違いなく世代最強の馬だと感じていた。

菊花賞か秋古馬路線か、それとも凱旋門か。どこに向かうのか注目していただけになかなか痛いニュースであった。

 

 

「……まあ、うちの馬の方が心配なんだがな」

 

 

新井牧場に戻ってきたスペシャルラピッドは、放牧地でのんびりとしていた。牧場に戻ってきたときは、相変わらず熱を出したり勇作に塩対応だったりと、以前に牧場にいたころとあまり変わっていなかったため、懐かしい気持ちにさせられていた。

 

 

「それにしても9馬身差か……これで身体と脚が強ければなあ……」

 

 

事務所の壁紙に張られた新聞記事には、スペシャルラピッドの初勝利の記事が飾られていた。生産者代表として口取りにも参加していたが、9馬身差は衝撃的だった。未勝利戦とはいえ、圧巻の内容であった。

そして、ソエを発症して戻ってくるという話を聞いて、頭を抱えたのであった。

 

 

「まあ、1勝は1勝だ。少なくとも未勝利引退がなくなっただけでも良かった。それに産駒を売るときのアピールにもなる」

 

 

ゴーストミステリアスの産駒は、2頭がデビュー済みで、2頭とも勝ち上がっている。昨年のセリで取引されたダイワメジャー産駒の牝馬も、デビューに向けてトレセンで調整中であるとのことである。

兄姉たちのおかげで、今年1歳になるキングカメハメハ産駒の牡馬も高値で取引できるだろうと考えていた。

スペシャルラピッドの欠点である体質の弱さは、「遅生まれだから仕方がない」という言い訳が利くところがあるので、意外と繁殖牝馬ゴーストミステリアスの評価は落ちていない。

勇作は、スペシャルラピッドがさらに活躍して、弟、妹たちの評価もさらに上がってほしいと考えていたのだった。

 

勇作がまだ見ぬ産駒たちにロマンを感じていたころ、長女の洋子は、馬房でスペシャルラピッドの世話をしていた。

彼は、首元を撫でると嬉しそうにするため、コミュニケーションの一環として、彼女はよく撫でてあげていた。

 

 

「やっぱり賢いよね、ぴょん吉は」

 

 

自分の名前をしっかりと理解しているように見えていた。また、洋子や母の裕子が近づくと、すぐに嘶いで反応していた。足音や歩き方で誰が誰なのかを判別しているのだろう。

その一方で初対面の男性や勇作にはかなりの塩対応で、好物の人参やリンゴを出されても、「スンッ」といった感じで食べようともしない。必ず洋子や裕子からしか貰おうとしなかった。

勇作は、可愛げがないと嘆いていたが、懐かれている女性陣からすれば、賢くて懐っこいため、最高にかわいい馬であった。

 

 

「足が痛いのすぐに治るといいね~」

 

 

「ヒヒン」と軽く嘶き、服を引っ張ってくる。かわいいなあと思いつつ、首元をかきかきしてあげる。そうすると、気持ちよさそうな顔をして嘶く。

 

 

「甘えん坊だなあ……」

 

 

人間の洋子には、馬の言っていることはわからないが、多分「気持ちええ~」みたいなことを言っているのだろう。

こんな幸せな毎日を過ごしていたこともあり、スペシャルラピッドはブクブクと太っていった。

気が付いた時には、30キロ近く太ってしまったのである。ケガもあったので、強めに運動をさせなかったことが原因であった。

群れや馬の仲間がいれば、高い闘争本能が故に、走り回っていただろうが、1人で放牧されていたため、いつものんびりとしていた。このことが、彼のデブ化に拍車をかけていた。

 

 

「……こしあんボディ」

 

 

久しぶりに見に来た縣が、黒っぽい鹿毛のむっちりした身体つきを見てつぶやく。

その言葉に従業員全員が笑いを隠せなかった。

 

 

「……幸せそうな顔しやがって。ビシバシ……は無理だからプール主体かなあ」

 

 

縣が「こんなに肥えよって」といった感じで、首元を撫でると、「気安く触るな」といった感じで、首で手を振り払われる。

可愛げがねえと思いながら、縣は今後の方針を考えるのであった。

 

そして数日後の8月初旬、すっかり肥えたスペシャルラピッドは美浦トレセンに戻った。

おデブになったスペシャルラピッドは、さっそくプールで扱かれていた。ただ、泳ぐのが上手なラピッドは、すいすいとプールで泳いでおり、楽しそうにしていた。

 

 

「相変わらず泳ぐのがうまいですね」

 

 

「馬は泳ぐのがうまいやつが多いからな。一部例外はいるが」

 

 

地方競馬で川を渡って脱走した馬もいるくらい、馬は泳ぐのが得意だったりする。ただ、何事にも例外はおり、泳ぐのが苦手、嫌いな馬もいる。例として二人の頭に思い浮かんだのはヒシミラクルだった。

 

 

「それよりもプール終わったらすぐに体をふいてやれよ。前みたいに風邪ひかれたら困るからな」

 

 

「その辺りは伊藤君にも言っていますよ」

 

 

プールが原因なのか不明だが、風邪をひきやすいもやしっ子のため、アフターケアは万全にしないといけなかった。

 

 

「ほらほら!あと少しだ!がんばれ」

 

 

縣の応援が効いているのか不明だが、馬とは思えない速さで泳ぎ切り、プールから出ていく。

「お疲れさん」と縣が近づいた瞬間、全身を振るわせて身体についた水を弾き飛ばす。

 

 

「うげ!」

 

 

弾き飛ばされた水を全身に浴びた縣は、悲鳴を上げていた。当のラピッドはご満悦な様子で、縣達を見ていた。

 

 

「……やっぱ可愛くねえ」

 

 

「それも彼の愛情表現ですよ、きっと」

 

 

相変わらず調教師たちに塩対応なスペシャルラピッドであったが、なんだかんだ暴れたりはしないため、日常の気性面で手がかかるというわけではなかった。

そんなプールトレーニングをこなしているうちに、体つきも引き締まってきたのであった。

体重計に乗ると、トレセンに帰ってきた時より減量に成功していた。

 

 

「前が501㎏で、今は518㎏か。このままなら510㎏くらいで安定しそうだな。10㎏分は成長分かな?」

 

 

「個人的にはもう少し絞れるとは思いますが、ケガや体調不良のリスクもあるので、そのくらいでいいと思います」

 

 

「まあ、それでいいか。それよりも次のレースなんだが、8月のレースを使おうと思う。オープンはちょっと無理だろうから、下級条件からレースに出していく予定だ」

 

 

縣達は、8月初旬に新潟競馬場で行われる条件戦に出走させることを予定していた。本当はオープン戦を使いたかったが、時期が3歳の夏であるため、収得賞金の関係で出走できない可能性が非常に高かった。縣たちは、未勝利戦の強さや、調教での様子から、この馬が条件戦に出していいような存在ではないと思っているが、その辺りはどうしようもなかった。

 

 

「多分賞金額で除外になると思いますし、少しずつ格上挑戦させていくしかないですね」

 

 

「これが去年の今頃ならなあ……」

 

 

「その辺はデビューが遅い馬の宿命みたいなものです。あまりたくさんレースでは使いたくはないのですけれどね」

 

 

全力で走ると疲労回復に時間がかかることや、脚部へのダメージの増加などがあるため、なるべく使うレースの数は減らしたいというのが陣営の本音であった。

 

 

「いかに余力を残して勝たせるかが重要になります。能海君の責任が重くなりますね」

 

 

「そうなるなあ。ただ、抑えて負けたりしたら油断騎乗とかで能海君に不利がいってしまうかもしれんから、そこのさじ加減が難しいな」

 

 

「心配でしたら、別の騎手に変えるのもありだと思いますが。秀明騎手を含めて、営業をかけている騎手はいますよ」

 

 

「まあ、秀明先輩が向いていそうな馬ではあるけど……」

 

 

能海秀明は、縣の1歳年上である。縣にとっては、よくしてくれた先輩であった。そして、逃げや先行が得意な騎手であり、知る人ぞ知る癖馬マスターでもあった。

 

 

「私は、秀明騎手に騎乗依頼する方がいいとは思いますが……」

 

 

「まあ、そこは大宮さんとも相談してみるよ。俺は、所属厩舎の騎手に乗ってほしいってタイプだから、引き続き能海君に乗ってもらいたいけどね」

 

 

自分の所属馬には、所属騎手に乗ってもらうという方針は、調教師縣浩平の美点でもあり、欠点でもあった。

馬主からしてみれば、より上手な騎手に騎乗してもらいたいというのが本音であるため、しばしば意見が合わなくなることがある。縣もその辺りは、柔軟に対応しているので、馬主とケンカ別れになったことはないが、あまりよくは思われていないことは事実であった。

 

 

「やけに能海君とラピッドをくっ付けたがりますね」

 

 

「うーん。まあそこは騎手出身の勘ってやつよ。名騎手に相棒ありってね。俺はそういう馬に出会えなかったけど」

 

 

「私は、その辺はわかりませんので……」

 

 

森本は騎手出身ではないため、縣のいうことはよくわからなかった。

 

 

「俺もわからないけどね~」

 

 

「……やっぱバカですよ、先生」

 

 

森本は、「え、酷くない?」という縣の言葉を聞き流して、予定するレースや騎手について考えながら、厩舎の建物に入っていった。条件戦の次はオープン戦あるいはGⅢやGⅡへ。来年はGⅠを走らせてやりたいと考えていた。

目の前の馬房には、プール運動を終え、一息ついているスペシャルラピッドがいた。

森本が近づくと、ちらりと顔を見て、すぐに目線を外すのであった。

相変わらずの塩対応であった。

 

 

「オーナーにはなんで懐くんだろうな?」

 

 

入厩したときから変わっていないため、ある意味で安心であった。

 

 

「さて、次も頑張ってくれよ」

 

 

縣厩舎で見られるよくある一日の光景であった。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

2015年8月初旬。東京都内の某所の会議室に、二人の男がいた。

 

 

「8月29日の条件戦ですか」

 

 

「はい。新潟競馬場で行われる3歳上条件戦に出走させます。ダート1800mです」

 

 

「新潟か~あそこは酒もうまいからなあ」

 

 

「自分も新潟に行くときはよく買って帰りますね」

 

 

「縣さんもいける口ですか?」

 

 

「騎手や調教師なら酒が飲めんとあかんですよ」

 

 

レース予定の話をするはずが、酒や食べ物の話で盛り上がる。縣も騎手や調教師として日本全国を回っていた関係で、いい店や酒屋、銘柄をたくさん知っていたため、大宮との話は弾んでいた。

 

 

「さて、酒の話はここまでにしておいて、競馬の話です。定期的に連絡はしていますが、スペシャルラピッドは今のところは順調に調教ができています。少し休んだことが良かったのでしょう。最近は坂路なども走れるようになったので、大きく進歩しました」

 

 

「おお~それは良かった。かなり太っていたときはどうしようかと思いましたが、それならよかったです」

 

 

「むしろ太ったのが良かったのかもしれません。身体を発達させる栄養を補充できたのですから。2か月程度の休養でしたが、リフレッシュもできたようです。もしかしたら、こうやってレース毎に放牧に出してあげた方がいいかもしれないですね」

 

 

「そうなると走れるレースが限られてしまいますね……」

 

 

「それに加えて、彼は、右回りが大嫌いです。癖や身体つき的にも右回りの競馬は控えた方がいいと考えております。そうなると、出走できるレースはかなり限られます。また、輸送にも弱いです。長距離遠征はもってのほかです。関東近縁、遠くて新潟、中京が今は限界でしょう」

 

 

縣が、出走可能な競馬場をリストアップした地図を大宮に手渡す。

地図には、現時点でスペシャルラピッドが走れる競馬場である、東京、新潟、中京と地方の浦和と川崎、船橋競馬場がリストアップされていた。

 

 

「かなり少ないですね。というか、私の馬、弱点が多すぎませんか?」

 

 

芝とダートの二刀流ができる割に、弱点も多い馬である。

 

 

「素質だけなら冗談抜きで世界最強レベルなので、その辺は等価交換があったんだと思います」

 

 

競馬の神様は、しっかりとバランスを考えているようだと大宮は思ってしまった。

 

 

「とまあ、前置きが長くなりましたが、関東近縁かつ、左回りコースのレースである新潟競馬場の条件戦を選びました。9月の東京競馬場のレースにしようかとも思いましたが、プチ遠征といった感じで輸送にも慣れてもらう必要があると考えたためです」

 

 

「プチ遠征ですか……いつかは遠くに行ってみたいですねえ」

 

 

「いずれは、海外なんかに行ってみたいですね。馬の特徴的に、アメリカやドバイなんかが向いていそうです。ただ、飛行機に乗ったら、冗談抜きで衰弱してしまうと思うので、今のままでは無理です」

 

 

「ドバイか~行ってみたいなあ……でも飛行機か……」

 

 

普通の馬でも体調を崩してしまうような遠征を、スペシャルラピッドが行ったら目も当てられない結果になるだろう。

 

 

「とにかく、競馬に慣れることや、体質の改善が必要になりますね。その辺りは、焦らずに進めていこうと思います」

 

 

「わかりました。よろしくお願いします」

 

 

大宮は、プロの仕事に口をはさむもんじゃないというスタンスをとっているため、よほどのこと以外は縣たちに任せていた。

 

 

「それで、あとは騎手ですが……」

 

 

もう一つのネックであった騎乗する騎手について大宮に相談する。

 

 

「それについては、秀樹騎手が騎乗しても勝てると先生は信じているかどうかですね。自信がないのであれば、秀明騎手にお願いしますよ」

 

 

「自分は、慎重な騎乗をする秀樹君と行きたがりのスペシャルラピッドは相性がいいと思っています。それに、彼とスペシャルラピッドは、いいコンビになるとは思うのです」

 

 

彼は、デビュー戦以外にも、調教の手伝いなどで、定期的にスペシャルラピッドに騎乗しているが、今のところ問題は起きていない。また、デビュー戦も、ソエを発症させてしまっているが、騎手がしっかりと途中まで抑え切ることができたから、あれだけの軽症で済んでいたと縣たちは考えていた。

間違いなく相性は悪くないと言うのが、縣厩舎の見解である。

 

 

「ただ、彼の騎乗成績は、お世辞にもいいとはいえません。そこが心配でして……」

 

 

能海秀樹騎手は、騎手5年目の実績が皆無の若手である。騎乗成績も伸び悩んでいた。

そこが問題であった。

そんな騎手が自分の馬、しかも素質のある馬に乗ってほしいと思う馬主は少ない。出来ればリーディング上位の騎手に乗ってもらいたいと思うのが普通である。

しかし、大宮の答えは、予想外のものであった。

 

 

「そこまで相性がいいと先生が思うのであれば、秀樹騎手でいいと思いますよ。先生もプロなんですから、そんな自信なさげに言わんでくださいよ。病気の説明がしどろもどろになる医者に診療を任せたいとは思わないでしょう?」

 

 

縣は、想像以上に自分のことを信頼してくれていることに感謝しつつ、大宮の指摘はもっともだと痛感する。

 

 

「それについては申し訳ないです。ただ、スペシャルラピッドは、上手くいけば歴史に名を残す馬になると思います。だからこそ悩ましいと言いますか……」

 

 

大宮が所有している別の馬のときとは違って、妙に自信がない縣であった。

 

 

「ラピッドをそこまで評価していただけるのは嬉しい限りですね。ただ、騎手については、よほどのミスがない限り秀樹騎手で大丈夫ですよ。脚部に不安のあるラピッドには、慎重な性格の秀樹君が合っているという理屈も納得できますから」

 

「それに、私の馬は強いんでしょう?なら、秀樹君を導いてあげればいいだけの話です」

 

 

「導く、ねえ……」

 

 

彼が聞いたら落ち込みそうな発言をする大宮であった。

ただ、自分がもし現役時代にこの馬に出会えていたら、何かが変わったのかもしれない。そう思えるほどの馬であると縣は思っていた。

だからこそ、大宮の言葉を否定できなかったのであった。

 

 

「とにかく、騎手については以上です。これからもよろしくお願いしますよ」

 

 

「では、当初の予定通り、主戦は秀樹君に任せます。こちらこそ、今後ともよろしくお願いします」

 

 

「あ!今日の話は、秀樹騎手には内密にお願いします……」

 

 

「そこは承知してます」

 

 

こうして、スペシャルラピッドの次走について決められていった。会議の後は、二人で飲み屋に繰り出し、浴びるほど酒を飲んだのであった。

 

 




ラピッドは、「今は」微妙な騎手が相棒です。

最強馬論争で、騎手の要素を入れるのは反則っすよね。
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