後は、ドバイターフを見ていると、ジャスタウェイって普通に怪物級の馬だったんだと改めて認識させられますね。
2015年8月29日土曜日、新潟競馬場第7レースの3歳上500万下(ダート1800m)にスペシャルラピッドは出走することになった。
彼は、馬運車に運ばれて、美浦トレセンから新潟競馬場にやってきていた。この輸送のためか、調子を落としており、競馬場内の馬房では、目に見えて元気がなかった。
「正直、東京競馬場に行くときとそこまで変わらんような気がするがなあ」
「なんだかんだで新潟まで5時間近くかかりましたからね。それが嫌だったんでしょう……」
「そうなると毎回体調不良になるような気がするが……」
「そこは馬運車による輸送に慣れてもらうしかないですね」
競走馬にストレスは付きものであるが、ラピッドはその耐性も低かった。もやしっ子である。
相変わらず元気がなさそうなスペシャルラピッドであったが、オーナーや新井牧場の洋子がやってくると嬉しそうにしていた。ちょっとは元気になったようだと、縣達も一安心することができたのであった。
数時間後、新潟競馬場のパドックでは、次のレースを走る馬たちが厩務員に曳かれて歩いていた。
つい先ほどまであまり元気のない様子だったスペシャルラピッドであったが、パドック周回に入ると、「俺はやるぜ!やるぜ!」といった感じで首を振り回したり、立ち上がろうとしたりするなど、テンションが爆上げ状態であった。
「ラピッド~もう少し落ち着いてね~」」
パドックに入ってから、立ち上がろうとしたり、止まったりと、やりたい放題していた。伊藤が必死になって止めようとするが、「いやいや」と首を振って、いうことを聞かない。
「パドックに連れられて行くことが分かった瞬間から、こんな感じのテンションが続いているな。そんなに走りたいのか。もしかしたら、レースをするって分かれば、輸送も意外となんとかなるかもしれんな」
「彼は走るのが好きですから、「前に走ったときと同じように走れるんだ」と思っているのかもしれません。しっかりとレースのことを覚えているみたいですね」
「逆にテンションが上がり過ぎんように気を付けないとなあ」
「そうですね。今日もケガをしないように抑えていけるかどうかを心配した方がいいですね」
「確かに普段の時と人格というか性格が変わるから、暴走しないか心配だな。まあ能海君に任せよう」
調教でも、併せ馬をすると、年上の馬が怯えるほどの闘争心を見せるラピッドであった。普段は大人しいのに、走りでは獰猛という極端な二面性を知っている。この闘争心の高さがレース中の暴走につながらないか心配であった。
パドック周回を終えて、騎手たちの騎乗が始まる。休養明けで馬体重も514㎏と前回よりも13㎏も増加し、パドック周回で落ち着きのない様子を見せていたこともあったためか、当初1番だった人気も、3番人気にまで落ちていた。
係員の号令と共に、騎手が騎乗し始める。
最後の確認ということで、縣達が能海に近づく。
「能海君。前と同じように走れば勝てる。ケガがないように注意して戻ってきてください」
「わかりました」
「レース中に少しでも異常を感じたら、すぐに競争を辞めさせてください。責任は我々が取ります」
「というわけだ、今日も勝ってこい」
こうして1頭と1人は、本馬場へと入っていった。
――――――――――――――――
騎乗予定の第7レースまでの間、能海秀樹は、待機室で縣達から言われたことを思い返していた。
「スペシャルラピッドの主戦は当分君だ。期待に応えるように」
チャンスであった。
3年前の事故以来、自分は馬に乗ることができていないと自覚していた。父や縣先生に言われるまでもなく、自身が一番わかっていることであった。
そんな自分が出会った馬が、スペシャルラピッドであった。ただ、この馬も、偶然自分が乗ることができただけで、そのうち父のようなベテランやリーディング上位の騎手に乗り替わりになるだろうと考えていた。
しかし、オーナーも先生も彼に乗り続けることを許したのである。
理由はわからない。ただ、ここで失敗したら、二度と浮き上がるチャンスはなくなると騎手の勘が告げていた。
「ラピッド……」
彼にとってスペシャルラピッドという馬は、「手のかかる馬」という印象である。
とんでもない強さを有した怪物級の馬であることは事実であるが、あまりに弱点が多かった。そのうえ、レースでは前に前に行こうとする気性難でもあった。
そして、その姿が、初めての相棒の姿を想起させるのである。
「……考えるな。今はラピッドを勝たせることに集中しろ」
本馬場に入り、簡単に走らせてみる。
明らかに前よりもパワーが上がっているように感じがした。正直、馬体はそこまで仕上げられた印象はない。それでもデビュー戦よりは、身体の厚みのようなものを感じた。
「……これ、やばいかも」
強化された身体能力に、本人の行きたがりの性格。能海は本気の本気で抑え込まないと、暴走する可能性があると感じていた。
ゲートを嫌がらない馬であるため、スムースにゲートに入る。
スペシャルラピッドが軽く嘶いた瞬間、ゲートが開く。その瞬間、後ろに飛ばされそうなほどの加速を見せて、一気に前に飛び出した。
抜群のスタートであった。
このまま馬の行きたいようにした場合、どんどんと前に行く予感がしていた。
そのため、能海は、全力で、抑えるように指示する。
「頼む、ここは我慢だ!」
その甲斐もあってか、先頭ではあったものの、後続に何馬身も差をつけるような大逃げにはならず、「先行集団の一番前」というポジションをとることができた。
気を抜けば勝手にギアが上がって加速していくため、能海も必死で抑える。競走中であるため、危険の伴わない範囲内であるが、それでも体力がどんどんと削られていく。
頼むから!頼むから我慢してくれ!
声を上げることができないほど集中している能海は、心の中で、同じ言葉を繰り返していた。
新潟競馬場の第3コーナーを回り、第4コーナーに差し掛かる。
依然として先頭をキープし続けるスペシャルラピッドは、徐々にスピードを上げていく。後続に続く馬たちも、それにつられて速度を上げていく。
前の未勝利戦と同じように、途中からペースが上がっていくという、先行馬殺しの作戦であった。
第4コーナーを入り終え、残り400メートルほどの直線に入ったころには、スペシャルラピッド以外の先行馬は、全員バテバテの状態であった。
能海は、少し抑えを緩めれば、どんどんと加速していく、意味不明な能力に若干の恐怖を感じていた。
後ろから聞こえていた競走馬たちの音が徐々に聞こえなくなっていく。
後ろを振り向く必要はなかった。
ゴール板を超えた瞬間、馬から力が徐々に抜け始める。
「……ゴールの場所を理解しているのか」
デビュー戦の時は、いつまでも走り続けていそうなほどの勢いを見せていた。しかし、今回はゴール板を通過して、すぐにクールダウンをするようにスピードを落としていったのである。
「ゴールを見間違わなきゃいいけどな」
そのときは、鞭を使って、ここはゴールじゃないと教えてあげればいいかと思っていた。
「ともかく、お疲れさん。ありがとうな」
疲れた様子のスペシャルラピッドの首元を軽くなでると、「当然よ」といった感じで、軽く嘶き返す。いつもは能海にも塩対応であったが、今日は興奮状態だったのか、しっかりと反応したのであった。
勝利の余韻を味わいつつ、縣達が待っている装鞍所に向かう。
「ラピッドとなら、俺は……。いや、変なことは考えるな……」
どこまで上り詰めることができるのか。そんな考えにされてくれる馬であった。
「それにしても、疲れた……本当に疲れた……」
勝負服は汗で濡れており、腕の感覚がマヒし始めていた。
「もっとうまく乗れるようにならないとな」
癖馬や暴れ馬に強い騎手にアドバイスをもらいに行こうと考える能海であった。
――――――――――――――――
『新潟競馬場第7レース、3歳上500万下条件戦、出走各馬のパドック周回が始まっております』
出走馬の紹介と簡単にパドック解説が始まっていた。
『……続いて8番のスペシャルラピッド、514㎏。ダービー当日の未勝利戦でのデビュー。9馬身という圧巻のパフォーマンスで勝利しました。体重の増減は+13㎏』
『少し馬体が絞り切れていないように思えますが、前走も似たような感じであれだけの走りをしましたからね。ただ、今日は落ち着きがないように見えますね……』
スペシャルラピッドのパドック解説はやや辛口であった。
暫くすると、パドック周回が終わり、騎手が騎乗し始める。
そして、本馬場入場と返し馬が始まる。
ゲート入りも大きな問題なく進んでいき、8番のスペシャルラピッドも、嫌がることなく、自分の番号のゲートに入っていった。
『……最後16番エルドリッジが入りまして、態勢完了!』
『……スタートしました!好スタートを切ったのは8番スペシャルラピッド。ロケットスタートで先頭に立ちました。内から2番のトラキアンコードがそれを追いかける。さらに……』
好スタートを切ったスペシャルラピッドとそれを猛追したのが2番のトラキアンコードであった。大きく出遅れた馬がいないため先行ポジションを取ろうと、後続も2頭に続き始めていた。
『先頭はスペシャルラピッド、その後ろにトラキアンコード。3番手以降にガヤルド、ストロングトリトンが続く……』
直線コースを抜け、第1コーナーに入る。先頭は依然としてスペシャルラピッドで、その後ろにトラキアンコードがいた。そこから半馬身ほど後ろに7番と15番が追走、その1馬身ほど後ろに4~5頭の集団が走っていた。
『先頭スペシャルラピッド、第2コーナーを抜けて向こう正面に入りました……』
向こう正面では、先頭から5~6馬身ほどの間に10頭近い馬がひしめき合っていた。スペシャルラピッドは、能海騎手が必死になって抑えていたおかげで、2番手に1馬身ほど前で走っていた。
『各馬第3コーナーに入ります。先頭は依然としてスペシャルラピッド……』
そのまま4角コーナーを超え、残り600メートルに入る。
途中からスピードを徐々に上げたスペシャルラピッドであったが、その後ろで走っていた先行集団の馬たちもそれに追走していた。
600メートルを切ると、コーナーを曲がりながらラストスパート態勢に入る。
『第4コーナーで先頭スペシャルラピッド。そこに7番ガヤルド、2番トラキアンコード、さらに外から13番サンマルバロン、16番のエルドリッジが猛追する!』
コーナーが終わり直線に入る。内側を先頭で走るスペシャルラピッドを捉えようと、先行集団の馬たちが、鞭を入れながら加速していく。
『直線に入って先頭はスペシャルラピッド、トラキアンコードは厳しいか、10番メイプルレインボー、8番トラキアンコードが追い込む。しかし、スペシャルラピッドだ。そのまま後続を突き放す!』
直線に入ると、スペシャルラピッドはぐんぐんと加速していき、後続を突き放していく。2番手や3番手にいた馬たちが後退する中、足を貯めていた馬たちがスペシャルラピッドを猛追する。しかし予想以上のハイペースで体力を使い果たしていたようで、なかなか足が伸びてこなかった。
『先頭スペシャルラピッド!これは強い!スペシャルラピッドゴールイン!』
『スペシャルラピッド、これで2連勝!非常に強い勝ち方であります』
終始先頭でペースを握り、ラストの直線で加速し、そのまま後続を突き放してゴールするという強い競馬であった。
『勝ち時計は1.49.6、着差は5馬身差であります。スペシャルラピッドはこれで2連勝です』
スペシャルラピッドの2戦目も余裕の勝利であった。デビューから2連勝を飾り、ゆっくりであるが、徐々にその才能の片鱗を見せつけていったのである。
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「勝ちましたね」
「勝ちましたな」
ゴールの様子を見ていた縣達は、喜んでいた。ただ、想定通りといえばその通りなので、驚いてはいなかった。むしろケガをしていないかということばかりが気になっていた。
「今日は比較的大人しい競馬をしましたし、おそらく大丈夫だと思います。能海君もしっかりとラピッドを御していましたので、よかったです」
「いい騎乗だったな。やっぱりやればできんだよ」
「それをしっかりと本人に伝えてあげてくださいね」
圧勝したスペシャルラピッドと能海秀樹騎手が縣達の元に戻る。
馬の方は、疲れた様子を見せていたが、前走よりはマシな顔つきであった。一方で馬から降りた騎手の方は、疲労困憊といった顔つきであった。
彼も騎手なので、体幹を含めて、相当に鍛え抜かれている。しかし、それでもふらふらになるくらい疲れ切っていた。特に腕が上がらない様子であった。
「お疲れ様。いいレースだったよ。よくやった!」
「あ、ありがとうございます。今日は抑えてくれました」
息も上がり、汗で勝負服はびしょびしょの状態であった。ただ、砂で汚れていないのは、常に先頭を走り続けたからであった。
「とりあえず、口取りが終わったら、次の騎乗までしっかり休みなさない」
「ありがとうございます」
口取りでは、疲れたスペシャルラピッドが早く帰りたいとごねるハプニングもあったが、大きな騒ぎも起こらず終了した。
ただ、能海騎手の疲労困憊な様子を見て、大宮が、「私の馬ってそんなにやばいの?」と驚いていたのが、今日のハイライトであった。
こうしてスペシャルラピッドの2戦目は終わった。