短めでたくさん書こうと思ったときに限って、話が長くなるのなんっでなん
「───えっ?」
心の底から呆けたような、間抜けな声が響いた。
──どこだ。
──なんだ。
──何が起きた。
「ここは………」
そこにあるのは、いいや、そこにいるのは亜人。
見覚えのない、否、いるはずのない生き物たち。
蜥蜴人、犬人、猫人、馬車を引く巨大な獣、蜥蜴、あるいは竜とでも言うのか。
「知ってる、これ、あれだ、最近よく見るやつ……」
ざわざわと道行く人々の喧騒が耳に入る。
彼らが俺に注目するようなことはなく、何事もないように進行する世界がそこにあった。
まるで舞台と観客。
俺はどこまでも蚊帳の外だった。
「うわ………まじかよ、えぇ、まじか、うわぁぁ、まじかぁぁぁぁぁ………」
思わずその場にへたり込んでしまった。
顔に手を当て、視界を物理的にふさいだ。
一端、少しだけ、この理解不能な現実から逃げたかった。
──しかし。
「………あ? これ………俺の手じゃ、ない………?」
気づいてしまった。
その手が、その顔が、その声が──その身体が、自分のモノでないことに。
ふらふら、ふらふら、とその場から立ち上がり、振り向いた。
そこには噴水があった。
ここは、おそらくいくつかに分かれた都市区画の中心。
比較的大きな広場であり屋台のような店や待ち合わせの人々で溢れかえっている。
だが、今大切なのはそんな情報ではない。
すぐさま振り向いた先にある噴水の腰掛けほどの台座に手を突き、その顔を水面にかざした。
「───すば、る? え──『ナツキ・スバル』だ………」
心臓が止まったかのように、呼吸が出来なくなった。
驚愕、動揺、呆然自失。
何十年と連れ添った自分の顔が、赤の他人と入れ替わっているなど、まともな精神では受け入れられない。
「───はは、俺───ナツキスバルに憑依してらぁ………」
夢であって欲しいと、頬を全力でつねった。
◆◇◆
「転生? 転移? 憑依ってどっちに入るんだろうな………」
そんなどうでもいい考えが脳裏をよぎり、そのまま口を突いて出た。
どうにも頭の中で考えるのは苦手だ。
独り言がうるさいと妹にはよく怒られたが、今くらいは許して欲しい。
「転生………俺死んだ……? ……覚えてない。なら、さっきまで何してた? 寝てた? 何を………どこで誰と何をしていた………思い出せ、落ち着け、思い出せるはずだ──俺が俺である限り、生きてきた記憶はあるはず」
──逆にこれで何も思い出せないのであれば、俺という人格は『俺』の知識を持っているだけの偽物にすぎない。
「俺は、そう、確か、アニメを見ていたはずだ。リゼロじゃあなかった気がする………何のアニメだ、いや、とにかくそうだとしたら家でアニメを見ていた時に突然召喚された………? ……訳が分からない」
言葉に出せば余計に理解を阻む現実。
アニメを見ていたら突然スバルになっていた。
こんなことってあるだろうか。
「………どうしよう」
未来を思えば、そこはかとない不安しかなかった。
──だって、リゼロだよ? それもスバルって………。
──死ぬじゃん。俺死ぬじゃん。嘘じゃん。え、なんで?
「………そっかぁ、神様って俺のこと嫌いだったんだねぇ~………ふぅ────やぁ――ってられるか―――――――!! 帰るっ!!!!!」
人目も気にせず叫んだ俺は不貞腐れたように現実から目を背け、一心不乱に見知った見知らぬ街を走り出した。
◆◇◆
「おい! そこのお前!」
「っ、なんですか?」
物理的に逃避するように走っていたらいつの間にか路地裏に入っていた、何故だ。
こんな不吉な場所さっさと出ようと踵を返そうとしたところで声を掛けられてしまった。
振り返るとそこにいたのは、大中小の三人組。
「お前、いい服身に着けてるな、金持ちか?」
「いやいや、これはあれですよ、おれぁ天下不滅の無一文ってやつでさぁ」
「ふん、その身なりで無一文だなんてずいぶんな法螺吹くじゃねぇか、なぁ?」
「いいから、大人しく金目の物を置いてきな!」
「痛い目を見たくなければな」
「っ」
正直、こんなに、──こんなに怖いとは思わなかった。
いつも、いつもいつも、困っている女の子がいたら自分を顧みずに助けるんだと、そう夢想してきたが………ああ、怖い。
これは怖い。
手が震える。手汗は噴き出るのに指先が冷たい。負座に力が入らず足が動かない。まともに目を合わせられない。
三人からすれば格好の得物だろう。カモだ。
なのに、どうしてだろう、負けたくない。こんなやつらに、屈したくない、そんなつまらない意地で、逃げることもできない。
「おら、どうした? 痛い目に遭いてぇのか? お?」
「三秒数えてやる! その間に決めな!」
「三………二………一………」
「………っ!」
なんで、最適解なんてわかってるのに。
叫べよ。わかってるだろ。きっと助けてくれる。
赤髪の貴公子が、この国の、いいや、この世界で最強の男が今日は非番なはずだ。そうだろうが。ああ、やばい、俺、ばかだ。ばかなんだ。
命かかってるって、わかってるだろ? おい、なぁ、おいって!
──あぁ、ちょっと、ちょっとだけ………
好奇は猫をも殺す。
「ああああぁぁぁぁあああああああ!!! 死ねえ!」
「はぁッ!?」
「おい、なんだ急に!?」
「やんのか!? この野郎!」
「──らァ!」
まずは弱い奴から。
背が低く、たとえ渾身の一撃を放とうとこの身長差ではクリーンヒットしない、だから、俺はその髪を躊躇なくつかみ──そのまま地面へと叩きつけた。
ガンッッッッッ!!!
瞬間、凄まじい力が地面へと伝わり──叩きつけられた衝撃で路地一帯に大きな亀裂が入った。
──うわぁ、なんか、身体の調子がいい………
尋常な力ではない。
これ、マナの力? 身体に力ぁみなぎってくる。
もしかして、俺ってチート?
ははっ
──俺、つえぇ。
「は──ぶげはっ」
「な、ななな──ぐッ………がはっ」
続けざまに二連撃。
呆けていた残り二人を殴りつける。
ひょろい法は腹に一発。
ごつい方は顎に一撃。
両者、否、三者をただ一撃で、十秒も経たぬ間に無力化して見せた。
「おぼぉぇっっっ」
「ぁ、ぁぁ、いてぇ………」
「………」
三人ともぼろぼろ、ひょろいの──ラチンスは吐き、ガストンは痛みに呻き、カンバリーに至っては頭から血を流してうつ伏せに気絶している。
もしかしたら死んでいるかもしれない。
いや、うん、たぶん、たぶん大丈夫、うん。
い、いやぁ? ちょっとやりすぎな気がする?
えーっと、
「………えっと、まぁ、自業自得?」
「えふっ、くそが………」
「ひっ、かんばりー!」
「………ぴく」
「あ、よかった、生きてるっぽい。んー、まじか、俺、つえぇのか、え、俺つっよ。まじ?」
異常。
だけど、調子に乗ってしまうくらい気持ちが高ぶっていた。
身体はスバルのはずだ。だが、いま、確かに俺は前世でもありえない力を振るっていた。
「はぁー……これはちょっと、もしかしてこの世界、楽勝かも………?」
自然と頬が上がってしまう。
どうにも。
これだけ強い力があったら、調子に乗ってしまうのが男というものじゃないだろうか。
「あー………あはっ、ちょっと思ってたのと違ったけど、これもいいね………面白い」
まったく、少し前の自分は何を考えていたのか。
ああ、まったくまったく………
──腹ぁ割かれてみたかったなんて、ばかじゃねぇの。
そんな、好奇心では収まりつかない未知への欲望を胸にしまっておく。
◆◇◆
「………あれ、どうしよ………俺やりすぎじゃない?」
死にかけた高揚感が冷め、改めて現状を理解して思った。
「あれ、俺やばくね?」と、どう考えてもやりすぎである。
今も目の前には血だらけで倒れたチビがいる。
他二人は鳩尾と顎を打っただけなので死にはしないが、チビに関しては普通に死に得る怪我だ。
もしかしなくてももうそろそろ俺は人殺しになるだろう。
そこまで思考が至り、思った「あれ、どうしようもなくない?」──と。
「うん、取り合えず応急手当、かな?」
そうしてできれば起こした後事情聴取でもしよう。
今がいつなのか、ここがどこなのか、一人で生きていく当てもないのだ。
なんならこいつらの用心棒というか、仲間になって生かしてもらうという手もある。
「あれ、中々いいアイデアなのでは? こいつらに、なんかよくわかんないけど強いっぽい俺の力を貸して、対価として衣食住を提供してもらう。うんうん、悪くないはずだ。………まぁ嫌がったら拒否権はないことを教えてやろう、そうしよう」
俺は三人そろって気絶している奴らの介抱を始めた。
◆◇◆
「うっ………」
「いてぇ………」
「くそっ、あのガキぃ………!」
「──起きたか?」
「「「ひっ!!!」」」
起きてすぐ悪態をつくとは中々に根性があるな、ひょろっちぃのは。
まぁ、すぐそばにまだ俺がいるとわかって今は怯えているが。
さてさて、どうやって懐柔しようか。
「おうこら、チンピラども。俺に先に手出したのはお前らだ。それも一人に対して三人でな。もちろん、その落とし前はつけてくれるんだろうなぁ? あぁ!?」
とりあえず脅してみることにした。
イイ感じに委縮している今ならこの方が効くだろう。
さぁ、チンピラらしく強い奴に従え。
「ひっ、も、もちろんですよ! 何でも言ってくだせぇ!」
「い、命だけは………」
「ぶるぶる、ぶるぶる………」
「へー、お前敬語とか使えるんだな? もしかして実はいい家柄だったりするのか?」
「………い、いや」
「ふーん、ま、いいさ。別にそんなことはどうでもいい。それより、なぁ、お前たち」
「「は、はい」」
「ぶるぶる………」
「──俺の仲間にならないか?」
「「はえっ?」」
「ぶるぶるっ!!」
「いや、ちょっと違うか、そう、俺を仲間にしてみないか? お前らも俺が強いことは分かってるだろう。そして俺はこの国に来たばかりでちょっとばかし身寄りがない。な? いい考えだろ?」
「えぇ………いや、そう言われても」
「……お、おい、どうすんだよ、ラチンス」
「ふるふるっ!(全力で首を横に振っている)」
「仲間にしてくれるならお前らを傷つけることは絶対にしない。そこは安心して欲しい。そして何かあったときも必ず守ってやる。多分、俺より強い奴なんざそうそういねぇぜ?」
「………」
それを聞いてラチンスは熟考する。
この三人のリーダーは彼であり、彼はただのごろつきにはない知性がある。
この交渉のメリットとデメリットを頭の中で整理しているのだ。
「お前、いや、あんたなら───巨人族にも勝てるか?」
「んー、それが年老いた爺のことを言ってるなら、そうだな───勝てる」
「そうか………」
確証はない。しかし自信はあった。
だから断言した。
おそらくラチンスが言っているのはロム爺のことだろう。
彼こそが広い貧民街を治めている老獪であり、そこらのチンピラをまとめている親番なのだろう。
ようは、彼さえ倒すことが出来れば、貧民街は彼らのものになるも同然だ。
ラチンスには向上心がある。
彼には貧民街に住む者たちにはない野望がある。未来がある。意思がある。
そうして、貧民街に身を堕としたものとして、あるものは何でも使うという泥臭さもある。
だからこそ、ラチンスは答えを出した。
「───わかった、あんたを仲間に入れてやる」
「ははっ、ああ、せいぜいこき使ってくれ、衣食住とある程度の自由以外は今のところ望む気はないんでな」
「いいだろう」
「おいおいっ、本当にいいのか?」
「………チーン(気絶)」
よしよし、ヤンキースタイルが上手くいったみたいだ。
若干一名、また気絶しているが、まぁ問題ないだろう。
その怯えはこれからゆっくり払拭していけばいい。
時間などいくらでもあるのだから。
ああ、楽しみだな。楽しみだ。これからの、こいつらとの異世界生活が。
「とにかく、交渉成り───」
成立だな、そう言いかけた時だった。
「───どけどけー!!! そこのお前らー!」
一人の明るい金髪の少女が、光差す路地裏に現れた。
「──おおっと」
すぐさま察した、これは問題が生じると。
◆◇◆
「──ラチンス、手を貸せ」
「はっ?」
急に名前を呼ばれて困惑しながらもラチンスは反応した。
「あの少女を止める」
「っ、わかった」
咄嗟の命令にラチンスは大人しく従った。
逆らったら何されるかわからないから、というわけでもない。
彼はその少女を知っていたからだ。
「前に出て進行方向を塞げ」
「了解ッ!」
やはり頭の回転が速いのだろう。
こちらの意図を短い言葉で察して行動に移る。
狭い通路だ、男一人が腕を広げれば少女と言えど、最大速度では通れなくなるだろう。
「あ、なんだ? 邪魔する気か!? ───へへっ、でも残念! あたしを止めるにはそれじゃダメだなっ!」
立ち塞がるラチンスを、少女──フェルトは建物の壁を蹴って上を乗り越えることで無視して通り抜けた。
あまりに身軽な動き。いくら少女が軽く、動き慣れていると言えど、普通の人間にはそんな芸当は到底できない。
ラチンスにはどうやったって手の届かない頭上をいかれる。
「くッ!」
「──大丈夫だ、あとは任せろ」
「あ? あんたっ、本気か!?」
頭上を通り過ぎ、そのまま屋根の上へと昇ろうとしていたフェルトだったが、それを予想していた少年によって待ち構えられていた。
──ダンッ!、という音と共に空中へと弾き出され、先回りしていた。地面がひび割れるほどの脚力。身軽なフェルトとは違う、力によるごり押しの上昇。
その男の圧から、屋根へと上ることを諦めたフェルトは、ならば地上を行くだけだと一先ず地面に降りようとする。
そこへ追撃する少年。今度は屋根から少女に向かって射出する。
まるで弾丸のような速度で、空中で身動きの取れない少女を捕まえたのだった。
◆◇◆
「はーなーせー!」
「まぁまぁ、ちょっと落ち着こうよ、フェルトちゃん」
「くそっ、あんたアタシのこと知ってんのか」
「そうだね、知ってるとも。───君が今日盗んだもののこともね?」
「はぁ!?」
会話するのは縄で縛られている金髪赤目の少女と黒髪に目つきの悪い少年。
どこからどう見ても犯罪的な場面である。
さて、そんなところを一善良な市民が見たらどう思うだろうか。
その答えを少年は知っている。
この後に起きる出来事さえも少年は知っている。
これは既定路線、少年が少しの時間で考え抜いた生存戦略である。
「───そこまでよ!」
───ああ、予想通りに過ぎる。
───しかし、何もかもが思い通りにいったわけではなかった。
その少女を見た瞬間、すべてが狂った。
少年の動きが固まり、目を逸らせず、心臓がいたく鳴り響き、心が言うことを聞かない。
それは衝撃であった。
それは束縛であった。
それは、少年の理解を超えた衝動だった。
(───な、に?)
痛い。痛い。心臓が痛い。胸が痛い。
胸が高鳴る。頬が上気する。口角が上がる。
嬉しい。高揚する。ドキドキする。
(なんだこれ、怖い。怖いくらいに───愛おしい)
衝動だ。押し倒したいくらいに、ひどく燃え上がるような情動。
助けたい、救いたい、守りたい、微笑んで欲しい、抱きしめたい、愛したい、口づけたい、手を握りたい、触れたい、触れたい、触れたい。
衝動が思考を染め、されど理性が、防衛本能が言うことを聞かない身体を押さえつける。
「あなたたち、そんな小さな子にいったい何をしているの?」
「………え、っと」
「お、おい、どうしたんだ?」
「げっ!」
この場を支配するのは銀髪の姫君。
彼女の一声に、周囲は耳を傾け、各々違う反応を示す。
その中でも少年の反応は不自然、不審に過ぎた。
「あなたたち、今すぐにその子を放しなさい。さもないと………」
そう言って、彼女の周囲氷杭が現出する。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。いったん、一端深呼吸する………」
「………深呼吸?」
「………すー………はー………」
深く、深く、息を吸った。
回帰する冷静さ。目を閉じ、思考を遮り、自閉する。
うるさかった心音が止み、思考を再開する。
───これは、俺のものじゃない。
この感情、この想い、この衝動。
すべてが少年のモノではない。
これは、植え付けられたもの、あるいは与えられたもの。
少年の心を本来あるべきものから歪めるもの。
───それは呪いそのものだ。
それが、『ナツキスバル』の身体に乗り移った男に与えられた縛り。呪い。制約。
少年が『ナツキスバル』である限り、その想いからは逃れられない。
それが『少年』の『運命』なのだから。
「───わかった」
「………何が分かったって言うの?」
「フェルトは解放する。だから、少し、話を聞いてくれないか?」
「………いいわ、ただの悪い子じゃないみたいだし」
「カンバリー、解放してやってくれ」
「い、いいい、いいのか………?」
「ああ、だけど、フェルトはまだ離れることを許さない。逃げようとしたら捕まえる、いいな?」
「………わぁったよ」
未だ、少年に怯えるカンバリーに命令して、フェルトを解放する。
ただし、フェルトに逃げないように釘を刺してから。
まずは対話を。情報を共有しなければならない。
銀髪紫紺の少女は───エミリアは知っているはずだ。フェルトが彼女から徽章を盗んだ盗人であることを。それでも彼女はフェルトの解放を望んだ。さて、彼女はどのようにこの場を治めるつもりなのだろうか。
「さて、これで話を聞いてもらえると思っていいのかな?」
───また、心臓がうるさくなり始める。
彼女を見て、声をかけるだけでこれだ。声は震えていないだろうか。不自然ではないだろうか。嫌われないだろうか。不必要な情動が思考を阻害する。これだけの想いを抱いていたというのなら、『少年』の必死さにも納得がいこうというものだ。
「ええ、それで何を話すというの?」
「そう、ですね。まず、彼女があなたのものを盗んだ盗人ということはご存じですか?」
「………………えっ?」
おぉっとぉー、これはもしかして分かってなかったのかな?
その反応にフェルトも気まずそうな、というより今にも逃げ出したそうな表情をしている。
「………そうなの?」
「………………」
「フェルト」
彼女が小さくそう問えば、フェルトは顔を逸らした。
しかし、少年が名前を呼び見つめると。
「くっそっ、ああそうだよ! あんたの持ってた徽章を盗んだのはアタシだ!」
そう言って盗んだ徽章をポケットから取り出し、乱雑に投げ渡した。
「わっ………本当だ。私の徽章」
「これで分かってもらえたかな、俺たちは泥棒である彼女を捕まえて、縄で逃げられないようにしただけなんだ。別に彼女を取って食おうとしていたわけじゃない」
「そうだったのね………なら、お礼を言わなきゃいけないわよね。
───ありがとう、すごーく助かりました」
「──────。」
彼女はお礼を言って、頭を下げた。
その瞬間、心臓が弾けた。
快楽とも言える強い喜びの感情。
感謝される喜び。認められる喜び。彼女の声を聴ける喜び。
───同時、己のものならざる感情に対する憎悪。
違う。こんなのは俺じゃない。
わかっていて、されど抗えず、消えず、耐えられない。
それは堪え難い不快感だった。
喜びと嫌悪、敬意と憎悪、相容れぬ感情は吐き気を催すような気持ち悪さを少年に与えた。
自然、それを吐き出そうと肉体の内から出でたソレを外へと吐き出そうとして、マナが漏れ出た。
───その一瞬の隙を見逃さなかったのか。
「───なっ!」
ガストンが最初に気づいた。
フェルトが音もなくその場から跳び去り、瞬く間に建物の森へと消えていった。
「おい、いいのか!?」
「………いいんですか?」
ラチンスに問われ、そのまま彼女へと問いを投げかけた。
「よくない、けど、いいわ。私のものは帰ってきたもの。それ以上はこの国の騎士の仕事でしょう?」
「そうですね」
「………その、私が言うのもなんだけど、敬語は止めにしない? なんだか、あなたに敬語を使われているとこう、ぞわぞわするの」
「………今日日聞かないってやつですね。わかった。それで………」
「───エミリアよ。私の名前はエミリア」
「………俺、は」
───それは選択だった。
きっと、その選択を、少年は悔いることになる。
その選択は、偽りであり本当。欺瞞であり真実。
なぜなら、彼の存在そのものが『嘘』なのだから。
「───俺は『ナツキスバル』。天下不滅の一文無しだ」
「───すばる」
「───俺は───俺がスバルだ。エミリア」
そう呼ばれ去来する甘い悦楽を、固唾と共に飲み込んだ。
◆◇◆