トレセン学園を卒業して十年後。
それぞれの道を走るキングヘイローとトレーナーが再会するお話です。

1 / 1
『一流になったあなたへ』

真新しい衣装に袖を通す瞬間、表情に不安と覚悟が混ざり合う。

彼女たちのそれを見届けることが、いつからか私の仕事になった。

話は聞いていた。彼女はデビュー戦での勝利の後、惜敗を重ねていた。それでも、と挑む初めてのG1レース。まだ抽選対象だけれど、どうしても私の勝負服を着たい。

彼女の願いを私は引き受けた。

『このキングが勝負服を手掛けるのだから、ターフで袖を通しなさい』

思いが通じたのか、彼女はゲートの一枠を勝ち取った。

 

彼女は私に憧れてこの学園に入学した。正確には私と、私の同期達。スペさんにスカイさん、私達の"世代"に憧れていたそうだ。

卒業からはもう十年が経つ。もう誰も現役で走ってはいない。家庭を持った人もいる。新しい夢を追い掛ける人もいる。

私は、私達はそれぞれの道を歩いている。私達のあるべき姿のために。

 

着換えた彼女を連れて、トレセン学園の応接室に戻る。彼女は息を呑んで鏡を見つめ、彼女のトレーナーは「綺麗だ」とつぶやいた。

「随分と気に入ったみたいね」

はっと気付いて、彼女は頭を下げる。

「ありがとうございます、キングヘイローさんに衣装を作ってもらえるなんて」

「遠慮なんていらないわ。首を下げるのもやめなさい」

私は一流としての仕事をした、それだけのこと。彼女にも堂々といてもらわなくては困る。

「このキングの勝負服を着るんだから、あなたも自分のすべきことをなさい」

自分のすべきこと。彼女は繰り返す。そうよ。いつだって自分のすべきことを果たす。誰になんと言われたって、それが変わることはない。

彼女とトレーナーは顔を見合わせて、静かに頷いた。

 

帰り際、ふと声を掛ける。

「ねえ。どうして私だったの?」

彼女は少し悩んでから、

「キングさんの走りに、勇気をもらったからです」

どんなに抜かされても、追い付けなくても、それでもひたむきに走って。

「勝つことを諦めなかったあなたが、私のヒーローでした」

「私は私であり続けた。このキングにふさわしい道を走っただけよ」

だからあなたも、あなたの道を走りなさい。芯の通った返事。不安の入り交じった顔は、もうどこにもいない。

レースを楽しみにしているわ、と部屋を後にした。

 

お店までの帰り道、スマートフォンが鳴る。学園時代の後輩からだ。

「キング、キング! ニュース見た!? 大変だよ!」

「ちょっと、いきなりどうしたの」

今すぐニュースを見て、と彼女はまくし立てる。そう言われても。

あたりを見渡すと、駅前ビルの大きなモニターに見知った顔。

速報。トレーナー。海外挑戦……? そんな言葉が流れていたと思う。

「……あら。楽しそうな顔ね」

電話が繋がっているのも忘れて、あの頃の私がそこにいた。あの日と変わらない彼がそこにいた気がした。

 


 

トレセン学園を卒業して十年が経つ。

私達は走り続けて、一流を証明した。欲しかった栄誉がなくたって、思い描いた道が違っていたって、それでも。

私達が足を止めることはなかった。

 

私がトレセン学園を卒業する時、トレーナーは頭を下げた。

『君をもっと勝たせてあげたかった』

皐月賞も、ダービーも、菊花賞も……。全部、自分の力不足だと、彼はそう言った。

『別に、気にしていないわよ』

『俺にはいつかがあるかもしれない。でも、君にはあの一度だけだった』

確かに欲しかった冠はひとつも取れなかった。けれど、春秋のスプリントに秋の天皇賞、それから有馬記念。私達にしか進めない道を走りきった、それで十分でしょ。

 

だけど、と彼は言う。

『だったら、一流の名に恥じないトレーナーであり続けなさい』

一度きりの勝利はまぐれと呼ばれてしまう。勝つことよりも、勝ち続けることの方が断然に難しい。

『次に会う時は、超一流のトレーナーね。私も一流の勝負服デザイナーとして、その名を世界に轟かせるわ』

私だって、レースを引退した後も、一流としてこの名を世界に知らしめる。それが、キングヘイローだから。

『お母さまの後追いだなんて言わせない。どんな道を歩こうとも、私は私だって証明するの』

『だから、あなたも。自分こそが一流のトレーナーだと証明しなさいな』

私の差し出した手を、彼は受け取った。これが、もう十年も前の話になる。それ以来、彼とは会っていない。

 


 

トレセン学園からの帰り道。電車に揺られながら、いくつか記事を眺めた。

海外の学園にトレーナーとして合格したこと。来年の2月末――次のURA決勝を見届けて移籍すること。『やれることはやった』の見出し。

どのニュースも彼の話題で持ちきり。それもそのはず、今の彼は誰もが認める一流トレーナーだ。

 

私がトレセン学園を卒業して数年、彼は一流と呼ばれるようになった。

いくつものG1勝利を手にし、URA優勝を重ね、ついには無敗のクラシック三冠ウマ娘を送り出した。

あの日『俺こそが一流トレーナーだ』と声を震わせた、駆け出しのへっぽこトレーナーはもういない。

それは少しだけ、寂しい、かもしれない。

 

私は勝負服のデザイナーになるべく、新たな道を走った。感謝祭で応援団の衣装を作ったあの日から、少しずつ温めていた夢だった。

数年前、独立してお店を構えた。同期のみんなも来てくれて、娘が大きくなったら、なんて話に花が咲いた。後輩たちは「キングにはお世話になったから」なんて言って、今でも時折お店を手伝ってくれる。トレセン学園からも、その外からも、勝負服の依頼を貰うようになった。

良家のご令嬢じゃない。お母さまの娘でもない。キングヘイローとして、私は今、ここにいる。

 

私達は一流になった。一流であり続けた。

『次に会う時は、超一流のトレーナーね』

あの日の言葉を不意に思い出しては、まだ早いかしら、なんて思って。本当は少しだけ、彼と会うことが怖かった。怖くなってしまった。

「……今更。どんな顔して会えばいいのよ」

きっと彼なら、こう言うだろう。どんな顔だってキングらしいから、と。

彼の姿が思い浮かんでは消えてゆく。

 

お店は閉めていたはずだけれど、店先には人影。懐かしい顔が手を振っていた。

「おお、キングお帰り。キングも大変だねぇ」

「あはは……。お久しぶりです、キングちゃん」

スペさんにスカイさん。連絡くらいくれればいいのに。たまたま近くを通っただけだと二人は言うけれど、目を逸らしたスペさんで予想は付く。

「心配されなくたって、私は平気よ」

でも、二人の気持ちは嬉しかった。

「お茶菓子ならあるよ」

「もちろんお茶もあります!」

あなた達、最初からそれが目的じゃない。二人は笑って、答えなかった。

 

「それで、キングちゃんはどうするんですか?」

お茶菓子を片手にスペさんが切り出す。どうすると言われたって、どうもこうもない。

海外挑戦だって初耳だし、彼の決めたことに、とやかく言う理由もないもの。

「ふーん……ま、キングがいいならいいけどさ」

キングも随分丸くなったよねぇ、なんて、スカイさんは手を振る。

何よ、その言い方。「別に」とスカイさん。

「私の知ってるキングは、もっとわがままで、欲しいものは絶対に手に入れる、って感じだったけどなあ」

「セイちゃんなりに、キングちゃんが心配なんですよ」

スペさんの言葉に、そんなことないよ、とスカイさん。視線は合わせてくれない。

「エルが心配だってうるさいし、グラスちゃんやツルちゃんが様子見てきてって言うから、来ただけだよ」

素直じゃないのはどっちよ。さあねえ、とはぐらかされた。

 

「でも、キングちゃんは、もしここでトレーナーさんと会わなかったら」

――この先ずっと、後悔しませんか?

スペさんの言葉に胸がきゅっと締め付けられる。次に会う時。それはいつになる?

私達は誰もが認める一流になった。いや、誰かからの評価なんていらない。私達のことは、私達で決められる。もう、そこまで来たんだ。

「キングはさ、どうしたい?」

「どうしたいって、それは」

彼の顔が浮かぶ。必死に追い求めて、欲しかった頂をひとつも手にできなかったあの日のこと。

『君は、どうしたい?』

私は、どうしたいの?

「そんなこと」

 

着信だ。はっとしてスマートフォンを取る。なんて間の悪い電話。表示される宛名に溜息をつく。二人も誰だか気付いたのか、苦笑いを浮かべた。

「ごめんなさい、出るわね」

 

こんなに間の悪い電話を掛ける人を、私は一人しか知らない。

「もしもし、お母さま」

『思っていたより元気そうね』

別に、私はいつだって元気よ。それより何の用かしら?

『貴方のお店を預かってあげるから、一度帰って来なさい』

追いかけるんでしょう、とお母さま。

「なあに、それ。心配しているの?」

『つまらない意地で足踏みして、みすみす海外に逃してしまうのなら、心配だわ』

ばかな娘、だなんて。親の顔が見てみたいものね。

『本当に、誰に似たのかしら』

お互いに苦笑して、少し間を置いてから切り出す。

「……お母さま。ありがとう」

『せいぜい頑張りなさい。でも、海外で恥を掻くくらいなら、すぐに帰ってくることね』

ひとしきり笑ってから、「私を誰だと思っているの?」

「本当に、ばかな娘」通話は切られていた。

 

改めて、二人を見渡す。

「私がどうしたいかなんて、決まってるわよ」

いつものわがままキングだ、とスカイさんが笑った。

 

スペさんとスカイさんを駅まで送って一息。カップを片付けながら、すっかり静かになったお店を見渡す。

必死に駆け抜けて掴み取った私の夢。少しの間でも、いい夢を見ていられた。

けれど、見ているよりも追い掛けるほうが私には合っている。

お店を閉めた所で、聞き慣れた声。学園にいた頃から変わらない、古い車が停まっている。

「やあ。遅くまで、忙しいみたいだね」

「そんなこと無いわよ。今日はスペさんやスカイさんが来ていたから」

大きく出遅れたな、と彼が笑う。

どうせさっきまで、記者に捕まっていたのだろう。

「あれだけの発表をしたらね」

「でも、居ても立っても居られなかったんでしょ」

「……そうだね。ここでやれることをやりきって、次の世界を見たくなったんだ」

暗くなった空に、白い息が舞う。

「久しぶり、キング」

「待たせすぎよ、おばか」

十年も経ったら、また会うのに勇気がいるんだよ、とトレーナーは笑った。

 

少し眩しい夜の街を走る。

どこに行くの? さあ。行きたい場所はあるかい。

話しやすい場所ならどこでも。分かった、とトレーナーが頷く。

「海外の学園に、合格したんでしょ。おめでとう」

それはどうも、とトレーナー。

「随分、楽しそうな顔ね」

「十年ぶりの再開が、嬉しいだけだよ」

気が利くところも相変わらずだ。でも、それだけではないことは分かる。

「あなたもすっかり、一流の顔付きね」

「必死にやってきただけさ。ようやく、彼女達の走りを楽しめるようになった」

それまではずっと気が重かった、とトレーナー。

少しだけ、寂しそうに遠くを見つめる。

 

勝つことより、勝ち続けることの方が難しい。

君の言うとおりだったよ、とトレーナーが笑う。

大事なレースを勝てなかったこと。怪我をさせてしまったこと。何度も担当のウマ娘と衝突したこと。

「一流であり続けるのがこんなに難しいだなんて、思っても見なかった」

「そんなの、私もよ」

トレセン学園を卒業して飛び込んだデザイナーの世界。

ここでもまた、"あの人の娘"だと呼ばれた。いつだって、誰かの視線に晒されてきた。

私達を私達として認めさせるには、途方もなく長い時間が必要だった。

 

それでも。

「私は自分のお店を持った。今度また、私の勝負服を着た娘が走るのよ」

「流石は一流の勝負服デザイナーだ」

そういう彼だって、年明けのURAに担当の娘を登録している。走れるだけでも栄誉と呼ばれるURAの、最多優勝トレーナーは他でもない彼だ。

「そうね。私達は一流になった」

「次に会う時は超一流、なんて言ってたけどさ。十年掛かっちゃったな」

でも、あなたは私に会いに来てくれた。

「会いに来てくれなかったら、私から差し切りに行くところだったわ」

「どうだか」トレーナーがハンドルを切り、街中から遠ざかってゆく。どこまで行くの? 一流のスポットだよ、と彼は流す。

「キングも俺も、目標が高いからさ」

どこまで行っても、悪くないって思っちゃうだろ。

「似た者同士だよな」

「……そうね。本当は、私も今更どんな顔して会えばいいんだろうって思ったの」

どんな顔だっていいんだよ。

「どんな顔だって、それがキングらしさだから」

顔を反らすと、遠くに夜景が映る。着いたよ、とトレーナーがドアを開けた。

 

都会を見下ろす展望台。遠くにはさっきまでの景色が並んでいる。

少し風が強くて彼のコートを借りた。なにか買ってくるよ、後でどこか行こうか、なんて話をして、彼を待つ。

都会の煌めきを目の前に、ぼんやりと考える。

海外への挑戦。きっと彼のことだから、不合格なら挑戦したことすら言わなかっただろう。

それだけ悩んで、それでも掴みたいと思った彼の夢。

あのへっぽこトレーナーが、ここまで変わったのだ。

あの頃のへっぽこな私は、どうだろう。

「お待たせ」

ミルクティーを受け取って、口を付ける。

しばらく二人で、街の光を眺めていた。

 

「ねえ、トレーナー」

私との三年間は、どうだった?

彼はじっと、夜景を見たまま口を開く。

「楽しかった。でも、それ以上に悔しかったな」

君の力なら、クラシックのレースで勝つことだってできた。でも、結果はそうならなかった。

「俺にもっと力があったらなって、そう思っていたよ」

 

じゃあ、私が卒業したあとの。

この十年は、どうだったの?

「……少しずつ、担当の子が勝てるようになって。彼女達が喜んでいたのは、嬉しかったな」

あの時ああしておけばよかったのに、と何度も思った。それだけ、見えていなかったものが見えるようになって。

「肩の荷が下りたというか。やっと俺も、あの日の悔しさを忘れられるかと思った」

 

だったら、トレーナー。

震える声を強く吐く。

「G1レースに勝って。クラシック三冠のウマ娘を送り出して。どう、感じたの?」

彼はじっと、考える。

これまでのことを懐かしむかのように。口元を少し、緩ませて。

「ずっと夢に描いていたことが、現実になった」

彼の瞳が煌めいた。夜景の光だろうか、星のまたたきかもしれない。

「やれることをやり切って。あの日手に入らなかったものを手に入れて」

「少しだけ満たされたような気がして、それから――」

 

「君に、会いたくなった」

 

ああ。

あの日の瞳だ。

私の隣に立って、震える声を張り上げて。「俺こそが一流のトレーナーだ」と叫んだ、あの瞳。

あの日から、彼は何も変わっていないんだ。

本当に、本当に……。

「なんなのよ、もう」

堰を切ったように、言葉が溢れる。

 

私だって、ずっと待っていたの。

あの日、頭を下げたあなたを見て。そんな顔をしてほしくなかった。

私が知っているトレーナーは、いつだって。

諦めが悪くて、どんな状況でも前を向いて、走り続けて。

私にいくつもの勝利をくれた。私と一緒に走ってくれた。

他の誰でもない、"キングヘイロー"と向き合ってくれた。

 

そんなあなたが、いつしか一流と呼ばれるようになって。

自分が認められたみたいに、嬉しかった。

でも、どこか寂しかった。

私もデザイナーとして独立して、お店を持って、だけど。

トレーナーが遠くに行ってしまうことが、少しだけ、怖くなってしまった。

一流になったあなたへ、なんて声を掛ければいいのか、分からなくなってしまったの。

もう、私には手が届かないんだと、思ってしまった。

 

だけど。

「私ったら、本当におばかよね。届かないかもしれない、なんて悩んでしまうなんて」

らしくない。

そんなの、キングヘイローらしくない。

勝てないかもしれない、なんて。ターフにいた頃は思ったこともなかった。

私がどうしたいかなんて、最初から決まっていたのにね。

「私、決めたの。私も海外に挑戦するわ」

日本だけじゃない。世界中に、私とあなたの名前を知らしめる。

私は勝負服デザイナーとして。あなたはトレーナーとして。

でも、たまにはトレーナー業だって、手伝ってあげてもいいわ。

「だから、その。あなたに思っていることを言う権利をあげる」

「わがままお嬢様は、相変わらずだね」

あら、忘れたの? 片時も忘れたことなんてないよ。

笑い合って、トレーナーが私を見つめる。

 

「君とまた、栄光の舞台へ挑みたい」

「あの日掴めなかった夢も。手に入らなかった栄光も。また追いかけよう」

その先の言葉を、彼は言いよどむ。

それでも、彼は私を見てくれている。

 

「だから、これから先は。キングにも、俺と同じ道を走ってほしい。どこまでも、ずっと先まで」

 

私達は私達らしく、私達だけの道を走り続ける。これまでも。この先も。

「これからもよろしくね、あなた」

首を下げた彼に、私は少しだけ背伸びをした。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。