ダンジョンに訳ありデビルハンターがいるのは間違っているだろうか 作:EGO
「──アストレア、止まれ」
前触れもなく、ただ目を見開いて闇を凝視するヘルメスの警告が『それ』の到来を告げた。
狭い路地。戦いの音も遠くに感じる戦場の片隅。
目の前に広がる闇をヘルメスは鋭く睨み、アストレアは
彼女が持つ『権能』がそうさせたのか、オラリオに住む神の中でグレイと最も時間を共にしたからか、理由は全知たる神でさえも理解できない。だが、確実に闇の中に邪悪な何かが潜んでいる。
そして何もいない筈の闇の中から、音もなく『それ』は這い出した。
灰色の髪を前髪ごと後ろに流して固め、黒で統一された喪服を思わせる紳士服に身を包んだ男。
何の色も持たない褪せた瞳。だがその奥に蠢く闇が──深淵が神々を貫く。
「「────」」
その瞬間、
目の前にいる『何か』を理解しようと思考が高速で回転するが、導き出される答えは同じだった。
それは恐怖。それは死。
彼は人間ではない。もっと
彼の得物はただの武器ではない。天界でのみ生み出され、神々に死を与えられる『神造武器』に限りなく何かだ。
「何だお前は。何なんだ、お前は……!」
ヘルメスはその顔に恐怖と怖気を貼り付け、額に脂汗を滲ませながら男に──ヴァニタスに問いを投げていた。目の前の『未知』をどうにか『既知』に変えようと、足掻いていた。
だがヴァニタスは獲物を品定めするような、不快で悍ましい、舐めるような視線をアストレアに向けたまま、微笑みを浮かべるばかり。
そして問いを投げてきたヘルメスにもようやく目を向けると、
「お初にお目にかかります、女神アストレア。そして神ヘルメス。私はヴァニタス。以後、お見知り置きを」
己の名を名乗り、顔を上げ、相変わらず薄寒いものを感じる笑みを浮かべていた。
そんな笑みにアストレアとヘルメスが身構える中、ヴァニタスが本題に入ろうとすると、
「アストレア様!」
予想外の乱入者に「おや」と片眉をあげたヴァニタスは、けれど慌てる事なく背筋を伸ばした紳士然とした体勢を崩さない。
「ご無事ですか!何だか体がすごく寒くなって、アストレア様を探さなきゃって、私……!」
後に続くネーゼ、アスカ、リオンも息を切らしながらも追いつき、アストレアの無事に安堵の息を吐く。
不安を抱いたまま、戦場を何度も縦断し、敵の包囲を無理矢理に突破してきたのだ。纏う防具と
駆けつけてくれた眷属達にアストレアが驚きをあらわにする中、リオンはアストレアとヘルメスが対峙している相手、ヴァニタスの存在にようやく気づく。
「お前は……!」
「先程ぶりですね、正義の眷属の皆様。どうでしょうか?私のもてなしは。満足していただけましたか?」
アストレアの前に入り、木刀を構えながら睨みつける妖精に、ヴァニタスは観客を前にしたショーの支配人のように大きく手を広げながら、そんな問いを投げた。
都市に広がる惨状を。都市に与えた惨劇を。この男は何の感慨も抱いた様子もなく、単なる
「ふざけるな!無辜の民を殺し、遺体を辱め、悲劇を拡大する!これのどこに笑うものがある!あるのは絶望だけだ!!」
リオンは声を荒げた。
だがヴァニタスはどこ吹く風といった様子で肩を竦め、「それは残念です」と肩を落とした。
「やはり下等種族には理解できませんか。まあ、当然といえば当然でしょう。そもそも理解しろと言う方が酷な話だ」
芸術を理解できない阿呆を小馬鹿にするようにヴァニタスはそう言うと、己の影から身の丈を越える大剣を引き摺り出し、石畳に突き立てた。
「「!!」」
真っ先に反応したのはアリーゼとリオン。二人はアストレアとヘルメスを守るべく、それぞれの得物を構えた。
睨み合う三者。膨らむ闘気。だが、ヴァニタスはそんな二人を嘲笑う。
「八号にすら及ばない貴方方が、私に勝てるとでも?」
「あら?やってみないとわからないわよ?」
「ああ、そうだ。やってみなければわからない!」
ヴァニタスの嘲りと挑発に、アリーゼは不敵に笑い返し、リオンが威勢良く木刀の鋒を向ける。
やれやれと面倒くさそうに息を吐いたヴァニタスが、大剣を構えようとすると、パチパチと場違いな拍手が響いた。
アストレアが、ヘルメスが、アリーゼが、ネーゼが、イスカが、リオンが驚きをあらわにし、ヴァニタスが顔を俯けながら溜め息を吐く。
「見つかってしまいましたか。全く、これからだというのに」
ヴァニタスは酷く残念そうに構えを解くと、背後に広がる暗闇へと振り向き、大剣を地面に突き立てながら片膝をつき、胸に手を当てて最敬礼の体勢を取る。
それは王に礼をする騎士のようでいて、あるいは忠臣のようでもあるが、その背中には欠片も敬意のようなものは感じない。
形だけ、動作だけの敬意。だが、それを向けられる『何か』はただただ可笑しそうにくつくつと笑った。
そして一頻り笑い終えた『何か』は、囁いた。深い闇の中で、はっきりと、『神の声色』でもって。
『我が身を顧みず、挺身を続けた正義の女神。見つけるのに時間がかかってしまった。まさかヴァニタスに先を越されるとは』
ほんの一瞬ヴァニタスに視線を向けたその『神』は、けれどすぐに視線をアストレアに戻した。
その前に立ちはだかるリオンも視界に収めつつ、『神』は言葉を紡ぐ。
『まあいい。正義を司る君だけは真っ先に葬り、この地を
紡いだ言葉とは裏腹に、全く歯痒くなど思っていないように笑みをこぼした。
『
再びなる拍手の音。
立ち尽くす神々とその眷属に投げかけられるのは、不気味なまでの、掛け値なしの賞賛。
その声音にどこか聞き覚えがあったリオンは眉を寄せるが、『神』はそんな彼女の反応も些事のように放っておき、無慈悲に告げた。
『だがその勇気も、眷属達の献身も、無意味になった。ヴァニタス、もういいぞ。好きにしろ』
「おや、よろしいのですか?褒美に見逃してやれとおっしゃるとばかり」
『神』からの許可に思わず怪訝な顔をしたのはヴァニタスだ。
彼は
『君が女神を使い何をするのか、大変興味がある。と言えば、満足するのか?』
「……ええ。全く、貴方が何を考えているのか、私にはわかりません」
『神』の言葉にヴァニタスはどこか納得していない表情で頷くと、『神』はゆっくりと彼らに背を向け、闇の中へと消えていった。
それを見送ったヴァニタスはアストレア達の方に振り向き、大剣を握る。
「では始めましょう。正義の女神とその眷属のお二方。どこまでやれるのか見ものです」
ようやく『神』からの赦しを与えられたヴァニタスは、ようやくかと瞳をぎらつかせながら大剣の鋒を彼女らに向けた。
対する【アストレア・ファミリア】は主神とヘルメスを守るように陣形を整えるが、アリーゼが振り向く事なく言う。
「ネーゼ、イスカ。二人はアストレア様とヘルメス様を連れて逃げて。ここは私とリオンで──」
アリーゼの判断は正しかった。【アストレア・ファミリア】の武闘派であるアリーゼ、リオンがここにいるのだ。ヴァニタスの強さを推定Lv.7としても、死力を尽くせば逃げる時間くらいなら稼げる筈だ。
「父様。こんな所で何をしているのですか?」
──いいや、筈
第三者の声が聞こえてきたのは、自分達の背後。
アリーゼが弾かれるように振り向けば、そこにいたのは
一人は顔と両手を包帯で覆い、腰に刀を帯びた、
もう一人は漆黒の鎧を纏った、女神も羨む美貌を誇る長身の女性──マルコシアス。
二人は偶然にもアストレア達の逃げ道を塞ぐように路地の出入り口に陣取り、意図せぬ形でアリーゼの作戦を挫いていた。
「おや、いいところに。ステラとマルコシアスはそこにいてください。すぐに終わりますので」
「父様がそう言うのなら」
「また悪巧みか。貴様の狡いところ、私は好かん」
ヴァニタスの指示にステラは何の疑問も抱く様子もなくすぐさま首肯し、刀の鯉口を切り、いつでも抜刀できるように身構えた。
マルコシアスは不満げに腕を組みつつ壁に寄りかかり、好きにしろと言わんばかりに目を閉じた。
「これは、流石にまずいか」
頬に脂汗を垂らし、ごくりと唾を飲んだのはヘルメスだ。
前にはヴァニタス。後ろにはステラとマルコシアス。ステラに至っては、先ほど聞こえた
そして、自分達を囲む三人から放たれる邪悪な気配は人間のそれではなく、こうして囲まれるだけでも全身に鳥肌が立つほどだ。
何より三人は自分達を神を、一方的に嬲れる弱者として見下している節さえも見てとれる。
冒険者四人に対し、相手は三人。数では勝っているが、相手とのレベル差は絶望的。
いいや。ヴァニタス一人でも致命傷だ。そこにヴァニタスと同等かそれ以上の増援が二人。状況からして詰んでいるに違いはない。
それでもヘルメスは考える。どうすればこの状況を打破できるのかを。どうすれば最低限の犠牲で逃げおおせることができるのかを。ほんの数秒の内にいくつもの答えを弾き出す。
彼は横目でアストレアに目を向けると、帽子のつばを押さえながら溜め息を吐く。
「ヴァニタスと言ったっけ?ここは一つ相談なんだが──」
「『俺はどうなってもいいからアストレア達を見逃してくれ』は、なしですよ。私の目的は貴方ではなく『正義』を司る女神なので」
だが、彼の言葉を遮る形で彼が出そうとした意見──自分を生贄にアストレア達を逃す──を前もって却下され、いよいよをもって言葉がなくなるヘルメス。
都市の調停者を自称する神の交渉を、そもそも席に着かない事で黙らせたヴァニタスは、ふむと小さく唸りながら顎に手を当てた。
数瞬、わざとらしく悩むような素振りを見せた彼は、冒険者と神々に僅かな希望を与えてやる事にした。
「女神アストレアを差し出してください。そうすれば、他の皆様のこの場における安全は保証いたします」
「「「「「ッ!?」」」」」
「……」
「父様?」
「だからお前は好かんのだ」
そんな彼の提案に冒険者達とヘルメスが驚愕し、アストレアが目を細め、ステラが困惑し、マルコシアスが嘆息する。
そして、次の瞬間には「ふざけるな!」とリオンが声を荒げた。
「アストレア様を差し出せだと!?ふざけるのも大概にしろ!!」
「ふざけていませんよ。無駄を省けるのならそうした方がいいでしょう?」
激昂するリオンとは対象的に、落ち着き払っているヴァニタス。
大剣を肩に担ぎ、トントンと肩を叩きながら言う。
「時間は有限ですし。早くしなければ
「始まる?一体何が起きるっていうんだ?」
そしてぼそりと溢した言葉にヘルメスが反応するが、ヴァニタスは微笑みを浮かべる事で会話をすることもなく切り上げ、アストレアに問いかけた。
「──で、来てくださいますね。女神アストレア」
淑女を踊りに誘う紳士のように手を差し出し、問いかけるヴァニタス。
「……私は」
その手を取るか、アストレアは一瞬迷った。
自分一人が行けばアリーゼ達は助かるかもしれない。だが、ヴァニタスが嘘をついている場合は、あるいはその後自分が『送還』されてしまえば、一転して彼女達に危険が及ぶ。
彼に着いていくということは、【ファミリア】の生殺与奪の権を与えるのと同義だ。だが、着いていかないということもそれと同義なのだ。
隣のヘルメスも思考を回転させ、どうにかしてアストレアだけでも逃さないかと深慮を繰り返していた。
アストレアが『送還』され、【アストレア・ファミリア】が事実上の壊滅となれば、オラリアの冒険者達の士気も落ちる。間違いなく。
オッタル達の敗北でただですら士気が下がり続ける冒険者達に、これ以上の絶望を叩きつける訳にはいかない。本当に、今度こそ、折れる。そんな確信がヘルメスにはあった。
そうして、全能故に最善を求めて迷う神々を振り払うように、正義の使徒が答えた。
「お断りよ」
「断る」
アリーゼとリオン。並んだ二人は同時に神々が出せなかった言葉を告げ、ヴァニタスにそれぞれの得物の鋒を向けた。
「二人とも……」
愛する
「大丈夫です、アストレア様!必ずお守りします!ついでにヘルメス様も!」
笑ってはいるものの自信などない。相手は格上。何か奇跡が起きてヴァニタスを斃せたとしても、ステラとマルコシアスに殺されるのは必至。
勝てたとしても次がない。
だが何もやらずに大切なものを失うのなら、精一杯足掻くのが冒険者というもの。
「【アガリス・アルヴェシンス】!!」
アリーゼの口から放たれる魔法名。同時に魔力が噴き出し、爆薬の炸裂と聞き紛う轟音と共に紅蓮の炎が四肢を、そして剣を包み込む。
炎の
ほぅと感嘆にも似た声を漏らしたのはヴァニタスだ。周囲を包む暗闇を照らすように燃え盛る少女の姿に眩しそうに目を細め、
「このままでは狭いでしょう。少し広くしましょうか」
そして怪しげな笑みと共にそう告げた瞬間、彼を中心に嵐のように暴れ狂う魔力が解き放たれ、都市を揺るがしながら路地を囲む建物の壁を全て破壊。
アリーゼとリオンはその場で踏ん張り、全身を殴りつけてくる魔力に耐え、ネーゼとイスカはアストレアとヘルメスを守る肉壁となる。
二人に庇われながらも、暴力的な魔力の濁流に呑み込まれた
更に後ろのステラとマルコシアスは、至近距離で放たれた『神威』に悪寒を感じつつ、それを払うようにそれぞれの得物を一閃。
濃密な魔力が込められた二振りの業物が、『神威』を、そしてヴァニタスの魔力を纏めて切り裂いた。
蒼い魔力の粒子と、炎雷の魔力が飛び散る中、舞い上がった砂塵が熱風に吹かれて消えていく。
姿を現したのは、ヴァニタスを中心に更地となった燃える闘技場。
その中央で地面に大剣を突き立て、仁王立ちした怪物は指を鳴らすと共に結界を発動。
血管を思わせる醜い結界が四方を囲み、アストレア達から退路を完全に奪い取った。
ステラとマルコシアスもその内側に巻き込まれるが、もう見張りの必要もない二人は適当な瓦礫の上に腰を下ろし、これから起こる
「この結界、抜け出すには……?」
ずれた帽子の位置を直しながら神妙な面持ちでヘルメスがイスカに問いかけるが、目敏くその声を拾ったヴァニタスが嗤いながら告げた。
「私を倒せれば逃げられますよ。万が一にも、あり得ないと思いますが」
「何度も言わせるな。やってみなければわからん!」
「守ってみせる、絶対に……!」
リオンが猛り、アリーゼが誓う。
悪魔の討滅を。神々を守護を。そして、無辜の人々の平穏を。
妖精は風となり、正義の少女は紅焔となる。
人々が見れば、少女達の姿に希望を見ただろう。少女達の背に正義を見ただろう。
それでも、悪魔は嘲笑う。希望などない。正義とは強き者が振り翳し、弱者を従わせる道具に過ぎない。
「現実というものを教えてあげましょう。哀れな正義の
「さて。私はあの死に損ない共に止めを刺すとするか」
女神を賭けた決戦が始まる少し前。
オリヴァスは既に血で赤黒く染まっている拳具の具合を確かめながら、瓦礫の山から身を投げ、ある場所を目指す。
その後ろに部下達が続き、行列を作りながら目指すのは、ステラに敗れ、倒れ伏す第一級冒険者達の元だ。
何か急用か、あるいは飽きてしまったからか、ステラは既にこの場から離脱し、負傷激しいザルドもまた一時後退を強いられた。
だが、二人のおこぼれに預かるのは問題あるまい。いいや、むしろここでオラリオ壊滅の最大の障害となる者達を排除するに越したことはない。
普段であれば奇跡が起きたとしても勝負にすらならない絶対強者を殺せるのだ。大局的な意味でも、個人的欲求を満たすという意味でも、この機会を逃す手はあるまい。
誰から殺してやろうか。気絶し、瀕死になっているとはいえ、第一級冒険者。この中で一番
「だが、奴らの首を晒せば冒険者どもの心は完璧に折れる!その時こそ、真の勝ち鬨をあげる時だ!」
「「「ウオオオオオオオオオオオオオ!!!」」」
オリヴァスの言葉に
ガチャガチャと金属が揺れ、擦れ、ぶつかり合う音が迫る中、冒険者達は動けない。いいや、誰一人として目を覚さない。
オリヴァスも血の海に沈む冒険者達の姿を視界に捉え、ぺろりと唇を舐めて湿らせる。
そして彼らを血祭りにせんと部下達に号令を出そうとした瞬間、何もない筈の頭上から何かが降り注ぎ、それが何かを確かめる暇もなくそれらは爆発。
「なんだ!?」
Lv.3が故にいの一番に反応し、その場を飛び退いたオリヴァスが爆炎の中から飛び出し、強い困惑を顔に貼り付けながら
「な!?」と驚愕の声を漏らし、見開かれた瞳に映るのは、虚空を蹴ることで滞空するアスフィの姿だった。
アーディと共に離脱した彼女は、その後の出来事から最悪の事態を想定。第一級冒険者達とグレイを救出すべく、再びここに戻ってきたのだ。
冒険者が空を飛んでいる姿に更なる混乱に陥るオリヴァスを他所に、未完成ながらもどうにか滞空できるまでに漕ぎ着けた『
この手はもう使えない。次からは上空も警戒され、まだ直線的な動きしかできないこれでは接近さえも許されないだろう。
迎撃を警戒しながらも近くの瓦礫の影に着地したアスフィは深く息を吐き、腰に携えた短剣を抜く。
そっと瓦礫の隙間から相手を伺い、数を確認。指揮官たるオリヴァス。戦闘員が十人。今の爆発で斃せたのは五人。多勢に無勢。そもそもLv.2である自分よりも格上であるオリヴァスがいるのだ、真っ向勝負では勝ち目などない。
「大切な事を忘れているぞ、【
オリヴァスと瓦礫の山越しに視線が交差した瞬間、二人の視線を遮るように何かが立ち上がり、同時に跳躍。
ハッとしながら瓦礫の影から飛び出した直後、彼女がいた場所に爆発で抉られた腹から臓物を溢れさせた死体が着地。
地の底から響くような唸り声と共に、刃と化した右腕を鞭のように振るうが、アスフィは『
だが、
「少々、動きが単調すぎるな」
悪魔憑きとなった部下の攻撃を避けるべく、遮蔽がない上に退避したアスフィを嘲笑うように、オリヴァスは部下から受け取った魔剣を振るった。
途端に放たれる雷電。アスフィが防御する間もなく迫ったそれは彼女を撃ち抜き、そのしなやかな肉体の端までを雷が駆け抜ける。
「〜〜〜っ!!?」
異常なまでのダメージと駆け抜けた電撃が『
咄嗟に受け身を取るアスフィだが、魔剣の直撃を受けた肉体は傷つき、その瑞々しい肌に酷い火傷が刻まれていた。
「くっ……!」
痛みに耐えるべく歯を食い縛り、石畳に手をついて立ちあがろうとするアスフィに、悪魔憑き達がじりじりとにじり寄り、オリヴァスは醜悪な笑みを浮かべながら魔剣を振り上げた。
「哀れだな、【
そして嗜虐的な笑みと共に振り下ろそうとした瞬間、ぐちゃりと湿った音が冒険者と
同時に、全身に絡みつくような気味の悪い魔力がどこからか解き放たれ、その場に集う者達の時間を止めた。
「オ、オリヴァス様……!オリヴァス様!あ、あああ、あれを……!」
背後から感じる異様なまでの魔力。そして、それがもたらす本能的な恐怖に苛まれながら、オリヴァスは弾かれるように振り向いた。
「な……!?」
そして驚愕に目を見開き、僅かに後ずさった。
そこにいたのは、いる筈のない者。いてはならない者。
『覇者』に敗れ、心臓を貫かれ、既に死に捕まった筈の者。
アスフィもようやくその姿を視界に捉え、その余りにも悲惨な姿に「ひ!?」と小さく悲鳴を漏らした。
その者は左腕を失い、隻腕となっていた。
その者は体中に刻まれた裂傷から、修復に伴う魔力の蒸気を全身から放っていた。
その者は胸から己の心臓を貫く罅割れ、歪んだ長剣を生やしていた。
血で赤く染まった灰色の髪を熱を孕んだ風に揺らしていた。
折れ曲がった脚が急速に修復され、骨が繋ぎ合わされる乾いた異音を鳴らしていた。
そして、傷口を塞ぐように漆黒の鱗が生え揃い、その肉体をより強硬なものへと変化させていく。動きを阻害しないように開く僅かな隙間からは、灰色の魔力光が漏れ出ていた。
未知の魔法か。未知のスキルか。未知のアビリティか。理由は定かではない。
だが、彼は再び立ち上がり、こうして彼らの前に現れた。それだけは曲げようのない事実。
「グレイ・アッシュウォルド!?生きていたのですか!?」
「──」
その姿に僅かな希望を見たアスフィが、思わず叫んだ己の名に反応するように、彼はぴくりと肩を揺らした。
毛細血管が弾けた為か、血涙を流し、赤く染まった眼球をぎょろりと動かし、負傷したアスフィと、彼女を囲む
だが焦点が合っていないのか、その視線は右に左に泳ぎ回っている。
「オ、オリヴァス様!?い、いかがなさいましょう!?」
「狼狽えるな!見ての通り、奴も死にかけ。魔剣でも魔法でも何でもいい!さっさと奴にトドメを刺せ!」
「「「「「は!!!」」」」」
オリヴァスの指示にようやく平静を取り戻した部下達が一斉に応じ、それぞれが魔剣や魔法の用意をする中、グレイの行動は速かった。
心臓を貫く刃を素手で掴み、一息で引き抜いたのだ。
同時に大量の鮮血が胸から噴き出し、辺り一面にぶち撒けられる。
「何をしている!?さっさと撃て!!」
オリヴァスが恐慌しながら怒鳴り散らすと共に、部下達が一斉に魔剣を振るい、魔法を放った瞬間、グレイの姿がブレた。
全ての者の動体視力を引きちぎり、認識を飛び越え、音を、光さえも置き去りにして、
彼らが一斉に驚倒に目を見開き、グレイがいた場所に様々な魔力が着弾、炸裂した直後、次々と
灰色の魔力の残滓を宿す斜線が通過する度に一人、また一人とその肉体を悪魔が取り憑く隙も与えずに完全に破壊し、ついでに依代を失い、霊魂として彷徨っていた最下級悪魔を斬り払う。
止まらない。止められない。死より帰還した少年の蹂躙を、『覇者』の頂に届くことのない彼らでは止めようがない。
「ふ、ふざけるなぁぁぁぁああああああ!!!」
部下達が、悪魔達が、何の抵抗も赦されずに斃されていく中、オリヴァスは吠えた。怯える己を鼓舞しながら、震える拳で拳具を握り締める。
そして正面から迫る斜線に右の拳を突き出した瞬間、伸び切った右腕を数十の灰色の斬撃が駆け抜け、背後でグレイが脚を止めた音と、彼の急制動に耐えきれなかった大気が悲鳴をあげる衝撃音が鼓膜を殴りつけた。
「は……?」
オリヴァスの口から漏れたのは、あまりにも情けのない間の抜けた声。
グレイが罅割れた長剣に血払いをくれた瞬間、それを合図にオリヴァスの右腕は拳から肩口までに数十の赤い線が刻まれ、直後その全てから鮮血を噴き出しながら飛散。
肉片が、骨片が周囲に飛び散り、オリヴァスの言葉にならない絶叫が戦場に響く。
抉り取られた右肩を押さえてその場に蹲り、痛みに見開く目から大量の涙が溢れ、閉じることができない口からは唾液が垂れる。
「あが……っ!うでッ!わたしの、うでがぁぁぁぁ!!!」
石畳の上をのたうち回り、大量の血痕を残していくオリヴァスだが、その見開き、涙ぐむ瞳にグレイを映した瞬間、彼は惨めに喚き散らしながらグレイに背を向けて走り出した。
その言葉に意味はない。命乞いか、あるいは誰かに助けを請うているのか、グレイにそれを判別するほどの余裕はない。頭が回っていない。
胸からの出血が止まらない。心臓の修復が遅い。魔力が尽きかけている。視界が点滅を繰り返し、歪んだまま元に戻らない。
ごぼりと大量の血を吐き、長剣を取りこぼしながら、それでも睨むはオリヴァスの背中だ。先ほどは距離を見誤り、首を刎ねられなかった。次は外さない。
震える手でアッシュを取り出し、その照準を小さくなっていく彼の背中に。
深く息を吐き、腕力に物を言わせて無理やり安定させ、残った魔力を込めながら引き金を
「駄目です!それは──」
何かに気づいたアスフィが制止の声を上げるが、もう遅い。
グレイは引き金を
「ッ!?」
ザルドの雷霆に晒されたのだ。グレイさえも無事では済まなかった魔力の濁流に晒されて、彼の装備が無事である筈がない。
アッシュも、ダストも、コヨーテBも、その全てが歪に歪み、罅割れ、内部構造も滅茶苦茶。もう形を保っているだけの鉄塊でしかない。
普段のグレイなら気づけたそれも、今の限界まで追い詰められた彼では武器にまで気を遣う余裕はなかった。
目敏くそれに気づいたアスフィの忠告も、遅すぎたのだ。
グレイが狼狽えている隙にオリヴァスは通りの向こうに消えていき、残っているのは彼が残した血痕のみ。
「……」
無言でそれを眺めたグレイは、もう
「……ヴァニタス」
不意に感じた気配に顔を巡らせ、視線を遥か向こうの戦場の片隅に。
アスフィも彼の視線を追うように顔を巡らせるが、あるのは瓦礫の山と炎の壁ばかり。
それでも彼は負傷を押して跳躍し、その炎の壁の向こうへと消えていった。
一人残されたアスフィは「何なのですか、いったい」と呟くと、すぐに立ち上がって自分のすべきことをするべく行動を開始した。
何が何でも第一級冒険者を、この街に残された最後の希望を残さなくてはならないのだ。
だが不意に彼女は足を止め、割れた眼鏡越しにグレイが捨てていった銃火器に──この世界においては全く未知の武器に、目を向けた。
「……何かに使えるかもしれませんね」
アスフィはそんな独り言を呟きながら、それらを回収。
後はリヴァリアはともかく、オラリアが誇る屈強な戦士三人をどう運ぶか、頭を悩ませる。
その瞬間だった。都市の片隅から異常な魔力が放たれ、都市を揺らす振動を感じたのは。
「今度はなんです!?」
ここにいるのはたったの一人。猛烈な不安に襲われるアスフィはその魔力と振動の発生源に目を向け、同時に気づく。
その方向が、先程グレイが向かった方向とほぼ一致しているのだ。多少のズレはあれど、彼が向かう先に何かがあるのは間違いない。
「貴方はいったい何なのですか……?」
アスフィの疑問の声は炎が揺れる音と熱風に吹かれて消えていき、誰にも届くことはなかった。
感想等ありましたら、よろしくお願いします。