ダンジョンに訳ありデビルハンターがいるのは間違っているだろうか 作:EGO
切り札たる魔法を行使し、両腕、両脚、そして
同じ色の髪が四肢を包む熱気に揺れ、剣を握る手にも力がこもる。
さながら絶望に染まるオラリアを照らす『正義』の灯火、消えかけの蝋燭が見せる最後の煌めきを垣間見たヴァニタスは鼻で笑い、ゆったりとした動作で、そして片手で大剣を振り上げた。
「ッ!」
何かしようとしているのは明白。ならばその前に潰す。
アリーゼはブーツに炎を収束させ、地面を爆砕させるほどの力を持って地を蹴った。
紅焔の爆裂と、アリーゼの
ほぼ静止状態であった彼女は一瞬にして最高速度に達し、真正面からヴァニタスに切りかかる。
炎が尾を引き、地面を焦がすほどの熱量を孕んだ
「瞬間移動ができるのなら、もう少し焦るのですが……」
小さく肩を竦め、明確な侮蔑の色を含んだ声音でそう告げた瞬間、ヴァニタスは振り上げていた大剣を振り下ろす。
アリーゼは間合いの外。己の得物の刃渡りと、相手との距離を見誤ったのか。
そんな希望的観測が脳裏を過ぎるが、振り下ろされた大剣が生み出したのは暴風もかくやという凄まじい剣圧だった。
「くっ……!?」
アリーゼが纏う炎の鎧が一瞬掻き消えるほどの風圧に晒され、彼女の突撃も止められる。
地面に踵をめり込ませて踏ん張り、風圧を耐え切った彼女の影から躍り出たのはリオンだ。
覆面に隠された顔を義憤に染め、敬愛する主神を守らんとする『正義』の妖精は、風の中を舞うように突き進み、肉薄。
「はぁ!!」
気合い一閃と共に木刀を振るい、ヴァニタスの頭をかち割らんとするが、彼はおもむろに無手の方の腕を挙げ、木刀と頭の間に割り込ませた。
構うものかとリオンが木刀を振り抜いた瞬間、感じたのは鉄塊を斬りつけたようなあまりにも固い手応えだった。
長距離を駆け抜けた事で生まれた加速力と、己が出しうる渾身の力を込めたにも関わらず、ヴァニタスの腕を断つどころか彼が纏う喪服の袖さえも裂けていない。
それはヴァニタスの腕を服ごと包み込む不可視の魔力が、リオンの攻撃力よりも遥かに優れている事の証明だった。
「……ッ!」
リオンの表情が驚愕に染まり、小さく唸る。
「どうしました?この程度ではないでしょう!」
そんな彼女の表情を覗きながら、ヴァニタスは笑みと共に腕を振った。
Lv.3の冒険者が全力で押さえていた木刀が、彼女の体ごと容易く弾きかれ、半歩分の後退を強いられる。
彼女が体勢を整えるよりも速く、ヴァニタスの蹴りが放たれた。
右足を軸に腰の捻りも加えた回し蹴りが、脚に纏う魔力の残光で尾を引き、半月を描きながらリオンに向かう。
その速度たるや、リオンとアリーゼですら蹴りが放たれたと認識するのにほんの一瞬を要した程。
その一瞬で回避の択を潰されたリオンに残されているのは、防御か被弾の二択のみ。
そして、後者は絶対に選んではならない選択肢だ。故に取れるのは防御一択。
リオンは木刀を自身と蹴撃の間に滑り込ませ、その峰に手を添えて防御を固めたのとほぼ同時に、蹴撃が炸裂した。
「〜〜〜〜!!?」
木刀と蹴撃が激突した瞬間、みしりと木材が軋む音と共に木刀に罅が入り、そのまま蹴り折られた。
防御を破砕し、そのまま振り抜かれた蹴撃がリオンの右腕と体を捉えた瞬間、凄まじい衝撃音と共に肉が潰れ、骨が砕ける異音が戦場に響いた。
直後、彼女は水切りの石のように容易く吹き飛ばされる。
「リオン!?」
地面を何度もバウンドしながら、瓦礫の山に突っ込んだリオンを視界に捉えたアリーゼが心配の声をあげるが、直後、悪寒を感じてその場を飛び退いた。
次の瞬間に爆砕される地面。飛び散った破片で身を斬ったアリーゼが苦悶の声を漏らす中、彼女がいた場所に突き立つのは折れた木刀の鋒部分。
ヴァニタスが蹴り折ったリオンの木刀を掴み、そのまま投じてアリーゼへの攻撃に利用したのだろう。木刀の鋒はその衝撃と、込められた濃密な魔力に耐えきれず、朽ち果てるように塵へと還っていった。
空中で身を翻して体勢を整えたアリーゼは空中でブーツに収束させた炎を炸裂させる事で空を蹴り、直線的でありながら複雑怪奇な軌道を描きつつ、ヴァニタスに肉薄。
「【
その途中、三度繰り返した言葉は
出し惜しみなし。余力も残していられない。目の前の敵は、あまりにも生物ととしての格が違いすぎる。
何度も空を蹴り、紅焔を纏いながら天高く跳躍した彼女の姿は、オラリオで戦う全ての者の注意を引いていた。
人も、悪魔も、関係ない。『正義』の少女が放つその輝きを、その煌めきを、魅入るように、あるいは祈りを捧げながら、皆が見上げていた。
「
そして放たれた最後の
髪と同じ紅の色を孕んだ炎が燃える都市を照らし、一瞬の希望を都市に与える。
彼女は更に身を翻し、空中で逆立ち状態に。そして、ブーツに炎を収束させ、更に収束させ、限界を超えて収束させる。
愛剣を両手で握り、刺突の構えを取った。そして、ブーツの炎が炸裂。ブーツを、そして彼女の脚を焼き焦がす程の熱量を孕んだ紅焔が弾け、超加速となって彼女の背を押した。
紅蓮の尾を引き、さながら流星のようになって真っ直ぐに地面に落ちていく彼女が見据えるのは、ただ一人。
大剣を肩に担ぎ、大きく脚を広げて半身の構えを取り、彼女を迎撃せんとするのはヴァニタスだ。
一条の流星となった彼女の姿を忌々しそうに見上げ、吐き捨てる。
「人間風情が
その声は普段から使っている上面だけの気品さえもなく、人間を侮辱し、侮蔑し、軽蔑する悪魔としてのものだった。
地の底から響くように低く、物理的な圧力さえも放つ迫力に満ちたそれは、人間が出せるものではない。
「…………」
紅焔が燃える轟音の中、ヴァニタスの言葉を聞いたステラが冷たい視線を彼に向ける中、アリーゼの全身全霊の突撃がヴァニタスに迫る。
そして彼女の刺突に合わせてヴァニタスが大剣を振り上げ、剛撃と炎撃が正面衝突。
瞬間、弾ける紅蓮の焔。更地となった戦場に紅焔が駆け抜け、ネーゼとイスカが慌ててアストレアとヘルメスを庇い、地面に引き倒し、覆い被さる。
ステラとマルコシアスは相変わらず瓦礫に腰を降ろしたまま紅焔に呑み込まれるが、すぐさま腕を振るだけで紅焔を振り払い、無傷の二人が姿を見せた。
「はあああああああああああああああああああ!!!!!」
周囲を焼き尽くさんばかりに火力を上げる紅蓮の炎の向こうから、アリーゼの雄叫びが木霊した。
だが、直後に響いたのは甲高い金属音。それが響くと同時に一瞬にして爆炎が晴れ、爆心地にいた二人の姿を露わにする。
そこにいたのは燃え盛る愛剣を弾かれ、仰け反る形で体勢を崩したアリーゼと、
「アリーゼ!?」
いまだ周囲に残る熱気に当てられ、大量の汗を流しながら顔を上げたアストレアが思わず名を叫んだ瞬間、アリーゼは眦を裂き、出来立ての火傷が痛々しい両脚に炎を収束、瞬時に地面を蹴り、爆砕の砂塵を煙幕にしながら離脱。
空中で炎を両脚に溜め、着地と同時に再び地面を爆砕させ、離れた距離を一気に詰める。
アリーゼの最大加速。命をすり減らしながら放つ、彼女の全力。
刃が振るわれる度に紅蓮の炎が旗のように軌跡を描き、舞い散る火の粉が戦場を幻想的に照らし出す。
踏み込む度に地面を砕き、己の脚を焦がしながら、時には柄にもなく徒手空拳さえも織り交ぜ、僅かな軸のズレや剣撃の速度に緩急をつけ、彼女ご持ち得る全ての『技と駆け引き』でもってヴァニタスを斬らんと、主神を護らんと献身する。
だが、届かない。ヴァニタスはそんな燃え尽きる寸前の蝋燭を思わせるアリーゼの姿を嘲笑いながら、僅かに半身をずらし、体を傾け、舞踏のように優雅なステップを踏みながら、それでも必要最低限の動作のみで、彼女の全力全開の剣撃を躱していく。
剣が生み出す風圧に髪を揺らしながら、けれど炎は掠める事もなく、地面が爆砕させる踏み込みと、その勢いを乗せた一撃さえも、遅いと言わんばかりに容易く躱す。
届かない。紅の剣士の全力が、『正義』の少女の意地が、【|紅の正花《スカーレット・ハーネル】の紅焔が、ただひたすらに彼女だけを焼いていく。
「あいつ、遊んでやがる……っ!」
文字通り命を燃やす団長と、そんな彼女の猛攻を容易く凌ぐヴァニタスの姿に、ネーゼは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
それなりに長い付き合いであるネーゼにはわかる。今のアリーゼは全力の中の全力だ。今までの戦いでも、見たことがない程に力を出し切っている。それは疑いようのない事実だ。
だが届かない。あまりにも実力が隔絶している。対人戦の基本である『技と駆け引き』が、まるで通用していない。
一太刀振るうだけでもアリーゼの消耗は加速していき、ヴァニタスは憎い程に余裕の表情を崩さない。
助太刀に行かなければと僅かでも動こうとすれば、すぐさま瓦礫に腰を下ろしているステラから濃密な殺気が放たれ、『動くな』という無言の圧力が冒険者達と
駄目だ、動けない。まず二人の元に辿り着くまでに死ぬ。そしてアストレア達を攫われる。
この場における最悪を回避するには、団長を信じて待つことだけだ。そう、今の彼女には待つことしかできない。
「……アリーゼッ!」
ネーゼが苦渋に満ちた表情で団長の名を叫んだ瞬間、紅焔の一閃が放たれた。
紅焔が尾を引き、見事な半月を描いた斬撃は文字通り彼女の全力。いいや、この戦闘において全力でない攻撃など一つもない。
そして、彼女が放った渾身の一撃は──。
「温いですね」
ヴァニタスの指によって、受け止められた。
人差し指と中指の間に燃え盛る刃を白羽取りしたヴァニタスは
「所詮は見掛け倒し。この程度の炎では、私を燃やすのは夢のまた夢です」
様子見をしていましたが、底が見えましたねと、アリーゼの懸命を児戯のように嘲りながら、その体を叩き斬るべく大剣を振り上げた瞬間、アリーゼは笑った。
ヴァニタスがそれに気づき、怪訝な表情を浮かべた瞬間、アリーゼは咆哮した。
「──
叫ばれたのは、
彼女と同じ紅の炎がヴァニタスの指に挟まれた刃から溢れ出し、直後爆裂。
凄まじい熱と衝撃がゼロ距離で浴びたヴァニタスがその動きを止めた瞬間、アリーゼは
爆炎と煙で視界を、轟音で聴力を封じられた。今の彼は完全に無防備だ。
火傷でぼろぼろになり、弾けた血管から溢れる血で彩られた脚でどうにか着地したアリーゼが、再び喉を震わせた。
「リオン!!」
既にヴァニタスの蹴りで肉体を破壊され、瓦礫に埋もれて
『正義』のために立った妖精が、敬愛する女神のため、そして尊敬する友のために立ち上がらぬ道理はない。
直後、瓦礫の山が爆散。大量の血痕を残しながら戦場を縦断したのはリオンだ。
大量の血を吐き、折られた右腕をだらりと垂らし、激痛に喘ぎながらも紡ぐは必殺の詠唱。
「──【来れ、さすらう風、流浪の
アリーゼが死力を尽くして作り出したこの
跳躍し、空中で身を翻し、
「【ルミノス・ウィンド】!!!」
詠唱を終え、魔法名を告げた瞬間、彼女の背後に生み出された数十の光球が、ヴァニタスへと殺到し、何十という光と風の爆発が彼に襲いかかった。
着弾の度に地面が揺れ、抉り取られ、衝撃が戦場を駆け抜ける。
振動と衝撃に耐えきれずにアリーゼが膝をつく中、リオンは彼女の隣に着地。
アリーゼの炎とリオンの風。その二つに襲われたヴァニタスを警戒しながら、アリーゼに目を向けた。
「大丈夫ですか!?すぐに治療を……!」
「大丈夫!今はアストレア様達を──」
彼女の心配の声にアリーゼが気丈な笑みで返し、主神達の護衛に戻ろうとした瞬間、トス……!と軽い音が自分の腹部から鳴った。
「……ッ!?アリーゼ!?」
「アリーゼ!!」
「ッ!?嘘だろ、ちくしょう!」
「アリーゼ団長!?」
リオンが、アストレアが、ネーゼが、イスカが、一切にアリーゼの名を叫んだ。
え、何?私がどうかした?といつものように笑い、彼女らを弄ってやろうと口を開いた瞬間、飛び出したのは言葉ではなく血の塊だった。
「ぇ……?」
訳もわからず間の抜けた声を漏らした彼女は、強烈な熱を感じた腹部に視線を落とした。
その瞬間、視界に飛び込んでくるのは
刃の根本まで突き刺さったそれは寸分の狂いなく肝臓を貫いており、溢れ出した鮮血が焼き焦げた
そのまま太腿を伝い、地面に垂れ落ちていく紅いそれはアリーゼの血だ。
「ぁ、やばっ……」
冒険者の強靭な肉体が斃れることを許さないが、それでも大きすぎる消耗が、多すぎる出血が彼女の命をゆっくりとすり減らしていく。
「ああ、くそ!!あれでも駄目なのか!?冗談だろ!?」
それを合図になったように、ヘルメスが
Lv.3の第三級冒険者。いまだ英雄と呼ぶには未熟な少女達ではあったが、その魔法の威力はLv.4のそれにも届きうる。その二つを立て続けに受けて、無事でいられる者がいる筈が──。
「忘れ物です。確かに返しましたよ、女神の
──いた。アリーゼとリオンの魔法により発生した爆煙の中から、二度と聞きたくなかった男の声が、確かに冒険者達と神々の耳朶を撫でた。
全ての者の視線が彼の元に集まった瞬間、爆煙が晴れる。そこにいたのは、直立姿勢のまま、左手で何かを──おそらくアリーゼの剣を──投げたような体勢になっているヴァニタスだった。
髪が乱れ、衣装も節々が破れ、
乱れた髪を直すように前髪をかき上げながら、ついで振りかぶるのは右手だ。そこに握られている物をみた瞬間、冒険者達、そして神々の表情が驚愕と戦慄に染まった。
風を纏った光球。先ほど放った【ルミノス・ウィンド】の一つ。それを彼は鷲掴み、爆裂せんと暴れ回るそれを、手とそこに纏う魔力で抑え込んでいる。
「ふむ。確かに強力ではありますが」
ヴァニタスは罅割れ、もはや邪魔でしかない
鮮やかな緑の光を放つ光球がどす黒い魔力に侵食され、その輝きを陰らせながらも一回り大きなものへと成長。
纏う風は荒れ狂う嵐となり、光球は滅殺の魔弾と化す。
「私達の前では、児戯同然ですよ」
ヴァニタスは無慈悲に右腕を振り下ろし、魔弾をリオンとアリーゼに向けて投射した。
それは容易く音の壁を超え、荒れ狂う嵐が地面を削り取り、魔弾が大気を切り裂きながら、漆黒の尾を引いて二人に迫る。
リオンがアリーゼを抱えて離脱しようとするが、それでは遅い。
彼女を脇に抱え、跳躍しようと腰を沈めた時には、魔弾はすぐそこまで迫っていた。
リオンが魔弾を見つめて時を止める中、アリーゼはリオンだけでも救わねばと覚悟を決める。
「リオン!アストレア様をお願い……!」
「!?アリーゼ、何を……!」
友からの悲壮なまでの覚悟のこもった指示にリオンが困惑の声を漏らした瞬間、アリーゼは血まみれの足で地面を踏みしめ、そして、力を振り絞ってリオンを投げ飛ばした。
突如として宙に投げ出されたリオンが、彼女の名を呼びながら手を伸ばす。だが、その直後、漆黒の魔弾がアリーゼを吞み込んだ。
荒れ狂う嵐が地面を抉り、魔弾が全てを蒸発させる。文字通りの必殺の
結界と魔弾がぶつかり合い、拮抗し、ついには対消滅する凄まじい轟音と衝撃が周囲一体を駆け向けた。
その衝撃に殴られ、地面に叩きつけられたリオンは痛みを堪えながら立ち上がり、そして見た。
そこには何もなかった。ただヴァニタスから結界までを一直線に結ぶ轍だけが、そこに残されていた。
アリーゼはいない。形見さえも残さず、彼女は消えていた。
「アリーゼ……?」
呆然としながら、リオンは周囲を見渡した。
やはりアリーゼはいない。代わりに、両膝を着いたネーゼと、事態を理解できずに困惑しているイスカの姿が見えた。
「アリーゼ……」
返事はない。
ヘルメスが顔を俯け、アストレアが涙を溜めながら目を閉じた。
「……ッッッ!!!!!」
直後、リオンの胸中を支配したのはどす黒い感情だった。
憎悪が、殺意が、炎となって心を支配し、肉体が制御を外れる。
アリーゼが最期に残した言葉さえも置き去りにして、眦を裂いた彼女はヴァニタスを睨みつけた。
「ヴァニタァァァァァァス!!!!!」
「いい憎悪です。いい殺意です。いい表情です!今の貴方なら、よい依代になることでしょう!」
リオンの咆哮にヴァニタスは笑顔を返し、煽るようにそう言葉を吐いた。
そのまま彼女の叩き斬らんと大剣を構えた瞬間、何かに気づいたのか、溜め息混じりに空を見上げた。
厚い雲に覆われ、星はおろか月さえも見えない鉛色の空。
ステラとマルコシアスも同じように空を見上げ、マルコシアスは腕を組みながら感嘆にも似た声を漏らし、ステラはすっと細めた瞳に明確な敵意と、軽蔑の色を宿した。
「貴様、どこを見ている……!」
砕かれ、もはや武器としての意味をなしていない木刀を振りかざしながら吠えるリオンに、ヴァニタスは溜め息を吐き、笑みを浮かべた。
「どうやら、今回ばかりは彼の方が上手だったようです。流石ですね、八号」
そして彼が賞賛の言葉を告げた直後、リオンの真横に何かが着地した。
驚倒する彼女の視界に映ったのは、燃える炎を思わせる紅の髪だった。
見覚えのある、いいやむしろ安堵さえも覚えるその髪を見た瞬間に「アリーゼ……っ!」と涙ながらにリオンが名を呼ぶと、紅髪の少女──アリーゼは額に脂汗を滲ませながら微笑んだ。
彼女を肩に担ぐグレイは、血を吐きながらヴァニタスを睨みつけ、ヴァニタスはそんな彼を睨み返しながら、肩を竦める。
「結界は閉じ込めるばかりで外からの侵入には弱いですからね。まさか、間に合うとは思いませんでしたよ」
彼の推察通り、ヴァニタスの存在を感じ取ったグレイは結界内に侵入。そのまま最短距離を駆け抜け、魔弾に呑まれる寸前のアリーゼを救出し、回避のために跳躍。
だが魔弾が纏う暴嵐に巻き込まれて吹き飛ばされ、天高くまで打ち上げられていたのだ。そして、リオンの隣に着地した。
アリーゼは瀕死ではあるが、息はあるようだ。リオンは胸に宿った黒い炎を小さくしながら、安堵の息を吐いた。
「しかし。何ともまあ、いい格好ではありませんか。昔を思い出しますね」
そんな彼女の安堵など興味がないヴァニタスは、すっと細めた瞳を彼の体に向け、懐かしむように微笑んだ。
つられて彼の体に目を向けたリオンをはじめとした冒険者達と神々は、その直後に目を見開いて驚愕を露わにした。
失われた左腕。風穴が開いた左胸。そして、体のあちこちを覆う漆黒の鱗と、隙間から漏れる灰色の魔力光。
明らかに人間のそれではない姿となり始めているグレイに、皆一様に驚愕する中、グレイはアリーゼをリオンに任せ、背負っていた罅だらけの長剣を構えた。
片腕を失った事による重心のずれ。心臓を失った為か、修復が追いつかずに胸からの出血が止まらない。
万全には程遠い状態だ。だがやらねばならない時はある。
「そんな姿に成り果ててまで、私を殺そうと?まったく見上げたものですね」
グレイが隻腕状態の歪な構えを取る中、ヴァニタスはそんな彼を嘲るように肩を揺らした。
瞬間、グレイはその場から消えた。彼の
そして、無防備にも立ち尽くすヴァニタスの首を刎ねんと刃を振るった瞬間、キン!と鍔鳴りの音と、刀を鞘に納める乾いた音が鼓膜を揺らした。
グレイが警戒に目を見開き、ヴァニタスから離れるように後ろに跳んだ瞬間、彼を包むように空間が球状に歪み、直後、球体の中央から数十の斬撃が弾けた。
「がっ……!?」
「父様は正義の眷属との決闘がご所望です。邪魔をしないでください」
大量の刃傷を負い、地面に転がされたグレイがべしゃりと湿った音と共に墜落すると、ステラが彼とヴァニタスの間に立ちはだかり、刀の鋒を彼に向けた。
グレイは立ち上がり、邪魔をした少女を睨んだ瞬間、あらん限りに目を見開いた。
魔力の質も、容姿も、記憶にあるそれとは程遠いが、声だけは昔のまま変わらない。
「お前は……!?」
驚倒し、思考も、肉体の動きも完全に止まった瞬間、ステラは抜刀と共に刃を振るい、すぐに鞘に納めた。
カチン!と鍔と鞘がぶつかる金属音がしたかと思えば、グレイの全身に更に十を超える大小様々な刃傷が刻まれ、その中の一閃が縦一文字に左眼を切り裂いた。
「……っ!?」
全身から血を噴き出し、膝を着いたグレイを無感情に見下ろしたステラは吐き捨てる。
「随分と弱くなりましたね、
静寂に包まれていた戦場に、彼女の言葉が静かに響く。
「え……」とリオンが声を漏らし、アリーゼ達も困惑に目を見開く中、アストレアだけはどこか納得したように、同時に兄妹が敵となっている現状を憂うように、目を伏せる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ……!」
そんな中で、唯一意味のある声を出せたのはヘルメスただ
この場にいる全ての者の注目を掻っ攫った男神は、思考を支配する混乱と困惑をそのままに舌を回す。
「兄様、兄様だって!?その
「ええ。二人は私の子ですよ。私とこの子達に血の繋がりはありませんが、二人は正真正銘の兄妹です」
ヘルメスの問いにヴァニタスはなんて事のないようにそう返し、「昔はもっといたのですがね」と微笑み混じりに告げた。
『昔は』という言葉にアストレアとヘルメスがその意味を察して表情を陰らせる中、商館でのグレイとヴァニタスのやり取りを知るアリーゼ達はその言葉の意味を正確に理解し、苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。
そんな彼らの反応など気にしていないヴァニタスは、ステラを手で示しながら言う。
「私が
「そして、そちらは失敗作。基準は合格していたのですが、致命的な
グレイには一瞥もくれず、興味のない玩具をどうにか説明するべく口を動かしたヴァニタスが肩を竦めると、ヘルメスは表情を驚愕と困惑に染めていた。
「二千年……?産み出した……?一体何を言ってる……!?」
ガリガリと音を立てて、正気が削られる音がする。
全知たる神の頭脳は、既にヴァニタスが何者なのか、何なのかを理解しているが、他でもない自分自身がその答えを認めようとしない。
だが、そんな神の思惑を嘲笑うようにヴァニタスは告げた。
「別に不思議な事ではないでしょう。神がいるのです、悪魔だっていますよ」
「どうして悪魔の話が出てくる。あんなモンスター、今は関係が──」
「いつまで愚物を演じるつもりですか?」
困惑し、大量の脂汗を流しながら声を震わせるヘルメスに、ヴァニタスは冷たくそう告げた。
神のも殺す深淵を宿す瞳で真実から目を背ける男神を軽蔑し、真実を口にしようとした瞬間、アストレアが告げた。
「貴方は、悪魔ね。いいえ、貴方だけじゃないわ。ステラという子も、そこの鎧姿の
アストレアが口にした真実にヴァニタスは正解と言わんばかりに笑い、ステラは何の反応もせず、マルコシアスは腕を組んでやっとかと言わんばかりに小さく息を吐いた。
アリーゼ達が言葉を失い、ヘルメスは項垂れた。
アストレアの言葉が意味することは単純だ。悪魔は自分達が知るモンスターとは、根本からして違う存在である証明。
ヴァニタスのように
そして、アストレアの視線はグレイにも向けられる。
大量出血と魔力不足に喘ぐ彼は言うなと言わんばかりに女神を睨むが、彼女はあえて彼の意志を無視する事を選んだ。
彼が目を背け続けていた真実を、他でもない
「──グレイ。貴方も悪魔、なのよね……?」
「「「「「ッ!?」」」」」
「違う……っ!俺は──」
アストレアが告げた更なる真実にアリーゼ達が一様に驚倒する中、グレイはそれでも否定の言葉を吐いた。
「そんな姿で人間であると
だがすぐさま割り込んだヴァニタスが彼の言葉を遮り、語気を強めて力説する。
「心臓を貫かれて生きている人間がいますか?体に鱗を生やした人間がいますか?──いいえ、いるわけがない!確かに貴方には
グレイに背を向けたまま両腕を広げ、悪意に満ちた笑みを浮かべながら声を張り上げた。
眦を裂き、唇を歪め、凄絶な笑顔を浮かべ、武力だけでなく精神的にもグレイを追い詰める。その姿はまさに悪魔であった。
「違う!俺は人間だ!人間の、グレイ・アッシュウォルドだ!」
だがそれでもと彼は叫び、立ち上がる。
震える膝を叩いて喝を入れ、限界を迎えた握力を無理やり動員して長剣を構える。
満身創痍の中構えるグレイには一瞥もせず、ヴァニタスは肩を落とした。
「それはあの男がそう言ったからですか?」
「そうだ!それがどうした!?」
「いいえ。戦い方もあの男の猿真似。名も適当に付けられた粗雑なもの。思想も、戦う理由も、正義も、全てあの男の後追いばかり。中身のない、空っぽの
ヴァニタスは首を左右に振りながら嘆息し、グレイの事をそう評した。
やることなす事全てが師の真似でしかない。彼が掲げる正義も、師が掲げたそれをわかりやすい上辺だけを受け取り、勝手に口にしているだけ。中身の伴わない、空っぽの正義だと。
「──違う!」
だが、ヴァニタスの言葉に返す者がいた。
折れた腕を押さえ、額に脂汗を滲ませながら、リオンが声を張り上げたのだ。
ヴァニタスが胡乱な視線を向ける中、リオンは言葉を続けた。
「彼の正義は空っぽなどではない!彼の正義に救われた者がいる!何より私が、彼の正義に気付かされたこともある!それが、空っぽのわけがない!」
血の混ざった唾を吐き、折られた腕の激痛に喘ぎながら、それでも叫んだ。
罰するのみではない赦す正義の手本を見させてもらった。
自分とよく似た、けれど根本の部分が致命的に違う正義の形を見せてもらった。
そんな彼が、認めたくはないが自分よりもよっぽど『正義』を理解しているだろう彼が、空っぽのわけがない。
彼女の懸命の叫びにグレイが色褪せた瞳にほんの僅かな光を宿す中、ヴァニタスは肩を揺らした笑い始めた。
「何がおかしい!」と怒鳴りつける彼女に対し、ヴァニタスは首を横に振り、笑い声を止めた。
「いいえ。ある神から、貴方の事を聞かされた事を思い出しまして」
ヴァニタスはその日のことを懐かしむように目を細め、そして告げた。
「武力でもって『悪』を討ち、世に平穏を与える。何とも単純明快な正義。私は好きですよ、ええ」
子供の戯言を小馬鹿にするような声音に、リオンが不快感を露わにする中、彼は言葉を続けた。
「
「……っ!違う、私の『正義』は──」
「我ら悪魔の『正義』は弱肉強食。強き者が率い、弱き者がその意に従う。力でもって弱者という『悪』を駆逐し、強者という『正義』が世を統べる。貴方の言う『正義』と何が違うと言うのです?」
言い返そうとするリオンを捲し立てるように言葉を続け、深淵を宿した瞳を彼女に向けた。
「何より、今の貴方は無力だ。悪を討つと宣いながら私一人を止めることも叶わない。弱き者が語る『正義』ほど、耳障りなものはありません」
膝をつくアリーゼ。動くこともできないネーゼとイスカ。そして、腕を折られ、得物も失ったリオン。
そんな無力な正義の使徒達を見下したヴァニタスは、告げた。
「どんな高潔な事を宣おうと、どんな高潔な魂を持とうと、力がなければ何の意味もない。世界を知らず、過酷を知らず、ただ絵空事を語る子供の方が、まだマシというものです」
彼の言葉に返せる者はいなかった。彼女らに『無力』を叩きつけた男の言葉に、言い返せる訳がなかった。
だが、それでも──。
「『正義』なんざ知るか。俺は、お前を殺すためにここにいる」
ヴァニタスに欠陥品だと蔑まれ、空っぽと罵倒され、彼がいう弱き者にすらなれない灰塵が、立ち上がる。
ステラが警戒するように鯉口を切る中、ヴァニタスは相変わらず一瞥もくれずに肩を落とした。
「力を持たない者の言葉は無意味だと、今言ったばかりでしょう。まったく」
彼の言葉はグレイは返さない。彼の言う通り、言葉は無意味だ。
成すべきは前進。そしてヴァニタスの首を刎ね飛ばすことのみ。
深く息を吸い、ゆっくりと吐く。全身の刃傷から大量の血が噴き出す。魔力が足りず、修復は始まらない。
だがそれが何だとばかりに長剣を構え、最後の力を振り絞ってその場を駆け出した。
三歩進んだ頃には彼の体は斜線へと変わり、冒険者達の動体視力を引き千切る。
しかし、その程度の速度では足りない。ステラは嘆息混じりに刀を振るい、走る彼に無数の斬撃を浴びせた。
全身の刃傷を抉られ、激痛に苛まれつつもさらに倍の数の傷を負ったグレイは、その中の一閃で喉を裂かれつつも、止まらない。
ふらつく体を気合いと意志でもって支え、更に加速。
ステラが怪訝そうに眉を寄せ、絶殺の為居合の構えを取る中、背後から迫る気配にヴァニタスが僅かに感心を寄せ、そして嗤った。
「なるほど、確かに。欠陥品にも意地というものがあるようですね」
彼の言葉を聞き流し、グレイはステラを間合いに捉え、長剣を振り下ろす。
「ですが、そんなもの無意味ですよ」
同時に迎撃の居合が放たれ、二条の閃光が交差して剣がぶつかり合う快音を響かせるが、押し負けたのはやはりグレイ。
体を仰け反らして無様を晒す彼の腹にステラの掌底が叩き込まれ、彼は血を吐きながら吹き飛ばされ、地面を転がる。
ごぼりと血の塊を吐き出した彼はヴァニタスの背を睨むが、もはや立ち上がる力は残されておらず、自分の血による血溜まりに身を沈めた。
「あまりにも弱い。神々の
大剣を地面に突き立て、この日死んだ者、そして敗れた者全てを嘲笑する悪魔の声が響く中、彼は告げた。
「──故に、弱き
瞬間、都市が震えた。
「…………え?」
全てを包む光。
発する天空の唸り。
生じる大地の怒涛。
天と地が、共鳴する。
「なんだ、あれ……?」
絶句する神々と冒険者達に変わり、声を漏らしたのはグレイ。
酷く掠れ、血の泡を吐きながらの言葉に返す者はいない。
方角は東。そこから天に突き立つ『光柱』が生まれていた。
人智を超える莫大な光量と膨大なエネルギーに、近くにいただけの悪魔達が魂諸共に打ち砕かれていく。
だが、悪魔達の断末の叫びなど誰も聞いてなどいない。皆が一様に時を止め、絶望に耳を塞いでいた。
あの『光柱』とは神の絶叫だ。
慈悲はなく。情けもなく。正義もなく。
「──さあ、絶望の始まりです」
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