ダンジョンに訳ありデビルハンターがいるのは間違っているだろうか 作:EGO
突如として天を突いた『光柱』。
その出現は都市中に更なる衝撃を与え、全ての時を凍結させた。
地面を上下に揺らす凄まじい震動。そして、全てを塗り潰す神光の高鳴り。
人々は声を失い、感情を崩壊させ、ただただその光景を畏れた。
「嘘やろ……」
「光の柱。まさか……!」
そんなロキの隣。疼きを通り越して激痛を孕んだ親指を握り潰しながら、フィンはその現象が生み出す事の意味を叫んだ。
「──『神の送還』!!」
「どういうことだ……?あの柱と神に、何の関係が……?」
自分の血でできた血溜まりに倒れ伏し、天へと伸びる柱を見つめるしかないグレイは、フィンと同時に告げられたヴァニタスの言葉に疑問を返した。
「単純なことですよ。下界に降臨した神は、神を神たらしめる『
ヴァニタスは律儀に説明しつつ、眩しそうに目を細めながら『光柱』を見つめた。
「あの柱は、そういう『神の送還』が起きた時に発生するものらしいです。私も見るのは初めてですが、圧巻ですね」
触れれば即死不可避の『光柱』に手を伸ばし、そして握り潰すように拳を握った彼は、嗤った。
「そしてその誓約を破らせる方法は
下界最大の禁忌とされる『神殺し』という大罪を平然とした口調で告げ、あまりの価値観と倫理観の違いに瞠目する冒険者達を他所に、ヴァニタスは言葉を続ける。
「正確には致命傷を与えれば、封じられた『
あんな風にとヴァニタスが北の方角を手で示した瞬間、再びの轟音が都市を揺るがし、直後『二本目の光柱』が天を突いた。
「連続で
「嘘、でしょ……っ!」
「馬鹿な!こんな事があり得るのか!?」
都市北部。
直後、『三本目の光柱』が天へと突き刺さった。
出所は都市西部。天敵を失った悪魔達の咆哮が、都市中に響き渡った。
「そんな……」
「おいおい、マジかよ……」
オッタル、アレン、リヴァリア、ガレスの四人をどうにか
そしてそんな彼女らを追撃するように、『四本目の光柱』が天へと突き刺さる。
連続する『神の送還』。そして、それが意味する
「まさか主神の野郎、やられちまったのか……!?」
「お、『恩恵』がないと俺達は──!!」
「だ、誰か助けてくれぇぇええええ!!!?」
青ざめる者。絶叫する者。命乞いをする者。反応こそ様々ではあるが、辿った結末はどれも同じ。鏖殺だった。
無慈悲に襲いかかる
鮮血を噴き出し、炎に焼かれ、天へと還った主神の後を、絶望に染められた魂が追っていく。
そして、魂と命を失った肉の塊に霊魂という形でしかこの世界に入れなかった最下級の悪魔が取り憑き、混沌の勢力の尖兵と成り果てる。
「『
遠くから聞こえる大量の悲鳴と断末の叫びを聞きながら心地良さそうに目を閉じるヴァニタスは、冒険者達を嘲るように笑いながら言葉を続ける。
「何かの拍子に主神が『送還』されると、代わりの主神を見つけるまで『
彼の説明にぎょっと目を見開いたのはグレイだ。
そうなのか?と言わんばかりにリオンに目を向ければ、彼女は重々しくこくりと一度頷いた。
外部の要因で引き出された才能が、容易く失われる。便利だなと思っていた『
そして、既に四柱の神が『送還』されたということは、相当数の
遠くから神の眷属
そうしている間にも更にもう一柱、どこかの神が『送還』されたのか『五本目の光柱』が天を貫いた。
これで五つ目。また別の戦場から、『恩恵』を失った者達の悲鳴と、そんな彼らを嘲笑う『悪』の笑い声が都市に響く。
グレイが驚倒し、アリーゼが目を伏せ、リオンが目の前の現実を受け入れられずに立ち尽くす中、ヴァニタスは笑みを崩さない。
「こんなものではありませんよ。『
そんな彼の声を合図にしたように『六本目の光柱』が天を突き、また
混沌が蝕み、秩序は転覆する。
空を突く六本の『光柱』に照らせる人々は、世界の終わりに直面したように顔を顔から血の色を失い、正気を失いつつあった。
「【ベレヌス・ファミリア】主神、送還!」
「【ゼーロス・ファミリア】全滅!!」
ギルド本部。
津波の如く押し寄せる情報の中、受付嬢が叫び散らす。
窓の外の光景に取り乱し、叫ぶことでどうにか正気を保つが、流れ込む情報は無慈悲な現実を彼女に叩きつけてくる。
そんな彼女らギルド職員からの報告を受け止めたギルド長ロイマンは、時間を止めた。
「送還…………
呆然と立ち尽くしたまま、口からこぼれるのは外で起きている惨状のそのまま現していた。
伊達に数百年もギルド長をやっていないのだ。贅肉に塗れた豚のような外見で下に見られる機会が多いが、彼の聡明さは都市の中でも指折りだろう。
そして、そんな優秀な頭脳は『現状』を正しく理解しても、『打開策』が思い浮かぶほど戦慣れていない。
今何が起きているのか。これから何が起きるのか。それらを正しく理解してしまった彼は、自らが
そして、そのまま座席に縛り付けられた挙句、劇場の門扉が固く閉ざされ、逃げる事もできない事を理解してしまった。
「止まりません……止まらない!!【ファミリア】の殺戮が!!」
堰を切ったように、受付嬢の一人が目尻に涙を溜めながら悲痛な叫喚をあげた。
過呼吸に陥りかける彼女の目の前。燃える街を映す窓に、都合『七つ目の光柱』が立ち上った。
誰かの膝が砕け、床に跪き、書類が散乱する。
都市を、いいや世界を揺るがす衝撃も轟音。聴覚が意味をなさなくなり、全てが遠くの出来事のように感じてしまう。
だが、それでも『悪』があげる哄笑の幻聴が、彼ら彼女らを現実へと引き戻す。
「……ばかな」
ロイマンは呻いた。絶望を前にして、それでも狂えぬ我が身を呪い始めてさえもいた。
「……馬鹿なぁぁぁぁぁぁ!?」
彼の叫びを合図にしたように、『八つ目の光柱』が天を貫いた。
絶望は止まらない。邪悪の進撃が止められない。
都市中の人々に絶望を刻む間に、同じ数だけの命が奪われていく。
「がっ、っ、はぁ……!?」
主神を失い、『神の恩恵』を失った冒険者の一人が、凶刃に斃れた。
「……破壊!蹂躙!殺戮!!いいですねぇ、実にいい!!」
ヴィトーは人一倍の喜びと熱狂に身を包んでいた。
彼の周囲に転がるのは、冒険者のみならず民衆の遺体だった。体を切り刻まれ、絶望に染まった表情が『光柱』に照らされている。
だが、それもほんの数秒だ。すぐに魂を失った肉体に悪魔が宿り、糸で吊られた人形のように立ち上がり、四肢のいずれかを凶器へと変化させ、『悪』の隊列に加わる。
そんな悍ましい光景さえも好意的に受け止めるヴィトーは、頬についた返り血を拭うことも忘れ、子供のように目を輝かせていた。
絶える事のない笑みを浮かべた彼の視線の先では、主神を失った事で『神の恩恵』を失った冒険者が、先程まで仲間だった者を依代とした悪魔憑きに襲われ、体を切り刻まれ、断末の絶叫をあげながら死に絶えた。
噴き上がった鮮血が『光柱』の神光に照らされ、神々しい光の粒のようになりながらヴィトーらに降り注ぐ。
そのあまりにも美しい光景に魅了されたように恍惚の表情を浮かべ、熱を孕んだ吐息を溢す。
まさに、彼の心は歓喜に打ち震えていた。
「止まりません、止まりませんとも!だって、ここに『英雄』はいない!私達を止められる存在も!数百の悪魔をその身一つで鏖殺せしめる存在も!」
両腕を広げ、闇を仰ぎ、その真理をオラリオに叩きつける。
「偉大なる『英雄』は既に我々のもとへ堕ち、彼に並び立つ『剣鬼』が、我らの同志となったのだから!!」
打ち上がる男の声が、空を渡った。
半壊した寺院の屋根の上、燃える都市を眺めるかつての『英雄』は何の感情を抱いた様子もなく、呟いた。
「──壮観だな」
彼の独白に答える者はいない。
どこか物寂しそうに背後に目を向けたザルドは、乾いた笑みをこぼした。
「お前がいれば何と言っただろうな、
思わずこぼしたそれは、誰かの名だろうか。
何かが違えば、ここにいただろう誰か。
何かが違えば、己と同じ『悪』へと堕ちていただろう誰か。
だがそんな下らない感傷をすぐに捨てた『覇者』は笑みを消し、更に立ち上った『九つ目の光柱』に目を向けた。
そして、その九つ目のこそが『終焉』だった。
『正義』に与する者達の心をことごとくへし折った邪悪の饗宴。
止まない武器の音が鳴っている。
喉が嗄れた正義が泣いている。
命の音が減っていく。同じ数だけ悪魔の産声があがる。
空は暗雲に覆われ、星々は姿を隠した。
秩序は混沌に呑まれ、とっておきの『邪悪』が胎動を終え、産声をあげようとしていた。
「都合九柱。九つの【ファミリア】が事実上消滅したわけですが……」
そんな絶望に覆われる都市の片隅で、ヴァニタスは笑っていた。
『光柱』の発生による揺れも納まり、次には『光柱』そのものが霧散していく。
都市に暗闇と静かさが戻る中、その場の誰一人として口を動かす事はできなかった。
その代わり、ネーゼが両膝から地面に落ちた。
「終わりだ……。終わりだよ、オラリオは……」
その相貌は絶望に堕ち、俯いた顔が上がる事はない。
アリーゼ達も彼女を励ますこともできず、ある者は歯を食い縛り、ある者は涙を流し、ある者は地面に爪を食い込ませた。
グレイでさえもあまりの光景に言葉を無くし、ただ『光柱』の残滓たる光の粒をぼんやりと眺めていた。
そんな眷属とグレイに守られる形となっているアストレアは、呆然と呟く。
「神々の『一斉送還』……」
「今日までの
アストレアの言葉をヘルメスが引き継いだ。
工業地区へと攻撃や炊き出しの襲撃。その他多くの
街で騒ぎを起こし、神の避難経路を把握。そして今回の『大抗争』でその経路に血の気の多い『邪神』を待ち伏せさせ、神を襲撃した。
そうでもしなければ、九柱の神を一斉に送還するなど不可能だ。
「さて。もう時間がないので、これが最後通牒です。女神アストレアを渡しなさい」
「まさか、アストレアまで『送還』しようってわけじゃないよな?」
アストレアに目を向け、不気味な笑みを浮かべるヴァニタスに、ヘルメスがもはや戦慄を隠す事もできず、唇の端を引き攣らせながら問いを投げた。
「そんな
「アストレア様は、お前の道具でも玩具でもない……!」
ヴァニタスの神を実験の道具か
「神は人間を道具のようにこき使い、玩具のように使い捨てているというのに、守る義理などありますか?」
「……っ!少なくとも、アストレア様はそんな事をしない!!」
確かに眷属を都合のいい道具としか見ず、その人生を玩具のように弄ぶ神もいる。その多くは『邪神』であり、
神時代の負の側面。そちらしか見ていないヴァニタスをリオンの激昂が殴りつけるが、彼は「どうだか?」と肩を竦めた。
「人間がそうであるように、神にだって裏の顔があります。アストレアも貴方の知らないところで悪事を働いているやも──」
「いい加減、黙れ……ッッ!【今は遠き森の空。無窮の夜天に
主神を侮辱され、激情を支配された妖精の口から溢れ出したのは詠唱だった。
冒険者にとっての切り札。戦局を塗り返す必殺。神時代における『奇跡』の具現。
「【汝を見捨てし者に光の慈悲を!来れ、さすらう風、流浪の
そして詠唱を終えると共に緑風を纏った十の光球が彼女の背に展開され、その矛先をヴァニタスに向けた。
対するヴァニタスは効きもしない攻撃を再び放とうとする彼女の愚かさを嘆くように長く息を吐くと、胸の前で人差し指を立てた。
指先に魔力を集め、手のひらに乗る程度の大きさの漆黒の光球を生み出したかと思えば、そこに黒風を纏わせて補強。
リオンが目を剥き、アリーゼが「リオン、避けて!」と叫んだ瞬間、ヴァニタスは告げた。
「【ルミノス・ウィンド】でしたか?」
漆黒の魔弾を装填した指鉄砲をリオンに向けながら、告げられた言葉はリオンの魔法の名だった。
同時に漆黒の魔弾が放たれ、黒嵐が地面を抉り取りながらリオンに迫る。
「……ッ!【ルミノス・ウィンド】!!」
対するリオンも驚倒を振り払い、魔法名を叫んだ。
同時に共に十の光球が放たれ、迫る魔弾を迎撃。一つ、二つと拮抗もなく光球は魔弾に撃ち抜かれ、霧散していく中、八つ目に一瞬の拮抗が起こり、光と闇の魔力が衝突する凄まじい衝撃波が戦場を駆け抜け、それに全身を殴られたリオンが体勢を崩した瞬間に突破。
八つ目の光球を貫いた魔弾は九つ目も容易く撃ち抜き、最後の十つ目と激突。そして、次の瞬間には容易く突破。
「しまっ──ッ!!」
黒嵐が緑風を巻き込み、より強い魔力を孕みながらリオンを呑み込まんとするが、
「がぁぁぁあああああああ!!」
獣じみた雄叫びと共に駆け抜けた灰色の斜線が彼女を掻っ攫った。
彼女がいた場所を魔弾が通過していき、はるか先の建物群を着弾。炸裂した瞬間に都市を揺るがし、衝撃波に遅れて倒壊の音が彼らの元まで届く。
ヴァニタスはそんな爆風と衝撃波に髪を揺らしながら視線を横に流し、鼻を鳴らす。
「存外に元気ですね。心臓を穿たれ、喉を裂かれているというのに」
「がっ……。はぁ……っ!はぁ……っ!」
彼が視線を向けた先にいるのは、大量の血を吐きながらそれでもヴァニタスを睨むグレイの姿だった。
救出したリオンを背に庇っているが、無事では済まなかったようだ。魔弾が掠めた左足は肉が抉られ、砕け、罅割れた骨が剥き出しになっている。
「グレイ!?」
地面に尻餅をついたリオンは、咄嗟に彼を呼び捨てにした事も理解できず、彼の足に目を向けて苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
自分の失態で彼に重傷を負わせてしまったという罪悪感に苛まれ、咄嗟に治癒魔法を行使しようとする中、「リオン……っ!」と掠れた声で名を呼ばれた事で顔を上げる。
「アストレアを連れて、逃げろ……!」
口から血の泡を溢れさせながら、それでも吐き出した言葉は端的な指示だった。
その言葉にリオンは「それは……」と言葉を詰まらせる。
確かにアストレアを連れ出すべきだ。今、この場で取るべき最善の手はそれだろう。
だが、その最善手が打てないことが問題なのだ。
アリーゼは腹を刺され、自分は片腕が使い物にならない。グレイに至っては左目、左腕、左足を失ってしまっている。
ネーゼとイスカの二人では、ヴァニタス、ステラ、マルコシアスの三人の包囲を突破できない。むしろ不審な動きを見せれば、二人までも犠牲になるだろう。
ヘルメスも何か策はないかと思考を巡らせるが、全知たる頭脳が無慈悲に告げてくる。これは詰んだと。終わったと。
「っ……!」
グレイもそれに気づいたのか、血の塊を吐き出しながら舌打ちを漏らした。
頭に血が昇りすぎていた。もっと周りを見なければと、血走った視線を周囲に向ける。
とにかくヴァニタスだ。奴を
血の塊を吐き出しながら深く息を吐き、長剣の鋒をヴァニタスに向けた瞬間、彼は溜め息を吐きながら告げた。
「もう神の
あと、これ以上虐めると
グレイが身構え、アリーゼが出血死覚悟で肝臓を貫く愛剣を引き抜き、リオンが無手のまま構え、詠唱を始めようとする。
「──はい、父様」
だがそんな冒険者達の抵抗を嘲笑うように、ステラは彼らの視界からかき消えた。音の壁を破る重々しい衝撃音が冒険者達の鼓膜を揺らし、彼らの動体視力を引きちぎる。
彼らが目を見開くよりも早く、彼らの隙間を斜線が通過していき、それを追従するように十数の銀閃が駆け抜けた。
彼女の疾走は止まることを知らず、心折れたネーゼと、咄嗟に彼女を守ろうと構えたイスカにまで及び、二人を瀕死にするには十分な斬撃が、一刀の下に放たれた。
アストレアのすぐ背後。移動の風圧で彼女の胡桃色の髪を揺らしながら急停止したステラは刀で空を切り、刃に血払いをくれる。
ビシャ!と音を立て、払われた血が地面に半円を描いた瞬間、冒険者達とグレイの体にいくつもの刃傷が刻まれ、鮮血が噴き出した。
それぞれが紅の花を咲かせながら崩れ落ち、血溜まりに沈んだ。
「皆……!」
アストレアが倒れる
こうなれば自棄だ。あとでどんなに騒がれてようが、責められようが、どんな手を使ってでもこの場を切り抜けるのが先決。
「くそッ!もうどうにでもなれだ……!」
ヘルメスの瞳が神秘的な橙黄色の輝きを帯び、表情が消える。
普段のヘルメスが纏ううさん臭さも、ニヒルな笑みも消え、神としての顔が表に出る。
纏うは濃密なまでの『神威』。人間であれば無条件にひれ伏す、
『
圧倒的な迫力を放つ男神に、ヴァニタスとステラが弾かれるように顔を向けた瞬間、ヘルメスの口が動き──。
「──で、それに何の意味がある」
男神が言葉を吐くよりも速く、マルコシアスの手が彼の首を掴み、そのまま持ち上げた。
「がッ!」と苦悶の声を漏らし、宙吊りになったヘルメスは途端に神威を霧散させ、乾いた笑みをこぼした。
「か、神の首根っこを掴むかな、普通……」
「このまま折ってもいいが?」
「へへ。美女に首を折られて『送還』か。流石の俺でも勘弁願いたいかなぁ……」
首を締めあげられ、まともに息もできないだろうに苦笑する。
そんな強がりの笑みにマルコシアスが不満げに眉を寄せる中、ヘルメスは告げた。
「さっさと
次に浮かべたのは、諦観だった。
九柱の主神の『送還』と、それに伴う九つの【ファミリア】の壊滅。
そして彼らの遺体は悪魔憑きとなって敵の戦力となり、今なお数を増大中。
そんなオラリオが誇る英雄候補達のことごとくを破った『覇者』が少なくとも四人。
今のオラリオに彼らを押し返せる戦力はない。詰みだ、詰み。諦めて天界に還った方が気分も楽になるだろう。
首を掴まれたまま、天を仰いで溜め息を吐くヘルメス。
(悪いな、可愛い
その憂いを帯びた瞳を細め、どうにか雲の向こうで輝く星を見ようとするが、それも叶わない。
そして覚悟を決めて瞼を下ろした瞬間、マルコシアスの口から溜め息が漏れた。
「とんだ大根役者だ。一から芝居を習ってこい、愚神め」
彼女は蔑みの感情を隠そうとともせずそう吐き捨て、そのままヘルメスをぶん投げた。
「のぁ!?」
女の細腕一本で投げ飛ばされたヘルメスはほんの一瞬の浮遊感の中で驚倒の声をあげ、そのまま顔から地面に落下。
顔面を擦りながらようやく止まった彼に対し、マルコシアスは言う。
「あの『光柱』はこの世界において最大のエネルギーを持つという。大地を穿ち、天を焼く。至近距離で浴びれば
「──私を道連れにしようとしたのだろうが、私とてそこまで愚かではないぞ」
あたかもまだ何かあるような物言いで彼女がそう告げ、ヘルメスの行動の意味──自らの命を差し出すことで発生する『光柱』で、マルコシアスを撃滅せんとした──を嘲笑うように、言葉に明確な怒気を込めた。
ヘルメスは舌を弾き、鼻血を噴き出す折れ曲がった鼻を押さえる。
ヴァニタスに感じた悪寒──『送還』ではなく『殺害』される恐怖さえも抑え込んでの賭けに、彼は負けたのだ。
ステラは刀を鞘に納め、鞘に納められた鋒をアストレアに向けた。
「では、父様の下へ。大丈夫です、殺しはしませんよ」
倒れる冒険者達。ヘルメスとも距離が離れた。自分の背後にはステラ。ヴァニタスは大剣を肩に担ぎながら、醜悪に笑った。
もう選択肢はない。女神を守る盾はなく、剣も折れた。女神自身に戦う力はなく、あったとしても勝負にならないだろう。
アストレアが俯き、歩み出そうとした瞬間、声が響いた。
『──聞け、オラリオ』
その声が纏うのは純粋なる邪悪。
アストレアとヘルメスが瞠目する。ヴァニタスが女神を急かすように手招きする中、ステラとマルコシアスは興味なさそうに、それでも一応の礼儀として耳だけを傾ける。
その声は都市中に響き渡り、都市から音という音を奪い去った。
『──聞け、
オラリオを築きし
天空を彷彿とさせる蒼い瞳を見開き、その宣言を耳にする。
『約定は待たず。誓いは果たされず。この大地が結びし神時代の契約は、我が一存で握り潰す』
その声は傲慢だった。
その声の主は悪逆だった。
邪悪の神意を高らかに掲げる。
息を呑む秩序の神々に。
ボロボロの冒険者達に。
祈る事もできなくなった民衆に。
優しく首を締め上げるように、ドス黒く染まった祝詞をそそぐ。
アストレアが歩を進める。
『全ては神さえも見通せぬ最高の未知──純然たる混沌を導くがために』
殺戮の音は消えていた。炎だけが唸り声をあげ続け、
『傲慢?──結構』
進むアストレアの背に、ステラとマルコシアスが続く。
『暴悪?──結構』
遠ざかる女神の背中を、ネーゼとイスカは見送る事しかできない。
『諸君らの憎悪と怨嗟、大いに結構』
断頭台に向かう罪人のごとく俯くアストレアの横顔を、アリーゼとヘルメスはただ見ている事しかできない。
『それこそが邪悪にとっての至福。大いに怒り、大いに泣き、大いに我が惨禍を受け入れろ』
立て続けに響く言葉に、リオンとグレイは『敗北』と『屈辱』の泥の味と共に、記憶の疼痛に表情を歪めた。
聞き覚えのある男神の声と、そんな男神が見せた何とも情けのない姿が脳裏をよぎる。
だがそんな過去を振り切るように、男神は告げた。
『──我が名はエレボス』
都市北西。古い歴史を持つ大寺院。都市を見下ろせるその屋上に、声の主は現れた。
『神の恩恵』を持つ者で最強たる『覇者』を伴いながら、その姿を現した。
『原初の幽冥にして、地下世界の神なり!』
怒号があがった。
邪悪の使徒達が、悪魔達が、『邪神の王』の向けて狂喜の渦を作り上げる。
一方で民衆はかの『邪神』を恐れた。冥府の王に相応しい出で立ちに。大神にも勝るとも劣らない、絶大な神威に恐怖した。
「エレン……?いや、エレボス……?」
グレイが点滅を繰り返す意識の中で絞り出した声に、リオンはやはりと言わんばかりに歯噛みした。
自分達の前に何度も現れ、正義を問うてきたあの『エレン』に間違いない。
身分を偽り、神威を抑え込み、人畜無害な神と偽りながら、エレボスはエレンとして、自分達の前に何度も姿を見せていたのだ。
衝撃に撃ち抜かれる二人を他所に、エレボスの『宣言』は続く。
『冒険者は蹂躙された!他ならない、より強大な【力】によって!』
魔力を失い、ただの鉄塊に成り果てた紫紺の大剣が、『覇者』が纏う漆黒の大鎧が、血のように赤い焔を照り返す。
『神々の多くが天へと還った!
悪魔達が、そして主神を失った結果殺された悪魔憑きが、一斉に喝采をあげた。
ヴァニタスはそんな同胞達の歓喜の声を心地良さそうに聞きながら、視線を注ぐのは正面のみだった。
目の前に立つのは『正義』の女神、アストレア。彼女の全身を好奇心のまま、舐めるように見つめた彼は、余計にご機嫌そうに口の端を吊り上げる。
『貴様らが【巨正】をもって混沌を退けようというのなら!我らもまた【巨悪】をもって秩序を壊す!』
告げられた言葉は猛烈な皮肉。
『正義』の所業を弾劾するがごとく、邪神は堂々と力の行使を掲げる。
既視感のある言葉にリオンとグレイが言葉を失う。
『滅べ、オラリオ────我らこそが【絶対悪】!』
悪を標榜し、秩序を破壊する混沌の使徒達が、一斉に喝采をあげた。
遠くから聞こえる喝采に耳を傾けていたヴァニタスは、ステラに視線を向けて小さく頷く。
彼女がそれに頷き返すと抜剣し、片手で構えた刀を大上段に振り上げる。
鍔に嵌められた小さな水晶。そこに封じられた何かの破片が魔力を宿し、刃を蒼い魔力光で包み込む。
空気が膨大な魔力に当てられて悲鳴を上げ、大気の震えが冒険者達の傷を抉る。
「フン!」
気合い一閃と共に振り下ろした瞬間、
それは文字通りの【大穴】であった。
地面と垂直に交わるように、宙に開けられた
「では参りましょうか、女神よ」
ヴァニタスはその穴の方を手で示しながらアストレアに告げた。
リオンが立ちあがろうと地面に手を着く。直後、ステラが指で弾いた小石が、リオンが知覚するよりも速く彼女の腕を撃ち抜き、貫通。
「〜〜〜!!?」
リオンは割れんばかりに歯を食い縛り、悲鳴を噛み殺すが、これで両腕が使い物にならなくなった。
グレイはもはや立ち上がる気力すらない。
アリーゼは出血のしすぎで顔面は蒼白となり、意識も朦朧としているのか瞳の焦点があっていない。
ネーゼも、イスカも、ステラの剛撃で致命傷を負っている。
ヘルメスに、この状況を返せる手立てはない。
彼もまた俯きながら歯を食い縛り、口の中でアストレアに謝罪の言葉を吐いていた。
「ヘルメス」
ヴァニタスに背を押され、
慌てて顔を上げた彼に『正義』の女神は儚げな笑みを向ける。
「──
「……っ。ああ……!」
女神の懇願に、ヘルメスは頷いた。
彼女は最悪の状況を──自らが『送還』され、アリーゼ達が『恩恵』を失うことを危惧しているのだろう。
『恩恵』を与える主神を私から貴方に移すように、アリーゼ達から力を奪わせないでと、厳命しているのだ。
「アリーゼ」
常人なら死んでいるだろう量の血を失い、意識を保つのがやっとな団長が顔を上げた。
「ネーゼ」
ステラに切り刻まれ、瀕死になりながらもどうにか顔をあげた獣人が苦渋に歪んだ表情を浮かべた。
「イスカ」
褐色の肌を己の血で真っ赤に染め、それでも懸命に立ちあがろうと足掻いている
「リオン」
両腕を封じられ、もはや戦う力も残されていない妖精は、絶望に染まった顔を女神に向けた。
「グレイ」
満身創痍になりながら、それでも誰かを救うべく献身した少年は、全身の傷口から血を溢れさせながら、女神の肩の向こうに見えるヴァニタスの背中を、憎悪の炎が燃える瞳で睨みつけていた。
「貴方達の正義を信じなさい。貴方達の正義を成しなさい。私は、信じているわ」
アストレアは愛する
眷属達がそれこそ親と離れ離れになった子供のように涙を流し、それでも助けることができない無力感に苛まれる中、アストレアが
その後ろにマルコシアスが続き、ステラが最後に
「アストレア様……!」
リオンは走っていた。意味はないと、間に合う訳がないと理解しながらも、走り出していた。
だがアストレアが彼女に笑みを向けた瞬間、
ヴァニタスも、ステラも、マルコシアスも、アストレアも、そこにはいない。あるのは少女達の啜り泣く声と、リオンが膝をついた音だけだ。
『今の貴様らに、ぴったりの言葉を贈ろう』
ヘルメスが目を伏せ、グレイが苛立ちをぶつけるように地面を殴りつける中、この光景をどこかで見ていたのだろう邪神は、口もとで三日月を描き、片腕をあげ、突きつけた。
『──脆き者よ、汝の名は正義なり』
感想等ありましたら、よろしくお願いします。