ダンジョンに訳ありデビルハンターがいるのは間違っているだろうか   作:EGO

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Mission19 敗戦の夜明け

 その日、オラリオは最も長い夜を迎えた。

 破壊と慟哭。

 恐怖と絶望。

 街は燃え、血が流れ、多くの魂が天へと還った。

 後の世で『死の七日間』と呼ばれる、オラリオ史上最悪の悪夢。

『絶対悪』を名乗り、その始まりを告げた邪神エレボスは、笑みを残して去っていった。

 立ち尽くす神々と人類(子供達)に背を向け、遊戯(ゲーム)を楽しむように。あるいはとっておきの『終焉』をもたらす為に。

 闇派閥(イヴィルス)も悪魔達も彼の神意に従うように戦線を放棄し、影の中への消えていった。

 その日、オラリオは最も長い夜を迎え──昏い朝を迎えた。

 

 

 

 

 

 混沌の勢力が撤退し、都市から戦いの音が消えた。

 陽の光を遮断し、都市に影を落とす分厚い黒雲。

 あちこちから立ち昇る黒煙。

 まさに地獄のような一晩を奇跡的に生き延びた民衆は憔悴し、絶望し、顔をあげることもできない。

 

「急げ!まだ生存者がいる!!」

 

 だが、それでも冒険者達は足掻き続けていた。

 都市のどこかにいる筈の生存者を救うため、まだ助けられる命を、助けを求める声に手を伸ばすため、疲弊し切った体に鞭を打つ。

 喉が嗄れんばかりに叫ぶシャクティに、【ガネーシャ・ファミリア】の団員や傷だらけの他派閥(ファミリア)の団員が救助活動に徹する。

 

「誰か手を貸せ!この下に人が……!」

 

「くそっ!さっさと治療師(ヒーラー)を呼べ!」

 

「ディアンケヒトでもミアハでも、この際どこでもいい!安全な場所はどのだ!?」

 

【ガネーシャ・ファミリア】団員の怒号が飛び交い、他派閥の団員がそのあまりの剣幕に怯みつつも、命を救うべく奔走する。

 そんな中にアーディはいた。

 顔を汚す煤を拭う事も忘れ、不眠不休で救助活動に当たっていた。

 

「お願い!しっかりして、私の声を聞いて……!!」

 

 即席で設置された野外病院である大型のテントの中。

 治療師(ヒーラー)でもない彼女だが、見るに耐えない惨状を前に黙っている事もできず、そのまま手伝いを申し出たのだ。

 本業の治療師(ヒーラー)には数段劣るものの、彼女とて回復魔法を扱うことはできる。誰よりも優しく、誰よりも正義を想う少女の手に、癒しの力が宿るのは道理だろう。

 だが、消耗し切った彼女の精神力(マインド)は尽きかけ。手に宿っていた魔力の燐光も段々と弱まっていき、その力を失わせていく。

 

「うぅっ……ぁぁぁ……」

 

 塞がりかけていた傷が再び開き、彼女に治療されていた獣人の青年は力なく血の塊を吐き出し、生気を欠片も感じないうめき声を漏らす。

 

「……っ!」

 

 アーディは精神枯渇(マインドダウン)寸前の倦怠感を押し殺し、手頃な布を掴んで傷口を押さえ込んで止血せんとするが、血は止まらない。

 白かった布は瞬く間に赤く染まり、彼女の手も同じ色に染め上げる。

 

「お願い、死なないで……っ!」

 

 アーディの目から大粒の涙が流れる。

 目の前の命を失わせてなるものかと、必死に足掻く。

 

(お願い、止まって!これ以上誰も死なせないで!)

 

 必死の懇願を胸中で叫び、傷口を押さえる手に力を込めるが、滲み出てくるのは包帯でも吸いきれなかった青年の血ばかり。

 どんなに足掻いても、その時は訪れてしまうのだ。

 

「ぅ、ぁ────…………」

 

 彼女の献身を、彼女の努力を嘲笑うように、青年の瞳から光が消えた。

 瞳孔が力を失い、最後の呻きがアーディの鼓膜を揺らした。

 

「……っ!ごめんなさい!ごめんなさい……!」

 

 また一つ、命が失われた。アーディは目から溢れる涙を止める事もできず、謝罪の言葉を吐き出した。

 だがそれで終われるほど、今のオラリオは優しくはなかった(・・・・・・・)

 直後、青年の瞳に再び力が宿り、瞳孔の奥で禍々しい魔力(・・・・・・)が渦巻き、全身に行き渡る。

 

「ガァァァァァァァァ!!!」

 

 ぴくりと指先が動いたかと思えば、青年は獣じみた雄叫びをあげながら獣人特有の俊敏さをもってアーディを押し倒した。

 罪悪感に呑み込まれた一瞬に生まれた意識の空白。その隙をついた悪魔憑き(・・・・)の強襲にアーディが全く反応できない

 見開いた瞳は血走り、牙を剥き出しにしている口からは血の混じった涎が垂れる。

 左手でアーディの首を掴み、床に押さえつけながら、全ての爪が鋭利な刃に変異した右腕を振り下ろした。

 

「あ……」

 

 彼の口から諦めにも似た色のこもった声が漏れた瞬間、青年のこめかみを鋭い槍の一撃が貫き、反対側から穂先が飛び出した。

 

「げっ────…………!?」

 

 悪魔憑きは気味の悪い呻き声を漏らしながら、左の眼球だけをぎょろりと動かし、己の頭を貫いた下手人を睨みつけた。

 

「アーディから、離れろ……!」

 

 テントの騒ぎを聞きつけ、妹の危機を察知したシャクティが突入と共に槍を放ち、悪魔憑きの頭部を穿ったのだ。

 がぼりと音を立てて吐き出された血の塊がアーディの胸元に落ち、青い戦闘衣(バトルクロス)を赤く汚す中、見開かれた右眼がアーディを睨む。

 どうして助けてくれなかったのか。どうして死ななければならないのか。既に青年の魂は後悔も怨嗟も無念も、その全てをもって天界へと還った筈なのに、肉体に残されたその感情を武器にして、悪魔は彼女を責め立てる。

 その瞳と魔力に当てられ、アーディが茫然自失となる中、悪魔憑きは頭を穿たれたまま最期の一撃を放たんと腕を振り上げるが、

 

「はぁっ!!」

 

 シャクティは力の限り槍を振り抜き、頭部を貫いた悪魔憑きをテントの外へとぶん投げた。

 テントの中に悲鳴が響き、恐怖と混乱が広がっていく中、シャクティの声が響く。

 

「遺体はすぐに外へ出せ!後は我々が対応する!」

 

 遺体を弔うのではなく、投棄するように指示を出す。

 人道も、倫理もかなぐり捨てた指示に治療師(ヒーラー)や冒険者達は青ざめるが、誰も否を返さない。返せない。

 死人は悪魔に取り憑かれ、怪物へと成り果てて近場の人間に襲いかかる。神々の言う『ぞんび』なる動く屍が出てくる話にも似た状況に、冒険者達は文字通りの地獄を味わっていた。

 誰かの死を悼む暇もない。死んだとわかればすぐさま窓から遺体を投げ捨て、近場の冒険者が悪魔憑きとして立ち上がり次第撃滅する。そんな文字通り人として、大切な何かを削る行為を延々と繰り返す。

 

「手を止めるな!顔をあげろ!」

 

 それでもシャクティは声を張り上げた。

 救える者を救うため、まだ手が届く者に手を伸ばすため、派閥関係なく心折れかける冒険者達を鼓舞する。

 

「私達が諦めるわけにはいかん!最善を尽くせ!!」

 

『……は、はい!』

 

 彼女の鬨の声に冒険者達が応じる中、彼女は悪魔憑きの血に塗れたアーディに手を伸ばした。

 

「お前もだ、アーディ!立て!」

 

「お姉ちゃん……」

 

「甘える事は許さん!早く立て!」

 

「……ッ!」

 

 大切な家族の、尊敬する姉の、自分に恨まれる事を覚悟した叱咤激励にアーディは眦を裂きながら一人で立ち上がる。

 

「大丈夫。ごめん、お姉ちゃん」

 

「謝罪はいい。さあ、やるぞ!」

 

「うん!」

 

 テントを飛び出したシャクティに続き、アーディと汗と血を拭いながらテントを飛び出す。

 同時に飛び込んでくるのは、悪魔憑きと戦う冒険者達の怒号だった。

 狂ったように雄叫びをあげながら、かつて友だったものを斬り、守るべき民衆だったものを貫く。

 テントを飛び出した二人の前に立ちはだかるのは、こめかみを貫かれ、頭に風穴を開けられながらも立ち上がる獣人の青年──だった悪魔憑きだ。

 シャクティは槍を構え、アーディもまた剣を構える。

 

「ォォォォォオオオオオオオ!」

 

「はあああああああああ!!」

 

「やああああああああああ!!」

 

 咆哮をあげ、姉妹も雄叫びをあげ、悪魔憑きを撃滅せんと駆け出した。

 

 

 

 

 

 その戦場跡地に残っていたのは、痛いほどの静寂であった。

 もはや泣く気力さえも残っていない冒険者達は地に伏し、ヘルメスもまた顔を俯けたまま言葉を発することもできない。

 悪魔達の強さを見せつけられ、そには神さえも見下す傍若無人さを見せつけられ、挙句に主神を誘拐された。

 屈辱だった。目の前にいながら、何もできなかった自分の惰弱を突きつけられた。

 恥辱だった。トドメを刺す余裕がありながら、主神の身柄と引き換えに見逃された。

 

くそ(Fuck)……」

 

 血溜まりに倒れ、もはや口を動かす余力しか残されていないグレイ。

 焦点の合わない色褪せた瞳で、陽の光が差し込む猶予もない、厚く、黒い雲に覆われた空を見上げていた。

 そんな空へと伸びていく黒煙は民衆や冒険者達の悲憤と無念と絶望を孕み、天へと届けているようにも見えた。

 

「わた、しは……何のために……っ!」

 

 ぼんやりと空を見上げることしかできないグレイの耳朶を撫でたのは、涙を堪え、必死になって震えを抑えているリオンの声だった。

 彼が頭を動かして彼女の方に顔を向ければ、地面に膝をついて蹲る彼女の背中だけが見えた。

 

「あの神の、エレボスの言う通りなのか?正義は、我々が求めていた秩序は、こんなにも簡単に悪に屈してしまう……?」

 

 彼女の問いかけに答える者はいない。正確には、答えて欲しい主神は連れ去らせてしまった。

 半ば気絶しているアリーゼも、ネーゼも、イスカも、グレイも、アストレアと同じ神であるヘルメスでさえも、彼女の問いに返す事はできなかった。

 どんなに言い繕おうとも『正義』は敗れ、『悪』の蛮行を赦し、蹂躙を赦した。秩序は崩れ、正義は悪に屈したのだ。

 

「ううっ……!あああああああああああ……っ!」

 

 リオンは声をあげて泣いた。

 

「何も守れなかった……っ!何も、救えなかった……っ!私は、私はっ……!」

 

 己の無力に、正義の脆さに、打ちひしがれる。

 

「……っ」

 

 そんな彼女の姿に、グレイは眉間に皺を寄せた。

 その姿には既視感があったのだ。彼女の声に聞き覚えがあったのだ。

 

『何を寝ているのですか、情けない。たかが兄弟姉妹達が数人死んだだけでしょう』

 

『誰も守れなかった?誰も救えなかった?何を言い出すのかと思えばくだらない。弱者が死に、強者だけが生き残った。それだけではないですか』

 

 その既視感の正体はすぐにわかった。自分がまだ幼く、ヴァニタスの下にいた頃、彼女と同じように己の無力を呪い、ひたすらに力を求めている時期もあった。

 結果的にヴァニタスに捨てられ、師匠に助けられたが、今のリオンを助けられる人は誰もいない。

 声を出そうにも、一向に喉の治療が進まず、声を張り上げる事もできない。

 そもそも、今の彼女に何と声をかければいいのかすらわからないのだ。声が出たところで何もできない。

 だが、すべき事はわかりきっている。ヴァニタスを探し出し、殺す。

 

「──もっと、力がいる(I need more power)

 

 そして、何が足りないのかも理解している。今のままでは駄目だ。奴の喉に刃を突き立てられない。もっと力がいる。もっと、もっと、もっと、奴を殺す為には、力がいる。

 天を仰いだまま、砕けかけた長剣を握りしめる。

 ステラには弱いと断じられた。

 ヴァニタスには欠陥品と蔑まれた。

 ザルドには半端者の嘲笑われた。

 このままでは駄目だ。あの日死んだいった兄弟姉妹達に顔向けできない。ヴァニタスのいう『高み』を否定できない。

 

「──もっと、力がいる(more power)

 

 グレイの口から、呪詛のような言葉が漏れる。

 本当に自分の意志でもって口にしているのか、彼に流れる血が──ほんの一欠片とはいえ素材となったある半魔の遺伝子(・・・・・・・・)がそれを言わせているのか、それは定かではないが。

 

「──もっと、力を(more power)……!」

 

 口からは変わらず呪詛が漏れていた。血を吐き出し、全身の刃傷からも血が止まらない。

 左足の感覚も薄れてきた。視界も霞む。魔力だって底を尽きかけている。だがこの程度(・・・・)、このまま寝ている理由にはならない。

 

「っ……うぅ……!」

 

 グレイは地面に手をつき、体を起こす。全身から血が噴き出すが、構うものか。

 胸の穴はどうする。全身の傷はどうする。魔力さえ回復すれば、どうにでもなる、問題ない。

 なら魔力はどうする。簡単だ、考えるまでもない。ザルドの真似をするようで腹立たしいが、自分にとっても慣れ親しんだ(・・・・・・)方法だ。

 

「アッシュウォルドさん……?」

 

 ふらつきながら立ち上がる彼の姿に目元を赤く腫らしたリオンが気づき、彼を呼んだ。

 その声は聞こえていたが、グレイは何も返さなかった。色褪せた瞳でほんの一瞬彼女を見つめ、そしてすぐに視線を外した。

 彼女の事はどうでもいい。アリーゼ達が何とかするだろう。自分がすべき事は彼女達と共にいることではない。

 足を引き摺りながら、彼女に背を向けて歩き出す。刃が罅割れ、砕けかけた長剣を杖代わりに、ゆっくりと一歩ずつ。

 

「ま、待ってください……!どこへ……」

 

 彼女の問いかけにグレイは足を止め、振り向く事なく告げた。

 

「ヴァニタスを探す」

 

「……っ!なら、私も……!」

 

 淡々と告げられた言葉にリオンはハッと目を見開き、同行を申し出た。

 ヴァニタスを探すということは、つまりアストレアを探すことと同義だ。

 女神の眷属として彼に同行を申し出るリオンだが、グレイは相変わらず一瞥もくれずに告げた。

 

「着いてくるな、『足手纏い(デッドウェイト)』」

 

「……っ!」

 

 彼の無慈悲なまでに突きつけられた言葉にリオンは激昂しかけるが、先の戦いを──己の魔法を模倣された結果、彼に重傷を負わせた事を思い出し、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 血痕を残しながら引き摺っていた足で、痛みを堪えながら地面を踏み締め、しっかりとした足取りで歩き出す。

 

「待ってくれ、グレイ君」

 

 そんなグレイを、ヘルメスが呼び止めた。

 先の戦闘に巻き込まれつつも、辛うじて原型を保っているボロボロの帽子を拾い上げ、頭に被る。

 

「ヴァニタスを探すって言ったって、どこを探すつもりだい?オラリオは広い。今夜は退いてくれたが闇派閥(イヴィルス)や悪魔達が動き回る筈だ」

 

 満身創痍ではあるが、グレイはこの現状において都市最強の戦士に他ならない。悪魔である事は衝撃ではあるが、そんな事はどうでもいい(・・・・・・・・・・・)。今のオラリオには手が足りなすぎる。

 人間ではないにしても都市最高の戦力を、誰からの援護も連絡の手段も、そして行く宛さえもわからないまま、出鱈目に動き回らせる愚策を犯したくはない。

 グレイは深く息を吐き、血走った右眼をヘルメスに向けた。

 色褪せながら血のように紅い魔力の輝きを放ち、獣のそれのように縦に裂けた瞳孔が男神を静かに睨みつける。

 彼の口は動かない。それでもその眼は静かに、そして殺意を孕みながら、告げている。

 

『──それがなんだ。何が問題だ』

 

 あまりの迫力にぞくりと背筋を震わせ、言葉を詰まらせる。

 その眼はステラのそれと似ていた。だが、根本的な部分が違っていた。

 彼女は神だろうが何だろうが、路傍の石を見るように何の興味の欠片もない眼で見つめてくる。

 だがグレイは明確にこちらを障害と判断し、最悪の場合排除(・・)してきそうな危うさを滲ませていた。

 何を言っても無駄と判断したのだろう。ヘルメスは帽子を目深く被り、目元を隠しながら溜め息を吐いた。

 話はそれまでだった。グレイはこの短時間で足の痛みに慣れた為か、しっかりとした足取りでその場を後にしようと歩き出す。

 

「アッシュウォルドさん……!」

 

 遠ざかる彼の背にリオンが叫ぶが、今度は立ち止まる様子すら見せずに進んでいく。

 

「貴方の『正義』は、本当にそれなのですか……?」

 

 自分とよく似た『正義』を掲げつつ、自分よりも『正義』をよく知ると思っていた少年は、『修羅』へと成り果てようとしている。

 だが、そんな彼を止める手立てはない。彼にかける言葉は見つからず、彼を追いかける事もできない。

 

「私の『正義』の行く先も、貴方と同じ場所なのですか……?」

 

 それでは、自分もまた『正義』を貫けば貫く程、『修羅』へと成り果ててしまうのではないか。

『正義』とは何だ。こんなにも容易く砕かれ、揺らぎ、友人の暴走さえも止められない『正義』に何の意味が──。

 

「うぅ……っ!あああああ!!」

 

 リオンの目から再び涙が溢れた。

 アストレアはいない。アリーゼも倒れた。彼女を支えてくれる人物は、誰もいない。

 

「──リオン!」

 

 だが、それでも仲間というのはいるものだ。

 己の名を呼ばれ、弾かれるように顔を上げたリオンの視界に入るのは、こちらに駆けてくる【アストレア・ファミリア】の面々だった。

 輝夜を先頭に、大楯を担いだドワーフのアスタ。魔術師のリャーナが続く。

 敵の後退に合わせ、文字通り最後の激戦区であった戦場に馳せ参じてくれたのだ。

 だがその到着はあまりにも遅く、そして数も足りない。いいや、【アストレア・ファミリア】が全員揃っていたとしても、あの状況をどうにかできたかどうか……。

 

「輝夜……」

 

 リオンが呆然としたまま輝夜の名を呼べば、その異様な様子に彼女は驚愕し、次いで砕かれた右腕、抉られた左腕に気づく。

 

「……っ!その腕……!」

 

 そしてアスタとリャーナの悲鳴が聞こえ、弾かれるように目を向けた先ではアリーゼ、ネーゼ、イスカの三人が血溜まりに沈んでいた。

 

「何があった!?答えろ!!」

 

 リオンの胸ぐらに掴みかかり、声を荒げて問いかける輝夜。

 リオンはまっすぐに見つめてくる彼女の視線から逃れるように目を伏せた。

 

「……れた」

 

「……?何だ、もう一度言え。いつもの喧しさはどこに──」

 

「ヴァニタスにアストレア様が攫われた!私達では、お守りすることが、出来なかった……!」

 

「〜〜〜!?」

 

 リオンの涙ながらの言葉に輝夜はあらん限りに目を見開いて驚倒し、後ろからはアスタとリャーナの困惑の声が聞こえてきた。

 どうしてお守りできなかったと激昂しようにも、満身創痍のリオン達の姿を見れば、文字通り死力を尽くして抵抗したのは理解できる。

 主神が攫われた。それが意味する事とは、自分達の生殺与奪を相手に握られたのと同義だ。

 すぐに『送還』しないのは何かの策なのか、あるいは邪神達の気まぐれか。

 どちらにせよ、闇派閥(イヴィルス)が【アストレア・ファミリア】の喉元に刃を突き立てた事実に変わりはない。

 

「くそっ……!」

 

 悪態をついた輝夜は下唇を噛みながら、爪が食い込むほどに拳を握った。

 やはりあの時、リオンだけではなく自分も着いていくべきだったかと、あまりにも遅すぎる後悔が頭をよぎる。

 だが、彼女はすぐに顔を上げた。団長が倒れ、主神がいない今、副団長である自分が踏ん張らねばと理解したからだ。

 

「あの居候はどこだ。あれだけの騒ぎだ、あいつも近くに──」

 

「ヴァニタスを探しに行ってしまった。私は、足手纏いだと……」

 

 悔しさに表情を陰らせ、覇気の欠片もないリオンの声が返された。

 輝夜は眉間に皺を寄せ、この状況でも独断専行するグレイの横暴さに舌打ちを漏らしそうになるが、自分達にとってはむしろ助かる状況に溜め息を吐いた。

 

「なら、任せるしかあるまい。悔しいが、我々では奴に着いていけん」

 

 グレイの強さはこれまでの戦いと、先程終わりを見せた『大抗争』で見せつけられた。

 敵幹部、ヴァレッタの撃破。単独による敵部隊の殲滅。突如として出現した巨大モンスターの討伐。

 大手の派閥でも骨を折るだろう偉業を、彼はなんて事のないように立て続けに達成し、そのまま戦いに出てしまった。何という戦闘狂。何とも頼もしい限りだ。

 

「そのうち戻ってくるだろう。話はその時に──」

 

「輝夜」

 

「何だ」

 

 そうして大まかに今後の方針を固めていく中、不意にリオンが顔を上げた。

 文字通りの幼子のように泣き続け、目元を赤く腫らした妖精の少女はぼそりと呟いた。

 

「私の『正義』は、甘いのでしょうか」

 

 甘いだろうよ。そう返すのは簡単だった。いつものように青臭すぎると小馬鹿にして、煽ってやりたい気持ちもあった。

 だが、今のリオンにそんな余裕はない。己の『正義』を、エレボス曰く『巨正』を否定され、目の前で主神を奪われ、肉体的にも精神的にも余裕のない彼女に追い討ちができるほど、輝夜も鬼にはなれなかった。

 

「さあな。とにかく今は休め。ほら、肩くらいなら貸してやる」

 

 

 

 

 

 避難民が殺到する中央広場(セントラルパーク)

 人員と物資を集中させてなお、手付かずの死傷者で溢れる野戦病院もかくやの光景の中を、フィンは進んでいた。

 

「──待て、フィン!」

 

「リヴェリア。まだ寝ていろ、回復は不十分だろう」

 

 そんな彼に立ち塞がったのはリヴェリアだった。

 民衆の治療を最優先し、治療も中途半端な彼女の体のあちこちには応急処置の痕跡が残っていた。

 頬に貼られた綿紗(ガーゼ)や、腕に巻かれた血の滲む包帯。切り刻まれた翡翠の髪はあちこちに跳ね、ハイエルフとしての威厳など欠片も感じない痛々しい姿。

 それでも痛む体に鞭を打ち、魔法杖を普通の杖として使いながらフィンの前に立ちはだかった彼女は声を連ねる。

 

「私の怪我などどうでもいい!それよりも、早まるな!」

 

「まだ早いっ、早すぎるんだ!緊急事態なのはわかる!だが──」

 

 それは必死の抗議であった。

 寸刻前に下されたフィンの決定に異を唱える、懇願ですらあった。

 

「『私情』で判断を鈍らせるな。手札を温存できる段階はとっくに過ぎた。君だって理解している筈だ」

 

「……っ」

 

 だが、フィンから告げられた言葉はまさしく正論であった。

 図星を突かれたリヴェリアは拳を握ったまま、黙りこくる。

 闇派閥(イヴィルス)と悪魔の連合軍による大攻勢。今回は相手の戯れで退いてくれたが、次はない。

 フィンも、リヴェリアも、自分達の圧倒的な不利を理解している。

 

「今、この時だけは、君も『母親』をやめろ」

 

『母親』という言葉にリヴェリアは表情を歪めた。

 

「しかし、あの子(・・・)は……っ!」

 

「モンスターとの戦闘経験は十分。対人戦の術も叩き込んだ。彼女なら、実戦に耐えられる」

 

 フィンは淡々とした声音でリヴェリアの懇願をねじ伏せると、彼女の脇を抜けて足を進めた。

 戦力が足りない。量も、質も、何もかもが足りない。もう戦力を温存する余裕などない。質に関してはどうにもならないが、数においてはまだやりようはある。

 

「──恨むなら、後で死ぬほど恨め」

 

 すれ違い様、フィンは静かにそう告げた。

 リヴェリアは何も言い返す事ができず、苦渋に満ちた表情で指が白くなる程の力で杖を握りしめた。

 そんな彼女の様子に気づきつつもあえて無視したフィンが進む先は、白亜の巨塔──バベルの門前。

 鎖を解かれた猛獣を必死に宥めるように、冷や汗を流しつつ右往左往するラウルを始めとした【ロキ・ファミリア】の若手の団員に囲まれているのは、一人の少女。

 冒険者というのにあまりにも小柄な外見からして、齢は十に届いていないだろうまさしく幼女。

 それでも纏う雰囲気は歴戦のそれで、鞘に納められた一振りの剣を抱く姿はさながら『人形』のよう。

 

「──準備はいいか、アイズ」

 

 その言葉に、アイズと呼ばれた少女はゆっくりと瞼を開けた。

 

「……うん」

 

 少女の形をした『戦姫』は立ち上がり、剣を執る。

 

「戦う。──敵を倒す」

 

 発した言葉に乗るのは壮絶な戦意。

 戦の残り香を運ぶ風に吹かれて金色の長髪が揺れ、同色の瞳が天を仰いだ。

 灰色の雲に覆われた空が揺らぐ。

 強く、鋭い一筋の金色の光が、雲間を貫くのだった。

 

 

 

 

 

 様々な場所。様々な人が敗北に打ちのめされ、それでもそれぞれの方法で足掻き続けている中、グレイもまた一人戦いを続けていた。

 

「失せろ……!」

 

 リオン達と別れ、単独行動を開始した彼が真っ先に向かったのは、悪魔達の溜まり場となっていた崩れかけた建物だった。

 死肉を貪り、勝利の饗宴を開いていたライアットの群れに飛び込み、技も駆け引きもない、腕力と膂力にものを言わせたゴリ押しでそれを殲滅したのだ。

 肩を上下に揺らし、乱れた呼吸を繰り返す彼は不意にライアットの死体に手を突っ込むと、何かを探すように悪魔の腹の中をかき混ぜ、そして何かを掴むと共にそれ(・・)を引っ張り出した。

 ぶちぶちと肉が千切れる音と共に引き出されたのは、つい先程まで脈動していたライアットの心臓だ。まだ生温かく、血と共に濃い魔力が漏れ出ている。

 

「……」

 

 グレイはそれを冷めた瞳で見つめると、大口を開けてそれを頬張った。

 ぐちゃりと湿った音と共に歯を突き立て、食い千切り、咀嚼する。

 口内に広がる濃い鉄の味と、小便の臭いにも似た鼻につく強烈な異臭。

 口に含むだけで吐き気を催すそれを、グレイはごくりと喉を鳴らして飲み込んだ。

 喉を裂かれたとはいえ、辛うじて無事だった食道を通り、胃に落ちていく悪魔の肉の感覚に瞠目しつつ、全身に行き渡る微細な魔力の感覚に小さく唸る。

 全身から魔力の蒸気が噴き出し、全身の裂傷が少しずつ癒えていく。

 傷を抉られるような激痛に喘ぎながら、それでもライアットの血肉を貪り、己の血肉に変え、不足した魔力を無理やりに回復していく。

 脳裏によぎるのはこちらに一瞥もくれなかったヴァニタスの背中。彼を守るステラの冷たい瞳。そして、悪魔に殺された人々の最期の姿。

 

「もっと力を……!」

 

 悪魔の血肉を貪り喰らい、己の魔力に変換しながら、口から漏れるのはやはりその言葉。

 呪詛のように脳裏にこびりつき、ある意味で己の原動力にもなっている言葉を吐きながら、悪魔を喰らう。

 

「──ヴァニタスは、俺が殺す!」

 

 誓うは絶殺。挑むは越えられなかった怨敵の背中。

 もう下らない矜持(プライド)は捨てよう。死力を尽くして、奴を殺す。

 炎に照らされながら覚悟を決める彼の影は大きく翼を広げた異形の姿となり、極上の餌を前にした獣のように悪魔の死体に喰らいつくのだった。

 

 

 

 




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