ダンジョンに訳ありデビルハンターがいるのは間違っているだろうか   作:EGO

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Mission22 小さな剣姫(リトル・アイズ)

 オラリオを包む混沌が晴れる気配はなかった。

 市壁から降り注ぐ闇派閥(イヴィルス)の爆撃。そして冒険者達を撹乱するように都市中を駆け回り、殺戮の限りを尽くしていく悪魔達。

 数と質で勝る彼らに冒険者は多勢に無勢。それでも全力を尽くして民衆を守る盾となり、悪を討つ剣となり彼らだが、救ったところで投げられるのは罵詈雑言ばかり。

 民衆達の激憤は冒険者達に大きな負荷(ストレス)を与え、肉体的に追い詰められた彼らを更に追い詰めていく。

 

(本当に意地汚ねぇ)

 

 そんな謂れのない中傷に心を削られる冒険者達の姿と、そんなものを一切考慮する事もなくわめき散らす民衆の姿を何度も目撃したグレイは、遠巻きから冷めた瞳で民衆を見つめ、そんな事を胸中で吐き捨てた。

 この状況を作り出したくそ野郎(ヴァニタス)も、悪魔よりも醜い民衆も、そしてこんな状況に追い込まれた弱すぎる自分も、何もかもが気に入らない。

 壁しか残されていない建物に寄りかかりながら苛立ちを募らせるグレイは、不意に空を見上げた。

 唸り声をあげ、黒く染まり始めた曇天は、まもなく訪れる雨の気配を強く孕んでいた。

 都市のあちこちが燃えているのだ。いっそ雨が降ってくれれば火の手は弱まるだろうし、頭に血が昇った連中も少しは頭が冷えるだろう。

 グレイはそんな事を思いながら脇に積んだ肉塊の山に──悪魔達の残骸の山に手を伸ばし、無造作に腕だった物を掴み取ると、そのまま口元に運び、一口頬張った。

 硬質な鱗を噛み砕き、溢れ出た血液で水分補給を済ませながら、くちゃくちゃと汚い音を立てて肉を咀嚼し、呑み込む。

 小便を思わせる食するには適さない猛烈な刺激臭とゴムのような食感に眉を寄せつつ、文句も言わずに食を進めていく。

 そのまま呑気に食べ歩くように悪魔の腕を齧りながら通りを練り歩き、襲ってくる悪魔や、ヤバい物を見てしまったと怯えて逃げ出す闇派閥(イヴィルス)を撃滅しながら、目指す先はこの都市で初めてヴァニタスと出会った場所。

 十分程歩いて辿り着いたのは、元箱型の建物(・・・・・・)だった。

 内側から爆破されたように無惨に破壊され、今にも崩れ落ちそうなそれは、闇派閥(イヴィルス)棲家(アジト)だった廃棄商館。

 この都市に来て、この戦いに参加して、初めてヴァニタスと出会った場所。そして、闇派閥(イヴィルス)の自爆で文字通り死にかけた場所だ。

 ほとんど吹き飛ばされているだろうが、何かしらの手がかりがあるとすればここ。なかった時は、その時になってから考えればいい。

 ポツポツと降り始め、次第に強まっていく雨から逃れるようにひしゃげた金属扉を蹴り破り、建物の中へと入っていく。

 縦横無尽に駆け回った廊下ももはや瓦礫に埋め尽くされ、天井も失っているようで雨が降り注いできていた。

 雨宿りにすらならないかと雨粒が落ちて濡れていく肩を横目に、すぐに血が落ちていいかと気を持ち直して奥を目指して歩き出す。

 返り血で赤く染まった灰色の髪を雨で洗いながら、商館の中を右へ左へ。

 アーディと共に駆け抜けた二階部分は爆発で床が抜け落ち、結局何の道具なのかもわからなかったガラクタが小さな残骸となって床に転がっている。

 あの時は敵も味方も大勢いて、これ以上ない程の熱気に満ちていたというのに、今ここにあるのは冷たい静寂だけだ。

 そんな中をコツコツと具足が床を蹴る硬質な音を立てながら進む事数分。いまだに魔界の瘴気を残留させる最深部へと辿り着いた。

 壁に大穴が開き、天井もその意味をなさない程になくしたそこには、瓦礫の下敷きになった悪魔憑きや悪魔の死体。そしてアンジェロの残骸が捨て置かれたままだ。

 ヴァニタスの魔力の残滓も残っているが、痕跡としてたどるには薄くなりすぎている。途中までは終えても、街に出てしまえば度重なる雨で全て洗い流されているだろう。

 やはり行動に移るのが遅すぎたと頭を抱え、深々と溜め息を吐くが、すぐに思考を切り替えた。

 アンジェロの残骸に近づくと魔力が編み込まれた漆黒のマントを引っ剥がし、それを羽織ると首元で結んで括る。

 ほぼ半裸で半日近く行動していたのだ。今更恥も外聞もないが、流石にこれ以上雨で冷えるのは堪える。何かしらの防寒具が必要だったのだ、防具代わりにもなるから都合がいい。

 四肢には魔具ゴリアテ。首にはうまいこと括り付けたアンジェロのマント。下半身は脚衣(ズボン)の残骸で隠れているが、上裸にマント一枚の姿はそれなり以上に変質者だ。

 

(やっぱ、適当に服も見繕うか。このままじゃまだ半裸方が説明しやすい)

 

 幸い、ここには闇派閥(イヴィルス)や【ガネーシャ・ファミリア】の遺体が大量に残されている。襤褸布同然ながら彼らが着ていた衣装や戦闘衣(バトル・クロス)もあるのだ。何着か拝借し、上手いこと繋ぎ合わせれば服くらいにはなるだろう。

 そうと決まればいざ死体漁りとマントを翻した瞬間。ギギィ、と重々しく金属扉が開く音が彼の耳に届いた。

【ガネーシャ・ファミリア】団員の遺体に伸びていた手を引っ込め、長剣の柄に手をかけた。

 無言のまま音のした裏口方向に目を向け、肌に感じる異質な魔力(・・・・・)に目を見張った。

 今日までに色々な悪魔や冒険者に出会ってきたが、その中のどれとも似て非なる魔力の質は、グレイの警戒度を段違いに跳ね上げさせる。

 そんな彼の耳に届くのは、小さな足音だった。

 音も軽い。歩幅も狭いのか、音の間隔も短い。子供──いや小人族(パルゥム)か。

 色褪せながら魔力の残滓の宿す瞳が正面を見据え、長剣の柄を握り込んだ。

 数秒か、数分か、体感時間が引き延ばされる嫌な感覚に頬を汗が伝う中、奥の暗闇から姿を現したのは一人の少女。あまりにも幼い外見は、齢は十を超えているとは思えない。

 

「……」

 

 少女は何も語らない。

 ただマントの隙間から除く漆黒の鱗や、瞳孔が縦に裂けた人のそれではない──見方によれば竜種(ドラゴン)のそれにも見える瞳を見つめたかと思えば、硝子玉のような無機質な瞳に明確な殺意が宿った。

 

「──【目覚めよ(テンペスト)】」

 

 超短文詠唱を引金に、少女の『魔法』が発動する。

 

「──【エアリアル】」

 

 風が生まれた。

 形として認識できるほど濃密な大気の流れが巻き起こり、少女の体を包み込む。

 砂金の如く金色の髪が風で波打ち、魔界の瘴気が吹き飛んでいく。

 少女は戦意を爆発させながら背負っていた鞘に手を伸ばし、銀の剣を抜き放った。

 

「悪魔も、モンスターも、全部倒す……!」

 

 凄まじい迫力。異質な魔力。こうして面と向かい、魔法を見たからこそわかる。

 

「お前も何か混ざってやがんな。だが悪魔じゃねぇ、何だ」

 

 断定的な言葉を吐けたのは直感だろうか。あるいは日頃から半魔と一緒にいるためか、そういったものに敏感なだけかもしれない。

 だが、どちらにせよ彼には関係のない事だ。相手がどこの所属かはわからないが、喧嘩を売ってきたのは向こう。あの風の魔法でただでさえ希薄だったヴァニタスの臭いが余計に薄くなってしまった。何よりあの子を黙らせないとここをゆっくり調べることもできないだろう。

 面倒くさいと溜め息を吐いた瞬間、少女は足元の瓦礫を粉砕しながらグレイに向けて突撃。

 戦うにはあまりにも幼く、小柄で、未熟な肉体を限界まで躍動させ、上半身をいっぱいまで捻り、放つは袈裟一閃。

 対するグレイはただ鬱陶しそうに息を吐き、彼女の渾身を蠅を払うかの如く気怠げな動作でもって払い除けた。

 

「……っ!」

 

 籠手と剣が激突する甲高い音と共に火花が散り、体勢を崩したのは少女の方だ。

 渾身の一撃を弾かれ、無防備な胴を晒したのはほんの一瞬。だがその一瞬は、グレイにとってはあまりにも長い。

 彼は右手を軽く握りながら胸の前で構え、軽く前に突き出す。

 下級の悪魔でさえ即殺できない、グレイからすれば攻撃とも呼べない撫でるような一撃は、彼女の風の鎧を一切拮抗する事なく突破し、鳩尾を寸分の狂いなく打ち抜いた。

 

「がっ……!?」

 

 肺の空気を全て吐き出しながら吹き飛んだ少女は、何度も地面を跳ねながら壁に吸い込まれていき、小柄な体が壁にめり込む異音が商館に響き渡った。

 

「……」

 

 死んだかと冷や汗を流すグレイだが、まあ自分に襲いかかってきたのだから闇派閥(イヴィルス)だろうと適当に見切りをつけ、ヴァニタスの痕跡探しに戻ろうと視線を外した。

 直後、がしゃん!とけたたましい音を立てて小柄な影が壁から飛び出し、再度グレイに肉薄した。

 

「マジか」

 

 グレイは流石に驚倒の声を漏らし、迫る銀閃をゴリアテで弾き飛ばした。

 少女は弾かれるまま距離を離し、げほげほと咽せながら血の混ざった唾液を吐き出し、剣を構えた。

 睨みつけてくる少女を見つめ返しながらグレイは腰に手を当て、肩を竦めて溜め息を吐く。

 先程の一撃。ヴァレッタとの戦いや今までの経験からリオンやアリーゼ達くらいなら昏倒させる程度の力を込めたのだが、どうやら少し弱すぎたようだ。次で確実に獲る。

 グレイはゆっくりと右手を少女に向け、手のひらを天井に向けた。

 

来いよ(Come on)嬢ちゃん(lady)。あんな時間がねぇんだ、遊んでやる余裕はねぇ」

 

 くいくいと手招きと共に少女を煽り、神妙な面持ちでそう告げた。

 ヴァニタスを追うのが最優先。人命も、二次被害も、何もかもが二の次だ。最悪あの子を殺してでも、ヴァニタス追跡を優先しなければならない。

 

「行くよ……!」

 

 グレイの挑発に少女はすぐに乗り、再びの突貫。

 

「【目覚めよ(テンペスト)】!!」

 

 グレイとの距離が近づく中、少女の詠唱が再び紡がれ、剥がされた風の鎧が彼女と、彼女の剣を包み込む。

 先程の再演かと身構えるグレイだが、油断は大敵と意識を研ぎ澄ます。

 他の冒険者と魔力の質が違う。下手に直撃すればどうなるか、わかったものではない。風という事は攻撃範囲も膨大だろう。

 ならば確実に防ぎ、確実に沈める。ならば取るべき選択肢は一つ。

 左腕を垂直に立て、右腕は手のひらを左肘に添えるように腹の前に。

 詰まるところの完全防御状態(ロイヤルガード)。風に関しては魔法だ、ゴリアテで喰えばいい。他の攻撃だけ警戒しておけば無問題だ。

 見るからに防御を固めたグレイの動きに少女は警戒するが、もはや止まる事はできないと逆に更に加速。

 次の瞬間、斬撃の嵐がグレイを呑み込んだ。

 瞬く間に放たれる数十の斬閃。聴覚を塗り潰す連撃と風が唸る音。

 常人では認識すらもできない猛攻を、グレイは左腕一本で全てを完璧に防ぎ(ロイヤルブロック)、合間合間で手のひらの吸入口から風を取り込み、呑み込んだ魔力をゴリアテの修復に宛てがう。

 

(強い……!)

 

 その光景を、圧倒的実力差を突きつけられた少女は正しく理解していた。

 速度も、反応も、一撃の重さも、駆け引きも、技も、全てが己の知る中でも最高クラス。側からやればグレイの防戦一方だが、実際はグレイが常に少女を『圧倒』していた。

 攻めの手を緩めれば、あるいは僅かでも隙を晒せば獲られる。そう判断した少女は更に加速し、グレイを攻め立てる。

 小柄な少女ではあり得ない圧倒的な手数とそれを実現する剣の冴え。そして躊躇なく危険地帯であるグレイの間合いに踏み込む度胸。

 鬼気迫る少女の姿にグレイは唇の端を釣り上げ、己が目指すものの一端を垣間見た。

 己の命を、心を、感情を、感覚を、全てを投げ打ち相手の喉を喰い千切らんとする獣の如き戦餓鬼。なるほど、自分もこうなればあるいはヴァニタスにも届くだろうか。

 

(──なんで、笑ってるの……?)

 

 グレイがそんな答えにたどり着いたのとほぼ同時。少女の思考には僅かな混乱が生まれていた。

 少女は加速し続けている。技は冴え渡り、魔力も澱みなく、相手を撃滅せんと己の技を吐き出し続けている。

 身の丈ほどある銀剣を全身という全身を用いて繰り出し続けている。

 上半身をいっぱいに捻った袈裟一閃。超速の独楽の如き回転斬り。剣に振り回されているようにさえ見えるそれは、紛う事なき彼女の『剣術』だ。

 風の魔法も合わさり、文字通り嵐の如く襲いかかる斬撃の数々を、けれどグレイは左腕のみで捌き続ける。

 

(──なんで、笑っていられるの……?)

 

 魔力がぶつかり合う甲高い衝突音を連続で響かせ、受けた力を体の奥底に溜め込みながら、グレイの笑みは崩れない。

 無駄という言葉を一切排除した最善手を打ち続け、制御装置(ブレーキ)の壊れた少女の猛撃を防ぎ続ける。

 少女は全力の全力を出し切っている。なのに届かない。指先さえも、グレイのいる頂に掠りもしない。

 体勢を崩さない。防御を剥がさない。隙を作れない。一方的に消耗を強いられ続けている。

 

(──私は……!)

 

 相手は笑う程に余裕がある。笑みを崩さない程に余力を残している。そして、彼のそんな余裕さえも崩せない程に自分は──。

 

「今、別の事を考えたな」

 

「ぁ……」

 

 グレイの言葉に少女がハッとして声を漏らした瞬間、灰色の魔力光が部屋を照らし、光の尾を引く掌底が少女の腹にめり込んだ。

 メキメキと音を立てて骨を軋ませ、内臓を掻き回される激痛に少女は悲鳴をあげ、グレイはそんなものお構いなしに拳を振り抜く。

 絶殺の反撃(ロイヤルリリース)ではなく、適当な反撃(リリース)。ヴァレッタに致命傷を与えた前者では、少女の体は爆散していただろう。流石のグレイでも二度も三度も少女が爆散する姿は見たくはないのだ。加減もする。

 少女の体は羽のように舞い上がり、鈍い音をたてながら床に落ちた。

 白眼を剥き、意味を持たない呻き声を漏らしながら全身を痙攣させるその姿はまさに死に体。間違いなく再起不能(リタイア)だ。もう仕事の邪魔はされない。

 溜め息混じりに踵を返し、早速調査を再開しようとした矢先だった。グレイの頬を魔力を孕んだ風が撫でていき、床に剣を突き立てる甲高い音が響き渡った。

 

「ガキの癖に根性(ガッツ)あんじゃねぇか」

 

 グレイはゆっくりと振り向き、腰に手を当てた。

 彼の色褪せた瞳には少女が銀剣を杖代わりに立ちあがろうとする姿が映っており、戦意に満ちた眼光がまっすぐと睨み返してきていた。

 勝てないとわかった筈だ。根本的な強さが違うと理解した筈だ。それでも少女は立ち上がり、ふらつきながら剣を構えた。

 そんな少女の姿に、やはりグレイは己が目指すべきものを見ていた。

 

「私、は……負けない……っ!」

 

 制御装置(ブレーキ)を壊し、命さえも勘定に入れ、己の目的のために全てを投げ打つ覚悟。

 

「もっと、強くなる……!」

 

 貪欲なまでの力への執着。執念。何もかもがおそらく自分よりも強く、純粋だ。

 

「もっと、もっと、もっともっともっともっと!!!!」

 

 それは子供故か、あるいはそれしか知らないからか。理由はわからない。

 ただ純粋に力を求め、グレイという怪物を撃滅せんと瞳に意志が宿った。

 少女の覚悟に応えるように風がその強さを増し、壊れかけの商館が軋み、折れかけた鉄骨が悲鳴をあげる。

 

「【目覚めよ(テンペスト)】!」

 

 風が生まれる。風が吠える。風が暴れる。絶えず大気がかき混ぜられ、雨粒も、悪魔の死体も、冒険者達の遺体も、アンジェロの残骸も、何もかもを攫っていく。

 これじゃ調査どころじゃないなと肩を落としたグレイは再び防御の構えをとり、先手を彼女に譲った。

 体が浮きそうな程の風圧に目を細め、衰え知らずの戦意にいっそ感心さえしてしまう。

 戦闘狂。戦餓鬼。あるいはタガが外れた狂戦士。彼女に相応しい名を思慮する傍らで、グレイもまた戦意を膨らませる。

 限界まで高まる緊張。高まる魔力。そして戦意が限界まで張り詰め、爆発した瞬間、少女は走り出した。

 床を爆砕し、瓦礫を巻き上げながら、金の残像を残してまさに風となる。

 対するグレイは不動。ロイヤルガードの防御姿勢をそのままに、迫る彼女を睨みつけた。

 少女の渾身の一撃が放たれる。グレイがそれを防ごうと左腕を差し出す。

 銀の剣閃と漆黒の拳打が激突しようとした瞬間、それ(・・)は起こった。

 銀剣が纏う風がグレイの左腕を絡めとり、上へと弾き上げたのだ。

 

「っ!?」

 

 グレイは驚愕に瞠目し、戦意と殺意に染め上がった少女の顔を見た。

 常人なら既に動く事もできない傷を与えた。何が彼女を突き動かすのか。

 加減していたとはいえ、油断はしていなかった。何が彼女を自分より上を行かせたのか。

 グレイが混乱し、困惑し、思慮を重ねた一瞬。その一瞬に全てを賭けた。

 

「うわあああああああああ!!!!」

 

 獣じみた咆哮と共に、無防備に晒された彼の脇腹に向け刃を振るう。

 そして銀閃が彼の胴を捉えようとした瞬間、漆黒の軌跡を残す拳骨が少女の脳天を打ち抜き、そのまま彼女の頭を床にめり込ませた。

 

「みっ──……」

 

 少女があまりにも情けない悲鳴を漏らす中、上に弾かれた左腕をそのまま振り下ろして鉄槌としたグレイは、残心を取るように深く息を吐きながら構えを解いた。

 彼女の力への執念が今の惜しい(・・・)一撃を生み出したのか。なら、彼女のように力を求めれば、自分でもヴァニタスに届きうる一撃を放てるのだろうか。

 

「ぅぅ……!」

 

 少女は脳天から全身に響く痛みに喘ぎながら、それでも剣を振ってグレイを牽制。

 彼が半歩下がった隙に跳ねるように立ち上がり、ふらつきながらも構えを取る。

 

「……何がお前をそうさせるんだよ」

 

 グレイが困惑混じりの表情でそう問いかけた瞬間、少女は答えた。

 

「モンスターを殺す。それが私がやりたい事だから」

 

「復讐か何かか?」

 

「うん。だから、貴方も殺す。貴方からは悪魔ってモンスターと同じ臭いがするから」

 

 少女の言葉にグレイは肩を竦め、同時に理解した。

 どうやら彼女は生粋の復讐者(アベンジャー)らしい。その矛先はモンスターらしいが、誰かに『悪魔=モンスター』と刷り込まれでもしたのだろう。そして彼女は何かしらの方法でグレイが悪魔だと看破したようだ。

 

(まあ、こんな格好してりゃな)

 

 グレイは鱗に包まれた体の節々に触り、嘆息した。マントで隠したが、やはりと言うべきか隠し切れるものでもない。何なら隙間から漏れる魔力光が余計に目立ってさえ見える。

 悪魔だのモンスターを撃滅せんとしているということは、味方である事は──とりあえず秩序側の人間だろうという意味で──確定。これ以上怪我をさせるわけにはいかなくなった。

 さて、ならばどうする。手足を折るか、あるいは絞め落とすか。選択肢はあれど抵抗は必至。簡単ではあるだろうが面倒でもある。

 

「腕折れば流石に逃げるか?」

 

「倒す……!」

 

 ゴキゴキと指を鳴らし、恐ろしい事を口にするグレイに対し、少女は怯まずに銀剣を構えた。

 再びの緊張。空気が張り詰め、雨音以外の音がなくなる。

 そして、両者が動き出そうと腰を沈めた瞬間。

 

アイズ(・・・)、どこだ!!一人で何をやっている……!!」

 

 焦りの色を多分に含んだ凄まじい怒りの声が──より正確には、いつまで経っても返ってこない我が子にブチ切れた母親のような怒鳴り声が響き渡った。

 

「ダメ!こっち来ちゃダメ!!」

 

 アイズと呼ばれた少女は慌てたように声を張り上げ、その誰かを制止せんとするが、その声こそが相手を呼び寄せる呼び水になる事を理解できていない。

 次の瞬間、眉を怒りの角度に上げたハイエルフの王女が姿を現した。

 

「勝手に飛び出すなとあれほど──アイズ!?」

 

 柳眉を吊り上げ、怒りのままにあげていた声が、途端に心配のものへと変わった。

 口の端から垂れる血。肩を揺らし、苦しそうな呼吸。何かに耐えるような表情は、けれど顔色が悪い。

 

「リヴェリアだったか。ああくそ、お前の使いパシリか」

 

 慌ててアイズに駆け寄るリヴェリアの横顔を見つつ、グレイは困り顔を浮かべた。

 まさかこの小娘が【ロキ・ファミリア】の関係者だったとは意外だ。同時にこんな子供を戦わせている彼らの評価がそれなりに下がる。手が足りないのは百も承知だが、他にも手はなかったのか。

 

「使いパシリではない!いや、それよりもここで何があった!?この()の怪我は!?」

 

「俺がやった」

 

 面倒な言い訳をするわけでもなく淡々と事実を口に出すその様は、いっそ開き直っている節さえ見られる。

 柳眉を歪めるリヴェリアを横目に、アイズは相変わらず殺意混じりにグレイを睨みつけていた。

 

「どういう意味だ」

 

 リヴェリアもリヴェリアで殺意が入り混ざる翡翠の瞳をグレイに向け、アイズを背に隠すように後ろに下がらせた。

 子を守る母親の姿はグレイにとっては馴染みないが、まあ仲間を傷つけられたら誰だって怒るものだろう。

 

「仕掛けてきたのはそっちだ。魔法まで使いやがって」

 

「……それは本当か」

 

「モンスターと悪魔を殺せって言われたから」

 

 肩越しに投げられた問いかけに、アイズは相変わらずグレイを睨みながら返す。

 怪訝そうに眉を寄せたリヴェリアに、グレイは「その指示じゃ仕方ねぇな」と肩を竦め、漆黒の鱗に包まれた胸を見せながら、瞳孔が縦に裂けた──それこそ竜種(ドラゴン)を思わせる瞳に魔力を込め、紅く輝かせた。

 左目を潰され、隻眼となりながら竜の如き瞳を向けるその姿は、冒険者でも人間でもなく、まさに悪魔(モンスター)のよう。

 

「まさか、お前は……」

 

 リヴェリアはようやく理解した。王族(ハイエルフ)としての血がそうさせるのか、冒険者としての長年の勘がそうさせるのか、彼女は答えにたどり着いたのだ。

 くつくつと喉を震わせて笑ったグレイは、すぐに真顔となって二人に告げた。

 

「俺は悪魔だ。人の形によく似た、人の言葉を話す化け物さ」

 

「……っ!」

 

「……」

 

 リヴェリアは彼の言葉に困惑を露わにし、アイズはやはり斬らねばと銀剣を握り直す。

 

「俺達は関わらない方が良さそうだな。嬢ちゃんの為にも」

 

 次会ったら死ぬまでやりかねんと嘆息するグレイにアイズは殺気立ち、リヴァリアもまた瞳に戸惑いを漂わせる中、彼は踵を返し、歩き出す。

 殺気立つ冒険者に無防備に背中を晒すという悪手を取れば、どうなるか。

 

「逃がさない!」

 

「待て、アイズ!」

 

 アイズがその小柄な肉体を限界まで躍動させてリヴァリアの制止を振り切り、グレイの背に飛びかかる。

 溜め息を吐いたグレイは振り向くことなく背負った長剣の角度を変え、肩に担ぐような形で構えた刃で銀剣の一閃を受け止めた。

 甲高い金属音が鳴り響き、次の瞬間に一瞥もくれずに放たれた肘打ちがアイズの腹部にめり込んだ。

 肺の空気を全て吐き出し、身悶えするアイズ。

 それでも割れんばかりに歯を食い縛り、痛みを堪えて刃を振るった。

 グレイはそれを後ろに跳ぶ事で回避し、尚も立ち上がってくるアイズにいい加減鬱陶しそうな苛立ちのこもった視線を向けた。

 だが、少女は怯まない。風を纏い、口の端から垂れた血を乱暴に拭い、さして叫んだ。

 

「リヴェリアは、私が守る……!!」

 

「……っ」

 

 家族(ファミリア)に向ける親愛が、家族(ファミリア)を守らんとする彼女の意志に、リヴェリアが言葉を失った。

 幼いながらに剣を振るう事ばかりを考え、【剣姫】などという二つ名まで与えられた少女だが、それでも彼女なりの『愛』が確かに芽生えている証拠だ。

 そして彼女に無理をさせねばならないまでに自分達は弱く、状況も悪い。

 己の不甲斐なさに歯嚙みするリヴェリア。対するグレイは僅かに瞠目していた。

 

『──皆は、俺が守る……ッ!』

 

 忘れようとしても忘れられない過去の情景が、脳裏を過る。

 果たせなかった約束が、代わりに誓った復讐が、思考を先鋭化させていく。

 ヴァニタスにより作り出された人造悪魔(ホムンクルス)の兄弟姉妹達。

 度重なる実験で死に瀕した彼ら彼女らを守らんとした幼き日の自分の姿が、今のアイズと重なってしまう。

 だが、それがなんだというのだ。目的は一つ。必要なものも一つ。果たせなかった約束は、あの日彼らの死体を抱えて流したものは、全て不要なものだ。

 グレイは表情を消すと一跳びで屋根の大穴を跳び越え、屋根に着地した。

 彼は雨で前髪を垂らし、影に覆われた双眸でアイズとリヴァリアを見下ろしながら右手を振った。

 

あばよ(Adiós)、冒険者。悪魔の相手は俺がする。お前らはお前らの仕事をしてろ」

 

 言外に冒険者を邪魔者扱いしながら、グレイは静かな覚悟を込めた言葉を告げた。

 冒険者には慣れているだろう闇派閥(イヴィルス)の相手に集中して欲しい。

 何より、今回のような騒動が起こればそれだけ時間の無駄だ。邪魔をしないで欲しいというのが、彼の本音でもある。

 グレイは二人の反論を待たずに屋根の上を駆けていき、雨の中に消えていった。

 

「待って……!」

 

「待つのはお前だ、アイズ!」

 

 アイズは銀剣を携えて彼を追おうとするが、その手をリヴェリアが掴んだ。

 

「彼は敵ではない!」

 

「……っ!でも、あれ(・・)は悪魔!モンスターと同じ、私達の敵!」

 

 それでもリヴェリアの手を振り払い、追いかけんとするアイズの鬼気迫る姿にリヴェリアは狼狽えるが、すぐに床に膝をついてアイズと視線を合わせた。

 

「私には、彼がモンスターと同じには思えん。熱くなりすぎだ」

 

 子供をあやすようにアイズの髪を撫でながら、できるだけ優しい声音で彼女に問う。

 アイズは戦意に染まっていた表情を幾分か柔らかくしつつ、リヴェリアの腕に巻かれた包帯に目を向けた。

 

「リヴェリア、怪我してる」

 

「……」

 

「だから、私が頑張らないとって、守らないとって」

 

「そうか」

 

 少女の優しさに感謝しつつ、彼女に心配させる非力な自分があまりにも不甲斐ない。

 リヴェリアは行き場のない感情を胸に抱きながら、懐からポーションを取り出した。

 なけなしの物資ではあるが、使い所は今しかないと判断してだ。

 

「とにかく、治療する。ほら、傷を見せろ」

 

「ん……」

 

 差し出されたポーションを受け取り、それを呷るアイズの頬や手の汚れや血を(スカーフ)で拭ってやりながら、甘える猫のように大人しくされるがままになっている彼女の姿に思わず笑みがこぼれる。

 だがすぐに笑みを消した彼女は、静かに告げた。

 

「アイズ。刃を向ける相手を間違えるな。少なくとも彼は、敵ではない」

 

「でも……」

 

「納得はできないだろう。だが、今だけでも割り切ってくれ」

 

 絹のような髪を撫でてやりながら、この場において最も大切な事を──グレイとの関係についてを口にする。

 

「彼は我々の知る悪魔とも、モンスターとも違う。斬る必要はない」

 

 

 

 

 

 雨は止まない。都市から涙が消える事もない。

 今この瞬間にも命は失われ、誰かの人生が狂わされていく。

 

「アッシュウォルドさん、いったいどこに……!」

 

 その中でも正義の妖精は走り続けていた。

 時には逃げ遅れた民衆を救出し、悪魔や闇派閥(イヴィルス)を撃退し──それでも感謝の声はなく、あるのは罵倒ばかりを浴びせられながら、彼女は都市を駆け回っていた。

 それでも彼は見つからない。悪魔の死体が捨て置かれた通りを血を跳ねさせながら駆け抜ける。

 そして不意に視線を巡らせた先に、冒険者の一団を──シャクティの指示の下で街を警邏する【ガネーシ・ファミリア】を捉え、そして彼らの中に紛れる知己の姿を認めた。

 

「アーディ!」

 

「え、リオン!?なんで一人で行動してるの、危ないよ!」

 

 突然の友人の登場に慌てるアーディは、すぐにばつが悪そうに視線を逸らした。

 だがリオンはそれに気づく様子もなく、彼女の肩を掴んで詰め寄った。

 

「アッシュウォルドさんを見ませんでしたか!?」

 

「お、落ち着いて!何があったの!?」

 

 見るからに焦っているリオンの様子にアーディだけでなく、シャクティ達も顔を見合わせて困惑する中、彼女はここに至るまでの経緯を簡単に説明した。

 群衆に石を投げられた事。それを彼に庇われた事。そして、彼に無礼を働いた事。それを最後に彼がどこかに行ってしまった事。

 

「彼を一人で行動させるわけにはいかない。あまりにも、危険すぎる」

 

 今のグレイは何をするかわからない。間違いは犯さないだろうが、何かしらの危険性を孕んでいるのは事実だ。

 

「私は彼を探さなければ。見つけて、まずは謝りたい。何か情報はありませんか」

 

 リオンの言葉にアーディは顔を俯け、そして「ごめん」と謝罪の言葉を口にした。

 彼にリオンの様子を見に行けと言ったのは自分だ。そういう意味では、今の状況は自分が生み出したようなもの。

 だが助けにはなれない。オラリアを一回りしたが、グレイの姿を一目も見ていないのだ。

 彼女の謝罪を後者という意味でしか受け取っていないリオンは「そう、ですか」と残念そうに呟くと、すぐに顔を上げ、シャクティに目を向けた。

 

「申し訳ありません、シャクティ。アーディを借ります!」

 

「な!?待て、リオン!」

 

「うわわ!?」

 

 リオンはシャクティの制止の声を振り切り、アーディの手を掴んで走り出した。

 

「ちょっと、リオン!?何するつもり!?」

 

「私だけでは彼を説得できないかもしれない!力を貸してください!」

 

「でも、私じゃ……」

 

 リオンの言葉にアーディは自信がなさそうに俯いた。

 正義とは何かを見失い、目の前の命さえも救えなかった自分の言葉が、彼に届くとは思えない。

 

「大丈夫です!」

 

 それでもリオンは彼女の手を引いた。

 走る走る。風のように、疾風のように、都市を覆う絶望を振り切らんばかりに、疾る。

 

「貴方の『正義』に私は救われた。あの時、貴方が教えてくれた事です。真の答えではなかったもしても、間違っていたとしても、『正義』は巡ると」

 

「あの時の言葉を、あの時してくれた事を、彼にもして欲しい。私一人では、その、流石に恥ずかしいので……っ」

 

 リオンは顔を赤らめながら、そっと目を逸らした。

『大抗争』が起こる数日前。炊き出し襲撃事件の後。何もできずに落ち込んでいた自分を励ましてくれた時の事を、彼女は口にしていた。

 

「悩んでいる時こそ自分に素直になるようにと、貴方が言っていたではないですか」

 

「あ……」

 

 リオンの言葉に、アーディは顔を上げた。

 あの時の自分が何をしようていたか、そして皆がどうなったのか。

 

「アーディ。私は貴方に笑ってほしい。あの時、私を笑わせてくれたように」

 

 振り返り、覆面を外して笑みを浮かべながら、リオンはそう告げた。

 笑顔を忘れ、『正義』に思い悩み、塞ぎ込んでいた自分を励ましてくれた友の行動を、返してやる。

「どうすれば笑ってくれるのかはわかりませんが」と生真面目に悩みながら、それでもリオンは笑った。

 

「そして、アッシュウォルドさんも笑わせましょう。彼はこちらが不愉快に思えるほどの笑顔がよく似合う」

 

「……うん。そうだね」

 

 彼女の言葉に、アーディは頷いた。

 力が足りない。この手は多くを救うにはあまりにも短く、小さすぎる。だが、それでも、腐ってはいられない。

 絶望に包まれたのなら希望を見つけよう。皆の涙を笑顔に変えてやろう。

 そして、それができるとすれば彼しかいない。

 

「グレイを見つけよう、リオン!」

 

「ええ!行きましょう、アーディ!」

 

 少女は二人、絶望に沈むオラリアに駆け出した。

 

 

 

 

 

「いいんですか、団長」

 

「ああ、構わん。後で泣くまで説教してやる」

 

 ──だから死ぬなよ、二人とも。

 

 小さくなっていく背中を見送ったシャクティはほんの一瞬だけ表情を和らげると、次の瞬間には凛とした団長としての仮面を被り、団員達に指示を出す。

 足掻こう。足掻きに足掻いてやろう。諦めが悪いのが冒険者だ。力及ばずとも英雄たらんとするのが冒険者だ。

 何より群衆の主(ガネーシャ)の眷属たる自分達が、この程度で折れてなるものか。

 

「次の区画に向かう。行くぞ!」

 

『おお!!』

 

 足掻く者。それこそまさに冒険者なり。

 

 

 

 

 




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