ダンジョンに訳ありデビルハンターがいるのは間違っているだろうか   作:EGO

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Intermission06 神血受領

 あまりにも長い夜が明けた。

『死の七日間』三日目。

 都市を覆う暗雲は相変わらずで、けれど雨が止んだ事だけは僥倖ではあった。

 だが、そんな事は今の二人には些事でさえあった。

 

「け、結構探し回ったけど、全然見つからない!」

 

「アーディ、諦めては駄目だ!行く先々で闇派閥(イヴィルス)に会うのは確かに厄介ではありますが、相手の戦力を削るという意味では無意味ではない!」

 

 グレイを捜索するアーディはリオンは並走しながら思わず愚痴をこぼし、リオンはそんな彼女の言葉を諌めるが、その声には疲労が滲む。

 グレイを探して都市中を駆け回り、行く先々で闇派閥(イヴィルス)や悪魔と戦っているのだ。時折休息を挟み、近場の避難所や冒険者達の拠点で補充を受けているとはいえ、他の冒険者達よりも苛烈な戦いに身を投じているのは否定できない。

 

「何か手掛かりが欲しい!目撃証言でも、この際悪魔の死体でも構いません!」

 

 リオンは走りながらそう叫び、周囲に目を向けた瞬間だった。

「あれ?」とアーディが声を漏らし、リオンもまた「あれは」と知己の背中に気づく。

 

「第五、第六、それに第八区画でまた襲撃だ!これまで以上に攻勢が激しい!どうする、アスフィ!?」

 

 伝令役である男の激しい声が二人の友人、アスフィにもたらされた。

【ヘルメス•ファミリア】の団員達は団長の指示を(・・・・・・)待つように彼女に視線を向ける。

 そんな彼らの視線に思わず後ずさるのは、つい先日(・・・・)団長となったアスフィだ。

『大抗争』での前団長(リディス)の死が報告され、そのまま彼女の遺言と主神の指示で団長となったアスフィだが、彼女は派閥の仲間達に咄嗟に指示を出す事ができなかった。

 

「さ、三箇所同時!?て、敵の数は……っ!」

 

「少なく見積もっても八小隊!蜥蜴型の悪魔(ライアット)も複数確認!味方は半分以下です!」

 

 更にもたらされた報告に言葉が詰まり、思考が纏まらない。

 身近な人の死を知ってしまった彼女は仲間達を死地に送り出す意味を正しく理解してしまい、次の一歩を躊躇してしまう。

 

「冒険者が、戦力が足りない……っ。私達と、後は第三区画から増援を……っ」

 

「アルドロメダ!」

 

「アスフィ、大丈夫!?」

 

 そうして押しかかる重圧(プレッシャー)に目眩を覚え、思わず膝を屈してしまいそうになった彼女を支えたのは、背後から迫っていたリオンとアーディだった。

 

「リオン、アーディ……?二人はなぜこんな所に……?」

 

「グレイを探しに。ですが、今はそれどころではないようです」

 

「うん!私達も手伝うよ!」

 

 たったの二人。けれどLv.3の第三級冒険者の増援にアスフィが気を取り戻す中、更なる援軍が姿を現した。

 

「そちらは儂らが何とかする。配置は動かすな、これも敵の嫌がらせじゃ」

 

「【重傑(エルガルム)】!」

 

 大戦斧を肩に担いだドワーフの大戦士、ガレスが数人の団員を率いて現れたのだ。

 別の戦場を鎮圧した後なのだろう。斧や鎧には乾いていない返り血が付着させ、普段にも増して鋭い迫力を放つ姿はまさに歴戦の戦士だ。

 

「【ヘルメス•ファミリア】とそっちの嬢ちゃん二人は、神エレボスとザルドをはじめとした化け物共の所在を探りつつ、グレイの動向も探ってくれ。敵の拠点(アジト)の場所も、女神アストレアの所在も、おそらくだがあの小僧が一番近づいとる」

 

「わかりました。武運を」

 

「エルフの小娘に祈られるほど柔ではない」

 

 答えないアスフィに代わりにリオンが一礼すると、ガレスは彼女の激励を豪快に笑い飛ばした。

 そしてすぐにアスフィに目を向けると、彼女の目をまっすぐに見つめながら告げた。

 

「【万能者(ペルセウス)】、動じるな。常に戦場を俯瞰しろ。先も言ったが、敵の『嫌がらせ』に振り回されるでない」

 

 その言葉にアスフィは肩を震わせた。

 ガレスはそのまま立ち去り、その場に残るのは【ヘルメス•ファミリア】の団員達とリオンとアーディだけだ。

 

「やはり、無理です……っ」

 

 そんな中を、アスフィの絞り出したような掠れた呟きが嫌に響く。

 

「アンドロメダ?」

 

 リオンが見るからに覇気のない彼女に心配の声をあげると、彼女はリオンの声を無視する形で隣に立つファルガーを見上げた。

 

「ファルガー、変わってください。私には、団長なんて無理です……っ!先程からずっと見当違いな指示ばかり!このままでは、私は貴方達を殺してしまう……!」

 

 その言葉に、リオンとアーディは全てを察した。

 アスフィは【ヘルメス•ファミリア】の副団長だった筈だ。だが、今は団長としての責務に喘ぎ、半ば混乱(パニック)になりかけている。

『大抗争』の戦いの中か、あるいはこの混乱の中でかはわからないが、前団長が死に、そのまま繰り上がりで彼女が団長となったのだろう。

『仲間の命を預かる』。暗黒期の、とりわけこの情勢の中で、団長の責務はあまりにも重い。

 そして聡いアスフィはその重みを十二分に理解し、自分には無理だと嘆いているのだ。

【ロキ•ファミリア】団長のフィンのように振る舞うなど、いまだに少女と呼んで差し支えない彼女には土台無理な話なのだ。

 

「私は、私は……っ」

 

 今にも過呼吸に陥りかねない彼女の様子に、リオンとアーディが声をかけようとした間際、二人を制する形で虎人(ワータイガー)のファルガーがアスフィの前に出ると、がっしりと彼女の両肩を掴んだ。

 

「聞け、アスフィ。俺はお前が誰よりも団長に向いていると思う」

 

「……ッ!」

 

 彼の言葉にアスフィが顔を上げた。今にも泣き出しそうなその顔には【万能者(ペルセウス)】としての面影はなく、一人の悩める少女としての涙が浮かんでいる。

 だが、それでもファルガーは声を張り上げた。彼女が折れてしまえばファミリアが終わる。前団長と主神が託したものが無意味になってしまう。

 

「お前は誰よりも『苦労人』だ!だがその『苦労』は『今、自分が何をしなければならないのか』わかってしまうからだ!正確に『今』を見極められるからだ!」

 

「!!」

 

 その言葉にアスフィはハッと、僅かに目を見開いた。

 かつてとある酒場で交わした約束が頭をよぎる。冗談だと受け取ったものが、鮮明に蘇る。

 

『──でも、キミならできる。誰よりも苦労している(・・・・・・)キミは、ぴったりだよ』

 

 リディスはそう言って笑っていた。無邪気な子供のようでいて、けれど不思議と大人げて見える笑顔を浮かべていた。

 

(──団長(リディス)

 

 閉じた瞼の裏に、あの時と同じ笑みを浮かべながら『頑張れ』と言わんばかりに手を振っている彼女の姿が見えた。

 

「自信を持て!自分を否定するな!お前の状況を見る能力は、【勇者(ブレイバー)】にだって負けちゃいない!」

 

 胸に灯った炎を、ファルガーの声が後押しする。

 自分には足りないものが多すぎる。

 自分ではできない事も多すぎる。

 だが、自分にしかできない事もたくさんあるのだ。

 

「アンドロメダ」

 

「アスフィ」

 

 今はファミリアの同胞だけでなく、頼れる友人達だっていてくれる。

 アスフィはゆっくりと瞼をあげた。今するべきは嘆く事ではなく、前団長が託した遺志を──巡ってきた想いを継ぐ事だ。

 

「……依頼された通りに敵の首魁捜索と並行して物資の調達を。食料、装備、なんていい」

 

 深い呼吸を経て、口を開く。

 先程までの泣き出しそうな顔はなくなり、代わりにあるのは凛然としたものとなっていた。

 彼女の変化に【ヘルメス・ファミリア】の面々は笑みを浮かべ、リオンとアーディもまた顔を見合わせて笑みを浮かべた。

 

「敵は都市を包囲するため、一度制圧した中央広場(セントラルパーク)以南から撤退した。悪魔が配置されているとは思いますが、今のうちに繁華街を中心に物資を収拾します。これが命綱になる」

 

 彼女の指示は来る反撃に向けた『貯蓄』。ただですら民衆の為になけなしの物資を切り崩しているのだ。少しでも補給物資を確保しなければ、その反撃の前にこちらが潰れてしまう。

 その為には多少の危険を犯しても物資を取りにいかなければならない。

 

「護衛は必須です。四人一組(フォーマンセル)を徹底させてください」

 

「了解!皆に伝えてきます!」

 

 調子を取り戻した、いやこれまで以上に力強い彼女の声に、伝令役の団員も喜びを隠す事なく駆け出していく。

 アスフィはその背を見送ると、リオンとアーディに目を向けた。

 

「情けないところを見せてしまいましたね」

 

「ううん。かっこよかったよ」

 

「ええ。私達では貴方のように振る舞えません」

 

 友人二人に苦笑混じりに告げた言葉に返されるのは、それぞれよ励ましの言葉だった。

 アーディは団長としてのアスフィの姿に姉を重ね、リオンはアリーゼとは違う団長のあり方に感心する。同時にそんなそれぞれの団長の指示を無視して飛び出してきた事への罪悪感が胸を締め付けた。

 いや、一応グレイの所在を確かめるのは大事な事ではある。ガレスもそう言っていた。

 

「私はこのまま二人と行動します。ファルガーはセインと共に小隊を率いてください」

 

「ああ、任せろ!」

 

 彼女の指示を受けたファルガーは打てば響くような声色でもって返事をすると、駆け出していく。

 

「行きましょう、二人とも!」

 

「うん!」

 

「ええ!」

 

 そんなファルガーとは逆方向に向け、三人は走り出した。

 自分達がすべき事をなす為に。都市を覆う絶望を覆す為に。いずれ来る反撃の時に備える為に。

 

 

 

 

 

 オラリアの地下に広がる下水道。

 複雑に入り組み、もはやその構造を完璧に把握している者だといない人口の地下水路、その片隅が闇派閥(イヴィルス)の本拠地であった。

 いまだに先日の勝利と今日まで続く混沌の熱気に狂う闇派閥(イヴィルス)の喧騒から遠く離れた地下水路の端の端。

 僅かに反響してくる彼らの鬨の声をBGMにご機嫌そうに鼻歌を歌っているのは、何かの薬品をフラスコや試験管で混ぜ合わせ、その色の変化や発光の具合を確かめているヴァニタスだ。

 そんな彼の背後には壁から伸びる鎖で繋がれ、腕に採血用の管を差し込まれたアストレアの姿があった。

 管が伸びる先には大きな盃が置かれ、ポツポツと女神の神血(イコル)が溜められていた。

 その顔色は色白を通り越して青くなり、紫に染まった唇は呼吸の度に痙攣を繰り返していた。

 普段から着ている汚れを知らぬ白布も傷つき痛み、ところどころに黒い汚れがへばりついてしまっており、神聖さの欠片もない。

 ヴァニタスに攫われてから四日。最低限の休みはあれど、ほぼぶっ通しで血を抜かれ続けた彼女は文字通りの失血状態。

 血を溜める盃も、果たして何杯目なのかも意識が混濁しているアストレアにはわからなかった。

 

「神の血と悪魔の血。やはり反発してしまいますね。全く、エレボス様をはじめ邪神の皆様の血はここまで反発しないのですが……」

 

 ヴァニタスは神血を盃から試験管に移し、事前に試験管に注いでいた悪魔の血と混ぜ合わせるが、結果は大量の蒸気を噴き出しながらの対消滅。ついでに発生した超高温に試験管の底が溶けてしまった。

 エレボスの血でも蒸発はするが、試験管が溶けるほどの熱量は発生しない。やはり司る権能によって、悪魔と神ではある種の相性があるのだろう。

 

「ですが、やはりこの世界は──いいえ、迷宮(ダンジョン)は面白い。あそこ由来の素材を組み合わせれば……」

 

 彼は溶けた試験管をゴミ箱に叩き込むと、今度は怪しげな鉱石や魔物(モンスター)の鱗や爪の粉末を悪魔の血入りの試験管に流し込み、かき混ぜて馴染ませる。

 そこに神血を注げば神威を宿した紅の光が溢れ出し、カビ臭い部屋を紅く染め上げた。

 ヴァニタスがこの三日一睡もする事なく行った実験は、とりあえずの成功を収めていた。

 神と悪魔。反発しあう二つの存在を繋ぎ合わせる為に迷宮(ダンジョン)怪物(モンスター)由来の素材を大量に使い、こうして問題なく混ぜ合わせる事が可能になった。

 後はこれで『神の恩恵』が刻まれるかどうかだが、それに関してはすぐにでもわかるのだから問題ない。

 

「できれば神の血をより高い純度で受け取りたかったのですが、下手をすれば私が死にかねない。それでは駄目です、私には果たさねばならない約定があるので」

 

「約、定……?」

 

 彼の嘆息混じりの独白に、アストレアが思わず問いかけた。

 項垂れていた顔を持ち上げ、陰った瞳で見上げる中、ヴァニタスは女神を見下ろしながら口角を吊り上げた。

 

「ええ。今は眠りについている我が主との約定。いつか来る復活の日に、あの男(・・・)を殺しえる力を持つ配下を揃える」

 

「そして私がその配下の筆頭たる事を!あの薄汚れた反逆者などではなく、この私が!決して裏切らぬ忠臣たる私が!今度こそあのお方の右腕となる事を……!」

 

 ヴァニタスは一人熱のこもった声音でそう告げた。

 その声には強烈な嫉妬と怨嗟が入り混じり、血走る瞳には魔力的な輝きが宿る。

 そして彼は、その感情のままに手に持っていた試験管を握り潰した。

 ガラスの割れる乾いた音と共に中身の神と悪魔の血や化合物が手のひらにぶちまけられ、彼の手に紅く発光する液体がへばりつくが、それは彼の身を焼くことなく、むしろ祝福するように彼の手に染み込んでいく。

 手のひらから血管を沿うように神聖文字と悪魔の紋様が入り混じる紅い印が刻まれる。

 それはさながら『神の恩恵(ファルナ)』にも似て、彼にアストレアの祝福を与えている事は明白だった。

 現にアストレアも、ヴァニタスと何かしらの繋がりができた事を知覚していた。それこそ、新たな眷属を迎え入れた時と同じようなものを。

 ヴァニタスはそんなアストレアが向ける怯えと後悔の視線を無視し、全身から魔力を溢れさせた。

 噴き出した魔力が部屋を揺らし、実験器具が音を立てて震え、砕け散っていく。

 

「閉じられた可能性を開く鍵。なるほど、確かにこれは面白い」

 

 ヴァニタスは紅い印の刻まれた右手を開閉し、具合を確かめながら口角を吊り上げた。

 迷宮由来の素材を混ぜた低純度の神の血による『紛いの恩恵』は、効果は微々たるものではあるが確かに体の奥底から力が漲ってくる。

 神が英雄を生み出さんとするこの儀式は、いくつかの工程を挟めば悪魔にさえも力を与えてくれる事が証明された。血を浴びたのが少々興奮しすぎた結果の事故だとしても、最悪腕を落とせば死にはしないのだから安いものだ。人間とは違い、腕を生やす事など容易い。

 今ならあの男にも──いやまだ足りない。低く見積もっても世界を滅ぼせる程度の力がなければ、勝負にすらならない。

 ヴァニタスは全能感のままに脳裏を過った愚策を理性でもって捩じ伏せ、アストレアに目を向けた。

 

「感謝します、正義の女神よ。これで我ら悪魔はより高次の存在へとなれる」

 

 恭しく一礼し、屈託ない感謝の言葉を女神に告げるが、彼女はただ陰った瞳でヴァニタスを睨みつけるだけだ。

 言葉もなく、神威さえもなく、ただの零能たる女の視線にヴァニタスは肩を竦め、「しかし、気をつけなければ」と顎に手を当てた。

 

「『神の恩恵』は与えた神が『送還』されると封じられてしまいますし、頼りすぎても身を滅ぼしてしまう。けれど、貴方には他にもご協力を頼みたい事もありますし……」

 

 顎に手を当てたままちらりとアストレアに目を向けたヴァニタスは、すぐに次の計画が思いついたのか笑みを浮かべた。

 

「ならば、後はより強い格の神を──大神とまで呼ばれる神の血を採取しましょう。狙うべきはこの都市を作り出したという創造神ウラノスでしょうか。ギルド本部の地下、祈祷の間なる場所に鎮座しているようですし、探す手間もかからない」

 

 楽しみですねぇとご機嫌そうにそう告げた彼はパン!と手を叩いた。

 

「私は犬ではないのですが」

 

 それを合図に部屋の影からぬっと姿を現したのは、不機嫌そうに目を細めるステラだ。

 緋色の瞳は弱りきった女神に向けられ、ほんの僅かな同情と好奇の色が混ざっていた。

 不運な実験動物への憐憫と、己を次の階位(レベル)へと持ち上げる道具を見るかのようなそれは、女神を女神として見ていない事は確かであった。

 

「彼女を牢屋へ。まだ使い道がありますから、死なせないように」

 

「女神の血をくださらないのですか?」

 

「貴方にはウラノスの血を使った完全版をあげますよ。楽しみにしていなさい」

 

「わかりました。行きましょうか、女神アストレア」

 

 ヴァニタスの言葉にステラは僅かに残念そうに眉を曲げながら応じると左手に握る鞘に手を伸ばし、抜刀。残像さえも残さない一閃が女神を縛る鎖を断ち切った。

 支える物を失い、床に倒れ込むアストレア。その拍子に腕に刺さっていた採血用の管も抜け、鋭い痛みに小さく喘ぐ。

 そのままステラは彼女の髪を掴んで無理やり立ち上がらせると、青ざめた首筋に手刀を当てて意識を刈り取った。

 もはや抵抗する力も残されていないが、念の為だ。本気の神威をゼロ距離で浴びれば痛痒(ダメージ)はなくとも体調不良になりかねない。

 そうした憂いを絶ったステラはアストレアを肩に担いだ。体勢の都合上、肩の辺りに感じる極上の柔らかさに不満そうに目を細め、自身の胸元に視線を落として「こんな脂肪の塊のどこがいいのです……?」と怪訝そうな声を漏らす。

 

「では、父様。また後ほど」

 

「ええ。また」

 

 彼女を担いで部屋を後にするステラを横目に、ヴァニタスは己の右腕に目を向けた。

 神聖文字の意味はその内解読するとして、実際力が漲ってくるのは悪魔が『神の血』を受けたせいなのだろうか。

 本来なら単に『成長をしやすくする促進剤』程度のもののそれは、浴びただけで即日強くなれるような万能な物ではない。やはり神と悪魔、相反する存在の交わりがある種の不具合(バグ)を起こしているのか。

 

「低級の悪魔にも使いましょうか。戦力増強と、対神威効果を確認しなければなりませんし」

 

 だが本来の目的は下級の悪魔達が神威に当てられて動きが鈍るという、悪魔にあるまじき恐怖を克服する事だ。一応、腕に印が着いてからはアストレアへの嫌悪感は和らぎ、むしろ心地よさにも似たものを感じたように思えるが。

 

「『神の恩恵』。なるほど、これは面白い」

 

 自分の右腕を見つめながら、くつくつと喉の奥を震わせて笑うヴァニタス。

 側から見ればあまりにも奇妙なその姿はあまり他人に見せられるようなものではないが、不幸なことに目撃者がいた。

 

「嬉しそうだね、ヴァニタスちゃん」

 

「おや。これはこれはタナトス様、何かご用ですか?」

 

 部屋の入り口から投げられた声にヴァニタスは胡乱げな視線を向け、一応の敬意を込めた声色で問いかけた。

 扉に寄りかかり、何やら陰のある笑みを浮かべているのは長身で、濃紫色の長い髪を持ち、容姿端麗でありながらも陰鬱な風貌の男神だった。

 闇派閥(イヴィルス)を構成する邪神の一柱、死を司る神──タナトス。司る事象が事象の為か、悪魔達からも嫌悪感を抱かれない生粋の邪神である。

 タナトスはヴァニタスの問いかけに「用、ね」と何度も頷きながらぼそりと呟くと、全身から神威を滲ませながら彼を睨みつけた。

 

「君達、ちょっと好き勝手やりすぎじゃないかな?」

 

「はて、何のことやら。私どもは邪神の皆様との契約に従い、闇派閥(イヴィルス)に従属しているのですが」

 

 タナトスの本気の憤怒が込められた糾弾の声を軽く受け流し、ヴァニタスは肩を竦めた。

 

「『我ら悪魔は神エレボスの真名の下に闇派閥(イヴィルス)の行為に加担する。報酬として地上におけるあらゆる殺戮の自由を保証する』。我々はその契約の下、指示通りに暴れているだけですよ」

 

 そして半年ほど前にエレボスの結んだ契約を口に出しながら、「ああ、それと」と意図して言い忘れただろう些事を口にした。

 

「『殺すのはいいが、天へと還る魂には手を出さない事』。これもその契約の一部でしたね」

 

 それを口に出した瞬間、タナトスが放つ圧力が一層強まったのを感じた。

 真っ当な人間であれば──いいや、例え豪傑を謳われる英雄だろうとひれ伏す強烈な神威を前に、ヴァニタスは怯まない。

 タナトスは『死』を司る神である都合上、そういった『死者の魂の浄化』や『転生』に対して独特の美学を持っている節がある神だ。

 死して天へと還った人類(こども)の魂が浄化され、漂白される光景を何よりも美しいものと尊ぶ。

 故に更なる死を。何よりも美しいものをより多く見る為に、世界を混沌で包み、破滅を振り撒かんとする、やはり邪悪なる死の神なのだ。

 そんなタナトスの逆鱗に触れるような事をした覚えは、ヴァニタスにはない。目的は違えど道程はほぼ同じ。殺すのはこちらでやるから、死者の魂を愛でるなど勝手にやっていて欲しいだけなのだが。

 

「先程からどうしたというのです?何か気に触る事でもあったのですか?」

 

「数が合わないんだよ」

 

「は?」

 

「一応、これでも『死』を司ってるからさ、死んだ魂がどこに行くのか何となくだけど感じるわけさ。だから、わかっちゃうんだよ」

 

 タナトスはヴァニタスに近づくと、見開いた瞳で彼を睨みつけた。

 鼻先が触れ合いかねない至近距離にある、憤怒に染まる死の神の視線を前にしてもヴァニタスは欠片も動じない。

 どうせ何もできない、脅すことしかできない零能たる神に何を怯える必要がある。──まあ、先程までならアストレアの神威に脂汗を滲ませてはいたが、その時の自分より強くなったのだから問題ない。

 

「君達さ、本当に魂が抜けた死体だけ使ってる?」

 

「まさかとは思うけど、魂を食い尽くして(・・・・・・・)から、その死体を使ってるとか言わないよね?」

 

「別に物理的に殺すのは構わない。肉体が死なないと魂も何もないからね。でも、魂を喰ったりはしてないよね?契約、ちゃんと守れてる?」

 

 タナトスの無感情、無機質な声がヴァニタスの耳朶を撫でた。

 怒り過ぎてしまったのか、一周回って虚無の表情さえも浮かべるタナトスの声に、ヴァニタスは溜め息を吐いた。

 

「同胞達には契約の厳守を厳命しておりますよ。ええ、こちらも言い過ぎて喉が不調になる程度には何度も指示を出し、隷属の魔術まで使い、頭に刷り込みました」

 

 神威を滲ませるタナトスの瞳を覗き込みながら、苦笑混じりにそう告げたヴァニタス。タナトスは相変わらず彼を睨み続け、発言に嘘はない事を神の権能でもって理解すると「そっか」と笑みを浮かべた。

 ポンポンと肩を叩き、「疑ってごめんね〜」と気の抜けた謝罪と共に踵を返し、そのまま部屋を後にした。

 部屋から遠ざかる足音を聞きながら、ヴァニタスは手頃な机に腰を預け、手で口元を隠しながら忍び笑いをこぼす。

 

「ええ、間違いなく私は指示を出しましたとも。まあ、全員が指示を聞くかは別問題ですが(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 悪魔は強者こそが絶対的な正義となる。基本的に強き悪魔の指示には従うが、あるものは主人を出し抜く力を求め、あるものは指示を理解する知性もない故に、時折指示を無視する個体もいるにはいるのだ。

 そして一部のそういった制御不能に陥った好ましい個体(・・・・・・)が増え始め、徒党を組んで好き勝手やり始めたらしい。

 

「悪魔らしくて、私は好きですよ。ええ、我らはもっと強くならねばなりません。どんな手を使おうとも、ね」

 

 ヴァニタスの独白が、静寂に包まれた部屋の中に静かに消えていくのだった。

 

 

 

 

 

「絶対嘘ついてるよね、あれ」

 

 ヴァニタスの研究室を後にしたタナトスは顎に手をやりながら、声色に凄まじい怒気を込めながらそう呟いた。

 いや、神の前では嘘をつけないのは悪魔でも同じ──の筈だ。

 おそらく、部下の悪魔達にあれこれ指示を出したという話は本当ではあるが、それをすり抜けている悪魔達の行動を黙認しているのが正しいのだろう。

 それならば先程の問答では一応嘘は言っていない。真実は口にしてはいないが。

 

「どうしようかな。どうにかするにしても、それはそれで闇派閥(イヴィルス)への裏切りだと思われそうだし、オレの眷属じゃそもそも勝ち目ないし……」

 

 悪魔に魂まで喰われてしまえば、おそらく魂は天界ではなく無へと還る。『転生』にも異常をきたすどころか、できない可能性まであるのだ。

 天界にいる文字通り何でもできる神連中なら、ほんの一欠片でも残っていれば上手い事拾い上げてくれるだろうが……。

 

「今回ばかりは目先の『未知』に飛びつき過ぎちゃったかな」

 

 ぽりぽりと頰を掻きながらタナトスは溜め息を吐いた。

 ヴァニタスとステラはエレボスがどこからか連れてきた相手だ。悪魔なる種族だと聞いた時は驚きながらもとっておきの『未知』に胸を躍らせたものだ。

 だが、今あるのは強烈なまでの後悔。このままでは闇派閥(イヴィルス)はヴァニタスに乗っ取られ、地上から人類(こども)の魂すら駆逐される可能性もある。

 

(それだけは嫌だ。それじゃあ、オレがこんな面倒な事をしている意味がなくなる)

 

 地上で数十年、あるいは数百年かけてドロドロに汚れた魂が、純粋無垢な純白の魂になる瞬間の美しさ。天界に帰った後にそれをもっと楽しめるように、地上に地獄を顕現させるつもりだったのに、このままではそれすらもできなくなりそうだ。

 ならばどうするか。それとなくヴァニタスの計画を妨害するのが好ましいが、霊能たる自分にそんな事はできないし、眷属達もヴァニタスの前では赤子も同然。

 オラリオ側の誰かと接触すれば話は早いが、邪神として要注意神物(ブラックリスト)入りしている自分など、見つかり次第捕まるに決まっている。

 オラリオの情勢に極めて無知でありながら、闇派閥(イヴィルス)と極めて敵対的な人物。そんな都合のいい相手がいるわけ──。

 

「──いるじゃん。とっておきの『未知』の塊が」

 

 タナトスは怪しげでありながら無邪気な子供のように笑いながら、誰にも告げる事なく闇派閥(イヴィルス)拠点(アジト)から出ていくのだった。

 

「…………」

 

 柱の影からそんな自分の背を睨む大悪魔(マルコシアス)の視線にも気付く事もなく。

 

 

 




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