ダンジョンに訳ありデビルハンターがいるのは間違っているだろうか   作:EGO

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Mission24 竜鎧の悪魔

 風に吹かれ、雲が厚みを失い始めていた。

 空は相変わらずの灰色のまま、けれどもしかしたら黄昏の色が見えるのかもしれない。

 だがそんな事を考える素振りさえも見せないグレイは、瓦礫の海の真ん中で足を止めた。

 戦闘があったのだろう。まだ新しい焦げ痕や、まだ湿り気を帯びた血痕が残されている。

 負傷したのは闇派閥(イヴィルス)か、あるいは味方の誰かか。出血量から見て重症なのは間違いない。敵ならそのまま死んでおけ、味方なら助かる事を祈るだけだ。

 勝敗の結果はともかく、ここで何かがあった。グレイは周囲を見渡し、鼻をひくつかせて臭いを探り、五感を研ぎ澄ませる。

 

「……ッ!そこだな」

 

 大気の揺らぎ、それに乗る魔力の残滓、そして神威。

 その発生源は、地獄と化したオラリオにおいていっそ不気味なまでに原型を留めている教会だった。

 天井に穴が空き、壁にヒビが入り、廃墟然とした雰囲気はあるが、そこから魔力と神威が滲み出ている。それもどちらも覚えがある、探し求めていた相手のものだ。

 神が地上にいる時代に神に祈る場所である教会があるのは意外ではあるが、あれを建てた誰かの想いなどグレイにはわからない。

 だが、何かに縋らないと生きられない誰かがいたのだろう事は、今日まで残っているという事はあれを大切にしていた誰かがいたという事は、わかる。

 

(──まあ、そんな事はどうだっていい)

 

 そして、そんな誰かの想いを足蹴にする程度には今のグレイに余裕はない。

 教会の正面。閉じられた両開きと思しき(かし)の木の扉。古びたそれを、グレイは何の躊躇もなく蹴り破った(・・・・・)

 扉は一瞬にして大小様々な木片へと成り果て、破片は散弾の如く教会内に飛び散る。

 その破片に混ざり、教会内に転がり込んだ瞬間、

 

「──いきなり何してくれてんですか、貴方は」

 

 出迎えたのは球状に歪んだ空間と、その内側で弾けた十の斬撃だった。

 

「づっ……!!」

 

 全身を切り刻まれ、鮮血と共に鱗の破片を飛ばしながら片膝をつくグレイ。

 奥に向かうほど下に下がる劇場(シアター)を思わせる形状をした教会内。その最奥で、柱と一体化している女神像の前で静かな激憤に眉を歪め、刀を手をかけていたステラを、グレイは睨みつけた。

 膝を着きながら見下ろす者と、仁王立ちながら見上げる者。二人の悪魔の視線が絡まり、戦意が膨れ上がっていく。

 グレイは長剣を杖代わりに立ち上がり、ステラは再び不可避の斬撃を放たんと構えた。

 

「この教会をこれ以上壊したくはありません。やるのなら、外に出ましょうか」

 

 グレイの一挙手一投足に警戒しながら告げた言葉に、グレイは怪訝そうにしながらもこの狭い場所でやるよりはマシかと割り切り、応じようとした。

 その瞬間。

 

「兄妹水入らずの時間を邪魔して悪いが、俺の話を聞いて欲しいな」

 

 横合いから響いてきた声にステラは鬱陶しそうに横目を向け、グレイは弾かれるように視線を向けた。

 何本もの柱が並ぶ側廊の暗がり。そこからゆっくりと姿を現すのは、都市を覆う絶望の化身──『絶対悪』、邪神エレボス。

 不敵な笑みを崩さない邪神はグレイに目を向け、旧友に挨拶するように軽く右手を挙げた。

 

「やあ、迷える悪魔くん。二、三質問をしたいのだが、いいだろうか」

 

「テメェと話す事なんかねぇよ。ヴァニタスは、アストレアはどこにいる……っ!」

 

「こっちの質問には答えてくれないのなら、君の質問に答える義理はないな。ならこうしよう、君が俺の問いに俺が求める答えをくれたのなら、俺も君の問いに答えよう。これは取引だ、神と悪魔の間、我が真名において執り行う厳正なものだ。嘘偽りはないと誓おう」

 

 額に青筋を浮かべ、血の混ざった唾を吐きながらの激昂の声を、エレボスは軽く受け流し、一つの提案を彼に告げた。

 神と悪魔の問答。エレボスが真名を賭けた以上、嘘偽りは赦されない。

 グレイの胸中に迷いが生じた。確かにここでエレボスとの取引に応じれば、求めていた情報が手に入る。

 だがステラがいる以上、何事もなく終わる事もありえない。情報を手に入れ、エレボスとの問答が終わった瞬間にゴングが鳴る。今の自分に、ステラを倒す力はあるのだろうか。

 いや、エレボスの提案を受けようが拒もうがステラとの戦闘は不可避だ。ならば最低でも情報が手に入る邪神の提案を受けるのはむしろ得なのでは。

 

(くそっ、こういうのは苦手なんだよ……!)

 

 グレイは悪魔との斬りあいに技術のほとんどが注がれている。言葉での戦いや腹の探り合いなど専門外だ。

 無意識に口を噤み、言葉を無くすグレイの様子を肯定と受け取ったのか、エレボスは「では質問させてもらおう」と改めて口を動かした。

 

「──今の君は『人間』か『悪魔』、一体どっちだい」

 

 いつかに言われた言葉と似た問いかけにグレイは即答しようとするが、その瞬間に口が動きを止めた。

 

『いつまで人間のフリをしている(・・・・・・・・・・)つもりだ。いい加減、本気になったらどうだ』

 

『そんな姿で人間であると騙るつもりですか』

 

『心臓を貫かれて生きている人間がいますか?体に鱗を生やした人間がいますか?──いいえ、いるわけがない!』

 

『貴方は、血も涙もない悪魔よ……!』

 

『──グレイ。貴方も悪魔、なのよね……?』

 

 脳裏を過るのは自らに向けられた『覇者』の、ヴァニタスの、民衆の、そして女神の言葉だった。

 グレイを今までを否定し、彼が何者であるかを突きつけ、彼の胸に深々と突き刺さった言葉の刃が、そのまま心臓を抉ってくる。

 自分の体を見下ろす。鱗に包まれ、歪な光沢と魔力光を放つ、人間のそれではない肉体がそこにはあった。

 彼らの言うとおりだ。今さら否定する意味もない。何よりこの迷いはもう断ち切った筈だ。悩む必要もない。

 

「────」

 

 息を吸い込み、エレボスに答えを告げんとした時だった。

 

『確かに貴方は悪魔かもしれません』

 

 一人の妖精の声が、吐き出しかけた彼の言葉を止めた。

 多くを失い、正義に迷い、それでも誰かのために戦える正義の妖精の姿が脳裏によぎった。

 くだらないと、関係ないと切り捨てる事は容易いだろう。なのに、今の自分にはそれができなかった。

 

『──ありがとう。私を助けてくれて、街の人達の為に戦ってくれて』

 

『私からも感謝を。貴方がいたから、私はまだ生きています』

 

 代わりに湧いてくるのはほんの数分前、自分なんかに感謝してくれたアーディとアスフィの言葉と、照れくさそうにする二人の顔だった。

 悪魔になろうとしている──いいや事実悪魔である自分に、感謝なんぞした二人の笑顔だった。

 

『──貴方は尊敬に値する『ヒューマン』だと、私は思います』

 

「……リオン」

 

 ぼそりと妖精の名を口にした事に、果たしてグレイ自身が気づいていただろうか。

 怪物に成り果てんとする自分を、それでも人間だと言ってくれた妖精の温もりは、僅かながら手に残っている。

 グレイは拳を握り、苦渋に満ちた声で呟いた。

 

「わからねぇ」

 

「……?なんだ、てっきりもう決まっていると思ったんだが」

 

 彼の返答に首を傾げたエレボスは心底不思議そうにそう返すと、僅かに困ったような表情を浮かべ、そして次の瞬間には冷徹な笑みを浮かべた。

 

「『悪』を追求するのは簡単だぞ?極論『気持ちいい』ことを突き詰めればいい」

 

 突然己が思う『悪』について語り始めたエレボスにグレイと、そしてステラも揃って困惑する中、男神はそんな二人に構う事なく言葉を続けた。

 

「利己的で、他者にとっては不利益であり、憎まれるもの。それはある一線を越えれば『悪』と呼ばれ、排除の対象になる」

 

 ──だが、『悪』は自由だ。

 

『悪』に規則(ルール)はない。秩序もない。『正義』の名の下に行われる善行を、『正義』に縛られる者達の行動を嘲笑い、真正面から否定する。

 エレボスは不気味にせせら笑いながら、両腕を広げた。

 

「悪魔である君にはわかる筈だ。他者を踏み躙る快感、他者を不幸のどん底に突き通す快感。己の欲望のままに行動し、好き勝手に生きる『自由』の快感が」

 

「どうしてそれを享受しない。なぜ自ら人に縛られる。君は強く、何より正義を行う義理もない(・・・・・・・・・・)。何を迷い、苦しんでいる」

 

「楽になれよ、グレイ。アストレアだって、街の連中だって、誰も気にしやしないさ」

 

 それは誘惑だった。勧誘でもあった。エレボスはグレイというオラリオにおける最高戦力をこちらに引き込まんとしていたのだ。それこそタナトスと同じように。

 力をちらつかせ、事実上の眷属にせんとしたのがタナトス。ただ好きにやれと彼の背中を押し、首輪を外そうとしているのがエレボス。違いがあるとすればただそれだけだ。

 好きなように生きて、好きに暴れて、気の向くままその日を生きる。確かにそんな事ができたら楽だろうが──。

 

「…………?」

 

 その時、グレイの脳裏によぎった男の姿があった。

 毎日食っちゃ寝を繰り返し、依頼が来たら暴れ、やる気のない日は本当に何もしない。ある意味で自分が知る中で誰よりも自由な男が、だらしなく椅子に寄りかかる姿が、鮮明に頭を過ぎったのだ。

 誰よりも強いあの人は、誰よりも自由だ。時には警察の世話になり、時には大勢に迷惑をかけ、時にはかけられながら、毎日を気ままに過ごしている。

 エレボスは『悪』とは『自由』と言ったが、あの人は『自由』ではあるが『悪』ではない。ただ『最強』ではあるだろう。

 あの人にあって自分にはないもの。『自由』だけではないだろうが、それを手に入れれば少しは強くなれるのだろうか。

 グレイが何かを思い出し、そして熟考し始めた様子を横目に、エレボスは肩を竦め、彼の意識をこちらに引き戻すようにパン!と手を叩いた。

 ハッとしてエレボスに意識を向けたグレイに、男神は笑みを向けた。

 

「さて。何かにたどり着いたようだし、答えを──」

 

 改めてエレボスがグレイに何者であるかを問いかけんとした瞬間、衝撃が三人の元に届いた。

 

「「「!」」」

 

 三人は揃って音と震動の発生源である教会の外に目を向けた。

 

「爆発……?」

 

「まったく、いいところで」

 

「……ここをこれ以上壊されたら困るのですが」

 

 怪訝な顔をするグレイ。

 横槍に心底鬱陶しそうに嘆息するエレボス。

 教会に火の粉がかからないか、それだけを心配するステラ。

 三者三様の反応をする中、割れたステンドグラスの奥には、空への伸びる煙が上がっていた。

 

 

 

 

 

「アッシュウォルドさん、一体どこに……!?」

 

 リオン、アーディ、アスフィの三人は走っていた。

 グレイを追いかけていた筈なのに、もはや理不尽なまでの|身体能力(ステータス》の差であっさりと撒かれ、こっちに行った筈だと直感に従って走る事しかできないからだ。

 道の端に転がる真新しい悪魔の死骸や、冒険者達の目撃情報など、一応は彼の残した痕跡はあれど、やはり追いつくには根本的な速度が足りない。

 

「それにしても、グレイは何を言いかけたんだろ?」

 

「それを聞くためにも彼を追いかけているのです!舌噛みますよ!」

 

 全速力で走りながらアーディが呟いた問いかけは、アスフィの生真面目な叱咤の声に遮られた。

 グレイは割と必死になって『お前らを──』と言いかけていた。何を言おうとしたのか。もう少し付き合いが長ければわかったのだろうか。

 

「とにかく探さなければ!邪神が彼を狙っている事は確実なのですから!」

 

 後ろから聞こえる二人の声に返したリオンは、物影から飛びかかってきたライアットを両断すると共に周囲を見渡した。

 だがいない。見つからない。ここまで来て痕跡さえもなくなり、彼を追う手掛かりがなくなってしまったのだ。

 

「この辺りにいるのは間違いない。なら、どこに……っ」

 

 彼が見つからない焦燥が彼女を追い詰める中、グレイ達が感じたものと同じ衝撃が三人の意識を同じ方向に向けた。

 耳を聾する轟音。次いで押し寄せる人々の悲鳴。

 舞い上がる砂塵と舞い散る火の粉を目にした三人は、すぐさま走り出して爆心地へと急行する。

 

「──弱り果てた獲物を前に、何を臆することがある!?」

 

 彼女らの耳に届くのは『悪』の男の叫び声だった。

 恐怖に引き攣り、怯え、それでも悪逆の限りを尽くさんと己を鼓舞する哀れな悪役の、精一杯の強がりの声だった。

 砂塵の奥から姿を現したのは、部下を引き連れたオリヴァスだ。グレイに細切れにされ、肩までしかなくなった腕を押さえながら、血走った瞳で群衆を睨む。

 

「私が、いいや私達が破壊をもたらしてやる……っ!ヴァニタス、貴様が手伝うと言ったのだ、手を貸せ!」

 

「ええ、ええ。言われずとも、お貸ししますとも。せっかく手に入れたのです。この力、試しておきませんと」

 

 そしてぎょろりと目玉を動かして視線を後ろに向ければ、砂塵の中から悠々と姿を現す者がいた。

 魔力により背中に貼り付いた大剣。右手にはアストレアからの『恩恵』を意味する紅の印。

 灰色の髪を後ろに流しながら、片眼鏡(モノクル)の位置を直す。

 神となり、神を越えんとする悪魔──ヴァニタス。闇派閥(イヴィルス)最高戦力の一人が、オラリオにトドメを刺さんと姿を現したのだ。

 そして彼に付き従う形で姿を見せたのは、ヴァニタスと同様の紅い印が刻まれたライアットやケイオスをはじめとした悪魔達だ。

 下級の悪魔とはいえ、アストレアの『恩恵』を与えられ、身体能力が爆増した彼らの脅威度は中級か、あるいは上級の悪魔にも匹敵するか。

 

「いい実験になります。さあ、我慢の必要はありません我が同胞達よ!」

 

 ヴァニタスの号令に悪魔達が一斉に吼え、逃げ惑う群衆に向けて走り出す。

 ただですら人間のそれを凌駕する敏捷性は更に強化され、残像さえも残す速度に達する。

 その爪が、その牙が、人間の血を浴びんとしたその瞬間、間一髪のところで割り込む影があった。

 甲高い音と共に爪が弾かれ、牙が折られ、悪魔達が一斉に飛び退いていく。

 

「ほう。てっきり八号が来ると思いましたが、貴方がたでしたか」

 

 突然の乱入者に感心した様子を見せたヴァニタスは、爪を弾かれて警戒しているライアットの頭を撫でてやりながら瞳を細めた。

 

「ヴァニタス……っ!アストレア様はどこにいる!?」

 

 そんな彼に剣の鋒を向けたリオンは、胸に封じていた激情のままに叫んだ。

 敬愛する女神を攫った悪魔。

 グレイの過去を知る悪魔。

 グレイを復讐に縛りつける悪魔。

 そして、グレイを悪魔でいる事を強いる悪魔。

 倒さねばならない。勝てなくとも、少しでも誰かに繋がる一手を打たなければならない。

 激憤に燃えるアーディも構えた。アスフィも様々な道具が仕込まれた皮嚢(ホルスター)に手を触れながら身構える。

 臨戦態勢となった三人の姿にヴァニタスは肩を竦め、「女神のことですか?さあ、どこでしょうね」と彼女を嘲笑う。

 そんな文字通りこちらを煽るヴァニタスに、リオンが踊りかからんとした瞬間だった。

 

「俺達もいるぞ!」

 

 そして三人の早すぎる登場に狼狽える闇派閥(イヴィルス)の隊列の横っ腹に喰らいついたのは、ファルガーをはじめとした【ヘルメス・ファミリア】と、近くに警邏していた冒険者の一団だった。

「おや」と彼らの登場に驚くヴァニタスだが、すぐに嗜虐の笑みを浮かべた。

 

「増援。と言っても数は多くない。足手纏いの群衆の方が遥かに多く、頭数もこちらが上。どこまでできるのか、見ものですね」

 

 彼の指摘はもっともだった。

 ギルドの要請に応じずに中央に向かわなかった民衆。冒険者達を追い詰める鎖。彼らが守らねばならない弱者。

 

「民衆を狙いなさい。そうすれば勝手に彼らは消耗します」

 

「民衆の護りを固めてください!増援が到着するまで、何が何でも凌ぎきります!」

 

 ヴァニタスとアスフィの指示が出たのはほぼ同時。

 冒険者と悪魔達、そして闇派閥(イヴィルス)が動き出すのもほぼ同時。

 両陣営の衝突が起きたのは、その直後であった。

 

 

 

 

 

「ヴァニタス……ッ!」

 

 ステンドグラスの向こうで始まった大乱戦に、グレイは表情を険しくさせた。

 闇派閥(イヴィルス)を指揮する男の姿を認め、すぐに教会を飛び出そうとするグレイだが、直後に指を弾く音が彼の耳に届いた。

 直後、教会内を包み込むように赤い結界が生み出され、扉に向かって駆け出したグレイは顔面から結界に突っ込む形となり、鼻が潰れる湿った音と共に崩れ落ちた。

 

「エレボス様との話の途中です。しばらく待機を」

 

「ざっけんな!あいつが俺達に何をしたのか、忘れたわけじゃねぇだろ!?」

 

 結界の外側(・・)。女神像に寄りかかりながら嘆息したステラに、グレイは激昂した。

 

「私達を産み出した。それだけは感謝するべきでは?」

 

 それでもステラの冷徹な視線は変わらない。いっそ何言ってんだこいつと言わんばかりの視線を彼に向け、首を傾げた。

 無言のまま額に青筋を浮かべたグレイに目を向けながら、ステラはエレボスの方を手で示す。

 ステラ同様に結界の外側にいる邪神は顎に手をやりながら何かを思慮した様子を見せた。

 

「オリヴァスヴァニタスか。まったく、しばらく大人しくしていろと言ったばかりなんだが……まあいいか。これはいい余興になる」

 

 幹部と、彼を唆しただろう悪魔の姿に溜め息を吐いたエレボスは、すぐに唇を愉快げに釣り上げた。

 

「ステラ、周辺一帯を守れ。ザルドと、可能ならマルコシアスも呼んで、あの戦場への増援を許すな」

 

「……?貴方の意図はわかりませんが、承知しました。別に私一人でも構いませんが」

 

「君は強い。だが君は一人しかいない。あまり無理をするな」

 

 邪神の指示に応じつつ、僅かな不満を露わにしたステラだが、続けて放たれた心配の言葉に溜め息を吐く。

 

「結界がある限り、兄様はここから動けません。話す分には問題ありませんが、万が一もあるのでお気をつけて」

 

「なんだ、心配してくれるのか?意外に優しいじゃないか」

 

 そして何かあればさっさと逃げろと告げながら教会を後にしようとするステラの背中に、エレボスはニヒルな笑みを浮かべながら言葉を投げるが、

 

「……腕が落ちたくらいで『送還』されるのか、気になっているんですよね」

 

 不意に足を止めた少女は振り向きざま、絶対零度の殺意を邪神に浴びせた。

 これ以上機嫌を損ねれば、神だろうが殺すという絶対の意志が込められたそれは、流石のエレボスも冷や汗を流すほど。

 降参するように両手を挙げながら、「悪かった。冗談だ」と一応の謝罪の言葉を口にした。

 その言葉に不満げに鼻を鳴らしたステラは今度こそ教会を出ていき、邪神と悪魔だけがその場に残される。

 どうにか結界を破ろうと拳を振るい、刃を振るうグレイの背中にエレボスが告げた。

 

原初の幽冥(エレボス)の名において命じる。動くな(・・・)

 

「──ッ!」

 

 真名を告げると共に解き放たれた凄まじいまでの神威にグレイはその動きを止め、壊れた絡繰人形のようにぎこちない動きで振り向き、頬に脂汗を垂らし、僅かに瞳が揺らいだ。

 神威に当てられただけで露骨に怯え始めたグレイの滑稽さを笑いながら、エレボスは告げる。

 

「──一緒にあの地獄を観賞しようじゃないか。君がどっちなのか、答えが出るかもしれない」

 

 

 

 

 

 冒険者達と闇派閥(イヴィルス)、悪魔連合軍の戦闘は、まさに冒険者達の防戦一方といった様子だった。

 ギルドの指示に応じずに避難せず、結果この襲撃に巻き込まれた民衆があまりにも多すぎるのだ。彼らを守りながら立ち回る冒険者達の動きは悪く、悪魔と闇派閥(イヴィルス)の攻勢を押し返す事ができない。

 時には民衆をわざと狙い、傷つける事で冒険者達の激昂を誘い、冷静さを奪い、その隙に確実に命を刈り取りにくる。

 悪魔が鮮血を浴びながら歓喜の咆哮をあげ、直後悪魔が切り開いた隊列の隙間に闇派閥(イヴィルス)兵士が飛び込み、すかさず自爆。

 隊列の穴を塞ごうとした冒険者と、逃げ遅れた民衆を纏めて吹き飛ばす。

 

「逃げ惑う民衆を『餌』に……っ!非道な!」

 

 闇派閥(イヴィルス)の兵士を切り払い、紅い印の刻まれたライアットの挟撃を避けながらリオンは吐き捨てた。

 己の命を勘定を入れていない、ただ『道連れ』のみを狙った戦術。

 有象無象の一般兵では冒険者の相手にならないと理解しているのだろう。故の『自爆』。故の『道連れ』。人道の欠片もない戦術ではあるが、確かに効果は絶大だった。

 次々と巻き起こる爆発。斃れる冒険者、火だるまになる民衆。悪魔の咆哮、邪悪の嘲笑。

 

「やぁ!このっ!キリがない……っ!」

 

「援軍はまだ来ないのですか……!?いや、まさか何者かが妨害を!?」

 

 アーディも踏ん張ってくれている。アスフィがあまりにも遅い増援の到着に、最悪の事態を想定する。

 ファルガー達も頑張ってくれている。名も知らぬ冒険者達も、文字通り命を投げうって戦っている。

 だが、状況が好転しない。次の瞬間には背中を任せていた冒険者が斃れていく。

 

「くそっ……!」

 

 飛びかかる悪魔を切り払い、返り血に頬を汚しながらリオンは悪態を吐いた。

 直後に地面を揺らした震動と衝撃、そして響き渡る悲鳴に振り向いた瞬間。

 

「よそ見とは、随分と余裕ではないですか」

 

 自身の死角、つまり後方から上機嫌に跳ねるような声音の男の声が浴びせられた。

 弾かれるように振り向き、剣を振るうのはほぼ同時。けれど次の瞬間には彼女の体はくの字に曲がり、宙を舞っていた。

 

「が……っ!?」

 

 肺の空気と共に血を吐き出しながら冒険者達や民衆とは逆方向に飛ばされ、地面に転がる。

 

「軽く撫でるだけのつもりでしたが、少し加減を間違えましたか」

 

 そんな彼女を無感動に見下ろすのは顔の前で紅い印が施された拳を開閉させ、具合を確かめるのはヴァニタスだ。

 

「ぉえ……っ!っ……!ぅ゛ぅ゛……!」

 

 腹を押さえ、何度もえづきながらも何とか立ち上がるリオンだが、その膝は震え、その体は今にも崩れ落ちそうだ。

 

「リオン!?」

 

「すぐに援護を!」

 

「くそっ!」

 

 アーディが叫び、アスフィが駆け出し、ファルガーが彼女の道を切り開くべく大剣を振るう。

 悪魔と闇派閥(イヴィルス)を纏めて蹴散らすも、彼が敵を倒すよりも増援の到着の方が早い。

 誰もリオンの元にたどり着けない。敵の壁を越えられない。

 故に彼女の元に真っ先にたどり着くのが敵である事は道理であった。

 

「正義の眷属(どれい)。いえ、今の私にはアストレアの『恩恵』が刻まれている。『神の血』を分けた兄妹のようなものですか。彼女を使った実験は、どれも刺激的で興奮するものでした」

 

「……き、さまぁ……!」

 

 腕の印を──手の甲に刻まれた剣と翼の紋様を見せつけながら告げられた言葉に、リオンの表情は憤怒に染まる。

 女神を道具としか見ていない悪魔の言葉と、女神に行われただろう悍ましい行為を止められなかった己に怒りを向ける。

 

「けれど流石は『正義』を司る女神といったところでした。何をしても悲鳴の一つをあげはしない。まあ、聞くに耐えない金切り声など聞いていて不愉快はだけではありますが」

 

「ですが。あの柔肌を傷つけ、血を流させるのはなかなかどうして興奮しましたねぇ。近づくだけでも怖気が止まらないというのに、その怖気を放つ相手が何の抵抗もできずにただ震えるばかり。血を流し、青ざめ、死に瀕する女神の姿、貴方にも見せたかった」

 

「っ……!あああ!!!」

 

 重ねられる女神への陵辱の言葉と、嗜虐に歪んだ笑み。

 ついに怒りの限界を越えたリオンは獣の如き叫びと共にヴァニタスに斬りかかるが、軽く振るわれた手刀がその刃を砕いた。

 

「────」

 

 リオンの意識に介入する空白。それから復活する直前、右の頬に衝撃が駆け抜け、華奢な体が前に崩れる。

 遅れて駆け抜ける激痛と熱に喘ぐ間もなく、彼女の膝が地面に着くよりも速く、ヴァニタスの乱打(ラッシュ)がリオンの体を打ち抜いていく。

 

「ぐっ!がぁ……!ぅ、あぁ!?」

 

『技も駆け引き』も通用しない。あまりにも隔絶した身体能力(ステータス)が、リオンの肉体を破壊していく。

 必死の防戦も、離脱も、切り札たる魔法の使用さえも許されない圧倒的暴力による制圧。

 花弁のように鮮血が舞い、肉を潰し、骨を砕く異音が周囲に響き渡る。

 

「やはり弱いですね。そんなだから、主神一柱も守れないのですよ」

 

 そしてリオンが血を流しながら呻くだけの肉人形に成り果てた頃、ヴァニタスはそんな彼女を見下ろしながらそう告げた。

 腫れ上がった頬。歪に折れ曲がった手足。美しい金の髪も、今は血に汚れて赤黒く染まっていた。

 それでも辛うじて息があるのは、実験中のヴァニタスが加減をしていた事と、彼女の背中に刻まれたアストレアの『恩恵』によるものだろう。

 だが、彼女の命の刻限が迫っている事は間違いようのない事実だった。

 

「そんなっ、酷い……!」

 

「お、俺達が逃げ遅れたせいで……っ?」

 

 文字通り死に瀕する妖精の姿に、竦み上がる民衆は思わず口を塞いだ。

 女も、男も、ギルドや冒険者の指示を聞かず、都市中央に避難しなかった者達だ。その中には【アストレア・ファミリア】に石を投げた者も含まれていた。

 

「そぉぉぉぉだ!貴様等のせいで、いや貴様等のおかげで、ここにいる冒険者どもは死ぬ!」

 

 その様子にオリヴァスは歓喜に打ち震えながら口端を引き裂き、興奮のままに身を踊らせた。

 

「いつの時代も勇敢な者から死んでいく!それは勇者の背には常に愚者がいたからだ!」

 

「無力!無知!暗愚!戦う力を持たぬ者ども!戦う者の足枷となり、その背に刃を突き立てる愚者どもが!」

 

 当事者になろうとしない者。

 目の前の事象を対岸の火事のようにしか見ない者。

 己の安全だけを案じる者。

 残念なことにそれが人だ。誰もが強いわけではない。そんな彼らを守らんとする『正義』さえも否定するのは、それもまた人なのだ。

 

「無惨に捨てられ、蔑まれ、最後は朽ち果てる!それこそが『正義』の末路!私が最も絶頂を感じる瞬間だ!!」

 

 恍惚に頬を染め、下衆な笑みを浮かべ、高笑いを打ち上げる。

 それに言い返す者はいない。冒険者達にそんな余裕はなく、立ち尽くす民衆もまたオリヴァスの言葉の証明に一役買ってしまったのだから。

 そして、憎むべき闇派閥(イヴィルス)に無意識のうちに協力(・・)してしまった民衆に降りかかるのは、強烈なまでの後悔だった。

 

「いいぞ、実にいい!その顔、その絶望、我が主神が望む負の連鎖!オラリオ崩壊の序曲!」

 

 そしてそれはオリヴァスをますます助長させた。

 顔に貼り付けた恍惚の笑みをそのままに、彼は踊るような足取りでヴァニタスの下へ。

 

「ヴァニタス、代われ!その妖精は私が殺す!その首を掲げ、絶望の象徴にしてやるわ!」

 

 天啓を得たと言わんばかりにはしゃぎ回るオリヴァスの姿に、流石のヴァニタスも辟易した様子を見せ、場所を譲った。

 オリヴァスは歯を剥き出しにした笑みを浮かべ、見開いた目玉をギョロリと回し、リオンの首を落とさんと剣を抜き、断頭人の如く刃を振り上げる。

 

「もう、どいて……!リオンが……っ!」

 

「敵の壁を崩さない!このままでは……ッ!」

 

「畜生!退けぇぇぇええええ!!」

 

 アーディも、アスフィも、ファルガーも、誰も彼女の下にたどり着けない。手が届かない。

 リオンも逃げる余力など残っていない。血で赤く染まった空色の瞳でオリヴァスを見上げ、血の泡を吐きながらもごもごと口を動かす。

 その音が何を意味するのか、それは彼女にしかわからない。命乞いか、あるいは負け惜しみか、オリヴァスは前者と受け取ったのか、より一層醜悪な笑みを深めた。

 

「──死ね!」

 

 刃が振り下ろされる。アーディが彼女の名を叫ぶ、アスフィが言葉をなくす。誰かが悲鳴をあげた。

 リオンはただ見ていた。振り下ろされる刃を。そこに映る死にかけの自分を。

 無念だった。女神も救えず、アリーゼ達と別れもできずに死ぬことが。グレイに何の恩返しもできなかったことが。

 

「──グレイ……」

 

 ごめんなさいと、声にならない声で呟いた。

 オリヴァスは嗤い、ヴァニタスがことの成り行きを見守る中、その声が戦場に響き渡った。

 

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 地を蹴ったのは太い足。轟いたのは恐怖に引き攣った雄叫び。

 それでもなおその影は翻り、疾走した。

 彼がそこにたどり着いたのは、その瞬間に間に合ったのは奇跡か、神の気紛れか、あるいは単なる偶然か。

 

「……えっ?」

 

「んな!?」

 

「おや」

 

 リオンの呟きが口から漏れた。

 オリヴァスの驚倒の声が喉から吐き出された。

 ヴァニタスが対して興味のない事象を見るように、無関心の表情で声を漏らした。

 オリヴァスが振り下ろした刃はリオンを捉える事はなかった。放心する彼女は守られていた。目の前に立ちはだかり、オリヴァスの刃を受け止めた暴漢の男に。

 

「づぅぅぅ…………!」

 

 男は苦悶の声と共に、膝をついた。

 男は神の眷属ではない。もちろん冒険者でもない。神の眷属ですらない。

 いつかのあの日、グレイ達の前で窃盗を働き、結果彼らに赦されただけのただの男。

 戦いの心得などない、ただの小悪党だった筈の男の行動に、リオンとオリヴァスの時が止まる。

 

「さす、が、上級冒険者の鎧だな、くそっ……死ぬほど痛ぇ……っ!」

 

 両膝をつき、それでも笑いながら触れるのは、小悪党には不釣り合いな上等な鎧。過去に冒険者から盗み出し、自衛のためと着込んでいたそれは、オリヴァスが隻腕である事を相まって、彼の一撃を辛うじてだが防ぐことに成功したのだ。

 だが、その代償にオリヴァスの刃を受け止めた肩部装甲(ショルダーアーマー)は肩の骨ごと砕かれ、腕をあげることさえもできなくなっていた。

 

「あの人、何で!?」

 

 アーディの驚倒の声は、リオンの心中を代弁していた。なぜ、どうして、と疑問が湧き出し、だが言葉にすることができない。

 男は痛む肩を押さえ、全身に大量の脂汗を滲ませ、肩を喘がせながら、言葉を紡ぐ。

 

「……あの日、あのガキに言われた事を……ずっと考えててよ……」

 

「最善を、尽くしたのかとか……ガキどもばっかに命張らす、とか……いい身分とか、散々言われてよ……」

 

 それは過去、グレイがとある避難所で群衆に投げかけた言葉だった。

 彼の偽らざる本音。強者ゆえの傲慢と言えばそれまでだが、正論でもあった言葉の刃。男はその場にいて、あの言葉を聞いていたのだ。

 

「へへ、ざまあみろってんだ……。俺だって、こんくらいやりゃ、できるんだ……っ」

 

 それは男の意地でもあった。言われっぱなしで終わるものかと、子供ばかりに背負わせるものかと、非力な男が見せた精一杯の意地だった。

 

「俺にだって、ガキの一人助けるくらい……わけねぇ……」

 

 それは強がりだった。明滅する意識の中で、それでも笑いながら悪魔に見せつけた『人間の強さ』だった。

 それは勇気と呼ぶのも烏滸がましい蛮勇。

 それは少年が求めていた答えの、その一端。

 

「……なん、だよ……簡単じゃねぇか、くそ……」

 

 誰かを想い、己を投げ打って誰かを救わんとする。利己的な悪魔にはない『誰かを想う心』に突き動かされた結果の行動。

 そこに誇りなんてものはないかもしれない。実際にはそんな清い心なんてものはないかもしれない。

 だが、それでも教会から一部始終を見ていた少年の目には、その男の背中に尊敬する師の背が重なっていた。

 全く似ていないどころか性別以外に共通点などないはずなのに、師匠はどうだ見たかと言わんばかりにこちらに振り向き、歯を剥き出しにして子供のように笑ってくる。

 少年はそんな師の幻影に笑い返した。人間も捨てたもんじゃないと、彼らを見捨てようとした過去の自分を自嘲し、師匠が言っていた『強さ』を知れた喜びのままに。

 邪神も笑った。答えを得た少年を祝福するように。

 少年は走り出した。行手を阻む結界を突き破り(・・・・)

 

「くだらん。纏めて死ね!」

 

 男の献身を鼻で笑ったオリヴァスは男諸共にリオンを殺さんと、再び刃を振り上げた。

 リオンが目を見張り、男は覚悟を決めてオリヴァスを睨みつけた。

 どうせ死ぬのだ。どうせならもう一度受け止めて、少しでも時間を稼いでやろうじゃないか。

 そうすれば、あのガキだって納得してくれるだろう。

 刃が振り下ろされる。男は来る衝撃に目を瞑り、リオンは逃げてと声にならない叫びをあげた。

 その時、風が吹いた。戦場の中にあって不釣り合いなほど、優しくも力強い風が、冒険者達の頬を撫でていった。

 直後、リオンの目の前で血の花が咲いた。混沌とする戦場においても、一際目立つ巨大で、いっそ可憐なまでの紅の花が。

 リオンは見ていた、その瞬間を。

 男もまた、頬に貼り付いた生暖かい液体の感触に低い悲鳴を漏らし、肩を跳ねさせた。

 

「……あ、あれ?い、痛くねえ……?」

 

 だが、備えていた痛みがない。先程砕かれた肩が痛いのは仕方がないが、追撃が全く来ないのだ。

 男は恐る恐る目を開け、次の瞬間には情けのない悲鳴をあげた。

 刃を振り上げ、まさに自分を殺そうとしていた男の姿がそこにはあった。正確には上半身を失い(・・・・・・)、ただ噴水の如く血を噴き出すだけの肉塊となったオリヴァスの亡骸が、そこにはあった。

 殺された事も知覚できていなかったのだろう。地面を踏み締める足はそのままに、腰から上が空間ごと抉り取られたように、消失していたのだ。

 何が起きたのか、誰がやったのか、敵も味方も状況を理解できていない中、声が響いた。

 

「随分、遠回りをしちまった」

 

 声に導かれるがまま、冒険者も民衆も闇派閥(イヴィルス)も悪魔も、皆一様に振り向いた。

 風に揺れる灰色の髪。靡く漆黒のマント。ひび割れ、歪んだ長剣は灰色と蒼が入り混じる魔力光を放ち、光に照らされる表情は俯いているため窺えない。

 だが、それでも纏う雰囲気と魔力の質が変わっていることに、短い付き合いながらに交流のあった者達は気づく。

 ヴァニタスもまた目ざとくそれに気づき、背の大剣に手をかけながら怪訝な表情を浮かべた。

 戦場に静寂が訪れた。その場にいる全ての者が動きを止め、ただ一人に意識を向けていた。

 

「力が欲しいだなんだと喚いておきながら、一番大切なものを見失っちまってた」

 

 額に手をやり、少年は嘆いた。

 師匠達の背中を見て一体何を学んだのだと。師匠達の言葉から何を受け取ったのだと。

 ヴァニタスばかりに目を向けて、何を自分がなぜ剣を取ったのかを忘れているのだと。

 

「ステラが昔の方が強いとか言うわけだよ、クソッタレが」

 

 少年の独白は続く。誰も止めようともしない。いや、できない。ただ放たれる圧倒的なまでの魔力と迫力(プレッシャー)に、動く事を赦されない。

 少年は頭を掻き、ため息を吐いた。

 ヴァニタスへの恨みは当然ある。だがそれ以上に彼の心を突き動かすのはたった一つの単純な想いだった。

 

「あの日は意志だけがあって、今は力だけがあって。……そりゃ負けるよな」

 

 幼い頃、無意味な実験で命を浪費される兄弟姉妹を救うべく剣を取り、力がない故に敗れ、誰の手が届かない場所に捨てられた。

 数日前のあの日、ただヴァニタスを殺したいがために剣を振るい、背負うものがない故に敗れ、今日まで道に迷った。

 

 なら、今は──?

 

 エレボス曰く、『気持ちいい』を極まることは『悪』だという。『自由』に振る舞う事は『悪』だという。

 なら『悪魔』らしく彼の言葉に従おう。『自由』に、最高に『気持ちいい』と思える事をしよう。

 そして『人間』らしく、誰かのために剣を取ろう。自分がまだ未熟で、幼く、悪魔らしさも人間らしさも知らないまま、無意識の内にそうしたように。

 それがヴァニタスのいう欠陥だとしても、胸を張って笑い飛ばしてやろう。

 

 ──『悪魔』の肉体に、『人間』の魂を。

 

 その者が何者であるかを決めるのは肉体か、魂か。それは無知であるグレイにはわからない。だが、どちらだとしてもやれる事は変わらない。

 グレイは顔を上げ、ヴァニタスに目を向けた。

 色褪せた瞳の奥に宿るのは絶大な魔力と、それに勝るとも劣らない意志の力。

 その瞳に、彼の姿に、憎き男の姿が重なった。

 

「────ッ!ダンテェェェエエエエエエ!!!!」

 

 ヴァニタスは咆哮をあげ、大剣を抜き払うと共にグレイへと肉薄した。

 地面を爆砕し、残像で尾を引きながら、彼の存在を否定せんと突貫した。

 そんな男を、少年は鼻で笑った。

 

「はっ!間違えてんじゃねえよ、クズ野郎!」

 

 そして走り出した。地面を蹴り出し、長剣を振り上げた。

 二人の間合いは瞬時に縮まり、互いを捉えた。瞬間、二人の剛閃が交錯した。

 響き渡る甲高い金属音。そして都市を揺るがし、天へと届く衝撃。

 民衆が悲鳴をあげ、冒険者達と闇派閥(イヴィルス)が呻き、悪魔達が恐怖するように騒ぎ立てる中、二人の競り合いは始まった。

 交差する刃が赤熱し、踏ん張る足が地面を砕き、めり込んでいく中で、驚愕に目を見開くのはヴァニタス。笑ったのはグレイだった。

 状況はあの日、商館での遭遇戦と同じ。いや、女神より『恩恵』を受けた自分の強さは増し、グレイを更に突き放した筈なのに、押し切れない。むしろ押し返される。

 長剣のヒビが広がってなお、グレイは下がる事をしない。

 むしろ過剰なまでの魔力を込めているのだろう。刃は悲鳴をあげ、今まさに砕け散ろうとしていた。

 同時にその刃の奥で、また別の何かが蠢いている気配すらもあった。

 

「るああああああああああ!!!!」

 

 それでもグレイが喉が割れんばかりの咆哮と共に長剣を振り抜いた。

 ヴァニタスの体は蹴られた石のように弾き飛ばされ、瓦礫の山に突っ込んでいく。

 刃を振り向いたグレイと、瓦礫の山に埋もれたヴァニタスを砂塵が包み、二人の姿を覆い隠す。

 先に砂塵を切り裂いたのはヴァニタスだった。魔力を放出する事で瓦礫の山諸共に砂塵を吹き飛ばし、僅かな焦りを感じさせる顔を曝け出す。

 

「貴様、何者だ……っ!?」

 

 それは無意識に出た問いかけだった。

 彼の知るグレイにはこんな力はない。成長性やなかった筈だ。あったとしたら、欠陥品として捨てるわけがない。

 自身の計算ミスか、あるいは姿形を彼に寄せた別人なのか、その問いには様々な思惑が込められていたが、少年は笑い飛ばした。

 

「俺か?俺はオクトー・ストラトス!テメェが作り出した『ストラトスシリーズ』の第八号!あれこれするうちに勝手に見切りつけられた挙句、魔界の僻地に捨てられた哀れな悪魔だよ!」

 

 彼の名乗りと同時に吹いた風に乗り、彼を包む砂塵が晴れた。

 湧き出る魔力に当てられて逆立つ灰色の髪。

 色褪せ、それでもなお強靭な意志を秘めた瞳。

 体の節々を覆う漆黒の鱗。その隙間からは人間のそれではない魔力の煌めきを放ち続けていた。

 姿に変わりはない。だが、何より変わったのは彼の得物。

 飾り気のない無骨な長剣は、いつの間にか姿を変えていた。

 柄には骸骨の意匠が浮かび上がり、そこに埋め込まれていた水晶は大口を開けたそれに噛みつかれていた。

 刀身からもヒビが消え失せ、そのまま一回りは大きくなっている。

 もはや長剣ではなく極端にデフォルメした大剣とも呼べるそれは、刃渡りだけでもグレイの半身を優に越える。

 両刃(もろは)の刀身は分厚く重厚でいて、不吉な輝きと鋭さを宿し、敵対者に死の運命を予感させる。

 ぞわりと背筋を震わせたのはヴァニタスだ。あり得ない、あり得るはずがないと、目の前の光景を否定するように首を振った。

 

「封印を解いた……!?馬鹿な、どうやって……!」

 

 彼が持つ長剣だったものは、その危険性からヴァニタスが直々に封印を施したものだ。

 封印を施してなおグレイの魔力と共鳴し、彼を主人と認め、彼を捨てた翌日には彼を追いかけて消えてしまった業物ではあった。

 ヴァニタスが悲願達成には不可欠の道具。盗難や反乱に備え、ほとんどの機能を封じていたというのに、その封印が解かれてしまった。

 ヴァニタスの頬を冷や汗が流れる。あの剣はまずい。正確には水晶に込められた破片の力が引き出されるのが、まずい。

 そんな彼の焦燥など構わず、グレイは大剣を肩に担ぎながら口を動かした。

 

「ただ番号呼びってのも品がねえ。師匠には悪いが別に変えちまっても問題ねえだろうし……」

 

「同胞達よ、奴を殺しなさい!」

 

 顎に手をやり、何やら思案する様子を見せるグレイを指差しながら、ヴァニタスは叫んでいた。

 悪魔達は群れを束ねる長の名に従い、一斉に彼に向けて走り出し、踊りかかる。

 上から、下から、右から左から、前から、後ろから。

 

「グレイ!」

 

 アーディが彼の名を呼んだ。彼は「やっぱその名前がしっくりくるな」と彼女に笑みを向け、直後悪魔の群れの中へと沈んでいった。

 彼の笑みが悪魔の群れに飲み込まれた直後、赤黒い血飛沫と共に悪魔達の体が宙を舞った。

 細切れにされ、空中で腑をぶちまけながら、肉片と鮮血が雨のように降り注ぐ。

 

「ウォームアップにもならねえんだよッ!!」

 

 群れの中から響くのはグレイの叫び。そしてザクザクと何かを切り刻む音と共に、悪魔達は断末の叫びをあげ、空中に放り出されていく。

 剣の重さなど欠片も感じさせない圧倒的なまでの速度。そして技の冴え。

 一度に数匹の首を刈るのは当然。腹を捌くのは当然。振りきられた刃は止まる事を知らず、流れるように次の動作へと移行する。

 それはまさに蹂躙であった。『戦いは量より質』とされる神時代において、グレイはまさにその言葉を体現していた。

 文字通りの一騎当千。息一つ切らす事なく、彼は確実に、無駄なく、悪魔を鏖殺していく。

 そして一分もかからずに数十匹いた悪魔を殺し尽くし、文字通り屍を山を築いた彼は大剣を地面に突き立て、返り血で赤く染まった顔を拭いながらヴァニタスに告げた。

 

「俺はグレイ。グレイ・ストラトス(・・・・・)!」

 

 語られた名前は、ある意味で彼のケジメでもあった。

 師匠から貰った名前を無駄にしたくない。師匠から贈られた、数少ないものの一つだから。

 かと言って兄弟姉妹と同じラストネームも捨てたくない。彼らが生きた証、彼らが生まれた証、そして自分が悪魔である証の名前を、もう捨てる事も目を背ける事もないからだ。

 人間として与えられた名と、悪魔として付けられた記号。その二つを組み合わせ、本当の意味で彼の名前がようやく完成した。

 

「忘れんなよ、ヴァニタス。今からテメェを殺す悪魔狩人(デビルハンター)の名前だ」

 

「舐めるな、欠陥品風情が」

 

 大剣の鋒を向け、静かに告げられた言葉にヴァニタスは青筋を浮かべた。

 悪魔らしくない。いいや、悪魔失格であるグレイから下に見られるなど言語道断。今すぐに首を落とし、その命を刈り取ってやらねば気が済まない。

 ヴァニタスから向けられる殺意を浴びながら、グレイはリオンと彼女を護った勇敢な男に目を向けた。

 

「すぐに治療師(ヒーラー)の所に連れて行ってやる。だから、それまで死ぬなよ」

 

「お、おう!やっちまえ、クソガキ!」

 

 割と本気で心配しながら投げかけた声に、男の調子のいい声が返される。

 思わず苦笑するグレイの耳に、掠れ、今にも消えてしまいそうな声が届いた。

 

「……グレ、イ……」

 

 瀕死のリオンがどうにか地面に手をつき、僅かに体を起こしながら彼に目を向けた。

 

「できる、だけ……早く……お願い、します……」

 

 そして彼女の口から出た我儘にグレイは「任せろ」と笑った。

 そのやり取りを最後にグレイは二人から視線を外し、大剣を構えるヴァニタスに目を向けた。

 得物の不利は消えた。力の不利も、覚悟の不利ももうない。

 なら勝てる。いいや勝つ。人類を守るためなんて大きな事は言わないが、友を守るため、何より師匠の『正義』が無駄ではないと証明するために、勝たねばならない。

 過去(復讐)に囚われるのも、過去(後ろ)ばかり見るのはもう辞めだ。今を生きる人達を守ろう。(未来)を見よう。自分が何者であるかなど関係ない。

 ただ、それだけでよかったのだ。かつての自分に戻る必要などない、今の自分からほんの少しだけ変わればそれで良かったのだ。

 

「決着だ、ヴァニタス」

 

「いいでしょう。引導を渡してあげますよ、欠陥品風情が」

 

 二人の魔力が膨れ上がる。それぞれの得物から魔力が迸る。全身の細胞が、一瞬にして作り替えられていく。

 二人の瞳孔が牙の如く歪み、瞳を魔力の輝きが包み込む。

 

「「──『デビルトリガー』」」

 

 二人の宣言と同時に、物理的な破壊力を伴う魔力の爆発が都市を大きく揺るがした。

 その場にいる全ての者の視界を塗り潰した閃光は、けれどほんの一瞬だった。

 閃光が止まり、冒険者や民衆の視界が回復すると同時にばさりと羽ばたく音と共に飛翔したのは、純白の影だった。

 穢れを知らぬ純白の翼に、神々しいまでの光を放つ純白の大剣。

 同色の鎧を着込んでいるようにも見えるその姿は、さながら天使のようでさえあった。

 だが、あれこそがヴァニタスの真の姿。人への擬態をやめ、悪魔としての本性を剥き出しにした姿だと、垂れ流されるドス黒い魔力が証明している。

 そんな醜い天使を見上げるのは、漆黒の影だった。

 鱗に包まれ、翼膜を備えた翼を大きく広げて閃光を振り払い、姿を現したのは竜を模した鎧を纏う戦士の姿だった。

 全身を覆う鱗は漆黒の色に統一され、その上からより硬い防御力を秘めた分厚い鱗が幾重にも折り重なり、それがさながら鎧のようになっているのだ。

 胸を中心に広がる亀裂から灰色の魔力光が溢れ出し、鱗の隙間や血管に沿って全身を循環していく。

 額から後ろに向けて伸びる一対の角は短く、竜の威厳というのものが致命的に欠ける。

 だが、その赤玉の瞳に宿る意志の強さは何者にも負けてはいない。

 ヴァニタスが天使なら、グレイは竜騎士だろうか。神がいて、モンスターもいて、悪魔さえも介入してきたこの世界において、天使が人類を滅ぼす敵で、竜が人類の守り手とはあまりにも皮肉なものだ。

 

『もう誰も死なせない』

 

 デビルトリガーの影響か、酷くくぐもった声でグレイは告げた。

 翼を広げ、冒険者を民衆を背にしながら、彼もまた飛翔する。

 

『今度こそ、守ってみせる!』

 

『無駄です。どんなに足掻いたところで、あの日と同じ結果になるだけですよ、八号!』

 

 グレイは己の信念を貫き通す為、ヴァニタスはそんな彼を否定する為、二人は空中で激突する。

 直後、凄まじい衝撃と魔力の奔流が、オラリオを揺るがし、天を貫いた。

 

 

 

 

 

 




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