ダンジョンに訳ありデビルハンターがいるのは間違っているだろうか   作:EGO

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Mission26 希望よ灯れ

 その場に集う全ての者の視線が、そこに集まっていた。

 砕けかけた市壁の根元。傾いた西日も当たらない影の中に斃れるヴァニタスの死体から飛び出した『ナニカ』。

 太さは大人の腕ほど、長さは一M(メドル)にも満たない。

 血に濡れた黒い外殻はグレイに刻まれ、リオンに砕かれた為か歪に歪み、出血を続けていた。

 それは血痕を残しながら壁を這い回り、ガチガチと歯を慣らしながらぎょろりと見開かれた単眼をグレイとリオンに向けた。

 

『八、号……正義の、眷属(どれい)……赦さ、ん……』

 

 地の底から響いてくるようなおどろおどろしい声と、身の毛もよだつ殺気に民衆が背筋を震わせる中、グレイは小首を傾げた。

 

「何だありゃ。人面ムカデか?気色悪りぃな」

 

「人の目は二つです。人面というには些か異形が過ぎるかと。……一つ目のムカデなのは、否定しませんが」

 

 彼の言葉にリオンがツッコミを入れ、相変わらず壁を這っている巨大なムカデを見上げた。

 ギチギチと音を立てて節足を忙しなく動かし、触覚が揺れる。何かを探すように壁を這い回るその姿は、本物のムカデのよう。

 顔にあたる部分に目玉と人のそれに近い口があるのが、嫌悪感を加速させるが。

 

「「…………」」

 

 相変わらず睨まれるグレイとリオンは無言で顔を見合わせ、他の冒険者達も警戒はしつつも怪訝な顔を浮かべていた。

 ヴァニタスの死体から飛び出してきた巨大ムカデ。警戒すべき相手なのは間違いないのだが、先程まで放っていた悪魔特有の迫力というものを感じず、何より壁を這うばかりで何もしてこない。

 そんな冒険者とグレイの間で緩んだ空気を察してか、はぁと溜め息を吐いたのはステラだ。

 彼女は闇派閥(イヴィルス)の戦闘員の生き残りの首根っこを掴むと、壁を這うムカデに向かって歩み出す。

 彼女が行動を開始した事で再び空気が張り詰めるが、彼女はそんな中を戦闘員を引き摺りながら横断していく。

 

「ス、ステラ様!?な、何をするおつもりですか!?な、なぜ私だけを!?」

 

 騒ぎ立てる戦闘員の声は男のものだ。手足を振り回して逃れようとしているか、ステラとの隔絶した身体能力(ステータス)差でそれも叶わない。

 

「父様。今はこの身体で我慢してください」

 

 そしてヴァニタスの死体の脇までたどり着いたステラは戦闘員を巨大ムカデに向けて差し出した。

 

『背に、腹は変えられ……ない、ですね。脆弱な、人の身に入らねば……ならない、とは……一生の不覚……っ』

 

 巨大ムカデは喉を揺らして不満を隠そうともしない声音でそう呟くと、かさかさと音を立てて市壁を降っていく。

 

「は?え、ま、待って、待ってください!ステラ様、一体何を!?」

 

 戦闘員は何か駄目なことが起きると直感したのだろう。語気を強めながらステラに向けて問いを投げるが、彼女は相変わらずの無表情のまま口を噤んだ。

 巨大ムカデは醜悪な笑みを浮かべながら戦闘員の体に飛び移り、そのまま頭に向けて這い上がっていく。

 

「〜〜〜!!」

 

 文字通り巨大な虫が体を這い回る不快感に悲鳴をあげる戦闘員は、ムカデを払い落とさんと腕を動かすが、先んじて動いたステラがその肘を掴み、関節を外す。

 ゴキャ!と嫌な音を立てながら両腕はだらりと下がり、抵抗の術を封じられた戦闘員は痛みと恐怖に涙を流す。

 

「……ッ」

 

 悪寒を感じたのは何も闇派閥(イヴィルス)の戦闘員だけではない。グレイもまた嫌な事が起こると直感し、その場を駆け出そうとするが、

 

「動かないでください、兄様」

 

 そんな彼をステラが制した。

 

「動けばこの場にいる全ての者を殺します。万全ならともかく、今の消耗した貴方では私には勝てませんよ」

 

 刀の鯉口を切りながら告げた言葉は真実だった。

 文字通り覚醒し、真の悪魔狩人(デビルハンター)となったグレイであればステラが相手であればこの場にいる冒険者と民衆が逃げる時間を稼ぐ事は容易だ。だがそれは万全であればという話。ヴァニタスとの戦いで消耗した彼では、三分も時間を稼げない。

 グレイが苦虫を噛み潰したような表情で舌を弾くと、ついに巨大ムカデが戦闘員の頭に到着。

 触角を触手のように操って無理やり口をこじ開け、そこに頭から入り込んでいった。

 

「ごっ……!ぉげ……!?」

 

 ごりゅごりゅと音を立てて戦闘員の体内に侵入していく巨大ムカデ。

 そしてついに尾の末端まで入り込んだ瞬間、ステラは拘束を解いた。

 

「────っ!?──っ!……──!?!」

 

 解放された途端に地面に倒れ、のたうち回る戦闘員。

 目が飛び出んばかりに瞠目しながら、皮膚を裂き血管を引きちぎる程の力で喉を掻きむしり始める。

 鮮血が舞う。男の悲鳴がこだまする。やがて全身の骨が軋み、肉がかき回され、破れる生々しい異音が響き始めた。

 肉体が崩壊し、同時に再構築されていく。魂が砕け、霞へと消えていく。

 白濁のローブが余す事なく赤く染まり、靴や脚衣(ズボン)が血を吐き出しながら破け、吸いきれなかった血が水溜まりとなって彼の足元を汚していく。

 

「居候。あれは、何が起きている……」

 

「俺だってわかんねえよ」

 

 輝夜が刀を構えながら警戒し、一瞥もくれずに投げてきた問いかけに、グレイもまた彼女には目を向けずに返す。

 ヴァニタスは斃した、それは間違いない。だが奴から飛び出した虫が戦闘員に寄生し、何かをしようとしている。

 頰を嫌な汗が伝う。大剣を握る手にも無意識に力が入る。

 冒険者や民衆が見つめる中、男は不意に動きを止めた。力尽きたように地面に斃れ、ピクリとも動かなくなる。

 死んだのかと、名も知らぬ冒険者が呟いた。そして、それが合図となった。

 男が幽鬼のようにゆらりと立ち上がる。両足で己の血で赤く染まった地面を踏み締め、産まれたての子鹿のように震える膝を必死に落ち着かせながら、ゆっくりと。

 やがて膝の震えが止まり、ステラの隣に直立した瞬間にグレイと全ての冒険者が違和感に気づく。

 

「何か、デカくなってねえか?」

 

 グレイが目を細め、怪訝な表情を浮かべながらこぼした言葉が、冒険者達が抱いた違和感を確信に変える。

 戦闘員の男も長身ではあったが、隣のステラと比較しても今の男の体は頭一つ分は身長が高くなっている。

 纏っていた白濁のローブも裾を余らせて、脛の辺りから肌が露出していた。

 何より纏う雰囲気が違う。先程まであんなにも慌て、死にかけていたというのに、今は落ち着き払い、静寂ささえも纏っている。

 警戒する冒険者達とグレイを見つめながら、男は勿体ぶるようにゆったりとした動作でフードを取り払った。

 途端にグレイが認識したのは灰色の髪と、弱々しくも間違いようのない独特な魔力の波長。

 

「ヴァニタス!?」

 

 間違える筈がない。先程潰したものと同じ顔が、狼狽える自分を嘲笑っている。

 殺した筈だ。あの傷は悪魔でも死ぬ筈だ。なのに、なぜあいつは生きている。いや、おそらくあのムカデが本体で、先程壊した(・・・)のはただの寄生先で、替えがきく肉体の一つに過ぎなかったのだろう。

 どちらにせよ、致命的な失態(ミス)だ。せっかくリオンが作ってくれた千載一遇を逃してしまった。

 己の未熟と半端さに苦渋に満ちた顔を浮かべたグレイに向け、ヴァニタスが告げた。

 

「詰めが甘かったですね、八号。だから貴方は欠陥品なのですよ」

 

 体の具合を確かめるように肩を揺らした彼は、すぐに眉を寄せて震えが止まらない自身の手を見つめ、舌を弾いた。

 

「やはり『神の恩恵』と私の力が反発しあっている。上手く腕を上げる事さえもできないか」

 

 ピクピクと唇の端や指先を痙攣させ、全身に脂汗を滲ませながら呟いたヴァニタスはステラに横目を向けた。

 

「他にいい肉体(からだ)はなかったのですか?これではそこの小娘にも勝てませんよ」

 

 震える拳を何度も開閉させ、魔力を込めようとしているようだが、結果は拳が僅かに光るばかりで何も起きない。

 確かに彼自身が言うように、グレイが破壊した肉体の時ほどの迫力も感じず、魔力も感じない。身体能力(ステータス)だけを見れば、アリーゼ単独でも余裕で対応できる程度にまで弱体化しているのは間違いないだろう。

 

「下手に階位(レベル)が高い肉体に寄生すれば、逆に死にかねないでしょう。貴方の本体はあまりにも貧弱なのですから」

 

 目を細め、もはや敬意の欠片もなく、むしろ見下しているような声音でもってそう告げたステラは、何度目かの溜め息を吐いた。

 

「言い訳もできないほど無惨に敗れたというのにこうして命を繋げただけ、ありがたく思ってください」

 

 悪魔とは弱肉強食。強き者こそが正義であり、強き者の意志こそが規則(ルール)だ。

 そして強き者とは敗北を知らぬ者のこと。格下扱いしていたグレイに惨敗したヴァニタスは、ステラから見ればもはや価値のない死に損ないでしかない。

 だが、ヴァニタスの知恵はまだ何かに使える。グレイとの決着のため、闇派閥(イヴィルス)の邪神達との契約を果たすためには、ヴァニタスの知恵が必要だ。

 故の救助。故の延命。父だからなどというくだらない理由は、欠片も存在しない。

 

「まったく、昔の貴方ならまず真っ先に謝罪を口にしていたというのに」

 

「悪魔も人間も、育つと生意気になるのですよ」

 

 横目で睨みつけてくるヴァニタスの怒気と殺気を受け流しながら、ステラはグレイに視線を戻す。

 緋色の瞳に宿るのは絶大なまでの戦意。何か切っ掛けさえあればすぐさま開戦せんばかりの戦いへの欲望。

 だがそんな欲求を強靭な理性が縛り付け、本能のままに鯉口を切らんとしている指を捩じ伏せる。

 

「兄様」

 

「なんだ」

 

 彼女の呼び声にグレイは険しい表情のまま顔を向けた。

 絡み合う二つの視線。いずれも戦意に満ちながら、決して戦いを始めようとはしない不可思議な状態で見つめ合う状況がほんの数秒続き、先にステラが不敵な笑みと共に視線を外した。

 そのままグレイや冒険者達に背を向け、抜刀。空間を十字に切り裂き、転移門(ゲート)を開く。

 ヴァニタスは徐に手を差し出すと、くいくいと手招きを二度。

 挑発かと身構えるグレイだが、そんな彼の視界の端でカタカタと音を立てて何かが震え出した。

 今度はなんだと目を向けてみれば、刀身を失ったヴァニタスの大剣の柄が震え、少しずつヴァニタスの元へと動き出していた。

 グレイがそれを認識した頃にはもう遅い。次の瞬間には大剣の柄は勢いよくヴァニタスに向かって飛び、構えられた彼の手に収まってしまう。

 

「では、また」

 

 大剣の柄を大事そうに懐にしまったヴァニタスはとりあえずは安心だと言わんばかりの安堵の笑みと共に、裂け目に飛び込んでいった。

 武器の残骸を回収──いいや、そこに仕込まれない『破片』の回収を優先したのだろう。確かにあれは大変貴重で、悪魔であれば喉から手が出るほどに欲するものだ。

 だが、グレイはそこまで慌てた様子を見せなかった。先程の漆黒の滅光で大半の魔力を使い果たした筈だ。本来の力を発揮できたとしても、あと一度か二度。今更何が来ようと負ける気はない。

 裂け目に消えたヴァニタスを見送ったステラは振り返る事なく、背中越しにグレイに告げる。

 

「貴方がスパーダの意志を継ぎ、人類の為に剣を取るというのなら、私が貴方を殺します」

 

「一人の悪魔として、一人の剣士として、私は貴方を超克し、悪魔にとっての英雄となる。新たなスパーダを殺し、我が糧とし、今度こそ宇宙(そら)に手を届かせる」

 

「決着をつけましょう。装備が、肉体が、精神が、全てが万全となり、機が熟したその時に」

 

「──迷宮の楽園(アンダーリゾート)で待っていますよ、兄様」

 

 ステラはそう言い残し、裂け目へと飛び込んだ。

 少女の体が完全に呑み込まれると共に裂け目は閉じ、その場を静寂が支配する。

 息も忘れ、その場に立ち尽くすほかなかった民衆が思い出したかのように呼吸を始め、冒険者達も頰を伝う冷や汗を拭う。

 

「決着は迷宮の楽園(アンダーリゾート)で、ね」

 

 そんな中で鼻を鳴らし、大剣を背負ったグレイの呟きが周囲の視線を集めた。

 銀色に染まった髪。碧く輝く宝石のような瞳。彼の事情をよく知る者が見れば『師匠に似ている』と笑い始めること間違いなしの姿は、けれど民衆や冒険者達からすればあまりにも頼れる戦士の姿だ。

 

「お互い全力でやるならそこだよな」

 

 都市の中では自分が本気で戦えない。彼女が望むのは本気の自分との死合だ。手加減なしで暴れられる場所など、それなりに限られてくる。

 それに最悪ステラやヴァニタスが負けても、通路を爆破すれば自分を迷宮(ダンジョン)に閉じ込める事ができる。

 ステラの欲求を満たしつつ、闇派閥(イヴィルス)にも得がある。彼女の要求を無視して都市に残れば、彼女はそのまま都市に戻って周囲への被害お構いなしに暴れ始めるだろう。

 

「まったく、狡い真似しやがる」

 

 乱暴に頭を掻きながらそうぼやいた彼は、ふと視線を感じて振り向いた。

 そこには民衆がいた。冒険者がいた。正義の少女達がいた。そして笑顔が似合う少女が、苦労人気質の少女が、そして正義の妖精がいた。

 随分と遠回りをした。答えはとっくの昔から知っていた筈なのに、その事にすら気づかずにずっと迷子になっていた。

 この街での出会いが、そして別れが、自分をここまで連れてきてくれた。

 感謝はある。だがそれ以上に罪悪感もある。だが、それを伝えるのは全てが終わり、この街に平和が訪れた時だ。

 その為にもまずはと、グレイはアリーゼに目を向けた。

 都市を覆う絶望は翻り、ようやく希望の兆しが見え始めた。その切っ掛けは自分かもしれないが、その兆しを本物に変えられるのは自分ではない。

 自分は異邦人だ。自分の言葉ではきっと都市に生きる人々には届かない。この都市で神々と共に生き、剣を掲げ、正義を背負う者でなければ意味がない。

 

「この前まで通夜みたいな雰囲気だったのが嘘みたいだな。お前も答えって奴にたどり着いたのか?」

 

 女神を奪われ、正義を否定され、心折られかけた少女はいない。

 正義の炎を胸に秘め、活力に満ちた少女はグレイの問いかけに笑みを浮かべ、ふふんと鼻を鳴らしながら胸を張った。

 

「残念ながら、無理ね!『正義』なんていくら考えも複雑になって、時間や場所も変われば意味だって変わってくる。答えを出すなんて許してくれないだから!」

 

「じゃあ、どうする。『正義』の眷属」

 

「探すに決まってるでしょ!追い続けるに決まってる!変わり続ける正義を追いかけて、私達が灰になって天に還った時に神様に叩きつけてやるんだから!これが私達の『正義』だって!迷って、間違えて、ボロボロになって、それでも辿り着いた答えはこれだって、胸を張って言ってやるんだから!」

 

 正義の少女の答えに、グレイは口角を釣り上げた。

 気高い意志。瞳に宿るは炎の如き煌めきだった。

 

「私達は前に進むわ!恐れずして、前へ!」

 

 彼女の誓いの声は何よりも強かった。

 彼女のような高潔な魂が最初からあれば、自分ももっと早く答えに辿り着けたかもしれないと、グレイは目を瞑りながら笑みをこぼす。

 恐れず、挫けず、進み続ける意志があれば、もっと早くここに辿り着けていた筈なのだ。

 

「さあ、産声をあげましょう!」

 

『正義』を知る為の遥かなる旅路は、きっと彼女達を残酷なまでに傷つけるだろう。

 それでも正義の少女達は進み続けるのだ。彼女達はそれこそが『正義』だと知ったから。

 

「今ここで、都市のみんなにも聞かせてあげるわ!」

 

 アリーゼの声は文字通り都市へと響き渡る。

 悪魔によって一縷の希望がもたらされた都市に、正義の少女の声がこだまする。

 

「絶望を切り裂く光の歌を!希望をもたらす『正義』の雄叫びを!」

 

 そして始まるのは『正義』の讃歌。

 

「使命を果たせ!天秤を正せ!いつか星になるその日まで!」

 

 正しきを胸に秘め、追い続ける誓いの歌。

 赤い髪を揺らし、紅の秩序たる剣を掲げ、少女は謳う。

 

「秩序の砦、清廉の王冠、破邪の灯火!友を守り、希望を繋げ、願いを託せ!正義は巡る!」

 

 その歌は民衆に、都市そのものに焼き付いた。

 その歌は悪魔(グレイ)の魂にしかと刻み込まれた。

 

「たとえ闇が空を塞ごうとも、忘れるな!星光(ひかり)は常に天上(そこ)に在ることを!」

 

『悪』が齎した蹂躙に『正義』は失墜し、それでもなお『正義』は立ち上がった。

 彼女達が放つ光が、星明かりとなって『英雄の都』を照らし出す。

 

「女神の名のもとに!天空を駆けるが如く、この大地に足跡を綴る!」

 

 冒険者達は胸に迫る高揚を叫んだ。

 民衆は涙を流した。

 そしてリュー達は正義を誓う宣言に参列した。

 

『正義の剣と翼に誓って!!』

 

 重なる少女達の声が都市を震わす。

 人々があげる希望の歓声が鳴り響いた。

 人間は弱いと悪魔は言うだろう。惰弱極まると悪魔は嗤うだろう。人間は悪魔に勝てないと嘲笑うだろう。

 だからこそ悪魔は人間に勝てないのだ。

 人間には誰かを思いやる心がある。人間には悪魔にはない高潔な魂がある。そして、決して諦めない不屈の意志がある。

 スパーダはそんな人間を好きになったのだ。全てを裏切り、全てを投げ打ち、護りたいと願う程に。

 そして、グレイもまたこの光景に魂を震わせた。

 今ならスパーダの気持ちがわかる。今なら師匠が父の魂を受け継いだ意味を理解できる。

 ならばもう迷うまい。スパーダから息子に引き継がれたものを、力不足ながら自分も継いで行こう。あの人の背中に追いつけるように、追い越せるように。

 自分の胸に手を当て、深く息を吐いたグレイは改めてアリーゼ達に目を向けた。

 少女達の姿があまりにも眩しく見えてしまい、思わず目を細めた。

 朧げに霞む視界の中で、全く面影がないというのに少女達の浮かべる笑顔に師匠の笑みが重なって見えた。

 

「──まったく、最高だよお前ら」

 

 ぼそりと呟いた言葉には万感の想いが込められていた。

 人類への憧憬。アリーゼ達への尊敬。そして感謝。

 グレイはそんな温かいものを胸に抱きながら、背中からぶっ倒れた(・・・・・・・・・)

 どさりと音を立ててグレイは倒れ、放り出された大剣がカランカランと金属音を響かせながら地面に転がる。

 

『え……?』

 

 先程までの歓声と感動はどこへやら、冒険者と民衆が間の抜けた声を漏らし、「グレイ!?」と慌ててリオンが走り出す。

 滑り込む形で彼の元に辿り着いた彼女はペタペタと彼の体に触れ、外傷らしい外傷がない事を確認し、大量の発汗や呼吸の乱れなどから魔力切れ──冒険者的に言えば精神疲労(マインドダウン)状態になっているのではと推察。

 

「誰か精神回復薬(マインドポーション)を!」

 

「一応ありますが、彼に効くのでしょうか。その、彼と私達では体の構造が……」

 

 リオンの要求にアスフィが素早く応じ精神回復薬(マインドポーション)を差し出すが、倒れる彼を見下ろしながら尻すぼみになりながらそう告げた。

 もはや隠す必要もない。グレイは肉体的には(・・・・・)悪魔なのは変えようのない事実だ。

 冒険者達が使う回復薬(ポーション)類は確かに彼らの傷や疲労を癒すが、それが悪魔の彼にも効くかどうか。

 彼を助けたいのも本心ではあるが、物資に余裕がない今、無駄遣いは避けたいというのも本音なのだ。

 

「おい、ポンコツエルフ」

 

「私はポンコツでは……!いえ、それよりも何ですか」

 

 差し出された精神回復薬(マインドポーション)をとりあえず受け取りながら、けれど使う事なく迷っていたリオンに声をかけたのは輝夜だ。

 音もなくヌッと顔を出した彼女は、リオンの耳元で何かを囁く。

「な!?」と声を出して驚愕するリオンを横目に、輝夜は愉快そうに目を細め、猫を被った声で言う。

 

「男というのはそれだけで復活するのですよ、生娘(エルフ)様」

 

「し、しかし、それは……!いや、それで彼が回復してくれるなら……!」

 

 笹葉のように尖った耳を先端まで赤く染め、何やら抵抗する素振りを見せるリオンだが、すぐに倒れたまま動かないグレイに視線を落とした。

 呼吸はしている。肌が汗ばみ、胸を大きく上下させながら苦しそうに繰り返されるそれは、まさに消耗の極致に至った者が見せる症状だ。

 輝夜は腕を組みながら表情を引き締めると消耗激しい冒険者達と負傷者だらけの民衆に目を向け、移動するのもさせるのも不可能だなと溜め息を吐いた。

 群衆の護衛に無事な物資の輸送。負傷者の手当てなどなど。する事は山積みなのに、今いる人員では満足にそれも出来やしない。

 

「これだけの騒ぎだ、そのうち増援も来るだろう。それまで休ませてやれ」

 

 

 

 

 

 冒険者と民衆達の喧騒もどこか遠く、微睡みの中にいたグレイは鉛のように重い瞼をゆっくりと持ち上げた。

 何か柔らかな感覚を後頭部に感じながら、夕暮れを過ぎた暗くも青みがかった空を見上げ、僅かに見える星の光を見つめた。

 

「目が覚めましたか」

 

 そんな彼の視界に入り込んだのは、笹葉のように尖った耳を赤く染めたリオンだった。

 彼女を見上げる形で彼女の顔を見つめたグレイは、そのまま顔を横に向けて民衆の方に目を向ける。

 冒険者達や治療師(ヒーラー)に介抱される彼らの中に陰鬱な雰囲気はなく、耳を澄ませれば笑い声も聞こえてくる程だ。

 昨日までならあり得ない。人と人の繋がりを感じさせる優しい音が、グレイの疲労を癒してくれる。

 

「……で、この状況は?」

 

 それはそれとしてと、視線をリオンに戻した彼は溜め息混じりに彼女に問うた。

 

「膝枕、というものらしいです。私もやるのは初めてですが」

 

「……随分とまあ、至れり尽くせりだな」

 

 はははと笑みをこぼしながら、けれど起き上がる気配を見せない彼は、真っ直ぐに見下ろしてくるリオンの空色の瞳を見つめ返した。

 彼女の太腿を枕代わりにするのは申し訳ないが、もう立ち上がる気力も湧かないのも事実なのだ。

 冒険者達の様子からして、撤収までまだ時間はあるだろう。グレイは息を吐き、目を閉じた。

 

「あと五分。このままで頼む」

 

「それは構いませんが、一つ聞かせてください」

 

「何だ」

 

 目を閉じたまま、敏感が過ぎる聴覚でやたらと早い彼女の心臓の鼓動音を聞いて彼女の問いを待っていると、彼女は端的に問うてきた。

 

「貴方の『正義』は、何ですか?」

 

「あの邪神様みたいな事言い出すんだな、いきなり」

 

「私は真剣ですよ。『正義』の形は常に変わり、時代と共に変容していきます。私達はそれでも『正義』を探しますが、参考までに貴方の『正義』を聞いておきたいのです」

 

「あの日、エレボスに言った事と大差ねえよ」

 

 きっとリオンは神妙な面持ちで問うてきているだろう。

 だがグレイはそんな彼女の覚悟さえも笑い飛ばし、口を動かした。

 

「気に入らねえ悪魔どもをぶっ殺す。その部分は何も変わってねえ」

 

「でも、あの時は師匠がそうだったから、そう言っときゃ何も考えないで済むからって、あれこれ考えるのから逃げてたんだ。『正義』なんてもの、俺にはよくわかんなかったしな」

 

「今は違うのですか?」

 

「『正義』ってやつはよくわかんねえし、その答え探しはお前らに任せるさ。面倒だしな」

 

 だが、とグレイは目を開けた。

 リオンの空色の瞳よりも深い色を持つ碧眼が、正義の妖精を真っ直ぐに見つめる。

 

「──人類を護る。人類の強さってやつを信じる。スパーダが掲げた正義を、彼の誇り高い魂を、受け継いでいく。俺の『正義』はそれだな」

 

「……貴方の事ですから、また報酬あれこれの話をするのかと思っていましたが」

 

 彼が掲げ、これからも胸に秘めていくだろう『正義』に感嘆の息を漏らしつつ、リオンは更なる問いを投げた。

 事あるごとに報酬を求めていた彼が、その事を話題に出さない事を疑問に思ったのだろう。

 そんな彼女の問いかけにグレイは苦笑した。

 

「報酬ならもう貰ってる」

 

 彼は首を回し、笑い声が聞こえてくる冒険者と民衆の方へと目を向けた。

 

「感謝されて、笑顔が見えて、笑い声が聞こえる。やっと師匠がタダ同然でも仕事をする理由がわかったよ」

 

 報酬は何も金品だけではないと、誰かからの感謝の言葉が、誰かの笑顔が、ただそれだけで報酬足りえるのだと、グレイは笑う。

 そんな彼の笑みに、リオンもまた笑みを返した。

 

「やはり、貴方は尊敬に値する『ヒューマン』です」

 

「俺は悪魔だが、尊敬なんかしていいのか?」

 

「尊敬する相手の種族など、私からすれば些細な問題です。それにその肉体は悪魔かもしれませんが、その魂はきっと人間の誰よりも誇り高いと、私は思います」

 

 いつかに投げられたものと同じ言葉を受け止めたグレイは、あの時できなかった茶化しをリオンに返すが、それすらもあっさりと返される。

 返事に迷い、言葉を詰まらせるグレイだが、すぐに観念したのか溜め息混じりに「ありがとうよ」と素直な感謝を口にした。

 

「なら、このまま尊敬できる男の疲れを癒してくれたまえ、正義の妖精様」

 

 そして真面目な話に我慢できなくなったのか、リオンをおちょくるようにそう言うと、リオンは眉を寄せて不満げに口をへの字に曲げた。

 

「やはり前言は撤回です。このまま投げ飛ばします」

 

「あはは……それは勘弁してくれ」

 

 がしっ!とグレイの肩を掴み、本当にぶん投げようとしてくる彼女にグレイは乾いた笑みをこぼし、「受け身も取れねえよ」とぼやく。

 まあ受け身ができなくとも死ぬような怪我はしないだろうし、最悪怪我しても治療師(ヒーラー)に頼んで治してもらうか、魔力の回復を待って自己回復すればそれで済む話だ。

 グレイはそのまま笑顔が溢れる民衆と冒険者達の方に目を向ける。

 

「まだ終わっちゃいねえ。ヴァニタスをもう一回ぶっ殺して、ステラも何とかして、マルコシアスを何とかして、闇派閥(イヴィルス)をぶっ潰してアストレアとこの街を救う。やる事は山積みだな」

 

「ええ。今回の勝利は確かに都市を覆っていた絶望を打ち払いました。しかし、本当の意味で勝ててはいない」

 

 リオンもまた民衆や、そこに混ざって何やら意味深な笑みを向けてくるアリーゼ達やアーディに目を向けながら溜め息を吐いた。

 すぐに彼女らの視線から逃れるように顔を俯ければ、そこには民衆を見守るグレイの横顔があった。

 悪魔にして英雄。悪魔にして人類の防人。人類のために剣を取り、同胞を狩る異端の悪魔。

 柔らかな微笑みを浮かべ、一時の勝利に浸る民衆と冒険者を見つめるその視線は、人が人に向けるものよりも神が人に向けるものによく似ているようにリオンは感じた。

 そんな彼の横顔に無意識に魅入っていたリオンだが、不意にグレイがハッとしてリオンの方に顔を向けたのを合図に慌てて顔を背けた。

 異様に熱をもった顔が熱い。何なら太腿にも熱がこもっていないか、動揺が彼に伝わっていないか不安になる。

 そんな彼女の心配など知る由もないグレイは「しまった」と額に手をやった。

 彼が深刻な表情でそんな事を言い出すのだ。リオンは「何かあったのですか!?」と神妙な面持ちで問いかけるが、

 

「決めゼリフを言いそびれた。ああ、クソ……っ」

 

 そして彼が口にしたのは割と下らない言葉であった。

 さっきまであんなに達観していたというのに、急に子供っぽい事を宣い始めた彼に、僅かに軽蔑の視線を向ける。

 

「…………私の心配を返しなさい!」

 

 そして次の瞬間には先程の宣言通りにグレイをぶん投げた。

 情けない悲鳴が戦場跡地にこだまし、何事だと冒険者達と民衆の視線が彼と、彼を介抱していたリオンに向けられる。

 

「どうして……俺、頑張ったのに……」

 

 地面と熱い接吻を交わしたグレイが、鼻血を垂らしながら顔を上げると、リオンは腕を組みながら不満そうに鼻を鳴らす。

 

「リオンったら、顔真っ赤にして可愛いわ!」

 

「おいおい、照れ隠しか〜?」

 

「介抱する相手に怪我させてどうする、ポンコツ」

 

「私も前までは思いっきり張手(ビンタ)されてたし、お揃いだね!」

 

「ここまでやれたのが奇跡だと思いましょう」

 

 そんなリオンをアリーゼが、ライラが、輝夜が、アーディが、アスフィが笑いながら弄る。

 鼻を押さえながら立ち上がったグレイも「投げる事ないよなぁ」と不満を口にしつつ、その顔には笑みが浮かんでいた。

 彼らを見下ろすのは雲一つなく月と星が輝く美しい夜空。希望の星光が都市を照らし、冒険者を照らし、異端の悪魔を見守っていた。

 

 

 

 




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