ダンジョンに訳ありデビルハンターがいるのは間違っているだろうか 作:EGO
夜の帳が降り、空も蒼然と染まる。
晴れ渡る空には輝く星々を遮るものはなく、満天の星空に照らされる都市にもまた負けじといくつもの魔石灯がともり、暖かな光を宿していた。
耳に届くのは、昨日まではあり得なかった喜びの喧騒だった。
「…………」
市壁の上でそんな都市を見下ろすのはステラだ。
市壁の上に片膝を立てながら座り、都市を見つめる緋色の瞳は何の感情も宿さず、遠くからここまで届く魔石灯の光を反射して不気味な輝きを放っていた。
「ステラ」
そんな彼女に歩み寄ったのは漆黒の鎧を身に纏う女性悪魔、マルコシアス。
魔石灯の輝き放つ迷宮都市を横目に、何かを憂う様子を見せた彼女はステラの隣に腰を下ろした。
「何か用ですか」
彼女には一瞥もくれずに投げられた問いかけに、マルコシアスはすぐには答えない。
言葉に迷うように考える素振りを見せた彼女は、嘆息混じりに言う。
「ヴァニタスが力を失い、奴の手勢だった悪魔どもも離反し始めている。このままでは我らの手勢は減る一方だ」
「それが何だというのです。逃げたいのなら逃げればいい」
マルコシアスの懸念は戦力の離反に関する事だった。
それでも逃げ出さないのはステラとマルコシアスという絶対強者の二人を警戒し、離反する事もできない臆病者か、蹂躙の味を覚えたが故にそれを再び味あわんとする貪欲者かのいずれか。
「そもそもとして、戦力として当てにしているのは『
そんなどちらにせよ愚者としか言いようがない連中は最初から当てにしていないと切り捨てるステラだが、そんな彼女の頭に不意に手が置かれた。
律儀に籠手を外し、武器を握るには不釣り合いな細い手で、ステラの頭を撫でてやる。
ぐしぐしと力任せに行われるそれはすぐに髪が絡まり、ステラの頭が動きに合わせて前後左右に振り回される。
「……何のつもりですか」
ぐわんぐわんと視界を揺らされるステラが怪訝そうに目を細める中、マルコシアスは単刀直入に告げる。
「お前は逃げないでいいのか」
「…………」
その言葉に、ステラはようやくマルコシアスに目を向けた。
言葉こそないが緋色の瞳には明確な困惑が宿り、次の言葉次第によっては斬りかからんばかりの敵意さえも滲ませる。
だがマルコシアスは怯まない。むしろそれはそれで有りだなと胸中で好戦的な笑みさえも浮かべながら、言葉を続けた。
「今さらヴァニタスの傘下でいる理由もないだろう。このまま市壁から飛び降り、都市を離れ、好きなようにしても誰も文句など言うまいよ」
彼女は背後に目を向け、地平線の彼方まで見渡せる大地を見つめた。
地の果てには強大な
竜の谷と呼ばれる秘境には
遺跡の底に封じられた古代の
極論、こんな都市に拘らずともこの世界には強者に溢れている。それが人か
「…………」
ステラは何も言わなかった。ただ数秒マルコシアスを見つめたかと思うと、すぐに視線を前に──都市の方へと向けた。
いや、彼女は都市を見ていない。彼女が見ているのはそこにいる一人の男。己が挑み、己が越えるべき、
今もこの都市のどこかで身を休め、英気を養い、決戦の時を待っている絶対強者の存在だけが、彼女をこの地に縛り付けていた。
「私は兄様と決着をつけます。あの人を超えます。いいえ、超えなければならない」
「そうか」
ステラが顔の前でぐっと拳を握りながら告げた、不器用なりに万感の思いが込められた言葉に、マルコシアスはただ頷いた。
一人の悪魔として、そして戦士として、超克を前に覚悟を決めた者にこれ以上の言葉は無粋だ。
マルコシアスは立ち上がり、ステラに背を向けた。
「私も決着をつけねばならん奴らがいる。助けには行けんぞ」
「同じ言葉を貴方に返します」
一瞥もくれずに投げられた言葉に、ステラは不敵な笑みと共に返す。
自分は
マルコシアスはステラが負けるとは思っていない。
ステラもマルコシアスが負けるとは思っていない。
何より悪魔が助け合うなどそれこそ嗤い者だ。負ける時は死ぬ時。誰かに助けられてまで生き永らえようとは思わない。
己の弱さを恥じ、相手の強さを賞賛しながら無に還る。あるいは魔具となり、勝者の糧となる。悪魔などそれでいいのだ。
「
「楽しみですね。勝とうが負けようが、次が最後です」
マルコシアスが去り際に残した言葉に、ステラも立ち上がりながらそう告げた。
次の戦いは文字通りの総力戦になる。お互いの手札を全て出しあい、どちらかが力尽きるまで殺しあう。『量より質』と呼ばれる『神時代』においては珍しい『物量戦』の気配にステラは笑んだ。
マルコシアスの足音が遠ざかり、気配も闇の中に消えていく中で、ステラはゆっくりと刀の鯉口を切って僅かに刀身を露出させた。
月明かりを反射する刃に映るのは、包帯に包まれた己の顔だ。
緋色の瞳に迷いはなく、渦巻く魔力にも澱みはない。そして、迷いもない。
「『希望』さえも屠ってみせましょう。『英雄』さえも殺してみせましょう。私は、星に手を届かせる」
キン……!と静かな鍔鳴りの音と共に納刀し、ステラは都市に背を向けて歩き出した。
──決着です。決着をつけましょう、兄様。私の命は、その為にあるのですから。
都市中央の一角に立つ、二階建ての酒場。
帰る場所を失った民衆の為に解放されていたその場所は、賑やかな声に包まれていた。
「がっふ、がっふ!もぐっ!んぐ!んぐ!」
大皿を抱え、大飯を一心不乱に喰らうのはグレイだ。
アリーゼ達が用意してくれた
咀嚼する度に美味いと言わんばかりに唸りながら食を進め、空にした皿が積み重なっていった。
「……どれだけ食べるんですか」
その光景に呆れたように声を漏らすのはリオンだ。
目の前に重なった皿の枚数を数え、純粋な量で少なくとも自分の三食分は超えている事実に戦慄する。
ごくりと喉を鳴らして最後の一口を嚥下したグレイは、口元を拭いながら「仕方ねえだろ」と苦笑する。
「お前らと別れてからの四日近く、碌なもの食ってなかったんだ。火が通ってて血以外の味がする肉なんて久しぶりだぞ、こん畜生」
空になった皿を重ねた皿の頂上に追加しながら、流石に満腹なのか腹を摩りながら背もたれに寄りかかった。
そのままちらりとリオンがもそもそと食べ進めていた皿を確認し、あまり進んでいない様子に首を傾げる。
「お前は食わねえのか?お前だって結構ボコボコにされてたろ。血は足りてるか?」
「大丈夫です。あの時庇ってくれたヒューマンを含め、先程まで治療院に入れられていましたから」
「そのオッサンもあっちでめっちゃ食ってるしな」
グレイの心配にリオンは心配無用と返し、二人が揃って視線を向けたのは酒場の端でこれまた大量の飯を食らっているいつぞやの暴漢だった。
エレボスに盗みを働いたのが最初の出会い。その後『赦す正義』の元に見逃され、それが巡り巡ってリオンを救い、本人さえも預かり知らぬところでグレイの覚醒への最後の一押しをすることになった影の
元気そうで何よりと安堵の息を吐くグレイだが、リオンだけは目を細めて何やら不服な様子。
「あの鎧も盗品だとは思いませんでしたが」
「……マジで?」
「ええ。本人が白状しました」
「マジか〜」
彼女の言葉にグレイが頭を抱える中、次の瞬間にはリオンは微笑みを浮かべながら「ですが」と言葉を続ける。
「その後、修理したら返しにいくと宣言してくれました。なら、何も言いません」
「赦してやるってことか?」
この前までは目の色を変えて独房にぶち込もうとしていたのにと、いつかの光景を思い出しながらグレイが問うと、リオンは頷いた。
「ええ。赦す事も正義だと、貴方が教えてくれましたから」
「はっ!そうかい」
彼女が面と向かい、微笑みも共に告げてきた言葉に、グレイは鼻を鳴らしながらただ嬉しそうに笑った。
そんな二人のやり取りが聞こえていたのか、件の暴漢は照れくさそうに二人を見やると、照れ隠しのように酒を呷った。
なら下手に話しかける事もあるまいと彼から視線を外すと、不意に隣の卓から笑い声が聞こえてきた。
多少の酒も入っているのだろう、頰を赤らめたアリーゼが二人を見ながら鈴を転がしたように笑っている。
「……何ですか、アリーゼ。急に笑い出して」
「いいえ、何でもないわ。ただ随分と仲良くなったわね〜ってね!」
「確かに。あのリオンが膝枕するくらいだもんな」
なぜだか笑われたリオンが不服そうに言うと、アリーゼは
その時の情景を思い出してしまったのか、リオンの頬が急激に赤く染まり、笹葉の耳がピンと上を向いた。
「ち、違、あの時は正常な判断が……っ!」
「正常だろうがなかろうが、俺としては嬉しかったが」
「〜〜〜〜!!!」
そのまま弁明しようと口を動かすが、真横から放たれたグレイの言葉に沈黙させられる。
あまりにも素直に告げられた言葉に憤るべきなのか、羞恥心に狂わされたリオンには判断すらもできず、赤くなった耳を意味もなく揺らすことしかできない。
「で、真面目な話に戻るが」
そんな弛緩した空気を断ち切るのは、頰をほんのりと上気させ、空になった酒瓶を弄ぶ輝夜だ。
「私の話が真面目でないとでも!?」と声を荒げるリオンを無視し、輝夜は胡乱な視線を周囲に向けた。
宴の如く振る舞われた食料を騒ぎながら食べ進めるのは、民衆や冒険者達。疲労した体に栄養満点の食事と酒を流し込み、疲労を癒していく。
中には先日まで啀み合っていた冒険者に謝罪する者や、感謝を告げる者もいる。
平和な一時だ。戦時中とは思えない、あまりにも平和なひと時だ。
だからこそ、輝夜は至極真っ当な意見を口にした。
「馳走に酒まで。いくら都市の空気が一変したとはいえ、ここまで振る舞っていいものなのか?兵糧に余裕などなかっただろう」
「……今更それを言うのか?俺、結構食っちまったぞ」
彼女の言葉にグレイは自ら平げ、空とした皿を数えながら頰に冷や汗を流す。
おかわりを含めて出されたものを出された分だけ食べてしまったが、やってはならない事をしてしまったのかと今更になって焦りがつのる。
どう言い訳したものかと思慮したのとほぼ同時にぞわりと悪寒が駆け抜け、弾かれるように酒場の入り口に目を向けた。
「それに関しては問題ない。本命の物資は残してあるさ」
そんな言葉と共に酒場の自由扉が木が軋む音と共に開き、橙黄色の髪を持つ男神がにひるな笑みと共に帽子の鍔を弾き、髪と同じ色をした瞳をグレイに向けた。
その目に宿るのは強烈なまでの好奇心。そして彼が英雄たれるかと見定めんとする裁定者の鋭さだった。
「神ヘルメス」
リオンがその男神──ヘルメスの名を呼べば、彼は「やっ」と軽く手を挙げた。
後ろに控えるアスフィが小さく会釈すると、グレイは男神に体を向ける。
「本命が残してあるってことは、どっかの【ファミリア】の倉庫から盗んできたのか?なら、もう食っちまった俺も共犯だな」
「いいや、まさか。
オラリオには誰も知らない抜け道が多いんだぜと、得意げな笑みと共にそう告げた男神は、卓の上に放置されていた酒の入った杯を手に取り、それを呷った。
「いや〜、大変だったぜ。細心の注意を払いながら大量の物資を運び込む。地味ながら本当、大変だった……」
顔を俯け、煤けた雰囲気を纏いながらぼやく姿には、いっそ哀愁までが漂っていた。
本来ならどこぞの正義の女神に褒めて貰いたかったのだろう。だが彼女は行方不明のまま、もう四日も経ってしまっている。
だが、それでも大任をやり遂げたヘルメスは疲労が滲む笑みを浮かべながら、胸の前でぐっと拳を握った。
「おかげで【
ヘルメス達が運び込んだ物資は何も食料だけではない。医療品からその他入り用の
おかげで冒険者達の士気も上がり、民衆との不和もある程度払拭できた。これでオラリオが内側から崩壊することはあるまい。
アリーゼ達の演説で冒険者達は再び立ち上がった。グレイの奮闘で『覇者』の一角を崩した。問題は多いが、ようやく勝負がわからなくなってきた。
「そうだ、グレイ君。少し話をしたいんだ、二人でね」
「俺は構わねえよ。あ、俺からもアスフィに頼みがあったんだ」
ヘルメスの頼みに二つ返事で返したグレイは、そのまま男神の後ろに控えているアスフィに目を向けた。
「あの日捨てた俺の武器、持ってるか」
「あの日……ああ、あれですか」
彼の言葉にすぐに思い当たるものがあったのか、アスフィは頷く。
彼が捨て、自分が拾った可能性があるものなど、『大抗争』の日にザルドに破壊された挙句に放棄された
「直せるか。俺も手伝うが、お前の方が器用そうだ」
「……っ!直してみせます、必ず!」
グレイからの頼みに気合いを入れながら応じるアスフィ。
「なら、任せた。あ〜、外でいいのか?」
「ああ、構わないよ。そういうわけだ、アスフィもゆっくり休んでくれ」
ヘルメスはポンとアスフィの頭に手を置き「留守の間、よく頑張った」と労いの言葉を告げると、酒場の自由扉の向こうへと消えていった。
「それじゃ、俺も行くかな」
グレイも多少名残惜しそうにしながらも席を立ち、卓に立てかけていた大剣を背負うと、リオン達に背を向ける。
「グレイ。一人で大丈夫ですか?」
「ん?まあ、殺されはしないだろ」
そんな彼の背中に心配の声を投げるリオンに、グレイはひらひらと右手を振りながら軽く返した。
神威を全開にして動きを封じられる可能性はあるが、そうしたら全力をもって抵抗するだけの話だ。
彼は大剣の位置を調整しながら自由扉を潜り、壁に寄りかかって待っていたヘルメスと合流する。
「それで話ってのは?」
「まあまあ、そんなに急かさないでくれよ。少し歩こうか」
さっさと本題に入りたいグレイの問いかけを軽く受け流し、ヘルメスは大通りを歩き出す。
仕方なしにその後ろにグレイが続き、神と悪魔の散歩が始まった。
しばらくは無言の時間が続き、魔石灯の光も遠ざかっていく中で、不意にヘルメスが口を開いた。
「君には感謝しているよ。今ああして騒いでいられるのも、こうして呑気に散歩できるのも、君のおかげだからね」
開口一番に感謝を告げるヘルメス。その言葉に偽りはなく、事実心からの感謝をしているのだろう。
だがグレイはそこに含まれたほんの僅かな不満を──悪魔が好む悪感情を本能で察知していた。
半目になりながら「何か言いたいなら言えよ」とヘルメスを見やると、男神は「気づかれたか」と苦笑をこぼす。
「オレもまだまだって事かな。あるいは、君が悪魔だからこそ気づけたのかな?」
不意に足を止め、グレイの方へと振り返ったヘルメスは、どこか含みのある笑みと言葉を彼に向けた。
「都市に混乱と殺戮を齎したのは、
ちょうど隣で超常の力で破壊された建物の残骸や、いまだに落ちていない大通りを汚す大量の血痕を示しながら、ヘルメスはいっそ機械的なまでに淡々と告げる。
「そしてその状況を打破する最初の一手となったのも、悪魔の君だ」
橙黄色の瞳で真っ直ぐにグレイを見つめ、何かを見定めるように爪先から頭の天辺までを舐めるように見やった。
ヘルメスとて多くの冒険者を見てきたが、グレイの放つ威風は
まず間違いなく下界の最高峰。悪魔なので断言はできないが、外見こそ十代。ここから肉体的にも精神的にも成長を続ければ、下界最強を更新する事だろう。
「──
「何だよ、いきなり」
突然訳のわからない事を言い出す男神に、グレイは首を傾げた。
まあ確かに今回みたいな状況になった時、『こいつがいれば安心』みたいな人がいれば気が楽だ。自分にとってはダンテがそうだが、オラリオにはいない。
アリーゼ達は都市の希望になり得たが、やはり英雄と呼ぶには力不足なのは否めない。
「俺は英雄なんてものになるつもりはねえよ。その意志は継いでくが」
肩を竦め、心底鬱陶しそうにそう告げた彼の言葉は、まさに本音であった。
「ああ。そんな事わかってるよ。何より君はオレ達が望む英雄にはなれない」
そんな彼に相変わらず感情を排した声で告げるのはヘルメスだ。
「『
「君に資格がないとは言わない。それでも君のいる場所は
『神の恩恵』を与えられた者は、その
その階段が頂まで数百、数千あろうとも、人はいつか神へとなれる可能性を秘めているのだ。
だがグレイは神にはなれない。悪魔である彼が辿り着くのは、神に限りなく近い何かでしかない。
冒険者達が神への階段をまっすぐに登る中、グレイはその階段から斜めにズレた場所にいるか、あるいは同じ分だけを逆方向に進んでいる。ヘルメスが言いたい事はつまりそういう事なのだろう。
この世界の人間とグレイの強さは、根本からして違うのだ。そして、グレイは神々が求める英雄ではない。
神の傲慢とも言える言葉を告げられても、グレイは眉一つ動かさなかった。
だが心底鬱陶しそうに溜め息を吐き、肩を竦める。
「別に英雄になるつもりも、誰かが英雄になる邪魔をするつもりもねえよ。俺みたいな部外者じゃなく、この都市で育った冒険者が英雄になって欲しいって気持ちも、理解はできる」
「そっか。それは──」
「だが、
グレイの言葉を了承と受け取り、ヘルメスが安堵の息を吐いた瞬間、グレイは現実でもって殴りつけた。
今のオラリオには絶望を翻す希望は示す力はあれど、根本的な『武力』が足りていない。希望を示す英雄の卵は数多くあれど、絶望を撃ち落とし、未来を切り開ける英雄がいない。
「冒険者の誰かがいつか英雄になるのはいい。だが、英雄が必要なのは今だ」
閉じた瞼の裏、映るのは今日までに出会ってきた様々な冒険者達。
英雄となれる素質を秘めた者。英雄になるのではなく、英雄となれる誰かを支えんとする者。あるいは英雄になれるかもわからない冒険者になりたての者。
彼らの誰かがいつかは英雄になるだろう。だが、いつかでは駄目なのだ。
彼の言葉に瞠目したヘルメスに、ゆっくりと瞼をあげたグレイは告げる。
「神が英雄を用意できないなら、いまだ人の中に英雄がいないというのなら、
普段の飄々とした様子は影に潜め、蒼い炎を幻視する碧眼で真っ直ぐに神を見つめ、威圧するその姿はまさに英雄のよう。
その姿を眩しそうに見つめたヘルメスは、小さく溜め息を漏らす。
「君がこの世界で、人間として産まれていれば、どれだけ良かったか……」
「俺が体まで人間だったら、今ほど強くねえよ」
ヘルメスの呟きにグレイは苦笑混じりにそう返し、自分の手を見つめた。
拳を握り、力を込めれば魔力の煌めきと共に黒鱗に包まれ、異形のものとなる。
悪魔の証たる異質な魔力を放ちながら、人間の証たる確固たる意志の下、ヘルメスの神意に対する反論を口にした。
「それに俺が人間として産まれたとしても、テメェらの思い通りにはならねえ」
べっと舌を出し、男神を小馬鹿にしたように彼は言う。
「人工──いや、『神工の英雄』が欲しいなら勝手にやってろ。本当の英雄ってのは、そんな思惑も飛び越える奴のことを言うんだよ」
スパーダは主人の命に背き、己が積み上げてきた全てを棄てる事で英雄となった。
ダンテもまたそんな父の意志を継ぎながら、己が信じる正義の元に英雄となった。
誰に命じられる訳でもなく、己がなすべきことを己で定め、それをやり遂げたのだ。英雄とはつまり、そういった者を言うのだろう。
英雄とは作るものではなく産まれるもの。グレイの意見としてはそうなのだが、神であるヘルメスと違うのは当然だ。
この世界の事情もあるだろう。この世界に生きる神々の思惑もあるだろう。そして、英雄を欲しているのもまた事実だろう。
だとしても、誰かの思惑の上でしか戦えない者は英雄にはなれまい。
「元より悪魔と神だ、意見が合わないのは当然か」
ヘルメスが帽子を押さえ、どこか挑発的な笑みを浮かべながらそう告げた。
グレイの言葉を欠片も正しいとは思っておらず、けれどそれもそれで有りだなと好奇心を擽られた悪戯小僧の様な笑み。
「しばらくは力を貸してくれ、悪魔君」
「……お前は俺を苛つかせたいのか?」
ポンと肩に手を置かれたグレイが不満げに唸ると、ヘルメスは「そんな訳ないさ」と告げて手を離した。
「君が言ったように今のオラリオに英雄がいないのは事実だ。悔しい事にね」
「だから、今回だけでもいい。力を貸してくれ」
ヘルメスは帽子を取りながら改めて協力を要請し、頭を下げた。
グレイの意見の正否はとにかく、彼の力が必要なのは事実だ。というか彼がいなければ勝負の土俵にも立てない。
「おう、任せろ。報酬は、まあアスフィに武器を修理してもらうからそれでいい」
そしてヘルメス渾身の頼みこみに、グレイはなんて事のないようにあっさりと返した。報酬の話も済ませ、後は行動を起こすのみとなる。
ヘルメスは「ありがとう」と感謝の言葉を告げると顔を上げ、力の抜けた笑みを浮かべて帽子の鍔で顔を隠した。
先程までの能天気な笑みはどこにやったのか、多大な疲労を滲ませるそれは、傷つき、疲れ果て、それでも倒れることをしない空元気によるものだ。
「疲れてんな、神様」
「そりゃそうだろう!さっきも言ったけど、都市外を駆け回ってたんだぜ!?」
「それはそれとして、エレボスに会ったぞ」
「…………え」
「二人きりで少し話をしただけだがな」
「……いや、ちょっと待ってくれ」
「あいつ、何がしたいんだ?」
「だから待ってくれよ!?怒らせたのなら謝るから!」
ようやく話が終わったと安心したのも束の間、グレイが放り込んだ爆弾にヘルメスは瞠目し、声を乱した。
眷属や他の派閥に頼ってまで散々探した敵の首魁が、彼の前に現れたのいうのか。それに加えて言葉を交わしたというのはどういう意味なのか。
頭を抱え、頭痛に耐えるように深く息を吐く中、グレイは腕を組みながら顎に手を当てた。
「あの時、神威を高めるなりステラを呼び戻すなりすりゃ、俺を止められた筈だ。それをしないで、むしろ見送った。あの邪神様、何がしたかったんだ?」
思い出すのは覚醒直前の事。
一人教会を飛び出す自分を止める事なく見送った『絶対悪』の神意が読めない。
うんうんと唸るグレイに、ヘルメスが言葉を紡ぐ。
「エレボスは地下世界の神。天界にいる頃から破天荒な神ではあったが、死を歓迎するような奴じゃなかった。下界に来て何があいつを変えたのか、オレにはわからないが」
「何としても止めなきゃならない。このまま野放しにすれば、下界は滅ぼされる」
その横顔は全てを悟った賢者のようにも、疲れ果てた老人のようにも見えた。
同時に道を違えた友を憂う、一人の男の顔でもあった。
「──昔のように酒を飲み交わす事はできないのか、
男神の独白を聞いたのは一人の悪魔のみ。
そしてそんな悪魔はすぐにその言葉を忘れ、誤魔化すように男神の肩を叩いた。
「それじゃ、さっさととっ捕まえてあれこれ聞き出すとしますか。何を考えてこんな事をやらかしたのか、何を考えて悪魔と取引をしたのか。考えるのも面倒だから」
「ああ、そうだな。ついでに一発ぶん殴ってもいいかもしれない」
グレイの言葉にぐっと拳を握りながら返すヘルメス。
その姿に「その意気だぜ、神様」とグレイは不敵な笑みを向け、すぐに真剣な面持ちとなった。
「俺もあの愚妹をぶん殴らなきゃ気が済まねえ」
ヘルメスがエレボスと道を違えたというのなら、自分とステラの道もまた違えてしまっている。
お互いにもう後戻りはできない。自分はスパーダの後継を宣言し、ステラはこの都市で殺戮の限りを尽くした。今更説得など、できはしない。
「キミは妹君を殺せるのかい?彼女との決着は、今回の戦争の勝敗に直結すると言っても過言じゃない」
「任せとけよ。──師匠も通った道なら、俺に通れない道理はない」
ヘルメスの心配の声に、グレイは間髪入れずに応じた。
その声に乗るのはいっそ悲壮なまでの覚悟だった。同時にそれを乗り越えた師への強い尊敬の念さえも感じられる。
その言葉と表情からヘルメスは察した。どうやら目の前の悪魔の師匠もまた、世界のために家族殺しの罪を背負ったのだと。そして、グレイもまたそれを背負おうとしている事を。
だが、自分には止められない。この都市に生きる者にも止められない。何より本人が止まろうとしないだろう。
「さて。冷えてきたし酒場に戻るとするか。アスフィの手伝いもしなきゃならねえし」
グレイはそんな覚悟を笑顔の仮面で隠し、ひらひらと手を振りながら男神に背を向け、来た道を戻り始める。
ほんの一瞬、市壁の上へと視線を投げ、こちらに背を向け歩き出した少女の影を見つめながら、小さく鼻を鳴らす。
──決着だ。決着をつけよう。その為に、俺をこの世界に呼んだんだろう。
一人残されたヘルメスは、遠ざかるグレイの背中を静かに見つめていた。
彼は英雄となるだろう。きっとこの世界にかかせない存在となる。
この世界へと侵攻を始めた悪魔への抑止力。
人類の新たな希望。
異端の悪魔。神に最も近く、遠い者。
「キミはそれでいいのか、グレイ」
それでもその魂はあまりにも人間臭い。
悪魔でありながら人間と同じような感情の機微を持つ、悪魔からすれば肉体と魂にズレを生じさせた破綻者。
だからこそヘルメスは憂いていた。この戦いで彼が傷を負う事を。その戦いで彼が英雄となる事を。
「
「それを棚にあげて言わせてくれ。すまない、グレイ。キミに重荷を背負わせる」
──そして、どうか世界を救っておくれ。異端の英雄。