ダンジョンに訳ありデビルハンターがいるのは間違っているだろうか   作:EGO

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Mission32 壊れる天秤

 魔力と瘴気の尾を引きながら、疾駆するのは四つの影。

 ある者は炎を纏い、ある者達は雷を纏い、ある者は得物を携え、狙う命はただ一つ。

 斜線にしか見えない残像を残す程の速度。地面が爆砕し、足場にされた燃える木々が次々と薙ぎ倒される中、彼らに狙われるグレイに焦りはない。

 左手で拳銃を握りながら、器用に大剣を正眼に構えた彼は、ふっと短く息を吐く。

 その僅かな吐息の音が、合図となった。

 シャン!と錫杖が振り鳴らされ、精魔兵の動きが撹乱から攻撃へと転じる。

 四方から鳴り響く破砕音。彼らの踏み込みで地面が砕けた音と認知するよりも早く、炎を纏ったヒューマンがグレイの左から迫る。

 

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

「オラッ!」

 

 咆哮と共に振るわれた剣を、振り向き様の一閃が迎撃。

 下から掬い上げるように振るわれた大剣が精魔兵の得物を弾き、返す刃で頭をかち割らんとするが、それに割り込む形で突っ込んでくるのは雷を纏うエルフ。

 狙うはグレイの背後。大剣を振り上げ、攻撃に移ろうとしていた刹那に迫る凶刃。

 

「すっとろいんだよ!!」

 

 けれど突き刺さったのは凶刃ではなく、エルフの精魔兵の顔面に放たれた左腕の肘鉄(エルボー)だった。

 大剣を振り下ろす間際に無理やり体を半身にし、背後に迫った刺客を迎撃したのだ。

 鼻骨を砕き、頭蓋を砕き、文字通り顔面を陥没させた一撃は致命傷に他ならない。

 濁った色をした大量の血反吐を吐きながら体を仰け反らせるエルフの精魔兵。

 肘を真っ赤に染めたグレイはその流れのままに腕を伸ばし、銃口を彼の眉間に向け、すぐさま発砲。

 魔力の炸裂する音と共に放たれた魔弾は寸分の狂いなく眉間を撃ち抜き、その命を奪う。

 両手の得物を取りこぼし、魔界の瘴気に蝕まれた体を、背中から地面へと倒していく。

 

「────ッ!アアアアアアアア!!!」

 

 かに見えたが、彼の体は地面に落ちる寸前に踏ん張り、咆哮と共に発雷。

 図らずも両者にとっての至近距離。精霊と魔具、反発しあう魔力はすぐに臨界を迎え、全身を駆け巡った雷が信号となり、肉体に限界を超えた駆動を強いる。

 潰れた顔面が、眉間に開いた風穴が、時間が逆巻くように元の姿を取り戻し、グレイが驚愕に目を見開いた瞬間、精魔兵の腕がブレる。

 雷を纏った拳が、本物の雷さながらの速度をもってグレイに放たれたのだ。

 彼は表情を驚愕に染めたまま反射的に大剣を振るい、精魔兵の手首を切断。

 雷を纏い、握り固められたままの拳が宙を舞い、内側から溢れ出した雷によって焼き尽くされ、灰となる。

 返す刃でエルフの精魔兵の体を袈裟懸けに切り裂き、血が吹き出すよりも早く彼の体を蹴り飛ばす。

 槍の如く放たれた蹴撃は鈍い快音が響かせ、砕いた骨が肌が突き破り、内臓を破壊しつくす。擬似的とはいえ第一級冒険者にも勝る身体能力(ステータス)を持つ肉体に、蹴りの一撃でもって致命傷を刻んだ。

 確かな手ごたえに鼻を鳴らすグレイ。

 血反吐を吐き、崩れ落ちるエルフの精魔兵だが、次の瞬間にはギチギチと肉が捩れ、骨が軋む音と共に、肉体が修復されていく。

 不気味に腹部が蠢き、肌を突き破った骨が体内へと格納され、傷口が塞がっていく。

 切断された右の拳は歪な形をした肉塊となって再生し、再び雷を纏った。

 

「……人間、辞めさせられたか」

 

 下界最高峰(グレイ)が殺す気で蹴ったといのに、原型を留める耐久力(タフネス)

 人間ではあり得ない自己修復能力。

 もはや人間の枠組みには納まらない異能。

 もはや確かめるまでもない程に進んでいた魔具による汚染は、生物としての根幹さえも揺るがし、その血を、遺伝子を、魂を歪ませていく。

 精魔兵といえば聞こえはいいかもしれないが、もはや彼らは血の一滴に至るまで悪魔へと成り果ててしまっている。

 例え人と魔を別つ力を持っていたとしても、もう人としての部分が残っていないのなら意味はない。

 グレイの目が細まる。瞳に宿る蒼炎が勢いを増す。

 精魔兵達が警戒を露わにし、威嚇するように唸る中、シャン!と錫杖が振り鳴らされた音が全員の耳朶を撫でていった。

 瞬間、四つの影が駆け出し、グレイがそれを迎え撃つ──寸前、大剣を頭上へと投げた(・・・)

 自ら武器を放棄し、無防備を晒しながら、四方八方から迫る凶刃を前にしても若き悪魔狩人(デビルハンター)は怯まない。

 蒼炎纏う大剣が頭上で回転を繰り返す中、一瞬の閃光と共に四肢を覆うのは魔具『ゴリアテ』。

 脱力し、構えも取らずに深く息を吐いた瞬間、斬撃の嵐が彼に襲いかかった。

 背後から、頭上から、両脇から、前後同時。四方同時。ありとあらゆる方向から乱撃が放たれる。

 死角を突いている。二本の腕では防ぎようのない攻撃を仕掛けている。第一級冒険者でも対応しようのない攻撃が放たれ続けている。

 けれど当たらない。精魔兵達の凶刃を、余裕さえも感じる速度でもって差し込まれる籠手で受け止められ、グレイの魔具と精魔兵の得物がぶつかり合う甲高い音が鳴り響く。

 グレイの瞳は動き回り、大気を漂う僅かな魔力の流れを見逃さず、澄ませた耳が炎が吼える轟音に隠れた大地を踏み締める微かな足音を聞き逃さない。

 故の超反応。ほんの僅かでも攻撃の予兆を感じたならばそれは不意打ちではなく、不意打ちでなければ防げぬ道理なし。

 まさに絶対防御(ロイヤルガード)。甲高い金属音に混ざり、彼の腕に魔力が渦巻く重低音が骨を震わせる。

 防ぐ度、溜まり続ける魔力。精魔兵達は察する。もう間も無く、必殺が来ると。本能が警鐘を鳴らす。

 理性の欠片も残されていない彼らにも、ほんの僅かに残っている生物としての本能が逃走を命じるが、シャン!と錫杖が鳴らされると共に本能すらも封じられた兵器へと戻される。

 

「ガアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 精魔兵達が吼え、地を蹴る。

 ヒューマンの一撃を右腕で受け、エルフの拳を左腕で流し、獣人の蹴撃に脚を合わせ、受け止める。

 続け様に鳴り響く甲高い衝突音は、全てが完璧な防御(ロイヤルブロック)である証。

 

「オアアアアアアアアアアアア!!」

 

 そして、最後に迫ったのはドワーフだった。

 種族による速力の差もあっただろうが、グレイは既に気づいている。

 確かに一つの意志の元に統率され、指示通りに動いてくるのは脅威だ。だがその指示を受け取り、行動に移すまでに僅かなズレが生じる。それは兵器として調整された彼らも例外ではない。

 精魔兵の中で最も反応が速いのはヒューマン。遅いのはドワーフ。指示を受けた際の位置の都合もあるだろうが、グレイはそう判断した。

 故に、この瞬間を待っていた。

 背後より迫るのは雷を纏ったドワーフの一撃。摺り足で振り向くのに半秒もかけず、腰を捻り、力を溜める時間は更に短く。

 

「──じゃあな(adios)!」

 

 別れの言葉と共に溜められた魔力が解き放たれ、その全てが込められた右の掌底がドワーフの半身を抉り取った。

 胸に突き刺さった魔具も、脊髄に突き刺さった武器化した精霊も、実験の過程でLv.6相当まで高められた肉体を、たったの一撃で破壊する。

 

「────…………」

 

 炉心でもあった魔具と精霊を失い、心臓を失い、頭部の半分を失い、ようやく精魔兵は活動を停止する。

 魔界の瘴気に犯され尽くした肉体がひび割れたかと思えば灰へと変わり、屍を晒すことさえも赦されない。

 人としての終わりさえも与えられない彼らに、グレイがほんの一瞬同情の視線を向けた瞬間、地面を爆砕した轟音と大地が揺れた振動が彼を襲った。

 

『オオオオオッ!』

 

 部下を失い、ようやく動き出した『黒騎士』の速度は精魔兵の比ではない。

 斜線さえも残さない神速に、けれどグレイは怯まない。一度指を鳴らして放り投げた大剣を呼び戻し、大剣もまた瞬間移動もかくやという速度でもって主人の手元に馳せ参じる。

 

「オラ!!」

 

『オオッ!』

 

 大剣を握ると同時に片手一本で振り抜いた一閃と、突撃の勢いを上乗せした『黒騎士』の剛撃が交差する。

 ガキャン!と耳障りな金属音が鼓膜を殴りつけ、力がほぼ拮抗した二人は同時に体を仰け反らせ、体勢を崩す。

 グレイは舌を弾き、背後から襲いかかってきた獣人の精魔兵に一瞥もくれずに裏拳(バックフィスト)を叩き込み、頭部を粉砕。

 柘榴のように頭部が弾け、半ば腐っている脳髄がぶちまけられる。

 魔力の制御を司っていた頭部を失うと共に胸に突き刺さる魔具は魔力を暴走させ、延髄に突き刺さる武器化した精霊もまた溢れ出す悪魔の力に抗わんと魔力を暴走させ、両者に耐えきれなかった肉体が内側から弾け飛ぶ。

 ぶち撒けられる血と臓物、骨、そして精霊の魔力を全身に浴び、魔力で肌を焼かれながら、ひるむことなく前へ。

 

「ルゥオオオ!!」

 

 獣の如き咆哮と共に、『黒騎士』の胴体に拳を打ち込んだ。

 金属がへしゃげる砕音と共に『黒騎士』は苦悶の声をあげ、拳が振り抜かれる勢いのままに吹っ飛んでいく。

 地面に踵をめり込ませ、剣を突き立てる事でようやく止まった『黒騎士』は歪んだ腹部の装甲に目をやり、苛立つように牙を剥き出しにして唸る。

 グレイもまた手応えのなさに舌打ちし、左右から切り掛かってきた精魔兵の挟撃を大きく後ろに跳ぶことで回避した。

 

「少しくらい割れてもいいだろうが、クソが」

 

 着地と共にそうぼやき、歪んだだけの装甲を睨みつける。

 心のどこかで中身を気にしてビビってしまった、手を抜いてしまっているのではないか、そんな疑問を思いつつもやる事は変わらんと大剣を構える。

 

『オオオッ!』

 

 そして、動いたのは『黒騎士』。地面を爆砕し、瞬間移動に見違える程の速度をもってグレイに肉薄、割れた刀身から魔力と神威を迸らせる大長剣を振るう。

 対するグレイも大剣で迎撃。この世界にあってはならない二つの得物が人外の速度でもって振るわれ、空間を裂き、魔力が弾け、神威が翻り、打ち合う度に魔力と神威の混ざり合う極彩色の火花を撒き散らす。

 お互いに振り抜けば必殺の間合い──だが、その必殺を放つ隙がない。

 その隙を探りながら、あるいは生み出すための剣撃は加速を続け、二人を中心に斬撃が嵐となって吹き荒れる。

 状況はほぼ拮抗。すぐに切り刻む事も可能だろうに、それができないグレイは苛立ちを隠そうともせずに舌を弾き、どうしたものかと思慮を巡らせる。

 先程の拳撃で鎧が割れてくれればそれで済んだのだが、加減を間違えてしまった。そのせいで少々慎重にならざるを得ない。

 

(俺らしくねえ。だが、下手を打つとリオン達が死ぬ)

 

「「ガアアアアアアアア!」」

 

「おっと、無視して悪いな!」

 

 そして胸中で自虐の言葉を吐いた瞬間、咆哮と共に炎を纏ったヒューマン、雷を纏ったエルフの精魔兵が強襲した。

『黒騎士』の猛攻を捌きながら、そこに加わる二つの猛威を前にしてもグレイは不敵な笑みを崩さない。

 三体一。数では負けている、なのに圧倒的なまでの速度をもって大剣を振るい、手数はこちらが勝る。故に一太刀たりともグレイには届かず、『黒騎士』の鎧と精魔兵の肉体には次々と傷が刻まれていく。

 

「どうした、そんなもんかよ!」

 

『黒騎士』の剛撃を大剣で受けて逸らし、間髪入れずに放たれる二人の精魔兵の魔力が混ざり合った炎雷の爆発を後ろに跳躍して回避。

 着地を狩らんと地面を爆砕させて駆け出した『黒騎士』に対し、グレイは足元に展開した魔法円(マジック・サークル)を足蹴に空中でバク宙。

 一秒後に彼が落ちる筈だった場所に向けて振るわれた大長剣の一閃は空を斬り、お返しと言わんばかりにその顔面にグレイの蹴りが叩き込まれた。

 金属がへしゃげる異音と共に兜に深々とひびを刻まれ、体を仰け反らせた『黒騎士』は、空中にいるグレイに向けて大長剣を振るう。

 だが彼は背中に黒翼を展開して更に空中で身を捻り、紙一重でそれを回避。

 

「もう一発!」

 

 さらに身を捻って勢いをつけ、再び顔面に蹴りを叩き込む。

 再び鳴り響く異音と共に兜のひびを更に深く、大きくさせながら『黒騎士』はたたらを踏む。

 ようやく着地したグレイが追撃せんと地を蹴った瞬間、立ち塞がるのは二人の精魔兵。

 炎と雷で壁をつくり、彼の進撃を止めんと身構えた。

 流石に鬱陶しそうにグレイが目を細め、障壁諸共に叩き斬らんと大剣を肩に担ぐように構えた瞬間、それは届いた。

 

「──【ルミノス・ウィンド】!!」

 

 グレイを追い抜く形で精魔兵に襲いかかったのは、風を纏った十五の光球。

 

「「ッ!!」」

 

 驚倒に目を見開く精魔兵達は、次の瞬間に炸裂した光球に込められた魔力の濁流へと呑み込まれた。

 だが、それも一瞬のこと。光の中から溢れ出した炎と雷が風を喰らい尽くし、破壊された肉体を修復していく精魔兵の咆哮と共に風が掻き消される。

 

「「グレイ!」」

 

 背後から聞こえた二人の少女の声、グレイは振り返ることもせずにひらりと左手を振って答え、加速。

 今の魔法と声から、後ろから追ってきているのは少なくともリオンとアリーゼの二人は確定。

 ならば、自分がすべきは活路を開いてやる事。

 リオンの魔法で抉り取られた肉体を修復し、炎雷の障壁を強化せんと魔力を溜め始めた二人の間にグレイは体を滑り込ませ、左右に対して同時に拳を突き出し、二人の脇腹に拳砲を打ち込む。

 精魔兵でも反応不可の速攻に、二人は脇腹を抉られながら左右に飛ばされる。

 

「行け!」

 

 同時に炎雷の障壁も左右に割れ、碧く輝く木刀を携えたリオンが、四肢と剣に炎を纏ったアリーゼが、燻る魔力の残滓を踏み越えて飛び出していく。

 

『……ウゥ』

 

 迫る正義の少女達を前に、『黒騎士』はほんの僅かに狼狽えたように声を漏らす。

 だが、それも一瞬のこと。すぐさま大長剣を構え、迫る二人を迎撃せんと振るう。

 グレイだからこそ反応が赦された剛撃は、けれど先程までのキレがない。

 その理由を一人察したグレイが僅かに眉間に皺を寄せ、すぐさま二人の背を追って走り出す。

 

「「はぁ!!」」

 

 どす黒い魔力と濃密な神威を纏う剣撃を、リオンとアリーゼは二人がかりで押さえ、渾身の力でもって弾く。

 弾かれる大長剣。体勢を崩す『黒騎士』。瞬間、その顔面に突き刺さるグレイ渾身の両脚蹴り(ドロップキック)

 響き渡る快音と共に『黒騎士』の巨体が吹き飛び、数十M(メドル)先の岩へと叩きつけられた。

 着地など欠片も考慮していない攻撃の直後、グレイはべちゃりと無様なまでに地面に倒れるが、すぐさま跳ね起きて大剣を構える。

 

「グレイ、聞きたい事があるんだけど」

 

「ああ。まあ、見りゃわかるとだけ言っとく」

 

 そんな彼にアリーゼが何かを問おうとすると、グレイは『黒騎士』に切先を向けながらその言葉を制した。

 

「ふ、二人とも、置いてかないでよ」

 

 そして神妙な面持ちで前を見つめる二人と、その会話の意図が読めないリオンの下にマリューが合流を果たす。

 彼女の合流にグレイは笑みを浮かべ、「手間が省けたな」と彼女に目線を送る。

 

「どうせ終わったらお前かリヴェリアのとこに行かなきゃならなかったんだ、少しだけだが時短になったな」

 

「……!どこか怪我したの!?すぐに回復を──」

 

「いや、俺じゃねえ。これから怪我人が出るからすぐに動けるようにしとけ」

 

 そして何やら意味深に告げられた言葉にマリューが困惑する中、己がめり込んだ岩を破砕しながら、『黒騎士』が姿を現した。

 

『ゥゥ……』

 

 兜の眼窩から光が消え、ひびが兜全体へと広がっていく。

 

「来たからには覚悟決めろよ、お前ら」

 

 その様子を眺めながら、グレイがアリーゼ達に覚悟を問うた。

 

「神時代がどんな時代か、俺はよく知らねえしあんまり興味もねえけどよ。きっと、これは初めての事だと思うんだよな」

 

『黒騎士』が前に出る。兜の一部の脱落し、胡桃色の髪が(・・・・・・)零れ出る。

 リオンとマリューが言葉を失った。アリーゼが予感の的中に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 

「神と人が共に生きる時代で、神と人が殺し合う(・・・・・・・・)なんて事、本来ならあっちゃならねえが、まあ状況が状況だ、仕方ねえ」

 

 グレイが憐憫の表情と共にそう告げた瞬間、パリンと儚い音を立てて『黒騎士』の兜が完全に砕け散った。

 そうして姿を現したのは、苦痛と狂気に表情を歪ませる一柱(ひとり)の女神だった。

 顔のあちこちの血管が浮かび上がり、不気味に脈動し、見開かれた深い藍色の双眸は血走り、焦点が合わないのか不気味に揺らぎ続けている。

 

「アストレア、様……?」

 

 見間違える筈がない。だが、目の前の事実を信じられないように、リオンはその名を呼んでいた。

 

「アア……アアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

 

 彼女の呼びかけへの返答は、理性の欠片もない女神の咆哮だった。

 大気を震わせ、もはや隠すつもりもなく『正義』を司る神威を解放する。

 

「そんな、嘘……っ」

 

 超越存在(デウスデア)が放つ物理的な圧力まで孕んだ迫力に膝を屈しそうになるマリューは、目に涙を浮かべながらぎゅっと杖を握り、震える膝を叩いて自分を鼓舞した。

 この場にいる治療師(ヒーラー)は自分だ。万が一の事が起きた時、アストレアを救えるのは自分だけなのだ。

 ならば折れるわけにはいかない。屈するわけにはいかない。

 

「三人とも、手を貸してくれ」

 

 そして彼女が覚悟を決めると同時に、グレイが三人の少女に声をかけた。

 灰色の外套(コート)を神威が産み出す突風に揺らしながら、悪魔の少年は目の前の上位存在の憤怒から逃げ出そうとする本能を理性と、その誇り高い魂でもって捩じ伏せ、大剣を構える。

 

「アストレアを助ける」

 

「簡単に言いますが、勝算はあるのですか?」

 

 頰に冷や汗を流しながら、それでも気丈に問いかけてくるリオンに、グレイは眉間に皺を寄せて険しい表情となる。

 

「賭けになる。上手くアストレアを引っ張り出せるかどうか、だな」

 

 片目を閉じてじっとアストレアを観察しながら、鎧の手足とアストレアの手足の長さを目測し、ギリギリを見定める。

 胴回りの大きさには余分がある。前部の装甲を完全に破壊し、切り開き、手足を砕いて固定を緩めれば、いける筈だ。

 

「胸がデカいのだけが不安だが……」

 

 思い描くアストレアの輪郭はグレイが知る誰よりも女性的で、何より深い谷間を作る双丘は否が応でも目についてしまう。

 面と向かって顔を合わせた時間は僅か、それでも彼女の体つきは目に焼きついている。どちらかといえば警戒対象として、だが。

 

「グレイ、今なんと言いましたか?」

 

 横でこの状況であまりにも呑気な事を口にしたグレイに、リオンが冷たい視線を向ける中、シャン!と音を立てて錫杖が振り鳴らされた。

 主人の命に馳せ参じるのはエルフとヒューマンの精魔兵。グレイに抉られた脇腹の修復も終わり、二人は雷と炎を纏いながら臨戦体勢に入る。

 

「まずはあいつらを──」

 

 邪魔者の登場にグレイが心底鬱陶しそうに溜め息を吐き、瞬殺せんと身構えた瞬間、二人の胸を背後からの貫手が貫いた。

 

「ガッ……ェ……」

 

「────…………」

 

 精魔兵は何が起きたのかを理解できないまま、自身の胸を貫き、そこに刺さっていた魔具を掴んだアストレアの腕を見下ろし、その瞳から光を消した。

 全身を脱力し、魂が剥がれ、ただの肉塊へと成り果てる精魔兵。その死体も次の瞬間には内側から朽ち果て、塵となって消えていく。

 二人の痕跡は彼女の手に残されたのは二振りの短剣と、足元に転がる武器化した精霊だった。

 

「「「「…………ッ!」」」」

 

 アストレアが敵対者とはいえ人を殺した。

 その事実にグレイ達が言葉を失う中、微細な魔力を感知したグレイが振り向き、湖畔を見下ろす崖の上に目を向けた。

 そこにいたのは不気味に輝く悪魔の文字が浮かび上がる魔法陣を広げ、操作しているヴァニタスだ。

 そしてその作業は既に終えたのか、魔法陣を消すと共にグレイを嘲笑いながらひらひらと手を振っている。

 

「あのクソ野郎が……!」

 

 半ば反射的に拳銃(アッシュ)の照準を彼に向け、引き金を弾く。

 放たれた魔弾は一直線にヴァニタスに向かっていくが、彼が魔弾の到達の前に大剣を掲げ、背後に開いた次元の穴へと潜ってしまう。

 獲物を失った魔弾はそのままダンジョンの壁へと向かっていき、小さな穴を開けるに止まった。

 

「野郎、一体何を仕込みやがった……!」

 

「グレイ、あれを!」

 

 ヴァニタスの細工に表情を険しくさせるグレイに、リオンの悲鳴にも動揺の声が響く。

 慌てて振り向き、視線を向けるのはリオンではなくアストレアだ。

 バキバキと音を立てながら両手に握られた魔具が籠手の中へと取り込まれていったかと思えば、変化が起こる。

 鎧の表面が生を帯びたように不気味に蠢き、脈動し始める。

 アストレアの顔に鎧から飛び出した触手が絡みつき、そこから枝分かれした葉脈を思わせる極細の触手が肌に貼りつき、突き破り、根を張っていく。

 

「アァ……ッアアア………!アアアアアアアアアア!!!」

 

 全身を魔界の瘴気に犯され、肉体の内側を物理的に這い回られる痛苦に悲鳴をあげるアストレア。

 全身を痙攣させ、目からは涙を流し、口からは大量の泡が溢れ出す。

 頭を抱え、全身に魔力渦巻く放電現象(スパーク)を起こしながら、出鱈目に大長剣を振り回して斬撃をばら撒いていく。

 

「あれは、ヤバい……!」

 

 目の前で起こる女神の変化に眷属(ファミリア)の少女達が困惑し、言葉を失う中、グレイだけが状況を正しく理解して走り出していた。

 邪魔者はいない。距離も遠くない。今ならまだ間に合う!

 

「歯ぁ食い縛れ、アストレア!!」

 

 瞬時にアストレアの懐に入り、蒼炎を纏う大剣を下段から振り上げる。

 地面を抉り、焦がしながら振るわれた一閃はアストレアに迫り──。

 

「──『デビルトリガー』」

 

 一切の感情が排除された女神の呟きと共に絶大な魔力と神威が閃光と共に解き放たれる。

 大剣の一撃は障壁となった魔力と神威に阻まれ、次の瞬間には至近距離で両者の解放に巻き込まれたグレイの体が宙を舞う。

 

クソが(Fuck)……ッ!」

 

 空中で身を翻し、危なげもなく着地を決めたグレイが悪態を吐くと共に、大剣を構え直した。

 頰を伝う冷や汗を無視し、手の震えを抑え込み、深く息を吐いて魔力を全身に流す。

 女神を包む閃光が晴れる。そして姿を現したのは有翼となった女神の姿だった。

 女神の美貌はそのままに、頭からは小さな一対の角が生え、胡桃色の髪も一部が黒く染まっていた。

 肌は病的に青白く、対照的に背から生えた一対の翼は黒く、羽ばたく度に黒い羽が舞い散る。

 纏っていた鎧も女神の体に合うように形を変え、開いた胸元から双丘が生み出す谷間が露出させているが、いやらしさなど感じよう筈がない。

 圧倒的なまでの重圧(プレッシャー)

 神威が混ざる異質な魔力。

 

「ハァァァ────…………」

 

 女神は深く息を吐き、感情が排除された顔をグレイに向ける。

 星海を思わせた深い藍色の瞳も濁りきり、けれど孕む狂気に歪みはない。

 構えるグレイを警戒するように見つめていると、不意に彼女の隣に並び立つものがあった。

 宙に浮きながら、主人の危機に馳せ参じる忠臣のように現れたのは、二振りの長剣。

 先程まで精魔兵の動力源とされていた武器化した精霊が、魔界の瘴気で狂わされたまま、それでも女神(あくま)を護らんと最後の力を振り絞り、立ち上がったのだ。

 その行動こそが彼女を追い詰めている事も、もはや理解できてはいまい。

 

「そのまま寝てろよ、クソったれが」

 

 高純度の魔力を纏う二振りの長剣を交互に睨みつつ、グレイが息を吐く。

 

「グレイ!」

 

 そして、女神に挑まんとするグレイの隣にも並び立つ者がいた。

 あまりにも異常な事態に混乱しながらも、それでもグレイの力とならんとするのは正義の妖精と、熱き正義を胸に秘めた少女。遅れて治療師(ヒーラー)の少女も合流し、戦闘態勢となる。

 

「何か、作戦があったりする?」

 

「博打になるが、構わねえか?」

 

「例え不可能に近く共、それでアストレア様が救えるのなら……!」

 

「何がなんでも私が癒します!」

 

 アリーゼの問いかけにグレイが肩を竦め、リオンとマリューが気合いを入れる。

 少女達の想いにグレイは笑い、大剣の鍔で骸骨に噛まれている水晶に目を向けた。

 そこに封じられた蒼い魔力を滾らせる欠片を見つめ、呟く。

 

「人と魔を分かつなら神と魔も分けてみせろ、閻魔刀(ヤマト)!」

 

 主人の声と期待に応えるような、同時に『お前も上手く使ってみせろ』と煽るように、破片が淡い魔力光を放つのだった。

 

 

 

 

 

 




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