ダンジョンに訳ありデビルハンターがいるのは間違っているだろうか 作:EGO
遠くから聞こえる冒険者と悪魔の闘争の音。
星乙女達の猛る声が、妖精の歌い声が、大戦士の怒号が、戦猫の駆ける音が、少女が起こす暴風の音が、誰よりも力強い青年の剛剣の音が、誰よりも速い少女の一閃の音が、戦場から遠く離れた崖上にも聞こえてくる。
辛うじて拮抗。だが少しずつあちらの優勢へと傾く戦況に、アストレアとヘルメスは表情を険しくさせた。
「グレイ君ともう一人の悪魔が頑張ってはくれている。だが決定打に欠ける、か」
ヘルメスは今にも飛ばされそうな帽子を押さえながらそう呟く。
グレイとステラの猛攻でどうにかなってはいるが、少しずつ二人でさえも破壊できない外殻の形成は進み、あと五分もしないうちに全身を覆うことだろう。
魔石まで届かない。万が一外殻を砕けたとしても、魔石を移動されてしまえば体力の無駄遣いで終わる。そうなれば、確実に負ける。
だからだろう。グレイとステラも少しずつ動きが繊細になり始めている。省エネといえば聞こえはいいが、いかに消耗を抑えても消耗自体はしているのだ。二人の魔力も無限ではない以上、いつか限界はくる。
外殻を砕けるだけの力を使いつつ、魔石を砕く余力を残す。それができれら完璧ではあるが、今の二人にはそんな余裕はない。
「アリーゼ。みんな……っ」
そして二人ですら余裕がないということは、冒険者達はそれ以上に余裕がないということだ。
魔法やスキルの連続行使。限界を超えた肉体の駆動。彼らも全員呼吸を乱し、珠の汗を滲ませている。
二柱の緊張を感じてか、ヘルメスの眷属達も固唾を飲む中で、不意に第三者の声が彼らに届く。
「このままいけば、あれが勝つな」
弾かれるように振り向いた先。『絶対悪』がそこにいた。
地獄の業火に焼かれる
「ヴァニタスに計画を引っ掻き回されたのは癪だったが、こうなれば結果オーライ。終わりよければ全てよし、か」
自陣営の勝利を疑わない『絶対悪』だが、言葉とは裏腹に少々の苛立ちと不満の色が滲んでいた。
このままいけば、確かに
邪神の望んだ未来。悪が勝利する瞬間が目の前に来ているというのに、邪神はどこか上の空の様子で冒険者達の戦いを見つめている。
「エレボス」
「やあ、アストレア。それに我が友ヘルメスじゃないか。後ろのはお前の
「ああ。そうだよ、エレボス。本当に、久しぶりだ」
邪神、エレボスはその名を呼ばれ、友人にするように軽く手を挙げて見せた。
ヘルメスの眷属達が一斉に殺気立つが、ヘルメスが手で制することですぐさま取り押さえることはしない。
そんな姿に「お優しいことだ」と肩を竦めたエレボスは、再び視線を戦場へと向けた。
冒険者と悪魔が手を取り合い、巨悪の化身たる
けれど、この英雄譚はこのままいけば英雄達の敗北という
「一つ聞かせて」
「構いはしないが、その前に一つ俺からの質問に答えてくれ」
アストレアの言葉にエレボスは要求を重ねる。
彼女からの返答はなかったが、無言の肯定と受け取って言葉を続ける。
「未遂とはいえ君は悪魔になりかけた。どんな気分だ、自分の眷属に敵として立ちはだかるのは」
「いいものではないわ。言わなくともわかると思うけれど」
「おいおい、俺は『絶対悪』だぜ?わかるに決まっているだろ」
アストレアの殺気さえも滲んだ言葉に、エレボスは笑って受け流す。
『悪』を貫く身として、人の嫌がることは一から百まで理解していると豪語する邪神は、あれもあくまで嫌がらせだと言わんばかりの様子だ。
「まあ、ほとんどヴァニタスの独断だ。だが、興味深いものが見られた」
そして肩を竦めて手綱を握れていなかったことを自白しつつ、それすらも良しとする。
「不変たる我々も、悪魔の手を借りれば変われるとわかった。これは大きな収穫だ」
ヴァニタスの暴走からも実を得たと笑い、胸に当てた自分の手を見下ろした。
「そう、神も変われるのさ。本当に面白い」
悪魔に影響されて、不変の存在たる神がそのあり方を歪める。
下界どころか異界の未知。これを最高の娯楽と言わずしてなんと言う。
エレボスは「俺も悪魔にしてもらうべきだったか?」とどこまでが冗談なのかわからないことを宣うと、アストレアへと視線を戻す。
「さあ、そっちの番だ。聞きたいことは?」
質問には答えてもらった。約束通り、そちらの質問は?
エレボスの問いかけに、アストレアは一度目を伏した。
ヘルメスが疑問符混じりに彼女を見つめる中、女神は持ち上げた視線をステラに向けた。
目的の一致。ただそれだけにしては必死に、懸命に、世界を滅ぼす邪悪の化身を討ち取らんと戦い続けている。
「貴方は一体、悪魔と手を結んで何をするつもりなの?」
「何を今さら。もちろん下界を混沌で──」
「エレボス。真剣に答えて」
そして何度でも言おうと言わんばかりに堂々とエレボスが宣言しようとした瞬間、アストレアが待ったをかけた。
「オレからも同じことを聞かせてもらうぜ、我が友よ。お前はそんな物騒なことを言い出す奴じゃなかっただろう」
ヘルメスも女神に続き、エレボスを問い詰める。
二柱の神の問いかけに、邪神は僅かに眉を寄せながら顎に手をやり、言葉に迷う素振りを見せる。
「先程の繰り返しになるが、俺も悪魔に魅せられて変わったということさ。あんなのを目の当たりにしたら、やりたいことをしたくなる」
エレボスは『悪魔に影響され、神は変わる』という先程の持論を改めて口に出し、自分もまた変わったと豪語する。
グレイのように『英雄』たりえる者。
ステラのように『覇者』を貫く者。
ヴァニタスのように『生』にしがみつく者。
マルコシアスのように『強者』たりえる者。
獣のように生きる者。
己の意志なく、ただ動き続ける者。
人類のそれと同じか、それ以上にバラバラで、纏まりのない異界の者達。
彼らとの出会いは偶然で、けれどここまでたどり着くのは必然だった。
「──世界を変えたくなったのさ。悪魔の到来も知らずに、惰眠を貪ってる連中の顔を踏みつけてやりたくなった」
世界は変わる。いいや、誰も知らない内に変わっていた。
いつかはわからないが悪魔はこの世界に入り込み、既に侵略の為の根を張っていた。
この戦争で世界は悪魔という存在を知り、その脅威を知った。
神、人、悪魔が入り混じる新たな『時代』と、新時代の『英雄』の到来を知った。
「エレボス。貴方……」
アストレアは邪神の言葉から何かを察する。ヘルメスも僅かに目を見開き、何かに気づいた様子を見せる。
眷属達だけがその意図を察しかねる中、二柱の神に神意を悟られたと気づいたエレボスは「言いすぎたかな」と肩を竦め、戦場へと目を向けた。
その瞬間、階層はおろか
それは一瞬の油断。ほんの一瞬の呼吸の乱れが生んだ、致命的な隙だった。
度重なり訪れる『死』の鯨波。それを乗り越える足は重く、一歩を踏み出すことすらも難しい。
だが、冒険者達は乗り越え続けた。自身に降りかかる『死』を払いのけ、邪悪を打ち滅ぼさんと走り続けた。
そして走り続ける者は、やがて転ぶ。どうして今日なのか、なぜ限って今なのか、いっそ憎悪さえも湧くほどの
形こそ違えど、真正面からの殴り合い。無尽蔵の魔力と、それが可能とする不死身の肉体を前にして、真っ先に膝をついたのは幼き剣姫だった。
ステラの攻撃による負傷。それ以上にその身にのし掛かった黒い風の行使による負担。
冒険者であれば耐えねばならないその痛みに、幼い体は耐えられなかった。
声にならない悲鳴と共に膝をつき、次の行動に一手遅れる。
その一手が致命的だった。
隙を見せた獲物を、ヴァニタスは見逃さない。
グレイが空を蹴って援護に向かおうとするが、それを阻止するように
放たれたそれを回避、迎撃にそれぞれ半秒。その間に振り上げられた前肢が棘に塗れた外殻に覆われ、次の瞬間には振り下ろされる。
「あ……」
『死』に捕まった。アイズはそう直感した。
小さく漏らした声は
アレンもしかり。槍を振るい
【アストレア・ファミリア】とてそれは同じ。むしろ
だが。いいや冒険者には救えぬ命だからこそ、悪魔は手を伸ばす。
ブン!と空間が軋む音と共にその場から掻き消え、現れるのはアイズの目の前。
刀を頭上で水平に構え、峰に手を押し当てて両脚を地面にめり込ませる。
瞬間、甲高い金属音が鳴り響き、階層はおろか
「〜〜〜〜ッ!!!」
今までの生涯で初めての重さにグレイは目を見開き、耐えきれずに腰が深く沈み、片膝をつく。
それでも外殻も
「逃げるならさっさと逃げて欲しいんだが……っ」
全身に力を入れて踏ん張りながら、声を絞り出す。
そしてアイズが踵を返して離脱しようとした瞬間、彼女の顔に何かの液体がぶち撒けられた。
「ぇ……?」
頬に張り付く生温かな液体が血であると、鼻につく鉄の香りが教えてくれる。
アイズがゆっくりと振り向くと、そこには
ごぼりと血を吐きながら、それでも倒れない彼は振り向くことなく叫ぶ。
「さっさと逃げろ、ちびっ
「ッ!──!」
彼の叫びに突き動かされるがまま、アイズは這うように走り出す。その間にも
腕を、脚を、腹を、胸を、貫かれる度に彼の体は揺らぐが、体勢だけは崩さない。
両脚を地面にめり込ませ、命を賭して時間を稼ぐ。
そしてアイズが離脱に成功し、ヴァニタスは忌々しそうに舌打ちを漏らす。だが何か見つけたのか、ニヤリと口角を吊り上げた。
そのまま叩きつけた前肢をそのまま横薙ぎに振るい、冒険者達を牽制ついでにグレイを回避。
振り回された勢いでずりゅりと音を立てて体中を貫く槍から解放されたグレイは、その勢いのままに壁に──神々が集う崖へと叩きつけられる。
大の字で崖に叩きつけられ、めり込みながら血を吐き出すグレイ。
「グレイ!」
「グレイ君!?無事かい!」
崖上から己の名を呼ぶアストレアとヘルメスの声に「生きてるよ!」と返すが、言葉とは裏腹に余裕はない。
グレイはすぐに回復せんと魔力を練り上げるが、
睨みつける視線の先では、もはや結晶の鎧を全身に纏った
魔力が充填され、炎が迸る。それが臨界を迎え、放たれようとした間際、その顎をステラの拳がかち上げる。
あまりにも硬質な打撃音を響かせながら、体を仰け反らせる
ステラは舌を弾き、ベオウルフ弍式に目を向けた。
拳の部分の形が歪み、僅かに魔力が漏れ出ているようだ。
(既に私の攻撃力の上をいかれてますね、これは)
やれやれと溜め息を吐き、さてどうしたものかと思いをはせるステラ。
やりたくはないが、最終手段に頼るしかないのか。
ちらりと壁にめり込んだグレイに目を向け、いや無理かと視線を外す。
「射たせるかぁ!!」
「剣も魔法もまるで効いてないっ!どうしたものかしら、これ!?」
ガレスが
「外殻が薄い関節を狙う!それしかあるまい!」
「爆破してやるから、一気にかかれ!」
リヴェリアが魔力を練り上げながら叫べば、ライラが爆弾片手に叫び返す。
「ライラに合わせますッ!」
ライラを起点にすべく冒険者達が動き、リオンが詠唱に入る中、アレンだけがその誰にも合わせることなく
炸裂する魔法、道具。振るわれる冒険者達の得物。だが、
「上の連中、さっさと逃げろ!!」
どうにか崖から脱出し、神々を巻き込まないように移動しようとするが、身体中に風穴の開く今の彼では満足に動くこともできず、構えられた死神の鎌をただ見つめることしかできない。
その損傷を過剰な魔力で無理やり回復し、本来耐えられない出力を強引に発揮。
『神々諸共、死ね!欠陥品!!』
ヴァニタスが生み出したのは、まさにこの状況だった。
グレイを殺す。ついでに神も殺す。そうすれば鬱陶しい冒険者達の多くが戦う力を失い、それだけ楽に地上に上がれる。
最初からこうすればよかったなどと、必死に彼らを打ち滅ぼさんとしていた自分を自嘲しながら、ヴァニタスは火線を一斉に解き放つ。
瞬間、凄まじい高音の暴風が冒険者達に襲いかかり、その体を燃やす。
放たれた十の火線が一点に収束すると、一本の極太の火柱となってグレイと、神々へと迫る。
「おいおい。マジかよ、あいつ」
エレボスがまさかの同士討ちに思わず声を漏らした。
いっそ清々しいまでの諦観に炎を見つめ、いっそ笑ってしまう。
「アストレア様!」
頬を焼かれながら、それでも叫んだアリーゼの声が轟音に掻き消される。
アストレアは逃げず、隠れず、ただ迫る炎を見つめていた。
「これは無理かな!すまない、
「そういうのいいから、下がってください!!」
ヘルメスがヤケクソの叫びを眷属達に向け、彼らも盾を構えながらヘルメスとアストレアを庇おうとするが、本人達でさえもこれは無駄だと理解していた。それでも彼らは奇跡にかけて盾を掲げた。
冒険者達ですら間に合わないとわかっていた。それでも彼らを走り出していた。
【アストレア・ファミリア】の少女達が主神のために。
【ロキ・ファミリア】の三人が神々を救うために。
【フレイヤ・ファミリア】の戦猫は、目の前で神を見捨てたなどと罵られ、女神の威光を穢さないために。
それでも彼らは間に合わない。奇跡を願っても、偶然に縋っても、都市最速をもってしてもたどり着けない。
だが、奇跡を願わず、偶然に縋らない、
音もなく、ただ左腕の籠手から光を放ちながら、ステラが神々と火線の間に飛び込んだのだ。
「──動かないでください」
淡々と告げられる指示に、神々も、それを守ろうとする眷属達も驚倒のままに動きを止める。
光が集う。大気が震え、彼女の魔力に当てられた足元の小石が浮かび上がる。
左腕の籠手がガチャガチャと音をたてながら変形し、握られた拳をより厚い装甲が包み込む。
変形に伴い開いた隙間から放熱するように勢いよく蒸気が漏れ出した。腰を限界まで捻り、力を溜める。
光が集う。圧縮される。一点に、収束していく。彼女を中心とした力場が生まれ、神々を、眷属を、そして崖下のグレイを護るように包み込む。
「『ヘル・オン・アース』」
迫り来る業火を前にステラはその技の名を告げ、渾身の拳を突き出した。
直後、炎と光が真正面から激突した。凄まじい魔力の濁流が
「ッ!?!」
突き出した拳が押し返される。
ステラは目を見開きながら地面に踵をめり込ませ、その場で踏みとどまる。
『づぅおおおおおああああああああああああ!!!!』
ヴァニタスもまた頭部を焼き溶かしながら火線の出力をあげ、ステラ諸共に神々を焼き払わんとするが、ステラもまた魔力を高め、抵抗する。
光と炎が喰らいあい、辛うじての拮抗を様相を見せる。
「ッ……!ゥゥウウウウウ!!!」
歯を食い縛り、魔力を燃焼させるステラ。
舞い散る火の粉さえも四散する光が呑み込み、神々に一欠片の焔さえも通さない。
拮抗する。光が押し返す。光が、炎を喰らい尽くす。
『グルゥオオオオオオオオ!!』
「ああああああああああ!!!」
ヴァニタスが吼える。火力が上がる。炎が光を呑み込む。
ステラが雄叫びをあげ、拳に更なる魔力を回し、溢れ出した光が炎を押し返すが、それもすぐに押し返される。
ヴァニタスの全力。これほどのものかと瞠目するステラに、更なる不運が襲う。
ビキリと嫌な亀裂音と共に、ベオウルフ弍式にヒビが入る。
過剰な魔力と熱に耐えきれず、魔具が悲鳴をあげたのだ。
魔具の損傷により魔力の流れが滞り、光の勢いが一気に弱くなる。
『ッ!ガアアアアアアアア!!!』
その瞬間を待ち侘びていたように、ヴァニタスが一部の頭部を脱落させながら、トドメを刺すべく出力をあげた。
「なめるな……ッ!」
ほくそ笑む悪魔の思惑を、純粋な暴力がねじ伏せる。
ひび割れた魔具から光が溢れ出し、迫り来る邪悪を打ち払う。
ヒビが広がる。魔具が悲鳴をあげる。だが、それでもステラは倒れない。
抑えきれなかった炎が光の力場を突破し、貫いた炎が彼女の頬を掠め、骨にさえ届く深い火傷を負わされ、左の眼球が一瞬にして蒸発する。
想像を絶する激痛に、けれど彼女は怯まない。
砕けた魔具から光が溢れ、炎を押し返す。その身を焼かれながら、『覇者』は退くことをしない。
力場の破壊は進む。けれどそれは彼女の周囲に限った話。神も、人も、悪魔すらも、力場の中にいるものを彼女以外に傷つくことを赦さない。
隻眼となった彼女は、その痛みさえを糧にして拳を前に押し進める。
そして、決着はあまりにも突然だった。
お互いの限界を遥かに超えた競り合いの果てにたどり着いたのは、
いっそ盛大なまでの大爆発が起き、火線を放っていたそれぞれの首が根本から吹き飛んだ。
「ああ゛あ゛あ゛!!!」
火線が途切れた瞬間を見計らい、ステラは渾身の力をもって拳を振り抜いた。
全てを焼き尽くす業火を、最後の閃光が呑み込む。
代償はベオウルフ弍式の左籠手の全損。そして左前腕の脱落だった。
ヴァニタスの炎とベオウルフ弍式の光。その二つに晒され続けた彼女の左腕は骨まで溶かされ、そのままドロリとした半液体状の肉塊が彼女の足元に垂れた。
左腕と顔の左半分から湯気をあげながら、ステラは「本当、嫌になりますよ……」とぼそりと呟き、背負っていた大剣を抜刀。
「あとは任せましたよ、兄様」
血や灰、煤に汚れながらも鏡のように透き通る刀身に映る己の顔は、まさに酷いものだ。
焼き爛れた左頬。眼球が蒸発し、空になった左の眼窩。他にも大小様々な火傷が全身のあちこちに残り、筋肉や骨が剥き出しになっている。
まさに満身創痍。だか回復する魔力はない。なにせ、
やりたくはない。だがやるしかないなら、やるだけ。
深く息を吸い、吐き出す。肺が悲鳴を上げる。見てみれば、脇の一部が焼け落ち、そこから肋骨とその下にある肺が見えていた。
痛いわけですよと苦笑した彼女は大剣に残りの魔力全てを注ぎ込み、それを崖下に落とした。そして、彼女はその場に崩れ落ちる。
重力に引かれるがまま、落下していく大剣。
それがグレイの前を通った瞬間、大剣は重力に逆らってその場で急停止。そのまま回転したかと思えばその鋒をグレイに向け、再度直進。そのまま彼の腹に突き刺さる。
「がっ……!」
愛剣に貫かれる痛みに表情を歪めるグレイ。だが、その直後に目を見開いた。
大剣に込められたステラの魔力が、全身を駆け巡る。
損傷した肉体が急速に修復され、それでもなおあまりある魔力が彼を賦活させる。
「ステラ……」
逆立った髪が白銀に輝き、瞳が紅に染まる。
姿は変わらず、けれど確かに『デビルトリガー』を弾いた時に限りなく近い状態へと至った彼は、右腕を崖から引き剥がし、腹に刺さった大剣を片手で引き抜く。
そのまま真上に放り投げ、左腕を、両脚を崖から引き抜き、そのまま壁を踏み締め腰を沈めて突撃の体勢をつくる。
右手の大剣を矢を引き絞るが如く構え、左手を虚空に向けてどこかに飛んでいった刀を呼び戻す。
本来の主人に託された者に、魔剣は確かに応じてみせた。
グレイの左手に納まり、魔力に当てられた刃が煌めく。
魔力が高まる。
『〜〜〜ッ!?』
純然たる殺意と、それを孕んだ強烈なまでの魔力。
それらを向けられたヴァニタスが表情を強張らせた。先の
ならばと自身が宿る魔石周辺の外殻をさらに補強し、防御にありったけの魔力を回し始める。
その様子を睨みながら、それすらも貫かんとグレイは覚悟を決めた。
「──【ディープ・スティンガー】」
囁くように呟かれた必殺を意味する技の名。
瞬間、崖を崩落させるほどの勢いでもって蹴り、超速の矢となった。
大剣を突き出しながら体を捩り、刀の斬撃が嵐となって彼の体を包み込む。
『ッ!?』
嵐を纏う矢となり迫る彼の姿に、ぞわりと背筋が震えた。
そして、グレイとステラにとっての父親──
『ッ!?』
ヴァニタスはぞわりと背筋が震えた。
一方的に与えている筈だった『死』が、首に手をかけてきた。
ほんの僅かによぎった『死』の予感。その恐怖から逃れるように喉が裂けんばかりの咆哮をあげ、外殻に送り込む魔力をさらに増やす。
紫紺の煌めきがさらに強さを増し、濃密な魔素を周囲にばら撒く中、グレイの一撃が外殻に叩き込まれる。
瞬間、階層に響き渡る甲高い衝突音。そして、耳障りな高音と火花を散らしながら、
『〜〜〜?!』
外殻を削り、少しずつ迫り来る『死』。
ヴァニタスはそれから逃れようと魔石ごと移動しようとするが、それに意識を裂いたほんの一瞬──魔力の流れが筋肉の流動に費やされた瞬間、外殻の破壊が一気に加速。
外殻の内側に何十という層を作り出し、強度を底上げしたにも関わらず、それすらも容易く撃ち貫いてくる。
ヴァニタスは移動を止め、すぐさま外殻に魔力を回すが時すでに遅しだ。
外殻が割れる。さらに割れる。層の一枚一枚が、鏡を割るような手軽さでもって、割られていく。
グレイはさらに回転を速め、自身の三半規管を破壊しながら、外殻の破壊を強行する。
ステラの魔力による強化された彼の肉体が、彼女から託された殺意が、彼の背中を押してくれる。
『ああああああああ!?!』
ヴァニタスは半狂乱になりながら外殻による防御を捨て、彼に向けて\杭《スパイク》を放つが、彼を包む斬撃の嵐がその全てを粉微塵に切り刻む。
彼に届く前に塵へと変わり、抵抗さえも赦さぬとヴァニタスに告げる。
「くたばりやがれ、ムカデ野郎が!!」
そしてグレイの咆哮が轟いた瞬間、彼は斬撃の嵐を纏わせた大剣と刀を一気に振り抜いた。
空間が歪み、次元が裂けるほどの一閃は魔獣デルピュネの外殻を、そして胸部の鱗皮を破壊した。
剥き出しには胸部の筋肉。だが突撃の勢いが消え、魔力も得物を振り抜いた体勢のグレイに追撃の手段はない。
勝ったと、ヴァニタスは嗤った。ステラは斃れた。グレイも今のでガス欠だ。
もう、自身に届きうるものなど──。
「【
そんな彼の耳に届くのは、正義の少女の
「
地獄の業火の中を紅の正火を纏う少女が駆け抜け、グレイと入れ替わりで
爆裂した紅蓮の焔が
剥き出しになる肋骨。だが魔力の煌めきを宿すそれが、ただの骨ではないことは明白。
「リオン!」
「いきます!【ルミノス・ウィンド】!!」
だがそれがなんだと言わんばかりに、光球を追従させたリオンが躍り出る。
零距離で叩き込まれるリオンの必殺。風を纏う光球が肋骨に打ち込まれ、閃光と共に炸裂する。
盛大な破砕音を轟かせ、骨片を辺りに飛び散らせながら胸部をえぐり取り、魔石への道を切り開く。
だが、ヴァニタスはなおも足掻く。
砕かれた肋骨を急速に修復。それを殻のように変形させ、魔石を覆い隠さんとするが。
「ぬぅぅおおおおおおおおおおおおおお!!!」
ガレスが咆哮と共に胸部に開いた穴へと飛び込み、閉じかけた殻を掴み、こじ開けんと力を込める。
両腕に血管が浮かび上がり、全身の傷から血を噴き出しながら、
少しずつ、けれど確かに殻の隙間が広がっていき、肉に埋もれた巨大な魔石が姿を見せる。
ニヤリと獰猛な笑みを浮かべるガレス。魔石の中のヴァニタスも負けじと睨み返し、抉られた胸部の肉、そして血管を利用してガレスを攻撃せんとするが、銀の疾走がその悉くを切り裂き、破壊した。
「いちいち動くんじゃねえ」
トン……と軽い足音と共にガレスの隣に着地するアレン。
魔石に向け槍を放つが、やはり硬質な手ごたえと共に穂先が弾かれる。
『貴様では貫けん事を忘れたか?獣畜生が!』
「虫畜生が喚くんじゃねえ……!」
魔石という最後の鎧の中からこちらを嘲笑うヴァニタス。
アレンも額に青筋を浮かべながら、ガレスと自身を貫こうとする骨肉の槍を、銀の軌跡を残す高速の槍が切り払い、速度を乗せた一撃は槌の如く一撃となり殻さえも打ち砕く。
「下がれ!ガレス、【
ガレスの時間稼ぎとアレンの猛攻による魔石の完全露出。それを成した瞬間、リヴェリアの号令が飛んだ。
足元に展開される翡翠色の
「【レア・ラーヴァテイン】!」
リヴェリアの魔法の発動に合わせ、リャーナとセルティの魔法も発動する。
巨大な火柱と共に放たれる炎と雷の二重奏。抉られた胸部への集中砲火が放たれ、次々に魔力による爆発が巻き起こる。
肉が爆ぜる。骨が溶ける。魔導師による砲火が、確実にヴァニタスを追い詰める。
だが、三人の魔法をもってしても魔石に傷さえもつけられない。骨肉が削れても、魔石に致命傷が与えられない。
しかし、それは魔石以外の部位の脱落を意味する。
ステラ、グレイ、そして神々への全力照射による魔力の消耗。そこから行われたグレイの反撃から始まる猛攻に魔力の回復の隙を与えず、傷の修復が遅々として進まない。
故に彼女らの魔法により胸部が抉り取られ、上半身と下半身から伸びる僅かな筋繊維にのみ支えられた魔石だけが、その場に残された。
「【
蠢き、脈動する不気味な肉塊に支えられる魔石を見据え、小さな【剣姫】が風を纏う。
狙うは一点。魔石のみ。
「ちびっ娘!お前じゃ無理だ!」
まさに飛び出そうとしたその瞬間、グレイの声が彼女に届く。
「うるさい!」と半ば自棄気味に返す少女に、グレイは「まあ、待て!」と返し、胸に手を当てた。
ステラから託された魔力。そして自身に残された魔力。その全てを捻出し、右手に乗せる。
「俺の奢りだ!」
そこ一言と共に、魔力の塊を彼女に投げつける。
「え?」と困惑の声を漏らした少女に魔力の塊が直撃。閃光が弾け、彼女の体に溶け込んでいく。
その瞬間、荒れ狂う白銀の風が彼女を包んだ。
地面を抉り、周囲の炎さえも吹き消す風は、だが少女を傷つけることはない。
精霊の力と悪魔の力。本来相反する二つの力が、ただ彼女の力になるという目的の為に溶け合い、互いを高め合う。
アイズは胸の前で拳を握りながら、内から湧き出る力をそのまま剣に込めた。
前傾姿勢になりながら腰を沈め、突撃の体勢を取る。
そして地面を蹴り砕きながら突撃を開始。風を纏い、流星の如く白銀の尾を引きながら、少女は突き進む。
放たれる肉の触手も白銀の風が全てを阻む。止まらない、止められない。
「はあああああああああああああ!!!」
ヴァニタス最後の抵抗をねじ伏せ、魔石へと肉薄した少女が雄叫びと共に、銀剣を突き出す。
白銀の風と共に刃が叩きつけられ、魔石にヒビを刻む。
それでも止まらない。白銀の風が、刃が、魔石を削り、ヴァニタスへと迫っていく。
そしてカッと目を見開き、全魔力を解放し、さらに剣を突き出した瞬間、盛大な破砕音と共に小さな体が魔石を貫いた。
砕け散る魔石。その破片に混じり、
それを視認はできても、アイズにはどうしようもない。既に
「ま、まだだ……っ」
ヴァニタスはアイズを次の寄生先にせんとその足を触手の如く伸ばすが、割り込む影が一つ。
「──【禍つ彼岸の花】」
血と炭に塗れた濃紅の着物を揺らし、超短文の詠唱が完結する。
放たれるは神速の抜刀。都合五条の紅の斬閃が、ヴァニタスの触手の全てを切り落とす。
刃が分裂したが如く、前後左右、そして頭上。走った剣閃が、様々な角度から迫っていた触手を、全く同時に切り落としたのだ。
「居合の太刀──『五光』。冥土の土産だ」
キン!と鋭い鞘鳴りの音と共に刀を納める輝夜。
極東を統べる『朝廷』、その暗部に伝わる秘伝の『魔法』は、確かに魔界の侵略者へと届いたのだ。
「っ……!ま、まだ……っ」
落下していくアイズと輝夜。二人にはもう届かないと判断したヴァニタスは次の寄生先を探そうとするが、それを見つけるよりも早く白銀の光を見た。
ここまでの激闘で階層を満たしていた魔素が、たった一人に集中していく。
「八号……っ」
光が集う。構えられた双銃の銃口に集まっていく。
殺意に塗れ、けれどいっそその姿に憐れんでいるようにさえ見える碧眼が、ヴァニタスを射抜く。
そしてその背を押すように、いくつもの影を幻視した。
その影は子供だった。
その影は男だった。
その影は女だった。
その影は獣だった。
その影は虫だった。
試行錯誤の果てに生み出し続けた『ストラトス計画』の失敗作の幻影が、グレイの背を支えている。
その中に、ステラと同じ背格好の少女の姿さえもあった。
だがその幻影さえも双銃に吸い込まれ、魔力の煌めきとなってヴァニタスに向けられる。
「グレイ!」
「なんだ!?」
魔力の収束が続く中、リオンからの声が耳に届く。
魔力の制御を手放さないように集中しながらその声に答えるグレイ。
魔力が収束される。銃口から光が溢れ、双銃と両腕にバチバチと
「──決め台詞は!!」
その言葉にグレイは口角を吊り上げてニヤリと笑うと、
「──
両腕を胸の前で交差させる独特の構えと共に引き金を弾いた。
解き放たれる極大な魔力。凄まじい反動にグレイの体が後ろに吹き飛び、アスフィ謹製の双銃が再びバラバラに砕け散る。
それらを代償に吐き出された二条の閃光は天へと昇る流星となり、ヴァニタスへと迫り、
「我が主よ。お許しを────」
最後の言葉を呟いた瞬間、流星がヴァニタスを呑み込んだ。
流星はそれだけで止まらず、そのまま二階層分を一気に貫いていき、
遠くから聞こえる崩落の音を聞きながら、グレイは深く息を吐く。
「……終わる時はこんなにあっけないんだな、くそ」
ボロボロになった両腕を見下ろしながら呟く。
その後乾いた笑みを浮かべ、天を仰いだ。
見えるのは
「……まだ終わってねえ、よな」
気持ちを切り替える。
復讐は終わった。ならば、あとはこの正邪の決戦を制するだけだ。
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