ダンジョンに訳ありデビルハンターがいるのは間違っているだろうか   作:EGO

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Mission40 星の願いを

 先程まであれほどまでに溢れていた気炎も消え、辺りには静寂があった。

 冒険者達は勝利した。埒外の怪物を前に逃げず、技を駆使し、魔法を歌い、戦友(とも)を信じて走り続け、遂に『覇者』を討ち取った。

 だが勝ち鬨の声はあげなかった。あげられなかった。

 これを勝利と呼んでいいのか、彼らには分からなかった。

 むしろ『勝たせてもらった』と言った方が正しいのではないかと、そんなことさえも思えてしまう戦いだった。

 リヴェリアとガレスは倒れる少女に、満身創痍の身でありながら、自分達の踏み台となって散って行ったかつての最強達(ゼウス、ヘラ・ファミリア)の最期を重ねてしまった。

 誰もが声も出さず、ただステラを見つめていると、

 

「きゃ!?」

 

「おわぁ!?」

 

 不意に女神と男神の悲鳴が届いた。

 弾かれるように振り向けば、そこにはナイトメアγから解放され、地面に転がされた二柱(ふたり)の姿があった。

「アストレア様!」とネーゼとマリューが駆け寄り、助け起こす横で「誰か俺の心配もして……」とヘルメスが涙を流した。

 ナイトメアγはどこにもいない。逃げたのか、主人からの魔力供給が長時間止まったため消滅してしまったのか。とにかく脅威らしい脅威はなさそうだ。

 神々の悲鳴を合図にようやく時間が動き出す。

 アイズが気の抜けた声と共にその場に崩れ落ち、慌てて駆け寄ったリヴェリアに支えられ、ガレスがある意味でいつもの光景に微笑む。

 アレンは苛立ちを隠そうともせずに舌打ちし、視界に入れるのも鬱陶しいのかステラから視線を外した。

【アストレア・ファミリア】の少女達も主神の無事を確かめつつ、マリューを中心として治療を開始。

 ただ一人、リオンだけはステラの傍らで片膝をついたグレイの方へと足を進めるのだった。

 

 

 

 

 だだぼんやりと迷宮(ダンジョン)の天井を見上げる。

 とても静かだった。

 とても穏やかだった。

 こんな時間いつぶりだろうかと思い返そうとして、辞めた。

 どうせ碌でもない人生だったのだ。思い返したところで不快になるだけだ。

 血と共にゆっくりと息を吐き出し、終わりを噛みしめるように口を噤む。

 ざっざっと、雪の上を歩くような足音と共に、霞んだ視界に兄の姿が入り込んだ。

 何も言わず、傍らで片膝をついて見下ろしてくる。

 眉間に深く皺を寄せて、何かを堪えるように口を噤んでいた。

『英雄』というにはあまりにも情けない顔を嗤ってやりたいのに、散々焼かれた挙句に殴られた表情筋が引き攣って動いてくれない。

 せめて罵ってやろうかとも思ったが、息を吸い込んだ瞬間にむせて血を吐き出した。

 口元を真っ赤にしながら、ようやく持ち上がった口角が笑みを形作る。

 

「酷い、顔……ですね……ッ」

 

「……お前に言われたくねえ」

 

 一頻り血を吐き出して、ようやく動かせた舌を回して言葉を紡いだ。

 その言葉にグレイは肩を竦め、僅かに表情を和らげた。

 これが最期。だったら少しくらい格好つけたいと、なけなしの兄の意地(プライド)を絞り出す。

 兄の言葉にステラは笑い、反論の代わりに血を吐き出した。

 もう全部吐いたでしょう?と愚痴りたくなるが、強靭が過ぎるこの体はまだ生きようと藻掻いているらしい。もうどう考えても手遅れだというのに。

 

「本当、にッ……忌々しい……」

 

 ヴァニタスに作られた体を忌むべきもののように語りながら、だがそれももう終わるかと自嘲する。

 ヴァニタスの産み出した最高傑作(ステラ)が、(ステラ)も見えない地の底で朽ち果てる。奴が見ればどんな面白い顔をしてくれるだろうか。

 散々ありえないと取り乱して、最終的に『所詮は失敗作です』などど喚き、こちらに責任をぶん投げて逃げ出すのだろう。

 そんなあまりにも情けない姿を想像をして思わず吹き出してしまうが、口から出たのは笑い声ではなくやはり血だった。

 吹き出した血がグレイの顔にかかるが、彼は気にも留めない。

 

「グレイ」

 

 そんな彼の背後から、正義の妖精が姿を見せた。

 絹のような金の髪を一つに纏めた、麗しき妖精が。

 彼は振り向き「勝ったな」と微笑んだ。

 言葉とは裏腹に力の抜けた、いっそ泣いてしまいそうな声色で。

 リオンはその声に苦渋に満ちた顔となった。

 彼の初めて聞く声と初めて見る表情。彼にとって彼女がどれだけの存在かは知らないが、それでも彼と彼女は兄妹なのだ。

 敵と味方に別れ、それでもヴァニタスの殺害という目的だけは同じで、一時は肩を並べられたのに、結局はこうなった。

 他に道はなかったのか。これ意外の結末はなかったのかと、今になって後悔の念が溢れ出す。

 

「何を、悔いて……いるのです……」

 

 そんな彼女の心中を察してか、ステラが言葉を紡いだ。

 硝子球のように濁った瞳がただ真っ直ぐにリオンを見つめ、微笑む。

 

「『正義』が、『悪』を滅ぼすように……『英雄』が『怪物』を討った、それだけのこと……。今までの『英雄』がそうしたように、これからの『英雄』が、そうするように……ッ!その一つが、ここで起きた……それだけですよ……」

 

 敗者として、悪として、怪物として。

 未来を勝ち取った『英雄候補』に向けて、自分は討たれるべき存在だったと言い聞かせる。

 その言葉に、彼女の意志に、リオンは吼えた。

 

「確かに貴方のしたことは赦されない!多くの人を殺し、多くの未来を奪った!だが、それでも貴方は……っ」

 

 ヴァニタスという一を殺すため、あるいは彼女が救いたいと願った誰かのため、彼女は多くのものを奪い続けた。

 誰かの命を、誰かの未来を、誰かの幸せを。奪って、奪って、奪い続けた。

 同時に彼女は奪われ続けた。

 生物としての尊厳を。

 誰かと共に歩めた未来を。

 あるいはグレイと共に歩めた未来を。

 そしてその身に残されたものの全てを投げ打ち、未来の礎になろうとした。

 

「お願いです!生きてください!生きて、罪を償って……っ!」

 

「無駄だ、リオン。彼女の終わりは、もう決まっている」

 

 それでもせめて本当に最後まで残ったものを──命だけは捨てるなと嘆くリオンに、『絶対悪』の嘲笑が届いた。

 弾かれたように冒険者達の視線がそちらに向けられる。グレイもまた億劫そうに体をそちらに向け、ステラはもうどうにも動かせんと溜め息を吐いた。

 パチパチパチと相手をイラつかせるように拍手をしながら現れたのは、【ヘルメス・ファミリア】の冒険者に包囲され、既に詰み(チェックメイト)となった『絶対悪』──邪神エレボスだった。

 

「完全包囲で格好つかないが、まあこれも敗北者の定めと受け入れよう」

 

 ヘルメスの眷属に包囲される、まさに敗北者となった己の姿を自嘲しながら、それでも人類では神に過剰な暴行はできないことをいいことに格好つけようとニヒルに笑うエレボス。

 

「見事だ、オラリオ。俺は俺の全てをもって『悪』を執行したが……最後は『正義』の輝きに競り負けた」

 

 盤面はもう覆らない。

 エレボスの『悪意』にヴァニタスの『狂気』、そしてステラの『覚悟』さえも押し退けて、『正義』は未来を勝ち取った。

【ヘルメス・ファミリア】だけでなく他の冒険者達にも包囲される中、エレボスは腰に手を当てて泰然として佇んでいる。

 ライラと輝夜が不快さを隠そうともせずに眉間に皺を寄せる。

 

「随分と余裕そうじゃねえか、神様よ」

 

「私達が貴様を赦すと思っているのか」

 

「思うわけないだろう。俺は『絶対悪』。媚びず、泣かず、喚かず、赦しも求めない」

 

 少女達から向けられる殺意に、けれど神は飄々と笑う。

 

「憎まれてこそ『悪』の本懐。俺は最後まで邪悪を貫き続ける」

 

『ッ……!』

 

 邪神の開き直りとも取れる言葉にライラと輝夜のみではなくネーゼ達も殺気立つ中、リヴェリアとガレスがそれを制した。

 

「……我々下界の住人では神を裁けない。故にこの後、速やかに神の手で送還される」

 

「お前の邪悪はここで終いじゃ、下界の脱落者。……何か言い残すことがあるのなら今のうちだが」

 

 それでも二人は殺意を隠そうとはせず、鋭い眼差しで『絶対悪』に最後の譲歩を行った。

 このまま地上に連行すれば戦いは終わり、このオラリオ最悪の戦いも幕が降りる。

 ガレスの言葉も半ば形式的なもので、余程のことを言われても一蹴して終わりだろう。

 負け惜しみをいうこともありそうだが、格好つけたがりのこの『絶対悪』はそんなことをしないだろうと嫌な信頼がある。

 

「じゃあ、『要望』がある」

 

「なに?」

 

 邪神の言葉にガレスが怪訝な声を漏らす。

 偉大なる大戦士の声など無視し、邪神はアストレアを見た。

 ヴァニタスに散々実験の材料としてひたすら血を抜かれた挙句、悪魔にされかけた──おそらく今この瞬間で最も送還に近いだろう正義の女神は、ただ真っ直ぐと邪神を見つめ返した。

 

「俺を送還するのは、君だ。アストレア。『悪』を葬るならば、それは『正義』の女神でなければならない」

 

「そして、そうだな。送還する場所は高いところがいい。澄んだ空に囲まれて、不躾な観衆のいない場所。静かで、孤独で、美しい景色の真ん中だ」

 

 自分の最期にはそれこそが相応しいと、邪神は堂々と宣った。

 厚かましいにも程がある『要求』に、眷属達の怒りが振り切れた。

 

「こいつッ……!」

 

「この糞神、一度ぶん殴ってもよろしいでしょうか……ッ?」

 

「すごいわ、面の皮が厚いとかそんな話じゃない!これが神!」

 

 ライラの額に青筋を浮かべ、輝夜が中途半端に猫を被ろうとしたがやはり怒りを抑えきれず中途半端な口調となり、アリーゼが目を丸くした。

 

「最後にもう一つ」

 

「……まだあるのか」

 

 騒々しくなる【アストレア・ファミリア】を横目に、リヴェリアも不快そうに眉間に皺を寄せた。

 ハイエルフからの視線を無視し、邪神の視線は倒れる少女と、そんな彼女に寄り添う兄へと向けられる。

 

「二人きりにしてやってくれ」 

 

 これで最期だからなとエレボスは笑い、その頼みに冒険者達は驚きを露わにした。

 もっと最期の足掻きか、こちらを不愉快にする何かをしてくるかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。

 グレイも怪訝の表情となりエレボスを見つめていると、男神はステラを見つめながら続けた。

 

「最期くらい素直になれよ」

 

「素直に、なれなんて……別に、今更言うことは、ないですよ……」

 

 ステラも乾いた笑みを浮かべながらそう言うが、エレボスはそんな彼女を憐れむように「ステラ」ともう一度彼女の名を呼んだ。

 

「あるだろう。いいや、あるはずだ。最期の頼みってやつの一つや二つ」

 

 エレボスはそう断言すると、自身を囲む冒険者達とアストレア、ヘルメスを一瞥して「さあ、行こうか」と退場を促し、勝手に歩き出す。

 冒険者達がグレイを気をかけながらも、エレボスの護送を優先して18階層を後にしようとする中で、リオンだけは動けなかった。

 ステラから聞きたいこと、問いただしたいことが山ほどある。なのに時間がなさすぎる。

 

「リオン。頼む」

 

 そして迷う時間すらも惜しむように、グレイが声をかけてきた。

 肩越しに振り向き、一緒にいてくれることを感謝しながらも、今は下がってくれと訴えてくる。

 

「……っ」

 

 その視線にリオンは背を向け、走り出した。今の数秒すらも二人からすれば貴重だ。それを奪ってしまった罪悪感から逃れるように、足を動かした。

 小さくなっていく妖精の背中を見送ると、グレイは真っ直ぐにステラを見つめた。

 その視線を見返すこともできないステラは何も言わずに天井を仰ぎ、そして深々と息を吐いた。

 

「マルコシアスは……兄様に任せますッ……。あの人は、強情ですからッ……倒すも倒さないも、貴方が決めてください」

 

「上の連中が倒してるだろ?」

 

「彼女を、なめないで……ください。勝ちますよ、間違いなく」

 

 兄が希望的観測を込めて言うが、ステラがそれを否定する。

 マルコシアスは強い。兄を除いて、自分が知る中でも悪魔最強だ。そんな彼女が、何か異常事態(イレギュラー)でもなければ負けるはずがないと、信頼している。

 これでいい。兄のことだ、マルコシアス相手でも上手くやるだろう。安心だ。

 少女は息を吐き、もういいかと意識を手放そうとした瞬間、霞んだ視界に白を幻視した。

 誰よりも純粋で、真っ直ぐで、甘えん坊で、泣き虫な、初雪のように白い髪とルベライトのように赤い瞳。

 言い方が悪いが、人懐こい兎を思わせる少年の姿が、声が、脳裏をよぎった。

 いいや、駄目だと。流石に背負わせ過ぎだと少女の理性が叫ぶが、愛する『義弟(おとうと)』の未来を憂う『人間』としての部分が、口を動かしていた。

 元の世界ならともかく、この世界においては文句なしで最強の『便利屋』に向けて。

 

「兄様。依頼があります……ッ」

 

「なんだ」

 

 少女からの言葉に驚きつつ、遮ることはしない。

 言うつもりはなかったのにと口ごもる少女に、早く言えと急かすように半目になりながら見下ろしてくる。

 

「早くても五年。遅くても十年もすれば、義弟(おとうと)が……私を追って来ますっ……」

 

「お前の言っていた世界よりも大切な人ってのが、そいつか」

 

 もう吐き出す血もなくなり、辛うじて稼働していた内臓が役目を終えて停止していく中で、ステラは頷いた。

 言ってしまった。伝えてしまった。後悔してももう遅いと、少女は開き直って言葉を紡ぐ。

 

「血の繋がりもない……ただの人間ですし、戦士としても見込みがないッ……!泣き虫で、弱虫で、寂しがり屋な子ですが、きっとあの子は英雄の都(ここ)に来る」

 

 動きを止めそうな肺を必死に動かして、唇を震わせながら舌を回す。

 

「私に会いたいと願って。英雄になるなんていう、ただ勢いで結んだだけの約束を、守るために……っ」

 

 あの子をことを誰よりも信じているからこそ、純粋無垢なあの子なら絶対にやると自信を持って言えた。

 本当なら自分が側に居てやりたかった。彼の行く末を見守り、心折れたのなら寄り添って、それでも邁進するというのならその背を押してやりたかった。

 だがヴァニタスがそれを赦さなかった。奴は世界を滅ぼすと宣い、事実邪神達と手を組んで行動を開始していた。

 止めねばならなかった。この命を投げ捨ててでも、彼を泣かせる結果になったとしても、邪悪で、醜悪な悪意を押し退け、未来を掴む『英雄』を生まねばならなかった。

 だから、エレボスの誘いに乗った。ザルドと共に彼の前から消えた。何も言わず、書置きもなく、唐突に。

 それでも彼は、自分達を恨まないだろう。

 寂しがって、散々泣いて、そのうち勝手に立ち直って走り出す。あの子はそういう子だ。

 

「だから、兄様」

 

 瞳から雫が溢れた。

 目尻から垂れたそれが、耳の方へと流れていく。

 まだ自分にも流せるものがあったのかと驚きながら、それを欠片も表情に出さずに少女は告げた。

 

「私の代わりに、あの子を──ベルを、お願いします」

 

 柔らかく微笑んで、兄に家族の未来を託した。

 討たれるべき『覇者』としてでもなく。世界から恨まれる『悪魔』としてでもなく。兄を英雄と慕う『妹』としてでもなく。

 家族の未来を憂う『義姉』としての言葉を、兄に送った。

 その願いに、彼女が最期の最期で吐き出した我儘に、グレイは目尻から込み上げてくるものを押さえ込むように目を閉じ、嫌に力んだ息を吐き出す。

 そんな依頼誰が受けるか。自分でやれと言い返したかったが、少女にそんな余裕がないことは見ればわかる。

 

「ただ働きはしねえぞ」

 

「知ってます。だから、全額前払いです」

 

 それだけは譲れないと言うように呟いた強がりの言葉を、少女はあっさりと受け入れた。

 震える手を持ち上げ、そこに辛うじて握られている刀を彼に差し出した。

 

「これを見せれば、あの子も私に何があったのか、すぐにわかるでしょう……」

 

「どうぞ」と一方的に告げて、受け取るように急かす。

 命意外で彼女に残されたものの一つ。彼女の半身たる魔界の業物を、義弟が兄を見つける道標として何の躊躇もなく差し出した。

 グレイは溜め息を吐いた。乱暴に頭を掻くと両手を差し出し、右手を柄に、左手を刀身に添え、受け取る。

 グレイとの決闘。魔獣(ヴァニタス)討伐戦。そして冒険者達との集団(レイド)戦。

 神だろうと『んなもんできるか!?』と匙を投げる連戦を乗り越えたその一振りは、鏡のように磨き上げられた刀身は決して歪まず、欠けず、新たな持ち主たる男の顔を映していた。

 今にも泣き出しそうな、何とも情けない顔を、残酷に見せつけてくる。

 グレイはそんな情けない男から目を背けるように刀に血払いをくれると、腰に差したままの鞘へと押し込んだ。

 パチンと小気味のいい納刀音を漏らし、刀は新しい担い手の元へと渡る。

 その光景を見届けたステラは投げ出すように手を下ろした。

 ただ満足そうに笑い、もう言うこともやることもないと深く息を吐く。

 もうどこも痛くない。苦しくない。あとは眠りにつく時と同じように目を閉じるだけ。

 少しずつ瞼を閉じようとする彼女に、グレイは呟いた。

 

「他に道はあったんだろうな」

 

 グレイがぽろりも溢した言葉に、嘆息混じりに瞼を持ち上げたステラは「あったのかもしれませんね……」と生気の欠片もない声で肯定した。

 きっと他の道はあったはずだ。

 反逆に打って出たあの日、刺し違えてでもヴァニタスを殺せていれば、兄弟姉妹は魔界の一角である程度は平穏な暮らしができたかもしれない。

 反逆に打って出たあの日、他の誰かを頼っていれば、多くの兄弟姉妹を失っただろうが、それでも生き残った者達と他のことができたかもしれない。

 むしろ反逆などせず、全てを受け入れて屍の山を築き続けていれば、苦しむのも、死ぬのも自分一人だけで──。

 

「──でも、私達がたどり着いた結末はこれですよ」

 

 勝手に後ろ向き(ネガティブ)な思考に陥るグレイに、ステラの言葉が突き刺さった。

 どんなに過去を後悔しようが、『もしも』を考えようが、現在(いま)は変わらない。未来も変わらない。

 反逆し廃棄された兄と、服従し兄弟姉妹を皆殺した自分。二人が殺し合い、本当の最後の一人を決する。

 立場が逆になっていたとしても、この結末は変わらなかっただろう。

 立場が逆だったとしても、きっと同じことをしたはずだから。

 

「なら受け入れるしかないでしょう。過去を省みて、後悔して立ち止まるのも結構ですが、いい加減……ッ走り出す時間だと思いますよ……?」

 

 義弟のことを託し、もう未練はないと笑う彼女の顔はいっそ爽やかですらあった。

「だな……」グレイも力無く笑い、立ちあがろうとした瞬間、轟音と振動が階層を駆け抜けた。

 

「なんだ!?」

 

 突然の地震に踏ん張り、困惑するグレイ。

 ステラは「当然ですよ」と神獣の触手(デルピュネ)の開けた大穴や、自分達の戦いで抉れた天井。魔獣(ヴァニタス)との戦いで底が抜けた湖や、グレイが大穴を開けた壁面を見やる。

 

「あれだけ暴れたんです。崩れますよね(・・・・・・)

 

「それは、そうかもしれねえが……っ!」

 

 なんか半分くらい自分のせいではと自問する彼に、パラパラと天井から降り注いだ破片がかかる。

 もう時間もないのだろう。18階層のどの範囲が崩れ、どの範囲が耐えてくれるかもわからないが、脱出せねば命が危ない。

 ステラは「行ってください」とグレイに告げた。

 

「お前は……」

 

「このまま……迷宮(ここ)で死にますよ。地上に戻っても、長くありませんし……」

 

 連れ出すかと言い切られる前に、ステラはその言葉を遮った。

 そして兄のことだからやりそうだと、更に釘を刺す。

 

「墓はいりませんよ。この名前は、あまり好きではないので……」

 

 墓穴は迷宮(ダンジョン)。墓石も必要ない。ヴァニタスの野郎がつけたこの名が墓石に掘られるなど──自分の生きた証になるなど、ごめんだ。

 

「……じゃあな(adiós)義弟(おとうと)のことは任せろ」

 

「……ご武運を(Good luck)。依頼の達成を、お願いします」

 

 その言葉を最後に、少女はゆっくりと目を閉じた。

 兄はそんな妹から視線を外すと、目元を拭って走り出す。

 足音が遠ざかる。本当に独りになった。

 

「皆、終わったよ……」

 

 復讐は終わった。

 ヴァニタスは死に、奴の最期の傑作たる自分も死ぬ。これで死んでいったストラトスの兄弟姉妹に、ようやく顔向けできる。

 少女のその呟きを最後に彼女が寝転ぶ地面に亀裂が走り、裂ける。

 なんてことのない。ありふれた冒険者の結末を辿るように、少女は迷宮(ダンジョン)へと吞み込まれていった。

 

 

 

 

 

 グレイは走った。

 懸命に足を動かし、時折落ちてくる天井の破片を避け、足元で口を開いた亀裂を飛び越える。

 普段なら苦戦もしない障害物走(パルクール)だというのに、息が切れて仕方がない。

 

「頑張れよ、俺!こんなとこで死ぬ気か!?」

 

 思うように動いてくれない両足を鼓舞するようにグレイは吼え、さらに加速。

 残像を残してひた走る彼の視線の先に、彼女はいた。

 

「グレイ、速くッ!」

 

 18階層の入口たる大洞窟。天井を警戒しながら手を振ってくる妖精の姿に「ポンコツ妖精が」と悪態を吐く。

 さっさと逃げればいいものをといっそ笑ってしまう程に愚かな行動ではあるが、自分を待ってくれていたと思うと少しだけ胸が温かくなる。

 そのほんの僅かな熱を燃料に炉心(しんぞう)の鼓動が加速。魔力の回復と供給が始まり、四肢に力が入る。

 地面が砕ける程に踏みしめ、爆砕してとどめを刺しながら急加速。背後から聞こえる崩壊の音には耳を貸さず、音を、光を置き去りにしながら大洞窟までを一直線に駆け向け、すれ違いざまにリオンを肩に担ぐ。

 

「ぅえ!?」

 

 流れるように担がれたリオンは気の抜けた困惑の声を漏らすが、彼の行動の意味をすぐに理解した。

 崩壊が進んでいるのだ。まるでグレイだけでも喰ってやらんと迷宮(ダンジョン)が意志を持ったように亀裂が大洞窟の天井まで延び、天井が崩落してくる。

 

「俺は美味くねえと思うんだかな!」

 

「そんなこと知りませんよ!?いいから走ってください!!」

 

 17階層へと続く登り坂。そこを脇目も振らずに駆け上がりながらグレイが何とも的外れなことを宣うと、リオンの鋭いツッコミが放たれる。

 崩落が加速する。岩壁が凄まじい速度で後ろに流れていく。

 迷宮(ダンジョン)のみならず、下界にとっても異分子たるグレイを抹殺せんとしているのか、崩落もその速度を早めて迫るが、彼は負けじと駆け抜ける。

 

「うおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

「わあああああああああああああ!?!?」

 

 そして、たどり着いた。

 グレイとリオンは間の抜けた悲鳴をあげながら17階層の最奥、嘆きの大壁へと滑り込んだ。

 両脚の踵を地面にめり込ませて急制動をかけ、18階層へと続く大洞窟の入り口に目を向け、崩落を見届けた。

 崩落が連鎖する気配はない。18階層に戻れなかかったが、今更戻る理由もない。

 グレイはリオンを降ろし、ようやく地面に足をつけられたリオンは腰が抜けたようにその場にへたり込む。

 

「「…………」」

 

 グレイとリオンは顔を見合わせ、崩壊した大洞窟の入り口を見やり、二人揃ってどっと息を吐いた。

 

「な?言ったろ?二人はお似合いだって」

 

 そんな二人に愉快そうにそう告げたのはエレボスだ。

 嘆きの大壁がそう呼ばれる由縁となった、凹凸一つなく、継ぎ目すらもない大壁に寄りかかり、笑っている。

 取り囲む冒険者達からの視線が突き刺さるが、どこ吹く風と言わんばかりに肩を竦めた。

 アリーゼだけは「そこだけは同意ね!」と頷き、他の【アストレア・ファミリア】の少女達に黙っててくれと言わんばかりに半目を向けられた。

 

「それでグレイ。妖精の抱き心地は──」

 

 そして次の瞬間、銃声と共に顔の真横の壁が抉られた。

 余裕の笑みを浮かべ──けれど額に冷や汗を流しながら、抉られた壁を見やるエレボス。

 散弾銃(コヨーテ・B)を向けたグレイが「外したか」と舌を鳴らした。

 エレボスは肩を竦め「冗談がわからない奴だ」と嘆息し、グレイはそんな邪神を睨みつけながら散弾銃の銃身を折り曲げて廃熱。次弾の魔力を込める。

 

冒険者(こいつら)はともかく、俺はお前を殺すのに抵抗はないぞ」

 

「だろうな。流石は悪魔──半超越存在(デミ・デスウゼア)。神殺しも厭わない、か」

 

「ああ。でなきゃアストレアを斬ったりできねえよ」

 

 エレボスの言葉に今度はグレイが肩を竦めた。

 失敗すれば神殺し。そんな禁忌に片足どころか首まで沈んだ大博打にさえ、彼は勇んで挑む大馬鹿者だ。

「アストレア様を、斬ったのか?」と輝夜を中心に困惑の声を漏れるが

 アリーゼが「その話はまた後でね!」と受け流した。

 騒々しい【アストレア・ファミリア】の面々から視線を外し、エレボスはグレイに問いかけた。

 

「それで、あの()とは話せたか?」

 

「……お陰様でな。こいつを託して逝ったよ」

 

 グレイはトントンと刀の柄頭を指で叩きながらそう言うと、小さく息を吐いた。

 

「本当、迷惑な奴……」

 

 小さく、消えてしまいそうな声で呟かれた言葉は、無論恩恵(ファルナ)で強化された冒険者達には届いている。

 その言葉が何を意味しているかはわからないが、

 

「くだらねえ話をしてんじゃねえ。さっさと戻るぞ」

 

 他の面々から距離をとりながら壁に寄りかかっていたアレンが、ついに我慢できなくなったのか声をあげた。

 ここでのんびりしている時間はない。上がどうなってるのかもわからないのだ。女神のためにも一刻も早く戻らねばならない。

 

「だな。また走るか」

 

 やれやれと額に手をやって息を吐くグレイ。

 この疲労が溜まりに溜まった状態で、神三人を守りながら、半狂乱状態のモンスターが跋扈する迷宮(ダンジョン)を駆け上がるのかと思うと嫌になる。

 嘆息と共に顔を下げ、「面倒だな」と愚痴をこぼした瞬間、その視界に刀が入り込んだ。そして、これを使って妹が見せまくってくれた神技を思い出す。

 同じ道具があり、手本なら何度も見た。ならできる。

 

「別に走る必要はねえな」

 

「グレイ。貴方、まさか……」

 

 グレイの言葉にアストレアはすぐに何をするつもりなのかわかったのか困惑顔を浮かべた。自分を攫ったり運んだりするのに使われまくったのだ、あまりいい思い出がないと表情を陰を落とす。

 そんな女神の都合などどうでもいい彼は刀を抜くと、具合を確かめるように一度空を切った。

 魔力伝達は問題ない。鍔に嵌められた水晶と、そこに封じられた破片の輝きも澱みない。なら、できる。

 

「あいつにできて、俺にできない道理はないか」

 

 目を閉じ、意識を集中し、座標を思い浮かべる。

 目指すはギルド本部の屋上。防衛戦の指揮所。

 

「ッ!」

 

 グレイは刀を十字に振るい、次元を割いて(ゲート)を開いた。

 周囲の大気を吸い込みながら大口を開けたその先には一寸先も見渡せない暗闇が広がっているが、

 

『なんだ!?』

 

 その向こうから、聞き馴染んだがこちらにも届いた。

 そのまま警戒し、なんなら魔法を撃ち込めとまで指示する声が続く。

 

「フィン!」

 

『その声、リヴェリアか!そっちはどうなった!?』

 

 リヴェリアが声をかければ、その声の主──フィンの声がこちらに返され、(ゲート)がとりあえず繋がっていることを教えてくれる。

 

「さっさと行け。長い時間は広げてられねえ」

 

 (ゲート)の維持に回復した魔力を根こそぎ持っていかれているグレイがそう言うと、「念のため、儂から行くぞ」とガレスが飛び込んで行くと、

 

『ガレス!戻ったか!』

 

『ああ、待たせたな!』

 

 フィンとガレスの声がこちらに届いた。

 無事に渡ることも確認できた。ならばと冒険者達も飛び込み、あまり良い思い出がないと溜め息を漏らしたアストレアがアリーゼの手を借りて、ヘルメスは興味津々と言った様子で眷属達と共に、そしてエレボスはリヴェリアとアイズに挟まれながら、(ゲート)の奥へと消えていく。

 

「もう一踏ん張りだ。気張れよ、正義の味方」

 

 いつまでもへたり込んでいるリオンに、グレイが手を伸ばした。

 

「はいっ!」

 

 リオンも彼の手を取り、引き上げられるがまま立ち上がる。

 立ち上がった彼女の肩を叩き(ゲート)に向かおうとするグレイの背中に、リオンが問いかけた。

 

「グレイ。ステラは最後に何を?」

 

「ん?ああ……」

 

 その問いかけにグレイは言葉に迷う素振りを見せると、どこか寂しそうに微笑みながら告げた。

 

ご武運を(Good luck)だとよ。誰のせいでこうなったと思ってんだが……」

 

 自分勝手な妹だよと笑い、早く入れと急かすように(ゲート)を手で示すグレイ。

 何かはぐらかされたような気がすると思いながらも、帰還を優先して歩き出すリオン。

 彼女は彼の前を通り、(ゲート)へとその身を潜らせた。

 一人残ったグレイは崩落した18階層へと続く大洞窟を一瞥した。

 

『過去を省みて、後悔して立ち止まるのも結構ですが、いい加減……ッ走り出す時間だと思いますよ……?』

 

 つい先程、ステラに言われた言葉が脳裏をよぎる。

 ああその通り。立ち止まっている暇はなく、どんなに後悔していても前に向かって歩き出さなければならない。

『妹』の死を悼む『兄』の時間は終わり、『英雄』としての仮面を被り直す。

 刀を鞘に納めたグレイは(ゲート)を潜り、未だ激戦続くオラリオへの帰還を果たすのだった。

 

 

 

 

 




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