ダンジョンに訳ありデビルハンターがいるのは間違っているだろうか   作:EGO

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Prepare03 豊穣の女主人

 案内してくれた黒髪の青年に感謝の言葉を投げて『黄昏の館』から出ていく二人。

 すれ違う門衛にも「邪魔したな」「お邪魔しました」と挨拶を投げた二人は、そのまま通りを進んでいく。

 

「よっしゃ。いい加減に飯にしようぜ」

 

本拠(ホーム)に帰ればなにか用意されていると思いますが」

 

「アリーゼ達と食うのもいいが、せっかく金が手に入ったんだ。色々世話になった礼になんか奢らせてくれ」

 

 グレイは胸を叩きながら得意げに笑った。

 ようやく脱出した無一文。ギルドにかなり持っていかれた挙句に寄付で更に少なくした報酬ではあるが、使う時機(タイミング)は今しかないと言わんばかりに目が輝いている。

 

「お礼なんて。するのはむしろこちらです」

 

 そんな彼の好意をばっさりと切り捨てる堅物妖精(リュー・リオン)

 出鼻を挫かれた彼が動きを止め、「人の好意は受け取るもんだぞ……」とぼやくが、彼女は首を左右に振って言う。

 

「貴方には何度も救われた。私だけでなく、多くの人が。なにかお礼をするなら、こちらからです」

 

 グレイがいなければ今のオラリオはなく、事実としてリューは彼がいなければ死んでいたのだ。

 恩を感じることはあれど返される恩はないと断言する彼女に「変なところで真面目だよな」とこめかみの辺りを掻くグレイ。

 するとすぐに代案を思いついたのか「じゃあこうしようぜ」と提案する。

 

「お前は俺の昼を奢る。俺はお前の昼を奢る。これでお互いwin-winだ」

 

「『うぃんうぃん』というのはよくわかりませんが、駄目です。それでは礼になりません」

 

 グレイが提案した妥協案すらも跳ね除けるリュー。

 真面目も過ぎると面倒だなと溜め息を吐いたグレイは「あのな」と語気を強めた。

 

「俺だってお前に感謝してんだよ。散々迷惑かけたからな」

 

「迷惑など、私は別に」

 

「かけたよ。俺を探して闇派閥(イヴィルス)や悪魔がわんさかいる都市を走り回らせたり、変な神の勧誘に乗りかけたところを止めてくれたり……」

 

 今にしては情けなさ過ぎる、恥ずかし過ぎると頬を朱色に染めながら俯いてしまう。

 そういえばとハッとするリューだが、彼女からすればどちらもやって当然のことをしたまでのこと。あまり恩などを感じて欲しくはないのだが。

 

「お前がどう思おうがこの礼をしなきゃ俺の気が済まねえ。ただ働きはしないし、させない!俺の流儀は知ってるだろう!?」

 

 それが彼なりのけじめというものなのだろう。

 何か施しをすれば対価を求めるように、された施しに関しても対価を払う。

 その癖して本人は「皆が笑顔が見れればそれでいい」などとぬかして対価らしいものを受け取らず、受け取ったものの一部は寄付に回しているというのに。

 リューは観念したように小さく息を吐くと「わかりました」と苦笑混じりに頷いた。

 

「それならば、アーディやアンドロメダにも何か奢らねばなりませんね」

 

 グレイが出した例えの時は別に単独行動していたわけではない。

 無理を言って二人に同行を依頼し、その途中で二人を置いていってしまっただけだ。感謝するなら二人にもと笑う妖精に、グレイは「それは、二人と会った時にでも考えるよ」と気まずそうに目を逸らしながら言った。

 リューを食事に誘うにしても理由は軽率だったかと数分前の自分を自嘲する。

 だがまあ二人にも迷惑をかけたのは事実。これに関しては反論のしようもない。

 

「で、行きつけは?」

 

「行きつけ、ですか?」

 

「ああ。俺が店を知ってるわけねぇだろ?」

 

「それは、そうですね」

 

 グレイの言葉にリューは考え込み、小さく唸りながら頭を捻る。

 なかなか返答がない彼女の姿に「リュー?」と声をかけるが、彼女はやはり考え込むばかりで答えが出ない。

 普段はアリーゼやライラが見つけてきた店に行くことはあるが、行きつけかと言われるとなんとも困る。

 今まで行った中で美味しかった店に連れて行けばいいだろうか。いいやグレイとの初めての外食をそんな適当に決めていいものではない。

 

「すぅ……」

 

「そんなに悩むのか……」

 

 困り顔で彼を見ても困惑顔を返されるばかり。

 さてどうすると頭を悩ませるリューだが、グレイはすっと目を細めて彼女越しに路地を見つめた。

 今更でもあるがギルドを出たころから誰かに尾けられている。複数の神とその眷属だろうか。通りの屋根の上や路地の奥、あるいは人ごみの中から、好奇心に満ちた喧しい視線を感じる。

 

「うざってぇな」

 

「……?どうかしたのですか?」

 

 いきなり悪態を吐いたグレイにリューが疑問符を浮かべると、彼は溜め息混じりに頭を搔いた。

 

「ちょっと移動するぞ」

 

「それは構いませんが……」

 

 彼女の許しを得た瞬間、ひょいと彼女を持ち上げた。

 右腕で背中を支え、左腕で膝裏を支える。

 ──俗に言う『お姫様抱っこ』である。

 

「……ほぇ?」

 

 リューは一拍開けて現状を把握し、間の抜けた声を漏らす。

 顔がみるみると赤く染まり、耳から湯気が噴き出す。

 

「それじゃ、行くぞ」

 

「え!?ちょっ!?待ああああああああぁぁぁぁぁぁぁ──────ー………………」

 

 そして気持ちがいいまでの笑みを浮かべるグレイにリューは制止の声を上げるが、それを遮る形でグレイは跳躍。

 彼女の悲鳴を残して建物を飛び越え、通りを飛び越え、気の向くままに右へ左へ。

 野次馬根性で二人を尾行していた神々とそれに巻き込まれた眷属達もあれは追えないと白旗を上げた。

 

「よかったじゃないか、アスフィ。そのうち食事に呼ばれるぜ」

 

「リオンは何を考えてあの時機(タイミング)で私の名前を出したのですか!?少なくとも今ではないでしょう!?私へのお礼なんていいんですから!」

 

 それはヘルメスとアスフィも例外ではない。

 今回の追跡は諦めるにしても、途中で、よりにもよってリューの口から名前が出たアスフィは困惑し、リューの親切心を今回ばかりは愚弄した。

 男から食事に誘われているのになんで他の女の名前を出すんだよ!?恋愛素人か!?素人だったわ!くそったれ!と、戦友の恋を応援するはずが当の本人が爆弾を落としてくる事態に激高する。

 

「まあ、あのタイミングで他の異性(ひと)の名前を出して修羅場にするのは普通男側だよな……」

 

 ヘルメスさえもその意見に同意し「これ、リューちゃんにもあれこれ助言した方がいいやつ?」とグレイを仕込むのではなくリューに手を加えた方が得策かと真剣に考える。

 史上初の悪魔と妖精の異種恋愛だ。中途半端な結果に終わってほしくないし、行ってくれるなら行くとこまで行ってほしいのが本音でもある。

 だが今日はこの辺にしておこうと帽子の鍔を指で押し上げた。

 

「さて、明日にでもアストレアのところに顔を出そうか。挨拶は大切だからな」

 

「私は会うのが怖いのですが……!」

 

 ヘルメスはグレイとの正式な再会に思いを馳せ、アスフィはリューの失言がらみでの修羅場を警戒する。

 グレイも馬鹿ではないと思うが、リューやアストレアの前で「今度飯行こうぜ」などと言われたらどうなるか。

 

「い、胃が痛い……っ」

 

「頑張り給え、団長殿」

 

 お腹を押さえて蹲る彼女に、ヘルメスは励ましの言葉を投げかけた。

「もっと心配してください!」と悲痛なまでの叫びが通りを駆け向け、周囲の視線を独り占めするのだった。

 

 

 

 

 

 グレイの気の向くまま続いた逃亡劇は、都市西部の市壁の上で取りあえずの終了となった。

 都市を囲む巨大な壁の上からオラリオを見渡し、鬱陶しい視線が消えたことを確かめた。

 

「流石に撒けたみてぇだな」

 

「────」

 

「やるなとは言わねぇが、もっと上手くやれってんだよ」

 

「────」

 

「神様も、それに付き合う眷属連中も、暇なのか?」

 

「────」

 

「…………リュー?」

 

 適当でもいいので反応が欲しかったのか、あれこれと愚痴をこぼす。

 だがリューは何も言わない。顔を真っ赤にしたまま、天敵と出会ってしまった小動物が最後の賭けに出た時のように体を動かさず、見開いた空色の瞳でじっとグレイを見上げている。

 怒っているのか照れているのかも曖昧なその表情に、グレイは言葉に迷いながら「あー。その、悪かったな、いきなり抱えちまって」と謝罪した。

 そしてその言葉を合図にしたようにリューはハッとすると、巻き起こった気炎のままに吼えた。

 

「い、いきなり何をするんですか!?あんな人混みの中で、お、おおおおお、お姫様抱っこだなんて!?」

 

「尾行がうざかったんだよ」

 

「だ、だとしても!わ、私にも心の準備というものが………ッ!」

 

 グレイの腕の中で喚くリュー。

 気絶でもしたかと心配していたグレイは「元気そうでなによりだ」と安堵に表情を和らげた。

 普段のそれよりも段違いの距離感での笑顔にリューは再び顔を耳まで紅潮させながら動きを止めた。

「またかよ」と半眼になるグレイは小さく溜め息を吐くと、「話を戻すが」と無理やりに話題を戻すことを選んだ。

 視界の右奥に見える万神殿(パンテオン)──ギルドの位置からだいたいの現在位置を推測し、小さく唸る。

 

「ギルドがあそこなら、今は西の区画だよな」

 

「……なら、都合がいいですね」

 

 グレイの言葉にようやくの復活を果たしたリューが答えた。

 

「西の大通り(メインストリート)には飲食店が多いので、探すならそこかと」

 

「なら決まりだな。こっちに逃げてきて正解だ」

 

 彼女の説明に機嫌を良くしたグレイは「なんかいい匂いがしたんだよな!」と西への逃走に関して確信犯めいたことを口にする。

 子供のように笑う彼の横顔を見つめ、表情を柔らかくするリュー。

 だが視線を感じたのか彼女の方に向き直った瞬間に目が合い、「どうかしたのか?」と問いかけられた。

 

「とりあえず、降ろしてください!」

 

「それは壁から?それとも俺から?」

 

「まずは貴方からです!」

 

「へいへい」

 

 照れ隠しのためか少々の怒気さえも滲ませた言葉に、グレイは流石に意地悪が過ぎたかと内心で苦笑を漏らしながら降ろしてやる。

 

「店探しのついでに見回りもしていくか。せっかく来たんだからな」

 

「そうですね」

 

 昼食だけを目的にせず、正義の派閥(アストレア・ファミリア)としての役割も果たしてしまおうと提案し、断る理由もないリューはそれを承諾した。

 アリーゼ達への言い訳を作るという意味もあった提案ではあるが、今のオラリオを見て回りたいのも本音であり、自分が帰ってきたことを喧伝する意味でもやっておくべきと判断でもある。

 闇派閥(イヴィルス)も悪魔も、自分がいれば派手なことはしないと──名実ともに抑止力であると自負するグレイは、けれどそんな覚悟をおくびも出さずにリューとの二人きりの外出を楽しむことも忘れない。

 

「それじゃ、行くか」

 

「はい」

 

 二人は市壁から飛び降り、大通り(メインストリート)へと出ていく。

 昼時なこともあってか休憩中の職人や冒険者、そして暇つぶしに繰り出した神々を誘うように四方八方から食欲を唆る匂いが漂い、人一倍嗅覚の鋭いグレイを攻撃してくる。

 彼自身、さっさと店に入りたい欲望を抑えているわけだが、やはり我慢できずにくぅと腹が鳴った。

 あうと情けない声を漏らして赤面する彼に、リューは思わず笑みをこぼした。

 

「だ〜。あっちからもこっちからも美味そうな匂いがしやがる」

 

 そう言いながら食い逃げや喧嘩などのトラブルに備えてか、人でごった返す酒場や喫茶店を横目で見やる。

 活気に満ち、人の笑顔であふれたその光景はいつまでも見ていたいが、彼らが舌鼓を打つ料理も見てしまったためか再び腹が鳴る。

 

「……にしても賑やかだな。前の炊き出しの時は散々な目に遭ったが」

 

 気分転換だと言わんばかりに話題を変えるグレイ。

 彼はオラリオに来て最初の賑やかなイベントと、その後に起きた惨劇を思い返し、溜め息を吐いた。

 あの頃の自分、弱かったなとと魔剣の連射如きでズタボロにされた腕を撫でる。

 今なら身体能力(ステータス)も高くなったし、ゴリアテもある。もっと楽ができるはずだ。

 やれやれと首を横に振る彼に「あの日とは違います」と告げた。

 

「襲撃に怯える必要も誰かの悪意を警戒する必要もない。同胞や友人、家族と共に食卓を囲み、笑いあう。今日を生きるため、ただ飢えを凌ぐための催しだったあの日とは、違います」

 

 リューは笑いあう親子や飲み比べをするドワーフ。そして酔いつぶれた神を困り顔で担いで走る眷属を見やり、微笑んだ。

「だな」と笑みと共に首肯するグレイだが、再び腹が鳴ったのを合図に真剣(シリアス)な時間は終わりだと言わんばかりに「で、なに食うよ」と彼女に問うた。

 

「今さらだがエルフって何食うんだ?肉って感じはなさそうだが」

 

 彼はリューの細身の体を見ながらの問いかけに「あまり肉料理は……」と眉を歪めながら言葉を濁す。

 エルフとは森に産まれ、森と共に生きる種族だ。森の動物はモンスターを除いて共に森を生きるものであり、狩ってその肉を食うという文化そのものがあまり馴染みがない。

 森を飛び出してオラリオに流れ着いて早三年。アリーゼ達と共に食事することで森の外の食文化に関しては慣れたつもりではあるのだが、苦手なものは苦手だ。

 グレイはへ~と気の抜けた声を漏らし、小さく鼻を鳴らす。

 

「別に偏食を否定するわけじゃねぇが、食わなきゃ強くなれねぇぞ」

 

「ッ……!」

 

 まるでというか、実際食わず嫌いをする子供に言い聞かせるような言葉に言い返すこともできず、悔しそうに歯嚙みするリュー。

「無理に食えとは言わねぇけど」と一応のフォローを入れるが、リューとしてはやる気なのか「食べます!」と意気込んで見せた。

 あまりの迫力に「お、おう」と困惑気味に応じたグレイは「そんじゃ、そろそろ店決めるか」と前に向き直った瞬間。

 

「あの……」

 

 前から歩いてきていた薄鈍色の髪をした人間(ヒューマン)の少女に声をかけられた。

 どこかの店の店員なのか、若葉色の制服に身を包む彼女は一見すれば可愛らしい街娘のように見える。

 なにやら袋を抱えているのは買い物帰りだからか。何か野菜らしき葉が袋の口から飛び出している。

 

「なにか御用ですか?」

 

 事実リューは彼女になんの警戒感も持たずに声をかけ、少女も「はい!お店を探している様子だったので!」と笑顔を浮かべながら返事をする。

 一見すれば通りを歩いていた冒険者を酒場の店員が捕まえただけの光景。オラリオではありふれた日常の一部である。

 

「私が働いているお店が近くにあるんです。いかがですか?」

 

「店、ですか……?」

 

「はい!お値段は少しお高いかもしれませんけど、味は最高なんです!」

 

「……どうしますか?」

 

 ずいっと前のめりになりながら客引きしてくる少女の剣幕に圧倒されながら、リューはグレイへと視線を投げるが。

 

「────」

 

 彼はなにか得体の知れないものを見てしまったように、何も言わず目を見開き、固まっていた。

 相手が何かすれば良くも悪くも反応を返す彼が、ただ驚き固まっているという事態にリューも困惑し、対面の少女もこてんと首を傾げていた。

 

「グレイ?」

 

 リューが流石に心配になったのか彼の名を呼べば、彼はハッとして「ああ、悪い」とばつが悪そうに頭を搔いた。

「それでなんだって?」と問いかける彼に「彼女のお店にいってみるかどうかです」と彼が聞いていなかった話を説明してやる。

 

「正確には私が働いているお店、です!」

 

 少女にとっては大事なのだろうが二人からすれば割とどうでもいい微妙な訂正を入れ、リューも改めて「だそうです」とグレイに話を振る。

 彼は改めて少女を見やれば、少女はうちに来てください!後悔させません!オーラを滲ませて見つめ返してくる。

 数秒続いた睨み合いの中、先に折れたのはグレイ。彼は溜め息を吐くと降参するように両手を挙げ、「わかった。案内してくれ」と少女に頼んだ。

 

「やった!では早速、こちらです!」

 

 少女は喜色満面といった様子で笑いながら二人を先導していく。

 薄鈍色の髪を揺らして人混みをすり抜けていく背中を追いかける中、不意にグレイが口を開いた。

 

「ところでお嬢ちゃん」

 

「はい?」

 

 足を止めずに顔だけで少女が振り向き、リューも彼へと目を向けた。

 

「ここで会ったのも何かの縁って奴だ。俺はグレイ・ストラトス。場合によるが、未来の常連客だ」

 

「なるほど、失念していました。私はリオン。【アストレア・ファミリア】に身を置いています。お見知りおきを」

 

 グレイが名乗り、リューが続く。

 彼女の癖というよりも一族の慣習である親しい者以外には真名を教えない姿にグレイは相変わらずだなと苦笑し、それに気づいたリューが「何ですか」と食って掛かる。

「別に~」と軽く受け流す彼にリューが「はっきり言って下さい」と批難気な視線を向ける中、少女は鈴を転がしたように笑う。

 

「仲がいいんですね」

 

 少女の言葉にグレイは「まあな」とさも当然のように返すが、隣のリューはまた顔を赤らめたままそっぽを向いてしまう。

 そんな様子を興味深そうに見つめた彼女だが、それも一瞬のこと。

 今度は体ごと振り向き、立ち止まる。

 

「私はシル・フローヴァっていいます」

 

 にこりと万人を魅了する微笑みと共に名乗った彼女は、そのまま三人の真横に鎮座する店を手で示した。

 他の店と同じ石造り。二階建てで奥行きもあるその店は、他の建物に比べても大きめだ。

 そして何よりあまり損傷していない。他の店が崩れた壁や天井をそのままにしたり、席を外まで出して座席を確保するなどしている中、怖いほどにその店は形を保っていた。

 窓から見える店の中の状況は盛況そのもの。だが喧嘩などの乱痴気騒ぎが起きている様子はない。

 

「ここが私が働いているお店。『豊穣の女主人』です」

 

 シルは誇らしげに店の名前を口にすると、「さあ、どうぞ」と二人を席に案内する。

 自由扉を潜り、どんちゃん騒ぎの円卓の脇を抜け、たどり着くのはカウンター席。

 一直線に席が並ぶ中、二人が座ったのはカウンターの曲がり角の奥。後ろに壁を背負う店の隅である。ついでに地獄の戦場と化している厨房もよく見える。

 

「レディー・ファースト」

 

「……?ありがとうございます」

 

 よくわからないことを言いながら奥の座席を譲るグレイに、リューは疑問符を浮かべながらも感謝の言葉を送る。

 彼女が座り、隣にグレイが座れば、壁とグレイに挟まれ、余程のことがなければ人目には触れない小空間となる。

 他人(ひと)の目を気にしそうな彼女への配慮なのだが、果たして彼女に伝わっているのかどうか。

 見ようによってはリオン独り占め空間と化したカウンター端にシルは目敏く気づくが、言葉は無粋とばかりに「ゆっくりしていってくださいね」と告げて荷物を置きに店の奥へと消えていった。

 

「で、何があるんだ?」

 

 彼女を見送ったグレイはメニュー表をリューに渡し、受け取った彼女がざっと目を通していく。

 シルが言っていた通り値段は張るが、普通の酒場よりもはるかに豊富なメニューの中から、知りもしないグレイの好物を見つけるのは不可能だ。

 

「何を探しているのかを言って下さると助かります」

 

「ストロベリーサンデー」

 

「……そのすとろべりーさんでーとは、結局なんなのですか」

 

氷菓子(アイス)の上にイチゴを乗せたデザートだ」

 

「いきなりデザートに行かないでください」

 

 意外と甘党なのかと彼の好みを覚えつつ、メニュー表のデザートの一覧に目を通すが、ストロベリーサンデーは見当たらない。イチゴを使った氷菓子(アイス)の類はありそうだが……。

 

「すとろべりーさんでーは──」

 

「へぇ。アンタが噂のガキンチョかい」

 

 リューの報告を遮ったのは、二人の正面から飛んできた女性の声だった。

 後ろや横からの横槍ばかり警戒していたグレイは正面から──つまりは厨房から声をかけられるのは流石に想定外。

 二人が揃って視線を向けた先にいたのはドワーフの女性。

 ガレスほど筋肉質ではないが、鍛えられた名残を感じる恰幅のいい体。こちらを品定めしつつも下卑たものを感じない思慮深くも快活な瞳。

 グレイから見た第一印象は、前線を退いていそうなことを含めての『強かったのだろう』というかなりの高評価。

 リューをして気を抜いていたとはいえ接近に欠片も気づけなかったことに驚きを露にしていた。

 対する女性──酒場の女将は、鼻を鳴らすとグレイに告げる。

 

「アンタが悪魔だろうが人間だろうが、客として来たなら腹いっぱいにしなきゃね。さっさと頼みな」

 

 彼が何者かを──そして何かを理解しながら、一人の客として扱うと宣言する女将。

 グレイもその気遣いに感謝しながら、「オススメは?」と聞くが、「そこに書いてあるよ!」とメニュー表を指差しながらあっさり返される。

 そりゃ自信がない物をメニューには載せねぇだろうなと内心ツッコミを入れつつ、何でも来いとも取れる女将の自身に甘えることにした。

 グレイはメニュー表に目を戻し、リューに「ピザってあるか?」と問う。

 

「それならあるようです」

 

「それじゃ、それで頼む。そっちは?」

 

「私はパスタを」

 

 二人が揃って注文を決める中、女将は「酒は?」と尋ねる。

 

「私はアルヴの清水を。貴方は?」

 

「……そう言えば酒飲んだことねぇな」

 

 即答するリューと、不意に思い出したように呟くグレイ。

 ダンテは気にしなかったが、情報屋(モリソン)家事の師匠(パティ)が口を酸っぱくして飲ませてくれなかったのだ。

 

「なら、決まりだね」

 

 女将は会心の笑顔と共に、ドン!と麦酒(エール)を叩きつけた。

 真っ白な泡がジャッキから溢れ、カウンターへと垂れていく。

 興味深そうにそれを見下ろすグレイと、その横で清水が注がれたグラスと水瓶を受け取るリュー。

 

「そんじゃ、乾杯」

 

「乾杯」

 

 二人はジャッキとグラスを軽くぶつけ、それぞれの飲み物を呷る。

 ごくりと喉を鳴らして飲んだグレイは、口の中に広がる独特な味に眉を寄せつつ、ほんのりと感じる甘味に小さく頷く。

「案外いけるな」と唇についた泡を舐めとり、もう一口呷る。

 

「飲みすぎたら後が大変ですよ」

 

「おう」

 

 舌鼓を打つグレイにリューは一応の忠告をしておく。

 飲み過ぎて倒れたアリーゼや輝夜の介抱をしたのも一度や二度ではない。グレイ相手でも面倒は見るが、こう、酔った勢いで抱きつかれるなんてことがあれば……。

 酔っ払ったグレイに抱きつかれたら……?

 一人で妄想に耽った挙句、ボン!と音を立てて頭から煙を噴き出すリュー。

 もう慣れたと言わんばかりに無反応のグレイと、料理をしながらエルフってのは面倒だねぇと嘆息する女将。

 三者三様の反応をする中、パスタとサラダが先に出てくる。

 ほかほかと湯気が立つパスタとカットされた瑞々しい野菜が盛られたサラダ。

 横から見ているグレイをして、漂う香ばしい匂いに喉を鳴らした。

 そしてドンと彼の前にピザが置かれ、鼻腔をくすぐる匂いに唾液の分泌が増える。

 円形に整えられた生地にたっぷりと塗られたケチャップと乗せられたチーズ。

 厚めに切られたベーコンや野菜など、豪快ながらも確かな技量を感じるピザだ。

 小さな丸鋸(ピザカッター)も一緒に置かれ、グレイは「いただきます」と食事の挨拶を済ませてからピザを切り始める。

 目測にしても綺麗すぎる八等分。その内の一つを摘み上げ、まず一口。

 口内で弾けるケチャップの酸味とチーズの風味。一緒に噛み切ったベーコンから溢れた肉汁が舌を撫でる。

 そしてお約束と言わんばかりにピザを口から離せば、伸びるチーズが橋となって彼の唇とピザを繋ぐ。

 ふふんと得意げに笑うグレイに、リューは「子供ではないんですよ」と苦笑混じりに言いながら、フォークに巻いたパスタを口に運ぶ。

 口に含み、何度か咀嚼して飲み込み、ほっと息を吐くと「美味しい」と声を漏らす。

 

「いきなり当たりの店を引いたな、こりゃ」

 

 もごもごと口いっぱいにピザを含みながら笑うグレイに、リューも笑みと共に頷き返す。

 そんな彼女に、グレイは「ほい」とピザを一切れ差し出した。

 

「いいんですか?」

 

「さっきも言ったが、食わなきゃ強くはなれねぇぞ」

 

 グレイの信条ともいうべき言葉にリューは頷き、彼から受け取ったピザの一口。

 口に広がる様々な味と、それが生み出す旨味に目を輝かせていると、グレイももう一切れを咥え、やってみろと言わんばかりににょーんとチーズを伸ばした。

 リューも真似してチーズを伸ばすが、すぐに恥ずかしそうに頬を赤らめて頬張ってしまった。

 そんな姿を見ながらピザを飲み込んだグレイは麦酒(エール)を一口。

 酒精混じりの息を吐き出し、背もたれに寄りかかる。

 初めての酒が思いの外回ってきたのか、顔が赤らみ始めている。

 そんな彼に清水を差し出すリュー。

 それを呷ったグレイはホッと息を吐き、次のピザを口に持っていく隣で、リューは『あれ、今の間接キスでは?』と薄っすらと彼の唇の形が残るグラスを見つめ、赤くなって固まる。

 いやいやこれは偶然というか、不運な事故というか。とにかく気にする必要は……。

 

「ところで」

 

「はいッ!」

 

 体は止まっても思考は回る中、グレイから声をかけられて上擦った声をあげてしまう。

「な、なんですか!?」と狼狽えながら彼に目を向けると、彼は「お前のも一口くれ」と力の抜けた笑みを浮かべながら彼女のパスタを指差す。

 

「ああ、なるほど」

 

 グレイからはピザ一切れ。ならこちらからもパスタ一口。

 それで等価は無理がある気がするが、彼がいいと言うのなら深くは考えまい。

 リューはフォークでパスタを巻くと、「どうぞ」とそれを差し出した。

 グレイは何の躊躇もなく口を開けて、パクリと一口。

 もごもごと咀嚼して飲み込み、「美味(うま)っ」の一言。

 厨房に引っ込んでいた女将が当然と言わんばかりに鼻を鳴らした音が聞こえ、グレイとリューは顔を見合わせて苦笑した。

 そんなほんわかムードが流れるカウンター席だが、ここは大盛況の酒場である。

 昼休みの職人から探索前の冒険者、暇を持て余した神々。などなど、様々な職業や種族が集い、酒や料理を楽しんでいる。

 楽しんでいる、のだが。

 

『我々は何を見せられているんだ?』

 

 なんかもうクソ喧しい酒場とは思えないイチャイチャムードに、普段喧嘩ばかりのエルフやドワーフも、酔いが回っていた神々も、束の間の休息を堪能していた職人達も、その意識が統一される。

 先の戦いで都市にその名を轟かせた英雄にして悪魔──グレイ・ストラトス。

【アストレア・ファミリア】の【疾風】こと堅物妖精──リュー・リオン。

 良くも悪くも有名な二人が、他の団員も連れずに酒場に来た挙句、乾杯したり料理の取り替えっこをしたり、挙句に『あーん』をして食べさせるなど。

 これは、あれか、見せつけられているのかと、グレイの背中に嫉妬の視線が突き刺さる。

 二人を誘ったシルは給仕の仕事をしながら、多分二人とも素で行っているだろうやり取りに「まさかこれほどとは!」と興味津々といった様子だ。

 だがしかし、暗黒期だなんだと散々抑圧された挙句、唐突に現れた『悪魔』というとびっきりの未知を前に、神々が我慢できるだろうか。

 いいや、無理!酔っ払っているから理性などとうに擦り切れている!

 

「悪魔く〜〜ん!」

 

「ん?」

 

 神々が我先にと飛び出していき、ほろ酔い状態のグレイの首根っこを掴んで拉致。

 ピザを乗せた皿を持っていくという(ささ)やかすぎる抵抗をした彼はそのまま酒場の中央まで引き摺られて行き、ドン!とテーブル代わりの樽が置かれた。

 されるがままを受け入れているグレイと、突然の事態に固まるリューを他所に男神が女将へと声をかけた。

 

「ミアさ〜ん!この店で一番強いのちょ〜だい!!」

 

「悪魔君には敗北の味を知ってもらうよ」

 

「我々、飲んだくれ同盟に勝てるかな?」

 

 名も知らない女神と男神が同調する中、ミアは仕方ないと言わんばかりに「持ってきてやんな!」と給仕係の猫人(キャットピープル)に酒をもってくるように指示。

 そして差し出されるのはジャッキに並々と注がれた女将特性の火酒(ウォッカ)である。

 その名の通り、火がつくほどのアルコール濃度を誇る強烈な酒だ。

 麦酒(ビール)のような泡はなく、いっそ透き通るほどに透明。

 神々をして酔う目的でも飲まず、記憶を消したい時にしこたま飲むとされる、酒というか薬とか毒の(たぐい)

 

「ルールは簡単!相手が潰れるまで飲み続ける!先に潰れるか五杯差つけられたら負け!負けたら相手が飲み食いした分全部奢り!それじゃ、張った張った!」

 

 突然始まった神と悪魔の酒飲み勝負に酒場が湧いた。

 すぐさまあから顔の女神の音頭で賭け事が始まり、ヴァリスだったり料理名だったりが飛び交う。

 軽く会話を盗み聞いていた者達は、酒に不慣れなことを見込んで神々へと賭けが集中し、その分高くなったグレイの配当倍率(オッズ)目当てに博打を打つものが少々といった様子。

 そもそも三対一じゃねーか!といった声も飛ぶが、そんな野暮な野次を入れた者は口に酒を突っ込まれて黙らさられる。

 

「はい、そこまで!それじゃ、よ────い!」

 

 賭けが締め切られ、合図と共に神々がジャッキを握る。

 くんくんと匂いを嗅ぎ、それだけで酔いそうだと目を回すグレイもとりあえずジャッキを握る。

 

「スタ────────ト!!!!!」

 

 音頭役の女神の宣言と共に四者が同時に火酒を呷った。

 瞬間、喉が焼けるほどに強烈な衝撃と、それでも確かに感じる旨味にグレイは目を見開いて飲み干し、神々はぶほ!?と噴き出してしまう。

 

「げほっ!げほっ!いや、聞いてた以上にキツいんだけど!?」

 

「こ、これを酒と言い張る度胸……!」

 

「うぉへっ!?これやっばっ!?」

 

 神々がむせながら愚痴を吐き「嫌なら飲むんじゃないよ」と女将に苦言を呈させる中、グレイはピザを肴に二杯目を呷り、一息で飲み切ってしまう。

 

「「「え…………」」」

 

 神々が困惑の声を漏らす中、グレイは「おかわり」と告げて次を注いでもらっていた。

 そして満杯になるまで注がれた瞬間にそれを口まで持っていき、それを一気に呷る。

 ごくごくと喉を鳴らしながら飲み込んでいき、三杯目を完飲。ついでにピザも一切れ。

 余裕そうである。目が据わってもやる気は十分と言いたげに鼻を鳴らした。

 

「飲んだくれ同盟もこんなもんか」

 

 そう言って煽りながら次のジョッキを傾け、ごくごくと音を立てて火酒を腹に収めていく。

 五杯差で負けと定めた以上、このままのペースでいかれれば神々の負けである。

 

「「「ま、負けるかぁぁぁああああああああ!!!」」」

 

 飲んだくれ同盟も慌てて火酒を飲み始め、観客も四人を煽って騒ぎ始める。

 店の前を通った人達も何事と店内を覗く中、神と悪魔の酒飲み勝負は白熱していく。

 

「何だか大変なことになっちゃいましたね」

 

「そう、ですね……」

 

 一人蚊帳の外になってしまったリューの隣にシルが座り、清水を注いであげていた。

「彼とお話ししてみたかったんですけど」と溜め息を吐いたシルは酒場の真ん中で変な勝負に巻き込まれたグレイに目をやり、相変わらず観察するような目を向ける。

 

「けど、良かったです」

 

「良かった、ですか?」

 

 シルの呟きの疑問符を浮かべるリュー。

 そんな彼女にシルは「はい」と頷きながら、彼女の方へと向き直った。

 

「私、あの人のこと怖い人だと思っていました。ううん。私だけじゃなくて色々な人達が、彼のことをちゃんと見れていなかった」

 

 ──それはきっと、彼自身も。

 

 悪魔という未知への恐怖。

 グレイをただ使える戦力としてしか見ておらず、その強烈な力への期待とその裏に隠された恐怖。

 そして彼自身が自分と向き合わず、魂の奥底に燻らせ続けていた本当の可能性。

 どこか達観したような物言いでそれらを告げ、あるいは見通す彼女の姿にリューが疑問符を浮かべながら「フローヴァさん……?」と呼ぶと、彼女はすぐにハッとして「こう見えて人間観察が得意なんです!」と誤魔化すように笑った。

 酒場を包む喧騒を心地よさそうに受け止めながら、彼女は言葉を続けた。

 

「今は色んな人から受け入れられて、あの人もやっと自分を認められて、とっても楽しそう」

 

 シルはそう言いながらグレイをじっと見つめた。

 ミア特製の火酒をぐびぐびと飲み干すその様はただの酒豪である。

 だが文字通り何者でもなかった彼は、その活躍で『英雄』とまで呼ばれ、なんなら『悪魔君』呼びさえも受け入れて、神々にダル絡みされる程度には受け入れられている。

 その姿に微笑みを向けるシルに、リューは「そこまでわかるのですか?」と思わず問うてしまう。

 人間観察が得意だとしても、あまりにも的を射すぎている。

 グレイが自分のあり方に迷い続けていたなど、親しい間柄でも知っているかどうかだというのに。

 シルは「わかってしまうんです!」と得意げに笑うと、わっと歓声が上がった。

 見れば飲んだくれ同盟を名乗った神々三柱(さんにん)が泡を噴いて倒れ、一人立っているグレイは空になったジョッキを掲げながら最後のピザを食していた。

 彼に賭けた者達の歓声と負けた者達の悲鳴が酒場を揺らす。

 

「終わったみたいですね」

 

「そのようです」

 

 二人は苦笑を交換すると、シルは「は~い!お片付けしま~す!」と樽やジョッキの片付けに向かい、入れ違いでグレイが戻ってくる。

 

「お疲れ様でし──」

 

「ふにゅう」

 

 千鳥足になっている彼を笑顔で迎え入れたその瞬間、ふらりと体勢を崩した。

 そのまま顔から彼女の胸に突っ込み、控え目ながらも確かにある柔らかな双丘に顔を埋める。

 

「────」

 

 赤面しながら壊れた絡繰り人形のようにカタカタと音を立て、彼の方を向くリュー。

 彼の顔が、がっつりと自分の胸に埋まっているのを確認し、ボン!と音を立てて煙を噴き出す。

 グレイは甘える幼子のようにぐりぐりと顔を押し付けると、ふにゃふにゃと力の抜けた笑顔を彼女に向け、ぎゅっと抱き締めた。

 彼の頭が肩に置かれ、酒精のせいで踏ん張れないのか彼の重みが伸し掛かってくる。

 もっともリューとてLv.4の第二級冒険者。男子一人程度の重さを支えられない訳はないのだが……。

 

「かったぞ〜、りゅー」

 

「……み、見てました」

 

「おれは〜だれにも~まけね〜!」

 

「……はいッ。そうですね……っ!」

 

 耳元で囁かれる猫撫で声に、耳に吹きかけられる彼の吐息。その度に背筋を撫でていくぞわぞわとした、けれど心地の良い未知の感覚。

「まさかあれは『酔っ払い彼氏ASMR』!?実在したの!?」と女神を中心に驚きの声が上がり、酒場には先程とは別の喧騒に満ちていく。

 彼の変化に困惑し、彼に抱きしめられている状況に赤面し、周囲の視線に羞恥に苛まれ、けれど彼を突き飛ばすこともできないリュー。

 そんな彼女の様子にグレイは体を離すと首を傾げ、「どした~げんきねーぞ~?」と心配そうに彼女の顔を覗き込む。

 鼻先が触れ合いそうな距離に迫る彼の蕩けた笑顔に、リューは勢い良く背中を向けながら「元気です!」とただ叫ぶ。

 不敵な笑みとか真剣な面持ちとか、普段浮かべているそれからは想像もできない年齢以上に幼さを感じる顔に、心臓のあたりが締め付けら、「ぐぅ……!」と胸を押さえて呻く。

 グレイはそんな彼女の肩に顎を乗せ、腹に腕を回して優しく抱き寄せた。

 背中に感じる彼の温もりと、腹に添えられた優しくも力強い彼の腕の感触に、リューの思考が完全に止まる。

 

「本当に大丈夫か?」

 

「っ!」

 

 急に真剣なものになった声色にリューは再起動し、弾かれるように彼に目を向ければ、酔いのせいで頬を赤らめながらもじっとこちらを見つめる碧眼と目が合う。

 その瞳に酒精の気配はなく、確かな理性を感じる輝きがあった。

「だ、大丈夫です」と今度こそ頷けば、彼の表情がふにゃりと蕩け、声音も「ならい~」と表情通りの気の抜けたものに戻る。

 え、なに今の。なんで急に素面になるのと困惑する彼女と、彼女を抱きしめながら楽しそうに笑うグレイ。

 そんな様を見せつけられた他の客達は『相変わらず何を見せられているんだ、これ』と茶化すこともできずに困惑し、神々は、

 

「もう誰でもいいからコーヒー頂戴!最高に苦いやつ!!」

 

「密会には向いてない酒場の隅であれほどのイチャイチャを!?」

 

「一瞬素面に戻って油断させてからの蕩け顔。私は見逃さないね」

 

「想像以上に仲良しなんですね。これからが楽しみです!」

 

 盛り上がっていた。

 なんかもう取り返しがつかない程度には盛り上がりまくっていた。

 神々の歓声に混ざって心底楽しそうに笑うシルも何か言っていたが、生憎とリューには届いていない。

 ただ衆目に晒されているという事実のみが彼女を苛んでいく。

 はぁと盛大な溜め息を漏らしたのは酒場の女将だ。

 

「乳繰り合うなら他所でやりな」

 

「ち、ちちく……!わ、私達にそんなつもりは……!」

 

「自覚なしとは恐れ入るね」

 

 やれやれと嘆くように首を振る女将にリューは言い返すこともできず、「貴方からも何か言ってください!」とグレイに助力を乞うが、

 

「……ん?ぅん……」

 

 彼は眠そうに目を細め、彼女に体を預け始めた。

「ね、寝ないでください!?」と悲鳴をあげるリューに、女将はそっとシルへと目線を投げた。

「は~い」と相変わらず楽しそうなシルが二人のもとに向かう。

 

「裏で休んで行ってください。お代はあの三人からいただきますから」

 

 彼女は潰れて端に寄せられた三柱(さんにん)を示しながらそう言うと、リューは「感謝します!」と手短に感謝の言葉を伝えると、シルに先導されながら彼を引き摺る形で裏へと引っ込んでいく。

 三人の背中に惜しむような声が投げかけられるが、カン!とフライパンを鳴らした女将が店中に響くように声を出す。

 

「さあ!そこで伸びてる三人の奢りだ、たらふく食っていきな!」

 

 ミアの声にいまだに伸びている飲んだくれ同盟とその眷属が青ざめる中、他の客達は歓声をあげ、料理や酒を頼んでいく。

 酒場に再びの喧騒が戻り、事態を知らない客も巻き込んで騒ぎは大きくなっていった。

 それはそれとして、酒場に居合わせた神を中心に『悪魔と【疾風】が昼間からイチャイチャしていた』なんて噂というか目撃証言がオラリオに流れ始めるのなるのだった。

 

 

 

 

 

 シルの案内でたどり着いたのは、酒場の内庭とも言うべき空き地だった。

 従業員用の離れや食材や酒類を保管する倉庫に囲まれ、周囲からの視線も通らない。

 

「ここでいいんですか?空き部屋もありますけど……」

 

「構いません。流石に部屋をお借りするにはいきません」

 

 なんなら部屋を貸そうとしてくるシルにリューが断りを入れた。

 元を辿ればグレイが勝負を受けてしまったことが原因だ。なのに部屋を借りるのは流石に厚かましい。

 

「少し風に当たった方がよさそうですし」

 

 彼女が言うようにここは建物の隙間から流れ込む風が何とも心地よい。

 真昼も過ぎて太陽も傾き、建物や木の根元に程よく影も出来ている。酒で火照った体を休めるなら都合がいいだろう。

「ふぬ~」と変な声を漏らすグレイに、リューは「しっかりしてください」と心配しながらも移動を開始する。

 そんな二人にシルはどこか羨ましそうな視線を向ける。

 

「フローヴァさん?」

 

 その視線を敏感に察知したリューが振り向き様に声をかけると、彼女は「少し羨ましくなっちゃいました」と素直に白状した。

 疑問符を浮かべるリューと、彼女の肩の上で小首を傾げるグレイ。

 息ぴったりな二人の姿にシルは微笑む。

 

「私も貴方みたいに伴侶(オーズ)が見つからないかな〜って」

 

「おーず、とはなんですか?」

 

「私の故郷の言葉なんです。旦那さんとかお嫁さんとか。とにかく一生を添い遂げる人って意味です♪」

 

「だんっ、添い遂げ……!?ち、違います!」

 

「え、違うんですか?」

 

「違いますよ!?」

 

 ご機嫌なシルが放った言葉にリューは声を上擦らせ、それを否定する。

 後ろのグレイがしゅんとなり、シルがあらあらと苦笑する中、二人の変化にも気づかずにリューは捲し立てた。

 

「いいですか、フローヴァさん!男女が付き合うときはまず、誰もいない夜の森で二人の永遠の愛を月に誓うべきなのです!それに婚姻の約束を結ぶのなら妖精の森で誓いを立てなくてはならない!私達はまだそのどちらもしていない!!」

 

「するつもりはあるんですか?」

 

 リューのあまりにも凝り固まった恋愛観を笑うこともなく、理解を拒むこともなく、けれど冷静に問いかけるシル。

 その問いかけに先程までの勢いはどこにやったのか、赤面して俯いてしまう。

 グレイは急に静かになった彼女を心配するように目をやり、シルはその行動で全てを察したのか「良かった」と安堵にも似た声を漏らす。

 

「オラリオの為に頑張ってくれた人達が幸せになれないなんて、私は嫌だから」

 

 祈るように胸の前で手を組みながら、目の前の二人を──悪魔と妖精の異種族の二人組(コンビ)に告げる。

 

「なので私は応援します!なにかあったら相談してくださいね!」

 

 彼女はその言葉を置き土産に内庭から去っていく。

 あまりの勢いに止める間もなかったリューが立ち尽くす中、グレイが小さく唸りながら彼女を抱きしめる。

 僅かな敵意と酒精によって引き摺り出された独占欲が宿る瞳が、シルが消えていった扉を見つめる。

 そんな彼の表情の変化には気づかず、抱擁で真っ赤になった耳を逆立てるリューは「とにかく休みましょう!」と彼を引き摺って木陰へと移動していくのだった。

 

 

 

 




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