ダンジョンに訳ありデビルハンターがいるのは間違っているだろうか 作:EGO
始まりの記憶は薄暗い水の中だった。
複数のコードに繋がれ、必要な栄養と魔力を供給されながら、羊水代わりの液体で満たされた培養槽を漂っていた。
自分を含めて数十の培養槽が並ぶ薄暗い部屋が彼にとっての揺籠だった。
意識も曖昧の中、不意に視界に入ってきた男と目が合う。
「貴方には期待していますよ、八号」
男は
──場面が変わる。
四方を無機質な壁に囲まれた広い空間。
高い天井に埋め込まれた水晶が太陽の如く広間を照らし、相対する者達の足元に影を落とす。
一人は虫の異形だった。後ろ足二本で床を踏みしめ、残る四本の足を広げながらガチガチと顎を鳴らして威嚇している。
対するは少年だった。五歳にも満たない幼い肉体には何も纏わず、何の感情も持たない色褪せた瞳が異形を見つめていた。
『──始め』
壁に取り付けられた窓から広間を覗く男が開始を告げる。
虫の異形が「キシャァァアアアアアアア!!」と奇怪な鳴き声をあげながら少年に跳びかかり、
「ギィ!?」
次の瞬間には腹を抉られていた。
腹ごと右の中脚が吹き飛び、床を跳ねていく。
虫の異形が口から体液を吐き出しながら振り返る。
そこには腕を異形の体液で汚した少年が背を向けており、すれ違いざまに腹を貫かれたのだと理解するのに僅かに時間を要した。
間違えようのない致命傷。もう助からないと理解しながら抉れた腹を押さえ、それでも溢れる体液が床を汚す。
少年は肩越しに異形を見ながら、手にへばりつく体液を舐めとる。
口を強烈な刺激臭が支配するが、無知が極まる彼にとってそれすらも美味だと言わんばかりに手を舐めまわしていた。
その異様な姿に恐怖しながら異形は少年に向かっていき、彼の姿がぶれたと思った瞬間には頭が爆ぜた。
頭部だった破片が広間の壁にめり込み、複眼の破片が崩れ落ちる体に食らいつく少年の姿を映す。
窓からその一連を見下ろしていた男は満足そうに頷き、食事を進める少年をそのままにどこかへと行ってしまう。
少年の初戦は──当時は知る由もなかった兄殺しはあまりにもあっさりと終わり、そしてこの日死ぬことが出来なかったが故に彼の地獄の日々が始まりを告げた。
──場面が変わる。
ある日は男がどこからか連れて来た悪魔。時には群れと、時には強大な個体と、どちらかが死ぬまで戦い続けた。
ある日は自分とよく似た少年。なんの苦労もなく、首をへし折った。
ある日は自分とは似ても似つかない少女。一撃で胸を貫いた。
来る日も来る日も来る日も来る日も来る日も────少年は家族や同胞を殺し続けた。
少年は強かった。いいや、強すぎた。他の兄弟姉妹が影を踏むこともできない程、隔絶した力を有していた。
男はそんな少年を賞賛し、それ以上に彼を生み出した己の才能に酔いしれた。
少年に自我らしいものはなかった。ただ殺し、その死肉を食らい、今この瞬間を生きる。それだけだった。
──場面が変わる。
男の醜悪なまでの笑みと、投げられる賞賛の言葉。
訓練と称した殺し合いで冷たい肉塊へと成り果てる兄弟達の死体。
融資のためだなんだと適当な理由をつけ、醜悪な悪魔達に嬲り殺された姉妹達の死体。
繁殖実験のためと互いに薬と呪詛で狂わされた自分と妹の叫びと、不快なまでの交いの感触。
──場面が変わる。
脱走を測って失敗し、見せしめに殺された兄妹達。
友好的な悪魔達への献上品として出荷された姉弟達。
妹の無事を祈って命を捧げた兄と、そんな彼の想いも知らずに後を追った妹。
悲劇は止まらず、命が物同然に消費されていく。
──場面が変わる。
失われた命は戻らず、悲劇に終わりはない。
兄がいなくなり、姉もいなくなり。残されたのは僅かな弟と妹ばかり。
男の機嫌一つで命は失われ、そうでなくても殺し合う運命を強制される。その場所に希望はなく、未来もない。
だから少年は悲劇を終わらせるため。命を奪い続けた贖罪と生き残った者達の自由を願い、剣を執った。
少年は強かった。兄弟姉妹には比にもならない傑物であった。
少年は強かった。敗北という言葉も知らず、この日まで勝ち続けた。
「──貴方には失望しましたよ。八号」
少年は弱かった。男との戦いは戦いと呼べない程に一方的で、所詮は奪われる側だと嘲笑うように。
少年は弱かった。自分の願いも叶えられない程に、これまでの犠牲を無意味にする程に、少年は弱すぎた。
──場面が変わる。
魔界の僻地に捨てられ、一人放浪を続ける中、ついに少年は死を覚悟した。
男が放ったのか、あるいは彼が背負う武器に引き寄せられたのか、大量の悪魔が彼へと襲いかかった。
彼自身、並の悪魔であれば歯牙にもかけずに鏖殺できただろう。
だがその攻勢が全く衰えず、五日も続けば話は変わる。
少年一人に対して、彼が知りもしない『戦術』を武器に悪魔達は襲いかかったのだ。
悪魔達に取り囲まれ、押し倒され、ついにその首をはねられそうになった瞬間だった。
「──おいおい弱い者いじめか?くだらねぇ」
手頃な岩の上に男が立っていた。
赤と黒を基調とした
悪魔達が色めき立つ。少年への興味などとっくに失せ、男に向けて殺到していく。
「
男は大剣を抜刀し悪魔の群れへと突貫。
少年では削りきれなかった戦力を瞬く間に削っていき、返り血を一滴すら浴びることなく屍の山を築き上げた。
「数だけだったな」なんて鼻で笑い、最後の一匹にトドメを刺した男は少年に近づいていく。
少年は動けなかった。その強さに、その佇まいに魅了され、いっそ見惚れてさえいた。
「おい坊主。お前、何者だ?」
悪魔を蹴散らした男が大剣を背に戻しながら少年に近づく。
少年の目の前でしゃがみ、傷だらけで血塗れの顔を見つめ、どこか自分の幼い頃に似た顔立ちに驚きつつも彼に背を向けて歩き出す。
ただぼうっとその背を見ていた少年だが、「さっさと行くぞ」と背中越しに投げられた言葉にハッとして彼の背中を追いかけた。
この後バイクに乗せられて目を回すことになるのだが、乗り物という概念すら知らない少年に、男の荒々しい運転が刺激的だったのだろう。
少年は胃の中身を吐き出し、男は心底楽しそうに笑った。
──場面が変わる。
男に連れられて人間界に渡り、新しい名前と人間としての常識を与えられ、彼の新しい人生というのものが始まった。
ストロベリーサンデーの甘味に脳を焼かれ、ピザの美味しさを知り、仕事の難しさを知り、仕事や依頼人を通して普通の人生というものを垣間見た。
少年は青年となり、少しずつ大人へと変わっていく。
過去に背を向け、出来るだけ考えないようにしながら、人として生きることに拘った。
──場面が変わる。
人間界とも魔界とも異なる世界。
人と神が共に生きる世界に転がり込み、様々な出会いを経験した。
正義の女神の眷属にして正義を追い求める少女達。
都市の安寧を望む象神の眷属達。
英雄たらんとする道化の神の眷属達。
女神の寵愛を受けるため、その名を下界に轟かせるため、研鑽を続ける
神の眷属でなくとも、誰かのために行動し、声を上げる民衆達。
そして、青年を正面から捩じ伏せたかつての英雄にして覇者。
様々な出会いの果てに、青年は悪魔である自分を受け入れ、ついに過去の因縁に終止符を打った。
「──でも、私達がたどり着いた結末はこれですよ」
代わりに全ての罪を妹が背負い、散っていった。
後悔はある。別の結末はなかったのかと考え始めてしまえばきりがない。
「過去を省みて、後悔して立ち止まるのも結構ですが、いい加減……ッ走り出す時間だと思いますよ……?」
それでも彼女は兄の背を押した。
兄弟が求めた普通の人生を。
姉妹が願った幸せを。
自分達がなくした未来を生きろと、餞別の言葉を贈る。
だから青年は走り出した。
頬を濡らす雫をそのままに。
忌々しい過去の記憶と心地よい懐古の念から這い上がり、目を開けたグレイの目に飛び込んできたのはリューの寝顔だった。
規則正しい寝息と共に肩を揺らし、風に吹かれて絹のような金髪が揺れていた。
後頭部に感じるのは程よい柔らかさと人肌の温もり。
着ていた
また膝枕されていると気づいたグレイだが、どうしてこうなったと疑問符を浮かべる。
彼は知らないが、彼を木陰まで引き摺った彼女はどうしたものかと迷った結果、毛布代わりにしようと彼の
本人的にはかなりの葛藤があったのは事実だが、側から見れば慣れた様子で
そんな事があったなどと知らないグレイは、リューを起こさないように注意しながら辺りを見渡した。
酒場の庭なのだろうか。壁越しに飲んだくれ達の喧騒が聞こえてくる。
頭を揺さぶるような痛みに酒は控えるべきかと小さく唸り、目尻に溜まる雫を拭う。
いちいちくよくよするなと自分に喝を入れ、じっとリューを見つめた。
そう言えばお互いに昨日から寝ていなかったなと思い出し、昼寝するのも仕方ないと苦笑する。
彼女を起こさないようにそっと手を伸ばし、頬を撫でる。
「──護ってみせる。お前も、世界も」
昔の夢を見たせいもあるかもしれないが、誰にも聞かれないことをいいことに静かにその覚悟を口にする。
なにを格好つけているんだかと自嘲した彼だが、ふと気づく。
リューの耳が赤きなっていく。表情も穏やかな寝顔から何かを堪えるようなものへと変わっていった。
口角や肩がプルプルと震え、膝に頭を乗せているグレイにも振動が届く。
「……起こしたか?」
「……」
こてんと首を傾げるグレイと、無言のまま薄く目を開けてこちらを見下ろすリュー。
二人の視線が交わると、彼女の顔が余計に赤くなっていく。
彼女からすればうたた寝している隙に何か頬を撫でられた挙句、お前を護るとまで言われたのだ。しかも世界と自分が
恋愛初心者の生娘エルフに、これで照れるなと言う方が無理な話である。
「いい加減慣れたらどうだ?」
「~~ッ!無理を言わないでくださいッ!」
膝枕も二回目。今回は誰にも見られていない状況なのに今さら照れるなと半眼になりながら告げるが、彼女が照れたのはそもそも膝枕ではないと察せられるほど、グレイも恋心というものを知らない。
二人はお互いに自覚もないままにすれ違いを起こすが、自覚がないゆえに訂正することもできない。
「次に期待だな」と誤解したまま苦笑した彼は、多少名残惜しくも思いつつ体を起こし、
「くそっ。頭いてぇ……」
頭の中で悪魔が暴れ狂っているような痛みに呻き、頭を抱える。
「飲み過ぎですよ」と苦言を呈する彼女に「それを言われるとな……」と眉間に皺を寄せながら頷く。
「まあ、失敗も経験だ。次に活かせる」
「開き直らないでください」
はははと空笑いをするグレイに、リューは割と真剣な声音で釘を刺した。
酔っ払った彼のせいでどれだけの辱めを受けたと、一時間ほど前の醜態を──ついでに抱き着いてきた彼の温もりや力強さも思い出し、怒るわけでもなく赤面する。
ふしゅ~と頭から蒸気を噴き出す彼女を欠片も心配せず「そろそろ行くか」と言いながら欠伸を漏らし、歩き出す。
「女将さんに迷惑かけたの謝っておかねぇと。出禁にされたくねぇ」
途中で変な方向に行ってしまったが、彼としてはピザも酒の美味だった。ストロベリーサンデーがあれば満点なんだがと内心で愚痴りはすれど、可能であれば通いたいと思う程度には好印象だ。
なのに、あの飲んだくれ同盟とかいう連中のせいで出禁にはされたくない。
「面倒臭ぇな。ったく」
なんて謝るかなと思慮しながら内庭を去ろうするグレイ。
リューはそんな彼の手を掴んで止め、彼は驚きながらも振り向く。
「なんだ。もう少し寝ていくか?」
昼寝するにはいい陽気だと青空を見上げながら笑うと、リューはぼそぼそと何かを呟いた。
上手く聞き取れずに「どうしたんだよ」と問いかけると、彼女は意を決したように彼を見つめながら告げた。
「わ、私も貴方を護りたいと思っています……!」
それは彼女の決意の表明だった。
突然の言葉に驚くグレイを空色の瞳が見つめ、彼の手を握る力も強くなる。
「貴方が私の助けが必要ない程に強いのは理解しています。今の私では力不足なことも理解しています」
「それでも……!私は強くなります!貴方と肩を並べて戦うために、貴方と共に世界を救うために!なによりも──」
彼女は空いている手で彼の頬を撫でた。
目尻から斜めに走る乾いた涙の痕を拭いながら、彼女は慈愛と親愛に満ちた笑みを浮かべた。
「貴方を独りにしないために」
グレイは文字通り孤独である。
悪魔というモンスターに並ぶ人類の天敵として産まれながら英雄となった異端の者。
前例などあるわけがなく、これからどんな困難が待っているのかもわからない。
だからこそ、リューは彼に寄り添うと決めていた。できることなら公私に渡って。
アリーゼとアストレアが森を飛び出して孤独だった自分にそうしてくれたように、リューもまたグレイを支えたいのだと本心を告げる。
『正義は巡る』と、彼の言葉を実践するように。
「……」
その言葉に、その笑顔に、その心に、ついにグレイは赤面してそっと顔を背けた。
「グレイ?」と彼の頬を摘まんで無理やり正面を向かせて目線を合わせると、彼は目だけを逸らした。
見たことがない程に顔が赤くなり、耳まで赤くなって黙ってしまう。
リューはよくはわからないが普段の仕返しができたのではと気づき、ふふんと得意げに笑う。
だがその直後、繋いだ手をぐん!と引かれて彼の方へと引き寄せられた。
不意打ちに反応もできず、そのまま彼の胸に飛び込むリュー。
狼狽えた隙に後頭部を押さえ込まれ、強めに抱き締められる。
視界を埋める彼の鎖骨と、ちょっと強烈な酒精の匂いに目を回していると、グレイが彼女の髪に唇を落とした。
「──────────ぇ」
頭頂部の辺りに何かを押し付けられた感覚と、同時に聞こえたとても小さな
「グレイ!?」と困惑と強烈な照れに顔を紅潮させながら弾かれるように顔を上げた。
そこにあるのは、悪魔と呼ぶにはあまりにも穏やかで、英雄と呼ぶにはあまりにも平凡な、親愛と恋慕の想いが込められた微笑みだった。
「お前のそういうとこ、好きだぞ」
その顔に魅入ってしまった隙に心からの想いが込められた言葉にぶん殴られ、完全に思考が止まった瞬間。
──その額に唇が落ちた。
超がつく至近距離だった彼の顔が遠ざかり、照れながらもただ楽しそうに笑うと勢いよく背を向け、繋いだままの手を引いて「そんじゃ、女将さんのとこ行くか」と歩き出してしまう。
「────────────────────」
この時から、リューの記憶は曖昧だった。
女将とついでにシルにも挨拶してから、周囲から何やら野次を飛ばされながらも酒場を出て、彼に手を引かれるがままオラリオを練り歩く。
彼女はただ額に手をやりながら彼の後ろに続き、周囲からの奇異の視線も気にも留めない。
グレイが何度も彼女を呼ぶが、それすらも彼女には届かない。
一枚の幕を介しているように、彼の声や景色に霞がかかり、ただ彼にキスされたという事実のみに思考が向いてしまう。
いや、いつかはしたいなとは思っていた。いや、その前に二人で夜の森に、いやいやその前にアストレア様に相談を──。
ぐるぐると目を回し、思考の海に浸っていると、
『リーオーンー!!』
不意に誰かに抱きつかれた。
霞んでいた感覚が一気に復活し、抱きついてきた相手の腕を絡みとり、
「何奴!!」
「へ?ひゃ!?」
いきなり抱きついてきた下手人をぶん投げた。
通りに木霊するのは地面に──よりにもよって石畳に叩きつけられる音と、聞き馴染みのある少女の悲鳴。
グレイが「おいおい」と思わず頭を抱える中、リューもまたぶん投げた相手に気づく。
短くまとめられた薄蒼色の髪に、青を基調とした
石畳に突っ伏し力尽きるのは、リューの親友の一人──アーディ・ヴァルマその人であった。
「わ、私は、いつもやり過ぎてしまう……っ!」
「憲兵ぶん投げんのはやり過ぎとかそういう問題じゃねぇだろ」
言い訳にもなっていない弁明をするリューに、グレイは露骨に嘆息して辺りを見渡した。
側から見れば親しげに名前を呼んで抱擁をかましたアーディと、そんな彼女に「何奴!!」とか言いながらぶん投げたリュー。それを傍観していた自分という、中々に面倒な状況だ。
今は落ち着いているとはいけ暗黒期なのは違いない。
そんな中、憲兵に暴行を働いたとなれば逮捕されても文句は言えない。
グレイは心底面倒そうに溜め息を吐き、米俵よろしくアーディを肩に担ぐ。
「とりあえず移動するぞ。治療するにもここじゃ邪魔になる」
「そ、そうですね!い、行きましょう!」
今の騒ぎでようやく復活したリューがグレイに続いて移動していく。
側から見たらあまりにも手際のいい誘拐であることに二人は気づかず、今の光景を目撃した通行人達が少々騒がしくなるのだが、急ぐ二人は知る由もなかった。
三人がたどり着いたのは手頃な広場だった。
かつては子供達の遊び場だったのだろうが、都市復興の只中の今では資材置き場になっているのだろう。積まれた材木が点在している。
とりあえず手頃な角材をベッド代わりにアーディを寝かせたグレイは、盛大なため息を吐いてリューを半眼を向けた。
無言の叱責にリューは申し訳なさそうにしながら「ごめんなさい」と頭を下げ、グレイは再びのため息を吐く。
「とりあえず何か詫びの品でも買ってくる。お前はここにいろ、面倒はごめんだ」
「……はい」
有無も言わさない迫力に頷く他にないリュー。
グレイがそのままその場を後にすると、彼女は頭を抱えながらアーディの横に腰を下ろした。
額が赤くなっているが出血している様子はない。不意打ちで綺麗に投げたのだが、流石はアーディとも言うべきか、ギリギリで受け身を取ったのだろう。
つまるところ、
「起きてください」
「は〜い」
もう回復していると踏んで投げかけた声に、やはりアーディはあっさりと答えてみせた。
体を起こしてリュの隣に座った彼女は材木に腰掛け、「もうびっくりだよ!」と赤くなった額を撫でてみせた。
「ごめんなさい……」
そんな彼女に向けて頭を下げるリューに、アーディは「何かあったの?」と神妙な面持ちで問いかける。
確かにリューは抱きつかれると嫌がりはするが、投げたり殴ったりはしなかった。いや、まあ、出会ったばかりの頃はボコボコにされたのだが。
とにかく今は抱きついても何もしてこないくらいには仲良くなったのに、いきなりぶん投げられるとはと疑問を抱いたのだろう。
「少し、考え事を……」
リューは俯きながら言葉をこぼすばかり。
「ふ〜ん」と材木の上からリューの顔を覗き込み、「グレイと何かあった?」と断定的な問いかけを投げつけた。
「ふぇ!?」
「あ、やっぱりそうなんだ」
そしてあまりにも素っ頓狂な声をあげたリューに、アーディは納得したように笑う。
「なになに。一緒にご飯食べに行ったとか?」
「なぜそれを!?」
「やっぱり!なんだかいい匂いがするもん!」
リューの髪に顔を寄せてくんくんと鼻を鳴らし、『恩恵』で強化された嗅覚がピザの匂いを敏感に感じ取る。
そんな簡単な推理で答えにたどり着いたアーディだが、それにしたって声をかけても気づかない程に集中する悩み事ってなにと興味は次へと移っていた。
「それで、そこで何かあったの?」
「別に、何も……」
「私に気づかないくらい悩んでいるのに?」
「…………」
リューはアーディの追求を避けようとするが、あっさりと回り込まれて逃げ道を塞がれる。
なんならそのせいで怪我をしたんですけど?と言わんばかりに額を撫で、リューへと詰め寄った。
覗き込む彼女の瞳にリューは狼狽え、それから逃れるように顔を背けるが、その横顔にアーディの視線が突き刺さる。
逃げられないと察するのに時間はいらず、リューは俯きながらぼそりと漏らした。
「グレイに好きと言われました」
「……え!?」
「その後にキスもされました」
「キス!?」
そして放たれた告白にアーディは驚き、すぐ後に喜色満面の笑みを浮かべた。
始まっているのかもわからなかった親友の色恋沙汰が思いの外進んでいたことに喜び、彼女の話を信じるならグレイからの好意もそれなり以上にあることに更に喜ぶ。
なおグレイに好意を伝えられた所までは真実だが、キスに関しては髪と唇にしただけなので、アーディが想像した口同士のものではないのは留意しておく。
「なら、何を悩んでるの?」
なのでリューが自認する関係よりも更に踏み込んだ関係だと思っているアーディにとって、その問いかけは当然のことだった。
リューはグレイのことを好いていて、グレイもリューのことを好いている。そこに何の問題があるというのか。
その問いにリューは顔を紅潮させながら、先端まで真っ赤になった長耳をピコピコと揺らした。
「私はどうすればいいのでしょう」
「どうって?」
「……誰かに好意を向けるのは初めてなので、これからどうするべきかわからない」
リューは俯きながら弱気に告げる。
閉鎖的な里に産まれ、そんな里や同族に嫌気がさして飛び出し、オラリオでアリーゼ達に出会った。
血を分けた同族を捨て、神血を分けた新たな家族ができ、多くはないが友もできた。けれどグレイのような『特別』は初めてなのだ。
グレイの方は多少慣れているような雰囲気があるが、自分はそういった話題を忌避していたこともあって知識がない。
人懐こく、多くの人から愛されているアーディなら、何か助言をくれるのではないかという淡い期待からの言葉だったのだが。
「私にもわかんないよ」
アーディはきっぱりとそう告げた。
あまりにもあっさりと言うのでリューも「え?」と困惑の声を漏らすが、アーディは笑いながら言う。
「私も誰かを好きになったことはないから、わかんない」
「そう、ですか……」
偶然とはいえ出会えた親友からあっさりと梯子を外され、再び考えるように俯いてしまう。
そんな悩む彼女の姿をアーディは微笑ましそうに見つめると、「でも」と助け舟を出した。
「色々なことをすればいいと思うよ。これからオラリオはもっと楽しく、騒がしくなっていくだろうし」
アーディは広場から見える通りの光景や、風に乗って聞こえてくる誰かの笑い声を聞き、楽しそうに笑った。
「そんなオラリオでたくさん思い出を作るの!十年後とか二十年後にこんなことがあったねって笑い合えるように!お互いの知らない所を見せ合って、もっと好きになれるように!」
オラリオは変わる。
そんなオラリオを二人で見つめ、たくさんの思い出を作っていけばいいと助言を送った。
その思い出が未来での笑い話になるように。
その中で見つけた相手の好きを、もっと愛おしく思えるように。
「彼と、思い出を……」
「うん!リオンが行きたい場所に連れて行ってもいいし、グレイが行ってみたい場所に行ってもいい!」
「私が行きたい場所」
アーディの言葉にリューは思案し、やはり二人で月を見に行ったり、故郷の森に行ったりはしたいけれどと思い、直後にそれは婚礼を決めた時にすることではと自身は恋愛観にぶん殴られ、ぼん!と頭を爆発させた。
アーディが言ったのは、それまでにどんな思い出を作るかと言う話だ。月を見に行くのも、故郷の森に行くのも、お互いの仲が深まってからでいい。
「リ〜オ〜ン〜?今なに考えてたの〜?」
一人で勝手に爆発したり、おろおろしたりするリューの姿にアーディは楽しそうに笑いながら問いかける。
「な、なにも考えてないです!?」
「ほんと〜?」
「本当です!」
アーディの問いをはぐらかすリュー。
そんなもの気にせず、アーディは今度こそリューに抱きついた。
「ひゃ!?」と悲鳴をあげる彼女を他所に、アーディは親友の幸せを願い、優しく彼女を抱き締めるのだった。
僅かに時を戻し、リューとアーディの恋愛相談が始まった頃。
アーディへのお詫びの品として、ジャガ丸くんなる軽食──グレイ的に見ればコロッケの類──を、自分とリューの分を含めて六つほど購入したグレイだったのだが。
「俺が、ガネーシャだぁぁぁああああああああああああ!!!」
度肝を抜く肉声に足を止め、通りを進む一団へと目を向けた。
平和な昼下がりをぶち壊す大音声の発生源は、やはりその一団だったらしい。
象を模した兜を被る彼らは、先程の声をそのまま鵜呑みにすれば【ガネーシャ・ファミリア】なのだろうか。
そんな彼らに囲まれるのは、馬車よりももっと巨大な乗り物の上で、謎の
だが不審神物が
露出する上半身は贅肉とは無縁で美しいまでの筋肉に包まれ、汗ばんだ結果テカリを持ち、さながらボディービルダーのよう。
顔は上半分を覆う象の仮面のせいで伺えないが、見える範囲だけでも相当整っていることがわかる。
もっとも、その象面の不審神物が乗る乗り物──
あいつらも大変なんだなと同情と呆れが入り混ざる表情を浮かべたグレイが、そんな一団の脇を抜けてリュー達に合流しようとするが、
「俺が!ガネーシャだぁぁぁぁ!!むむっ!?」
「やべっ……」
もう何度目かもわからない名乗りに釣られて山車を見上げた瞬間、不審神と目があった。
グレイが面倒事から逃げるようにそっと目を背けて歩調を速めるが、
「とう!」
不審神が山車がから飛び降り、彼の前に着地。
|胸板の厚みと腕の筋肉を見せつけるような姿勢《サイドチェスト》を見せつけながら、不審神物は名乗りを上げる。
「お前がグレイ・ストラトスだな!初めまして!俺が──」
「ガネーシャだろ?」
「そう!俺が!ガネーシャだッ!!!」
それを遮ろうとしても、そんなものも無視して不審神物──ガネーシャが己の名を叫んだ。
合わせて周りから歓声が上がり、ガネーシャも調子に乗っているのか次々と
「お前には感謝してもしきれない!共に戦ってくれたことにガネーシャ感謝感激だ!」
「あ、ああ。……あんたの
そしてあまりにも真っ直ぐに感謝を伝えてくる姿とその勢いに押されながら、グレイは申し訳なさそうに頭を下げた。
「気にするな!ちょうど頭の造形を変えようと思っていた所だ!!」
そんな彼の謝罪にもニカッ!と白い歯を見せながら快活な笑みを浮かべ、
「気遣いはありがたいが、そこは気にしてくれ……」
だがグレイとしてはそうはいかない。
【ガネーシャ・ファミリア】はオラリオの憲兵──グレイから見れば警察に準じる組織だ。
そんな憲兵達の
「あんたらは都市の憲兵だ。その
「
正邪の決戦を制し、一時的とはいえ平穏を取り戻してオラリオ。
だが悪を根絶できたわけでもなく、彼らの関与の有無は問わずに犯罪は起こるものだ。
むしろ多くの冒険者を失い、多くの派閥が弱体化している今の状況ではなおさらだ。
そんな状況で『【ガネーシャ・ファミリア】が『
憲兵たる彼らがなめられるような事態は、絶対にあってはならないのだ。
「意外と真面目なんだな。お前の意見ももっともだが、このガネーシャは赦そう!!」
しゅば!しゅば!と音を立て、キレよく
「この都市のため、都市に生きる者達のために戦ってくれた者に、そんな不義理はできない!」
相変わらずの快活な笑みを浮かべ、ガネーシャはそう断言する。
グレイの話は理解しつつも、男神の中で譲れないものがあるのだろう。
まあ既に罰金をギルドに持っていかれてるとは思えど、ここで話しても仕方がないかと諦め、「そうか」と頷くに留めるグレイ。
「ところでグレイ君。アーディを知らないか。先程いきなり走り出してな」
この話題は終わりだと言わんばかりにガネーシャが問いかけると、グレイは一切表情を変えずに「リオンと一緒にいる」とだけ返す。
そうなった経緯は欠片も話さず、ついでにリューの本名問題も気にしつつ、友人を見かけて会いに行ったという方向へと持っていく。
噓は言っていない。実際リューと一緒にいるのだし。
「もういいか?リオンを待たせてる」
「ああ!アーディが無事ならそれでいい!」
悪魔と象神のやり取りはそこで終わり、グレイは足早と二人の下を目指して歩き出し、ガネーシャは山車へとよじ登っていく。
「また会おう、グレイ君!そんな約束をした俺は、ガネーシャだぁぁぁぁああああああああああ!!!」
遠くから聞こえる自身への呼びかけに、振り向くことはなかった。
そうして戻ってきた広場には、
「あ、グレイ!」
元気そうなアーディと、
「……戻りましたか」
何かを考えこんでいたのか、何やら神妙な顔をしているリューの姿があった。
グレイは「元気そうでなによりだ」と安堵の声を漏らし、自分と彼女とでリューを挟む位置に腰かける。
「ジャガ丸くんとか言うのを買って来た」
そう言いながら一つ取り出し、口に運ぶ。
サクサクとした衣の下にあるのは熱々の芋。やはりコロッケだが、揚げたてだからか記憶にあるものよりも美味しく感じる。
残り五つ入った袋を「俺の奢りだ」とアーディに差し出し、彼女は「貰っていいの?」と確かめてくるが既に受け取っている。
「ああ。ぶん投げたお詫びだ」
「本当に、申し訳ありません……」
「別に気にしないのに」
グレイから袋を受け取ったアーディが中を覗き込み「たくさん買ったね」と一人で食べるには多い個数に、これは三人分だとすぐに察した。
そして自分の分と思われる二つを拝借してリューに袋を渡すと「それじゃ、私は行くね」と立ち上がる。
「もういいのか?」
グレイが呼び止めると、アーディは振り向きながら微笑む。
「うん。リオンとのお喋りできたし、君にも会えた。それに──」
『俺がぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!ガネェェェェェェェェェェシャだぁぁぁぁああああああああああ!!!!!!!!』
「……そろそろ戻らないとかな」
「……そうだな」
遠くから聞こえるガネーシャの声に彼女は羞恥に頬を染め、グレイも同情的な視線を彼女に向ける。
アーディはその視線に苦笑すると、リューへと目を向けた。
「それじゃ、頑張ってね」
「……はい」
そして細やかな声援を送り、今度こそ去っていった。
「何を頑張るんだ?」
「こちらの話です」
疑問符を浮かべるグレイにきっぱりとそう言い切るリュー。
グレイは「なにかあれば頼れよ」と深くは踏み込まず、けれど彼女の味方であることは明確に。ついでにジャガ丸くんを一口。
口に広がる熱々の芋の味にご機嫌な笑みを浮かべるグレイの横で、リューもジャガ丸くんを取り出して一口。
片や悪魔にして英雄。片や知る人ぞ知る冒険者。
そんな二人並んでジャガ丸くんを食べている様は少々
『たくさん思い出を作るの!十年後とか二十年後にこんなことがあったねって笑い合えるように!お互いの知らない所を見せ合って、もっと好きになれるように!』
アーディの助言を思い出したリューはちらりと彼の横顔を見つめ、紅潮した頬を誤魔化すようにジャガ丸くんを頬張った。
この瞬間もその思い出になり、いつかこんなことがあったと話せる日が来るのだろうか。
そんなことをばかり考えてしまい、ジャガ丸くんの味を感じられないのが少々心残りだが。
「これを食い終わったら帰るか。なんか、疲れた」
「そうですね」
オラリオに帰ってきてから一日足らずで色々とあり過ぎたと、疲労感を滲ませながらも楽しそうに笑うグレイ。
リューはそんな彼の笑みに笑顔を返しながら、けれどこの時間が──彼と二人きりの時間が終わってしまうと僅かな寂しさを滲ませる。
それは僅かな表情の変化だった。毎日顔を合わせているアリーゼやアストレア達でなければ気付かないような、ほんの僅かな変化だ。
だが何となくそれに気づいたグレイは次のジャガ丸くんを取り出しながら言う。
「帰る前にもう一回りしていくか。ガネーシャ達がやってるが、俺達も見回りしないとな」
「ッ!はい、そうしましょう」
リューもまたゆっくりとジャガ丸くんを食べ進める中、少しだけ伸びた二人の時間に声が弾んだ。
わかりやすい奴と思いながら、そんな所も愛おしいと思う自分もだいぶちょろい奴だなと笑い、最後の一欠片を口に放り込む。
リューには急かすことなく、小動物のように小さな一口で食べ進める彼女の姿を横目に見ながらこの瞬間を嚙み締める。
彼女もその視線に気づいて赤面し、いそいそとジャガ丸くんを平らげる。
今度は不覚を取らないと口元を拭い、「行きましょう」と彼を急かしながら歩き出す。
「のんびりしたいのかさっさと帰りたいのか、はっきりしろよな」
グレイはそんな彼女を追いかけながら小さくため息を吐き、横に並ぶ。
「で、今度はどっちに行く?」
彼女の顔を覗き込みながらの問いかけに、彼女は微笑んだ。
「貴方が行きたい場所へ。どこへでもついていきます」
彼女の言葉を皮切りに、二人の都市散策は本格的になっていく。
もっとも復興中の都市で出来ることなど数える程で、起きたことと言えば神々に絡まれた程度。
グレイの帰還初日は何事もなく進み、星屑の庭への帰還を果たして終了となるのだった。
感想等ありましたら、よろしくお願いします。