ダンジョンに訳ありデビルハンターがいるのは間違っているだろうか   作:EGO

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今回からオリジナル要素強めでいきます。



Intermission02 闇夜の教会

 夜の帳が下り、暗闇に沈んだ都市北西、第七区画。

 そこでは息を殺した冒険者たちが、とある建物の様子を伺っていた。

 

「ここで間違いないな?」

 

「うん。獣人にも分からないように、消臭の道具(アイテム)まで使ってる怪し〜集団が出入りしてるのは確認済み」

 

 そんな中、細心の注意を払いつつひそめた声でやり取りをしているのはシャクティとアーディのヴァルマ姉妹だ。

 二人と、彼女達の仲間でもある【ガネーシャ・ファミリア】の団員達が警戒しているのは、人々の記憶から忘れ去られ、朽ちゆくのを孤独に待っている古い教会だ。

 見る人が見ればお化けが出ると、あるいは悪魔が出ると騒ぎ立てるだろう澱んだ空気を放ちながら、教会はただそこに佇んでいた。

 今は閉ざされている入り口の真上から、顔を半分失った女神像が立っており、冷たく冒険者達を見下ろしている。

 

「『悪人たちの違法市(ダーク・マーケット)』で捌く品を保管する倉庫。やっと見つけた」

 

「一般人の居住区なのは盲点だった。敵も馬鹿ではないようだ」

 

 彼女らが教会を包囲している理由が、二人のやり取りに込められていた。

 いつかにリオンと話した、彼女の故郷から盗まれた『大聖樹の枝』。それがここにあるかもしれないと逸るアーディとは対照的に、冷静な態度を崩さないシャクティは鋭く目を細める。

 間も無く、二人の元に音もなく団員が駆け寄る。

 

「シャクティ団長。包囲完了しました、いつでもいけます」

 

「よし。一気に片付けるぞ」

 

 団員の報告通り、【ガネーシャ・ファミリア】による教会の包囲は完了し、人っ子一人どころか鼠一匹通さんと言わんばかりに布陣していた。

 周囲に視線を巡らさ、各小隊の隊長たちに目配せし、皆が一斉に頷いたのを確認。

 シャクティは一拍の呼吸を挟み、告げた。

 

「──全隊、突入!!」

 

 団長(シャクティ)の号令がかかると同時、都市の憲兵(ガネーシャ・ファミリア)は雄叫びをあげ、一斉に教会へと雪崩れ込んだ。

 胸に秘めた正義の想いを喊声に変え、悪事に手を染める輩たちを捕らえんと、各々の武器を掲げて。

 その中でも一際素早く教会にたどり着いたアーディが、団員が扉を蹴破ると同時に滑り込むようにして中へ。

 

「憲兵参上!この教会は包囲されてるよ、無駄な抵抗は──」

 

 高らかに名乗りをあげ、同時に告げた降伏勧告に意味はなかった。

 教会内にいた捕縛対象の悪人達が皆、両の手足を折られた状態で床に転がされていたからだ。

 男も、女も、ドワーフも、獣人も、例外はない。

 全ての者が膝と膝を叩き折られ、喉も潰されて苦悶の声を出すことも許されない。出血していないのがせめてもの救いかもしれないが、虫の息であることに違いはない。

 こういった惨状に慣れている筈の【ガネーシャ・ファミリア】の団員たちから見ても、全員が瀕死なのに犯行現場と思われる教会には血の一滴も着いていないという、まさに異様な光景が広がっていた。

 

闇派閥(イヴィルス)も、商人も、やられてる?」

 

「私達が突入する前に、全滅だと?一体誰が」

 

 唖然とするアーディの言葉に、遅れて現れたシャクティの瞠目の声が続く。

 激戦、ないし乱戦を想定していた【ガネーシャ・ファミリア】の団員達も肩透かしを感じつつ、この惨状を生み出した犯人がいる筈と周りを警戒し、鋭い視線をあちこちに向けていると──。

 

 ──ペラリ。

 

 突然、本を捲る音が彼らの耳朶を撫でた。

 

『っ!?』

 

 その場にいる冒険者たちが一斉にその音のした方向に武器を構えると、雲の切れ目から伸びた蒼い月光が罅割れたステンドグラスから教会に入り込み、暗闇を払う。

 月光を浴び、その輪郭を浮かび上がらせたのはローブを纏った人影だった。胸元を僅かに持ち上げる双丘の膨らみや、ローブ越しでもわかる見事な曲線を描く肢体からして、おそらく女性。

 その女性は朽ちかけた主祭壇に寄りかかったまま、黙々と本を読んでいる。

 目深くフードを被っているため顔は見えないが、袖から伸びる両手は包帯に覆われていた。だが血が滲んでいる様子はなく、怪我をしているわけではなさそうだ。

 加えて、ページを捲る様子からしてそこまで不便している様子はなく、分厚い本を読み進めている。

 

「なんでこんな場所に人が?まさか、人身売買まで!?」

 

 アーディが首を傾げ、同時にここの悪人たちが自分たちでも知らない悪事に手を染めていたのではと推察すると、剣を鞘に戻して女性を保護しようとするが、

 

「待て、アーディ」

 

 そんな彼女を、シャクティが止めた。

「え?」と声を漏らして振り向くのとほぼ同時に、アーディはシャクティを始めとした先輩団員たちが、一人の女性を強く警戒していることに気づく。

 

「よく見ろ」

 

 シャクティが女性を鋭く睨みながら告げた言葉を受け、改めて彼女のことを観察し始めるアーディ。

 相変わらず顔は見えず、手の包帯が痛々しい。

 怪我をしているのなら、早く治療をと口に出そうとした瞬間、アーディは気づいた。

 彼女が寄りかかる主祭壇の上に、彼女の影とローブのせいで見づらかったが、そこに何か細長いものが乗せられているのだ。

 じっと目を凝らせば、それは【アストレア・ファミリア】の輝夜が使っているような、極東の刀を思わせる武器であることに気づき、慌てて剣に手をかける。

 ただの見せかけか、あるいは攫われたところをどうにか逃げ出し、あれを振り回してここにいる人達を打ち倒したのか。

 

(いや、流石にそれはないよね……)

 

 周りに倒れている闇派閥(イヴィルス)や商人たちは、そんな素人に斬られたわけではないだろう。動き回る手足の関節を砕き、喉を潰すなど、それなりに慣れていなければできない芸当だ。

 切れ味も皆無な模造刀だったからこうしたという可能性もあるが、そうだとしてもこの惨状を作り出したのはあの女性の可能性が高い。

 神々が降臨した神時代において、見かけ通りの強さの者などそれこそ希少だ。現にアーディたちは、自分達よりも遥かに幼くも強い冒険者がいることを知っている。

 文字通り突き刺さるような視線をいくつも浴びながら、平然と読書を進める女性は、不意にパタンと音を立てて本を閉じた。

迷宮神聖譚(ダンジョン・オラトリア)』と銘打たれた分厚い本を、興味が失せた玩具のように、それこそゴミを捨てるように投げた女性は、フードの奥に輝く瞳孔が縦に裂けた緋色の瞳を冒険者たちに向けた。

 

『──ッ!』

 

 同時に冒険者たちを襲ったのは、凄まじいまでの悪寒と猛烈な死の気配だった。

 あまたのモンスターを討ち倒し、その名を轟かす大悪党を捕らえ、『都市の憲兵』とまで呼ばれる彼ら彼女らが、たった一人の女性に気圧され、無意識の内に摺り足で距離を取ろうとしてしまう。

 そんな中でもシャクティは頬を伝う冷や汗をそのままに、アーディは怯えを噛み殺し、その場に踏みとどまり、それぞれの得物を構えた。

 こちらに向けられる緋色の瞳の奥。縦に裂けた瞳孔の更に奥が炎のように揺れ、こちらを呑み込まんとする錯覚さえも感じる。

 噴き出す汗が止まらない。逃げろと本能が叫んでいるが、同時に背中を見せたら死ぬと長年の経験が訴えかけてくる。

 無意識の内に呼吸が浅くなり、手汗で得物を湿らせる中、不意に女性の口が動く。

 

「──逃げないのですか?」

 

 それは、この場にそぐわない凛とした、しかしどこか幼さを感じる声だった。同時に抑揚が弱く無機質で、人のものとは思えない声でもあった。

 フードの下で小さく首を傾げ、腕を組むその姿はどこか貴族然とする凛々しさを放つが、安心できる要素は何もない。

 どこか芝居じみた仕草をしながらも、放つ威圧感は弱まらないのだ。

 仕草は取り繕えても、言葉と瞳に宿る明らかな敵意と殺意──そして侮蔑と唾棄の色が消えていない。

 だが、女性の正面に立つシャクティとアーディは気づいていた。女性の顔にも厳重に包帯が巻かれていることに。そして、その隙間から零れる銀色の髪に。

 

「貴様、何者だ」

 

 シャクティの問いに、女性は何も答えない。

 ただ主祭壇に乗せていた刀を手に取り、柄に手をかけた。

 高まる警戒をそのままに、女性はただ主祭壇に寄りかかる。

 

「これは貴様がやったのか」

 

 続けて放たれた問いに、今度は答えた。

 

「ええ」

 

 たったの一言、それだけを。

 

「どうして、こんな事を……?」

 

 シャクティの問いを引き継いだのはアーディだ。

 恐怖に怯え竦みながらも、それでも【ガネーシャ・ファミリア】としての責務を果たさんと己を鼓舞する。

 

「半年前に世話になった人からの頼みごと(クエスト)。オラリオに行ったら、この教会を見に行けと、申し渡されまして」

 

 ついでに害虫駆除をしましたけれどと、何の感情を持たない表情で倒れる闇派閥(イヴィルス)たちを一瞥し、アーディたちに視線を戻す。

 

「世話になった人って、誰?」

 

「とても強い人。いつか雪辱(リベンジ)は果たすつもりです」

 

 そこで初めて、女性は感情を表に出した。

 その『強い人』への憧れと憎しみ。そして、その人物に負けた惰弱な己への怒り。

 女性が無意識に放つ魔力に教会が悲鳴をあげ、あちこちから木材が軋む音が聞こえてくる。

 纏うローブがはためき、その下に隠された魔術的な紋様が縫い込まれた黒いコートが見え隠れしていた。

 彼女の魔力に当てられた足元の床に罅が入ると、その音を合図に魔力の放出をやめた。

 

「絶対に壊すなと言われたのですよ。壊したらもう相手をしてやらんとも」

 

 はぁと面倒くさそうに溜め息を吐き、それを依頼した『強い人』を睨むように虚空を見つめた女性は言う。

 

「片付けはお任せします。私は他にやることがありますので」

 

 あちこちで倒れている闇派閥(イヴィルス)を一切の関心を無くした瞳で見下ろし、汚物の後処理を任せるようにシャクティたちに言うと、そのまま教会を後にしようとするが、

 

「行かせる訳にはいかない。聞きたいことが山ほどあるからな」

 

 他の誰でもない、シャクティが身を乗り出して制した。

 相手が自分たちよりも強いのは明白。だがここでみすみす取り逃すのは、都市の憲兵(ガネーシャ・ファミリア)として許すことはできない。

 他の団員たちもそんな団長(シャクティ)の覚悟を前に奮い立ち、隊列を揃えながら各々の得物を構えると、女性は面倒くさそうに溜め息を吐いた。

 そして弱いながらに覚悟を示した彼らを嘲るような笑みを浮かべ、告げた。

 

「勝てるとお思いで?」

 

「やってみなければわからん!全隊、かかれ!!」

 

 どこまでもこちらを見下し、嘲る女性の姿に激昂するように出されたシャクティの号令と共に、【ガネーシャ・ファミリア】の団員たちが一斉に女性に向かっていく。

 大人たちが放つ殺気に鬱陶しそうに目を細めた彼女は、小さく息を吐くと共に鍔を押し上げて鯉口を切り、音を置き去りにして踏み込んだ。

 シャクティたちの認識を超える速度で彼らの隊列の隙間を駆け抜け、すれ違い様に一人に対して十程度の峰打ちが振るわれる。

 彼らが認識できたのは、ドン!と彼女の急停止に耐えきれずに空間が悲鳴をあげた音と、無傷で教会の入り口にたどり着いた彼女の背中だ。

 

「──遅すぎます(So slow)

 

「ぇ……?」

 

 何が起きたのかも理解できず、アーディにできたのは小さく声を漏らすことのみ。

 女性が手慣れた動作で刃を鯉口に這わせると、キン!と甲高い鍔鳴りの音と共に刀を鞘に戻した。

 直後、シャクティの右腕、左足が何重にも叩き折られ、得物の槍が穂先を含めて完全に破壊される。

 アーディの両膝が同時に砕かれ、一瞬遅れて武器を握っていた右手が粉砕され、鳩尾に拳を打ち込まれたような衝撃が背中まで突き抜ける。

 姉妹が遅れて到達した激痛に喘ぐ声をかき消すように、凄まじい数と重さの打撃音が教会内に響き渡り、骨が砕かれる破砕音と、冒険者たちの悲鳴が混ざり合った。

 何人かの団員は攻撃を免れた──正確には、見逃された──ようではあるが、数十人いた【ガネーシャ・ファミリア】の団員の大半が行動不能の重症を負わされたのは事実。

 

「な、何……が……!?」

 

 右手、左足を折られ、無様に地面に転がることになったシャクティが痛みに表情を歪めながら驚倒の声を漏らす中、女性は溜め息混じりに【ガネーシャ・ファミリア】に告げた。

 

「……がっかりです(Disappointing)あの人(・・・)と同じ『神の恩恵(ファルナ)』を刻まれた神の眷属なのに。こうも差があるものなのですね」

 

 そして、その言葉を最後に彼女の意識は【ガネーシャ・ファミリア】の面々から外れていた。

 どこか遠くを見遣りながら、再び溜め息を吐く。

 たったの一言(ワン・ワード)でこちらを吹っ飛ばしてくる『才禍の怪物』を知る彼女にとって、こちらの動きを目で追えず、反応もできず、耐えることもできないシャクティたちに興味はない。

 

「時間を無駄にしました」

 

 女性は淡々とした声音でそう告げると、【ガネーシャ・ファミリア】の面々には一瞥もくれず、ブン!と空間が軋む音と共にその場からかき消えた。

 

「なん、だったの……あの……人……?」

 

 ひゅ〜、ひゅ〜と、口から空気が抜ける音を漏らしながらどうにか顔を上げたアーディの問いかけに、答えられる者はいない。

 この場にある誰もが今の出来事を理解できず、思考が止まってしまっていた。

 

「とに、かく……っ!増援を呼べ!制圧されているとはいえ、我々の目的を忘れるな……ッ!」

 

 手足を折られた痛みに喘ぎ、苦悶の表情を浮かべながら放たれたシャクティの号令が、冒険者たちの止まった時間を再び動かす。

 彼女に見逃された団員たちが仲間達を助け起こし、回復の魔法が使える者は処置を始め、足の速い者が本拠(ホーム)に走る。

 想定外の出来事に、想定外の大損害。団員に助け起こされ、長椅子(チャーチベンチ)に座ったシャクティは苦虫を噛み潰したような表情になりながら、同じように治療されているアーディに目を向けた。

 他の団員を含め、死者は出ていない。それは良いことではあるが、次も見逃される保証はない。

 

 ──あの女に、勝てるのか……?

 

 シャクティは震える手を握りしめ、深く息を吐く。

 

「いいや、勝たなければ駄目だ」

 

 ステンドグラス越しに見える、憎たらしい程に美しい満月を睨みつけながら、都市の憲兵(ガネーシャ・ファミリア)として、正義を背負う派閥の団長として、そして一人の冒険者として、覚悟を改めるのだった。

 

 

 

 

 

 オラリオを囲む市壁の上で雲に隠れ始めた満月を見上げていた彼女は、瞳孔が縦に裂けた緋色の瞳を細め、振り返りもせずに口を開く。

 

「何か御用ですか?」

 

 背後から息を呑む音が聞こえた。

 気配のみで来客を察知したのだろう。声をかけられた男の方は驚き、出鼻を挫かれたからか意味もなく口が動く。

 

「何か御用ですか?」

 

 彼女は同じ問いを背後の男に投げた。その声音は無機質ではあるがどこか苛だちを感じ、明確に男を急かしているのがわかる。

 ついでに刀の鞘を握る左手が鯉口に添え、鍔を押し上げることでいつでも抜刀できると脅しをかける。

 

「ここで何をしている?」

 

 そんな彼女の無言の圧力に屈した男が問うと、女性は「別になにも」と返して再び月を見上げた。

 太陽に代わってオラリオを照らしていた満月は、既に雲に隠れて見えなくなってしまった。

 だが、そんな事どうでもいいと言いたげに視線を落とし、肩越しに振り向いた彼女の視界に入ってくるのは、くすんだ白髪の男だった。

 今は不快そうに歪んでいるが、その顔に貼り付いているのはある種の『狂信』。常識や堅気という、まともな人が放つ雰囲気とはかけ離れたものを、男は纏っている。

 

「……何というお名前でしたか?申し訳ありません、人の名を覚えるのは苦手なもので」

 

 だが、彼を前にしても女性の態度は変わらない。

 男に欠片の興味もない声音で、上辺だけの謝罪の言葉を吐く。

 その言葉と態度が癪に触ったのだろう。男は眉間に皺を寄せながら吠えた。

 

「オリヴァスだ!オリヴァス・アクト!!混沌の使徒にして、闇派閥(イヴィルス)の幹部!そして、貴様の同志だ!」

 

「オリヴァス。……覚えておきましょう、貴方か私が、死ぬまでの間だけ」

 

 オリヴァスの名乗りに女性は感情が欠片もこもっていない形だけの言葉を吐き、「それで、何か御用ですか?」と三度目の問いを投げた。

 オリヴァスはつい先ほど同志と呼んだ女性を忌々しそうに睨み、唾を飛ばして声を荒げた。

 

「我が同志よ!なぜあの教会にいる同志たちを斬ったばかりではなく、【ガネーシャ・ファミリア】を見逃す真似をした!雑兵の下級団員ならともかく、団長の象神の杖(アンクーシャ)を討ち取るまたとない好機ではないか!?」

 

「…… 象神の杖(アンクーシャ)。二つ名持ちの冒険者が、あそこに?」

 

「ああ、そうだ!【ガネーシャ・ファミリア】団長にして、唯一のLv.(レベル)4!あそこで討っておけば、同志たちも喜んだだろうに!」

 

神の恩恵(ファルナ)』を刻まれた冒険者たちの成長は『Lv.1』から始まり、神々でさえも認める偉業をなすことで階位(レベル)を上げていく。

 一つあげるのに数年を要するとまで言われ、苛烈な試練を単独で、あるいは仲間と共に乗り越え、Lv.1から2へ。

 更に強大で熾烈な試練を乗り越えて2から3へ。オラリオの冒険者たちはそうやって一つずつ、しかし確実に修羅場を潜り、その実力を伸ばしていくのだ。

 それでも神が認める偉業など一握りで、ほとんどの冒険者がLv.2で足踏みをする。そんな中でもシャクティは更なる偉業を成し遂げ、その階位(レベル)を4にまで高めていた。

 そんな彼女の活躍が神々の目に止まり、与えられた二つ名が『象神の杖(アンクーシャ)』だ。

 

「この迷宮都市(オラリオ)にいる冒険者の中でも指折りの強者!奴より強い者となると、それこそ二大派閥の【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】の幹部をおいて、他にない!」

 

 そんな彼女を、仲間たち諸共一蹴した者を目の前にしているからだろうか、オリヴァスの言葉に熱がこもる。

 こんな事をほざいているオリヴァス自身もLv.3。闇派閥(イヴィルス)全体から見ても強い部類に入るが、シャクティには敵わない。冒険者たちにとってのレベルの差とは、たったの一つでも勝敗に直結する超えがたい絶対的なまでの差だ。

 そんな力説を続けるオリヴァスの声に鬱陶しそうに眉を寄せながら、女は問う。

 

「この街で一番強い冒険者のレベルは、いくつでしたっけ?」

 

「都市唯一のLv.6!【フレイヤ・ファミリア】団長、『猛者(おうじゃ)』オッタルだ!それがどうした!?」

 

「いいえ。お礼に先程の質問に答えましょう」

 

 オリヴァスが忌々しそうに告げた都市最強の男のレベルと二つ名を頭の片隅に留めながら、女は言う。

 

「貴方は、路傍の石を鬱陶しいと思いますか?」

 

「は?」

 

 女が当然口にした言葉に、オリヴァスは間の抜けた声を漏らした。

 なぜ冒険者を見逃したのかという話ではなかったのか、なぜそれが石の話になると、頭の中に疑問符が浮かぶ。

 

「蹴られた石がそのまま転がっていこうが、何かに当たって砕けようが、気付かず踏んでしまおうが、貴方は気にしないでしょう?」

 

「──あんな弱い人達、いつでも殺せますよ」

 

 それでも凛とした声音で告げられたのは、絶対的強者にしか許されない侮蔑の言葉であった。

 彼女はこう言いたいのだ。【ガネーシャ・ファミリア】など、敵ではないと。彼女にとっては路傍の石。何の興味も引かない存在でしかないのだと。

 女は包帯に包まれた顔をオリヴァスに向け、彼女の言葉に気圧される彼の姿を瞳に映す。

 彼に対して一切の興味を抱かず、彼女の言葉を借りるのならそこらの石を見るような、なんの感情も抱いていない視線。

 その視線に射抜かれたオリヴァスは、嫌でも理解させられた。自分もまた、彼女にとって何の価値もない存在でしかないのだと。

 彼女を止める壁にもならず、立ち塞がったところで何の感情もなく退かされる(殺される)だけの、ただの動く肉塊。

 

(あまりにも、生物としての格が違いすぎる……っ!)

 

 それは、本能的な恐怖だった。

 蛇に絡まれた蛙のように体が石の如く硬くなり、彼の意志を離れてガタガタと震え始める。

 だが少しずつその震えの種類が変わり始めていることに、オリヴァスも、そして女も気づいてはいなかった。

 恐怖に打ち震えていたものから、少しずつではあるが武者震いの類いに変わり、引き攣っていた顔には狂喜的な笑みが浮かぶ。

 

「ははっ!ははははははははははは!!冒険者が小石か!Lv.4の強者でさえも、貴様にかかればただの小石だと!?」

 

 目の前の『怪物』は、世界に名を轟かせらる冒険者(えいゆう)たちを障害とすら認識していない。

 それこそ時が来れば、赤子の手を捻るが如く彼ら彼女らを鏖殺し、都市を蹂躙することだろう。

 その光景を幻視したオリヴァスの瞳は、次に闇派閥(イヴィルス)の栄光を夢見ていた。

 そんな壊れたように笑うオリヴァスを横目で鬱陶しそうに睨んでいると、彼は女に向けて言う。

 

「ならば、『開戦』の暁にはその力、存分に振るってもらうぞ。あの『悪食』を極めた男といい、貴様といい、貴様の連れ(・・・・・)が引き連れた悪魔どもといい、我々の戦力は十分だ!勝った!今度こそは勝ったぞ、オラリオ!!はははははははははは!!?」

 

 歓喜に打ち震えながら哄笑していたオリヴァスにあるのは高揚感だった。

 闇派閥(イヴィルス)を率いる邪神が連れてきた、『猛者』を超えるまさに『覇者』と呼んで差し支えない、圧倒的な強者が三人(・・)。そして、その中の一人が連れてきたモンスターとも違う奇妙な怪物──悪魔。

 それらが揃った今、闇派閥(われわれ)は負ける筈がないと驕り、同時に昂っていた。

 そうして横ではしゃがれると、路傍の石程度にしか思っていないにしろ、流石に五月蝿いと不快さが勝ってくる。

 女がその首を落としてやらんと鯉口を切った直後、オリヴァスは彼女に背を向けた。

 そのまま歓喜と恐怖に打ち震えながら、逃げるように足早とその場を後にする。

 

「……本当の悪魔も知らない癖に」

 

 ただ一人、市壁の上に取り残された女は、口の端で歪な三日月を描きながら笑った。

 風が吹き、フードが取れると、そこに姿を現したのは厳重に巻かれた包帯で顔を隠した一人の少女。

 僅かな隙間から零れた銀色の髪が夜風に揺れ、夜の闇の中で不気味に耀く。

 刃のように鋭い雰囲気や、顔や両手を隠す包帯で分かりづらいが、背格好からして歳はアリーゼたちと大きな差はない──むしろ幼い可能性もあるだろう。

 はぁと深く溜め息を吐き、何も知らない哀れな闇派閥(生贄たち)の幹部の背を見送った少女は、同時にハッとした。

 

「そういえば、さっきの人の名前はなんでしたっけ?」

 

 路傍の石の名前など、覚えていられない。脳の容量の無駄だ。いざという時の雑音(ノイズ)になる。

 彼女にとって覚えておく価値があるのは、己が超えるべき目標のみ。

 

「この世界には裏切り者(スパーダ)も、魔帝(ムンドゥス)様も、覇王(アルゴサクス)も、大悪魔(アビゲイル)も、それらを超越した最強《ダンテ》もいない。アルフィア様と同じLv.7さえも、いない」

 

 同時にこの迷宮都市(オラリオ)に集う冒険者たちの中に、己に届きうる存在がいないことを、この数日と先程の会話で理解してしまった。

 この世界に流れついた自分に、唯一土をつけた女傑に迫る者さえもいない。

 自分をここに連れてきた父の意図が解せない。ここの戦いに、文字通りの蹂躙しか産まないであろうものに、何の意味があるのだ。

 力を求める少女には理解できない。どうして強くなれる環境が揃っているのに、今代の冒険者たちは過去の英雄たちを超えられないのか。

 弱さを許せない少女にはわからない。なぜ、現状に甘んじることができるのか。

 少女には、わからない。

 

「──こんな惰弱極まる世界に、何の価値があるのですか?」

 

 少女の問いかけは夜風に吹かれて消えていき、夜の闇に溶けていくのだった。

 

 

 

 

 

 




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