機動戦士ガンダム 水星の魔女 DCT 作:SakuraNoel Fayray
The day
「…して。それから、安全装置は解除していいわ。今日は未来を切り開く日ですもの」
母の声が聞こえる。いつものお家でのやさしい雰囲気とは違う、お仕事をしている時の声。
「うう…ん」
エリクトはまだ重い瞼を持ち上げ、ゆっくりと目を開ける。
「あら、起きたのね。おはよう、エリー」
様々な機器やケーブルが取り付けられた背もたれのある大きな椅子に座っているエリクトに、母は横から顔を覗き込みながらそう挨拶をした。
「おはよう、お母さん」
エリクトもそれに応える。
エリクトははっきりしてきた意識で周りを見渡す。そこは、母の“実験”で時々来ていた水星の研究室だった。
エリクトがいるのは、研究室の中にある実験室。だだっ広い何も無い空間の真ん中に椅子のような設備だけがあり、エリクトはそこに座っている。
エリクトの両手と両足は拘束具で固定されているため、身動きすることは出来ない。
エリクトの周りを、何人もの白衣を着た人が慌ただしく行き交っている。
「今日も、実験なの?」
「ええ、そうよ。でも、今日は特別なの」
「特別?」
「ええ。今までの実験の成果を出す日なの。あなたは未来を切り開く存在になるのよ」
「未来?」
「そう、私たちの未来」
エルノラの口元にかすかに笑みが浮かぶ。
「エルノラ、準備出来たわ」
白衣を着た長い銀髪の女性が、エルノラにファイルを渡す。
「ノーレット、ありがとう。それじゃ始めるわね、エリー」
「うん」
エリクトは笑顔で応える。
エルノラは実験室から隣の部屋の制御室へと移動する。
「エリクトちゃん、そろそろ始まるのでリラックスしてね」
ノーレットは、エリクトにやさしく話しかける。
「ノーレットお姉さん、今日も終わったらジュースくれる?」
「ええ、もちろんよ」
満面の笑みのエリクトに、ノーレットも笑顔で応える。
「エリクトちゃんは、ほんとトマト好きなのね。終わったらあげるわね。あ、今日はお誕生日のケーキも用意してあるわよ」
「やったー」
エリクトは固定された腕の先の両手の手のひらだけを、喜んでいるように上に上げる。
「全てが終わったら…」
ノートレットは、エリクトに聞こえない小さな声でそう呟く。
ノーレットも実験室を出て行く。
実験室の扉が閉まり、厳重なロックが掛かる。
「ノートレットが来てくれて、助かったわ」
「フォルドの夜明けの立ち上げ、ようやく終わったからね。あっちの魔女の子達のためにも、こっちの実験を成功させておかないとね」
「そうよね。デリングに一泡吹かせるためにも」
「ええ」
ノートレットはニヤリとした表情でエルノラを見つめる。
「それじゃ、はじめましょう」
エルノラはスタッフに指示を出す。
「かしこまりました」
白衣を着たスタッフの一人が計器を操作する。
実験室内の機器がうなりを上げ始める。
制御室内に、ピッ・ピッっと一定のリズムで心電図の音が響き始める。
「エリー、今日も一段階ずつ上げていくね」
実験室内に、マイクを通した母の声が響き渡る。
「うん、いいよー」
エリクトはガラスの向こうの制御室にいる母へと笑顔を向ける。
「パーメットスコア、上げます」
白衣を着たスタッフの一人が、そう言いながら計器を操作する。
ウイーンという音と共に、モニターに映し出されたパーメットスコアの値が少しずつ上がっていく。
1
2
3
「エリー、大丈夫?」
「うん、まだ大丈夫」
「そう、じゃあ続けるわね」
機器の音がさらに大きくなる。
4
5
「エリー、どうかしら?」
「ちょっと…、きつい…、かな?」
「きつい?」
「でも、大丈夫」
エリクトは少し苦しそうな表情を見せながらも、母に笑顔で答える。
母が特別な日と言ったんだもん、わたしも頑張らないと。
エリクトはそう心の中で呟いた。
「エルノラ、いくわね」
ノートレットはエルノラの顔を見て確認を促す。
「ええ」
その言葉を聞いて、ノートレットは手元の赤いボタンをゆっくりと押す。
エリクトの座っている席の足下の床が一部ゆっくりと開き、そこに空いた穴の中から1mほどの円筒形の筒がせり上がってくる。
透明な筒の中には、キラキラと光り輝く結晶体が入っている。
「きれい」
エリクトは結晶体を見つめ、そう呟く。
「きれいでしょ?パーメット結晶よ。あなたはこれから、この結晶とひとつになって未来を切り開くわ」
「未来を」
「ええ。エリー、出来る?」
「うん、お母さんのためだもん」
「いい子ね」
エルノラは目でノートレットに合図を送る。
ノートレットは、出力を調節するダイヤルをゆっくりと回していく。
パーメット結晶が白熱電球のように徐々に黄色く光り出す。
「パーメットスコア、6、6.1、6.2…」
「う…」
エリクトの顔に苦悶の表情が浮かぶ。
「大丈夫? エリー」
「だ…、大丈夫…、お母さん」
エリクトは苦しみながらも、母の期待に応えようとこらえる。
ノートレットはその様子を見ながら、ダイアルをさらに回していく。
「パーメットスコア、7、7.1、7.2…」
パーメット結晶は、室内照明のように明るく輝きだす。
「う…わ…」
エリクトは苦痛に体をねじらせる。しかしあらかじめ固定されていた腕と足が、エリクトを席に拘束したままにしている。
「おかあ…さん…」
エリクトは涙を浮かべた目で母を見つめる。
ガラス越しの母は表情を一切変えず、エリクトをじっと見つめている。
「さあこれからよ。頑張って、エリー」
機器がグオオオオーンとうなりを上げていく。
「パーメットスコアさらに上昇、8、8.1、8.2…」
パーメット結晶は一層明るさを増し、まぶしいほどになる。
「エリクトちゃん、頑張って」
ノートレットもエリクトへ声を掛ける。
「あ…、うん…、うわ…、頑張る…、頑張る」
エリクトは猛烈に襲いかかってくる苦痛を必死に耐えようとする。
「そろそろ」
ノートレットはエルノラにそう呟く。エルノラは静かに頷く。
「パーメットスコア、9、9.1、9.2…」
パーメット結晶は、直視出来ないほどのまぶしさになる。
「ぎゃあ…、もう…、もう…」
エリクトは苦痛に耐えられないと訴えかける。
しかし、エルノラは微動だにしない。
「エリー、大丈夫よ。つらいときは、楽しいことを思い浮かべましょ」
「たの…、しい…、こ…と」
「そう、楽しいこと。エリーが楽しいことはなあに?」
「う…、あ…、たのしいこと…、あ…、たん…じょう…び?」
「そう、誕生日ね。誕生日と言えば?」
「誕生日…、あ…、お、おうた…」
「そう、お歌ね。歌ってごらん?」
限界の苦しみの中で、エリクトは母に促され、あの歌を歌い始める。
「ハッピ…バースデー…」
「パーメットスコア、9.7」
「トゥ…、うがぁ」
「もう少しよ、もう少し」
「ユうううう…」
「9.8」
「がはっ…」
「あと少しよ、エリー」
「9.9」
「…、おかあ…」
「10.0」
ピーーーーーーーーーーーー
制御室内に、心電図の均一の音が鳴り響く。
実験室全体が光に包まれる。
真っ白に輝く実験室を見つめる一同。
光の中に、二人の子供の影が見える。
「いたわ」
「ええ」
エルノラとノートレットは、お互いの顔を見つめあう。
二人の影は、やがて一人に変わる。
「さあ、おいで」
エルノラは、その影にそう呼びかける。
光が徐々に弱まっていき、部屋の様子が徐々に見えるようになる。
実験室の中は先ほどと変わっておらず、パーメット結晶の光だけが弱まっていく。
「パーメットスコア、8、7、6、5…」
光はさらに弱まり、やがて静かに消えていく。
「パーメットスコア、通常値。安全です」
スタッフはそう言うと、ドアのロックを解除する。
プシューという音を立てながら、実験室のドアが解錠される。
エルノラとノートレットは、実験室へと入っていく。
そこには一人の少女が立っていた。
少女は、自分の両手の手のひらを見つめながら席の前に立ち尽くしている。
「あ…、あ…、あ…」
声にならない声を、その少女は口から発している。
「はじめまして」
エルノラは少女に話しかける。
少女はゆっくりと顔を上げ、エルノラを見つめる。
「あ…」
「わたしは、あなたのお母さんよ」
「おかあ…さん…」
「そう、お母さん。あなたの生みの親。私の名前はプロスペラ、プロスペラ・マーキュリー」
「プロ…スペラ…、おかあ…さん」
「そう、いい子ね。あなたのお名前は…」
「わたしの…、名前は…」
「スレッタ。スレッタ・マーキュリーよ」
「スレッタ、わたしの名前は…、スレッタ」
「そう、スレッタ。わたしの娘」
「おかあさん」
「ええ、よろしくね、スレッタ」
エルノラは右手をスレッタに差し出す。
スレッタはその手をしばらく見つめ、同じように右手をゆっくりと差し出す。
二人はしっかりとお互いの手を握りしめる。
「はい」
スレッタは、透き通るような水色の瞳でエルノラを見つめそう答える。
「成功ね」
ノートレットがエルノラにそう囁く。
「ええ、成功だわ。あなたのおかげよ」
「いえいえ」
ノートレットは謙遜しながらスレッタを見つめる。
「ほんとに、ほんとに成功したのね」
「ほんとに成功したわ」
「おめでとう、エルノラ」
「ありがとう、ノートレット。みんなも」
エルノラは、ノートレットだけでなく周囲のスタッフにも頭を下げる。
「お母さん」
スレッタは物欲しげな目でエルノラを見つめる。
「どうしたの?」
「お腹、空いた」
「あら、そうだったわね。スレッタは生まれてきたばかりだものね。お腹空いてるわよね。じゃあ、お食事にしましょう」
エルノラはそう言うと、スタッフに指示を出す。スタッフが慌ただしく食事の準備を始める。次々と運ばれる料理に目を輝かせるスレッタ。
「おいしそうでしょ?あなたのために用意したのよ」
「食べても、いい?」
「もちろんよ、ここに座って」
スレッタは差し出された料理用の椅子に座ると、テーブルに置かれたパンを次々につかんで口に頬張る。
慌てて口に放り込みすぎて、苦しそうに脇にあったブドウジュースの入ったグラスをつかみ、それを飲み干す。
「慌てなくても大丈夫よ。お料理はたくさん用意してあるから。ゆっくり食べなさい」
「けほっ、けほっ。う、うん、ゆっくり…」
スレッタはパンを小さくちぎり、それを口へと運び、ゆっくりと噛みしめる。
「いい子ね。この料理は、あなたの体となり、血となるわ。しっかり食べてね」
「はい」
スレッタは、テーブルの上に置かれた料理を次々と、貪るように、命を育むように食べていく。
一同はその光景を安心した表情で、そしてこれから先の期待を込めながら見つめている。
「うちの子も、スレッタちゃんと一緒に食事をする日が来るのかしら」
ノートレットは少し大きくなり始めているお腹をさすりながら、スレッタを見つめそう呟く。
「必ず来るわ」
「その時こそ」
「ええ、その時こそ」
エルノラとノートレットは、何かを確認するように見つめあい、お互いに頷きあう。
「じゃあ、わたしは地球へ戻るわね」
ノートレットはエルノラにそう告げる。
「ええ、ありがとう。地球の魔女さん達によろしく」
「スレッタちゃん、また会いましょうね」
「お姉さん、さようなら」
「さようなら」
ノートレットは一同に見送られながら、部屋を出ていく。
「お母さん」
スレッタは食べるのをやめ、エルノラの顔を見つめている。
「どうしたの?」
「眠くなっちゃった」
スレッタの瞼が重く下がり始めている。
「あら、お腹いっぱいになったのね」
「うん、もうお腹いっぱい」
「そう、じゃあ今日はここまでね。お疲れさま。ゆっくり休みなさい。あなたの人生は、まだこれからなんですから」
「はい」
スレッタはスタッフに促され、部屋を出ていく。
部屋に一人残るエルノラ。
そこには、スレッタの食事の跡と、実験用の席、そして結晶体が入った筒が残されている。
エルノラは結晶体の入った筒へとゆっくりと近づいていく。
「エリー、ごめんね」
エルノラは結晶体へ向けてそう呟く。
「これはあなたのためなの。その時が来るまで、あなたには眠っていて欲しかったから。その時が来たら、あなたは目覚めることが出来るわ。だからそれまでは、ゆっくり眠っていてね」
結晶体は何も反応しない。
まるで、本当に眠ってしまったかのように。
「さあ、始めましょう。わたしたちの復讐劇を」
「18話 灯火」の“あの日”の出来事です。
時系列的には、「20話 水星の魔女」で眠ったエリクトと目覚めたスレッタの間の話になります。
23話にも繋がる話です。