先程までにもまして、戦いは激しくなった。
強化版の毒の龍『
無数の紙の刃と、紙の翼が巻き起こす突風でそれらをさばき、こじ開けて攻撃を届かせ……致命傷足りうる毒の直撃も『脱皮』で無効化してみせるスゥ。
回避主体と防御・耐久主体というスタイルの差ゆえか、マゼランの方にどんどんと傷が増えていく。
加えて、スゥは毒の攻撃を脱皮で無効化し、無効化できない攻撃は紙や剣で防御する。
結果として、マゼランの攻撃はほぼほぼ無効化されている。スゥは疲労と、微細な服の破損などを除けば無傷だった。
マゼランは無傷ではないが、せいぜい浅い切り傷がいくつもある程度。戦闘続行に支障はない。
しかし、続けられればいいというものではもちろんない。
能力の相性も戦い方の相性も悪く、戦闘が遅々として進まない。
階下ではハンニャバルをはじめとした部下達が決死の思いで囚人達を足止めしており、手遅れになる前にそこにたどり着かなければならないのに、いつになってもそれができない。
たった1人の女囚を相手に釘付けにされ、救援に行けない。
しかも、スゥが善戦すればするほど、周囲にいる囚人達を調子づかせることにつながる。
こうしている間にも、マゼランの目が届かない所では、Mr.3の作った『合鍵』で牢屋が開けられ、残る囚人達も解放されようとしているのだろう。
さらに、リフトで正面入り口に向かわせたシリュウからの報告もまだない。……もっとも、あっても電伝虫をとる暇すらこの状況ではないのだが。
“黒ひげ”の対処はどうなったのか、その情報も未だに入ってこない。
(時間を食えば食うほど、状況が悪化していく……最早手段を選んでいる段階ではない!)
しびれを切らしたマゼランは……奥の手を、否、『禁じ手』を解放することを決めた。
その体から、今までの青紫色のそれとは違う……深紅の毒が滲み出始める。
「この毒は『禁じ手』……インペルダウンそのものを破壊しかねない。だが……ことここに至ってはやむを得ないと判断する……!」
立ち上る、禍々しい深紅の毒液は、巨大な悪魔のような姿になる。あまりにもおどろおどろしい光景に、スゥも、囚人達も目を見開いて戦慄していた。
「“
マゼランの動きに連動して、スゥめがけてその巨腕を振り下ろす。
叩きつけられた箇所から飛び散る毒液。
しかし、それだけでは収まらず……毒はその当たった個所を起点に、まるで感染するように広がって、広範囲を毒で侵していく。
それは、スゥが防御のために使った、無数の紙の刃も同様だった。
その性質を見切ったスゥは、即座に毒を受けた部分の紙を周囲から隔離するように切り離したが……直後にそれらは、力なく地面に墜落する。
炎で燃えたりした時と同じように、破損・変質が許容限界を超えて操れなくなっていた。
そのまま立て続けに連続で腕を振るい、すさまじい勢いで宙を舞う紙を減らしていく。
「な、何だあの毒!? 触れた個所からどんどん広がってく……やべぇぞ!?」
「あんなの……初めて見るよ……!」
「これが、マゼランの切り札……」
「ち、ちくしょう、だめだ……やっぱり脱獄なんて無理だったんだ……!」
「もっと離れろ! 近くにいたら侵食されてやられちまう!」
「姐さん! あんたも逃げて! アレは……あんなのはさすがに無理よ!」
「馬鹿を言え、一人も逃がさん……この俺の城で馬鹿な真似をして、下らぬ希望にすがったことを……死ぬまでの間に後悔するがいい!!」
絶望そのものと言えるような宣告と共に、マゼランは『毒の巨兵』と共に、腕を振りかぶる。
そのまま大きく横に薙ぎ払うような動きで、多数の囚人を巻き込んで薙ぎ払い……
……薙ぎ払おうとして……しかし、できなかった。
「―――“
その刹那、スゥは紙吹雪を集結させ……さらにその中に、そこら中に転がっている無数の瓦礫を巻き込んでいく。
それらはスゥの隣で形を変える。腕が、足が、頭ができ……紙と瓦礫で作られた、甲冑のような鎧をまとい……その手には、巨大な紙と瓦礫の剣が出来上がった。
「“
甲冑に身を包み、暖簾のような覆面で顔を隠した紙と瓦礫の巨兵は、毒の巨兵の腕をその剣で受け止め……るだけにとどまらず、そのまま振りぬいて切り裂き、その本体を深々と斬り裂いた。
マゼラン自身も巻き込む軌道で放たれたその一撃を、マゼランはとっさにもう片方の毒腕で防御し、どうにか受け止めるも……大きく体勢を崩して後ろに押し込まれ、体勢を崩す。
尻もちを搗く寸前にまでいってどうにか持ちこたえるも……マゼラン最大の技を押し返したスゥの一撃を見て、周囲は……
―――ウオオォォオオォッ!!
「マジかよ……姐さん、あんなことまでできたのか!」
「すげえ、すげェぜ! 見るからにやばそうなマゼランの毒の巨人を……押し返したァ!」
「負けてねえ、これ全然負けてねえよ!」
再び上がるボルテージを前にして、忌々しく顔をしかめるマゼランの前で……今の一撃で毒に犯された剣の、刀身の一部がはがれて落ちる。侵食される前に切り離したのだ。
欠損した部分は、すぐさま内側からせり出してきた新たな紙で埋められ、修復。何事もなかったかのように、紙の巨人はそこに立っていた。
(自在に形を変えて切り離せる紙の巨人……毒の『侵食』にいとも簡単に対応してみせるか……。加えて、瓦礫を巻き込んでいるせいで攻撃に重さもあり、破損してもそこらから材料をかき集めていくらでも修復可能……)
「どこまでもやりづらい……!」
「誉め言葉として受け取っておくよ。さて……続けようか? あー皆、もうちょっと離れててもらえる? ここから先、ちょっと怪獣大戦争じみてくるから、巻き込まれる確率高そう」
「「「い、イエスマム!」」」
挑発するような言葉を聞きながらも、マゼランは欠損した毒の腕を再生させる。
そして、再び大剣を振りかぶる巨人めがけて、侵食する猛毒の拳を突き出した。
(……うーん……もうそろそろだと思うんだけどなー……?)
☆☆☆
「こ、こちらレベル3! 囚人達が……囚人達が続々と上がってきます!」
「馬鹿な、ハンニャバル副署長が階段で食い止めてたんじゃなかったのか!? 突破されてしまったのか……副署長の安否は!?」
「獄卒長……サディちゃんや、サルデス牢番長とも連絡が取れません! 確認しようにも、レベル4まで回す人員がとても……」
「看守室が落ちて鍵を奪われた! レベル3の囚人達も、どんどん解放されていく!」
「マゼラン署長はまだ来ないのかよォ!?」
階下の混乱は、既にレベル3にまで及んでいた。
少し前まで、薙刀『血吸』を装備した副署長・ハンニャバルと、階段に配備した千人の『監獄弾バズーカ部隊』により、辛くも食い止めることができていたのだが……その最中、突如として状況が一変する出来事が起こったのだ。
「何が起こった!? 千人の大部隊がこんなに早く壊滅するなんて……」
「そ、それが……背後から……階段の上の方から、レベル2の猛獣達が突然襲ってきたんだ! マンティコアやパズルサソリが……前にばかり気を取られていたから、一瞬で総崩れになって……」
「しかもそいつら、どういうわけか囚人や変態達には目もくれず、看守や獄卒ばかりを襲って……挟み撃ちされる形になって……とても、とても対応なんてできなかったんだ!」
「猛獣達だと!? なんであれらがここに……しかも、看守や獄卒だけを襲うだと!? なんでそんなことが……ブルゴリと獄卒獣以外の猛獣は、基本的に俺達ですら制御できないんだぞ!? だから、出入り口をふさぐだけしてレベル2に閉じ込めてるんだ! それを手なずけるなんて……」
「そんなことはわかってる! でも実際に……」
この異常事態には、スゥが起こした行動が関係している。
遡ること数十分前。
マゼランがやってくるより早くレベル2にやってきたスゥは、たむろしている猛獣達を『覇王色』で手早く全て気絶させると……
「じゃ、ささっとやっちゃいますか……“
猛獣達を『本』に変えて、そのページを開く。
そしてその中の、余白の大きい適当なページを選んで……そこに、こうペンで書き足した。
『階段を下りてレベル3へ、レベル4へ行け』
『看守と獄卒を襲え。囚人と変態は襲うな。見分けがつかない者も襲うな』
スゥの覚醒能力の1つ『天国への扉』。
それは、人を本に変えて記憶を覗き見ることができるだけではない。人以外も本にできる上……その余白に文字を書き足すことで、その者に命令することができる。
『覚醒』技ゆえに体力を消費するし、誰にでも無条件で使えるわけではない。
ある程度以上の力量がある相手に命令するのは難しいし、本能的に忌避するような行動の命令も難しい。また催眠や暗示の類に分類される力なのか、そういったものに強い相手にも効きにくい。
それに、命令は時間経過で解除されてしまう上、人によってそれまでの時間はまちまちだ。
しかし、知能の低い動物が相手であれば、ほぼ確実に命令を書き込んで操ることができる。
さらに、通用さえすれば、行動を縛るだけでなく……『こう思いこめ』という趣旨の命令も通用するため……記憶の書き換えすら可能になる。
それを利用して、スゥはレベル2にいる猛獣達のうち、階段を通って別フロアに行ける大きさの者達を選んで『命令』を書き込んだ。
ルフィ達がレベル4を、そして、見た目に反してかなりの強敵であり、それなりの有能さを持つハンニャバル副署長率いる『監獄弾バズーカ部隊』を突破する助けにするために。
目論見通り、階段にいたことで、敵の進行を妨げることには都合がいいが……自分達も狭い上に足場が不安定でろくに動けなかったバズーカ部隊は、背後からの猛獣達の猛襲によって一気に崩れて倒れていき……それらに無視された囚人と変態達は、よくわからないうちにではあったが、レベル3への階段を突破することができたのだった。
なお、少し前に、霧に身を隠して狙撃中だったブルーメが見つけて、スゥからの援軍だと気づいて通したのは、この猛獣達である。
結果、騒動の主力はレベル3になだれ込み、さらに数を増やしていく。
もともと多くの人員が動員されてレベル4に行ってしまっていたことに加え、残っていた者達もレベル3であらかじめブルーメが消して回っていたため、ろくな抵抗もなくレベル3を横断していった。
そのブルーメ自身も、『お待たせなのです』『おぅ、お疲れ!』と仲間に加わり、一路脱獄囚達はレベル2を目指して行った。
☆☆☆
その、レベル2にて。
スゥの『
『毒の巨兵』のみならず、『毒フグ』や『毒・雲』も併用し、手数と物量で押し切ろうとするマゼランに対し、スゥは巨体に似合わない動きの素早さを誇る明王の剣で残らず切り払う。
それでも、少しずつではあるが、より広い範囲を侵食していく『毒の巨兵』の毒は、徐々にスゥや囚人達を追い詰め、後退させていく。
それは、インペルダウンそのものが滅びかねないことと同義ではあるため、マゼランとしても歓迎できる事態ではないのだが、そのおかげで戦いの決着が近いのも事実。勤めて目をつぶり、目の前の敵に集中していた。
…………しかし、
「お、おい、気のせいかな……? なんか……マゼランの奴、苦しんでねえか?」
「ああ、俺にもそう見える……何だ? いつものゲリか?」
「それに何だか、あのやべえ毒が広がる速さも、遅くなってる気が……巨人の動きも、ちょっとずつ鈍くなってるみたいに見えるぜ」
「ハァ……ハァ……っ……!?」
囚人達が困惑の視線を送る先で……マゼランは、先程から大汗を流して息を乱していた。
焦熱フロアであるレベル4にいるわけでもないのに、ぽたぽたと毒を含んだ汗が足元に垂れる。
動きは精彩を欠き、スゥの攻撃に被弾する頻度も徐々に上がっているように見えた。
そのことに困惑しているのは……マゼラン自身も同じだった。
(何だ……この苦しさは? 頭痛がする、目がかすむ……ふらつきも……毒の使い過ぎで腹を下したか? いや、それでこんな症状が出たことは……)
その最中……ふらついたのをこらえた瞬間に、マゼランは……スゥの口元がにやりと笑みを浮かべるのを見た。
(……! まさか……毒!? いや、ありえん……『毒人間』である俺に効く毒など……)
能力ゆえに毒に対する強力な耐性を持っているマゼランには、そこらの毒など盛られようがまず効かない。
もしかすると、世界のどこかにはあるのかもしれない。しかしだとしても、このインペルダウンの中で即興で手に入れて用意するようなことは……間違いなく不可能だと断言できた。
だが……
(お、あの表情……一服盛られたことに気づいたかな? けど、『毒人間』である自分に効く毒なんてないはずだって、信じられず困惑してる感じだな……ふっふっふ、甘いね毒野郎。あるんだよ、それが……そんな都合のいい、強力な毒がさ)
思わずと言った様子で、一層笑みを深めるスゥ。
マゼランはそれを見てさらに困惑しつつも、早く決着をつけなければと苛烈に攻め……しかし、その動きにはどんどん精彩がなくなっていく。
それに余裕をもって対応しながら……
(ま、でも確かにというか……使ったのは、正確には毒じゃないんだけどね……)
彼女が使ったもの。それは……毒ではない。
それどころか、誰でも……それこそ、一般家庭に住む市民でも、簡単に手に入れられる……ありふれたものだった。
もちろん、このインペルダウンにもあるし、なんならニューカマーランドにもある。
それは……『塩』である。
毒による一撃必殺の攻撃に、ちょっとやそっとの攻撃では倒れない、圧倒的タフネス。
正攻法でマゼランを相手取るのはリスクが大きいと判断したスゥは……事前の『準備』として、大量の塩を『エニグマ』で紙に変えて保管していた。
そして、それを攻撃の中で紙吹雪にまぜて飛ばし……マゼランに刺さった瞬間に変化を解除することで、マゼランの体内に、攻撃に乗じて大量の塩分を打ち込んでいたのである。
(単なる毒なら効かないんだろうけど、ゲリになるし汗もかくんなら、毒耐性以外の身体機能は普通と同じのはず……それでもまあ、確実ではなかったけど……賭けに勝ったな)
言ってみれば今のマゼランは、海水を大量に飲んだのと同じような、塩分の過剰摂取状態。
しかも、胃袋でなく体内に直接突き刺して注入したに等しいため、進行もすさまじく早かった。
体内の塩分濃度が高くなると、人間の体はどうにかしてそれを体外に排出しようとするが……その際に体内の水分を大量に使用する。汗や尿として排出しようとするためだ。
喉が渇いても海水を飲んではいけないのは、これが理由だ。海水を飲むと、余計に体内の水が外に出ていってしまい、かえって喉が渇くのだ。
それが進むと……脱水症状をはじめ、様々な深刻な異常が起こり始める。
細胞内部の水分が奪われて細胞が死ぬ。
腎臓をはじめとしたいくつもの内臓器官が機能不全を起こす。
自覚できる範囲にも様々な症状が現れ、どんどん体が言うことを聞かなくなっていく。
能力者自身の弱体化は、強力で制御の難しいものほど、そこに顕著に表れてしまう。
まるでゾンビの体から腐肉が崩れて零れ落ちるように、徐々に『毒の巨兵』の体が崩れ始めているのが……誰の目にも明らかな形で見えていた。
「辛そうだね……大丈夫? 署長さん。ちょっと休憩する?」
「調子に乗るな……これしきのこと、どうということはない! 休憩なら、さっさと貴様らに刑を執行し……全てが終わった後でゆっくりとるとする! 『地獄の審判』!」
そう言って大きく腕を振り上げ……しかし、振り下ろすことはかなわず、容易くスゥの明王の剣で切り払われてしまう。
明らかに先ほどまでよりももろく、毒の広まりも遅い。立ち直りも遅く、鈍い。
スゥはそれを見ながら……背中に6枚の翼を生やして飛び上がり、さらに周囲に大量の紙に舞わせ始める。
侵食の性質と『毒の巨兵』の強度に対して、相性が悪いと判断してひっこめた『千本桜景厳』。それを再び発動し……『黒縄天譴明王』と並び立たせる。
「まーまーそう言わずに、遠慮しないでさ。気が引けるんなら手伝ってあげるから、無理しないでちゃんとゆっくり休んでおきなよ。まあ―――」
「―――永遠に、になるかもしんないけどね」