エレジアにテゾーロ達が来訪してから数日。
国の中心部にあるコンサートホール跡地にて。
そこには、ステージの上で楽しそうに歌うウタや、それを温かい目で見守るステラ達、それに、ゴードンの姿があった。
表情がやや硬いためにすこしわかりにくいが、ゴードンも微笑みを浮かべて、ステージ上で歌う少女の姿を見ているようだった。
(また、彼女が笑顔で歌う光景をこうして見られるとは……)
彼女が負った心の傷は大きい。
ともすれば、向こうさらに数年は彼女の心からの笑顔を、ましてや楽しそうに歌う姿など見ることはできないのかもしれないと思っていた。
しかし、テゾーロ達が来てから、ウタは変わった。
より正確に言えば、その中の1人……ステラと交流するようになってから、だろうか。そう時間をかけずに、昔のようによく笑うようになった。
(まるで、あのステラという女性が……ウタの心の傷を癒してくれたかのようだ。何年もの時間の流れの中でも癒えることのなかった、『裏切り』による大きな傷を……)
(……ステラさん、誰かに寄り添って元気にするの得意だからなあ)
ゴードンに加えて、シュライヤもまた、ウタという少女の……最初に見た時からの変化の理由に気づいていた。
ステラという女性は、関わる者を元気にする力を持っている。荒んだ心をなだめ、傷つき、疲れ切った心を癒し、前を向く手伝いをしてくれる。
何か特別な技術を使っているわけでもなく、ましてや『悪魔の実』の能力によるものでもない。それは、彼女という1人の人間が持つ、天性のスキルであり、いわば人徳のようなものだ。
彼女の傍らにいるテゾーロを含め、彼女のそんな力に救われた者は数知れない。
そしてここでも……特に意識することもなく、その力は発揮されたのだろう。
事情などはいまだに聞けていないが、心に傷を負っていると思しき少女は……ステラとの交流の中で、次第に心を開いていったのだろう。
ずかずかと踏み込むようなことはしない。不快にならない程度の距離感を保って接し、居心地のいい空気を形作り……気づけば自分から寄ってくるまでになる。
ステラは、そんな関係を作り出すエキスパートだ。
そして、これは偶然ではあるが……2人とも同じように『歌』が好きだということも、ウタが心を開き、仲良くなれた大きな原因だった。
現時点では、ではあるが……自分よりもさらに上手で、心に響くようなステラの歌を一度聞いた時から……ウタの中で眠って押しとどめられていた音楽家としての魂が、また躍動を始めていた。
少しずつ心を開き、少しずつ話すようになり、
それに伴って、ゴードンや……テゾーロなどの他の面々とも話したり接するようになった。
テゾーロ達も、小さな子供の相手は実は慣れている。『グラン・テゾーロ』には、託児所や孤児院のような施設もいくつもあり、よく顔を出しているからだ。特にシュライヤは、まだ幼い――こう言うとアデルは怒るが――妹がよく世話になっていることもあって、頻繁に通っていた。
ゆえに、程度に差はあるし、ステラほどではないものの、子供との接し方は皆心得ている。
気付けば、いっそ頑ななまでに距離を取っていたウタは、数日の間にみるみるうちに社交性を取り戻し……今はこうして、皆が見る前でステージに登って歌っている。
歌を歌うこと自体を楽しんでいるのはもちろん……今見ている者達に自分の歌を届けたい、聞いてほしい。そんな気持ちが、歌声に乗って届いてくるようだった。
噂にたがわぬ小さな『歌姫』の、大いに将来性を感じさせる素晴らしい歌。
それにテゾーロ達が聞き入っていた、そんな中……
……それは、起きた。
「これは……一体、何!? ……ウタちゃん、まさか……あなたが……!?」
「えっ……えっ!? あ……そ、その……」
皆が楽しそうにウタのステージを見ていた時から、まだ数分と経っていない。
しかし、ステージ周辺の光景は……様変わりしてしまっていた。
ステラも、テゾーロも、シュライヤも、ゴードンも……皆、倒れている。
死んでいるわけではない。すやすやと寝息を立てて……眠ってしまっている。
……たった2人。ウタと……バカラを除いて。
少し時を巻き戻すと……ステージの上で歌うウタは、久々の『歌うことが楽しい』という気分を存分に味わっていた。
かつて、フーシャ村でいつも一緒にいたある幼馴染や、かつて乗っていたある船のクルー達、そしてその船の船長だった父親に、その歌を聞かせて誉めてもらえていたころのことを思い出していた。
同時にそれで少しだけつらい気分にはなるものの……それでも、こうして自分の歌を上手い、素晴らしいと言ってくれる人達がいる。皆が自分の歌で笑顔になっている。
それが嬉しくなってしまったウタは……実に数年ぶりに、その『能力』を発動してしまう。
彼女が口にした悪魔の実……『ウタウタの実』の力を。
自分の歌を聞いた者を眠らせ、能力者が形作る幻想の世界『ウタワールド』に招待する能力。
ウタワールドでは、想像力が及ぶ限りにおいて、能力者はほぼ無敵と言ってよく、およそ何でもできてしまう。空想のままに戦ったり、無から有を生み出したり、想像力がそのまま力になる……能力者自身が絶対の存在となる、何でもありの世界だ。
そしてその『招待』は、その歌を聴いた時点で即座に行われて引き込まれるため……招待された者は、自分が夢の世界に来てしまったことにすら気づかない。気づけない。
ただただその幻想的な世界の中で、能力者のライブを楽しむばかりとなる。
もっとも、それによって眠っている肉体が無防備になったりはするものの……能力者自身に悪意と呼べるものがなければ、対して害のない能力である。
ウタ自身も、この能力を発動するのは、自分の思い通りになる世界で、もっと思いっきり自分の歌を楽しんでもらって、皆で一緒に幸せなひと時を過ごそう……という思いからだった。
というよりも、そうしていた頃のことを思い出して、半ば無意識の発動だった。
その瞬間、ステラやテゾーロをはじめとした面々は、『ウタワールド』に飲み込まれてしまったわけだが……ただ1人、バカラだけはそれを免れた。
―――ガシャーン!!
「きゃっ!? び、びっくりした…………え?」
それは、奇しくも彼女の『ラキラキの実』の能力による……超絶ラッキーによってもたらされた幸運によるもの。
ウタが『ウタワールド』へといざなう歌を奏で始めた瞬間に、コンサートホールの壁に掛けられていた飾りが落ちて来て大きな音を立てた。
そのせいで、ウタの声がその時、バカラにだけは届かず……さらに、その音にびっくりしてウタも歌を止めてしまったため、彼女は引き込まれずに済んだのだった。
そして周囲を見てみれば……自分とウタ以外の全員が倒れ伏している光景がそこにあった。
ぎょっとして様子を見てみると、どうやら眠っているだけだということはわかったが……これをやったと思しきウタは、戸惑ってどうしたらいいかわからない状態。
どうやら悪意を持ってやったわけではないようだと察したバカラは、怖がらせないようにゆっくりと立ち上がり……
「ウタちゃん」
「えっ!? あ、あの、私……」
「大丈夫、何も怖いことはしないし、怒らないから。……これは、あなたがやったの? 眠っているだけみたいに見えるけど……」
「…………はい、そうです。私……」
それからしばらく後。
『ウタワールド』に招待されたものの、すぐに目覚めて解放されたステラ達も交えて、ウタは自分の能力の説明と……何の断りもなく『ウタワールド』に引き込んでしまったことに対する謝罪を行った。
悪気があったわけではなく、ただ楽しくなって無意識に……もっと楽しんでもらいたくて能力を使ってしまったようだと、ステラ達は理解した。
抵抗すらできず、それどころか『招待された』ことに気づくことすらできなかったということに驚かされはしたものの、実害がなかったのであれば問題ない。
『ウタも久しぶりでついやってしまったんだ、どうか許してくれ』とゴードンも必死で謝ってくるのを『気にしてないから』となだめるようにしつつ、
ステラは、いつも通りの笑顔で歌の前に立ち、しゃがみこんで視線を合わせて……
「ウタちゃん」
「は、はい……?」
「もう一回……改めて、招待してもらってもいいかしら?」
「……え……えぇっ!?」
☆☆☆
Side.スゥ
「そんな感じで、まさか『もう1回改めて』なんて言われるとは思わなかったから驚いちゃって……でも、嬉しかったから、今度はバカラさんも含めて全員で来てもらったの」
「そうなんだ……ステラらしいなあ」
とまあ、『グラン・テゾーロ』でウタちゃんから、テゾーロやステラとの出会いや、その後この艦に乗ることになった経緯について聞いてました。
『ウタワールド』については私も知ってたけど……なるほどね、アレが彼女が外の世界に羽ばたく1つのきっかけになったわけだ。テゾーロ達を招待して、数年ぶりに思いっきり、夢の世界で盛大にショーをやったわけだ。
「と、思うでしょ? それがさあ……ウタワールドでやった後、一応褒めてもらえはしたものの……テゾーロさんに結構ズタボロに酷評されちゃったんだよね」
「え? 酷評? どゆこと?」
「歌はともかくとして、演出とかね……私なりに精一杯盛大に、豪華にやったつもりだったんだけど……いや、一応褒めてはもらえたんだけど、その上で『まだまだだな』ってテゾーロさんに」
「……あーまあ、プロの視点から見ればね……無理もない、か?」
テゾーロと言えば、この黄金の巨艦を支配し、数多のステージを最高の演出で盛り上げてきた、世界最高峰のエンターテイナーだ。
そりゃあ、センスはあるとはいえ、経験も足りない我流そのもののウタちゃんのステージじゃあ……彼の鬼のようなノウハウには並ぶべくもないだろう。
しかしその時、酷評されたウタちゃんは、結構元気を取り戻していたことも手伝って、いかにも『面白くない!』って感じでムッとしてしまった。
が、それもテゾーロからすれば予想通りだったし、当たり前だがそれで気分を悪くしたりすることもなかった。
そもそも挑発するようなことを言ったのは、テゾーロの方だったわけだしね。
そこでテゾーロが提案したのは、『俺が本物のエンターテイメントを見せてやる』というもの。
一時的に『ウタワールド』のステージを制御する権限をウタちゃんから借り受けて、テゾーロがステージの全てを操作できるようにする。ウタちゃんの許可さえあれば、『ウタウタの実』の能力はそんなこともできるらしい。
ウタちゃんも『そこまで言うならやってみてよ』と、ちょい喧嘩腰にテゾーロの提案を受けて……権限を貸し出した。
そして数分後。
そこには、見事なまでにorzになっているウタちゃんの姿が。
テゾーロが、彼の思う、曲に会う演出を軽く、かる~く、披露しただけらしいんだけど……ウタちゃん、開始1分くらいで大敗北を悟ったって。
けど、悟りながらも、悔しいと思いながらも目が離せないくらいに引き込まれてしまって……結局、ステージ全部見終わってから、糸が切れたように崩れ落ちた……って言ってた。
上には上が、どころじゃない。てっぺんが見えないほどの壁ってやつがこの世には存在するんだと思い知らされたようでして。
歌はともかく、演出力とか、ダンスの振付とか、視覚的な効果……見栄えとか、総合的な『盛り上げ力』では、全くと言っていいほど勝ち目がないと突き付けられたそうだ。
何度も言うけど、エンターテイナーとしては年季が違うからなあ……。
けど、そこでへこたれたり挫折しないあたり、ウタちゃんもなかなかどうして負けず嫌いな感じで……そうして、少し前まで落ち込んで歌うこともろくにできていなかったとは思えないくらいにやる気に燃えるモードになったウタちゃん。
そんな彼女と、ゴードンにも合わせて……テゾーロは改めて声をかけたのだ。
『俺と一緒に来ないか? 俺の船で、俺達と一緒に……世界中を笑顔にしてしまうような、笑顔にならずにはいられないような、最高のエンターテイメントを作ろう!』
「で、それを受けてウタちゃんはこの船に乗って……いろいろ勉強して……とうとう今となっては、この『グラン・テゾーロ』歌姫No.1の地位を手に入れたと。本当にすごいね……おめでとう」
「ありがと、スゥさん。でもまだまだ私満足してないよ? ゆくゆくは私の声が、歌が、世界中に届いて、世界中の皆を幸せにしちゃえるような歌姫を目指すんだ! その意味じゃ……スゥさんは私の目標なんだよ。文字で、本で世界を元気にしてる人だから」
「あっはっは、そりゃ大きく見られちゃったもんだね……嬉しいけどさ。しかし、壮大な夢だけど……がんばりなよ、ウタちゃん。私も1人のファンとして応援してるからさ!」
「……うん! いつかきっと、世界一の歌姫に、私はなる! そして……」
そして……?
「いつか父親を……シャンクスをぎゃふんと言わせてやるんだから!」
「そっか……父親をね、シャンクスを…………シャン、クス……うん?」
……ちょっと?
……え、今何て……何でもない流れでさらっとすごいこと言わなかった? え……冗談?
「あれ? ……えっと、言ってなかったっけ?」
「初耳だよ!?」
☆☆☆
Side.三人称
とんでもないレベルのカミングアウトが、あっさりと、雑になされて、さすがにスゥも驚愕させられた……その夜のこと。
客たちが寝静まり、夜勤の警備員達が歩いて見回る、ホテル『ザ・レオーロ』の管内にて。
その廊下を……静かに動く影があった。
人ではない。生き物ですらない。
それは……何枚かの紙だった。
風もないのにひらひらと宙を舞っている、古びてボロボロに見える紙。
そこに書かれているのは……楽譜だった。
どこから迷い込んだのかもわからないが、楽譜はひらひらと飛びながら、ホテルの奥へ奥へと飛んで行く。なぜか、セキュリティは反応しない。
動き自体はひらひらと揺れているが、一直線にスタッフたちの居住区……ウタなど一部の歌姫らも暮らしているそこめがけて飛んで行き……
しかし楽譜は、突然動きを止めると……全く違う方向へと動き出した。
それはまるで、何か別なものを見つけて……それを目指して動き出したかのように見えた。
ひらひらと舞って飛び、楽譜はスタッフの居住区から外れ……『ザ・レオーロ』最高峰の客室『トゥルースイート』へと侵入。
その中の一室で、すやすやと眠っている、プラチナブロンドの髪の1人の女性の元に舞い降りて……その肌に吸い込まれるように消えて、見えなくなった。
そしてそのことに、彼女……スゥが気付くことはなかった。
この時消えた楽譜が、後に大きな事件を引き起こすことになるのだが……それについては、まだしばらく先の話である。