金獅子海賊団の本拠地である人工の空島群『メルヴィユ』。
そのおよそ中心部に位置する冬島の、さらにその中心に……金獅子海賊団のアジトである邸宅はあった。
その邸宅に、通常使用される豪華なつくりの正門……ではなく、極秘裏に出入りする時に使われる『裏口』とも言うべき場所から、アリス達は帰ってきた。
重力を反転させて重さを実質ゼロにすることで、軽々抱え上げられるようになった、バーソロミュー・くまを連れて。というか、持って。
そのくまを、一旦側近2人に任せて『おばーちゃんのラボに運んどいて!』と頼んだ後、アリスはアジトの奥に向かった。
そこで待っているはずの、母親と祖父……スゥとシキに、帰還及び任務完了の報告をするために。
さほど時間はかからず、歩きなれた廊下を通って、シキの部屋に到着したアリスだったが……扉を叩いてこんこん、と音を立てることはできなかった。
彼女が扉をノックしようとした瞬間、ガチャ、と音を立てて扉が内側に開いたからだ。アリスの手はスカッと見事に空を切った。
なお、それは決して誰かが狙ってやったものではなく、単なる偶然だった。
その扉の向こうから現れたのは……彼女の、最愛の母親。
「あれ、アリスお帰り。早いね、もう帰ってきたんだ」
「あー、ただいまお母さん。用事は割とすぐ済んだし……ルフィ達も割と早めに集まったからさ。無事に海の中に出港していったから、多分今頃魚人島じゃないかな。おじーちゃんいる?」
「いるけど……」
そこでスゥは、ちらっと後ろを振り返る。
そこには……いつも通り執務室の机について、『最高顧問』の……すなわち、実質的な『金獅子海賊団』の支配者としての仕事をしているシキの姿があった。
しかし、その姿は……2年前とは、僅かばかり違っている。
パッと見た程度では気づかない程度に。
しかし、彼を知る者がよくよく見ればはっきりとわかるくらいに……大海賊『金獅子のシキ』は、前よりも痩せていた。
いや、やつれている、と言った方がいいかもしれない。
扉の向こうから除くアリスに気づいたのか、目がこっちを見て視線が交差する。
その直後、『よォ、おかえり』とでも声をかけようとしたのだろうか。気さくに挨拶する時のように、ペンを握ったままの手を上げかけて……
「―――ごほ、ごほっ」
言葉より先に、咳音が口からこぼれた。
シキの代わりに、というわけではないだろうが、スゥがアリスをとどめながら言う。
「ちょっと今、具合悪いみたいだから……また今度にした方がいいかも」
「えー、あー……わかった。おじーちゃん、とりあえず戻ったし、任務も成功したからね」
「あぁ、ご苦労さん……悪ィな、気、使わせちまってよ」
「いーよいーよ全然。ちゃんとお薬飲んで早く治してね」
そう言ってにっこりと笑い……アリスは、スゥと一緒に扉を閉める。シキのいる部屋には入らないままに。
部屋に1人残されたシキは、何度か軽く深呼吸すると、すぐに咳は収まった。
代わりに出てきたのは、長いため息。
娘と孫が去ってしまった扉を見ながら、シキは誰にともなく、
「早く治してね、か……治る病気なら、早かったんだろうけどな」
ぽつりと、呟いた。
☆☆☆
場所は変わって……場所は、ママの研究室。
私とアリスがシキの部屋から退出し――アリスの方はそもそも入っていないが――そこに到着した時……室内ではまさに、感動の再会が行われている最中だった。
「……っ……お父、さんっ……!」
シャボンディ諸島で、サウザンドサニー号を守っていた時のままの……負傷、ないし破損があちこちにむき出しになってある、痛々しい姿のくま。
その胸元に飛び込んで……手を回せないほどに大きなその体に、それでも大きく手を広げて抱き着いている……ボニーの姿があった。
それに対して、くまは……何も反応しない。
既に自我が失われ、命令を遂行する意識しかがゆえに、何も反応できない。
それに加えて、ママが『カビカビの実』の能力による干渉で、引き続きくまの脳機能を縛っているからでもある。
改造に際して、何かセーフティーのようなもの――敵勢力に捕獲された時に、自動的に暴走して無差別に攻撃する、だとか――がかけられている可能性はゼロじゃない。それを確認し終えるまでは、動かすわけには……反応させるわけにはいかない。
……もっとも、カビの支配を解除したところで、彼が動く……ないし、反応することは……おそらく、ないんだろうけど。
そして、そのセーフティーの有無を今、ママには既に、『オペオペの実』の能力で確認してもらってあった。
ママは『パシフィスタ』の構造は、ある程度熟知している。
『頂上戦争』の際にアリスがいくつも持ち帰った『旧型パシフィスタ』。
『NEO海軍』の一件の際に回収できた試作型セラフィム。
それと、その『NEO海軍』が保有していた……海軍から奪ったらしい『旧型パシフィスタ』を改造して自軍の戦力としていた兵器『白くま』もいくつか。
それら全てを解析しつくしていたママであれば、分類としては『旧型』に属するのであろうくまの内部をスキャンして『診断』することなど、朝飯前だった。
「それで、どうだったの、ママ?」
「なんか変な装置がいくつか組み込まれてたから、ひとまず取れそうなものは取り除いておいたわあああああ! そのうちの1つは、多分だけど自爆装置か、あるいは緊急停止・安全装置の類ねえええええ! 後でバラして調べておくわあああああ!」
「あらら……『兵器』とはいえ、えぐいものを……」
「っ……自爆装置ッ……!? ベガパンクの野郎、どこまで……っ!」
その言葉に、泣き崩れていたボニーの顔が怒りにゆがむ。
まるで悲しみと安堵がそのまま怒りに転じたかのような、一気に限界を振り切れた激情を彼女はあらわにした。
自爆装置かあ……まあ、やるだろうなあ、世界政府なら。
「で、ママ……調べた感じ、どう? 治せそう?」
「っ!」
と、今度は怒りをすぐに――まあ一時的にだろうけど――引っ込めて、ママの方に向き直るボニー。目には涙と一緒に、一縷の希望に縋りつくような光が浮かんでいた。
大切な父親を……改造され、自我を失い、自分のことも忘れてしまった父を、もとに戻せるか、戻してくれと。
しかし……帰ってきた答えは、彼女の期待したものではなかった。
「……正直に言って、無理ねええええ!」
「っ……!!」
それを聞いて……一旦は引っ込んでいた絶望と悲しみが、再び急激にボニーの顔に浮かび上がってくる。
覚悟はしていただろう。だが、それでも……はっきりと『もう治らない』と言われてしまったショックは、決して小さくはなかったんだろう。
それを横目て見ている私達としては……痛々しい以外の感想が出てこない……。
誰も何も言えずにいる中、娘達の中で特にボニーと仲がいいレオナが、ほとんどオウム返しになるような言い方で聞いた。
「無理……なのか? ばーちゃんでも? ばーちゃん、『パシフィスタ』だろうが『セラフィム』だろうが、再現どころか強化とか改良できるくらいすごい科学者なのに?」
「そりゃ、今のくまを修理しろとか、強化しろとか言うんなら簡単だけど、問題なのは、彼の意識とか記憶の問題だからねえええええ! なんたって脳は、人体で最もデリケートかつ複雑な場所の1つだから、いじるどころか検査も難しいのおおおおお!」
くまの巨体を遊具のように登り、その頭をぺしぺしと叩きながら言うママ。
ママ、ただでさえ小柄だから、メートル級の体格のくまの体に登ると、サイズ差がひどいな……まるでお人形遊び用の人形か、それ以上に小さく見える。
ママ曰く、そもそも今のくまの状態が正確にはどうなのかがわからなければ、対症療法を探すのも難しいそうだ。
今のくまは、『人格』と『記憶』を失った人間兵器。
しかし、脳の機能そのものは別に劣化も何もしておらず……『飼い主』の命令をきちんと聞いてそれに従ったり、要所要所で自分で考えて判断を下す力はきちんと残っている。
それをどうやったのかがまずわからないと、手の施しようがないと。
人格や記憶を奪う、あるいは、ニセの記憶を植え付けるだけなら、いくつかママにも方法に心当たりはある。
しかし、それ以外の『知識』や『判断力』には一切悪影響を及ぼさずに、政府や『天竜人』に従順な人間兵器としての機能だけを残して、こうして稼働させ続けるというのは……それこそ、脳の中身を自在にいじることでもできない限りは不可能なはずだと。
それをやってのけたベガパンクの手腕は見事と言うしかなく、少なくとも情報ゼロで自分がそれを理解したり真似したりするのは無理だと。
「こればっかりは、内部構造を『スキャン』したところでわかるものでもないからねええええ……再現するなら一からその技術の研究が必要だから、数年単位、あるいはもっとかかる研究になると思うわあああああ! もちろん検体も湯水のように使って使って使い潰しながらねえええええ!」
「つまり、ベガパンク……かどうかはわからないけど、世界政府はそれを……あるいはそれに匹敵するようなことをやって研究を進めて、技術を確立させた、ってことか……えぐい話」
もちろん、そうじゃないかもしれないし、なんなら違ってほしいと思うけどね……。
しかしまとめると、やっぱりママでもくまの人格と記憶を元に戻すことはできない、ってことか……それらを封印してる機械か何かが頭の中にあって、それを爆弾処理みたいに分解すればいい、っていうような単純な話じゃないようだ。
それでも諦めきれないボニーは、続けて問う。
「なら、改造の執刀医……Dr.ベガパンクなら? あいつにならできるのか?」
「それも含めて『わからない』としか言えないわねえええええ! 何度も言うけど、どんな手段、どんな技術で人格と記憶を奪ったのかがわからないからあああああ! もしかしたら、外科的な措置とか投薬の類じゃない可能性だってあるわけだしいいいいい!」
「? どゆこと?」
「機械にしろ薬にしろ、脳みたいなデリケートすぎる器官に後付けで何かして、狙った作用だけを起こすなんていうのがそもそも考えづらいのよねえええええ。クローン兵士みたいに、まっさらな状態に知識や記憶を植え付けるならまだしも、途中までは普通に育っていた人間の脳から、狙った情報だけを奪って、その他をきちんと無事に稼働させ続けるなんて真似……それこそ、何かしらの『能力』でも使ったんじゃないかって思っちゃうのよおおおおお!」
「『悪魔の実』の能力か……なるほど、ありえますね。たしかに『パシフィスタ』の製造はベガパンクの技術ですが、その過程全てをベガパンクの手だけでやるわけではないでしょうし、他人が途中のプロセスに関与してくる可能性は大いにある……」
「特にこの人の場合、全てのパシフィスタのオリジナル……特別って言ってもおかしくないような存在だものね。他の量産型にはないプロセスを踏んでてもおかしくないわ。……問題は、その可能性はありつつも、その手段や犯人は結局わかんないってことだけど……」
スノウとイリスがそう考察するも、結局さっきと同じ問題に行きついてしまう。
このまま堂々巡りかと思われたが……その瞬間、何かに気づいたように、はっとしてボニーが立ち上がった。
見ていたレオナが、ちょっとびっくりしつつ、
「どしたの、ボニー?」
「……それ、もしかしたら……父の能力かもしれない」
「え!? 父、って、つまり……」
「くま自身の『ニキュニキュの実』の能力か? そのようなことができるのか?」
「ああ……お父さんの肉球は、あらゆるものをはじく、ないし、はじき出す。それは、目に見えるものだけじゃなくて……形のないもの、あるかどうかもわからないものも同じなんだ」
そういえば、原作のスリラーバーク編でも、ルフィの体内の『疲労』やら『ダメージ』やらを外にはじき出してたっけ。
あれと同じように、記憶を……か。
「私も、さすがに『記憶』なんてもんをはじき出すところは見たことはないし、できるのか聞いたこともないけど……父ならできると思う。というか、『形のない狙ったものだけを取り除く』なんてことができるのは、って考えたら……やっぱり父の能力くらいしか私には思い浮かばない」
「でもそれって、くまが自分で、自分の人格や記憶を失うのに手を貸した、ってことにならない? こう言っちゃなんだけど、自殺と同じだよ? そんなことするかな……?」
「いや、そもそもの話、何でくまが政府の『人間兵器』として改造を受け入れることになったのかがわからないわけですし……多分そこに絡んでくる話なのでは? 何かのっぴきならない事情があって、それで政府と何かの取引をして……」
「何がどうしたら、人間兵器に改造されて人格も何も失う上に、それに自分から協力するようなことになるんだろ……何か事情があるとしたら、よっぽどのことだよ?」
……事情、ね。
単なる予想でいいならいくつか浮かぶが……どれも、愉快なものじゃないんだよな。
私の小説家としての創作脳が生み出した予想、ないし空想だってことを差し引いても。
特に、そのうちの1つは……もし当たっていた場合は、できればボニーに聞かせたくないもので……。
まあでも、所詮はそれも含めて『予想』に過ぎない。確かめる方法もないわけだし……
……いや、まて。
ある……あるな、確かめる方法。
確実に使えるとは限らないけど……もしかしたら、アレなら……専門的なアレコレは無理でも、ある程度情報を『読み取る』ことはできるかも。
それこそ、今予想が出たように、くま自身が能力で記憶の抜き取りに協力していれば……
ふと横を見ると、娘達のうち、アリスとスノウが……そしてママも、何か言いたげな視線を私に向けていた。
頭のいい3人らしいな、気づいたか。
……正直、あんまり気は進まない。
さっき言った通り、もし私の悪い予想が当たっていたりすれば……その事実は、仮に明らかになったとしても、より大きくボニーを傷つける可能性があるから。
けれど……何もせず黙っているのも……
ボニー、前に、どんなつらい現実でも向き合う覚悟はできてる。真実を知りたい、って言ってたからなあ。
忘れもしないよ。彼女が……私達を信頼して、その素性を明かしてくれた時に。
『何でもする! 頼む、力を貸してくれ!』って、船員達と一緒になって頭を下げて……
……だったら、それに背を向けるのも……まあ、違うよね。
「ボニー、ちょっといい?」
「?」
「……もしかしたら、くまの身に何が起こったのか……知ることができるかもしれない」
「……! 本当か……!? でも、どうやって……」
その方法を説明すると、ボニーは、『そんなこともできるのか!?』って驚いてた。
しかし同時に私は、きちんとリスクも告げておいた。知らない方がよかった事実を知ることになる可能性もある、と。
聞けば、Dr.ベガパンクとボニー、そしてくまは顔見知りらしく、仲も普通によかったらしい。
顔見知りを改造人間にしたり、その理由や事情についてボニーに告げなかったり……絶対何か、ヤバい事情が隠れてるよねコレ。
これでまあ、ベガパンクが2人の前で猫かぶってた極悪人だったとかならまだわかるかもだけど……以前会った感じでは、普通とは言えないまでも、根っこは善人っぽかったし……いやでも、連れて来てた『
諸々の可能性……そもそもその方法で、詳しい事情がわかるかどうかもわからない、ってことも含めて説明したわけだけど……ボニーはノータイムで『頼む!』とうなずいた。
……ぶっちゃけ、こうなることは半ばわかっていた。
彼女、覚悟決まりすぎだもんなあ……
あまりに必死で、健気で、可哀そうで……一時期、私の娘達が妹みたいに大事に扱ったりいたわったりしてた時期があったくらいだもんな。
結局そのまま6番目の娘に……という展開にはさすがにならなかったけど。
ともあれ、彼女の覚悟も確認できたということで……私は、くまの目の前に進み出て……
「“
……成功。
くまの体が、本のようにパラパラとめくれて、『読める』ようになっていく。
この技は、使えさえすれば、本人が忘れている記憶であっても閲覧できる。体に刻み込まれ、体が覚えている記憶を閲覧するから。
けど……すでに死んだ人間に、死体に対して使うことはできない。人は死ぬと、『本』の記述も全て消えて読めなくなってしまうから。
くまの場合、『改造されて自我を失い、人間としては死んでいる』という状態――他ならぬボニーが言っていたセリフである――が、どっちに転ぶかわからなかった。
心臓も動いているし、肉体的には一応生きている。けれど、1人の人間としてきちんと生きているとは言えない。正直、賭けだった。
結果は、さっき言った通り成功した。
これでもしかしたら、彼に何があったのか。どのようにして記憶や人格を失うことになったのか……その情報、あるいは手掛かりが手に入るかもしれない。
そう思った私達は、さっそくそれを探るためにくまの『本』を読み進めて……
その、お目当ての情報を知るよりも先に……
……創作物なんかが及びもつかないくらいに残酷で、醜悪で、悪辣な……人間の持つ、底なしの『悪意』を、
そして、それに振り回されたくま
……とりあえず……天竜人は滅べばいいと思う。