「私は明日は、仕事で留守にするからな」
次の『虚無の曜日』を迎える前日の夜に、ネイはルイズにそう言った。
ルイズはそれを聞いて、目を瞬かせる。
「仕事……って。この間あんたが言ってた、荒事ってやつ?」
「そうだ」
朝のうちに出発して、いつまでかかるかはわからないが、まあその日のうちに戻る予定ではいる……と、ネイは説明した。
「先日行った斡旋所で、初仕事にはちょうどよさそうな依頼を回してもらえたのでな。明日、取り掛かる約束にしてある」
「そりゃ、まあ。あんたの自由にしていいけど……」
それを聞いて、ルイズは心配そうに顔をしかめる。
「……この間も言ったけど、無茶な仕事は受けてないでしょうね?」
ネイは、笑って頷いた。
「ああ。心配は要らん、ただのオーク討伐だそうだ」
「そう、それなら……って、ちょっと!?」
ルイズはそれを聞くと、軽く目を見開いて身を乗り出した。
「お、オーク鬼ですって? それのどこが初仕事によさそうな依頼なのよ。オーク鬼は、手練れの戦士五人に匹敵するって言われてるくらいに危険な亜人なのよ!」
ネイが人間大のゴーレムを殴り飛ばせるほどの力を持っていることはルイズも知っているが、オーク鬼だって、平民の戦士などとは比較にならないほどの力を持っているのだ。
身の丈は二メイルほどもあり、体重は標準の人間の優に五倍。
もちろん、それに見合った筋肉量がある。
武器を使うだけの知性もあり、大きさが人の体ほどもある棍棒などを振り回して、人間やドット・レベルの貧弱なゴーレム程度ならば一撃で粉砕してしまう。
その上、筋肉のみならず分厚い脂肪の鎧に身を包まれてもいるためにしぶとく、メイジの呪文でさえそれなりに強力なものを使わなければ致命傷にならない。
ライン・クラスのメイジであっても、一対一ならばともかく、複数体を同時に相手取るのは危険とされているほどだった。
その上、オーク鬼は、群れを成す習性がある亜人なのだ。
「そうか?」
ネイからしてみれば、オークなどは自分たち四天王が率いていた闇の反逆軍団の雑兵でしかなく、侮るのは禁物であるにもせよ、そんなに恐れるような相手かという感じなのだが。
まあ、戦闘経験などないであろうルイズなら、危険な相手として恐れるのもおかしくはないだろうか。
(あるいは、この世界のオーク鬼とやらが、中央メタリオン大陸のオークどもとは別物なのか……だな)
メタリオンのオークはエルフ以外のすべての種と交わって子供を産む繁殖力の強さで悪名高いが、戦闘力は人間と大差ない。
人間の戦士の五倍というなら、それよりはかなり強い種なのかもしれない。
そんな、まるで危機感がないネイの様子を見て、ルイズはぶすっとした顔になった。
「……数は、どのくらいなのよ」
「数か。正確には知らんが、十数体はいるだろうという話だったな」
ネイがさらりと答えると、ルイズは顔色を変えた。
「そ、そんなのあんたがいくら強くても勝てるわけないでしょうが! 止めときなさいよ、そんな無理難題な仕事なんて!」
ルイズにそう食って掛かられたネイは、少しばかりむっとしたように顔をしかめた。
たかだか十数体のオークを相手にするくらいのことで、勝てるわけがないなどと言われるとは。
この世界のオーク鬼とやらがそれほどまでに強い化物なのだという可能性もゼロではないが、おそらくそうではあるまい。
(この間の馬鹿な連中といい。どうも私は、ここでは相当低く評価されているらしいな……)
不本意なことではあるが、まあルイズに文句を言っても仕方がない。
とりあえず安心させてやろうと思って、ネイはなだめるような優しい調子で、彼女に話しかけた。
「心配してくれるのはありがたいが、大丈夫だ。それに、私一人でその仕事を受けるというわけでもないのだからな」
「えっ?」
ルイズは、きょとんとした顔になった。
「それって、誰か他の冒険者だか傭兵だかと組んで、大勢で討伐に行くってこと?」
それならば確かに、無理難題というわけでもないかもしれない。
討伐隊の面子にもよるが……。
「そう。それで、誰が一緒に行ってくれるの。貴族くずれのメイジとか?」
「いや、貴族くずれではない、現役の貴族だ。キュルケとタバサが協力してくれる、ということになったのでな」
これで文句はあるまいと、ネイがふっと笑ってそう答えると。
途端に、ルイズの表情が固まった。
「……は?」
この後、一体どういうことだと詰め寄るルイズに対してネイが事の次第を説明したところ、納得して安心してもらえるどころかぎゃあぎゃあと喚かれる破目になり。
自分の実家であるトリステイン有数の大貴族ヴァリエール家と、キュルケの実家であるゲルマニアのツェルプストー家とは先祖代々の仇敵同士なのだというような話を、延々と聞かされ。
最終的に、「主人としてそんな危険な仕事に使い魔だけ行かせるわけにはいかない、ましてやキュルケに借りを作るなんて冗談じゃないから、私も行く」という話になって、結局ルイズも同行させることになったのだった。
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翌日、『虚無の曜日』の朝に、討伐に向かう一行は学院の中庭に集まった。
休日ということもあってまだ寝ている者も多いのだろう、人の気配はほとんどない。
あらかじめ学院の厨房に頼んで作ってもらった弁当を持って、タバサの使い魔であるシルフィードの背に跨る。
「あんたが来ても、役には立たないと思うけど」
キュルケがルイズを見て、ずけずけとそんなことを言った。
「危ないし、ここに残ってた方がいいんじゃないの?」
ルイズがそんなキュルケをきっと睨んで、薄い胸を張る。
「使い魔が危ないところへ行くのに、自分だけ残ったりするもんですか。オーク鬼なんて、私の魔法で退治してみせるわ」
「魔法? 『ゼロ』のルイズが?」
キュルケは肩を竦めて、皮肉っぽく笑う。
「そういうところが危ないって言うのよ。無謀なことをして、ネイの足手まといにならないようにね」
「誰が……!」
いきり立つルイズとキュルケの間に、ネイが割って入った。
「前に立つのは私の仕事だ。元々、私の請けた仕事でもあるからな。お前たちは、私を巻き込まないようにだけ気を付けて、後ろから魔法で援護をしてくれればいい」
我関せずと本を読んでいたタバサが、一瞬だけちらりと、そんなネイの方に視線を向けた。
「…………」
先日の決闘もどきは、彼女もキュルケと一緒に現場で見ていた。
普段ならそんなバカげたことに興味はないのだが、召喚されたハーフエルフが戦うという話を聞いて、足を運ぼうという気になったのだ。
もしかしたら先住魔法とか、亜人の戦い方が見られるかもしれない、参考になるかもしれないと考えて。
その結果は、タバサの想定を大きく超えるものだった。
魔法も何も使わずに金属ゴーレムを殴り飛ばし、倒されたと思えば次の瞬間には相手の横に立っていた。
そして、瞬時に二本の杖を切り落とした、あの鋭い剣閃。
(只者じゃない)
どこかに魔法があったのか、それともすべてが体術や武芸だったのか、それさえも定かではなかった。
自分は故あってしばしば危険な任務を受けている身だが、もしも同じような敵に出会ったとしたら、はたして勝てるかどうかわからない。
(なるべく早いうちに、ちゃんと見極めなくては)
そんな風に思っていたので、キュルケの頼みは渡りに船だった。
自分も戦闘の経験を積めるだろうし、彼女の戦い方を間近で見ることもできる。
あんな、戦い方の基本も知らないバカな学生メイジなどではなく、危険な亜人を相手にするところを見られれば、手の内ももっとよくわかることだろう。
そうこうしているうちに、一行は目的の場所についた。
その、森の側にある比較的小さな村に住んでいた人々が、今回の仕事の依頼者である。
ある日、オーク鬼の群れが村を襲い、人々は這う這うの体で村を捨てて逃げ出してきたのだ。
もちろん、彼らは領主に訴えて、兵を派遣して亜人を討伐してくれるよう頼んだ。
しかし、十体を超える数のオーク鬼は田舎の小領主にとっては厄介な相手で、相応の兵力を割かなくてはならないし、犠牲も出るかもしれない。
ちっぽけな村一つを取り戻すのに割が合わないと判断したのか、なかなか取り合ってはくれなかった。
だが、大した金も持たない村人たちには、いつまでも肩身の狭い思いをしながら他の土地に宿を借りて待っていることはできない。
「今は十分なお礼はできません。しかし、村を取り戻せれば、今期に領主さまに納めるはずだった税金は、残らず協力してくださった皆さま方にお渡しします」
村長はそう約束した。
いざという時に助けてくれぬ領主に払う税などないというわけだが、後で罪に問われる可能性もあることを考えれば、なかなか大胆な決断である。
ネイは斡旋所で示されたその条件で納得して、今日、オーク鬼どもをこの村から一掃しようと請け負ったのだ。
「さて……どんな手でいきましょうか?」
村の上空を旋回してざっと様子を窺いながら、キュルケがそう呟いた。
見える限りの範囲には、オーク鬼の姿は二体だけ。
それぞれ別々の方向に向かって見張りをしているようだったが、空までは見上げておらず、自分たちの存在に気付いた様子はなかった。
オーク鬼は夜行性の傾向が強い亜人なので、残りは日中は建物の中に入っているのだろうが、その建物がどれなのかまでは外部からではわからない。
「どんな手、と言われてもな」
ネイは首を傾げると、眼下のオーク鬼の姿をじっと見つめた。
ハーフエルフは目がいいので、あまり詳細に観察したいような相手でもないが、細部までよく見える。
(なるほど、メタリオンのオークよりもかなり大柄だな)
特に、横方向に太いようだ。
ゴブリンとホブ・ゴブリンの違いのようなものだろうか。
見た感じからして、確かに並の人間の戦士よりは強そうではある。
「連中を一掃するのが仕事なのだから、まずは表にいる二体を片付けて、それから家々を順に回るしかないだろう。一体も残っていないことを確認せねばならんからな」
そんなネイの提案に、他の三人は顔を見合わせた。
「もうちょっと何か、考えた方がよくないかしら?」
「そうよ。相手はオーク鬼なのよ!?」
キュルケとルイズが珍しく同調する。
タバサは本を閉じて、小さく首を傾げた。
「……罠を張って、おびき寄せるとか」
それに対して、ネイはむっと顔をしかめた。
「私はちゃんと考えている。見張りが立っているということは、大方他の連中は寝ているのだろうからな」
ならば、見張りの二体を騒がせず、速やかに即死させ、後は家々を外部から静かに回って、中にオーク鬼がいるようなら奇襲をかければよい。
村を取り戻すのが依頼なのだから家ごと焼くとかそういったことは控えた方がいいだろうが、なんにせよ先手を打てるのだから、圧倒的に有利な状況で戦えるはずだ。
下手におびき寄せようなどとすれば、見張りが声をあげて他の連中を起こしてしまってかえって厄介なことになるだろうし、そもそも罠の仕掛け方など専門外なので大したものは作れそうにない。
ネイはルイズらに、そういった旨の説明をしていった。
「……でも。二匹とも声をあげる間もなく仕留めるなんてこと、できるの?」
そんなルイズの疑問に、ネイはすっとデルフリンガーを抜いた。
絶対にうるさく騒ぐなよ、と言い聞かせながら。
「上空から奇襲する。私がここから降りて、右手側に見えるやつを片付ける。お前たちは、左手側のやつを仕留めてくれ」
「わかった」
タバサが頷いたので、ネイはさっそくデルフリンガーを構えると、右手側のオーク鬼をめがけてシルフィードから飛び降りた。
その体にタバサが『レビテーション』をかけて、普通の人間が死なない程度にまで、降下の速度を緩やかにする。
(……別に、こんなものは要らなかったのだが……)
ネイはそう思ったものの、せっかくかけてくれたものなので、黙って受け入れることにした。
本来なら一気に降下して、頭頂から股下までを両断して即死させるつもりだったのだが、まあ緩やかに降下するならするで、それを利用して隠密に接近すればいい。
一方で、タバサはシルフィードに指示を出すと、村の反対側の方にいるもう一体のオーク鬼に向けて、静かに降下させていく。
これまでは見つからないようにかなりの上空を飛んでいたのだが、攻撃するためにはある程度近付かなければ、呪文が届かないのだ。
「ふぅぅ……」
真下に見えるオーク鬼の姿が、大きくなってくる。
ネイは、すうっと呼吸を整えた。
(もらった!)
間合いに入ると同時に、すかさず剣を振るう。
その瞬間、オーク鬼は何か異変を感じたのか、上空のネイに目を向けた。
だが、驚いて目を見開き、叫ぼうと開いた口からは、ぴぎっというかすれた豚の鳴き声のようなものが、かすかに漏れただけだった。
その時には既に、オーク鬼はデルフリンガーの刃によって、一刀の下に首を刎ね飛ばされていたのだ。
「……むう?」
首尾よく見張りを倒したネイはしかし、怪訝そうに顔をしかめて、手元のデルフリンガーを見つめた。
「おい、デルフリンガー」
「なんでえ、ハーフエルフの姉ちゃんよ」
「お前には、雷の避雷針になるような働きか、魔法を吸収するような作用でもあるのか?」
彼女がそんな疑問を抱いた理由は、今の一撃を振るった際、デルフリンガーに纏わりつかせた雷が刀身に吸収されたように感じたからだった。
雷精と親和性の高いネイは、剣技や闘技を振るう際には特に呪文などを使わなくても、自然とそれに雷撃を伴わせることができる。
レベルこそ大きく違うが、上位の天使や魔神が単に拳を振るったりするだけで魔法的な効果を引き起こすのと、まあ似たようなものだと言えなくもないだろう。
「うん? あー、そういや俺、そんな力があったような……」
「なんだ、はっきりしないな」
「しょーがねーだろ、こちとら六千年も生きてんだからよ。そりゃあ、ちょっとは物忘れもすらあな」
「ほう。六千年も……」
ネイが興味深そうに、デルフリンガーの刀身を指でなぞっていた、ところに。
村の反対側から、どぉぉん、という爆音が聞こえてきた。
「……あいつらめ」
静かに仕留めろと言っただろうに。
ネイが額に指を当てて顔をしかめる中で、村のあちこちの家から、オーク鬼の唸り声が聞こえてきた。
(まあいい)
それならば、正面から全滅させるまでのことだ。
そう気持ちを切り替えると、ネイは軽く体を解して、交戦の準備を整えた。