「結局、フーケは見つからなかったわね……」
帰りの馬車に揺られながら、キュルケはそう呟いた。
「あのゴーレムを潰すのが早すぎたな。大方これ以上戦い続けても益はないと見て宝の奪還を諦め、木々の間に姿を隠しながら退散したのだろうよ」
荷台に背を預けながら『破壊の教典』に目を通しているネイはそう言ったが、胸中ではそれとは違うもう一つの説明も考えていた。
と、いうよりも、おそらくそちらの方が可能性が高いと踏んでいるのだが。
「……」
ルイズは、いささか疲れた様子で黙って手綱を取っているロングビルの方に、ちらりと目をやった。
それから問いかけるように、ネイの顔を見る。
『どこぞに消えたロングビルの動向には、くれぐれも注意しておけ』
ネイは先ほど、ルイズをシルフィードに渡す前に、彼女の耳元でそう忠告を囁いたのである。
すなわち、ロングビルこそがフーケであるか、またはその内通者であるかもしれないと仄めかしたのだ。
ルイズは決して頭の回転が鈍い娘ではなく、一旦その可能性に気付かされれば、それが十分にありえる話だということはすぐにわかった。
(このまま何もせずに、ほっといていいの?)
目でそう訴えてくるルイズをネイはちらりと見て、軽く肩を竦めた。
今のところは、証拠があるわけでもなし。
妙な動きがないかにだけは気を配らなくてはならないが、この先何も起こらないようなら、無理に真相を突き止めるまでもあるまい。
一応は知人でもあることだし、別に嫌いな相手というわけでもない。
オスマンの言っていたように、フーケを捕まえれば貴族ならば名も上がるのだろうが、異邦人かつハーフエルフの自分は、そんな名声などとは無縁の身だ。
成果を上げれば上げるだけ周囲からの恐れややっかみが増すだけに決まっているのだし、そうでなくとも名声など、別に欲しくもない。
「秘宝の奪還については、学院長殿からそれなりの報酬は出ることだろう。危険というほどの危険があったわけでもない、それで十分だ」
「一般的には、十分危険だったような気がするんだけど」
ネイの言葉を受けて、キュルケが苦笑いをする。
御者台のロングビルなどは苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、その表情は誰からも見えていない。
「…………」
タバサは自分の本を開いていたが、その視線と注意はネイの手にある本に向けられていた。
自分も少し目を通してみたが、中の文字が未知のもので解読できなかった。
しかし、どうやらネイには読めているらしい。
「何が、書いてあるの」
彼女が短くそう尋ねると、ネイは顔を上げて、小さく頷いた。
「まだ、すべては読んでいないがな。主としてある特定の邪神と交信するための方法や、生贄を捧げるための手順などが書いてあるようだ」
「……は? 邪神?」
キュルケが、きょとんとしたような顔になり。
ルイズは、怪訝そうに顔をしかめた。
「何よそれ。つまりは、おかしなカルト宗教の教典ってこと?」
「お前が何をもってカルトと言っているのかは知らんが、まあ、そんなようなものだろう」
ネイはそう言いながら、小さな像の方を弄ぶ。
「これは、その神を象った偶像だな。携帯用の簡易な物だろうが、これに対して本に書かれた作法に則って礼拝を行うらしい」
「マジックアイテムじゃないの?」
「黄金製のようだが、特に魔力は感じないな。教典も同じだ。それ自体がマジックアイテムというわけではない」
ネイがそう言うと、キュルケはなあんだ、とつまらなさそうな顔をした。
「なんでオールド・オスマンは、そんな胡散臭いものを学院の秘宝だなんて言ってたのかしら?」
「さて……そこまではわからんな」
そう答えながら、ネイは本のページをめくっていく。
「しかし、お前たちは胡散臭いというが……。これはちゃんと使える内容のようだぞ?」
「へっ?」
「読む限り、著者には間違いなく魔術に関する知識がある。あまり体系化された知識を持っているわけでもないようだがな。少なくともこの本に記載された邪神との交信法自体は、本物とみて間違いなかろう」
それを聞いて、ネイ以外の面々は困惑した様子で、顔を見合わせた。
「本物、って。邪神だとか、そんなものが本当にいるっていうのかしら?」
「妖精とかと同じ、伝説上の存在じゃないの?」
「……そうか……」
ネイは、この世界の系統魔法には暗黒魔術や古代語魔術のような、異界の存在との契約を行う術が存在しないらしいことを思い出した。
ルイズの術は自分を呼び出したのだから、系統魔法でも原理的にそうした異世界の存在との接触は可能ではあるはずだが。
おそらく邪神とか悪魔とか天使とかいったものは、存在自体が迷信、伝説の類と考えられているために、そもそもそういうことをしようという概念、発想がないのかもしれない。
「……邪神とは太古の戦いにおいて、現在では唯一神と呼ばれている神に従う軍勢によって放逐され、忘れ去られていった辺境の、土着の神々だ。精霊と同一視されたり、地方によっては妖怪などと呼ばれていることもあるが」
ネイは本の文章を指でなぞりながら、独り言のように説明をしていく。
たとえば美の女神イーノ・マータや、慈悲深き癒しの神。
地獄に封じられ、今では悪魔や魔神と呼ばれている者たちもいる。
神に反旗を翻して追放された堕天使たちも、その中に含まれているという。
「そうした古代の神々と精神的な接触を図り、信仰や供物を捧げることで、見返りを得ようとすることができる。私の居た場所で暗黒魔術や古代語魔術と呼ばれる魔法体系の中には、そのようにして得られた呪文も含まれている。異界の存在を直接呼び出す場合は、召喚魔術の分類になるが……」
そう言われても、ルイズらは狐につままれたような顔をしていた。
あまりにも彼女らの既存の知識にない話だったので、無理もないことだろう。
「……なんか、にわかには信じがたいような話なんだけど」
「そうね。正直なところ、どうにもオカルトっていうか、カルトっていうか……」
「学院長が秘宝に指定したという事実がある」
ルイズとキュルケはよく言って半信半疑という様子だったが、タバサは少し考えてそう指摘する。
そうである以上は、少なくともただのガラクタではないはずだ。
「それはまあ、そうでしょうけど……」
「そういえば学院長は、一体どういう経緯でこの本と像とを学院の秘宝にされたのかしら?」
キュルケに話を振られて、ロングビルが答える。
「私も、詳しくは存じ上げませんが……。その秘宝を使って命を救ってくれた、恩人の遺品だというような話を聞いておりますわ」
「これを使って、学院長の命を?」
「それってさっきあなたが言ってたみたいに、邪神を信仰する見返りに力を与えてもらった、ってことなのかしら?」
「おそらくはな」
ネイは本を閉じて、脇に置いた。
「どういった経緯で出会ったのか、その恩人とやらが何者なのかを、戻って学院長殿に聞くのが良かろう」
「そうですわね……」
ロングビルはそう言って頷いたが、内心では苦々しい思いを噛み締めていた。
予想を遥かに超えるネイの強さに自慢のゴーレムを呆気なくやられてプライドが傷ついた上に、それだけの危険を冒してまで盗み出そうとしていた学院の秘宝が、得体の知れないカルト教典の類だったとは。
本物だか何だか知らないが、そんなものは自分にとってはまったく無用の代物だし、おおよそ買い手などもつきそうにない。
(まあ、ドジ踏んで、捕まらなかっただけでもマシか)
盗んだ品を奪い返されたことでフーケの名にはいささか傷がついたが、再度同じ宝を、あるいは宝物庫の中の別の宝を狙うというのは、危険が大きい。
このあたりでは大分警戒も強まってきたし、めぼしいお宝も少なくなってきた。
河岸を変える、いい機会かもしれない。
(……いや、いっそのこと、このままこの仕事を続けてもいいかねえ?)
ゆえあって故郷のアルビオンへは継続的にそれなりの額の仕送りをしなくてはならないのだが、これまでの稼ぎもあるし、現在の仕事はなかなか給料がいい。
伝統ある魔法学院の学院長秘書ともなれば、酒場の給仕の仕事などとは雲泥の差だ。
少なくとも当面は、困るということはないだろう。
学院長のセクハラはうっとおしいが、適当にあしらえば大きな問題はないし。
貴族社会への復讐がてらこんな仕事をしてきたが、このあたりで後ろ暗くない、故郷の妹に対して胸を張って名乗れる職業に就くというのも、悪くはないかもしれない。
(……うーん……)
まあ、すぐに決めなくてはならないことでもない。
当面はこの仕事を続けて事件のほとぼりが冷めるのを待ちつつ、頃合いを見て去るか残るか決めることにしようと、ロングビルは結論した。
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・
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学院長室で、オスマンは帰還した五人から、事の次第の報告を受けていた。
隣には、コルベールが控えている。
「ふむ……フーケには逃げられたか……」
オスマンは目を細めて髭を撫でながら、机の上に置かれた『破壊の神像と教典』を見つめる。
「まあ、仕方があるまい。それよりもこうして秘宝も戻り、君たちも全員が無事だった。そのことが何よりの朗報じゃ。よくぞやってくれた」
彼がそう言うと、ルイズら三人は、誇らしげに礼をした。
ロングビルは控えめに会釈し、ネイは軽く頷く。
オスマンは生徒らの頭を順に撫でて、言葉を続けた。
「我が校の誇りじゃ。君たちの働きについては、宮廷にも必ずや報告をしておこう」
それを聞いて、三人は顔を輝かせる。
フーケの捕縛ができなかった以上は爵位とまではいくまいが、学生の身で危険を冒して世間を騒がす凶賊と勇敢に戦い、秘宝を取り戻したことは事実。
いくばくかの報奨や称賛のお言葉くらいはあるかもしれないし、最低でもある程度宮廷の覚えが良くなることは間違いないだろう。
これから名を挙げていこうとする若き貴族にとっては、それも重要な恩恵である。
「ミス・ロングビルには、昇給と、学院からの臨時賞与を出すことにする」
彼女は貴族の身分を無くした者なので、宮廷には併せて報告はするが、報酬は期待できそうもない。
そこで、オスマンを含む他の教職員一同はこの度の責任を負って当面の間減給処分であるから、その分を宝物庫の修理費用と彼女へのボーナスに回そうというわけだ。
「ありがとうございます、光栄ですわ」
そう説明を受けたロングビルは、少なくない額の臨時収入が得られるであろうことにまんざらでもなさそうな、それでいてどこか複雑そうな、奇妙な笑みを浮かべて一礼する。
「……あの、オールド・オスマン。ネイには、何もないのですか?」
ルイズは聞くもおろかなことだとは思いながらも、そう尋ねてみた。
もちろん生徒の使い魔であり亜人でもある者、それもハーフエルフなどに対して、正式な恩賞が出るわけがない、それが当たり前だ。
しかし、キュルケも頷いて口をはさんだ。
「そうですわね。今回の件では、彼女が一番活躍していたと思いますわ」
「なにか得るのが妥当」
タバサまでがそれに同調する。
オスマンはちょっと困ったように眉根を寄せて、考え込んだ。
「ふむ……。私としても、何か礼はしたいと思っているが。さて……」
「別に金や地位などは、無理に出してもらわんでもいいがな。いくつか聞きたいことや、希望したいことはある」
ネイはそう言うと、オスマンの前に置かれている、神像と教典に目をやった。
彼の隣にいるコルベールは、特に口をはさむでもなかったが、ネイの話を楽しみにしているように見える。
「その秘宝とやらはおそらく、私が元いた世界から来たものだ。教典がこちらの世界の文字で書かれていたからな。先程聞いた話では、学院長殿の恩人の持ち物だったということだが……」
具体的には、どんな経緯で手に入れたのかと。
そう尋ねられたオスマンは、目を細めて、ゆっくりと話し始めた。
「もう、三十年ほども前になるか。森を散策しておった私は、不意にワイバーンに襲われて不覚を取り、命の危機に陥った。そこを助けてくれたのが、その秘宝の持ち主であった」
オスマンは黄金の小像に目をやって、話を続ける。
「彼は自らの指を噛み千切って小像の口に血を入れ、掲げ、教典を開いて祈るような詠唱をした。荒れ狂う黒い光のような魔力が像から迸り、ワイバーンを捉え、その体が光に絡み付かれた場所から崩れていった」
その男は、苦しんで悶えるワイバーンを見て、勝ち誇って哄笑した。
しかし、それは油断であった。
苦し紛れに振るわれたワイバーンの毒針を持つ尾がその男を捉え、横薙ぎに跳ね飛ばした。
「その間に態勢を立て直していた私は、呪文を唱えてワイバーンにとどめを刺すと、呻き苦しむ彼を学院に運んで手厚く看護した。しかし、助からなかった……」
オスマンは話しながら、遠い目になった。
「彼はベッドの上で『主の御意思をこの世界に広めねば』『さらなる力を授かりて元の世界へ帰還せねば』などと言うようなことを、死ぬまでうわごとのように繰り返しておった。本に書かれた言葉は私には読めなかったが、その言葉から彼がなにがしかの信仰をもっておる異郷の民で、大事に抱えていた像や本は神像、教典の類なのであろうと推測できた。ゆえに、私はそれらの品を『破壊の神像と教典』と名付け、宝物庫にしまい込んだのじゃ。恩人の形見としてな……」
話し終えると、オスマンは溜息を吐いた。
「おそらく、彼は君と同じ世界から来たのじゃろうな。どうやってかは、わからんが」
「そうか……」
ネイは目を細めて、神像と教典とを見つめた。
もしも、この教典で接触できる邪神が、自分の信徒を異界に送り込み、また帰還させることができるような力を持っているのであれば、利用しない手はない。
接触を計り、協力を取り付ければ、元の世界へ還ることができるだろう。
「興味深い話だ。もう少し詳しく調べてみたいのだが、この神像と教典を使ってみても構わないか?」