「……っ!」
ネイは、意識が戻ると同時に、かっと目を見開いた。
倒れていた状態から、素早く跳ね起きる。
どうやら転移門に引き込まれて空間を飛び越えたことで、しばしの間人事不詳の状態に陥っていたようだ。
「きゃあっ!?」
彼女のすぐ目の前に立っていた少女が、それに驚いたような声をあげた。
ネイは油断なく身構えながら、その姿を観察する。
(……人間のようだが……、奇妙な外見だな……)
目の前の小娘は、黒いマントを身に付け、その下には白いブラウスとグレーのプリーツスカートを着込んでいる。
見慣れぬものだが清潔で高級そうなその装いからして、少なくともそこらの村娘などではあるまい。
容姿は、桃色がかったブロンドの髪に、透き通るような白い肌、鳶色の目。
年の頃は、おそらく十五になるかならぬかといったところだろう。
美少女と言って差し支えないであろう見た目だが、メタ=リカーナのあたりに住んでいる人々とは、面立ちなどの特徴が大分違う気がした。
(何者だ? カルやアビゲイルの手の者、とも思えんが……)
そんな風にネイが考えていた間、相手の少女の方もまじまじと、彼女の姿を凝視していた。
特に、人間のそれよりも明らかに尖った耳のあたりを。
「あ、あんた……。亜人、よね?」
そう尋ねる声は、少し震えている。
ネイの尖った耳を見て、もしかしてこいつはエルフなんじゃ、と思っているのだ。
ここハルケギニアでは、エルフは彼女らメイジと古の時代から敵対し続ける、最強の妖魔として恐れられているのである。
「むっ……」
ネイは答える前に、周囲にさっと視線を走らせた。
豊かな草原が広がっており、遠目に石造りの城のような建物が見える。
目の前の少女と同じ黒いマントを身につけた人間たちが、少し離れたあたりに大勢立って、こちらの様子を伺っていた。
さらに、様々な動物や、魔獣らしき生物の姿も見える。
まだ成体ではないようだが、ドラゴンらしきものまでいるようだ。
周囲の人間たちはこちらに対して、警戒、恐れ、敵意などの感情を持っているように見えた。
「…………」
しかし、ネイは一通りの様子を確認すると、すっと構えを解いた。
見る限り、周囲の者たちはこちらに友好的ではないようだ。
その多くが魔法使いのものらしい杖を手にしており、実際に魔力を感じるので、ただの無力な人間というわけでもない。
だが、総じて年端も行かぬ連中で、大半はろくな戦闘訓練も受けていないことがひと目で見て取れた。
こちらの動向から目を離さずにいるでもなく、無警戒にも仲間同士で顔を見合わせあって、ひそひそと話しているような者さえいる。
(それなりに腕の立ちそうな者も、いないではないがな)
最も手練れなのは、他の者たちよりも明らかに年配で何かあればすぐに割って入れるようこちらから目を離さずに身構えている、目の前の少女の次に近い距離にいる男だろうとネイは見積もった。
ここにいる連中の、指導者か何かだろうか?
なんにせよ、即座に仕掛けてこないあたりからして、少なくとも自分を呼び出して害しようというような意図ではなかったようだ。
周囲の者たちは明らかに事態に戸惑っており、これは彼らにとっても不測の出来事だったように思える。
戦って勝てないような相手とも思えないが、ここがどこかも、自分が一体何に巻き込まれたのかもまだよくわかっておらず、戦闘準備も整えていない今、無闇に事を荒立てるのは得策ではあるまい。
(戦の装束はともかく、せめて雷神剣を持ってきていればな。しかし、いざとなれば、『
「……どう思う、タバサ」
ざわついている生徒らの中で、褐色の肌と豊かな胸、燃えるような赤い髪を持つ長身の女性が、近くにいるそれとは対象的な体つきをした、眼鏡を掛けた水色の髪の少女に小声で話しかける。
一見悠然としているようだが、話すときも相手の方に顔を向けたりせず、杖を手に持ったままネイの動向から目を離さない。
「ルイズの召喚したあの亜人、やっぱりエルフなのかしら?」
「わからない」
タバサと呼ばれた少女の方は、短く呟くように、そう答えた。
一見ぼんやりした様子だが、こちらも開いていた本を閉じて、事の成り行きに注意を向けている。
「ただ、仮にエルフだとしても。この状況で、どうにかできるとは思えない」
「そうね」
褐色の肌の女性、キュルケとしても、それは同感だった。
エルフは遥か昔、始祖ブリミルの時代から、人間、ことに自分たちメイジと敵対してきた、最強とされる妖魔だ。
幾度も聖地を巡る戦争が行われたが、こちらの数が相手の十倍はなければ勝利は見込めないとまで言われている。
しかし、逆に言えばそれだけの数がいれば、勝てない相手ではないということだ。
鍛えられた軍人ではないとはいえ、この場には数十人のメイジがいる。
それに、エルフの強さは何よりもまず強大な先住魔法だが、それは契約を結んだ精霊の力を借りることで行使するもの。
精霊との結び付きが強い自分たちの縄張りを守る際には無類の強さを発揮するが、召喚されたばかりの未知の土地ではその真価を発揮できないはずだ。
(とはいえ、油断は禁物だけど)
あんたって子は、毎度毎度魔法を使う度にやらかしてくれるわね、と。
キュルケは内心でルイズに、先祖代々の仇敵であるヴァリエール家の娘に対して、そう毒づいていた。
「ど、どうなの。答えなさいよ! それとも、言葉がわからないとか?」
目の前の桃色の髪をした少女が、精一杯に薄い胸と虚勢を張ってもう一度そう尋ねてきたので、ネイは彼女の方に顔を向けた。
「
「じゃ、じゃあ」
やっぱりエルフなのか、とルイズが聞こうとしたところで、先にネイが答えた。
「私はハーフエルフだ。
「は……、ハーフエルフですって?」
ルイズはそれを聞いて、ぎょっとしたような顔になった。
闇エルフというのはよくわからなかったが、ハーフエルフなら知っている。
よりにもよって、人間とその仇敵たるエルフとの間にできた、忌まわしい血を引く子供。
存在が発覚した場合は、迫害や幽閉で済めば良い方で、異端審問あるいは私刑にかけられて殺されるのもいたって当たり前のことだ。
「そうだが……」
ネイはそう言いながら、ちらりと周囲の者たちに視線を走らせた。
彼らは自分の言葉に、様々な反応を示している。
ざわついて、ひそひそとささやき交わし合っている。
その中には、警戒や恐怖から解き放たれて安堵する者もいれば、代わりに露骨な嫌悪や侮蔑、嘲笑の視線を向けてくる者もいるようだ。
ネイはわずかに顔をしかめて、ふんと鼻を鳴らした。
嘲りや迫害を受けるのにはとうの昔から慣れてはいるが、だからといってもちろん、愉快なわけではない。
「……別に、お前たちのような子供に、どう思われようと構わんがな」
そう言って、じろりとルイズを睨む。
「私のことをとやかく詮索する前に、まずはそちらからも、少しは説明したらどうなのだ」
「せ、説明?」
「そうだ。ここはどこで、何の用があって私をここに引き寄せたのかを言え」
「そ、それは……」
「それは、私の方からご説明しよう」
ネイとルイズとの間に、引率役の教師、コルベールが進み出る。
「ここは、トリステイン魔法学院だ。こちらのミス・ヴァリエールを含む学生たちで使い魔召喚の儀式を行っていたのだが、君はそれと知らずにゲートを潜ったということか?」
そんなコルベールの説明を聞いて、ネイが眉根を寄せた。
聞いたことのない言葉ばかりだったからだ。
「どうなんだね?」
「……ああ、知らなかったな」
ネイはそう言うと、言葉を続けた。
「もう少し教えてもらいたい。お前たちは、メタ=リカーナや、ア=イアン=メイデといった地名を知っているか?」
「メタ……? いや、聞いたことがない名だ」
「どこの田舎よ?」
「……このあたりはずいぶんと平和そうな様子だが、戦争は起こっていないのか? そういった噂を聞いたことは?」
「戦争かね。もちろん、アルビオンでは不穏な情勢が続いているようだが。今のところ、このトリステインにはまだ戦火は及んでいないな」
「……そうか……」
ネイはこめかみのあたりを押さえて、軽く頭を振った。
「どうやら、とてつもなく遠くへ来たらしいな」
それを聞いて、コルベールが小さく首を傾げる。
「君は、どこに住んでいたのかね。サハラか、それとも、ロバ=アル=カリイエか……」
「……中央メタリオン大陸だ」
それを聞いて、ルイズもコルベールも顔を見合わせる。
聞いたこともない名だ。
「……どうやら、お互いの存在も知らないほど、遠く離れた地の出身のようだね」
コルベールはひとまず、そう結論した。
気になる話ではあったが、今はまず、それよりも先に解決しなくてはならない問題がある。
そう考えて、彼はルイズの方に向き直った。
「ミス・ヴァリエール」
「は、はい」
「ひとまず、君の『サモン・サーヴァント』は完了した。それで、この後の『コントラクト・サーヴァント』のことだが……」
「召喚に応じておいてなんだが、私はお前たちの使い魔などになる気はないぞ」
横合いからネイが、そう口を挟む。
「そもそも、どういったものかを知らなかったのでな」
ルイズは顔をしかめてちらと彼女の方を見たあと、コルベールの方に視線を戻す。
「あの……。もう一度、召喚させてください」
「それは駄目だ。この、春の使い魔召喚の儀式は神聖なもので、失敗した場合の再挑戦はともかく、一度召喚されてしまった後でやり直すことは認められない」
「で、でも! ハーフエルフを使い魔にするだなんて……」
「ならんと言っているだろうが」
不機嫌そうに、再度口を挟んだネイの方に視線を移して、コルベールが頷いた。
「わかっている。だが、こちらにも事情があるので、少しだけ待ってくれないか」
「……ふん」
ネイは腕組みをして肩をすくめたが、大人しく待つことにした。
まるで勝手のわからぬ土地で、彼らを無視してさっさとどこかへ飛び去っても、後で困ったことになりかねない。
何よりも、彼女の望みは早急に元の隠れ家に戻ってD・Sを待ち続けることである。
そのためには、自分を召喚したらしい目の前の少女に話を付けて、送還させるのが一番だろう。
コルベールはネイが文句を言わないのを確認すると、ルイズの方に視線を戻した。
「ミス・ヴァリエール。春の使い魔召喚の儀式は、すべてに優先するとされている。私には、その例外を認める権利はない」
最初にきっぱりとそう言った上で、言葉を続ける。
「しかし、だ。彼女を君の使い魔にするということが、君の家系や君自身に大きな問題を招きかねないこともよく分かる。教育者として、それを無視して契約を強行する権利もまた、私にはない」
「じゃ、じゃあ……、どうするんですか?」
「無責任なようだが、この場で、私の一存で決めることはできない。学院長の裁定を仰ぐしかないだろう」
コルベールはそこまで話すと、一度他の生徒たちの方に向き直った。
「儀式はこれまでだ。君たちは教室に戻って、次の授業の担当教師が来るのを待ちなさい。それから、ここで起きたことについては、誰にも口外しないように」
生徒たちの反応は様々だった。
ハーフとはいえエルフであるネイに対する恐怖を強く感じていた者たちは、これ幸いとさっさと『フライ』の呪文を唱えて、学院の方に戻っていく。
一方で、エルフとはいえハーフなどは怖くもないと高を括る者や、好奇心から事の成り行きを見届けたいと思っていた者たちは、追い払われることを不満に感じた。
それでも、コルベールが重ねて促すと、彼らもしぶしぶ飛び去って行く。
「その使い魔、あんたにお似合いよ」
「ある意味、メイジ失格の『ゼロ』らしいや」
大胆にも、そんな嘲りの言葉を去り際に吐き捨てていく者さえいた。
ルイズはそんな連中を悔しげにきっと睨んだが、何も言わなかった。
最後に、二人の女子生徒が残った。
先ほどネイがざっと品定めをした限りでは、周囲の生徒らの中でも一番腕が立ちそうだった連中だ。
「どうしたね、ミス・ツェルプストー。それに、ミス・タバサも。君たちも、早く戻りなさい」
そう言うコルベールに対して、燃えるような赤い髪をかき上げながら、キュルケが不敵に微笑んだ。
「あら、ミスタ。ミス・ヴァリエールは歩いて戻らざるを得ないでしょうし、学院長室までは遠いですわ。万が一に備えて、護衛が必要じゃありません?」
タバサは、本を読みながら一言だけ答える。
「付き合い」
それに対して、ルイズとコルベールが顔をしかめた。
「余計なお世話よ」
「何かあった場合の責任は、私が持つ。危険があるとは思わないが、もしそうならなおさらのこと、生徒に付き添わせるわけにはいかん」
二人がそう言うと、タバサは無言でくいと杖を持ち上げて、自分の後ろの方を指し示した。
そこには、彼女が召喚したばかりの、
「ほう……」
ネイは、感心したような声を漏らした。
まだ成竜ではないにせよ、物質界最強の生物とされるドラゴンを従えるとは。
「全員で乗っていけば、早い」
タバサは淡々と説明する。
「早い方が安全」
それに、あえて言うようなことはしなかったが、ドラゴンも一緒に行くのならなおのこと安全だろう。
「……わかった」
コルベールは不承不承、彼女らの提案を認める。
「だが、学院長室についたら、君たちは教室に帰るように」
「ええ、もちろん」
キュルケはにっこりと笑って頷いた。
そうしてルイズ、キュルケ、タバサ、コルベール、そしてネイの5人は、タバサが先ほど召喚したばかりの、心なしか不服そうな顔をしている風竜の背に跨って、一路学院長室へと向かったのだった。