ゼロの雷帝 アーシェス・ネイ異聞録   作:ローレンシウ

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交神

 

「使ってみる、とな?」

 

 オスマンが探るような目で、ネイを見た。

 

「別に、飛竜を殺したとかいう呪文を使ってみようというわけではない。その男が交渉を持っていたという邪神に話を聞ければ、こちらへ来るに至った来歴がもう少しは詳しくわかるだろうからな」

「できるのかね?」

「ああ。戻る途中に、目を通しておいた」

 

 その教典とやらの内容は、要するに別次元に存在するある特定の邪神の意識に対してこちらの精神をつなげ、交信を行えるようにするための手引きだった。

 やり方は、焦点具となる神を模した像さえあれば、決して難しいものではない。

 

「じゃ、邪神だかなんだか知らないけど……。そんな得体の知れないものと話なんかして、大丈夫なの?」

「軽く接触を計る程度なら、特段の問題はないだろう」

 

 眉をひそめるルイズに、ネイはそう請け負った。

 たとえネイほどの術者であっても、単に接触を計るだけでも危険だというほどの強大かつ悪質な神格も、広い多元宇宙には幾らも存在してはいる。

 しかし、先ほどのオスマンの話から察するに、この教典に書かれている邪神はおそらく、そこまで強大な存在ではないだろう。

 なにせ、信徒がその力を借りても、ワイバーンと刺し違える程度が関の山だったというのだから。

 

「私はこれまでにも、何柱もの邪神と実際に接触した経験がある。心配はいらんよ」

 

 それを聞いて、彼女以外の面々は困惑して顔を見合わせた。

 この女性はいったい何者なのだろう、とか。

 やはり最悪の妖魔と呼ばれるエルフの血を引いているだけあって……とか。

 彼らそれぞれの頭に、いろいろな考えがよぎってはいたが。

 ひとまずは口を挟まずに、彼女のしようとしていることを見守った。

 

「ohm ampere ㏈... sine root... perturbation――」

 

 まずは神像を手に取り、聞き慣れない呪文を唱えていく。

 そうしながら、像の口に片手の指を差し入れ、牙に指の腹をぐっと押し付けるようにして、少量の血を滲ませた。

 

『――』

 

 じきに像の目が鈍い赤色に輝き始め、仄かに光る赤黒い靄のようなものと、かすかな獣臭とが漂いだした。

 金属が軋るような、うぉんうぉんと唸るような音が、像から発せられ始める。

 

「ね、ネイ?」

 

 皆が固唾を呑んで遠巻きに見守る中、ルイズは思わず声をかけたが、ネイは返事をしない。

 その時には、彼女は既に交信を開始して、軽い入神状態になっていた。

 

 

-------------------------------------------------------------------------------

 

 

 ネイの精神は、ルイズらのいる魔法学院の学院長室から遥かに離れて飛び立っていた。

 離れるとか飛び立つとかいう言葉が、本当に適切かどうかはわからないが。

 それは物質界における距離の移動のような旅ではないのだから。

 

 

 まずは大きな虚無、無限とも思える濃い暗闇への跳躍。

 やがてその虚無の中に、遥か遠くに揺らめいて浮かぶ映像が現れる。

 映像は他の映像と合体し混じり合い、太陽の光の中で埃の粒子が細かくぶつかり合っているかのようだ。

 ネイの精神はそのような遠方にある無数の映像のひとつに引き寄せられ、近づいていった。

 

(あれが、件の邪神とやらの精神が在る処だな)

 

 彼女はその映像の中に入り込み、その一部となる。

 そこは重力のない空間で、見たこともないような色彩が渦巻き、ありえない形をしていて、熱いとも寒いともつかなかった。

 定命の者にとっては控えめにいっても精神に強い衝撃を受けるような、下手をすれば粉砕されてしまってもおかしくないような経験だろう。

 

  しかし、これまでにも幾度となく他次元界の存在と接触をもってきたネイは、既にこういった空間には慣れていた。

 このような場所では、自分自身の精神で『世界』を作らなくてはならない。

 

「……」

 

 ネイは周囲に渦巻くノイズを無視し、意識を集中させてイメージを形作っていった。

 すると、周囲に渦巻く色彩や温度は落ち着いていき、ネイの体は重力に引かれるようにして、『地面』に降り立った。

 その地面は最初、固体とも液体ともつかぬ、ともすれば濃い漆黒の気体かとも思えるような不確かなものだったが、ネイがイメージを拡げていくと、すぐに穏やかな芝生に変化していく。

 

『何者だ。我が信徒ではないな?』

 

 突然、彼女の思考の中に、低い、唸るような、轟くような声がこだました。

 ネイは反射的に身構えて周囲に視線を走らせたが、どこまでも広がる濃い芝生と灰色の空間以外には何も見えない。

 

(……当たり前だな)

 

 彼女は自分としたことがと自嘲しつつ、今度は目ではなく精神で周囲を探っていく。

 そうするとすぐに、目の前にある巨大な姿に気が付いた。

 めくれ上がった口から長い牙をのぞかせた、猿とも狼ともつかぬ醜悪な顔。

 鎧にも似た硬質の鱗で全身を覆った異形の獣人めいた姿だが、身の丈はネイの軽く三倍ほどもあろうか。

 

「お前が、あの『獣神の書』とやらに書かれていた神か?」

 

 ネイは恐れた様子もなく、その巨体を見上げながらそう尋ねた。

 

『獣神の書、だと?』

 

 異形の神は唇をより一層歪めたが、表情からは笑っているのか怒っているのかも分からない。

 どちらかといえば、やや困惑しているというふうにも見える。

 ネイは、そいつの見えざる意識の触手が、自分の精神に接触してくるのを感じた。

 

(こちらの思考を読むつもりか)

 

 彼女はそれを避けようとも抵抗しようともせず(そもそも精神の世界では避けることなどできないが)、あえてそいつが意識の表面を探るに任せた。

 口で説明するよりも、その方が手っ取り早いだろう。

 まあ、それだけが理由ではないが。

 

『――そうか、そうだったか!』

 

 しばしネイの思考を探った邪神は、今度ははっきりと歓喜の感情を表した。

 

『あの世界へ送り込んだ信徒に与えていたものだな! とうの昔に見限っておったが、お前が後を継ぐのであれば願ってもない!』

 

 目に燠のような赤い光が灯り、獣じみた唸るような笑いが、めくれ上がった口から零れる。

 その様はまるで、丸々と太った獲物を見つけた飢えきった野獣のようだ。

 

『やつは弱く、愚かな輩だった。送り出して早々に、我が期待を裏切ってくれた。取るに足らん。お前の方が遥かに優秀だろうて』

「…………」

 

 ネイはそんな、やや世辞の混じった邪神の言葉に反応せず、ただ目を軽く閉じて何かを考えてでもいるかのように押し黙っている。

 そんな彼女の様子に構わず、邪神は言葉を続けた。

 

『件の世界において我が教えを広め、信徒を増やし、贄を捧げるのだ。功成った暁には、望み通り、お前の元いた世界への帰還を叶えて』

「もういい」

 

 嬉々としてまくしたてる邪神に、ネイは目を薄く開けると、冷ややかな声でそう言い放つ。

 

『……なに?』

「もう、お前に用はない」

『どういうことだ? 貴様の望みは』

「メタリオンへの帰還だ。別に読まれんでも、隠す気はない」

『ならば……』

「お前がその力をもっていないとわかったからには、もう用はないと言っているのだ」

『な、何を言うか。そんなことは、……っ』

 

 思わず狼狽えて言い返そうとして、邪神ははっと気がついた。

 こちらが相手の精神に接触したということは、すなわち相手の側もまた、こちらの精神に接触したということになる。

 

「お前があのハルケギニアという世界に自分の信徒を送り込んだ経緯については、読み取らせてもらった」

 

 この邪神は長年に渡って自身を崇拝する信者の数を増やし、より多くの信仰エネルギーを集めることで、さらに高位の存在へとのし上がろうとしてきたのだ。

 そのために信徒らに砂漠を超え、海を渡り、未開の地へと至るための知識を授け、そうすることを奨励して、できる限り広い範囲に教義を広めさせようと計った。

 そうした試みの中で、邪神はなんらかの異なる物質界からメタリオンへとつながるゲートが向こうの世界からの干渉によって不定期に開いていることに気が付き、原理まではわからぬものの、どうにかそれを己の目的のために利用できないかと考えた。

 別の物質界にまで信仰を拡大させられれば、信徒の数は爆発的に増え、神位を大きく上げることができるやもしれぬのだ。

 そのためにかなりの年月を費やして情報を集めさせ、試行錯誤の末、どうにか一人の信徒をそのゲートによってハルケギニアへ送り込むことには成功した。

 しかし、それだけの苦労をしてようやく送り込んだその信徒は新たな世界に教義の種子を植え付ける前に、遭遇した異界の生物によってあっけなく命を落とすこととなってしまった。

 邪神はこの顛末に失望し、立腹して、これでは到底割が合わぬと見切りをつけ、それきりその計画を投げ棄ててしまっていた――。

 

「要するに、お前は原理も力の源も定かには知らぬ異界の力を、半ば行き当たりばったりのような試行錯誤の繰り返しで、どうにか一度限り利用できたというだけのこと。何の役にもたたん」

 

 ネイは冷ややかな態度で、そう切り捨てる。

 これで帰還できる目途が立つかもしれないと思っていたのに、まったく期待外れもいいところだった。

 

『――まあ、待て!』

 

 邪神は怒りと苛立ちを押さえ込むように低い声で唸って、赤く輝いた目を抑える。

 それから、自分自身の気持ちを落ち着かせようとするかのように、ゆっくりと深く溜息を吐いた。

 

『……フウ。そう、結論を急がずともよかろう? 今の我にそれだけの力がないことは事実だ。だが、お前がかの世界で信徒を増やし、信仰を集めてくれれば、我はより高い神格の座に上り、遠からずそれも可能となる……』

 

 せっかく自分から網に飛び込んできた獲物を逃がすまいと、努めて穏やかな声で説得にかかる。

 

『見たところ、お前は人間などよりも長命の種族だろう。ほんの少しの間の辛抱ではないか。それで、互いに利益が得られるのだぞ?』

「……お前は、私の精神のごく表層しか読み取れていないようだな。寿命など関係ない。私は今すぐにでも戻りたい。戻らねばならんのだ」

 

 邪神の猫なで声(本人はそのつもりだろう)にも関わらず、ネイの冷ややかな態度は変わらなかった。

 

「それだけの力をお前が得るまでに、一体どれほどの数まで信徒を増やし、生贄をよこせというつもりだ。何千か何万か、それとも、何十万か? そのためには、どれだけの時間がかかる。数年か、それとも数十年か?」

 

 D・Sの元へ戻るまで、どうしてそんなに待てるものか。

 大体、それほどの時間を費やす覚悟なのであれば、自分自身の力を伸ばし、研究を重ねて、自力での帰還を目指した方がよほどマシというものだ。

 

『それは……お前の努力次第で、期間などはいかようにでも――』

「……これ以上、お前などと関わって時間を浪費するつもりはない。自分に都合のいいバカな信徒がほしいのなら、よそをあたるんだな」

『待て、結論を急ぐなと!』

「さらばだ」

 

 往生際悪く引き留めようとする邪神に構わず、ネイは交信を止めて自分の意識を引き戻しにかかった。

 邪神の怨嗟の声が響き、それが急速に小さくなっていく。

 ネイの意識は来た時と逆の道を辿り、飛び込んだ映像から抜け出して、矢のような速さでハルケギニアへ送還されていく――――。

 

 

-------------------------------------------------------------------------------

 

 

 ――――気が付くと、ネイは元の学院長室にいた。

 

 彼女の主観では出発してからかなり長い時間の旅をしたように感じたが、それは精神の世界でのこと。

 物質界においては、ほんのわずかな時間しか経過していない。

 

「……やれやれ」

 

 ネイは溜息を吐くと、出発時のまま手の中に持っていた神像を床に置いて立ち上がる。

 本当なら期待外れだった苛立ちにまかせて乱暴に投げ捨てたいくらいだったが、いちおうは学院の秘宝であり、オスマンの恩人の遺品でもある以上は、そんなわけにもいくまい。

 

「なんだか、様子が変だったけど」

「大丈夫なの?」

 

 怪訝そうな、あるいは不安そうな顔で、キュルケやルイズが声をかけてきたので、ネイはそちらに向き直って苦笑した。

 

「別に、問題はない」

「……もう、話は終わった?」

 

 小さく首を傾げるタバサに、ネイは小さく肩を竦めて頷く。

 

「ああ。収穫はなかったがな……」

 

 そうして、もう少し説明を加えようとした、その時。

 

『――逃がさぬぞ――』

「……!」

 

 ネイははっと顔をしかめて飛び退り、振り返った。

 先ほど床に置いた神像の目が、本物の邪神のそれと同じように爛々と赤く輝き、口から血煙のような蒸気が上がっている。

 

「な、なんですの、この声は?」

「これは一体、何が起こっておるんじゃ……」

「あ、あの像からです!」

 

 ロングビルやオスマン、コルベールらもうろたえる。

 声だけではなく、先ほどまでは確かに魔力など感じなかったはずの像から、今は禍々しいそれが放たれているのが感じられるのだ。

 

「ち……」

 

 交信のためにつないだ精神の回路から、こちらに魔力を送り込んできたか。

 なんとも往生際の悪いことだと思いながら、ネイは身構えた。

 

「お前たちは、下がっていろ」

 

 そう言う彼女の目の前で、像はみるみるうちに膨れ上がっていく。

 掌に乗るほどの大きさだったそれが犬ほどの大きさになり、熊ほどにも大きくなり、それでも膨れ上がるのは止まらない。

 巨人のような大きさになった邪神が、青白い炎を身に纏い、血塗れの口を歪めて唸った。

 轟くような声が、その場にいる全員の心に直接響く。

 

『さあ、今のうちだ。我を崇え。そうすれば、助けてやるぞ』

 

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