「……本当に、遠く離れた場所へ来たものだな……」
豪奢な調度品が置かれたルイズの部屋で、窓から2つの大きな月を眺めながら、ネイはそう独り言ちた。
先程、学院長のオールド・オスマンとかいう老人を交えて行った話し合いと情報交換によれば、ここは「ハルケギニア」という世界の、「トリステイン王国」にある、「トリステイン魔法学院」だということだった。
窓からは緑豊かな草原や、常緑樹の大きな森が見える。
人々が常に強大な他種族による侵略や同族による搾取の恐怖に怯え、さらには破壊神による災厄にまで晒されて荒廃している、血と鋼鉄と肉と骨、そして魔力の時代が続く中央メタリオン大陸とはまるで違った、穏やかな様子の場所だ。
それだけなら、メタリオンから遥か離れた場所にあるどこか別の大陸なのか、と思うところだが。
空に浮かぶ月の数まで違うとあっては、それとは別の説明を考えるしかない。
ここはおそらく、先程までネイのいた主物質界(プライム・マテリアル・プレーン)とはまた別の世界。
多元宇宙のどこか離れた場所にある、もう一つの物質界なのだろう。
主物質界の外には精霊界や魔界といった他次元界だけではなく、他の物質界も存在し得るのだということは、ネイも理論としては知っていた。
だが、実際にそういった世界に干渉し、召喚をしたりされたりといった行き来をするための信頼の置ける方法があるという話は、いまだ聞いたこともない。
それを、意識してのことではないにもせよ、こんな年端もいかないような小娘が使ったとは……。
(こいつには、ダーシュやカルにも劣らないほどの素質があるのか?)
ネイはそう考えながら、複雑そうな顔をして椅子に座っているルイズの方に目を移す。
「さて……」
それから、机を挟んで、彼女の前の席に座った。
「お互いに、不本意なことになったものだな」
「まったくよ」
ルイズはぶすっとした顔をして、夜食のパンをもぐもぐとほおばりながらそう言った。
「やっと召喚が成功したと思ったら、出てきたのがあんたみたいなハーフエルフで、しかも契約できないだなんて……」
一体私が始祖に何をしたっていうのよ、と、ぶつぶつと文句を垂れながら、ネイの姿をじっと見つめる。
肩と背中が開いたタートルネックの上衣に、短めの腰布。
それに、片方だけのニーソックスかレッグウォーマーのようなものとか、同じく片方だけのアームグローブみたいなものとかを身に着けた、変わっているが洒落た感じのする服装をしている。
ついでに言えば、露出が多くてどこか色っぽい。
「…………」
耳にばかり目が行ってあまり気にしていなかったが、よく見ると……。
肌は褐色だし、長身だし、あちこち出っ張っているし、なんか色気が漂ってる感じだし。
あの仇敵ツェルプストー家のキュルケに似ていないこともない。
ただ、出るところは出ているものの、全体的に彼女の方がすらりとして引き締まった感じではあるし、口調や雰囲気はだいぶ違うのだが。
であるにしても、どちらかと言えば気に入らない外見なことには違いはなかった。
ルイズは結構な美少女ではあるものの、体つきはネイやキュルケとは真逆で幼なげな感じなのである。
召喚された直後のネイはルイズをせいぜい十五になるかならないかだろうと見積もっていたが、実際には彼女は十六歳だった。
「愚痴るな。契約はともかく、先ほど約束したように、当面の間はお前の使い魔とやらの役目は引き受けてやる」
だから、そちらもちゃんと約束を守れというネイの念押しに、ルイズは不承不承といった感じで頷いた。
「……でも。さっきも言ったけど、あんたを元の場所に送り返す方法なんてぜんぜん見当もつかないわよ? そんな呪文は聞いたことないし、私は本で勉強したとおりに『サモン・サーヴァント』の呪文を唱えただけなんだから!」
「それがどうした。そもそも既存の本に書かれているような方法ならば、お前に頼るまでもない。私が自分で調べれば済むことだ」
ネイは当たり前のように、そう応じる。
「もちろん私も調べるが、召喚したのがお前である以上は、そちらの力も必要になるかもしれんのでな。とにかく、私が頼んだ時には協力を頼む」
「そりゃあ、まあ。あんたが帰ってくれるなら、私も新しい使い魔を召喚できるわけだし、それに越したことはないけど……」
先ほど、学院長室で情報を交換するうちに、これは思った以上に容易ならぬ事態に巻き込まれたらしいと気が付いたネイは、今後の方針を検討した。
異界からの召喚術など、世界の壁を超える呪文について心得がないわけではないが、そうは言っても聞いたこともない未知の物質界から帰還する術などすぐに使えないのはもちろんのこと、研究を重ねたとしても間違いなく自分に扱えるという保証はない。
先日エデ・イーのリッチーによって異界に飛ばされた際は、自分はもちろんD・Sでさえ(事前に何の備えもしていなかったからということもあろうが)そこから自力では帰還できなかったのだ。
その点、目の前の少女は、意識してのことではなく既存の術式を単になぞった結果なぜか意図せぬ効果が生じたというだけであるにもせよ、事実それだけの術を使ったという実績があり、移動する方向を逆にするだけなので送還を行えるだけの魔力と素養を間違いなく有している。
よって、「正式な契約は行わないが滞在中使い魔としての役目は引き受ける。代わりに自分の送還方法を調べるのに協力し、それが見つかり次第帰還させること」という条件を、ルイズらに提案してみたのである。
ネイのその提案は、学院側にとっても(既に極めて都合の悪い事態が起きているので、現状に比べればという意味においてだが)そう悪いものではなかった。
メイジとしては一心同体とされる使い魔を重んじねばならず、不都合なものが現れたから処分したなどという前例を残すことは、あってはならない。
かといって、始祖の時代からの仇敵たるエルフを正式な使い魔にすることは、知られれば間違いなく問題視され、ルイズと彼女の家系であるヴァリエール家の名声に大きな疵をつけることになるだろう。
それを考えると、「メイジとして使い魔を重んじるからこそ害しはせず、しかしエルフの血を引く異端者を完全に受け入れるつもりもないので、穏便に送還する方法を検討していた」というのは、頭の固い王家の連中や異端審問官などに目をつけられた際の建前としては筋が通っている。
「なーに。ハーフエルフを連れ歩くのがどうのこうのと誰かに言われたなら、『使い魔を軽んじるのも、敵意もない者を害するのも、メイジとして貴族として恥ずべきことだ』と、はっきりそう言ってやればいいんじゃよ。やましいこともしとらんのに、俯いて歩くことはない」
学院長のオールド・オスマンがそう言ったことで、話はまとまった。
幼少期に辛い迫害を受けたネイとしては、まだ口先だけかもわからないがなかなか話のわかる御仁だなと、好感を抱いたものだ。
もっとも、その後の、
「何と言っても、大層なナイスバディの美人じゃしな。顔も体もきれいな女性は、心もきれいなもんじゃよ」
という言葉で、上がった株は多少下がったが。
まあ、冗談のつもりなのであろうし。
男などは大概そんなものだろう、といった認識もあるし……。
そもそも、傍若無人なD・Sは言うまでもなく、服を溶かすスライムを捕虜の女にけしかけるなどガラの振る舞いも大概だし、アビゲイルはアンスラサクスの復活を企てるなど発狂しだす前からおよそ理解不能な変人だった。
そんな同僚の男どもに比べれば、単なるスケベジジイなどは別にどーということもない。
「……まあ、とにかくだ」
ネイは小さく咳払いをした。
「使い魔としての仕事をすると言った以上、確認しておきたいのだが」
「何をよ?」
「私の今後の役割だ。お前はそもそも、どんな役割を期待して私を……使い魔を呼び出そうとしていた?」
自分が一番役に立ちそうなことと言えば戦闘要員だが、戦力として必要という感じではない。
このあたりは今のところ平和なようだし、目の前の少女は魔法使いだとはいえ、どう見ても戦闘の心得はない。
となると、使い魔と言っても、具体的には何をすればよいのか。
「そりゃあ、まあ。使い魔の仕事って言ったら、一般的には偵察とか、呪文の触媒集めとか、護衛とかだけど……」
ルイズはちょっと困ったように、顔をしかめた。
「ただ、今のところは、何をしてほしいかって聞かれても困るのよね」
「どういうことだ?」
「つまり、何かしてほしいことがあったからとかじゃなくて。二年に進級した時点で使い魔を召喚するのはこのトリステイン魔法学院の伝統で、どの生徒もそうすることになっているのよ。そこで召喚された使い魔の性質を見てそのメイジの今後の属性を固定し、専門課程に進むことになっているの」
「ほう……。属性というと?」
「そんなの、『火』『水』『土』『風』の四大系統に決まっているでしょ。それに失われた『虚無』の系統をあわせて、全部で五つね」
「五つに分かれた系統、か……。なるほどな」
既にかなりはっきりしていたことだが、やはりこの世界で用いられている魔法は、自分の知る世界のそれとはかなり違う形で体系化されているらしい。
帰還の糸口を掴むためにも、なるべく早めに詳しく学んでおきたいところだと、ネイは考えた。
一方でルイズの方は、ネイがハルケギニアにおいてはごく初歩的な魔法の知識にも疎い様子なのを見て、少し顔をしかめる。
「……そういえば、あんたの属性って何なのかしら。ハーフエルフなのにそんなことも知らないってことは、先住魔法は使えないのよね?」
「属性か」
ネイは顎に手を当てて、少しだけ考えたが。
「先にお前が挙げた中で、私の属性が何なのかと言われれば。それは『風』しかないだろうな」
じきに、そう断言する。
雷の呪文を好むことから『雷帝』の二つ名を頂いているが、ネイが本来得意とするのは風の界の精霊魔術全般である。
「そんな風に断言できるってことは、もしかして魔法が使えるの? エルフの間で育てられたとか?」
ルイズにそう尋ねられて、ネイは少し顔をしかめた。
「……ほんの幼い頃だけはな。その後、人間の魔法使いに拾われた」
あの男、D・Sが本当に人間なのかどうかは微妙な気もするが、まあ、今はそんな話は別にいいだろう。
「え? じゃあまさか、あんたは系統魔法が使える……わけ、ないわよね」
よく考えれば、属性も知らず、杖もマントも持っていないのに、そんなはずはあるまい。
そもそも、いくらメイジに育てられて教えを受けたとしても、メイジの血を引いていなければ系統魔法が使えるようにはならない。
養子ではなく、実子でなければ駄目なのだ。
「まあ、魔法の心得なら少しはあるが。私のいた場所とこちらとでは、魔法の体系自体が違うようだ。先住魔法や系統魔法といったものではないだろうな」
「ふうん……?」
先住魔法でも、系統魔法でもない魔法。
そんなもの、聞いたこともない。
もしかしてすごいのだろうかと思う一方で、あるいは魔法とは名ばかりの、おまじない程度のまやかしではなかろうかという疑念も持った。
「じゃあ、何かやってみせてよ」
ルイズはそう要求した。
「自分の使い魔に何ができるのかは、把握しとかないといけないでしょ!」
「何か、か……」
ネイは少し考え込む。
先ほどルイズにも言ったとおり、自分のいた世界とこちらとでは魔法の体系は大きく違うようだが、だからと言って自分の世界の魔法がこちらでは働かないということは、まずないだろう。
もしそうだとすれば、同じ理屈でこちらの魔法も向こうの世界では働かないだろうから、ルイズが転移門を作り出して双方の世界をつなぎ、自分を召喚することはできないはずだ。
(そうは言っても、こんな場所で派手な攻撃魔法などを使うわけにはいかんしな……)
そんなことを考えながら、ネイはルイズの前でぴっと指を立ててみせる。
「いいだろう。だが、呪文の無駄遣いはしたくない。一度しか使わんから、よく見ておけ」
「ええ。……?」
じっ見つめるルイズの目の前で、指を立てたネイの手がほのかに光り始める。
光はますます強くなり、なんだなんだと、ルイズが顔を近づけると。
突然、ネイがぱっと掌を開いて、ルイズの目の前に突き出す。
「
――その瞬間、まばゆい光の爆発が炸裂した。