「ふん、抵抗する気なのか」
「どうやら引っ込みがつかなくなったらしいな!」
「誰も庇ってはくれないぜ、本気か?」
そう嘲ってくる男子生徒らに取り合わず、ネイは淡々と言った。
「早く、どこでやるのかを言え。三対一でも勝ち抜きでも、何でも構わん。さっさとしてもらわんと昼食を食べ逸れる」
そんな彼女の落ち着き払った態度にも、すっかり興奮して舞い上がった彼らは不安を感じることはなかったようだ。
「ははは。雑種のくせにいい度胸じゃないか、この女!」
「そんなに腹が減ってるってのなら、最後の食事くらいは摂らせてやろうか?」
「ああ。こっちはその間に制裁の準備を整えておいてやるから、食べ終わったらヴェストリの広場に来い。その時になって逃げるなよ?」
ネイは、どうでもよさそうに頷いた。
実際、食前の運動が食後の腹ごなしに変わるくらい、どうでもいいことだ。
「やれやれ、やっと食べられるか……」
機嫌よく去っていった三馬鹿の後ろ姿を一瞥して軽く溜息を吐くと、ネイは厨房の裏口をノックした。
朝と同じようにシエスタからランチバスケットを受け取って、適当な木の根元のあたりに腰を下ろすと、食事を始める。
「やっぱり、おいしいわね」
昼食のメニューは、温かいシチューと柔らかいパン。
それに肉の腸詰めやカットフルーツ、甘い焼き菓子までついていた。
顔を綻ばせながら、のんびりと堪能する。
そろそろ食べ終わろうかという頃になると、何やら周囲が少しざわついてきた様子だった。
少し不思議に思いながらも、厨房にバスケットを返しに行く。
「ネイさん……」
ノックに応じて顔を出したシエスタは、青褪めてぶるぶると震えていた。
「ど、どうしたの?」
「……あ、あの。あなたが、これから貴族に制裁されるって、みんな騒いでて……」
シエスタは、誰かに聞かれることを恐れるように努めて声を押し殺しながら、そう尋ねてくる。
「……ああ」
ネイは、それで得心がいった。
自分が食事をしている間にあのバカな学生メイジどもは、「これから自分たちが薄汚いハーフエルフを制裁してやるんだ」とかなんとか、自慢げに言って回ったのだろう。
そのために、食事が終わるまで待ってやるだとかなんとか言って、時間を作ったわけか。
「ほ、本当なんですか!?」
「ええ、向こうはそのつもりらしいわね」
そう言うと、シエスタはますます顔面を蒼白にさせた。
「だ、だったら。こんなことしてないで、早く逃げてください。殺されちゃいます!」
「もしかしたら、そうなのかもしれないけど……」
先ほどの授業中に、あるいはこの世界の魔法は自分の知るそれよりも遥かに進んでいるのではないか、と考えたことを思い出す。
そうだとしたら、自分の力などこの世界のメイジにはまるで通用しないという可能性も、確かにあるが。
「……自分があんな連中にも負けるとは、思いたくないわね」
ふっと笑って、そう独り言ちる。
「な、何を言ってるんですか。貴族に勝てるわけないでしょう! 魔法が使えるんですよ!?」
「魔法くらい、私だって使えるわよ」
「えっ……」
さらりとそう言われて、シエスタははっとしたような顔になった。
そう言えば、目の前の女性はハーフエルフだという。
つまり、メイジでさえ恐れるという最強の妖魔、エルフの血を引いているのだ。
「で……でも! 相手は、一人だけじゃないって……」
「私の会ったので全部なら、三人ね」
まあ、ああいう手合いなら、指定された場所に行ったときにさらに増えていたとしても驚かないが。
シエスタは、まるきり恐れる様子のないネイのその態度に、ひどく困惑した様子だった。
「ほ、本当に、大丈夫なんですか?」
「やってみないとわからないわ」
そう言って、シエスタの手にバスケットを押し付ける。
「そんな! もし、大丈夫じゃなかったらどうするんですか。今のうちに謝るとかして、どうにかして許してもらった方が!」
「謝る? 私が、あの連中に対して」
「そ……」
そうですよ、と言おうとしたシエスタだったが。
ネイの顔を見て、その目つきの険しさに、ひっと言葉を呑み込んだ。
「お前は、ハーフエルフはただそうであるというだけで、人間やエルフに頭を下げて当然だというのか」
「そ、そういうわけじゃ……」
「這いつくばって謝ったり、泣き言を言ったりすることで、私があのような連中に許されたことがあったとでも?」
今でこそ、自分はD・Sへの愛に生きる、彼と共に居られさえすればそれでいい、と思い定めているネイだが。
一度は魔法が支配する究極の理想社会、差別も貧困も戦争もない理想郷の建設を目指したこともあった。
幼少期に蔑まれ、差別され、そして捨てられたという経験のゆえに。
あれは、愛する人を失った心の飢えと渇きが、縋るものを求めて見させた甘い夢だった、と今では思う。
途中でD・Sの下に戻らなければ、狂ったアビゲイルの手駒として、破壊神復活のために使い捨てられることになるだけだったのだ。
この世界は魔法が支配する場所かもしれないが、やはり、そんな理想郷とは程遠いらしい。
ならば、やることはひとつだ。
「私は、血と鋼鉄、肉と骨、そして魔力と戦の世界に生きてきた。勝利して生き延びるか、敗北して死ぬかだ。下衆に降って媚びへつらったりなどしない」
「……っ」
シエスタが、ごくりと唾を飲み込んだ。
冷汗が頬を伝うのを感じる。
これまで親しみを感じていた目の前の女性が、今は自分とは違う世界の存在に見えていた。
ネイは、そんなシエスタの様子を見て、ふっと表情を緩めた。
「別に、あなたを責めているわけではないのよ。気遣いには感謝しているわ」
そう言って、そっと優しく、頬を撫でてやる。
子供を安心させてやろうとするように。
シエスタは、撫でられた頬が、急激に熱を持っていくのを感じた。
「私は、そろそろ行かないといけないから。ヴェストリの広場というのはどこなのか、教えてくれる?」
「あ……あのっ!」
ネイが離して引っ込めようとする手を、シエスタははっとして、あわてて掴んだ。
「なに?」
「い、一緒に戦うのとかは、無理ですけど……。私にも何か、ネイさんのためにできることはありませんか?」
その申し出に、ネイは少し首を傾げた。
「ありがとう。でも、私の手助けをしたことが知られれば、あなたに迷惑がかかるでしょうから……」
そう言いかけて、ふと思いつく。
「……でも、そうね。もし、お願いできるのだったら」
「な、なんでも言ってください!」
勢い込むシエスタに微笑みかけると、厨房の一角を指差した。
「そこにある刃物を一本、貸してちょうだい。もしも誰かに聞かれたら、私が勝手に持っていったと言えばいいわ」
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・
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ヴェストリの広場。
魔法学院の敷地内において『風』と『火』の塔の間に位置する、いわゆる中庭にあたる場所だ。
ここは時折逢引をする男女の姿が見かけられるのに加えて、魔法学院内での決闘の際に用いられる場所としても定番であった。
かなりの広さがある上に、西側に位置しているために日中はあまり日が差さず、公平な条件での戦いが行いやすいからである。
本来は決闘は禁止されているのだが、まだ若く血気盛んな生徒同士の間では、たまに発生するのだ。
普段は閑散としている広場は既に、噂を聞きつけた、あるいはたまたま騒ぎに出くわして足を止めた学院中の生徒たちで溢れかえっていた。
彼らはあちこちで、ひそひそと囁き交わし合っている。
「この騒ぎは、決闘かい?」
「ええ。ヴィリエとマクシム、それに新入生のクレマンという子の三人が決闘をするそうよ」
「決闘なのに、三人って。チーム戦なのか?」
「実際のところは制裁っていうか、私刑なのよ。相手は、ルイズの召喚したハーフエルフだとか」
「ああー……」
やがて、ネイが姿をあらわすと、彼らの注目はそちらに向いた。
視線には、熱狂、憐憫、嫌悪、嘲笑……さまざまな感情がこもっている。
制裁に名を借りて自分の名声を高めようとするこのあさましい茶番劇には、正直いい感情を持っていない者も多かった。
だが、そんな者たちとて、進んで止めてやろうとはしない。
よりにもよって仇敵エルフの血を引く卑しい混血のハーフエルフを庇ったなどと言われれば、自分の名に傷がつきかねず、それは嫌なのだった。
「諸君、決闘だ!」
リーダー格のヴィリエ・ド・ロレーヌが、高々と杖を掲げてそう宣言する。
歓声と拍手が起こったが、人数の割にはまばらだった。
彼はルイズと同じ二年生で、代々『風』系統の高名なメイジを輩出してきた名家の出身だ。
実力的には、同級生の中でもかなり上位の部類に入るだろう。
二年生の時点で既にライン・クラスに達している生徒の数は、そう多くはない。
だが、そのせいで無駄にプライドが高く、尊大で、その家柄ゆえにへつらっている取り巻き以外には人気がなかった。
一年の時にはタバサに決闘を挑んで惨敗したり、キュルケを利用して彼女に復讐しようと目論むもしくじって大恥を晒させられるなど、入学以来何かと面目を潰され続け、陰で嘲られたりもしている。
彼がネイに目を付けたのも、そんな自分の名声を持ち直させるいい機会だと思ったからだった。
他の二名は、同じく二年生のマクシムと、入学してきたばかりの一年生のクレマン。
マクシムはやや大柄な気取り屋で、クレマンは小柄な小心者。
どちらもあまり目立ったところのない、比較的下級の貴族家出身のドットメイジであり、実家同士の関係からヴィリエの取り巻きをやっているのだ。
ヴィリエの後ろの方におまけみたいにくっついているその様子はコバンザメか、あるいは虎の威を借る狐といったところか。
「やっと来たか。怖気づいて逃げ出したかと思ったぞ?」
「…………」
ネイは黙って広場に進み出て、ヴィリエらと向き合う。
その腰にシエスタから借り受けた鞘入りの牛刀包丁が提げられているのを見て、ヴィリエは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「そんな、平民の牙ともいえんような物に頼るか。使用人に身を堕とすしかないような雑種は憐れだな!」
「……抜く必要があるかどうかは、私の方で判断するがな」
そこへ、人込みをかき分けてルイズが飛び出してきた。
「あんたたち!」
「おや、ルイズか。何の用かな?」
「何の用も何もないわ! どういうつもりよ、これは!」
彼女の剣幕に、ヴィリエは冷笑を浮かべて鼻を鳴らす。
「決まっているだろう。君の使い魔、ということになっているこの雑種は、躾が悪いようだからな」
「そうそう。だから、我々が主人に代わって、メイジとしての務めを果たしてやろうというわけだ」
そう言う同学年の二人を、ルイズは長い髪を揺らし、よく通る声で怒鳴りつけた。
「いい加減にして! 大体ねぇ、決闘は禁止されているのよ!」
「おやおや。禁止なのは、貴族同士の決闘だろう。雑種を躾けてはいけないなんて決まりはないさ」
「これは決闘じゃなくて制裁ですよ、先輩?」
ルイズの顔が、怒りで赤く染まる。
ネイは、そんな彼女の肩をぽんと叩いた。
「怪我をするぞ、下がっていろ」
「あ、あんたねえ……。怪我をするのは自分の方でしょ、それで済んだら運がいいわよ。なにを勝手なことしてるのよ!」
ルイズは目を吊り上げて、ネイに食ってかかる。
「絡んできたのは向こうの方だ。私にここから出ていくか、こうして運動をするかを選べと言ってきたのだが、出て行ったのではお前や学院長どのとの約束に反するからな」
ネイが落ち着き払って、そう説明をする。
「だ、だったら。すぐに先生方を呼んできて、説明してもらうから!」
「あいつらは、これはメイジとしての権利だ、学院側の決定などは知らんと言っていたぞ」
それに、これだけの騒ぎで、教師がいまだに誰も気付いていないなどというはずもないだろう。
生徒同士の決闘ならば止めもするのかもしれないが、ハーフエルフ相手の私刑などは、割って入ってまで止める気もないに違いない。
まあ、それはこの場に居合わせた教師はであって、昨日のコルベールとかいう教師や学院長なら話は違うかもしれないが、ネイとしては彼らの世話になる気はなかった。
上の立場の者に訴え、すがって助けてもらうしかない輩だなどと思われれば、今はよくても今後ますます調子に乗る連中が増えるばかりだ。
「お前は先刻、私を召喚したことを大した成功とは思えんと言っていたな」
ネイは、静かにそう言った。
「私が遠くから来たのは確かだが、こちらで役立てるかどうかについては私にも確証はない。いい機会だ、この結果を見て判断してもらおう」
「そ、そんなことなんて……」
別に、気にしなくてもいいから。
と、言おうとしたものの。
ネイにいつになく迫力のある目を向けられて、ルイズはぐっと言葉に詰まってしまう。
「いずれにせよ、私には下げたくない頭を下げる気はない」
そう言って、ネイはルイズを自分の後ろへ押しやるようにした。
「いまお前にできることは、下がって見ていることだ。ここにいられて、切羽詰まった連中から人質に取られるようなことがあっては面倒なのでな」
ルイズはさらに何か言おうとしたものの、言葉が出てこない。
結局、諦めて後ろに下がった。
それでも、いよいよとなったら割って入ってやろうとは思っていたが。
「ネイさん……」
シエスタも、厨房の仕事を抜けさせてもらって、人垣の後ろから祈るような気持ちで見守っていた。
一方で、ヴィリエたちはますます昂奮の度を増してまくしたてる。
「雑種の分際で、何を気取ったことを。身の程をわきまえろッ!」
「我々が人質を取るだと、貴族を愚弄する気か!?」
「エルフはメイジ十人にも匹敵するというが、半端者ごときには三人でかかるまでもない。僕にやらせてください!」
彼らがいくら喚いても、ネイは冷ややかな態度を崩さない。
「なんでもいい。揃って喚いてばかりいないで、いい加減にかかってきたらどうだ?」
その言葉を受けて、クレマンが進み出た。
彼ら三人の中でも一番の下っ端で、本来は小心者なのだが、ネイが刃物を持ってきたのを見て「そんなものに頼るようなら平民と何の変わりもないだろう」と強気になっているのだ。
しゃらんと鳴る短い錫杖のような杖を抜くと、ネイに向かって突き付ける。
「さあいくぞ、半端者! 貴様の相手は、この『錫鳴』のクレマン・ド・モランが最初で最後だ!」