どうにか今月までにと思っていたのですが、無事に間に合えて良かったです。
「着いたわよ」
「着いたって……え、ここ?」
目的地であるそこは、商店街で素朴に建てられているラーメン屋だった。
その店の名は、"麻"と書いて"まー"と読むらしい。
素朴とはいえ、扉や看板、建物の何もかもが真っ赤に染められているのが何処か気味悪く感じる。
遠坂が何の躊躇いもなく店に入ったので続いていく。
流石に壁や飾り物までは赤一色ではなかった。
ただ、店主の姿が見えないにも関わらず、室温が体感温度でかなり高く、唐辛子のような辛い香りが鼻につくのが気がかりだった。
「また客を待たせてる……貼り紙も貼らずに出前に行くのやめてって言ってるのに」
「なあ遠坂。ここの店主ってどんな人なんだ」
「どんな人って、説明するのが難しいわね。十年来の知人だけど、未だにアイツの性格は掴めないもの」
「十年来って、もしかして親戚とか?」
「親戚とは少し違いますが、後見人です。もう1つ言えば魔術の兄弟子ってところ」
「魔術……ってことは、その人も魔術師!?」
「ええ、名前は"言峰綺礼"。彼とはもう十年以上顔を合わせてる腐れ縁……まあ、出来れば知り合いたくなかったけど」
「──同感だ。私も師を敬わぬ弟子など持ちたくはなかった」
がらがら、という扉が開く音。
客が来たことに気付いていたのか、エプロンを身に着けたその人物はゆっくりと店に入った。
「……ふむ。今日はお友達を連れての昼食かな、凛」
「食べさせるわけないでしょ、あんなもの。そうじゃなくて、協力者になってくれそうなヤツを見つけたから連れてきたのよ。と言っても、1人はてんで素人、もう1人はただわたし達の争いを見ちゃった目撃者に過ぎないけど」
「成程。では、その2人には感謝しなくてはな」
言峰という名の店主は、ゆっくりと視線をこちらに向ける。
「──座り給え」
……俺も聖先輩もいつの間にか足が退いていたのに気付き、店主が厨房へ入ったと同時にカウンター席へと座り込んだ。
……言峰という男が恐ろしかった訳でもない。
……この男に敵意を向けられたわけでもない。
だのに、肩にかかる空気が重くなるような威圧感を、この店主は持っていた。
「私は言峰綺礼という者。以前は聖堂教会に属していた者だが、訳あって今はここの店主を任されている。君達の名を聞かせてくれるかい」
「っ──衛宮士郎」
「聖あげは、です……ねぇ士郎くん。聖堂教会って何?」
「あー、俺も詳しくないから説明するのは難しいんだけど……」
端的に言えば、魔術師が属する大規模な組織である魔術協会の裏側にある、普通に生きていれば見ることのない教会を聖堂教会と言う。
その2つは形では手を結んでいるが、隙あらば殺し合いをするような物騒な関係だ。
かのジャンヌ・ダルクが異端者として火刑に処されたように、教会は異端を嫌う。
その異端の対象に、魔術を扱う人間も含まれる。
魔術師は彼らにとって、人ではないヒトとして徹底的に排除されるべき存在なのだ。
それは教会に属する人間であろうと例外ではない。
教会は位が高い層こそ魔術の汚れを禁じている。
そんなところに属していた信徒なら言わずもがな、言峰のような位の高そうな雰囲気を持つヤツこそ魔術とは程遠い存在にあると思うのだが、どうやらこちら側の人間らしい──
「衛宮──士郎……衛宮士郎、か」
「──?」
途端に、背中の重圧が悪感に変わる。
店主は2回ほど俺の名前を繰り返すと静かに笑みを浮かべた。
──その笑みは。
俺には例えようがなかった──
「2人には礼を言う。凛が多大な迷惑をかけたようだからな」
店主は俺達から背を向け、何も注文をしていないはずなのに調理を始めた。
……何故かトウガラシの異常な香りが鼻につくのだが、今は気にしないでおく。
「では、本題に入ろう。君達が巻き込まれた先の戦いは"聖杯戦争"と呼ばれるものだ。七人の魔術師、ここではマスターと呼んでいるが、その者達が七人のサーヴァントを用いて繰り広げる争奪戦──というのがかつて行おうとしていた聖杯戦争だった」
「──かつてってどういう事だ?」
それ以外にも聖杯戦争とかいうモノ自体に色々言いたいことはあったのだが、何故かそっちの方が異様に引っかかった。
「それまで儀式は正常に機能しなかったが、教会とは外部の何者かが正常に作動させたそうだ。それも、我々が繕っていたシステムとは一変したもので、だ」
「このクラスカードがその異例のシステム。英霊の力が宿ったカードを術者自身に宿す"
セイバー、
ランサー、
アーチャー、
ライダー、
キャスター、
アサシン、
バーサーカー。
これらは全て聖杯が生み出したもの。役割に該当する能力を持った英霊を、あらゆる時代から抱き寄せる。そうして役割を得たクラスカードが魔術師に装備されるっていう仕組み。今わたしはセイバーとアーチャーのカードを持ってるけど、これを7枚全て集めたヤツが勝者になるってのがこの聖杯戦争のルール」
……ああ、成程。何が言いたいのかが大体分かってきた。
「協力者って、もしかしてそのカード7枚を集めるのに協力して欲しいってことか」
「あら、話が早いじゃない。まあ正確に言えば、7枚集めて早急に聖杯を取り返すのに協力して欲しいってことなんだけどね」
「悪いが断る。俺は他にやらなきゃいけないことがあるから、そっちに構ってる暇はない。それに、頼むなら俺や先輩じゃなくて、もっと他に適したヤツがいるだろ」
「例えば、ソラとか?」
「……は、お前──!」
「やっぱりプリキュアとやらの力を利用しないわけにはいかないでしょ?」
「あのな、ソラ達はエルを元の場所へ連れて帰るのに必死なんだよ。それなのにそんな下らないゲームに巻き込んでたまるか──う?」
段々とヒートアップしていた俺の目の前に、真っ赤に染まった熱々のラーメンが置かれた。
「頭を冷やすために一先ず食え、衛宮士郎。気持ちは分からんでもないが、まだ我々の話は終わっていない」
「あぁ……って、注文なんてしてないしこんなんで頭冷やせるか!ボケをかますのも大概にしろ!」
「ふむ、これは重症だな。凛」
「お互い様ね。でも確かに、もう少し詳しく説明してあげた方がいいかも」
遠坂は呆れたような素振りで店主を促す。
「──協力するしないは勝手だが衛宮士郎、一先ずお前の勘違いを正そう」
途端に言峰の放つ声音が変化する。
なんていうか、こう、聞いてるこっちが不安になるような会話だ。
「お前は聖杯戦争を"下らないゲーム"と言ったが、これは聖杯を得るに相応しい者を選定するための"儀式"だ。なにしろ"聖杯"だからな。所有者の選定には幾つかの試練が必要だ」
……試練だと?
こいつは聖杯戦争とやらをこれっぽっちも"試練"だなんて思っていないって、いくら賭けてもいいぞ。
「……さっきから聖杯聖杯って繰り返してるけど、本当にあの聖杯って言うんじゃないだろうな」
「聖杯って、本とかで良く見るあれ?ほら、こういうの」
先輩がジェスチャーで聖杯を描く。
聖杯とは、聖者の血を受けたという杯。
今日までの幾多の聖遺物の中で最高位とも言われるソレは、様々な奇蹟を行う。
その中でも広く伝わるのが、聖杯を持つ者には世界を手にする、というものである。
でも、そんなのは眉唾だろう。なにしろ聖杯なんてものの存在自体が"有るが無い物"に近い。
確かに世界各地に散らばる伝説・伝承にも"望みを叶える聖なる杯"として顔を出している。
だが、それだけ。
実在したとも、再現出来たとも聞かない架空の技術、空想上の物体として扱われているのだから。
「如何にも、この世界に現れた聖杯はそのような本物だ。その証拠として、1つは凛が持つサーヴァントカード……すなわちクラスカードにある」
「過去の英霊の力をカードの形に置換し、使役する。人の身でありながら英霊の能力を自らのものにするこの奇蹟は魔法と言える。これだけの力を持つ聖杯ならば、所有者に無限の力を与えよう。物の真贋などその事実の前には無価値だ」
つまり、たとえ偽物であっても本物以上の力があれば、真偽など問わないと言いたいのか。
「……じゃあ仮に聖杯があったとして、ならなんだって聖杯戦争なんて起こすんだよ。聖杯があるなら皆で分ければいいだろ」
「もっともな意見だが、儀式は聖杯自身が決めたことだ。魔術師を選ぶのも7枚のカードを置換するのも、全て聖杯自体が行う事。聖杯は己を持つに相応しい人間を選び、彼らを競わせてその内の1人を選定する。それが聖杯戦争──もっとも、今回は異例の事態である故、我々のルールとは異なっている可能性はあるがな」
「と、言うと?」
「先程も言ったが、今回の聖杯戦争は外部の人間が別のシステムで無理矢理起こしたものだ。そいつは余程の能力者で、望みを叶えるために手段を選ばないようなヤツだろうよ。人類の支配にしろ、世界の崩壊にしろ望みを叶える杯を持ってすればやりたい放題なのだからな」
「……っ」
店主の口調は、挑発めいたように嘲笑っている。
まるで、そうであった時のことを愉しんでいるかのように。
「それは君達も受け入れられないだろう?ならば、君達の手で阻止すればいい。どうだ衛宮士郎、これは良いアイデアだと思うのだが、参考にする気はないかね」
「……余計なお世話だ。第一、俺には聖杯戦争で戦う理由なんてないし、聖杯なんてものにも興味はない。さっきも言ったけど、俺達はまだやらなきゃいけないことが残ってるんだから、変に巻き込まれるのは困る」
「ほう。では聖杯を手にした人間が何をするか。それによって災厄が起きたとしても、仮にその場所がこのソラシド市或いは
「っ、何であんたがスカイランドを知ってるんだ……!」
「風の噂とやらだ」
何ともモヤモヤさせる言い分だ。
ただ、はっきりと答えられたからにはそこで身を引かずにはいられなかった。
……スカイランドのことはさておき、今ので図星を突かれた気分だ。
くそ、この男の言葉は暴力みたいだ。
こっちの心情などお構いなしに、事実だけで容赦なく殴って来る──
「だがそれも結構。ならば十年前の出来事にも、お前は関心を持たないのだな」
「十年、前……?」
「十年前の聖杯戦争の儀式は嵐のような天候の中で失敗に終わった。その最中、聖杯に相応しくない魔術師が聖杯に触れた。そいつが何を望んでいたかは知らん。我々に判るのは、その時に残された災害の爪痕だけだ」
「────」
一瞬。
あの地獄が、脳裏に浮かんだ。
「それって例の大火事──」
「そうだ。死傷者約500名、焼け落ちた建物は実に130棟。未だ以て原因不明とされ、日本中で知れ渡ったあの火災こそが、聖杯戦争の儀式による爪痕だ」
「────」
──吐き気がする。
視界がぼやける。
途端に頭痛が激しくなる。
ぐらりと体が崩れ落ちる。
「士郎くん?」
だが、先輩の声のおかげでその前にしっかりと踏み留まった。
奥歯を噛みしめて意識を保つ。
倒れかねない吐き気を、沸き立つ怒りだけで押し殺した。
「衛宮くん?どうしたのよ、いきなり顔面を真っ白にしちゃって。そりゃああんまり気持ちのいい話じゃなかったけど……少し休む?」
心配されるほど、俺の顔は真っ青だったのだろう。
でもまあ、昔の出来事を聞いて隣が唐突に気分を悪くしてたら困惑もするか。
「大丈夫。2人の素っ頓狂な顔見たら治った」
「……ちょっと、それどういう意味よ」
「そのままの意味だ。他意はないから気にするな」
「ああそう……って、余計に悪いじゃないこの唐変木!」
すかん、と容赦なく俺の頭をひっぱたく学園一の優等生・遠坂凛。
思いきりトドメを差された気分だ。
「と、遠坂ちゃん!?叩くのは流石に良くないんじゃ──」
余計に心配そうな聖先輩を宥め、制止させる。
遠坂の暴力で悪化したとかはなく、寧ろ本当に今ので吐き気や怒りもキレイさっぱり消え去ったのだ。
当の本人は先輩の注意に何も言い返さなかったが、不満な表情で顔を逸らしていた。
「───」
視線を言峰綺礼へと移す。
俺の瞳の奥を見据える言峰の視線に、言葉が詰まる。
でも、戦う理由がなかったのはさっきまでの話だ。
俺には戦う理由も意思も生まれている。
俺は逃げない。
正直、エルをスカイランドに帰すことで頭が一杯で実感が湧かない。
それでも、戦うか逃げるかしかないのなら、逃げることだけはしない。
多分、遠坂やケイネスみたいにクラスカードは使いこなせないかもしれない。
そんな半人前であっても、衛宮士郎はちゃんとした魔術師なんだ。
憧れ続けた衛宮切嗣の後を追って、必ず正義の味方になると決めたのなら、今ここで決めるべきだ。
──ただ。
「……とりあえず、俺は遠坂に協力する。十年前の火事の原因が聖杯戦争だっていうんなら、あんな出来事を二度も起こさせるわけにはいかない──でも、俺だけじゃ決められない。ソラとましろとも話し合って最終的に決める。だから、今は保留にさせてくれ」
「……ふっ、それも道理か」
俺の答えの何処に気に入ったのか、店主は満足そうな笑みを浮かべながら遠坂へ視線を送る。
「ええ、1人で幾つも背負うのは流石に大変そうだし。少し時間はかかりそうだけど、それで構わないわ」
思わず、深く息を吐く。
重圧から解放された気分だ。
でも、俺は戦うと口にした。
ソラやましろがどんな答えを導いたとしても、俺はここからその言葉に恥じないよう、胸を張って進むだけだ。
「決まりね。それじゃ帰るけど、わたしも1つぐらい質問していいかしら綺礼?」
「構わんよ。君と会うのはこれで最後かもしれないのだから、答えられる範囲で全て答えよう」
「それじゃ遠慮なく。綺礼、風の噂で他の魔術師の情報とか1つくらい届いてるでしょ?教えてよ」
「困ったな。教えてやりたいのは山々だが、私も詳しくは知らん。私が知り得る者は凛とケイネス・エルメロイ、あとは身元不明の3人くらいだ」
「結構知ってるじゃない、それで十分だわ。それじゃ」
「あのー……私からも1個いいですか?」
遠坂がスタスタと店を出ようとしたところに、聖先輩が言峰に向けて手を挙げた。
「今更なんですけど、今の話って私も聞いちゃって大丈夫だったんですか?」
「無論。そもそも聖あげは、君も協力者の対象に入るのだがな」
「え、でも私戦えませんよ?」
「ああ、確かに今の君は卵の中の赤子だ。だが、直に卵は殻を破り、やがて光輝く蝶へと進化するだろう」
「は、はあ……」
「真に受けなくてもいいですよ。そいつ、いつも訳の分からないことを言って人を困らせてますから」
そう言って、遠坂は師匠である言峰に別れの言葉を告げずにそのまま出て行ってしまった。
何とも後味の悪い状況に溜息を漏らすも、俺はぶっきらぼうな遠坂と複雑な表情を見せる先輩の後に続く。
その時。
「──」
背後にただならぬ気配を感じて、たまらず振り返る。
店主は何を言うでもなく、俺の瞳を一心に見つめていた。
「な、なんだよ。まだ何かあるのか」
そう言いつつ、足は勝手に後退る。
……やっぱり、こいつは苦手だ。
生理的に相性が悪いというか、どうにも好きになれそうにない。
「は、話がないなら帰るからなっ!」
言葉を吐き捨てた後、店主の視線を振り払って店を飛び出そうとする。
その途中。
「──喜べ少年少女よ。君達の願いは、ようやく叶う」
そう、神託を下すように店主は言った。
「──は?」
「明確な悪がいなければ望みは叶わない。たとえそれが容認しえぬモノであろうとも、正義の味方には倒すべき悪が必要だ」
「──」
つまり、そう。
店主はこう言いたいのだろう。
何かを守ろうという願いは、
同時に、何かを侵そうとするモノを、望むことに他ならない、と──
「──おま、え」
けど、そんなことを望むはずがない。
望んだ覚えなんてない。
あまりにも不安定なその願望は、
ただ、目指す理想が矛盾しているだけの話。
だというのに店主は言う。
"敵が出来てよかったな"と、俺の胸を槍でも突き刺すかのように。
「なに、取り繕うことはない。君やソラ・ハレワタールの葛藤は、人間としてとても正しい」
……何となく、この場にソラとましろがいなかったのは良かったと思う。
本当に何となくで確かな理由は導けないが、こいつの言葉は特にヒーローを志すソラにとっては毒針でしかないと思った。
店主の言葉を振り払って、店の外に飛び出して行った。
「さらばだ。これより君達の世界は一変する。君達は殺し、殺される側の人間になったのだと、その身を持って体験するがいい」